2017年7月23日日曜日

富山・長野チベット巡礼 (3) 利賀・瞑想の郷-その1

福光美術館の後、2004年の市町村合併で同じ南砺市内になっている利賀(旧・利賀村)へ行きました。「とが」と読みます。

特徴のある場所なので、今でも「利賀村」と呼ばれているよう。

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利賀の位置(Google Mapより)

こちらはまず行き方から。主に2つ。

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(1) 井波から市営バス

南砺市北東部の井波(旧・井波町)が利賀への入り口。

井波へは、あちこちからバスがある。私は、加越能バス(金沢←→井波)で、道の駅・福光から井波に出た。この便は毎日6往復。

利賀への市営バス(井波利賀線)が出るのは、旧・井波駅から。


旧・井波駅

これは、1972年に廃線となった加越能鉄道・加越線の旧駅舎。なかなか立派だ。現在は物産展示館(木彫刻が名産)・バスの待合所。

井波から利賀へのバスは毎日3便(10:15、13:20、16:45)。土日も運行。バスと言っても、客は11人くらいしか乗れないバンだ。


利賀行き市営バス

今回、乗客は行きは3人、帰りは1人、とスカスカであったが、平日だったからかもしれない。土日や夏休みは混むのかも。

井波-利賀間は約1時間。利賀川流域に入ると、深い谷を見下ろしながらのドライブとなる。樹木を取っ払うとKinnaurみたいな所ですね。

このバスは、利賀川流域奥の阿別当まで行く。瞑想の郷がある上畠、民宿やそばの郷がある坂上も、もちろん通る(ただし街道沿いだけで、山手には入らない)。

利賀中心部に達するまで民家はほとんどないので、車で行く人は、天気の悪い日や冬場には要注意。道はちょっと狭いが、山道に慣れた人なら大丈夫。

このルートは、行くまで知らなかったのだが、福光美術館のおねーさんたちに教えてもらいました。助かりました。

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(2) JR高山本線・越中八尾から市営バス

まず、富山からJR高山本線で越中八尾(えっちゅうやつお)駅へ。

越中八尾から利賀への市営バスが、こちらは毎日2便(10:15、16:45)。土日も運行。

ただし、利賀川流域は利賀行政センターまで。あとは百瀬川流域に戻ってしまう。上畠や坂上までは2~3kmなので、歩いても1時間くらい。村内バスもあるらしいが、よく知らない。

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利賀主要部(Google Mapより)

宿は民宿が数軒ある。私が泊まったのは、「中の屋」さん。ちょっと坂を登ると、あとは瞑想の郷までアップダウンなしで行ける。

中の屋は、民宿にしては少し高めの料金設定だが、それは食事がすごいいいから。米は自前の田んぼで作っている無農薬米だし、どぶろく「まごたりん」も作っている。奥さんはフィリピンの人で、明るく楽しい人だった。

その近くにも民宿「いなくぼ」。そばの郷方面にも民宿があるよう。街道沿いの「スターフォレスト利賀」は、旧小学校で、夏休みには合宿所として利用されている施設で、通常は宿泊施設として使われていない。

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瞑想の郷については次回。

2017年7月21日金曜日

カム小出し劇場 (3) デルゲ

20年位前に行った時の様子をまとめたもの。実用情報はもう使えないので省略。

2000年頃には、四川省チベットのほぼ全域が旅行者に開放されたが、この頃はまだダルツェンドの先は未開放だった。そのため、行く先々で緑の服を着た人たちに大人気で、彼らの職場にしょっちゅう招待されてました。

今も名目上は開放されているようだが、デルゲに入るのはなかなか厳しくなっているようだ。

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デルゲ སྡེ་དགེ sde dge徳格

ディ・チュー འབྲི་ཆུ་ 'bri chu 金沙江の支流シ・チュー ཟི་ཆུ་ zi chuに開けた谷間の町。日本の温泉町と似た風情。思ったより狭い街なので、外国人は目立つ。

カム最大の王国・デルゲ王国の都であった。デルゲ・パルカンとデルゲ・ゴンチェンの間にある建物が旧王宮らしい(現在は徳格中学)。


デルゲ主要部(Google Mapより)

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デルゲの歴史

デルゲ王は、吐蕃時代の有力氏族ガル མགར་ mgar氏の後裔。ガル氏の中では、ソンツェン・ガンポ སྲོང་བརྩན་སྒམ་པོ་ srong brtsan sgam po王の大臣で、文成公主を迎えるため唐に赴いたガル・トンツェン・ユルスン མགར་སྟོང་རྩན་ཡུལ་ཟུང་ mgar stong rtsan yul zung が最も有名。

ガル・トンツェンの息子たちは、698年に吐蕃王ティ・ドゥースン ཁྲི་འདུས་སྲོང་ khri 'dus srongによって滅ぼされたが、粛清を免れたガル氏族もいたようだ。

8世紀後半、ガル氏の一人でグル・リンポチェ གུ་རུ་རིན་པོ་ཆེ་ gu ru rin po che(パドマサンバヴァ पद्मसम्भ)の弟子とされる僧アムニェ・チャンペー・ペル ཨ་མྱེ་བྱམས་པའི་དཔལ་ a mye byams pa'i dpalが、カムのリン གླིང་ gling(リンツァン གླིང་ཚང་ gling tshang 林葱/嶺倉(デルゲの北))に移り住み、吐蕃帝国から自治権を与えられていた。チャンペー・ペルはガル・トンツェンの息子、とする説もあるが疑わしい。

13世紀になると、この後裔はサキャパ ས་སྐྱ་པ་ sa skya paのパクパ འཕགས་པ་ 'phags paによりカムの行政権を与えられ、勢力を拡大した。

15世紀にロドゥ・トブデン བློ་གྲོས་སྟོབས་ལྡན་ blo gros stobs ldan王がデルゲに都を移した。タントン・ギャルポ ཐང་སྟོང་རྒྱལ་པོ་ thang stong rgayl poを招聘し、デルゲ・ゴンチェンの建設を始めたのもこの王である(完成は17世紀半ば)。

1639年のグシ・ハーン གུ་ཤྲི་ཁཱན་ gu shri khAnによる侵略の際にはなんとかその地位を保ったものの、ラサ政府の影響下に置かれるようになった。

18世紀、テンパ・ツェリン བསྟན་པ་ཚེ་རིང་ bstan pa tshe ring王のもと、デルゲ王国は周囲の諸国を広く征服し、その最盛期を迎えた。1729年にはデルゲ・パルカンも完成した。

1863年には、他のカムの王国と同じく、ニャロン王 ཉག་རོང་དཔོན་པོ་ nyag rong dpon poゴンポ・ナムギャル མགོན་པོ་རྣམ་རྒྱལ་ mgon po rnam rgyalに屈し、一時王は廃位されたが、1865年ゴンポ・ナムギャルがラサ軍に鎮圧されると、デルゲ王はその地位を取り戻した。

1900-08年、ドルジェ・センゲ རྡོ་རྗེ་སེང་གེ་ rdo rje seng ge王とその弟ンガワン・ジャンペル・リンチェン ངག་དབང་འཇམ་དཔལ་རིན་ཆེན་ ngag dbang 'jam dpal rin chenによる王位争いが続いた。この内紛に乗じて趙爾豊率いる四川軍が侵入し、兄弟を追放し中国領とした。しかし、1917年にはラサ軍がデルゲを奪還し、王は復位した。

1950年、人民解放軍が侵攻を開始し、デルゲにも共産党員が駐在するようになる。カム地方の人々は共産主義改革に反発し反乱が頻発した。1957年、デルゲの人々も蜂起したがあっという間に中国軍に鎮圧された。デルゲ・ゴンチェンも破壊され、多数の僧が殺害された。デルゲ王国は、この時完全に滅亡した。

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デルゲ・パルカン སྡེ་དགེ་པར་ཁང་། sde dge par khang/ 徳格印経院


デルゲ・パルカン

1729年、デルゲ王テンパ・ツェリンによって完成された経典印刷所。デルゲ王はサキャパ(ンゴルパ)の施主であるが、パルカンは超宗派。現在は四川省文物局が管轄している。ナルタン・ゴンパ སྣར་ཐང་དགོན་པ་ snar thang dgon pa 那当寺のパルカンは、文革で完全に破壊されてしまったので、現在はここがチベット文化圏最大のパルカンである。

ペルプン・ゴンパ དཔལ་སྤུང་དགོན་པ་ dpal spung dgon pa 八邦寺(カルマ・カギュパ)の創設者、タイ・スィトゥ・リンポチェ8世 ཏའི་སི་ཏུ་རིན་པོ་ཆེ་སྐུ་འཕྲེང་བརྒྱད་པ་ ta'i si tu rin po che sku 'phreng brgyad pa(チューキ・チュンネ ཆོས་ཀྱི་འབྱུང་གནས་ chos kyi 'byung gnas、別名ツクラク・チューキ・ナンワ གཙུག་ལག་ཆོས་ཀྱི་སྣང་བ་ gtsug lag chos kyi snang ba)が、ここで1733年カンギュールを編集・開版した。1742年にはシュチェン・ツルティム・リンチェン ཞུ་ཆེན་ཙུལ་ཁྲིམས་རིན་ཆེན་ zhu chen tsul khrims rin chen監修のもとテンギュールも完成。このデルゲ版大蔵経は、同じころ完成したナルタン版大蔵経と並び最も広く普及した版である。この版木彫刻様式はグツェ派と呼ばれる。


デルゲ・パルカン 朝のコルラ

朝な夕なにここをコルラしている人の数は多い。デルゲ・ゴンチェンよりも人気が高いよう。パルカンから流れ出る墨混じりの水を、ありがたいものとして飲む人もいる。

3階建紅壁の立派な建物で、入口には番人もいる。残念ながら、この時は中には入れなかったので、内部の様子は、

・池田巧+中西純一+山中勝次 (2003.7) 『活きている文化遺産デルゲパルカン チベット大蔵経木版印刷所の歴史と現在』. 214pp. 明石書店, 東京.

などで見てほしい。

タルチョ、ルンタ類はパルカン前の売店で売っている。

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デルゲ・ゴンチェン སྡེ་དགེ་དགོན་ཆེན། sde dge dgon chen/ 徳格更慶寺


デルゲ・ゴンチェンのドゥカン入口

ルンドゥプテン・ゴンパ ལྷུན་གྲུབ་སྟེང་དགོན་པ་ lhun grub steng dgon paとも呼ばれる。サキャパの分派ンゴルパ ངོར་པ་ ngor pa。

1448年、ロド・トブデン王がタントン・ギャルポを招き建設を開始した。完成したのは、17世紀半ばラチェン・チャムパ・プンツォク ལྷ་ཆེན་བྱམས་པ་ཕུན་ཚོགས་ lha chen byams pa phun tshogs王の時。サキャパの方式を受け継ぎ、デルゲ王のおじ甥相続で維持発展していった。

1957年、共産主義政策に対する反乱の最中に中国軍によって大規模に破壊された。しかし、近年復興が進み今では300人ほどの僧がいる。

ツァンのンゴル寺に次ぐンゴルパの重要な寺院で、かつてはンゴル寺の座主が退職すると、このデルゲ・ゴンチェンで教授することになっていた。この時は12時間続く大きな法要が行われていて、ンゴル寺からも多くの僧が出張して来ていた。

デルゲ・パルカンのさらに奥にドゥカンを中心とし、いくつかラカン・僧房群が建ち並ぶ。


デルゲ・ゴンチェン平面図(出版用の整理はしていないので見にくいと思う)

ドゥカン དུས་ཁང་ dus khang/ツァムカン འཚམས་ཁང་ 'tshams khang 1~3

マニ車と転法輪のある通路を抜けると中庭に出る。正面がドゥカンの入口。反対側には小坊主のタツァン གྲྭ་ཚང་ grwa tshang(学校)もある。

ドゥカンはかなり広く、正面奥にリンポチェの席と諸尊像を祠った棚がある。壁画はごく新しいものだが、素晴らしい出来。左壁に一群のイダム・ヤプユム ཡི་དམ་ཡབ་ཡུམ་ yi dam yab yumの壁画があり、布がかけてある。またその前には忿怒尊像が多数立ちはだかる。

ドゥカンの裏手にはツァムカンが3つ。左手にはグル・リンポチェと護法尊、真ん中にはジョウォ・リンポチェ ཇོ་བོ་རིན་པོ་ཆེ་ jo bo rin po cheを中心とするドゥスム・サンギェ འདུས་གསུམ་སངས་རྒྱས་ 'dus gsum sangs rgyas 三世仏とネシェ・ゲ ཉེ་སྲས་བརྒྱད་ nye sras brgyad 八菩薩+ギャルチェン・シ རྒྱལ་ཆེན་བཞི་ rgyal chen bzhi 四天王、右手にはチャムパ  byams pa བྱམས་པ་ 弥勒菩薩とネテン・チュードゥク སགནས་བརྟན་བཅུ་དྲུག gnas brtan bcu drug 十六羅漢が祠ってある。いずれも新しいものばかりだが、古そうな寺院の構造、密教色の濃い像・壁画といいなかなか興味深いゴンパである。

ヤネ・ラカン དབྱར་གནས་ལྷ་ཁང་ dbyar gnas lha khang

ドゥカンの隣りにある小さなラカン。小坊主多し。ここもごく新しいものばかり。主尊はシャキャ・トゥバ ཤཱ་ཀྱ་ཐུབ་པ་ shA kya thub pa。
 
その他のラカン

ヤネ・ラカンのすぐ上手にもう一つラカンがある。また広場を挟んだ東はずれにも古そうな小ラカンがある。

タンギェル・ラカン ཐང་རྒྱལ་ལྷ་ཁང་ thang rgyal lha khang

パルカン、ゴンチェンとは谷を挟んだ対岸、南の山手にある。タントン・ギャルポを祠っているらしい。

大チョルテン

町の北はずれに高さ15mの大チョルテンがある。3段基壇のナムギャル型。新しいもの。四隅に4色の小チョルテンが立っており、これは全体で5如来を表わしたものか?。ヘルミカ(平頭)には目もついている。

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参考文献は準備中。調べたのはだいぶ昔なので、少し手間がかかるのだ。

2017年7月18日火曜日

富山・長野チベット巡礼 (2c) デルゲ印経院チベット木版仏画展@富山県南砺市立福光美術館-その4

・池田巧+中西純一+山中勝次 (2003.7) 『活きている文化遺産デルゲパルカン チベット大蔵経木版印刷所の歴史と現在』. 214pp. 明石書店, 東京.


装幀 : 柴永文夫+前田眞吉

という本があります。デルゲ・パルカンに関する本としては、日本で唯一です。

他に、デルゲ/デルゲ・パルカンに関する日本語論文、中文書籍、欧文書籍については末尾にまとめておきました。

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デルゲ・パルカンに関する日本語資料としては、もちろん最重要資料なのですが、残念ながら展覧会会場や売店にはありませんでした。おそらく絶版なのでしょう。

明石はおもしろい本をどんどん出してくれるが、絶版も早い。あっという間に絶版になって、ゾッキに流れているのをよく見かける。

これを機に再発してほしいもの。講談社学術文庫でもいいぞ。

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その中から、この展覧会で展示されている大判版画の版木が、どのように保管・印刷されているかの写真を紹介しておこう。


同書, pp.44-45

デルゲ・パルカンの主要業務は言うまでもなく経典の印刷。そちらでは二人一組になって、ローラーなども使い、手早く印刷が進められている。

しかし、仏画のような大型版画は、上手右のように、熟達した工人が一人でじっくり印刷を進めるらしい。

上掲書著者らの協力も得て、こういった写真の提供も受けることができたら、より深みのある展覧会になるだろう。

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デルゲ・パルカンで印刷されている仏教図像については、このような形でもまとめられている。

・Josef Kolmaš (2002) ICONOGRAPHY OF THE DERGE KANJUR AND TANJUR. 286pp. Vedams ebook, New Delhi.


Cover Design : Dushyant Parasher

これは、デルゲ大蔵経のカンギュル བཀའ་འགྱུར་ bka' 'gyur 仏説部(カム/アムド方言だと「カンジュル」になる)とテンギュル བསྟན་འགྱུར་ bstan 'gyur 論疏部(解説・注釈、カム/アムド方言だと「テンジュル」になる)の両端に記された諸尊の図像のみをピックアップしてまとめたもの。


同書, p.153

印刷は不鮮明だが、チベット仏教の尊格がほとんど網羅されているので、図像学の勉強にはかなり役に立つはず。この本では各尊格のチベット名もindexで網羅されているので、そういった使い方もできる。

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前掲の池田ほか(2003)より、この図像がどういった形で経典に収録されているか、示しておこう。


池田ほか(2003), pp.48-49

デルゲ版大蔵経では、カンギュルは赤字、テンギュルは黒字で印刷される。

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Kolmaš先生は、チェコのチベット学者。後述の欧文書籍リストを見てもわかるように、デルゲに関する研究では第一人者だ。現在84歳とご高齢ではあるが、次回またこの展覧会があるようなら、是非Kolamš先生を呼んで講演をお願いしてほしい。

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最後に、福光美術館への行き方。主に2つ。


福光への行き方(Google Mapより)

(1) 北陸新幹線・新高岡駅から

JR城端線で新高岡から9つ目の駅が福光駅。本数は1時間に1本くらい。40分で福光。

城端線は電化されていない。東京周辺ではもはや見ることのない、1970年代製造(と推定)の古いディーゼルカーがいろいろ走っている。撮り鉄にはちょっと狙い目の路線かも。


福光駅~福光美術館(Google Mapより)

福光美術館は、福光駅から北西に約2km。歩いても十分行けるが1時間くらいかかる。駅からはバスもあるが、よく知らない。

美術館の隣に川合田温泉という宿がある。行きの当日はそこに宿泊し、翌朝美術館に、というプランは、我ながらなかなかいいアイディアであった。

宿や温泉は、他にも福光駅周辺・郊外にいくつかある。

また、棟方志功記念館・愛染苑、福光中心部・味噌屋町の古い町並みなど、他に見所もいくつかあるので、時間に余裕があればあちこち行ってみても面白いと思う。

(2) 金沢から

北陸新幹線などで金沢に行き、そのついでに福光美術館に行ってみるのもいい。

金沢~福光~井波は、加越能バスが毎日6往復運行。金沢から、福光美術館最寄りの「道の駅福光」までは45分くらい。金沢-福光は充分日帰りできる。

道の駅から美術館へは、30分ほど歩く。

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デルゲ/デルゲ・パルカンに関する日本語論文にはこのようなものがある。

・中西純一 (1997.1) チベット デルゲパルカン. 季刊民族学, vol.21, no.1, pp.28-43.
・松村恒 (1997.7) チベット大蔵経デルゲ版の開版印刷について. 香散見草 (近畿大学)中央図書館報, no.27, pp.12-16.
・中西純一 (1999.4) チベット徳格印経院を調査して. 月刊しにか,  vol.10, no.4, pp.2-5.
・鎌澤久也 (2000.10) FRONT PICTORIAL 長江上流域の人びと (2) 徳格の印経院. Front, vol.13, no.1, pp.59-63.
・鎌澤久也 (2000.12) 長江源流行 (21) 徳格・最後の印経院. 月刊しにか, vol.11, no.12, pls.+pp.102-103.
・川田進 (2008.10) デルゲ印経院とデルゲ土司に見る中国共産党のチベット政策. 大阪工業大学紀要 人文社会篇, vol.53, no.1, pp.19-50.
・小林亮介 (2011.3) 一九世紀末~二〇世紀初頭、ダライラマ政権の東チベット支配とデルゲ王国(徳格土司). 東洋文化研究, vol.13, pp.21-52.

中文書籍としては、

・中国科学院民族研究所四川少数民族社会歴史調査組・編 (1963.7) 『甘孜藏族自治州徳格地区社会調査報告』. 中国科学院民族研究所四川少数民族社会歴史調査組.
・中国科学院民族研究所四川少数民族社会歴史調査組・編 (1963.12) 『徳格更慶、甘孜麻書社会調査材料 甘孜藏族自治州』. 中国科学院民族研究所, 北京.
・四川民族出版社・編 (1981.8) 『徳格印経院』. 四川民族出版社, 成都.
・策旺・多吉仁増 (1990) 『徳格土司傳 藏文版』. 四川民族出版社, 成都.
・四川省徳格縣志編纂委員会・編 (1995.5) 『徳格縣志』. 四川人民出版社, 成都.
・楊嘉銘 (2000.4) 『徳格印経院』(西南人文書系). 四川人民出版社, 成都.
・唐拉津旺 等・画, 根秋登子+多智+雄呷・藏文注釈, 戴作民・漢文翻訳 (2002.6) 『徳格印経院藏傳木刻版画集』. 四川民族出版社, 成都.
・蒋彬 (2005.9) 『四川藏区城鎮化与文化変遷 以徳格県更慶鎮為个案』. 巴蜀書社, 成都.
・津爾多吉 (2006) 『走過康巴文明的皺襞 徳格土司歴史淵源与康巴文化発展略述』. 四川華彩文化傳播, 成都.
・沢旺吉美・主編 (2010.10) 『徳格印経院』. 四川美術出版社, 成都.
・徳格県寺院志編委会・編 (2011.11) 『徳格県寺院志』. 民族出版社, 北京.

欧文書籍にはこのようなものがある。

・Josef Kolmaš (1968) A GENEALOGY OF THE KINGS OF DERGE : SDE-DGE'I RGYAL-RABS (Dissertationes orientales, v.12). Oriental Institute in Academia, Publishing House of the Czechoslovak Academy of Sciences, Prague.
・Josef Kolmaš+Československá akademie věd. Orientální ústav. Knihovna (1978) THE ICONOGRAPHY OF THE DERGE KANJUR AND TANJUR : FACSIMILE REPRODUCTIONS OF THE 648 ILLUSTRATIONS IN THE DERGE EDITION OF THE TIBETAN TRIPITAKA, HOUSED IN THE LIBRARY OF THE ORIENTAL INSTITUTE IN PRAGUE.(Śata-pitaka series, Indo-Asian literatures, v.241). Sharada Rani, New Delhi.
→ Reprint : (2002) Vedams, New Delhi.
・Peter Kessler (1983) DIE HISTORISCHEN KöNIGREICHE LING UND DERGE (Laufende Arbeiten zu einem Ethnohistorischen Atlas Tibets, EAT, Lfg. 40. 1). Tibet-Institut, Rikon(Swiss).

2017年7月17日月曜日

富山・長野チベット巡礼 (2b) デルゲ印経院チベット木版仏画展@富山県南砺市立福光美術館-その3

これは展覧会の図録というかカタログ。展覧会で観覧者に無料配布されている。

・田中公明・監修, 利賀ふるさと財団+利賀瞑想の郷・編 (2017.7) 『なんとの至宝 Part 6 デルゲ印経院チベット木版仏画展 平成29年7月1日~8月20日』. 12pp. 南砺市立福光美術館, 南砺(富山).


同書, p.1

かなりの縮刷になってしまっているが、展示品142点が全て収録されている。

図像をじっくり見るには物足りないが、展示品リストとしては理想的な形態。次回は、もう少し大判の図録化してほしい(もちろん有料で販売してくれれば、買う買う)。

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会場には、

・唐拉津旺 等・画, 根秋登子+多智+雄呷・藏文注釈, 戴作民・漢文翻訳 (2002.6) 『徳格印経院藏傳木刻版画集』. 四川民族出版社, 成都.

が置いてあったが、これの翻訳でもいいかもしれない。

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この展覧会では、前回紹介したネテン・チュードゥク(十六羅漢)をはじめ、セット物が多いのも特徴。

グル・リンポチェ八相 གུ་རུ་མཚན་བརྒྱད་ gu ru mtshan brgyadも一揃い。グル・リンポチェ གུ་རུ་རིན་པོ་ཆེ་ gu ru rin po che(पद्मसम्भवPadmasambhava 連華生)がどういう方か、という簡単な解説はあったものの、この八相がどういう場面で、どういう意味を持っているのか、について解説はない。

これはグル・リンポチェの事績を8つの場面に分けて紹介したもの。それぞれの場面で異なる姿を取り、それぞれに別の名前もついているのだ。

初心者には、なかなか理解がむずかしいだろう。この八相をチャム(འཆམ་ 'cham 仮面舞踊)化したものであるツェチュー ཚེས་བཅུ་ tshes bcuとも関連づけて紹介してくれれば、一層理解しやすくなるかもしれない。

また逆に、Ladakh Hemisあたりにツェチューを見に行く人は、このグル・ツェンギェのタンカ・セット(そのコピーや印刷物)8枚を持って行って、チャムを見ながらタンカと比較するのもおもしろい。おそらくタンカの尊格が仮面でぞろぞろ登場して来るはず。

なお、このグル・リンポチェの8事績は、いずれも月の十日目(ツェチュー)に起きたとされる。だから、チャムのタイトルはツェチューなのだ。

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釈尊生涯八相 མཛད་པ་བརྒྱད་པ་ mdzad pa brgyad paの方は、グル・リンポチェのそれよりもずっと馴染みがあるだろう。

(1)誕生 (2)学問と四門出遊 (3)出家 (4)降魔 (*)成道(本尊)(5)転法輪 (6)天界からの降下 (7)神変 (8)涅槃

の9枚セットがチベットでは一般的。12枚にしたセットもある。

日本で一般的な八相図とは微妙に出入りがあって面白い。

本会場入口近くに、八大霊塔 མཆོད་རྟེན་ཆ་བརྒྱད་ mchod rten cha brgyad画があるが、これは釈尊八相を象徴したものであるので、こちらとも関連づけた展示があってもよかったかも。

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これまで仏画のクオリティについては触れなかったが、極めて高い技量を持った絵師・彫師によるものであることは言うまでもない。

尊容についてはもうガチガチに定まっており、16世紀以降の仏画はどれを見てもほとんど同じである。

なので、これをひと通り見て頭に入れておけば、チベット文化圏のどこへ行っても、ほとんど「どれが何か」わかるはず(ただし16世紀以前の古い寺では通用しないことも多い)。

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人民解放軍や紅衛兵によって破壊の憂き目を見た、他のパルカン(印経院)と違い、デルゲ・パルカンでは古い版木を保持しているのはもとより、技術とシステムが維持されていることが重要。

これだけ高い技術を持った絵師・彫師が、今も活動していることに感謝したい。

まだツヅク

2017年7月16日日曜日

富山・長野チベット巡礼 (2a) デルゲ印経院チベット木版仏画展@富山県南砺市立福光美術館-その2

これが福光美術館


福光美術館

街道からは山手に入って、丘の上にある。なんか冬は大変そう。

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掃除のおばちゃんと話してたら、

「冬は閉館するんですか?」
「冬もやってるよ。除雪は完璧だから大丈夫よ」
「でもお客は来ないでしょう」
「来~ない、来ない」

あはは。みなさん、せめて夏だけでもたくさん行ってください。

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さて、肝心の「デルゲ印経院チベット木版仏画展」ですが、平日朝イチということもあり、客の姿はまばら。

実は、この福光美術館の目玉は「棟方志功コレクション」。志功は、1945~52年にこの福光に居住していたのです。福光美術館では、当時の作品を中心に志功の作品を多数所蔵しています。

当日も、特別展よりも志功作品の常設展のほうが人気。バスで団体客が乗りつけるほど。「二菩薩釈迦十大弟子」は素晴らしかった。

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さて、特別展の方は、作品数が142点(注)と大量なので、展示会場への廊下からもう展示が始まっている。

(注)
所蔵作品総数は145点なのだが、3点は同一図像の重複。従って展示されているのは142点になる。その重複3点は利賀「瞑想の郷」に展示してあった。


デルゲ仏画展入り口

入り口廊下には小型の仏画が並んでいた。A3くらい(だいたい縦40cm×25cm)。

一方メイン会場の作品はほとんどがA2サイズくらい(だいたい縦60cm×横40cm)。

版画なので、もちろん一点ものではないが、お経と違ってこういう大型仏画が印刷される機会は多くない。

1999年に利賀「瞑想の郷」の調査団がデルゲ・パルカンを訪れた際に、当時印刷可能だった仏画をすべて2セット入手したのだという。

もう1セットは、東京都町田市立国際版画美術館に寄贈され、そちらでも2011年に展覧会が行われている。しかしわずか30点のみ。

・町田市立国際版画美術館 > 展覧会 > 過去の展覧会 > 2011年度 > チベット密教版画 その未知なる世界 会期 2011年9月28日(水)~12月23日(金・祝)(as of 2017/07/15)
http://hanga-museum.jp/exhibition/past/2011-17

瞑想の郷でも、これだけ大量かつ大判の仏画を、すべて展示できるスペースがなかったため、これまで全点展示されることがなかった。画期的な展覧会なのだ。

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1枚1枚見ていくとなかなか時間がかかる。15分位かけてようやくメイン会場にたどり着いた。


デルゲ仏画展メイン会場

出迎えてくれるのはドゥンコル འདུས་ཀྱི་འཁོར་ལོ་ 'dus kyi 'khor lo 時輪(カーラチャクラ कालचक्र Kalacakra)ヤプユム像。

ドゥンコル立体像はなかなか見る機会はないので、これも貴重な展示だ。ただし密教仏なので、本来一般信徒には拝観させない場合が多い尊格だけど。

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この展覧会では、会場の都合で反時計回りに展示が進む。ボン教コルラの向きになってしまった(笑)。まあいいでしょう。

最初はネテン・チュードゥク གནས་བརྟན་བཅུ་དྲུག gnas brtan bcu drug 十六羅漢がずらりと並ぶ。この辺は中国絵画の影響が強い絵で、日本仏教絵画での姿とよく似ている。

これを最初に展示したのは、親しみを持たせる目的として正解だろう。

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次に祖師画が並ぶ。銘がない作品が多く、主題が誰かわからないものも多い。ダクポ・カギュパ དྭགས་པོ་བཀའ་བརྒྱུད་པ་ dwags po bka' brgyud pa 祖師マルパ・チューキ・ロドゥ མར་པ་ཆོས་ཀྱི་བློ་གྲོས་ mar pa chos kyi blo gros、シチェーパ ཞི་བྱེད་པ་ zhi byed pa 祖師パダムパ・サンギェ ཕ་དམ་པ་སངས་རྒྱས་ pha dam pa sangs rgyas などは、特徴的な姿なのでわかりやすいかもしれない。

各コーナーの冒頭に簡単な紹介はあるものの、仏画にはそれぞれの解説はない。チベット仏教、特に宗派や祖師についての知識があまりない観覧客にどれだけ理解してもらえるか?は、なかなか難しいところだろう。

学芸員の方に訊いたところ、一度試しに解説を作ってもらったところ、一枚あたりの解説が膨大な量になってしまい、解説をつけるのは今回は諦めたそうな。

チベット仏教図像学の勉強には最適の展覧会なのだが、初心者にとっては、とっかかりが少ない。もう少し解説も充実させて貰えるとありがたいと思った。

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美術館売店には、本展覧会の監修者である田中公明先生の本がズラリと並んでいて(「瞑想の郷」売店から転用のよう)、さしずめ田中公明全集のようだった。今は絶版の貴重書もあって、チベット仏教美術を勉強してみよう、という人には最高のシチュエーション。

田中先生の著作の中で、チベット仏教美術の勉強に最適な本は、実はそこにはなかった。多分絶版なのだと思う。

それがこれ↓

・田中公明 (1990.7) 『詳解河口慧海コレクション チベット・ネパール仏教美術』. pls+298pp. 佼成出版社, 東京.



中身も少し紹介しておこう。


同書, pp.52-53

これは、「シトー百尊 ཞི་ཁྲོ་དམ་པ་རིགས་བརྒྱ zhi khro dam pa rigs brgya」のうち「寂静四十ニ尊 ཞི་བའི་ལྷ་ཞེ་གཉིས་ zhi ba'i lha zhe gnyis」について、典拠となる経典と図像を比較しながら解説している。すごくわかりやすい。

このように、一つの図像について解説するだけでも、数ページの分量が必要となることもあるのだ。仏教図像を簡単に解説することの難しさがわかる。

仏画だけではなく、宗教美術というものは全ての部分がそれぞれ意味を持っている。その意味を語ろうと思えば、いくらでも語れてしまう面があるのだ。

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まあでも、特に祖師画では、宗派の系譜や簡単な紹介などがあった方がよかったと思う。

評判がよければ、これは全国あちこちで巡回できるクオリティの展覧会だ。その時にはぜひ解説を充実させてほしい。

ツヅク

2017年7月14日金曜日

富山・長野チベット巡礼 (2) デルゲ印経院チベット木版仏画展@富山県南砺市立福光美術館-その1

お次は、というか、最初の目的地です。

場所は、富山県西部にある南砺市。山を一つ越えるともう金沢。南砺市西部にあたる福光(旧・西礪波郡福光町)。

JR城端(じょうはな)線・福光駅から北西に約2km。山あいに入ったところにあるのが、南砺市立福光美術館。行き方は後述。


福光美術館入り口

そちらで開催されていた展覧会がこれ↓。

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・南砺市立 福光美術館 > 現在の企画展 > なんとの至宝 Part 6 デルゲ印経院チベット木版仏画展(as of 2017/07/10)
http://nanto-museum.com/category/exhibition/in-session/

なんとの至宝 Part 6 デルゲ印経院チベット木版仏画展
会場 : 南砺市立 福光美術館
会期 : 平成29年7月1日(土)~8月20日(日) *7月10日(月)はなんとの日 観覧料無料
休館日 : 毎週火曜日
営業時間 : 9:00~17:00(入館は16:30まで)
住所 : 〒939-1626 富山県南砺市法林寺2010
TEL : 0763-52-7576
FAX : 0763-52-7515
観覧料金 : 一般 500円/高大生 300円/中学生以下無料(常設展観覧料を含む)
主催 : 南砺市 福光美術館
共催 : 北日本新聞社
後援 : 北日本放送 となみ衛星通信テレビ
協力 : 利賀ふるさと財団 利賀瞑想の郷
■開会式 : 7月1日(土)9:30~ 福光美術館ロビー
■ギャラリートーク : 開会式終了後 講師/田中公明氏 (公財)中村元東方研究所専任研究員・慶応義塾大学非常勤講師
■ミュージアムセミナー : 7月16日(日)14:00~ 講師/浦辻一成 氏 利賀瞑想の郷館長
■「ケサル大王」上映会 : 7月23日(日)10:00~/14:00~ 美術館ロビー 監督/大谷寿一氏
アクセス :□北陸自動車道小矢部I.Cより車で10分 □東海北陸自動車道福光I.Cより車で15分 □JR城端線福光駅下車タクシーで5分 □JR金沢駅より車で45分(国道304経由) □JR森本駅より車で20分 ◎大型駐車場完備 □JR金沢駅よりJRバスで60分 (「川合田温泉」下車、徒歩5分) □JR福光駅よりバスで10分 ・プール・美術館バス(無料・午後のみ)「福光美術館前」下車 ※時刻表・経路はアクセスマップに掲載 ・JRバス、南砺市市営バス「なんバス」(有料) 「川合田温泉」下車、徒歩5分

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同展パンフレット表


同展パンフレット裏

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この展覧会は、同じく南砺市利賀(旧・東礪波郡利賀村)にある「瞑想の郷」(この後行った)が保有するデルゲ・パルカン木版仏画の全点初公開です。

1999年の購入以来、今まで一部展示されたことはあったが、145点全点展示はこれがはじめて。

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デルゲ སྡེ་དགེ sde dge 徳格は、カム ཁམས་ khams(東チベット)の町であり、旧デルゲ王国の王都。サキャパ ས་སྐྱ་པ་ sa skya pa(その分派ンゴルパ ངོར་པ་ ngor pa)の大寺デルゲ・ゴンチェン སྡེ་དགེ་དགོན་ཆེན་ sde dge dgon chen 徳格更慶がある。

デルゲ・パルカン སྡེ་དགེའི་པར་ཁང་ sde dge'i par khang 徳格印経院は、デルゲ・ゴンチェンの附属施設であるが、こちらは超宗派。

仏画の種類にも、その超宗派性がよく現れている。サキャパ祖師が充実しているのは当然なのだが、シャンパ・カギュパ ཤངས་པ་བཀའ་རྒྱུད་པ་ shangs pa bka' rgyud pa、シチェーパ ཞི་བྱེད་པ་ zhi byed pa、チョナンパ ཇོ་ནང་པ་ jo nang paなどのマイナー宗派の祖師画もしっかりカバーしている。

イダム ཡི་དམ་ yi dam 守護尊にしても、サキャパのイダムであるキェー・ドルジェ ཀྱེའི་རྡོ་རྗེ་ kye'i rdo rje हेवज्र Hevajra 呼金剛だけではなく、デムチョク བདེ་མཆོག bde mchog चक्रसंवर Cakrasamvara 勝楽(主にカギュパのイダム)やサンワ・ドゥパ གསང་བ་འདུས་པ་ gsang ba 'dus pa गुहयासमाज Guhyasamaja 秘密集会(主にゲルクパのイダム)の画もある。

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デルゲについては、後にもう少し詳しく語ることにして、次回は展覧会の中身をちゃんと見ていこう。

2017年7月10日月曜日

富山・長野チベット巡礼 (1) 東チベット写真展@長野県佐久市

急に思い立って、富山県と長野県のチベットものを3件巡ってきました。

(2) 富山県南砺市福光 福光美術館 デルゲ印経院チベット木版仏画展
(3) 富山県南砺市利賀 瞑想の郷
(1) 長野県佐久市臼田 佐久総合病院本院 東チベット写真展

訪問したのは、(2)→(3)→(1)の順番ですが、訪問順に紹介していると、(1)の会期が終わってしまうので、順番を変えて紹介します。

(1)の会期は2017/7/14までですから、皆さんお見逃しないよう、是非行ってみてください。行き方などは、最後に紹介します。

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・毎日新聞 > 芸術・文化 > 武田博仁/写真展 東チベット高地80点 佐久・14日まで /長野(2017年7月6日 地方版)
https://mainichi.jp/articles/20170706/ddl/k20/040/102000c

数日前、この記事を発見して、ちょうどいいので、富山の2件と組み合わせて回ってきたわけです。

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由井 格(ゆい いたる)写真展 東チベット高地の自然と少数民族
会期 : 2017年7月1日(土)~14日(金) 10時~17時
場所 : 佐久総合病院本院ふれあいギャラリー
住所 : 〒384-0301 長野県佐久市臼田197
観覧料金 : 無料


由井さんの経歴など

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会場は、病院の1階。待合室横通路のスペースを、ギャラリーとして使っています。いろいろな展示を企画し、通院患者・入院患者・一般訪問者に開放しています。この展覧会では、会場費無料だったそうです(病院と要相談)。

「展覧会はやりたいけど、会場費がなあ・・・」と悩んでいる方にもチャンスを与えてくれる、なかなか素晴らしいアイディアです。


佐久総合病院本院ふれあいギャラリー

行ったのは日曜ですので、通院客はおらず、病院はひっそりしていました。しかし、この写真展目当ての客がどんどん訪れ、由井さんも大忙し。芳名帳も2冊目になっていて、なかなかの盛況のようです。

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写真は約80点。由井さんは、東チベット調査の大家・中村保氏と共に調査活動をしてこられた方です。その調査結果から、ほんの一部を紹介しておられるわけです。

由井さんはもともと登山家ですので、写真展の前半は、ケシや高山植物の写真が並びます。「写真は素人で・・・」とおっしゃっていましたが、どうしてどうして、素晴らしい写真が並んでいます。

私は高山植物への造詣がほとんどなく申し訳なかったのですが、山好きの人が多い信州では、山やこの高山植物の写真が最も皆さんの興味を引いていたようでした。

車椅子で訪れた、入院患者のおばあちゃんも「きれいな花だねえ。山もきれいだねえ」と喜んでいたのが印象的でした。

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山と高山植物の写真中心なのは予想通りだったのですが、後半には東チベット(というより東ヒマラヤ全域)で出会った諸民族の写真がズラリと並びます。カムパばかりではなく、四川・羌族の角塔(羌寨)、雲南の納西族、彝族、傈僳(リス)族など、東ヒマラヤ全域に及んでいます。


東チベット写真展の一部

由井さんの東チベット/ヒマラヤ(四川・雲南・青海・西藏自治区)への調査行は20回に及ぶそうで、その中から厳選された諸民族の姿は濃いですよ。

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特に、チャクテン ཕྱག་ཕྲེང་ phyag phreng 郷城県のカムパたちとの深い交流が興味深い内容です。

チャクテンは、マツタケの産地として有名で、日本にも多く輸入されていますが、そのきっかけを作ったのが、由井さんらのグループだったんだそうです。

地球に好奇心 山の幸に異変あり中国・まつたけ新事情
2001年春 NHK-BS2
制作:パン・プランニング

などで、当地の様子を見たことがある人も多いでしょう。この番組にも由井さんは関わっておられます。

写真展では、その地での祭りの様子も大きく取り上げられています。この辺のカムモの盛装は、ド派手ですねえ。一見の価値あり。

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最近のネタとリンクする内容としては、映画「ラサへの歩き方」で注目を浴びている、五体投地巡礼団の写真もあります。これがまた、「ラサへの歩き方」と全く同じルート上の写真なのです。

写真のグループは4・5人で、サポート・リヤカー2台。私が見たことあるのも、だいたいそんなもの。映画での「巡礼団11人」というのが、いかに規格外れの大巡礼団であるかがわかります。

また写真では、実際に巡礼途中で生まれた赤ちゃん、ロバを連れた夫婦だけの巡礼などの写真もあります。フィクションとはいえ、「ラサへの歩き方」のエピソードが、事実をよく取り入れたものになっていることが実感できますよ。「ラサへの歩き方」ファンも必見ですね。

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由井さんは、麗江についての本の翻訳もされています。

・ピーター・グラード・著, 由井格・監修, 佐藤維・訳 (2011.6) 『忘れられた王国 一九三〇~四〇年代の香格里拉(シャングリラ)・麗江』. pls.+367pp. 社会評論社, 東京.
← 英語原版 : Peter Goullart (1955) FORGOTTEN KINGDOM. xix+218pp. John Murray, London.


装幀 : 桑谷速人

これは、

・ピーター・グーラート・著, 高地アジア研究会・抄訳 (1963.10) 『忘れられた王国』(秘境探検双書). pls.+222pp. ベースボール・マガジン社, 東京.


装丁 : 関根英治

の新訳・完全版になります。新訳版では、原著の白黒写真に加え、由井さん撮影の写真がふんだんに追加されており、より理解しやすい構成になっています。

私はこの本の存在に気づいていなかったので、写真展の現場で購入させていただきました。

なお、今調べてわかったのだが、どういうわけか、この本にはさらなる新訳もあるらしい。

・ピーター・グゥラート・著, 西本晃二・訳 (2014.12) 『忘れ去られた王国 落日の麗江雲南滞在記』. 453pp. スタイル・ノート, 国分寺(東京).

こちらも見たことないので、そのうち見て比較してみよう。

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由井さんのお話は、とにかく面白い。以上のような話はもとより、ここでは書けないようなオフレコ話が、またベラボーな面白さ。みなさんも現場で、ぜひ由井さんのお話を聞いてみてください。

なお、由井さんは現在82歳とのことだが、見た目は60歳代にしか見えない。これも驚きますよ。

会場では「最近チベット方面は、旅行しにくくなった」という話題で盛り上がったのだが、由井さんにはまだまだお元気でいていただいて、東チベットへも行って、色々な調査結果を教えてほしいもんです。

由井さんの話は、写真展だけではもったいない。特に昨今のチベット旅行がしにくい状況下では、その知見はますます貴重なものとなるでしょう。講演などもどんどんやっていただいて、貴重な調査結果を一層知らしめていただきたい、と切に願います。

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臼田は、長野県東部、小海線(八ヶ岳高原線と改称)沿線の町。


小海線沿線(Google Mapより)

もともとは臼田町であったが、2005年に佐久市に合併された。現在は佐久市南部に当たる。

県外からは、北陸・長野新幹線・佐久平から小海線で南へ7駅目、あるいは中央本線・小淵沢から北へ17駅目。ところが、小海線の運行本数は極めて少ない。2両編成ディーゼル車のワンマン運行だったし。

車が使える人だったら、もう現地まで車で行ってしまったほうが早いだろう。

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臼田は小さな町で、日曜ということもあり、駅前商店街には人影まばらだった。

しかし、驚くことに、町中はツバメが大量に飛び交っていた。「ツバメの町」だ。商店の軒下にはどこもツバメの巣が。そういうやさしい町なのだ。


臼田周辺(Google Map)

臼田で面白そうな場所としては、駅の東1.5kmに龍岡城跡(現在は小学校)がある。これは幕末に築城された小型「五稜郭」だ。

こんなの知らなかったなあ。今回は行く時間がなかったが、チャンスがあれば次回ぜひ行ってみたい。

千曲川を渡ってすぐの所にある、稲荷山/稲荷神社もなかなか面白い。参道の階段は、無数の鳥居で埋まっているのだ。


臼田稲荷神社参道

鳥居は、ほとんどが鉄パイプでしたが(笑)。山頂の公園もなかなか気持ちいい。白い塔は給水塔。臼田のランドマークだ。

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臼田はなかなか行きにくい場所ですが、この写真展は行きに苦労した価値のあるものでした。会期末まであとわずかですが、特に東チベット好きには、是非行ってほしい催し物です。


会場で配布されていたポストカード

次回は、福光美術館の「デルゲ印経院チベット木版仏画展」。

2017年7月3日月曜日

映画「ラサへの歩き方」 (4) フィクションとノンフィクションの間

まずは簡単な落穂拾いから。

カン・ティセ(カン・リンポチェ)に到達した巡礼団。帰りはどうしたのでしょうか?帰りも五体投地?

おそらく、帰りはバスかトラックに乗って帰ったと思われます。

五体投地の巡礼者は、これまで何度も見たことがありますが、「今帰りなんだ」という人には出くわしたことはありません。巡礼の目的地に着いたら、もう目的達成でしょう。さすがに帰りまではテンションが持たないと思う。

映画副題も「祈りの2400km」で、マルカム~カン・リンポチェ片道の距離だし。

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この作品は、基本的にはフィクションに分類されるのだが、ノンフィクションの部分も多分に有している。複雑な作品なのだ。

登場人物やその家族関係、居住地での職業などのステイタスも全部事実だ。ニマとヤンペルが巡礼に出たいと思っていたのも事実。

しかし、そこに張楊監督が「巡礼の様子を映画にしたい。出演料=巡礼資金を出す」と申し出たことで、ドキュメンタリーではなくなった。

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映画撮影がなくても、ヤンペルとニマは巡礼に出たかもしれない。しかし借金に苦しんでいたジグメ一家は、ギャラがなければ巡礼には出なかったはずだ。

制作者側からの干渉が入っている。だから、たとえ実在の人物が実際に巡礼をやり遂げていたとしても、これはフィクションなのだ。

実在の人物が自分を演じている、と言えようか。こういうのをドキュメンタリー/ノンフィクションとは呼べない。近い概念は「リアリティ・ショー」になるかな。

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しかし、これは最初から「フィクションである」と宣言している作品だ。たとえ真実の部分が多く含まれていようと、そこから事実を読み取る際には、細心の注意が必要となる(一番安全なのは、事実を読みとる対象には一切しないこと)。

例えば、五体投地の際に、若い衆はまるでヘッド・スライディングのように勢いよく滑り込んでいた。いかにもカムパらしいとも言えるが、あれは監督の演出の面が強い。あの勢いでは続かない。

映画では、巡礼の前と途中で、やたらと靴を買っていたのが印象的。靴がすぐに擦り切れるからなんだが、その割に、衣服が擦り切れている様子はあまりない。私が見た五体投地巡礼は、例外なく衣服、特に腕の部分はボロボロだった。

また、映画では、一見すると巡礼中はずっとテント泊であるかのように描かれているが、実際は町に着いたら宿に泊まった、と思う。巡礼中宿に泊まっていけない、という決まりはないのだし、出演者からそういう要望もあったんじゃないかと思う。だが、それはストーリーの邪魔なので一挙に削除。

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今は公開直後であるため、これが基本フィクションであることは周知なのだが、数年後にはそういった事情は忘れ去られる恐れがある。

将来、五体投地による巡礼について語る際に、常にこの映画が引き合いに出されるだろう。その時に、五体投地の実際として、この映画の光景をストレートに事実として扱う論考があれば、それはアウト。どこが事実で、どこが演出なのか、区別つかないのだから。いちいち真偽を考えながら、それをクリアした事実のみが論考の対象となる。

その手続を経ずに、この映画をそのまま民族学・宗教学の素材として使うならば、それは動物を扱ったTV番組を、馬鹿正直に動物生態学の素材として利用するようなもの。

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知っての通り(あれ、知らない?)、野生動物を扱ったドキュメンタリー/ノンフィクションは再構成(わかりやすい言葉で言えば「やらせ」)だらけ。

例えば、ワシが獲物を取るシーン

1. 小動物が地面を歩いている
2. ワシの顔面アップ(獲物を見つけたという設定)
3. ワシが飛び立つアップ(獲物に向かうという設定)
4. ワシが急降下しているように見える映像(獲物に向かっているという設定)
5. なぜかワシが獲物を捉える瞬間はない
6. 地面でワシが獲物をあさっている(獲物は1と同じかどうか、わからない)
7. 遠くから不安げに遠くを眺める、あるいは逃げていく別の動物

手持ちのカメラが1台、あるいは2台しかないと思われる野生動物の撮影で、こんなバラエティに富んだシーンが一度に撮れるはずがない。当然、別々に撮った映像(その多くは、獲物を取る場面とはおそらく無関係)を組み合わせて、このシーンを構成しているのだ。

これを「ワシが獲物を捕まえる際の生態」として、自分の研究に使う動物学者はいないだろう。実際はほとんど関係ない映像ばかりなのは、プロにはすぐにわかるから。

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『ラサへの歩き方』も、そういう使われ方はしてほしくないんだが、なっちゃいそうな気がする。

一つ強調しておきたいのは、今も昔も大量にある、ヤラセ、お芝居、再現が多数混入しながらも「ドキュメンタリー」と称している映像とこの映画ははっきり区別してほしい。

しかし、この映画があたかもドキュメンタリーであるかのように扱われると、それらのヤラセ・ドキュメンタリーとは何も変わらなくなってしまう。

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なお、エンディングでの、ヤンペルのチャトル(བྱ་གཏོར་ bya gtor 鳥葬)が行われたのは、カン・ティセ南西部タルボチェ དར་པོ་ཆེ་ dar po che上手にある本物のドゥルトゥー དུར་ཁྲོད་ dur khrod 鳥葬所。

ヤンペルが(映画上で)亡くなったのは、カン・ティセ北面のディラプク・ゴンパ འདྲི་ར་ཕུག་དགོན་པ་ 'dri ra phug dgon paあたりだから、ヤンペルの葬儀をとり行うに当たり、逆回りでドゥルトゥーまで運んだことになる。

まあいいんだけど、なまじロケ現場に馴染みがあると、気になってしまうのだ。

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なお、Google Mapで見ると、今はそのドゥルトゥーに車道を通すという罰当たりなことをしている。最終的にはドルマ・ラを越えて一周させるらしい。

トホホですね。カン・ティセ周囲にある、無数の聖地がその工事で破壊されるのだ。

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この他、フィクションとノンフィクション、ヤラセ・ドキュメンタリーについて長々と書いたのだが、『ラサへの歩き方』からどんどん離れていくので、また別の機会にします。

それにしても、これだけ色々考えさせてくれる映画はなかなかない。その意味でも素晴らしい映画なのです。

2017年6月25日日曜日

映画「ラサへの歩き方」 (3) 中国で公開/カムパってあんな感じなの?/あれ?漢族出てこない

2016年時点では、中国での公開の目処は立っていなかったようだが、2017/06/20に中国でも公開されたようだ。

これは上海での試写会の様子。

・Mtime 時光網 > 朴樹惊喜助陣《崗仁波斉》上海首映 張楊導演坦言創作歴程:做芸術片要走到極致(2017-06-19 16:29:08)
http://news.mtime.com/2017/06/19/1570472.html

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西チベット・カン・ティセ(カン・リンポチェ)の麓でも試写会が行われたという。

・中國新聞網 > 文化 > 即時新聞 > 中新社拉薩・張玉芹・電, 陳海峰・編輯/西藏朝聖題材電影《崗仁波斉》神山下公映(2017年06月20日 23:39)
https://www.chinanews.com/cul/2017/06-20/8256465.shtml

地元民、チベット人巡礼者だけではなく、プランから入境したばかりのインド人巡礼団2017年第1陣も観映したそうな。

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中国語タイトルは「崗仁波斉」だけに、中国の宣材を見てもカン・リンポチェが大きく取り上げられている。しかし映画では、西チベットの場面は最後に15分くらい出てくるだけなので、「え、これだけ?」という感想もかなりあったんではないかな。

こうして考えると、日本でのタイトル「ラサへの歩き方」が、映画の内容を一番的確に反映したタイトルだったような気がする。

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前も書いたけど、中国では、鉄道で割合たやすく行けるようになったラサでは、苦労して行く巡礼の目的地としては、今やアピール度が足りなくなっているのだと思う。「なんで、車や鉄道でラサに行かないの?理解できない」といった感じで。

その点、カン・リンポチェは漢族にとっても、いまだあこがれの地だ。行くのには、金も手間も時間もかかる上に、危険もまだまだ多い。かなり興味を引くのは間違いない。

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しかし、この映画では、ラサやカン・リンポチェが、なぜ道中五体投地で通してまで向かうべき聖地であるのか、の説明がなさすぎると思う。「なぜ五体投地してまで、そこに巡礼に向かうのか?」という疑問に答えてくれないのは物足りないですね。

まあでも、これに触れ始めると、チベットの歴史や宗教(仏教・ボン教)について語らざるを得なくなる。上手く、そして簡潔にストーリーに組み込む形にできるほど、チベットの歴史や宗教は、張楊監督の中でまだ充分消化できていないのだろう。

それよりも、五体投地巡礼に対する素朴な感動とそのインパクトを観客に伝える点をシンプルに強調する方法を選んだわけだ。それでいいと思う。

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巡礼団は、映画通り全員マルカム(སྨར་ཁམས་ smar khams 芒康)・プラ(འཕུར་ལ་ 'phur la 普拉)村の人たち。つまりカムパ(ཁམས་པ་ khams pa)、カムモ(ཁམས་མོ་ khams mo)だ。これはノンフィクション。

カムパやカムモたちと接したことがある人ならば、多少なりとも違和感を持ったはずだ。この映画のカムパ/カムモは、クールすぎるのだ。村でも静かに話をしているし、旅の最中も黙々と五体投地をこなす。

私が持っているカムパのイメージは、もっとにぎやかで熱い連中。

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きわめつけは、トラクターに車を当てられても、「高山病のお客を病院に運ぶところだ」と聞けば、そのまま「もう行け」というだけ。

そんなカムパはいないなー。少なくとも、事故の瞬間に男たちは駆け寄って、ドライバーの胸ぐらくらいつかむはず。まあ、五体投地で疲れていたのかもしれないが・・・それにしてもおとなしすぎる。

カムパというよりツァン(གཙང་ gtsang、シガツェ周辺)の人たちみたいだ(ツァンの人はおとなしい印象→私には)。

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大筋ノンフィクションぽい体裁でも、このへんはフィクションが幅を利かす。つまりこれは、リアルなカムパの姿を描くのではなく、張楊監督が持っているチベット人のイメージなのだ。自分の理想の人物像を、登場人物たちに投影している、とも言えるかもしれない。

ずいぶん聖人君子化されているが、まあ悪いイメージではない。カムパを含むチベット人には、こういう相手を許す精神があるのは確かだが、ちょっと極端すぎるような気はした(カムパだから特に)。

もしかすると、マルカムあたりのカムパは、こういう人たちなのかもしれない(マルカムは行ったことがないし、マルカム・カムパは数人しか接したことがない)。カムに詳しい人はどう感じたかな?

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ところで、壊れて放置してきたはずのトラクター、ラサから巡礼を再開するときには、なぜか復活していた(笑)。修理したのか新しく買ったのか・・・。

ラサでの1~2ヶ月のバイト程度では、トラクターが買えるとは思えない。これは、実は、事故を起こしたドライバーには(映画では見えないところでは)ちゃんと連絡先を聞き、弁償の確約もしっかり取っていた、と思いたい。

そういう、押しの強さと、がっちりしたところがあるのがカムパだ。

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映画では、徹底的に「言葉で感情を表現する」ことを抑制している。登場人物が延々語ったり、絵でも顔のアップはほとんど使わない。それが全編に渡り、異様なクールネスを生んでいる。これはハードボイルドの手法だ。

張楊監督の他の作品って見たことがないのだが、やはりこういう作風なのだろうか?

ちょっと北野武作品にも似ているような気がする。そう、ところどころにユーモアを含めるところも、ちょっとそんな感じだ。

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もう一つ、非常に違和感があったのは、漢族が一切登場しないこと。今や、四川・青海のチベット文化圏から西藏自治区まで、漢族だらけになっている。全く会わないはずはない。まあ、映画の外ではたくさん会っているんだろうけど。

しかし、これが張楊監督の選択なのだ。巡礼中に漢族との軋轢が実はあったのだとしても、五体投地での巡礼というテーマに集中するためには、邪魔なエピソードは省略するのが、この映画のやり方。

世の中には、フィクションといえども、社会問題を組み込んだり、政治問題として取り上げた作品だけを高く評価する人たちがいる。そういう人たちには、この映画は「ファンタジー」に見えるかもしれない。

実際、漢族の植民地となっているチベットで、2400kmの巡礼中、漢族との接触がない、というのはファンタジーだし、意地の悪い見方をすれば、「チベット人と漢族の間の軋轢はまるで存在しないかのように、現実を隠蔽している。これは中国共産党と同じ手口だ」といった論調で批判することも可能だ。

しかし、一般人には馴染みのない「五体投地での巡礼の姿」をまず知らせたい、そして一緒に感動してほしい、という思いの方が圧倒的に強いのだ、この映画は。

それに素直に乗っていいと思う。

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もう少し書きたいこともあるのでもう1回。それにしても深い映画だなあ、いろいろ考えさせてくれる。

2017年6月18日日曜日

映画「ラサへの歩き方」 (2)巡礼団の11人+1

映画の巡礼団は11人。途中で赤ちゃんが生まれて12人。かなり登場人物が多く、関係がわかりにくいと思うので系図を作りました。



チベット文字の綴りでは、セパ、ムチュあたりはあんまり自信ない。

映画は基本フィクションなのだが、この巡礼団の家族関係は事実らしい。ややこしい。

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【ニマ家】

(1) ニマ ཉི་མ་ nyi ma

50歳位の男性。巡礼団のリーダーで、巡礼中はトラクターの運転を担当し、五体投地はしない。

(2) ヤンペル གཡང་འཕེལ་ g-yang 'phel

ニマの叔父。ニマ家に同居。妻はいない。

独身の叔父が同居、というと不自然に感じるかもしれないが、これはもしかすると一妻多夫制で、「亡くなった兄=ニマの父」と妻を共有していた可能性がある(ニマの母は先に亡くなっているよう)。

ニマの息子たちは、ツェワンと一妻多夫制を結んでいるので、ニマの父とヤンペルもそうだった可能性はありそう。

一妻多夫制では、法的には長男と結婚することになり、下の弟たちとの結婚は非公式。妻が産んだ子供は、兄弟のうちの誰の子かわからない場合も出てくるが、法的にはすべて長男の子とされる。

ヤンペルが、兄と一妻多夫制であったのであれば、ニマは実はヤンペルの子である可能性もある。映画を通じて描かれるニマのヤンペルへの心遣いには、以上のような血縁の秘密があったのかもしれない。

これは映画では、一切語られることも、匂わせることもない。私の想像にすぎないのだが、張監督が以上のような事情を聞かされて、ひっそりと裏テーマに組み入れた可能性はあるんじゃないかと見ている。もしそうなら、これはもう本当に深い映画だ。ま、深読みのしすぎかもしれないけど・・・。

なお、巡礼の最後にヤンペルが亡くなったのは「フィクション」でしょう。

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【ケルサン家】

(*) ンガワン・ケルサン ངག་དབང་སྐལ་བཟང་ ngag dbang skal bzang

ニマ家の隣家の主人。巡礼には参加しないが、長女ツェリンと婿セパの間に巡礼中赤ちゃんが生まれた時は、ロンメ རོང་མེ་ rong me 如美(注)まで奥さんと一緒に、孫の顔を見にやって来た(という設定)。なお、マルカムとロンメ間は43kmなので、車やバスですぐ。

それにしても、子供は娘だけ6人とはすごいね。これも事実らしい。

(注)
パンフレットには、「ゾゴン(左貢)県の病院で生まれた」という記述もあるが、ロンメ(パンフレットではルメー、おそらく如美をそのまま中国語読みしたもの)は芒康県内。

(*) ワンチュク དབང་ཕྱུག dbang phyug

ケルサンの父。冒頭で、牧畜中にヤンペルと話をしている。日頃の会話と台本がうまい具合に融合した、いい場面だった。

(*) ラマ・トゥプテン བླ་མ་ཐུབ་བསྟན་ bla ma thub bstan

出家してラサ在住。たぶんゲルクパ。

巡礼団がラサで会っていたお坊さんは、実はツェリンとツェワンの叔父さんだったのですよ。このお坊さん誰?と思った人が多いかもしれない。

(3) ツェリン ཚེ་རིང་ tshe ring

ケルサンの長女。娘ばかりなので、長女のツェリンが婿取りをして家を継いでいる。

ロンメでの出産も本当のツェリンの出産シーンみたい(場所はロンメかどうかわからないが)。あんな生々しい出産シーンが入った映画、はじめて見た。

テンジン・テンダルが生まれるまでは、ツェリンは当然五体投地をしないで歩いている。が、見た感じ臨月のお腹ではないので、テンジンが生まれてから撮影を開始したと推察する。あの出産シーンは、巡礼開始前に撮影しておいたのだろう。

五体投地しないとはいえ、わざわざ臨月に巡礼を開始する、ということはないはず。このへんはフィクション。

(4) セパ སད་པ་ sad pa

ツェリンの婿。綴りはよくわからない。セパとは本名ではなく、なにかあだ名のようなものかもしれない。テンジンが生まれるシーン以外は目立たない男だね。

(4.5) テンジン・テンダル བསྟན་འཛིན་བསྟན་དར་ bstan 'dzin bstan dar

この世に出現した瞬間から映画に出演しているという、珍しい人生の始まり。これは一生つきまとうんだろうなあ。

巡礼の途中で生まれた、というのはフィクションではないか、と私は思っているのだが、ずっと巡礼を共にしていたのは事実だろう。

ただし、実際は撮影時以外はスタッフ車の中にいて、おそらく医療関係者も同行していたんではないか、と推察する。

トラックの後ろに乗り、赤ん坊も一緒にカン・ティセに向かう巡礼団は何度も見た。チベットの赤ちゃんは丈夫なのですよ。だから、あのやり方も決して常識はずれではない。

(5) ツェワン ཚེ་དབང་ tshe dbang

ケルサンの次女。ニマ家に嫁入りした。ニマの息子たち3人と一妻多夫関係を結んでいるが、その兄弟たちは登場しない。その辺の事情は、映画では全く語られることはない。

張監督が一番最初に出会ったのが、このツェワンだったという。

(6) ダワ・タシ ཟླ་བ་བཀྲ་ཤིས་ zla ba bkra shis

セパの弟。あまり出番なかったな。

(7) ワンギェル དབང་རྒྱལ་ dbang rgyal

ツェリン、ツェワンのいとこの少年。ラサで床屋の娘にふられる(これはフィクション)。さすがラサの娘は可愛い(プロあるいはセミプロの女優かもしれないが)。

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【ジグメ家】

(8) ジグメ འཇིགས་མེད་ 'jigs med

ジグメ家の主人。丸顔で、巡礼団の中ではよく目立つ存在。

自宅の新築で2人が亡くなり、その供養として巡礼に参加する。この辺も事実らしい。

(9) ムチュ མོས་སྤྱོད་ mos spyod

ジグメの妻。綴りは自信なし。

全然目立たない人。娘タツォを叱ったり、面倒見たり、といったシーンが実際はたくさんあったはずだが、監督はこういった側面をバッサリ切っている。作風だろう。

(10) タシ・ツォモ(タツォ) བཀྲ་ཤིས་གཙོ་མོ་ bkra shis gtso mo

本作のアイドル。ジグメとムチュの末娘。小5くらいか(巡礼の間、学校はどうするんだろうとか、いろいろ考えてしまうが)。

五体投地で進む巡礼は何度も見たことがあるが、これくらいの子供は見たことがない。映画の撮影とはいえ、実際にやりとげているのだがらすごいね、この子は。

機嫌が悪くなったり、母親に甘えたりといったシーンは実際は多かったはずだが、「頭が痛い」と愚痴るシーンが一度あっただけで、あとは全く取り上げられていない。張監督のクールな作風のなせる技だ。

巡礼というメインテーマをじっくり描くためには、こういった個々の日々の調子まで細かく描いていると、散漫になり収拾がつかなくなる、というのは理解できる。しかしその辺が「感情移入しにくい映画」と感じた人もいると思う。

増水して道が川になっている箇所を五体投地で進むシーンでの笑顔は本当に楽しそう。ここはドキュメンタリーだ。

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【ワンドゥ家】

(11) ワンドゥ དབང་འདུས་ dbang 'dus

ジグメの友人。シャンパ བཤན་པ་ bshan pa 家畜解体業者。家畜たちの供養と、これまでの罪を贖うために巡礼に加わった。三枚目役として、非常に効果的なキャスティングだった。

赤い髪飾り「ダシェー སྐྲ་ཤད་ skra shad」をまいている唯一の男。カムパ ཁམས་པ་ khams paといえばダシェーなのだが、マルカムあたりでは、ダシェーはあんまりはやらないのかもしれない。カンゼ དཀར་མཛེས་ dkar mdzes 甘孜では赤、チャムド ཆབ་མདོ་ chab mdo 昌都では黒のダシェーをみんな巻いていたが・・・。

ラウォ ར་འོག ra 'og 然烏で、そこら辺のおっさんに「巡礼中はダシェーとかの装飾品は外せ」と説教されていたのもおもしろい。いるよね、ああいうおっさん。カムパらしい。

なお、ラウォはコンポ ཀོང་པོ་ kong poとの境界近くだが、まだカム。あのテンガロンハットと一見偉そうに説教をふっかけてくるメンタリティは、まさしくカムパだ。

実際にあのおっさんに、そう説教されたんだろうなあ。映画はその直後にそれを再現したものだろう。家に招待されたのも、多分事実だろう。

めったに見れないラウォあたりの風景が、じっくり見れたのも収穫。

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主要登場人物が11人もいると、その紹介だけでもこれだけスペースが必要となる。

映画の内容については次回。

2017年6月17日土曜日

映画「ラサへの歩き方」 (1)プラ村

映画
張楊・監督 (2015) 『崗仁波斉 གངས་རིན་པོ་ཆེ། gangs rin po che/ PATHS OF THE SOUL : SOME PATHS ARE NOT ONLY USED TO PASS ラサへの歩き方 祈りの2400km』

これは、東チベット=カム ཁམས་ khamsの西藏自治区・芒康県プラ村の11人が、ラサ ལྷ་ས་ lha sa拉薩、そして西チベット・カン・ティセ གངས་ཏི་སེ་ gangs ti se(カン・リンポチェ གངས་རིན་པོ་ཆེ་ gangs rin po che崗仁波斉)へ巡礼に向かう道中を描いた映画。

その巡礼形体も普通ではない。道中をすべてキャンチャ བརྐྱངས་ཕྱག brkyangs phyag 五体投地で通すのだ。

キャンチャについては、

2016年7月29日金曜日 カム小出し劇場(2) キャンチャ(五体投地)@キルカル

もご覧ください。

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一見ドキュメンタリーのような体裁だが、実はドキュメンタリーではない。かといって、すべてフィクションというわけでもない、という微妙な立ち位置にある作品だ。実験作と言っていいだろう。

この辺の考察は後ほど。

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まず、出発点であり、巡礼団11人の住所でもあるプラ村について。

芒康県は西藏自治区の一番東にある県で、東隣はもう四川省甘孜藏族自治州巴塘(འབའ་ཐང་ 'ba' thangバタン)県。

県都マルカム སྨར་ཁམས་ smar khams芒康(ガルトク・ゾン སྒར་ཐོག་རྫོང་ sgar thog rdzong嘎托鎮)から黒曲(注)沿い下流、南へ24kmにある村がプラ。

(注)
黒曲のチベット名はわからなかったが、ナク・チュー ནག་ཆུ་ nag chuであろうか。

漢字表記は「普拉」、チベット文字表記は「འཕུར་ལ་ 'phur la」。標高は3720m。


西藏自治区測絵局・編制 (1996.7) 『西藏自治区地図冊』. p.59. 中国地図出版社, 北京.

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Google Mapで見てみよう。


Google Mapより

プラ村の中心は南側T字路の集落。山手にゴンパがある。

しかし、映画のパンフレット

・ムヴィオラ・編 (2016) 『ラサへの歩き方 祈りの2400km パンフレット』. 28pp. ムヴィオラ, 東京.


同書, 表紙.
デザイン : 市川千鶴子

pp.12-13に載っている村の写真は、プラ村の中心ではない。どうもその北800mにある集落らしい。

パンフレット掲載の張楊監督の制作ノートには、「マルカム県プラを通過するさいに、8、9戸の人家しかない小さな集落に着いた」とあるから間違いないでしょう。

この集落は「冲慶」という名だが、チベット名はわからない。ドンチェン གྲོང་ཆེན་ grong chenかもしれない。

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見てわかるとおり、村の周りは畑だらけ。農業が盛んな場所であることがわかる。

しかし映画では、もっぱら牧畜の場面ばかりが描かれている。ニマ家やお隣りのケルサン家は半農半牧らしいのだが、農業の場面はない。

これは、村での撮影時期が初春だったので、農業の場面がないのは仕方ないのだ。

でも、漢族である張監督の(我々日本人も含む一般人も)チベットへのイメージ「チベット=遊牧の地」という認識が、無意識のうちに強調されたものといえるかもしれない。

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村の標高が3720mで、背後の山腹は4000m前後だろう。山には意外に緑が多い、と思わなかっただろうか。ラサは標高3600mくらいだが、背後の山々はハゲ山だらけだ。

カムは、かなり標高が高くても緑が多い。もちろん樹木は、寒さに強い針葉樹ばかりではあるが。

カムは、南流する大河による大渓谷がいくつも並列した「谷間の国」である。その渓谷沿いに、南から温風と湿気が吹きつけるため、カムはかなり標高が高い場所でも、温かく緑が多いのだ。

以前、カムのリウォチェ རི་བོ་ཆེ་ ri bo che類烏斉というところに行った時には、周囲の山々は標高4000mをはるかに超えているのに、青々とした森が広がっているのに驚愕したものだった。

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プラ村の話だけで1回終わってしまいましたが、1度見ただけでもいろんなことがわかるのですよ、この映画は。

次回は「巡礼団の家族とカムパ」あたりかな。

2017年6月16日金曜日

飯能で映画「ラサへの歩き方」を見てきました

・飯能・チベットを知る会 > 活動内容 > 2017年公開講座(as of 2017/06/16)
https://tibet-info.jimdo.com/2017%E5%B9%B4%E5%85%AC%E9%96%8B%E8%AC%9B%E5%BA%A7/



同パンフレット表


同パンフレット裏

飯能・チベットを知る会 2017年公開講座
「ラサへの歩き方 祈りの2400Km」上映会
2017年6月11日(日)
[会場]飯能市市民会館小ホール
時間:13時30分開場 14時開演(16時終了予定)
入場料:1,000円(高校生以下500円)
◎当日券のみ(全席自由 ・前売り券はありません) 

に行ってきました。で、ものすごく遅まきながら、

映画
張楊・監督 (2016) 『崗仁波斉 གངས་རིན་པོ་ཆེ། gangs rin po che/ PATHS OF THE SOUL : SOME PATHS ARE NOT ONLY USED TO PASS ラサへの歩き方 祈りの2400km』

を見てきました。

・飯能・チベットを知る会
https://tibet-info.jimdo.com/

の主催。

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同会の会長は、あの西蔵ツワン(ツェワン・トプギャル ཚེ་དབང་སྟོབས་རྒྱལ་ tshe dbang stobs rgyal)さんです。

ツェワン先生については、

2014年5月15日木曜日 チベット・ヒマラヤTV考古学(10) 1960年代、日本へのチベット人留学生

・ニューズウィーク日本版 > 最新記事 > ワールド > 高口康太/埼玉の小さな町にダライ・ラマがやってきた理由(2016年12月28日(水)11時24分)
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/12/post-6636.php

あたりをご覧ください。

当日は、少しだけですが、ツェワン先生ともお話できたので、たいへん楽しかったです。

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飯能・チベットを知る会の活動というのは、最近まで知らなかったのですが、毎年1回ずつ映画の上映会や講演会を開催しておられます。

こういった活動は、ややもすると政治的な「運動」だけに偏りがちなのですが、こちらでは「まずチベットを知ってもらおう」というテーマに重点を置いて活動をしておられるようです。

派手さはありませんが、チベット問題への関心を確実に高めるためには、地道・着実かつ非常に重要な活動内容です。

・飯能・チベットを知る会 (2017.6) 『飯能・チベットを知る会 2017年公開講座 映画 ラサへの歩き方 祈りの2400km』. 5pp. 飯能・チベットを知る会, 飯能(埼玉).


同書, 表紙

これは、同会制作の小冊子。映画の概要だけではなく、ラサ、カン・ティセ(カン・リンポチェ)の簡単な紹介、チベット仏教の概説などもあり、なかなか充実した内容です。

しかし、こういった小冊子にもチベット文字フォントが現れた。うれしい!みなさん、チベット文字フォントをどんどん使ってください。

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飯能市民会館小ホールでの上映。お客さんは、300人近く集まっていました。年齢層はちょっと高めかな。

最近は、チベットもなかなか行きにくくなっているので、日本でのチベットの関心を途切れさせないためには、こういった活動はとても重要なのです。

しかし、若い人にもっとチベットに興味を持ってもらう必要性をひしひしと感じましたね。私も頑張ろっと。

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映画もかなり面白かった。書いているうちに長くなったので、映画の内容については次回以降。

2017年5月29日月曜日

中田千畝 『蒙古神話』(ゲセル・ハーン物語)と徳王の署名

・中田千畝(なかだせんぽ) (1941.7) 『蒙古神話』. 4+11+4+340pp. 郁文社, 東京.



というのを手に入れました。

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これは、

再発 : (2012.4) (アジア学叢書250). 大空社, 東京.

として復刻されてもいるのですが、復刻本はなにしろ高いので、だいぶボロボロとはいえ、原版がかなり安く手に入ったので満足です。

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中身はというと、「蒙古神話」といいつつ、実は「ゲセル・ハーン(ゲシル・ボグド)物語」(チベット語だと「གེ་སར་གྱི་སྒྲུང་། ge sar gyi sgrung/ ケサル王物語」)です。

著者が現地で採取したものではなく、USAの民俗学者Jeremiah Curtin(1835~1906)が、ブリヤートで採取した資料を英訳したものを、さらに日本語に訳したもの。

原版は、

・Jeremiah Curtin (1909) A JOURNEY IN SOUTHERN SIBERIA, THE MONGOLS, THEIR RELIGION AND THEIR MYTHS. xiv+319pp. Little - Brown, Boston.

その中の「蒙古神話」の章を翻訳し、だいぶ編集した上で収録しています。

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当時は太平洋戦争前夜。欧米諸国とはだいぶ険悪になっている時代で、著作権上の協調などはなく、欧米の著作を無断でどんどん翻訳している時代でした。

この時代の国策もあって、アジア各地の言語・民俗・歴史についての欧米人の著作が大量に無断翻訳されています。

私もずいぶん持っていますね。当時の本は、特に紙が悪いので読むのにも気を使う代物ばかり(笑)。

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モンゴル版「ゲセル・ハーン物語」は結構邦訳があり、代表は

・若松寛・訳 (1993.7) 『ゲセル・ハーン物語 モンゴル英雄叙事詩』(東洋文庫566). 429pp. 平凡社, 東京.

中田版と若松版の比較などはまだ全然していませんが、おそらく基本は同じでも、細部はだいぶ違うでしょうね。いずれにしてもまず読んでから。

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中身はさておき、この本の口絵には徳王直筆のモンゴル文字での題字が収録されています。


同書, 口絵

もちろん直筆とはいえ印刷なわけですが、なかなか感動ものです。達筆ですねえ。モンゴル文字書道の存在も、これではじめて認識できました。

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徳王(1902~66)の本名は、デムチュク・ドンロブ。名前はすべてチベット語のモンゴル訛りです。チベット文字だとབདེ་མཆོག་དོན་གྲུབ། bde mchog don grub/ (デムチョク・トンドゥプ)。デムチョクの「デ」を取った略称が「徳王(デワン)」になります。

徳王は右翼スニト旗の殿様でした。徳王は、あたかも20世紀前半チンギス・ハーンの嫡流であるかのような扱いをされていることもありますが、徳王と同じクラスのチンギス・ハーンの子孫はそれこそ掃いて捨てるほどいたのです。

右翼スニト旗は、嫡流チャハル部(17世紀滅亡)の分家であるアラグチュト旗のそのまた分家。

第二次世界大戦当時、南モンゴルの独立を模索しつつ蒙古聯合自治政府主席を務めていた方です。

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徳王について、詳しくは、

・ドムチョクドンロブ・述, 森久男・訳 (1994.2) 『徳王自伝 モンゴル再興の夢と挫折』. xv+520pp. 岩波書店.
・森久男・編著 (2000.5) 『徳王の研究』(愛知大学国研叢書). 381pp. 創土社, 所沢.

あたりでどうぞ。その他、南モンゴル(内蒙古)近代史関係書では、もれなく徳王の話があります。

『徳王自伝』は、岩波ライブラリー(最近出てるのか?)とか岩波現代文庫に収録してくれてもいいと思うけどなあ。すごくおもしろいです。内容も詳細。

文革期に反省文として書かれたものなので、自虐的な表現やマルクス主義定型文はありますが、それはしょうがない。南モンゴル近代史史料としては超一級品です。

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さて、この本、すぐに読みたいのはやまやまなのだが、なにせ戦前の本。電車で読むのは痛むのが心配。いつどこで読んだらいいか、悩むところだ。

まあじっくり読んでいこう。

2017年4月30日日曜日

panpanyaの語源?

panpanyaって何?という方は、まずこちらをどうぞ↓

kkm10k > 2016年11月29日火曜日 panpanya 『動物たち』
kkm10k > 2016年8月9日火曜日 panpanya 3連発

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panpanyaは確実にペンネームなのですが、そもそもこれが「パンパンヤ」と読むのか、「パンパニャ」と読むのか、はっきりしません。

Web上で色々調べた結果、「パンパンヤ」という説が優勢らしいので、私は「パンパンヤ」と読んでいますが、「パンパニャ」でもいいらしい。わけわからん。

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それで、このpanpanyaがどっから来た言葉なのか?何か由来があるのか?それとも、単なる造語なのか?全然わかりませんでした。

まあ、それがわからなくても、誰も何も困らないので、放っておいて、純粋にマンガを楽しんでいたわけなのです。実際web上を調べてみても、panpanyaの語源を調べた人はいないよう。

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ところが、twitterでpanpanyaを検索していたところ、なんか変なんですよ。タイのtweetがやたらとひっかかってくる。

どうも、タイにはPanpanyaという苗字の人がいるらしいのだ。

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そこでちょっと調べてみた。まず「panpanya thailand」で検索してみた。すると、出るわ出るわ。タイ語に「panpanya」という言葉があるのは確実となった。

中でもトップに出てくるのが「Panpanya Foundation(Panpanya財団/มูลนิธิปันปัญญา)」。これは、タイ国内の学校にコンピュータや電子辞書などのデジタル機器を提供したり、校舎の修繕を補助したりするNPO団体のようだ。

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しかし、これではPanpanyaが、固有名詞なのか一般名詞なのかもわからない。

それで次に当たってみたのがタイ語辞書。これ↓を使いました。

・ウェブリオ/weblio辞書 > その他の辞書 : タイ語辞書(as of 2017/04/30)
http://tjjt.weblio.jp/

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これは日本語でもタイ語でも検索できるオンライン辞書。タイ語は、タイ文字で入力するのが理想的だが、適当にアルファベットを入力すると、ヒットせずとも近そうな単語を拾ってくれる。便利。

まず「panpanya」で検索。ヒットなし。じゃあ、てんで、分割して検索。

「panya」で検索。ヒットなし。

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「pan」あるいは「ya」のどっちかが長母音なのかも?ということで、「panyaa」で検索。

すると、ようやく出ました出ました。

ปัญญา
発音  pan yaa
日本語  高い知性; 高い知力; 博識; 般若; 智慧; 仏智
解説  パーリ語

ปัญญา
発音  pan yaa
日本語  知性; 知恵; 般若

「panyaa」は「pan」と「yaa」に分割できること、発音は「パンヤー」らしいこと、また語源はPali語(古代中西部インドの言語、Sanskrit系)であることなど、色々わかってきたぞ。

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では今度は前の方の「pan」で行ってみよう。

ปัน
発音  pan
日本語  分配する

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なるほど。「ปันปัญญา pan pan yaa」で「知恵の分配」なのだ。これでさっきの「Panpanya財団」の意味も納得。

もしこれが語源だとすると、「panpanya」は「パンパンヤー」と読むのが正解になりそうだ。

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なんとなく納得できる地点まで来たわけだが、しかし、これがホントにマンガ家「panpanya」のペンネームの語源であるのかは、実は全然わかりません。

仮にこれが語源の正解だとしても、なんでまた、これをペンネームにしようと思ったのか、も謎。結局本人に訊かないと、全く埒が開かないのでした。

私の探索はここまで。

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(追記)@2017/04/30

タイ語 : ปัญญา pan yaa パンヤー 知恵/般若

は、

Pali語 : पञ्ञा paññā パンニャー 知恵/般若

が語源であり、さらに

Sanskrit語 : प्रज्ञा prajñā プラジュニャー 知恵/般若

にまで行き着く。

漢字の「般若」はこれらを音写したものです。

Pali語を重視すれば、「panpanya」は「パンパ(ン)ニャー」でもいいことになる。なるほど。

「panpanya」を漢字にしてやると「搬般若」でも意味が通じるぞ。いやあ、これはおもしろい。

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(追記)@2017/05/02

ぬいぐるみやクッションの中身である「パンヤ」は、ポルトガル語で「panha」。インドネシア産の樹木kapokから取れる「綿状の繊維」のこと。

参考:
・G.W.Sargant (1959)Commentary for Book IV, I [15] Panya no kukuri-makura. IN Ihara Saikaku(井原西鶴), G.W.Sargent (tr.), NIPPON EITAI-GURA, OR, DAIFUKU SHIN CHŌJA KAGAMI(『日本永代蔵 大福新長者教』) (1688). p.197. Cambrdge University Press, Cambridge.
https://books.google.co.jp/books?id=ux89AAAAIAAJ&pg=PA197&lpg=PA197&dq=panha++cotton&source=bl&ots=_-4GUK_gOC&sig=1qFkBwwDjdeDYNvb_Eq7EY09oAU&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjU8ITK9s_TAhVBsZQKHaOrAAE4ChDoAQgpMAE#v=onepage&q=panha%20%20cotton&f=false

日本では、江戸時代からある言葉なんですね。意外に古い。「パンヤ(入り)のくくり枕」はこそばゆくなって嫌だ、そうです(笑)。

本来、マレー半島の地名だったものが、繊維の名前として採用されたものらしい。

参考:
・関根岳是/GKZ植物事典 > パンヤ(as of 2017/05/02)
http://gkzplant2.ec-net.jp/mokuhon/syousai/hagyou/ha/pannya.html

しかし、マレーシアにはPanhaという地名は見つからない。これはもしかすると、マレー半島のタイ側ではあるまいか(追記参照)。

となると、またタイ語の「パンヤー」に戻って来るのかもしれない。堂々巡りだな。これは、これ以上深入りしないでおこう。

どっちにしろ、これはマンガ家panpanyaとはたぶん関係なさそうだ。わかんないけどね。

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(追記)@2017/05/02

あった。やはりマレー半島タイ側、Suratthani県の一角にPanyaという集落がある。

2017年4月4日火曜日

チャンキャ・リンポチェ来日

3月初めに、こういうニュースがありました。

・RFA 自由亜洲電台普通話 > 中国 > 軍事外交 > 南洲, 嘉華・責編/達頼喇嘛確立的第20世章嘉活佛訪問日本(2017-03-01)
http://www.rfa.org/mandarin/yataibaodao/junshiwaijiao/nz-03012017102254.html

チャンキャ・リンポチェ8世(20世という数え方もある)がひっそりと来日されていたようです。

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チャンキャ・リンポチェ ལྕང་སྐྱ་རིན་པོ་ཆེ་ lcang skya rin po che(モンゴル語 : ジャンジャ・フトクト 章嘉呼図克図)は、ゲルクパのトゥルク大名跡。アムド~南モンゴル、そして清朝皇帝から尊敬を集めたトゥルク སྤྲུལ་སྐུ sprul sku(化身ラマ)である。

チャンキャ・リンポチェの転生系譜をどう数えるかは錯綜しており、現チャンキャ・リンポチェは5世、7世、8世、20世と様々。ここでは8世説をとっておく。

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この場合の1世ダクパ・ウーセル གྲགས་པ་འོད་ཟེར་ grags pa 'od zer 扎巴俄色/哲巴鄂色爾(1607-41)は、アムド・ツォンカ ཨ་མདོ་ཙོང་ཁ་ a mdo tsong kha 湟中の張家村に生まれた。よって、トゥルク名跡名は「張家=zhang jia→モンゴル語/チベット語アムド方言:ジャンジャ→チベット語ウー・ツァン方言:チャンキャ」となった。

ウー・ツァン方言での「キャ ཀྱ kya」は、アムド~カムでは「チャ/ヂャ/ジャ」と発音されるので、「ジャ」を転写するのに「kya」を使ってもいいのである。

ダクパ・ウーセルは、ゴンルン・チャンパリン・ゴンパ དགོང་ལུང་བྱམས་པ་གླིང་དགོན་པ་ dgong lung byams pa gling dgon pa 佑寧寺(青海省互助土族自治県内、西寧の北東約30km)で修行した後、ラサ ལྷ་ས་ lhasa 拉薩のデプン・ゴンパ འབྲས་སྤུངས་དགོན་པ་ 'bras spungs dgon pa 哲蚌寺のゴマン・タツァン སྒོ་མང་གྲྭ་ཚང་ sgo mang grwa tshangやツァン西部のンガムリン・ゴンパ ངམ་རིང་དགོན་པ་ ngam ring dgon pa 昂仁寺で修行。アムド帰郷後はゴンルン寺僧院長を務めた。

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ダクパ・ウーセルの遷化後、代々転生者が選ばれるようになり、これがチャンキャ・リンポチェの系譜となる。

2世ンガワン・ロサン・チューデン ངག་དབང་བློ་བཟང་ཆོས་ལྡན་ ngag dbang blo bzang chos ldan 阿班羅桑曲殿(1642-1715)は、17世紀末、清朝皇帝・康煕帝[位:1661-1722d]に北京に招かれ大いに信任を得た。

ジューンガル部のガルダン・ボショクト・ハーン 噶爾丹博碩克図汗による侵略を避けて清朝に帰順したモンゴル諸部に対し、康熙帝はその鎮撫の一環として、その地に多くのチベット仏教寺院を建立。南モンゴル・ドロンノール(多倫)には、後に内外モンゴル最大の寺となる彙宗寺を建立し、チャンキャ・リンポチェを僧院長に置いた。

以後、チャンキャ・リンポチェはアムドに加えて南モンゴルでも大きな影響力を持つようになる。

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チャンキャ・リンポチェで最も有名なのが3世ルルペ―・ドルジェ རོལ་པའི་རྡོ་རྗེ་ rol pa'i rdo rje 若白多傑(1717-86)。

1723~24年の青海ホシュート部ロブザン・ダンジン བློ་བཟང་བསྟན་འཛིན་ blo bzang bstan 'dzin 羅卜蔵丹津の乱では、清朝軍によりアムド各地の寺が破壊されたが、清朝皇帝・雍正帝[位:1722-35d]は、幼いチャンキャ3世をゴンルン寺から保護するよう命じ、北京に招いた。チャンキャ3世は、以後主に北京で修行・活動することになる。

乾隆帝[位:1735-96d]はチャンキャ3世を導師として崇め、ラサ政府との連絡役としても重宝された。北京では雍和宮に在住。以後、ここが北京のチベット仏教の拠点となる。

チャンキャ・リンポチェ4~7世は、アムド、南モンゴル、北京を行き来しつつ、これらの地域で絶大な影響力を誇った。

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7世ロサン・ペンデン・テンペイ・ドンメ བློ་བཟང་དཔལ་ལྡན་བསྟན་པའི་སྒྲོན་མེ་ blo bzang dpal ldan bstan pa'i sgron me 羅桑般殿丹畢蓉梅(1891-57)の時代、1912年清朝は崩壊、中華民国が成立した。蒋介石の北伐完了(1928年)後、7世は蒙藏委員会委員を務めるなど、国民党政府の要職を歴任。第二次世界大戦後は護国浄覚輔教大師の称号を授与された。

しかし、1946~49年の国共内戦で、国民党が共産党に敗れると、蒋介石と共に1949年台湾に移った。台湾・中華民国でも中国仏教会理事長を務めたが、1957年遷化。

7世の遷化後、転生者の選出は長らく行われなかった。

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それが実は、間はあいたが8世の選出が行われていたようなのだ。インドへ亡命中のゲルクパ中枢、特にダライ・ラマ法王により8世の選出が行われている。

8世はアムド・ツォンカ出身のテンジン・ドンヨー・イェシェ・ギャムツォ བསྟན་འཛིན་དོན་ཡོད་ཡེ་ཤེས་རྒྱ་མཚོ་ bstan 'dzin don yod ye shes rgya mtsho師(1980-)。ゴンルン寺で修行し、1998年インドへ亡命。そして、同年にいきなりチャンキャ・リンポチェの転生者と認定されている。

おそらくゴンルン寺在籍当時から、密かにチャンキャ・リンポチェの転生者として認知されていたのだろう。そしてインド亡命後すぐに、ゲルクパ高僧たち及びダライ・ラマ法王によって、それが追認されたのではないかと思う。

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この認定には、中国共産党、南モンゴル(内蒙古自治政府)、台湾・中華民国政府はいずれも関与していないし、連絡も受けていないはず。これはハルハ(現・モンゴル国)第一のトゥルクであるジェツン・ダムパ・リンポチェ(ジェプツン・ダムパ・フトクト)9世選出のケースと似ている。

ジェツン・ダムパ・リンポチェ9世について詳しくは、

2012年3月5日月曜日 ハルハ・ジェツン・ダムパ・リンポチェ遷化(2012年3月1日)

を参照のこと。

しかし、ジェツン・ダムパ・リンポチェもチャンキャ・リンポチェも、もともとはチベットでのトゥルク名跡なのだ。

たまたま政治的な役割が大きくなり、過去に内外モンゴルの政治に深く関与するようになってしまっただけなので、それらの地域で政治的な存在としてのトゥルク名跡は不要、と判断するのならば、それはかまわない。

チベット仏教ゲルクパのトゥルク名跡として、宗派が転生者を選出するのは何の問題もないし、トゥルク名跡を終わりと決めた(そんな判断はそもそも筋違いなのだが)よその政治家たちに相談したり知らせる必要も全くない。

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私が「どうもチャンキャ・リンポチェの転生者がいるらしい」と聞いたのは2000年頃。南インドのデプン・ゴンパ・ゴマン・タツァンで修行中とのことだった。

その後、表立った活動は聞いたことがなかったが、ついに表舞台に登場された。で、ようやく最初に挙げた記事になる。

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来日の目的や(いるとすれば)スポンサーなどは、記事からはよくわからないが、高野山や東大寺を訪問されたそうだから、宗教目的の訪問と理解した。

表舞台に登場して最初の記事が、政治的な内容であるのは、ちょっと複雑な気持ちになる。このニュースサイトの性格からして、記事の内容が政治的なものになってしまうのは、しかたがないところだが・・・。

記事は、チャンキャ・リンポチェが、2016年11月に結成されたばかりの南モンゴル・クリルタイ(南モンゴル議会/オンニュート・モンゴリアン・イフ・フラルダイ/南蒙古大呼拉爾)のメンバーと会った際の様子を報告するもの。「法会」とも表記されているので、宗教的なお話もされたのでしょう。

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ただし、チャンキャ・リンポチェが同クリルタイの活動に以前から興味を持っていたのは確からしく、南モンゴル・クリルタイの公式サイト

・南モンゴルクリルタイ公式サイト(since 2016/11)
http://southmongolia.org/

を見ると、クリルタイ結成にあたって祝辞を寄せてもいる。

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チャンキャ・リンポチェは「五台山にも行ってみたい」とお話されているが、それはチャンキャ・リンポチェの先世が五台山に寺院を建立されているから。五台山は文殊菩薩の聖地であり、チベット仏教色も濃い場所なのです。

現状では、里帰りの形であっても中国に戻るのはむずかしいかもしれないが、いずれ中国訪問あるいは帰郷がかない、それがチベット人、モンゴル人、漢族のいずれにも歓迎される形であってほしいものです。

チャンキャ・リンポチェという名跡は、それを可能にする力を持っていると思っています。

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参考 :

・菅沼晃 (2004.7) 『モンゴル仏教紀行』. pls.+viii+245+9pp. 春秋社, 東京.
・一般社団法人 文殊師利大乗仏教会དཔལ་ལྡན་འབྲས་སྤུངས་བཀྲ་ཤིས་སྒོ་མང་འཇམ་དབྱངས་ཐེག་ཆེན་ཆོས་ཚོགས་ > GOMANG デプン・ゴマン学堂 > 僧院教育 化身ラマの教育(作成日: 2010-07-26 最終更新日: 2016-07-03)
http://www.mmba.jp/gomang/education/lamaeducation
・維基百科 自由的百科全書 >章嘉呼図克図(本頁面最后修訂于2016年12月15日 (星期四) 02:57)
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%A0%E5%98%89%E5%91%BC%E5%9B%BE%E5%85%8B%E5%9B%BE
・The Treasury of Lives > People > Incarnations > Incarnation Lines : Changkya (as of 2017/04/01)
http://treasuryoflives.org/incarnation/Changkya

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(追記)@2017/04/07

今回の来日での講演会の告知がありました。今更ですが。

・りたりたゆうこうかいfacebook > 2月25日サンギャ・ホトクト法話会@東京 公開 · 主催者: りたりたゆうこうかい((2017年)2月17日)
https://www.facebook.com/events/1820966324824812/?acontext=%7B%22ref%22%3A%223%22%2C%22ref_newsfeed_story_type%22%3A%22regular%22%2C%22action_history%22%3A%22null%22%7D

もう一つありました。

・モンゴル自由連盟党 > アーカイブ > 2016年3月 > 4月9日大阪にて「インド訪問報告」、ダイチン代表が報告します(03/07 2016) > インド訪問報告(PDF)
http://lupm.org/japanese2/wp-content/uploads/2016/03/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E8%A8%AA%E5%95%8F%E5%BA%83%E5%91%8A%E4%BF%AE%E6%AD%A3%E6%9C%80%E5%BE%8C02.pdf

これによると、今回の来日はモンゴル仏教会と南モンゴル自由民主運動基金会(おそらく南モンゴルクリルタイの前身)による招聘であったことがわかります。

2017年3月31日金曜日

カルマパ17世タイェー・ドルジェ師が結婚して還俗

というニュースが出ました。

・共同通信PRワイヤー > 2017年3月30日 Private Office of the 17th Karmapa カルマパ聖下が内輪の結婚式挙行を発表 AsiaNet 68000 (0465) 【ニューデリー2017年3月29日PR Newswire=共同通信JBN】
http://prw.kyodonews.jp/opn/release/201703300451/

といっても、これはニュースではなく、共同通信が宣伝/プレスリリースのスペースを売っているサイトのようです。いろんな言語で同じ記事があちこちに出ていました。

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また、このカルマ・カギュパの管長(となるはずの方)ギャワ・カルマパは、有名なギャワ・カルマパ17世ウギェン・ティンレー・ドルジェ師ではありません。

実はカルマパ17世は二人いるのです。


カルマパ17世ティンレー・タイェー・ドルジェ師(2000年当時)

例によって、ヒマーチャル・ガイドブックの没原稿を使って説明しときましょう。情報は2001年時点のもの。

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二人のカルマパ17世

チベット仏教四大宗派の一つカギュパ བཀའ་རྒྱུད་པ་ bka' rgyud paは、大小さまざまの小宗派に分かれている。このうちの最大勢力がカルマパ ཀརྨ་པ་ karma pa(カルマ・カギュパ ཀརྨ་བཀའ་རྒྱུད་པ་ karma bka' rgyud pa)。管長であるギャワ・カルマパ རྒྱལ་བ་ཀརྨ་པ་ rgyal ba karma paは12世紀から続くチベット最古の転生ラマ(トゥルク སྤྲུལ་སྐུ sprul sku)系譜(1世はカルマパ開祖ドゥースム・キェンパ དུས་གསུམ་མཁྱེན་པ་ dus gsum mkhyen pa(1110-93))。チベット本土での総本山はラサ西方にあるツルプー・ゴンパ མཙུར་ཕུ་དགོན་པ་ mtsur phu dgon pa。

1959年のチベット動乱でダライ・ラマ法王がインドに亡命すると、これに続いて多くの高僧がチベットを脱出した。カルマパ16世ランジュン・リクペー・ドルジェ རྒྱལ་བ་ཀརྨ་པ་སྐུ་འཕྲེང་བཅུ་དྲུག་པ་རང་འབྱུང་རིག་པའི་རྡོ་རྗེ་ rgyal ba karma pa sku 'phreng bcu drug pa rang 'byung rig pa'i rdo rje (1924-81)もその一人。16世はシッキムのルムテク・ゴンパ རུམ་ཐེག་དགོན་པ་ rum theg dgon paを本拠地に教団を再建。海外での布教には特に力を入れ、欧米人信徒を多数獲得するなど成功を収めた。

1981年、16世は急逝。カルマパ教団は4人の摂政により運営される。転生者はなかなか見つからなかったが、摂政の一人タイ・スィトゥ・リンポチェ(タイ・スィトゥパ)12世ペマ・ドンヨー・ニンジェ・ワンポ  ཏའི་སི་ཏུ་རིན་པོ་ཆེ་(ཏའི་སི་ཏུ་པ་)སྐུ་འཕྲེང་བཅུ་གཉིས་པ་པདྨ་དོན་ཡོད་སྙིང་རྗེ་དབང་པོ་ ta'i si tu rin po che (ta'i si tu pa) sku 'phreng bcu gnyis pa padma don yod snying rje dbang po(1954-)が発見した遺言状をきっかけに捜索が進展。1992年、東チベット(カム)・チャムド ཆབ་མདོ་ chab mdo昌都県ラトク  ལྷ་ཐོག lha thog 拉多近郊に住む牧民一家に転生者が発見された。

この少年アポ・ガガ ཨ་པོ་དགའ་དགའ་ a po dga' dga'は、中国政府・チベット亡命政府双方により公式にカルマパ17世ウギェン・ティンレー・ドルジェ རྒྱལ་བ་ཀརྨ་པ་སྐུ་འཕྲེང་བཅུ་བདུན་པ་ཨོ་རྒྱན་འཕྲིན་ལས་རྡོ་རྗེ་ rgyal ba karma pa sku 'phreng bcu bdun pa o rgyan 'phrin las rdo rje(1986-)として認定され、ツルプー寺で即位した。


カルマパ17世ウギェン・ティンレー・ドルジェ師(2000年当時)

しかし摂政の一人で、先代16世の甥でもあるシャマル・リンポチェ(シャマルパ)14世ミパム・チューキ・ロドゥ ཞྭ་དམར་རིན་པོ་ཆེ་(ཞྭ་དམར་པ་)སྐུ་འཕྲེང་བཅུ་བཞི་པ་མི་ཕམ་ཆོས་ཀྱི་བློ་གྲོས་ zhwa dmar rin po che (zhwa dmar pa) sku 'phreng bcu bzhi pa mi pham chos kyi blo gros(1952-2014)は、1990年以来独自に転生者を擁立し、この選択に異議を唱え続けている。これが「もう一人のカルマパ」17世ティンレー・タイェー・ドルジェ རྒྱལ་བ་ཀརྨ་པ་སྐུ་འཕྲེང་བཅུ་བདུན་པ་འཕྲིན་ལས་མཐའ་ཡས་རྡོ་རྗེ་ rgyal ba karma pa sku 'phreng bcu bdun pa 'phrin las mtha' yas rdo rje(1983-)である。ツルプー近郊に生まれたこの少年はシャマルパにより密かにインドへ迎えられていた。

一般には17世として公認されているウギェン・ティンレー・ドルジェ師への支持が圧倒的に多いが、タイェー・ドルジェ師とシャマルパ側を支持する人々も無視できない数にのぼる。

ツルプー寺で修行を積んでいたウギェン・ティンレー・ドルジェは、2000年1月突如チベット亡命政府のあるダラムシャーラーに現われ世界を驚かせた。実質的な亡命である(2001年インド政府により公式に難民認定された)。

2002年1月現在、16世の本拠地であったルムテク寺にはどちらのギャワ・カルマパも入っておらず、跡目争いの決着はまだ先のようだ。

この騒動については、

・田中公明(2000.4)『活仏たちのチベット』. ii+210pp. 春秋社, 東京.

に詳しい。

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タイェー・ドルジェ師の本拠地は、New Delhi南部にあるカルマパ国際仏教学院Karmapa International Buddhist Institute(KIBI)。

・KIBI Karmapa International Buddhist Institute(since 1990)
http://www.kibi-edu.org/

こちらもヒマーチャル・ガイドブック没原稿から。

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カルマパ国際仏教学院 Karmapa International Buddhist Institute(KIBI) ཀརྨ་པ་རྒྱལ་ཡོངས་ནང་པའི་གཙུག་ལག་མཐོ་སློབ། karma pa rgyal yongs nang pa'i gtsug lag mtho slob/

いわゆるもう一人のカルマパ17世ティンレー・タイェー・ドルジェ師と彼を擁立したシャマル・リンポチェが主宰する仏教学院。1979年の創建(現在の建物は1994年)。

New Delhi南部、Institutional Areaにある(Qutab Hotel裏手)。クトゥブ・ミナールの観光と組み合わせて訪れるとよい。

ここでは主に外国人を対象にした仏教のレクチャーが長期コース(数年)・短期コースで開催されている。寺院は広い集会堂にシャカ像があるだけのシンプルな造り(2001年当時)。周囲は研修生の宿舎。

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というわけだが、この後、シャマル・リンポチェ14世が2014年に遷化し、タイェー・ドルジェ師のニュースもあまり聞かなくなった、と思っていた矢先のこのニュースでした。

結婚されたということは、破戒となるため僧籍には居られません。よって還俗されることになります。

といっても、チベット仏教、特にニンマパ/カギュパ/サキャパには俗人のリンポチェはたくさんいらっしゃいます。還俗されて、宗教活動もやめてしまわれる方もいますが、その多くは行者として宗教活動を続けます。

特にギャワ・カルマパという大名跡で、カルマ・シャマルパ教団のトップですから、やめられないでしょう。

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しかし、よくこれが許されたものです。タイェー・ドルジェ師の意志がよっぽど強かったのでしょう。

何はともあれ、まずは、おめでとうございました、とお祝い申し上げます。

2017年3月14日火曜日

広島大学ンガリー天文台(続報)

2016年10月5日水曜日 広島大学ンガリー天文台

で、ンガリー མངའརིས་ mnga' ris 阿里地区に広島大学が設置した望遠鏡について触れましたが、この場所については、中国のニュースサイトでも多数報じられています。

・万花鏡 > 探索 > 阿里啓動 : 将建世界最高原初引力波観測站 2016年12月13日 来源: 互聯网
http://m.wanhuajing.com/d661883

もとは科学網の記事らしいのですが、本家記事にアクセス出来ないので配信記事の方を紹介。

当サイトでも紹介した、観測基地への道路工事の様子の写真がありますね。相当大変そう。

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ここには、広島大学の望遠鏡だけではなく、中国側の望遠鏡も置かれているようだ。

この記事でちょっと不思議に思ったのは、「引力波望遠鏡」という記述。引力波とは、一般に言う重力波のこと。

しかし、2016年2月に発表されたUSA LIGO(Laser Interferometer Gravitational-Wave Observatory/レーザー干渉計重力波観測所)による史上初の重力波イベント観測は、マイケルソン干渉計によるもの。これは重力波による空間の歪みを観測するもので、天候の影響は受けないはず。

同様にマイケルソン干渉計を使った日本の重力波観測所KAGRAなどは、岐阜県神岡鉱山跡の地下に建設されているし。

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実は、ここでいう重力波は、2016年に観測された2つのブラックホールの合体によって発生した重力波とは別の重力波の観測を目指している。それが原始重力波。

これは、ビッグバンの38万年後に生じた宇宙の晴れ上がり時の光=宇宙マイクロ波背景放射の偏光分布を調べることで、ビッグバンの直前に宇宙が爆発的に拡大した現象(インフレーション)の痕跡を探ろうというもの。

とまあ、自分でも実はよく理解していないのだが(笑)。

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原始重力波についてはここらへん↓でお勉強をどうぞ。

・大栗博司のブログ > 2014年03月17日 原始の重力波
http://planck.exblog.jp/21835733/
・日経サイエンス > バックナンバー > 2016年 > 日経サイエンス 2016年5月号 大特集:重力波 > L. M. クラウス(アリゾナ州立大学)/ビッグバンから上がるのろし 原始重力波に挑む
http://www.nikkei-science.com/201605_058.html
・一般社団法人 日本物理学会 > 刊行物 > 日本物理学会誌 > バックナンバー目次 > 2017年第3号 > 山口昌英/原始重力波とは何か? その検出がなぜ大事なのか?
http://www.jps.or.jp/books/gakkaishi/2017/03/72-03_trends.pdf

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なお、中国の記事では、日本や広島大学についてはいっさい触れられておりません。ありがちだなあ。

また、広島大学のHinOTORIプロジェクトが、中国の原始重力波観測プロジェクトとどう連動するのか、よく理解しておりません。単に場所が同じ所で、観測場所と建設費用を共同で賄っているだけかもしれません。

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広島大学のHinOTORIプロジェクトは、重力波観測に関係したプロジェクトではあっても、KAGRAと連動したプロジェクト。LIGOが観測した現象と同じような、ブラックホールなどの合体で生じた重力波がKAGRAで観測された場合に、その対象天体を探し出す目的で設置されています。

マイケルソン干渉計による重力波観測では、観測に成功しても、重力波がやって来た方向については、非常におおざっぱにしかわからない。それで、重力波観測直後に、その発生源天体を探索したり、重力波天体によるガンマ線バーストを観測するのがHinOTORIプロジェクト目的だという。

すごくおもしろそうですね。

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ところで、HinOTORIプロジェクトのwebsite

・HinOTORI : Hiroshima University Operated Tibet Optical Robotic Imager(as of 2017/03/13)
http://hinotori.hiroshima-u.ac.jp/

などで、しきりにこの観測所のことを「ガー山」と呼んでいるのだが、これいったいなんだろう?と思っていた。

それが、

・京都大学理学研究科 宇宙物理研究所 > 研究・教育活動 京大 岡山3.8m望遠鏡計画 > 新着情報 2013年3月12~13日 サイエンス・装置WSを行いました。内容はこちら。 > 佐々木敏由紀+吉田道利+姚永強/西チベット天体観測環境調査の紹介と京都3.8mレプリカ設置の可能性
http://www.kusastro.kyoto-u.ac.jp/psmt/instWS/1st_instWS/1st_sasaki.pdf

を見たら、ようやく理解できた。

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「ガー山」とは、「ガル སྒར་ sgar(近く)の山」のことでした。観測所すぐ南を流れている河がIndus河(センゲ・ツァンポ སེང་གེ་གཙང་པོ་ seng ge gtsang po 獅泉河)の支流であるガル・ツァンポ སྒར་གཙང་པོ་ sgar gtsang po噶爾藏布。

ガルとは「天幕」あるいは「幕営地」のことです。

西チベットに栄えたグゲ(གུ་གེ gu ge古格)王国は、1630年、Ladakh王国に滅ぼされ、旧グゲ領はLadakhに占領されます。しかし17世紀後半になると、チベットを統一したグシ・ハーン王家+ダライ・ラマ政権とLadakh王国との間で戦争が勃発(1679~83年)。

終始押し気味に戦争を進めたチベット側が講和後、占領した旧グゲ領をそのまま併合。ラサからはガルポン སྒར་དཔོན་ sgar dponと呼ばれる役人が派遣され、旧グゲ領を統治します。

その役人の駐在地を「ガル(幕営地)」と呼んだのです。名称としてはそっちが先で、役職名ガルポンは「ガルに駐在した役人」という意味になります。

ガルは、ガル・ツァンポ上流(南東側)にある夏営地ガリヤサ སྒར་དབྱར་ས་ sgar dbyar sa噶爾雅沙と、下流(北西側)にある冬営地ガル・グンサ སྒར་དགུན་ས་ sgar dgun sa 噶爾昆薩の2箇所あり、両者間は約100km離れています。単にガル(あるいはガルトク སྒར་ཐོག sgar thog噶爾大克)といえば、一般には夏営地ガリヤサの方を指します。

どちらも、当時ンガリーの中心地だったとは思えないほど、今は寂れた村です。それもそのはず。「ガル(幕営地)」の名の通り、もともとそこには町らしい町はなく、天幕の集合体だったから。

天体観測所のある場所は、ガル・グンサのすぐ近くです。

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というわけで、もともと名前などなかった場所に「ガル(近くの)山」と名前をつけたと思われます。

ところが、「Gar」を英語風に読んだものだから、「ガー山」になってしまったわけです。またもや「英語風読み」が悪さをしています。

いまさら「ガー山」を「ガル山」と変更できないかもしれませんが、本来は「ガル」である、というのは覚えておいてください。

2017年3月9日木曜日

東京外国語大学「チベット牧畜民の仕事展」とSERNYA Vol.4

・東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所・主催 『チベット牧畜民の仕事展』
会期:2017年2月13日(月)− 3月11日(土)土日休場
ただし2月18日(土)・19日(日)、3月11日(土)は開場
時間: 10−17時
会場:東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所1階資料展示室(〒183-8534東京都府中市朝日町3-11-1)
tel/fax:042-330-5543
入場料:無料



に行ってきました。

詳しくはこちらでもどうぞ↓

・TibetanCinema/チベット牧畜民の仕事展 > 2016年12月12日月曜日 チベット牧畜民の仕事展
http://tibetanpastoralists.blogspot.jp/2016/12/blog-post.html

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ドクパ འབྲོག་པ་ 'brog paの生活でいっぱいです!楽しい!



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ドクパを「遊牧民」と訳する人が多い中、ここではちゃんと「牧畜民」と訳されていますね。

ヤルサ དབྱར་ས་ dbyar sa 夏営地とグンサ དགུན་ས་ dgun sa 冬営地で移動はするものの、場所は毎年決まっています。草地・水場を求めて、頻繁に移動しているかのような誤解を招きがちな「遊牧民」という用語を採用しなかったのは正しい。

Ladakhの民族ブロクパについて書いたものですが、一部牧民ドクパについても触れているこちらも参考までにどうぞ↓

2014年4月17日木曜日~29日火曜日 「ブロクパ」とはどういう意味か?(1)~(5)
2014年5月4日日曜日 ブロク・スカット('brog skad)の会話例

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「クサイ、クサイ」という前触れだったのですが、臭くありません!

ヤク尾の払子などもあったので、さっそく匂いを嗅いでみましたが全然たいしたことなかった。

と思ったのだが・・・その近くに立っていると、なにやら左の方から「唾液を煮染めたような匂い」がプ~ンと・・・。

そこには羊の毛皮がありました。模造品fake-furと共に。

いやあ、これはクサイ!というより懐かしい匂いです。チベットでは、どこもかしこも、大なり小なりこういう匂いが充満してますから。

さあ、これを嗅ぎに行ってください。普通の展示物や映像では感じられないものが、こういう匂いですから。その意味では珍しい展覧会です。

欲を言えば、乳製品の匂いもあればよかったなあ。

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一番の目玉は、現地で撮った映像「チベット牧畜民の一日」でしょう。会場で繰り返し上映されています。


Sernya, vol.4, p.44より

ドクパ一家の朝から晩までを追って編集したものです。撮影はカシャムジャ མཁའ་བྱམས་རྒྱལ་ mkha' byams rgyal。プロが撮った映像なのでクオリティは素晴らしい。

95分ありますから、ひと通り見るのも大変ですが、ぜんぜん飽きませんよ。

ドキュメンタリーと称していながら、実は半分フィクションみたいな映像も多い中、これは作為的な絵は一つもありません。一日中繰り返し流しておきたいほどです。

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欲を言えば、映像が撮られた場所、標高、家族構成などのバックグラウンドの情報がもう少し欲しかった。まあ、それはSERNYAの既存号を見れば、ある程度わかるのだが。また、これからさらに補強編集がなされるかもしれないし。

あと各チャプター、たとえば「夕方の乳しぼり」のタイトルにもチベット文字タイトルが欲しかったなあ。

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2017年3月11日(土)は展覧会最終日ですが、解説付きでの上映会があります。

・東京外国語大学広報マネージメント室/TUFS Today > チベット牧畜民のくらし(2017.3.8公開)
https://tufstoday.com/articles/170308-2/

–上映会『チベット牧畜民の一日』
最終日の3月11日(土)は、13:30から『チベット牧畜民の一日』の解説付き上映も行います。
日時:2017年3月11日(土)13:30-15:20(13:00開場)
場所:AA研大会議室(303)
使用言語:チベット語(日本語字幕つき)
参加費:無料、事前申し込み:不要

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会場では、出たばかりのSERNYA最新号も配布されていました。

・SERNYA編集部+チベット文学研究会・編 (2017.2) SERNYA VOL.4. 176pp. 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所, 府中.


ブックデザイン : 草本舎

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例によって目次を紹介しておきましょう。


同書, pp.2-3

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興味を引いた論考をいくつか。

・別所裕介・著, 蔵西・画 (2017.2) 空間を刷新する儀式「ドッカ・ペンバ」 牧畜社会の厄払いと年越し行事. Sernya, vol.4, pp.8-16.

昨年はンガッパ・イェシェ・ドルジェ・リンポチェがらみで悪霊祓い・厄祓いについて調べる機会が多かったのだが、そのアムド・ドクパ社会での例です。

私が調べたものとの類似性・違いがわかって非常に興味深い。

この世界は大変に奥が深いので、まずいろんな実例の紹介が増えることは実にありがたい。

参考までに、私が調べたものをまとめて紹介するとこうなります↓

2016年1月25日月曜日 ヒマーチャル小出し劇場(30) ンガッパ・イェシェ・ドルジェ・リンポチェとジルノン・カギェリン・ゴンパ/2016年1月28日木曜日 ンガッパ・イェシェ・ドルジェ・リンポチェ補足
2016年6月10日金曜日~8月1日月曜日 ンガッパ・イェシェ・ドルジェ・リンポチェの悪霊祓い(1)~(13)

後者は、最後のまとめがまだ書かれていませんが、って人ごとみたいですが(笑)。陰陽師、祈祷僧、日本の憑きもの、道教呪術、インド呪術まで手を広げて調べ出して、収拾がつかなくなってます。

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それにしてもSERNYA専属イラストレーター蔵西さんの絵のクオリティは一段と上がっている。絵の描ける人がいる学術報告が、いかに充実したものになるか思い知らされます。

むしろ蔵西さんがマンガの世界に戻ってこれなくなるんじゃないか、と心配。まあ、それは冗談としても。

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・平田昌弘 (2017.2) ユーラシアにおけるチベットの乳文化の体系. Sernya, vol.4, pp.36-39. 

これまで、内陸アジアの乳製品文化については、モンゴルのものが取り上げられる機会がほとんどだった。私も乳製品に関する本はたくさん持っているが、その内陸アジア乳文化のパースペクティブの中に、チベット乳文化を置いてみるという、最近ご無沙汰だったアプローチの論考。

地域の比較から、時間と人・文化の移動を読み取る、つまり歴史を読み取る、ことを心がけている歴史好きとしては、とてもおもしろい論考でした。

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・海老原志穂 (2017.2) ラダックで唯一の小説家 ツェワン・トルデン. Sernya, vol.4, pp.119-123.

Ladakhももう十数年行っていないので、こうした動きも全く感知できない人になってしまいました。昔は日本にいながらも、Ladakh Ladags Melong ལ་དྭགས་མེ་ལོང་། la dwags me long/という雑誌を購読していたりしたんですけどね。

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長くなったので紹介もこれくらいにしておきますが、会期もあとわずかですが、ぜひ行ってみてください。

これだけ充実した展覧会だと、日本中を巡回してもいいですね。もうオファーは来てるかもしれませんが。まあ、それだとスタッフが死んじゃうか・・・。

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(追記)@2017/03/11

映像「チベット牧畜民の一日」を見て、ふと思った疑問

(1) 犬がいない!

ドクパの家庭で犬がいない、というのは見たことない。しかしあの映像には、犬が全く出てこない。なぜだろう?

チベットの犬、特にドクパが飼っている犬はかなり凶暴だ。家族以外にはなかなか慣れない。よく来るお客にさえワンワン吠えまくる。私も何度も噛みつかれそうになった(投石で撃退)。

映像の家庭でも絶対、犬を飼っているはずだ。

おそらくだが、日本の研究者が長期滞在する間、犬に噛まれるのを防止するため、滞在期間中はどっかよそに預けていたんではないかと推察する。

チベットの犬は狂犬病の予防注射など受けていないから、噛まれたら狂犬病になってしまうおそれが充分あるのだ。

ということだと思っていますが、ホントのところは知りません。

(2) 便所はどうなっているんだろう?

これは、上の「犬がいない!」とも関係する話。

まあ、なくても当たり前なんだけど、映像には便所についての話がない。でも気になりますよね。どうなっているのだろうか?穴を掘ってためているのだろうか?それとも、そこら辺でしてしまうのか?

私は後者だと思いますね。となると、そこら辺がウンコだらけになる?

大丈夫なのです。ブツは全部犬が食べてくれるから。野糞をしていると、ドクパの犬たちが、それまでギャンギャン吠えていたくせに、前足をチョコンと揃えておとなしく終わるのを待っている。そういう世界です。

で、あの映像で、「犬を預けていた」とすると、その間ブツの始末はどうなるのか?などなど、とても気になります。

今日、上映会に行く人は、その辺を質問するのも面白いかも。誰かお願いします(笑)。