2017年12月20日水曜日

古代インド大僧院プランの周辺諸国への展開

2017年11月29日水曜日 ベトナムの密教僧院遺跡

で紹介した、古代インドの仏教大僧院と、それらをモデルにしたチベットのチューコル/チョスコル ཆོས་འཁོར་ chos 'khorの関係。

こういった、平地に外壁で囲んで寺院群を建てるのは、古い僧院、特にグゲ時代(10~12世紀)の僧院が多いです。

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これが、サキャパ支配時代(13~14世紀)になると、僧院はやはりまだ平地に立つのですが、複数階で壁も分厚い要塞のような建築になってきます。

そして、その後は軍事的な役割も果たすようになり、山際、さらには山腹に僧院が広がる形態となります。

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前回は、そのグゲ時代のチューコルの例として、ンガリー མངའ་རིས་ mnga' risのトリン寺 མཐོ་ལྡིང་ཆོས་འཁོར་ mtho lding chos 'khor、スピティ སྤྱི་ཏི་ spyi tiのタボ寺 རྟ་ཕོ་ཆོས་འཁོར་ rta pho chos 'khorを挙げました。

この2つは同じ996年の創建と伝えられているのですが、グゲ王国主導による同年創建のチューコル/チョスコルはもう一つありました。それがLadakh ལ་དྭགས་ la dwagsのニャルマ寺 ཉར་མ་ཆོས་འཁོར་ nyar ma chos 'khor


Nyarma Choskhor(Google Mapより)

しかし、ニャルマ寺のプランは、トリン寺やタボ寺ほどしっかりしていませんね。外壁の位置も寺院の配置もあまり整然としていません。

むしろチョルテン群の配置に意味がありそうなのですが、ここは現在ほとんど廃墟ということもあり、学術的な調査はほとんど行われていません。

今後の調査・研究に期待しましょう。

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上記3チューコルよりも創建時代は約百年下るLadakhのアルチ・チョスコル ཨལ་ལྕི་ཆོས་འཁོར་ al lci chos 'khorも、地形の制限もあり、あまり計画的なプランではありませんね。


Alchi Choskhor(Google Mapより)

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インドの僧院直系の、トリン寺やタボ寺と似たプランの僧院は中央チベット・ツァン གཙང་ (シガツェ地区)にあります。

まずは、ナルタン版大蔵経で有名なナルタン寺 སྣར་ཐང་དགོན་པ་ snar thang dgon pa(那塘寺)。シガツェ གཞི་ཀ་རྩེ་ gzhi ka rtse(日喀則)の西20km。


ナルタン寺(Google Map)

1153年創建。やはりグゲ時代です。もともとはカダムパの寺でしたが、17世紀にゲルクパ・タシルンポ寺の傘下に入ります。

1960年代には文化大革命で徹底的に破壊され、今も十分には復興していません。特に、チベット随一の権威を誇っていたパルカン དཔར་ཁང་ dpar khang(印経院)が破壊されたのは痛恨の出来事です。

破壊を免れた一部の版木がかき集められ、今は小さなお堂に雑然と保管されています。案内してくれたクショラ སྐུ་ཤོགས་ལགས་ sku shogs lags(お坊さん)も悲しそうな顔でした。

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もう一つやはりツァンの僧院ネニン寺 སྣས་ཉིང་དགོན་པ་ snas nying dgon pa(南尼寺)。ギャンツェの南東10km。


ネニン寺(Google Mapより)

この僧院の歴史は古く、創建は820年と伝えられています。このプランが完成したのがいつかはわかりませんが、やはり11世紀頃に拡張された姿という可能性はあるでしょう。

宗派は、吐蕃仏教(ニンマパ)→超宗派の学院→ゲルクパと移り変わりました。やはり文化大革命で完全に破壊。

名物だった大チョルテンをはじめ、本堂など徐々に復興してはいますが、境内には今も廃墟が累々と広がっています。

ここも今後の調査と復興が期待される場所です。

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以上の僧院は、Vikramashila Mahavihara विक्रमशिला महाविहारを模した僧院と思われますが、チベットの古い僧院と言ったら最も有名なのが、ロカ ལོ་ཁ་ lo kha(山南地区)のサムイェ寺 བསམ་ཡས་ཆོས་འཁོར་ bsam yas chos 'khor(桑耶寺)


サムイェ寺(Google Mapより)

ここは今まで見てきた僧院とは異なるプランで、円形の外壁に囲まれています。これは「須弥山世界観」を表したもの。

つまり中央のツクラカン གཙུག་ལག་ཁང་ gtsug lag khangを(ス)メルー山 (सु)मेरु पर्वत(須弥山)と見立て、四方のチョルテンを(ス)メルー山を取り囲む東西南北の四大陸と見立てています。

須弥山世界観については、こちらをどうぞ。

・ウィキペディア > 須弥山(最終更新 2017年6月3日 (土) 16:23)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%88%E5%BC%A5%E5%B1%B1

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サムイェ寺のモデルとなったのは、Vikramashilaではなく、Odantapuri Mahavihara ओदन्तपुरी महाविहारと云われています。

Odantapuriは、現在のJharkhand झारखंड州(旧Bihar बिहार州南部)Bihar Sharif बिहार शरीफ़にあったとされていますが、その遺構はいまだ発見されていません。

Bihar Sharifの西側にBadi Pahari बड़ी पहाड़ी(Hiranya Parvat हिरण्य पर्वत)という岩山があります。そこに仏教僧院とみられる遺構が残っています。


Odantapuri Mahavihara ? @Bihar Sharif(Google Mapより)

なお、Stupaのように見えるのは、Tughlaq朝の代官Sayed Ibrahim Malik Baya(?-1339)の墓。

しかし、この遺構がOdantapuri Mahaviharaで、サムイェ寺のモデルになったとはとうてい思えない。似ていない。

おそらく僧院本体があったのは岩山の麓の方で、それは今も街の下に埋まっているのではないかと思います。

今後の調査に期待しましょう。

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VikramashilaやOdantapuriの僧院プランは、チベットの僧院建築に大きな影響を与えていますが、東南アジアの仏教建築にも影響を与えていると思われます。

東南アジアでは、その中心にあるのは寺院ではなく、Stupaになっていますが。

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これはIndonesia Java島のBorobudur Stupa


Borobudur Stupa(Google Mapより)

見れば見るほどサムイェ寺のプランにそっくりではありませんか。おそらくその大元、モデルとされたのはOdantapuriだったに違いありません。

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また、この周囲をギュッと押し詰めると、Nepal KathmanduのBodhnath Stupaになります。


Bodhnath Stupa(Google Mapより)

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また、Vikramashila型僧院プランの東南アジア的展開は、MyanmarのStupa建築に見ることができます。

これはMyanmar中央部PaganにあるAnanda Stupa


Ananda Stupa @Pagan(Google Mapより)

PaganにはこういうStupaがもう数え切れないほどあります。

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Vikramashila Mahaviharaでは、中央の寺院と中庭を取り囲むように、外壁沿いに僧坊が並んでいたのですが、これがNepalに行くと、もう少し小規模な形で展開されています。

Nepal KathmanduにたくさんあるNewar仏教僧院は、Baha/Bahiと呼ばれています。


Kwa Bahal @Kathmandu(Google Mapより)

これはその一つKwa Bahal

中庭の四方を建物が取り囲んでいます。これはもともとは僧坊で、外壁沿いに僧坊が並ぶ、古代インド大僧院のプランを受け継いでいるのです。かなり小規模になっていますが。

外周の建物には、今はこの寺の在家僧(Newar仏教は在家仏教なのです)やその檀家が住んでいます。

寺院は外周の一画にあり、中庭の中央に寺院がある古代インド大僧院のプランからは少し変化していますが、中庭の中央には必ずStupa(NepalではCaitya चैत्य チャイティヤと呼びます)があり、その名残を感じさせます。

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とまあ、思いつくまま古代インド大僧院のプランの周辺諸国への展開を見てきたわけですが、大元はすべてインドにあるのは間違いありません。

というわけで、チベットやラダックの僧院を参拝するにしても、古代インド仏教についての知識を持ちつつ見ると、そのおもしろさが十倍にも百倍にもなるわけです。

とはいえ、インドの仏跡は私は一度も行ったことないんですがね。一度(だけじゃなくて何度でも)行きたいんだけどなあ・・・

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(追記)@2017/12/21

もう一つ、グゲ時代のチューコルとしてコジャ・ゴンパ ཁ་ཆར་དགོན་པ་ kha char dgon pa(科加寺)があります。


コジャ寺(Google Mapより)

外壁に囲まれていますね。しかしこれはごく近年の「再建」だか「新造」だかわからない代物。

1990年代後半、私が訪れた際には外壁などなく、2つの寺院はごちゃごちゃと不規則に建っていた民家の間に埋もれていました。

外壁の形も寺院の向きと不調和で、なにか菱型に歪んでいるし、どうも怪しい。私は、これは僧院を「文化財」として管理するために、特に根拠なく新たに作った外壁と判断しています。

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