2009年3月28日土曜日

「ガルシャ・カンドリン」の巻 ~西部チベット語の発音(6)ラーホール・トゥー語~

ヒマーチャル・プラデシュ州北東部の三地域、ラーホール、スピティ(注1)、キナウルはラダック/ンガリー(グゲ王国)と接し、古くから両勢力との深い関係にありました。チベット文化の最前線に当たりますが、ラダックがイスラム教文化圏と対峙しているのに対し、こちらはヒンドゥ教文化圏と対峙しています。


ヒマーチャル・プラデシュ州のチベット語

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ザンスカールから南に峠を越えるとラーホール(注2)。人口わずか二万人あまりの土地で七種類もの言語が話されており(注3)、言語環境の複雑さはインド国内でも有数です。そのうちラーホール土着の言葉についてはいつかまた取り上げることにして、ここではチベット語の話だけすることにします。

ラーホールは北にラダック/ザンスカールと接し、同地域との関係が深かった土地です。チベット側からは「ガルシャ(gar zha)/カルシャ(dkar zha)」と呼ばれています。古くから小領主が分立し、各々が隣接する国に臣属してきました。おおまかに言って西部(チャンドラー・バーガー川流域)はチャンバー王国に、南東部(チャンドラー川流域)はクッルー王国に、そして北東部(バーガー川流域)はラダック王国に臣属してきました。

ザンスカールが「ザンスカール・ゴ・スム」という異名を持っているのにも似て、ラーホールは「ガルシャ・カンドリン(gar zha mkha' 'gro'i gling)」という異名を持っています。かつてラーホールは魔女(カンドマ=mkha' 'gro ma)が治めていた土地で、そこへバララチャ・ラを越えてやって来たゲパン神一族がこれを追い払い定住した、という神話にちなむ名です(注4)。


ラーホール・トゥーのご夫婦@カンサル(バックの丘の上はコロン)

その北東部で話されている言語がチベット語の方言であるトゥー語(stod skad、注5)。ザンスカール語にきわめて近い言語です。単語や言い回しにはラダック語の影響が強いようですが、発音はザンスカール語に似てチベット語ンガリー方言(ウー・ツァン方言)に近づきます(注6)。

ラダック語と共通する単語・言い回しとしては、
「これ」=「'i(イ)」。
「これはなんですか?」=「'i bo ci yin nog ?(イボ・チ・イン・ノク?)」
「~はいくらですか?」=「~ tsam yin le ?(~・ツァム・イン・レー?)」。
「良い」=「rgyal la(ギャーラ)」
「祖父」=「me me(メメ)」。
「祖母」=「a bi(アビ)」
など。

発音のみがラダック語的なのは、
「'bras(米)」=「ダス」(注7)、「gnyis(数字の2)」=「ニィース」など。

一方発音がンガリー方言(ウー・ツァン方言)的なのは、
「stong(数字の1000)」=「トン」、「skar ma(星)」=「カルマ」など、語頭の「s-」は発音されないケースが多くなります。

これはザンスカール語とほとんど変わりないのですが、両者がどこが違うのか?というと、私にはもう答えられません。

ザンスカール語は「西部古方言」ラダック語の一方言とされ、ラーホール・トゥー語は「西部改新的方言」(スピティ語などのグループ)とされる場合が多いのですが、この線引きが厳密なものでないことは明らかです。

前回も述べましたが、17世紀末までラダック領であったラーホール北東部にはラダック~ザンスカールからの移住者が多かったと思われます。直接接しているザンスカールの影響がより強い(というより、相互に影響を及ぼしあってきた)のは当然でしょう。

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ラーホールは、チベット語研究史上でも非常に重要な場所でもありました。

19世紀の編纂ながら、現在でも盛んに利用されるH.A.イェシュケの辞書や文法書(注8)は、ラーホール滞在中の研究成果であることはあまり知られていません。

先達チョーマ・ド・ケレス(注9)同様、文語研究が中心なので、口語であるラーホール・トゥー語の影響はあまりみられないのですが、イェシュケの辞書・文法書でも、断片的ながらラダック語、トゥー語、スピティ語とウー・ツァン方言との比較が行われていますから、こちらで発音の概要を知ることもできます。

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この辺まで戻ってくると、チベット語に堪能な人ならもうすっかり安心です。ラダックでのようにとまどうこともないでしょう。もうひとつ峠を南東に越えてスピティに出てみましょう。もっと安心できるはずです。

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(注1)
ラーホールとスピティは、行政区分上は「ラーホール&スピティ県」として一緒にされているが、歴史的にも現状でもそれほど結びつきが強いわけではない。ケーロン~カザの直通バスが存在しないことからもそれが窺える。単に共に人口希薄で隣接した地域ということで一緒にされているだけ。

(注2)
日本では「ラホール」という表記が一般的だがDevanagari表記では

であり、「ラーホール/Lahaul」の方が適当。

日本では、「ヒンディ語の長母音をいちいち正確に転写すると間延びして煩わしい」と、アクセントのある音節を除きこれを短母音として表記するケースが多い。「ラホール」という表記はそのケースに当たる。

「Lahoul」、「ラフール/Lahul」という表記もあり、双方とも地元出身の著者が用いており、こちらも誤りとはいえない。

もともと「ラーホール」という単語はチベット語でもインド系の言葉でもなく、ヒマラヤ諸語(ラーホールだけでも三種あり、ラーホール語と言うこともできない)の単語と考えられる。独自の文字を持たない言葉であるため、どの表記が正しいとは一概に決めかねる。

このblogでは「ラーホール/Lahaul」で統一することにします。

ただ、「ラーホール/ラホール」とすると、パキスターン・パンジャーブ州の「Lahore」とカタカナでは同じ表記になってしまい、これと混同されやすいのが悩みの種(インド人のRの発音は巻き舌がきついので、インドでもLとRは紛らわしい)。その意味では「ラフール/Lahul」を用いるのも意義あることではある。

(注3)
大きく三つに区分できる。ランゴリ語とパトナム語のどちらか一方を取ると七種類、両方を取ると八種類になる。
(1)チベット・ビルマ系ヒマラヤ諸語-シャンシュン語とも近縁の言葉
・パッタン語(Pattani)=マンチャド語(Manchadi)
・ティナン語(Tinani)
・ガハル語(Gahari)=ブナン語(Bunan)
(2)チベット・ビルマ系チベット語
・トゥー語(stod skad)=コロン(Kolong)方言
・ランゴリ語(Rangoli)=コクサル(Koksar)方言-トゥー語に含まれる場合が多い
・パトナム(Patnam)語-存在が認識されていない場合が多い
(3)インド・ヨーロッパ系
・チナール語(Chinali)-指定カーストの人々が使う言葉
・ロハール語(Lohari)-指定カーストの人々が使う言葉

(注4)
ラーホール各地には、サッダク(sa bdag=地主神)と呼ばれる強い力を持つ兄弟の神々が祠られており、これがゲパン神一族。その主ゲパン神はラーホール全体の守護神でもある。バーガー谷側とチャンドラー谷側と二つあるゲパン・ゴー(Gephang Goh)という山はゲパン神の在所。御神体はチャンドラー谷のシャシン(Shashin/sra srin)の社に祠られている。詳しくは、

・Tobdan (1984) HISTORY & RELIGIONS OF LAHUL : FROM THE EARLIER TO CIRCA A.D. 1950. pp.viii+111. Books Today, New Delhi.
・棚瀬慈郎 (2001) 『インドヒマラヤのチベット世界 -「女神の園」の民族誌』. pp.211. 明石書店, 東京.

を参照されたし。

(注5)
ここでいう「stod」はローカルな用法の方。「バーガー川の上流部」という意味で、「ウー・ツァンから見て西方」という意味合いは持っていない。

ローカルには「stod skad」と呼んで不都合はないが、チベット語全体で見ると、「stod skad」だけだとンガリー方言の別称と混同されやすいので、その場合は「ラーホール・トゥー語」と呼びます。

(注6)
今回も私が現地で採取した発音に加え、一部下記の資料からも引いています。

・Deva Datta Sharma (1989) TRIBAL LANGUAGES OF HIMACHAL PRADESH (PART-I). pp.xxiii+346. Mittal Publications, Delhi. (ラーホールの四言語を扱った巻)

これはトゥー語に関する唯一の本格的な研究。

・研究開発支援総合ディレクトリReaD > 研究者 > 武内紹人
http://read.jst.go.jp/public/cs_ksh_008EventAction.do?action4=event&lang_act4=J&judge_act4=2&knkysh_name_code=1000029147

によると、武内紹人先生がラーホール・トゥー語の調査を行っているらしいが、その成果が発表されているのかどうかわからなかった。

バーガー川上流部で話されているトゥー語/方言に加え、チャンドラー川上流部で話される「ランゴリ語/方言(Rangoli)」、ミヤール・ナーラー流域で話されている「パトナム(Patnam)語/方言」をまとめて「チベット語ラーホール方言」とする区分法がある。

・西義郎 (1990) ヒマラヤ諸語の分布と分類(中). 国立民族学博物館研究報告, vol.15, no.1, pp.265-335.

がこの区分を取っている。ただしこれは地理的な分布で一まとめにしただけで、パトナム語/方言は実際には暫定的にラダック語/方言のグループに入れておく、というのが同説。

ランゴリ語は、トゥー語とは山を挟んで地域が違うだけで、性格は全く同じらしいので、ここではトゥー語に含める。

パトナム語については、現状では区分をどうするかについては資料がなさすぎだし、ザンスカール語とトゥー語の関係をどうみるかという問題とも関わってくるので、ここでは「住民はザンスカールから移住」という情報を重視し、とりあえずトゥー語ではなくザンスカール語の方に入れておく。

(注7)
Sharma(1989)では「デ」と、ンガリー方言(ウー・ツァン方言)的な発音を採取している。

(注8)
Heinrich August Jäschke[1817-83]はドイツ人。キリスト教プロテスタントのモラヴィア教会宣教師として1857~68年にラーホール・ケーロンの伝道所に派遣され、聖書のチベット語訳や言語研究に従事した。Csoma de Körösに続き、欧米でのチベット語研究の基礎を作り上げた功労者の一人であり、その著作は今なお利用されている。Jaeschkeという表記もある。

主要著作 :
・(1865) A SHORT PRACTICAL GRAMMAR OF THE TIBETAN LANGUAGE. Kyelang(British Lahaul).
・(1866) ROMANIZED TIBETAN AND ENGLISH DICTIONARY. Kyelang(British Lahaul).
・(1871) TIBETISCH - DEUTSCHES WÖRTERBUCH. Gnadau.
・(1881) A TIBETAN - ENGLISH DICTIONARY. Routledge & Kegan Paul, London. → Reprint : (1993) Rinsen Book, Kyoto/(2003) Dover Publications, Mineola(USA) など多数
・(1883) TIBETAN GRAMMAR : SECOND EDITION. Trübner, London.

参考 :
・Rainer Witt (1990) Jäschke, Heinrich August.
Biographisch - Bibliographisches KIRCGENLEXIKON > Jaeschke, Heinrich August
http://www.bautz.de/bbkl/j/Jaeschke.shtml
・★'s Lab. Tibetan Studies > Wikiwiki Tibetan Lab > チベット辞典編纂史 > 欧米におけるチベット語辞典編纂の歴史
http://star.aa.tufs.ac.jp/tibet/?%E8%BE%9E%E5%85%B8%E7%B7%A8%E7%BA%82%E5%8F%B2%EF%BC%A0%E6%AC%A7%E7%B1%B3

(注9)
Alexander Csoma de Körös[1784-1842]はハンガリー人。ハンガリー人の源流を求めて中央アジア・インドに向かい、ラダックでチベット語に興味を持つ。1823~24年と1825~26年の二度ザンスカールに滞在しチベット語を研究。1827~30年にはキナウル・カナムに滞在しチベット語研究を続けた。欧米のチベット語研究のパイオニアといえる存在。

チョーマもイェシュケもその活動範囲は本blogで扱っている西部チベット。チベット語研究はまさにこの地域で産声を上げた、といっても過言ではないのです。

チョーマの足跡についてはいろいろおもしろい話もあるので、いつかまたもう少し詳しい話をすることにしましょう。

2009年3月22日日曜日

「越境ザンスカーリ」の巻

2回にわたったザンスカール語のお話の中に入りきらなかったのがこの話題。

ザンスカールの南西側はヒマラヤ山脈により区切られ、これがラダック地方とジャンムー地方/カシミール地方との境界にもなっており、一部はヒマーチャル・プラデシュ州との境界をも形成しています。

このヒマラヤ山脈を南西に越えて、ジャンムー側やヒマーチャル・プラデシュ州側にザンスカーリが越境して来て住んでいることはほとんど知られていません。

今のところ私が知っている場所(一部未確認あり)は次の通り(注1)。


「越境ザンスカーリ」分布域

J&K州ジャンムー(Jammu)地方ドダ(Doda)県パダル(Padar/Paddar/dpal dar/pa ldar)・マツェル(Matsel/Machel)周辺=ブト・ナーラー(Bhut Nala)流域
・ガンダル・バトリー(Gandhar Bhatori)=サンサリー・ナーラー(Sansari Nala)流域

ヒマーチャル・プラデシュ州チャンバー(Chamba)県パーンギー(Pangi)郡・スラール・バトリー(Sural Bhatori)=ルージェイ・ナーラー(Lujai Nala)最上流域(注2)
・フダン・バトリー(Hudan Bhatori)=マハル・ナーラー(Mahal Nala)最上流域
・パルマル・バトリー(Parmar Bhatori)=パルマル・クマル・ナーラー(Parmar Kumar Nala)最上流域
・トゥアン(Tuan/Twan)周辺=セイチュー・ナーラー(Saichu Nala)最上流域
・チャサク・バトリー(Chasak Bhatori)=チャサク・ナーラー(Chasak Nala)最上流域

ヒマーチャル・プラデシュ州ラーホール&スピティ(Lahaul & Spiti)県ラーホール地区・ギェレ(Gyere/gye re/Patnam)=ミヤール・ナーラー(Miyar Nala)下流域
・オタン(Othang/'o thang)=ジャールマー(Jahlma)の山手

いずれも各地域のヒマラヤ側高山部にあたり、ザンスカールと隣接した場所です。彼らはザンスカールから移住して来た、と伝えられています。

インド側からはチベット系民族を指す一般名詞「ボド(Bod/Bhot)」と呼ばれていますが、その他に彼らを総称する適当な用語はありません。ここでは一応「越境ザンスカーリ」と呼びますが、私が発明した用語ですから、一般には通用しないのでご注意を。

移住の時期やその経緯ははっきりしませんが、それほど古い時代ではないようです。Weare(1997)には「(パダルのチベット系住民は)ラダックの農民が六世代程前に移住して来たもの」とあり、一世代25年とすると約150年前=19世紀半ばとなります。

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私が自分で訪れた場所はパーンギーのスラール・バトリーとラーホールのオタンしかないのですが、どちらでもチベット語が通じました。彼らが話す言葉がザンスカール語なのかどうか、実は断言できるほど詳しく調べてはいないのですが、少なくとも響きはラダック語的ではありませんね。ということで、とりあえずザンスカール語圏内に入れておくことに無理はない、と考えています。


スラール・バトリーの人々

お馴染みの西・方言論文(注3)ではどうなっているでしょうか。1987年版の2論文ではラダック方言についてはKoshalの区分をそのまま採用し「越境ザンスカーリ」の言語については触れていませんが、西(2000)では新たにミヤール・ナーラーの言語を(?)つきでラダック方言に加えています。

┌┌┌┌┌ 以下、西(2000)より ┐┐┐┐┐

I ) 西部古方言
1)~2) ・・・(省略)・・・
3) ラダック方言
a)~e) ・・・(省略)・・・
(?) f) パトナム(Patnam ; Patnam Bhoti)方言
ヒマーチャル・プラデシュ州(Himachal Pradesh)のラフール・スピティ地方(Lahul - Spiti District)を貫通するチェナブ(Chenab)川と、ウダイプル(Udaipur)で合流するミャル・ナラ(Myar Nalah=Miyad Nala)川を、30キロほど遡った地域の8か村。

└└└└└ 以上、西(2000)より ┘┘┘┘┘

独自に調査を行った結果での判断ではないようです。では出典は何かというとそれも不明ですが、詳しい調査報告が存在しているような雰囲気でもありません(注4)。

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彼らはもちろんチベット仏教徒です。宗派はザンスカール~ラーホールで有力なドゥクパが優勢。ドゥクパの中でも、ブータン→ラダック・スタクナ寺→ザンスカール・バルダン寺の末寺に当たります。

例外はオタンとミヤール・ナーラー流域。オタン・ゴンパはゲルクパ(ザンスカール・カルシャ寺の末寺)です(注5)。またミヤール・ナーラー流域(ギェレ)はニンマパ信仰が強い場所(注6)。


オタンの老夫婦(アビ=おばあさんの服装はラーホールというよりラダック的)

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ザンスカールからミヤール・ナーラーやパダルへ抜けるルートは、峠の前後は延々氷河が続く厳しいルートで、現在トレッキング・ルートとしてはあまり人気はありません。しかしラダックやザンスカールの史書には、パダルやチェナブ川下流方面のキシュトワル(Kishtwar)の話が何度か現れますから、ウマシ・ラ(Umasi La/u ma sa'i la)経由である程度交流があったのは間違いないようです。

ザンスカールからインド方面へ抜けるルートで最もポピュラーなのは今も昔もカルギャク川~ラーホール・ダルチャのルートです。このダルチャを含むラーホール東部ではトゥー(Stod)語というチベット語方言が話されています。これについては次回以降に説明しますが、ザンスカール語にかなり近いチベット語方言です。

ラーホール東部は17世紀末まではラダック領でしたから、ラダック~ザンスカールからの移住者も多かったはずで、また原住民もラダック~ザンスカール文化の影響を強く受け、両者は融合してしまったと思われます。

では「越境ザンスカーリ」が話す言葉とそのトゥー語は区別できるのか?私には答えられるだけの知識はありません(注7)。

ダルチャ(Darcha/dar rtse)からミヤール・ナーラー河口のウダイプル(Udaipur)へは街道沿いをたどるとかなり遠いのですが、ジャンカル・ナーラー(Jankar Nala)を逆上り西へ峠を越えるともうそこはミヤール・ナーラーです。もしかするとミヤール・ナーラーの住民は、ザンスカールから直接ミヤール・ナーラーに下って来た、というよりも一旦ラーホール東部に出てその後ミヤール・ナーラーに移った人々の比率が高い可能性もあります。とすれば、ますます両者の言葉を区別するのは難しいかもしれません。

またミヤール・ナーラー最上部で峠を西へ越えるとダルラン・ナーラー。これを西へ下るとパダルです。このルートの存在も無視できません。

とまあ、いろいろ仮説、にもほど遠い妄想を述べましたが、ラーホール自体、民族学・言語学の研究対象としてはいまだマイナーな上に、「越境ザンスカーリ」に至っては存在が知られていないに等しい状態ですから、現状では何もわかっていないも同然です。今後の研究対象としてはなかなかおもしろい地域だと思いますが、誰かやる人はいないものでしょうか。

スラール・バトリーやオタンを訪れた時の話は、いずれまた稿を改めて詳しくしようと思います。先にトゥー語、スピティ語、ニャム語を片づけなくては・・・。

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(注1)
ブト・ナーラーの支流ダルラン・ナーラー(Dharlang Nala)流域チョモ(Chomo)についてはあまりわからないが、地名はチベット語であり、パダルパの集落もしくは牧民の夏期居住地があるらしい。これ以上不明。

ブト・ナーラーとサンサリー・ナーラーの間には、Kaban NalaにBodosa、Ungiar NalaにZaunsarといったチベット系を匂わせる地名もあるが、情報がない。

ラーホール・ティロト・ナーラー(Thirot Nala)のチョカン(Chokhang)は、明らかにチベット語地名であり、ここももともと「越境ザンスカーリ」の土地なのかもしれない。しかしこの地名以外ほとんど情報がなく、ここを訪れた人の報告を見てもチベット系文化を伝えるものは今のところ見あたらない。チベット系住民も今はすっかりラーホール化(ヒンドゥ教徒化)しているのかもしれない。ティロト・ナーラー奥地にはニール・カンタというヒンドゥ教シヴァ神の聖地がある。

(注2)
スラール・バトリーは地図上ではKhangsarと記されていることが多い。

(注3)
西・方言論文の発展については 2009年3月6日 『チベットの言語と文化』 総目次 の巻 の(注4)を参照のこと。

(注4)
パトナム語/方言については、実は西(2000)以前に、筋違いの論文ではあるが、

・西義郎 (1990) ヒマラヤ諸語の分布と分類(中). 国立民族学博物館研究報告, vol.15, no.1, pp.265-335.

で補足的に言及されており、「この方言の資料は全く刊行されていない」とある。またパトナム語/方言を「暫定的にラダク方言に分類しておく」という見解も本論文が初出。

(注5)
オタン・ゴンパはかつてスピティのゲルクパに管理されていたが、現地住民とトラブルがありスピティの僧は排斥され、現在はザンスカールのゲルクパ(カルシャ寺)が管理下に置いている(Tobdan 1984)。ヒンドゥ教仏教混交の古刹ティロキナート(Triloknath)寺も現在はザンスカーリのゲルクパ僧が管理。

ラーホールにはオタンの他にもゲルクパの寺が、チャンドラー川流域のチョコル(Chokhor/chos 'khor)などにある。こちらも同様の事情で現在はザンスカールのゲルクパが管理している(Tobdan 1984)。

というわけで、オタンの住民には、ザンスカーリの他にスピティからの移住者の血も混じっているのかもしれない。この辺は全く調査されたことがない。

(注6)
ミヤール・ナーラー流域(ギェレ)には、20世紀中頃アムド・ゴロク出身のニンマパ・ラマ、トゥルシュク・リンパ(brtul zhugs gling pa)[1916-63]が盛んに布教を行ったため、今でもニンマパ信仰が盛ん。詳しくは棚瀬(2001)の「第8章「隠された国」を求めて-テルトン・トゥルシュク・リンパの冒険」を参照されたし。

(注7)
・Ethnologue > Web version > Country index > Asia > India > Stod Bhoti
http://www.ethnologue.com/14/show_language.asp?code=SBU

では、

Stod Bhotiの下にStod(Kolong)、Khoksar(Khoksar Bhoti)、Mayar (Mayar Bhoti, Mayari)の三方言を設定しています。つまりミヤール・ナーラーの言葉(パトナム語)を、ラダック語ではなくトゥー語に含めているわけです。そして、

┌┌┌┌┌ 以下、上記サイトより ┐┐┐┐┐

85% intelligibility of Stod Bhoti by Khoksar, 75% by Mayar, 62% of Khoksar by Mayar, 95% of Khoksar by Stod Bhoti. Lexical similarity 74% with Spiti.

└└└└└ 以上、上記サイトより ┘┘┘┘┘

トゥー語とミヤール・ナーラーの言葉は75%が同じだということですが、区分を別にしているトゥー語とスピティ語も74%と同程度。ザンスカール語との比較も知りたいところです。

「西部改新的方言」の区分にも関係してきますし、何より「越境ザンスカーリ」の言葉自体、私はほとんど把握できていないのですから、この見解への是非は今は保留しておきましょう。

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文献:

・Chand, Gian+Manohar Puri (1991) EXPLORE HIMACHAL. pp.186+Annextures. International Publishers, New Delhi.
・Chaudhry, Minakshi (1998) EXPLORING PANGI HIMALAYA : A WORLD BEYOND CIVILIZATION. pp.326. Indus Publishing, New Delhi.
・Handa, Om Chand (1987) BUDDHIST MONASTERIES IN HIMACHAL PRADESH. pp.xiv+216. Indus Publishing, New Delhi.
・西義郎 (2000) チベット語現代諸方言. 亀井孝ほか・編著 (2000) 『言語学大辞典 第2巻 世界言語編(中)』所収. pp.783-789. 三省堂, 東京.
・Sahni, Ram Nath (1994) LAHOUL : THE MYSTERY LAND IN THE HIMALAYAS. pp.304. Indus Publishing, New Delhi.
・Sharma, Shiv Chander (1997) ANTIQUITIES, HISTORY, CULTURE AND SHRINES OF JAMMU. pp.163+pls. Vinod Publishers & Distributors, Jammu Tawi.
・棚瀬慈郎 (2001) 『インドヒマラヤのチベット世界 -「女神の園」の民族誌』. pp.211. 明石書店, 東京.
・Tobdan (1984) HISTORY & RELIGIONS OF LAHUL : FROM THE EARLIER TO CIRCA A.D. 1950. pp.viii+111. Books Today, New Delhi.
・Weare, Gary (1997) TREKKING IN THE INDIAN HIMALAYA : 3RD EDITON. pp.265. Lonely Planet Publications, Hawthorn(Australia).

2009年3月18日水曜日

「リンポチェ氏?」の巻

前回の「トンドゥプ・ツェリン"氏"」問題の続きとして書いたものですが、長くなったので独立させました。

現代のチベット系人名には、通常「姓(氏)」に類する家系を示す要素は入らず(注1)、よって敬称のつもりでも「氏」をつけるのはおかしくないか?というのが前回したお話。

しかし世の中にはさらにおかしな表記が出回っていまして、こちらは問題ですらあります。新聞やウェブサイトでよく見かけるその珍妙な表記は「○○・リンポチェ氏」。

リンポチェ(rin po che)とは、rin(価値)+po(形容詞を表す語尾)+che(大きな)と分解でき、物に対する場合は「宝珠」、人に対する場合は「高貴なるお方」を意味します。通常は仏教(ボン教でも)において、尊敬されるべき宗教者に対して送られる尊称です。対象は出家者でも在家の行者でもかまいません。

これは法名(注2)でもなく尊称ですから、それに「氏」をつけるのは変もいいところ。いうなれば「弘法大師氏」と呼んでいるようなもので、これならおかしいことが理解できるでしょう。「○○・リンポチェ」と呼ぶだけで充分尊称になっているのですから、あとには「さん」も余計だし、「氏」ではかえって誤り。

「○○・リンポチェ氏」と書いた後、「リンポチェ」が姓(氏)だと思いこみ、○○を省略し「リンポチェ氏」を繰り返すと恥の上塗りです。これでは固有名詞として全く意味をなさず、いくらなんでもひどすぎます。「リンポチェ」の用法くらい調べた上で記事を書いていただきたいものです。

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ボン教研究者のSamten Gyaltsen Karmay(bsam gtan rgyal mtshan mkhar smad)さんの場合、フランスに帰化しKarmayを姓として名乗っているらしい。この場合は堂々と「カルメイ氏」という表記が可能(「y」は例によって欧米人が発音しやすいようにつけた余計な「y」だから「カルメー」という表記の方がいいかも)。(追記参照)

同じように日本に帰化したPema Gyalpo(padma rgyal po)さんの場合も今は「ペマ・ギャルポ氏」で問題なし。でも、姓はペマ?ギャルポ?それともなにか氏族名を戸籍上の姓に使っているんでしょうか?

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(注1)
チベット人の名前一般については下記サイトをご参照あれ。

・カンツォ・著、星泉・訳 : チベット人の名前
ホシイズミ博士のチベット語研究室 > チベット文化のページ > チベット人の名前
http://www3.aa.tufs.ac.jp/~hoshi/bunka/name/name.html

(注2)
例えば、チベット亡命政府主席大臣(bka' blon khri pa)はサムドン・リンポチェ(zam gdong rin po che)だが、この名は尊称。法名はロサン・テンジン(blo bzang bstan 'dzin)である。

「サムドン・リンポチェ師」という表記はありのようだが、ちょっと落ち着きが悪いような気もする・・・。「ロサン・テンジン師」、これなら問題なし。

ついでなので、サムドン・リンポチェの経歴はこちらをどうぞ。

・International Congress on Buddhist Women's Role in the Sangha Bhiksuni Vinaya and Ordination Lineages > Biography of Prof. Samdhong Rinpoche
http://www.congress-on-buddhist-women.org/index.php?id=112

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(追記)@2014/06/01

Samten Gyaltsen Karmayさんのチベット語表記をbsam gtan rgyal mtshan mkhar smadとしましたが、Karmayはmkhar smadではなく、どうやらmkhar rme'uらしいことが判明しました。

この話については作業中なので、完成・アップしたらお知らせします。

2009年3月13日金曜日

「ザンスカール・ゴ・スム」の巻 ~西部チベット語の発音(5)ザンスカール語の位置づけ~

ラダック語の方言区分については、諸説を網羅できているわけではありませんが、まず

・Sanyukta Koshal (1990) The Ladakhi Language and Its Regional Perspectives. Acta Orientalia Academea Scientiarum Hungaricae, Tomus XLIV, no.1-2[1990], pp.13-22.

の区分を見てみましょう。

┌┌┌┌┌ 以下、Koshal(1990)より ┐┐┐┐┐

1. Zangskar Ladakhi : Leh(Lhe)の西方に位置するZangs-kar郡(Tehsil)全体で話されている。
2. Nub-ra Ladakhi : Lhe県(District)北部に位置するNub-ra郡で話されている。Nub-ra方言はさらに上手方言と下手方言に区分できる。
3. Stotpa dialect : Lhe県東部、Up-shi、Sak-ti、Cha-shulなどで主に話されており、その分布はチベットとの境界まで広がっている。この方言は標高の高い地方で話されているもので、「上手」を意味する「stot-pa」が表すとおり(注1)。
4. Sham-ma dialect : Lhe県北西部、Khal-tse、Ti-mis-gam、Sas-polなどの谷で話されている。
5. Central Ladakhi : Lhe Ladakhiとも呼び、Lheとその近郊で話されている。この方言はラダックの共通語にもなっており、ゆえにラダック語を代表する存在とみてよい。

└└└└└ 以上、Koshal(1990)より ┘┘┘┘┘

なお、バルティ語とプリク語は、ラダック語の外に置かれています。

「××Ladakhi」と「△△dialect」の使い分けの意味するところは、5. Central Ladakhiを基準として、3と4は5に近く、1と2は5に遠い、という意味らしい。図示すると、

┌ 1. Zangskar Ladakhi
├ 2. Nub-ra Ladakhi
│ ┌ 3. Stotpa dialect
│ ├ 4. Sham-ma dialect
└ 5. Central Ladakhi

となります。


ラダック語方言とザンスカール語分布地図

・西義郎 (1987) チベット語の方言. 長野泰彦+立川武蔵・編著(1987) 『北村甫退官記念論文集 チベットの言語と文化』所収. p.170-203. 冬樹社, 東京.

でのラダック語方言区分はこれをそのまま採用したもの。

Koshalとは独立した研究である

・Deva Datta Sharma (2003) TRIBAL LANGUAGES OF LADAKH : PART TWO. pp.vii+175. Mittal Publications, New Delhi.

でもほぼ同様の見解が取られています。

ところが、この区分にも関わらず、Koshal(1990)は、Stot-pa dialectとZangskar Ladakhiには発音の上で語頭添前字や語尾添後字が発音されないケースが多い、という共通点があることも指摘。この特徴はラダック語ではなく、ウー・ツァン方言にみられる特徴でもあります。


ザンスカールのおばちゃん

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・George Abraham Grierson(ed.)(1909)LINGUISTIC SURVEY OF INDIA VOL.III TIBETO-BURMAN FAMILY PART I GENERAL INTRODUCTION, SPECIMEN OF THE TIBETAN DIALECTS, AND THE NORTHERN ASSAM GROUP. pp.xxii+621+Appendix+7. → Reprint : (1967) Motilal Banarsidas, Delhi.

は、20世紀初頭のインド全域に渡る言語学調査報告書の一巻。この巻は、インド側西ヒマラヤの諸言語については20世紀後半に至るまでほぼ唯一の資料でした。

そこではLADAKHI(ラダック語)の章でFranckeの研究(注2)を引用し、

┌┌┌┌┌ 以下、Grierson(ed.)(1909)より ┐┐┐┐┐

Francke氏はLadakhiを3つの方言に区分している。すなわち

1. Sham方言は、西はHanu周辺から、東はSaspolaとBasgoの間あたりまでの範囲で話されている。
2. Leh方言は、Shamの東方で話されており、東はだいたいShehまで。
3. Rong方言は、Leh方言分布域の東方で話されている。

Zangskharで話されているチベット語はRong方言と同じであるが、その北西部ではSham方言の影響がみられる。一方、Rubshuでは一種の中央チベット語が話されている。

└└└└└ 以上、Grierson(ed.)(1909)より ┘┘┘┘┘

ここでいう「Rong方言」はKoshal(1990)の「stot-pa dialect」にほぼ一致するものとみられ、ザンスカール語とラダック上手の言語が似ている、とする見解も一致しています。

気になるのは「一方、Rubshuでは一種の中央チベット語が話されている」という文です。Koshalの調査はルプシュまでは手を広げておらず、このルプシュの言葉はKoshalの「stot-pa dialect」には含まれていないとみられます。よってこの内容は確認できません。

ルプシュは中国領チベットと接しており、ンガリー方言(ウー・ツァン方言)の影響が強いことは想像に難くありませんが、具体的な資料に乏しく、私にはあまり踏み込んだ考察もできない状態です。

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しかし最近の研究では、ザンスカール語やラダック上手の言葉をラダック語から切り離す傾向にあるようです。

・Institute of Linguistics, University of Bern : The Tibetan Dialects Project
http://www.isw2.unibe.ch/tibet/Dialects.htm

では

┌┌┌┌┌ 以下、上記サイトより ┐┐┐┐┐

WAT Western Archaic Tibetan-Balti dialects (Pakistan, India)
-Purik dialects (India)
Ladakhi dialects (India)
WIT Western Innovative Tibetan
Ladakhi dialects of Upper Ladakh and Zanskar (India)-North West Indian Border Area dialects: Lahul, Spiti, Uttarakhand (India)
-Ngari dialects: Tholing (Tibet Aut. Region: Ngari Area)

CT Central Tibetan-Ngari dialects (Tibet Aut. Region: Ngari Area)
-Northern Nepalese Border Area dialects (Nepal)
-Tsang dialects (Tibet Aut. Region: Shigatse Area)
-U dialects (Tibet Aut. Region: Lhoka Area, Lhasa municipality)

└└└└└ 以上、上記サイトより ┘┘┘┘┘

とし、ザンスカールとラダック上手の言葉をラダック語から切り離し、(この後述べる予定の)スピティ語などと同じ「西部改新的方言」のグループに入れています。このウェブサイトだけではその根拠はわかりませんが、上で述べた資料などを利用した上での見解と思われます。

・Wikipedia > Ladakhi language
http://en.wikipedia.org/wiki/Ladakhi_language

でも、根拠は不明ですが、

┌┌┌┌┌ 以下、上記サイトより ┐┐┐┐┐

The varieties spoken in Upper Ladakh and Zangskar are not Ladakhi but a western dialect of Central Tibetan.

└└└└└ 以上、上記サイトより ┘┘┘┘┘

という見解が取られています。

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・Bettina Zeisler (2005) On the Position of Ladakhi and Balti in the Tibetan Language Family. IN John Bray(ed.) (2005) LADAKHI HISTORIES : LOCAL AND REGIONAL PERSPECTIVES. p.41-64. Koninklijke Brill NV, Leiden(Netherland).

では、ザンスカール語をラダック語の外に出してこそいませんが、ラダック語を「音声的に保守的(な古方言)」と「音声的に改新的(な方言)」に区分し、ザンスカール語をその「改新的(方言)」に入れています(注3)。Koshal(1990)とベルン大学の間を行くような区分でしょうか。


Zeisler(2005)p.59の図の一部を複製したもの

スピティ語などのいわゆる「西部改新的方言」の位置づけはここでは不明ですが、ザンスカール語のグループと同じとみていそうな雰囲気もあります。あるいは、スピティ語などを丸ごとウー・ツァン方言に入れているのか、研究がスピティ語あたりまではまだ手が回っていないのか・・・。

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ザンスカール語とラダック上手の言葉(範囲はいまひとつはっきりしない)を、ラダック語から切り離してスピティ語などと同じ「西部改新的方言」に、あるいはさらに踏み込んで「ンガリー方言(ウー・ツァン方言)」のグループに入れる説が出てきていることは事実です。が、スッキリした結論が出ているとは言い難い。

またザンスカール語やラダック上手の言葉については、依然具体的な資料に乏しく、現状では是非を判断しかねます。

ザンスカール語がラダック語のグループに入ろうがウー・ツァン方言のグループに入ろうが、それは机の上だけの話です。それでザンスカール語の実体が変わるわけではないので、学者に任せておけばそれでいいでしょう。

ここでは「ザンスカール語は、ラダック語にはあまり見られないウー・ツァン方言と似た性格を一部示す」ということがわかれば充分です。

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また前回のエントリーでもちょっと触れましたが、ザンスカール内部でも幾分ヴァリエーションがあるのではないか?とも推測されます。

Hoshi+Tondup Tsering(1978)の語彙集に収録されている発音の中には、Koshal(1990)が述べる特徴に一致せず、ラダック語に近い発音があります。またSharma(2003)の採取した発音(こちらはよりウー・ツァン方言的)とも一部一致しません。

前回も挙げた「'bras(米)」が「ダス」@Hoshi/「デ」@Sharma。その他、「zhag(日)」が「シャク」@Hoshi/「ザ」@Sharma、「gos lag(服)」が「コエラク」@Hoshi/「コル」@Sharma、「spre'u(猿)」が「リウ」@Hoshi/「シェウ」@Sharmaなど、かなりあります。

Koshal(1990)のインフォーマントは不明。ザンスカール語については「2ヶ月の現地調査の結果」とだけ書いており、調査地点は主にパドゥム周辺とみていいかもしれない。またSharma(2003)のインフォーマントはトゥンリ(dung ri)出身。パドゥムに近い村。

一方、Hoshi+Tondup Tsering(1978)のインフォーマントであるトンドゥプ・ツェリンさん(注4)はザンスカール北西部トゥー(ドダ)川流域マンダ(man 'dra)の出身です。先ほどの「その(ザンスカールの)北西部ではSham方言の影響がみられる」が思い出されます。

ザンスカールは「zangs dkar sgo gsum(三つの門戸を有するザンスカール)」という異名を持ち(注5)、ザンスカールの中心地パドゥム~カルシャから、川沿いに三方向に交流を持っていたことが表現されています。


ザンスカール・ゴ・スム

すなわち、北西方にはトゥ(ドダ)川沿いにスル谷/プリクへ、北東方にはザンスカール川沿いにラダック中央~マルハ谷を経てレー/上ラダックへ、南方にはツァラプ川/カルギャク川沿いにラーホールへと門戸が開かれていたわけです。

よって、それぞれの方面では隣接する地方の言語の影響を受けやすく、北西部ではプリク~下ラダックの影響が、北東部では中央~上ラダックの影響が、南部ではラーホール・トゥー語(次回説明します)の影響が強いのではないか、と予想されます。この辺も調査したらおもしろいかもしれません。


トンデから北西を望む

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とまあ、ザンスカール語の位置づけというのはなかなか混迷を深めているわけですが、それだけに言語研究の対象としては、まだあまり手垢が付いていないおもしろそうなフィールドと言えるでしょう。新たな調査・研究の結果によっては「西部チベット語」区分の図式を塗りかえるキー・ロケーションなのかもしれません。

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予想外にどんどん長引いている西部チベット語の話ですが、まだヒマーチャル・プラデシュ州のチベット語(ラーホール・トゥー語、スピティ語、ニャム語)が残っています。次はその辺のお話(その前にいろいろはさまりそうですが)。

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(注1)
stod(上手)は本来、「川の上流部」を指すが、ウー・ツァンの人々にとって、単にstodというと「ヤルツァンポの上手方面=西方」を指す、ことは本blogのタイトルでも述べたとおり。

ヤルツァンポの源流がカン・ティセ付近で尽き、そこから西はインダス川やサトレジ川が西へ下り始めるのだが、そこから先をもウー・ツァンの人々は「stod」と呼ぶ。ここでは「stod」を「西」の代用として使っている、くらいに思えばよろしい。

しかし狭い範囲では、「stod」は本来の「川の上流部」の意味で使われる。従って、ラダック内で「stod」といえば「インダス川上流部=ラダック東部」を意味する。ザンスカールでも同様で「ザンスカール川上流部の支流トゥー(ドダ)川流域」を意味する。

(注2)
・August Hermann Francke (1901) SKETCH OF LADAKHI GRAMMAR. → Reprint : (1979) Motilal Banarsidass, New Delhi.

のこと。未見。

(注3)
Zeislerの区分では、プリク語をラダック語の下に置き、バルティ語と切り離しているのも独特。

(注4)
よくチベット系の人名に敬称をつけたつもりで「○○氏」と呼んでいる文章をよく見かけるが、これはどうなんだろうか?現代のチベット系人名には「姓(氏)」を示す名は入っていないのに。

例として「トンドゥプ・ツェリン」ならば、トンドゥプもツェリンも個人特有の名の一部にすぎない。その親や子が仮に「プンツォク・ノルブ」とか「ソナム・タシ」とか全く共通要素のない名前を持つのもごく当たり前のこと。

名前に「姓(氏)」を示す名が入っていない人を「○○氏」と呼ぶのは不適当じゃないだろうか。

日本や欧米だと姓(氏)+個人特有の名の連名形式だから、「麻生太郎氏」/「バラク・オバマ氏」や「麻生氏」/「オバマ氏」はありだけど、「太郎氏」/「バラク氏」はあり得ないのと同じ。

吐蕃時代のガル・トンツェンならば、「ガル氏のトンツェン」ということだから、この場合「ガル氏」あるいは「ガル・トンツェン氏」はありだろうが・・・。

私は現代のチベット系人名には「氏」は使わず「さん」をつけることにしています。よって「トンドゥプ・ツェリン氏」ではなく「トンドゥプ・ツェリンさん」。

(注5)
「ザンスカール・ゴ・スム」よりもやっぱり「サンカル・ゴ・スム」の方が語呂がいいですね。

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(追記@2009/03/14)
ザンスカール内でのヴァリエーションの話ですが、これがザンスカール内の地域差である可能性に加え、もちろん個人差である可能性もあります。

Hoshi+Tondup Tsering(1978)のインフォーマントであるトンドゥプ・ツェリンさんの場合をみてみましょう。

彼はザンスカール生まれではありますが、16歳でデリーに出てバクラ・リンポチェ(2003年に遷化した先代。インド下院議員であった。2008年に転生者が認定されている)の下で働き、その後Special Center School of Ladakhi, Delhi(おそらく現在のLadakh Bodh Viharと思われる)で学んだ、といいます。

その間、寮のルームメイトはザンスカーリだったそうですが、(インド人は別として)圧倒的にラダッキと話す機会の方が多かったはずです。彼がラダック語レー方言の影響を強く受けていたとしても不思議ではありません。

といってもこれは推測というか可能性の一つにすぎませんから、やはりザンスカール語のフィールド調査を改めてやってみないと、本当はどうなのかわからないでしょうね。

他にも、ザンスカーリでもしょっちゅう商売でカルギルやレーに出ている人、修行のためレー周辺の寺で長年過ごした僧などはザンスカール語インフォーマントとして相応しくないかもしれません。

以前、カルギルでホテルの人に「今話してるのは何語なの?」と聞いたところ、返ってきた答えは「ははは、いろんな所から来る人と話してるから、話してるのがラダッキなのかザンスカーリなのかバルティなのか、自分でももうわかんないよ」でした。

2009年3月10日火曜日

「ザンスカール?サンカル?」の巻 ~西部チベット語の発音(4)ザンスカール語~

まず最初に、「ザンスカール語」という用語についてですが、ここでは「ザンスカールで話されている言葉」程度の意味として使います。

もちろん「ザンスカール方言」でもいいのですが、これが「チベット語の一方言」(言うまでもなくこれは明らか)という意味で使うのか、「ラダック語の一方言」として使うのかで意味合いが若干違ってきます。

後述しますが、「ザンスカールの言葉」=「ラダック語の一方言」という区分には最近異論もあるようですので、ここでは「ザンスカール語」とさせていただきます。


ザンスカールの山々

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ラダック・レーからカルギルを経てザンスカールに入ると、ストレスが少し減ってほっとした記憶があります。最初はその原因がわからなかったのですが、そのうち、言葉が聞き取れるせいだ、と気づきました。

これまで書いたとおり、ラダック語やプリク語はチベット語ウー・ツァン方言とは発音や言い回しがだいぶ違い、聞き取れなかったりウー・ツァン方言流のチベット語を話しても通じないこともしばしばでした。

ところがザンスカールでは、発音はどうもラダック語やプリク語ほどスペル通りではないようなのです。響きはウー・ツァン方言/ンガリー方言に近づき、両者の中間的な性格を持っています。なるほどウー・ツァン方言の方に慣れた耳には聞き取りやすいはずです。

そもそもザンスカール(zangs dkar)という地名自体、地元では「ザンカル」や「サンカル」と発音する人もいます。つまり「ザンスカール」という音は、ラダック側からの呼び名であった、と推測されます(同様のケースに「spi ti」がありますが、これは後述)。

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ラダック語/プリク語/バルティ語、すなわち「西部古方言」に特徴的な語頭「s-」の発声は、ザンスカールではあまり聞かれません。大僧院のある「stong sde」はラダック語流に「ストンデ」ではなく「トンデ」(注1)、パドゥム(dpa' gtum)郊外の僧院「stag ri mo」も「スタクリモ」ではなく「タクリモ」です。

かといって、すっかりウー・ツァン方言流の発音というわけではなく(注2)、「gnyis(数字の2)」は「ニィース」、「'bras(米)」は「ダス」(注3)と、語尾の「-s」が残りやすい傾向はラダック語に近いようです。「las po(仕事)」も「ラスポ」、「pags pa(皮)」も「パクスパ」。

「stod(上手)」のように「トット」と発音し、ラダック語とウー・ツァン方言の中間的な発音を示す単語もあります(注4)。地名「phye」もラダック語流に「フェー」ではなく「ペー」。が、ウー・ツァン方言のように「チェー」とまでは行きません。

また、ザンスカール語独特の発音もあります。

前添字に「r-」や「s-」が来る単語でも基字が「ka」だと、「rkang(脚)」は「カハン」、「skar mo(星)」は「カハルモ」のように、「kha」的な響きに変化します。

「srog(生命)」では、基字の「sa」が消えて添足字の「-r」がピックアップされ「ロク」。「btsog po(汚い)」では「tsa」が「sa」に変化して「ソクポ」。この辺もザンスカール語独特の発音です。

それにしても、すぐ北のプリクの言葉、その発音の影響がほとんどみられないのは不思議ですが、これについては後ほど考察してみましょう。

ザンスカール語のラダック語方言としての位置づけをみていきたいのですが、これはちょっと長くなりそうなので次回に回します。

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(注1)
カタカナだと「トンデ」だが、「stong」の「t」は若干帯気音化して「θong/thong」のようになる。アルファベットで「Thonde」と表記されるのはそういう理由のようだ。

(注2)
今回のエントリーでも、私が現地で聞いた発音に加え、次の文献からも引いています。

・HOSHI Michiyo+Tondup Tsering (1978) ZANGSKAR VOCABULARY : A TIBETAN DIALECT SPOKEN IN KASHMIR. pp.viii+96. 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所, 東京.

見渡したところ、ザンスカール語のまとまった資料というのは実は世界中でこれしかない。とはいえ、この語彙集は来日中のザンスカーリから聞き取り調査をしたもので、現地調査を行ったものではない。星先生自身もラサ方言が専門なので、同研究は残念ながらこれ以上発展がなかった。

ラダック語の研究書では、ラダック語の一方言としてザンスカール語の特徴が記述されているものの、断片的に調査されているだけなのでいまだ不確定要素が多い。また研究者によって採集された発音にばらつきもみられ(インフォーマントの居住地による違いかもしれない)、ザンスカール語の全貌は把握されているとは言い難い。ザンスカール内で今後さらに方言区分がなされる可能性もあるのではなかろうか。

(注3)
・Deva Datta Sharma (2003) TRIBAL LANGUAGES OF LADAKH : PART TWO. pp.vii+175. Mittal Publications, New Delhi.

では、「'bras」=「デ」と、よりウー・ツァン方言に近い音を採取している。これだけではなく、ザンスカール語の発音は報告者/インフォーマントによって幾分ばらつきがある。

(注4)
「stod(トット)」も「θot/thot」のようになるのは「stong」と同様。

2009年3月6日金曜日

『チベットの言語と文化』 総目次 の巻

何度か登場している西義郎先生のチベット語方言論文ですが、これを収録した『チベットの言語と文化』が出版されたのは1987年。もう22年前のことです。

この本は専門書であり、記念論文集という性格上高価な上に(注1)おそらく発行部数も少なく、大きな図書館以外で一般人の目にとまる機会はまずないでしょう。

チベットの文化を総覧した本というのはたくさんありますが、単独著作ではどうしてもその方の専門に片寄りがちで、各方面隅々にまでは目が行き届かないものです。チベットの文化というのは、それだけ豊かで複雑な証拠でもあるのですが。

チベット文化の諸分野について、『チベットの言語と文化』ほどまとまった内容が一堂に会した論集というのは他に類を見ません。ここは是非どこかにもう少し入手しやすい価格で復刻してもらいたいものです。昨今の慢性的な出版不況ではなかなか難しいかもしれませんが・・・。

その『チベットの言語と文化』の総目次を挙げておきましょう。内容を推測できるよう各論文での章タイトルも入れておきます。これを見て復刊を求める方が増えることを期待して・・・(注2)。

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長野泰彦+立川武蔵・編著 (1987) 『北村甫退官記念論文集 チベットの言語と文化』. pp.439+030. 冬樹社, 東京.

■まえがき・・・・・・・・・・1~4

■目次・・・・・・・・・・5~7

■風土と歴史・・・・・・・・・・9

・栗田靖之/チベットの自然と人・・・・・・・・・・10~43
1.はじめに/2.ヒマラヤとチベット/3.チベットの範囲/4.地理区分/5.行政区分/6.気候/7.チベット族の生活/8.その他の少数民族/9.チベットの経済/10.チベットの工業/11.チベットの牧畜/12.チベットの牧畜/13.チベットの林業/14.チベットの交通

・森安孝夫/中央アジア史の中のチベット吐蕃の世界史的位置付けに向けての展望・・・・・・・・・・44~68
(前言)/1.ソンツェン・ガンポ時代(六世紀末-六四九年在位)/2.マンソン・マンツェン時代(六五〇-六七六年在位)/3.ティ・ドゥーソン時代(六七六-七〇四年在位)/4.ティデ・ツクツェン時代(七〇四-七五六年在位)/5.ティソン・デツェン時代(七五六-七九六年在位)/6.北庭争奪戦後より吐蕃王国滅亡まで(八世紀末-九世紀中葉)

・山口瑞鳳/チベットの歴史・・・・・・・・・・69~106
1.古代(前史時代/吐蕃王国の成立/唐・吐蕃の戦いと仏教/仏教の興隆と王国の分裂)/2.中世(仏教教団の復興/氏族教団と活仏教団/元朝の支配/明への朝貢)/3.近世(ツォンカパの出世/ゲルク派とカルマ派の抗争/ダライ・ラマ政権の成立/清朝支配の確立/ダライ・ラマ政権の再出発)/4.近代(イギリス・ロシアの干渉/清朝の宗主権工作/ダライ・ラマのインド亡命以後/ダライ・ラマとパンチェン・ラマの対立)/5.現代(新中国による掌握)

■言語・・・・・・・・・・107

・西田龍雄/チベット語の変遷と文字・・・・・・・・・・108~169
1.チベット語の言語-ヤルルン語の発展/2.チベット文字の導入と書写語の成立/3.チベット語方言の成立/4.近隣言語との関係/5.錯那門巴語とチベット語/6.チベット書写語とその発展/7.チベット語綴字の改訂-第一次から第三次まで/8.第二次釐定の具体例-音韻変化の反映/9.チベット口語の発展/10.チベット語方言が伝承する古形態/11.現代アムド方言の性格/12.九世紀チベット語の実態/13.チベット語歴史研究の視点-三つの視点/14.チベット語母音体系の推移/15.チベット語における声調体系の成立/16.チベット語の構造変化/17.構造変化のモデル/18.動詞句における人称指示法の発達/19.チベット人の見方「能所関係」など/20.チベット文字の起源と分布/21.チベット文字の基本字形/22.チベット文字の組み合せ様式/23.古い書写法-若干の例/24.句読点のいろいろ/25.古い句読点-若干の例/26.字体と書体

・西義郎/チベット語の方言・・・・・・・・・・170~203
1.チベット語方言研究の現状/2.チベット語とチベット方言/3.チベット語方言分布と分類

・長野泰彦/現代チベット語の文法的特徴・・・・・・・・・・204~247
(前言)/1.音論/2.文法のスケッチ/3.能格現象-他動詞文の動作者を示す助詞 -gi をめぐって

■宗教・・・・・・・・・・249

・松本史朗/チベット仏教の教理と歴史・・・・・・・・・・250~276
1.チベットへの仏教初伝/2.仏教の本格的導入/3.サムイェーの宗論/4.仏教王国の爛熟と崩壊/5.教団の再興とアティーシャの活躍/6.カダム派/7.サキャ派/8.カギュ派/9.その他の宗派とプトン教学/10.ツォンカパの教学/11.ゲルク派の発展

・御牧克己/チベット語仏典概観・・・・・・・・・・277~314
1.はじめに/2.大蔵経と蔵外文献/3.チベット大蔵経/4.敦煌出土チベット文書/5.チベット蔵外文献/6.教科書及び哲学書

・沖本克己/敦煌発見のチベット語仏教文献・・・・・・・・・・315~335
1.はじめに/2.敦煌をめぐる外況/3.敦煌発見のチベット語仏教文献の内容/4.おわりに

・立川武蔵/仏教図像・・・・・・・・・・336~367
1.パンテオンと図像/2.仏教タントリズムの「神々」/3.チベット仏教の図像集/4.チベット仏教の「神々」の分類/5.チベット仏教の「神々」

・サムテン・G・カルメイ・著、前田緑・訳/ポン教・・・・・・・・・・364~388
(1.ウルモ・ルンリン/2.シェンラブ・ミポ/3.八世紀のポン教迫害とその後の発展)-(注3)

■学藝・・・・・・・・・・389

・西岡祖秀/チベットの医学文献紹介・・・・・・・・・・390~407
1.はじめに/2.チベット医学の起源/3.根本聖典としての『四部医典』/4.二大学派の成立/5.敦煌文献中の医学文献

・金子英一/ケサル叙事詩・・・・・・・・・・408~427
1.はじめに/2.叙事詩の梗概/3.叙事詩の成立/4.叙事詩の宗教と習俗

・藤井知昭/聖と俗のはざまチベットの音楽とその周辺・・・・・・・・・・428~439
1.はじめに/2.宗教音楽/3.世俗の音楽(民謡/芸能)

■西岡祖秀+原田覚・構成/レファランス・・・・・・・・・・逆001~逆030
索引/1.読書案内/2.辞書紹介/3.大ラマ世代表/4.年表/5.吐蕃期のチベット(地図)/6.チベット主要都市・主要寺院(地図)/7.チベット概念図(地図)/8.中国内のチベット文化域における森林・草原分布模式図/9.参考文献

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このうち、「言語」の章が本書のメインにあたりますが、その内容は増補された上、現在、

・長野泰彦ほか(2000) チベット語. 亀井孝ほか・編著 (2000)『言語学大辞典 第2巻 世界言語編(中)』所収. pp.746-790. 三省堂, 東京.
・長野泰彦 (2001) チベット文字. 河野六郎ほか・編著 (2001)『言語学大辞典 別巻 世界文字辞典』所収. pp.595-601. 三省堂, 東京.

に発展しています。

例の西先生の方言論文も、「チベット語」の中に「V. チベット語現代諸方言」として収録されているので、こちらに当たるのが同論文の内容を知る一番手っ取り早い方法(注4)。

この(まさに)「大」辞典を、個人で所有している人は少ないでしょうが、市区町村の図書館でもだいたい所蔵されていますから、内容に触れることはさほど難しくないでしょう。

歴史、仏教の各章の内容についても、類書がわりにありますから、似たような内容を知ることはそう難しくないかも知れません。

しかし、森安「中央アジア史の中のチベット」(注5)、サムテン・カルメイ「ポン教」、金子「ケサル叙事詩」あたりは、他に類書がないだけに、なんらかの形での復活が熱望されます。

丸ごと復刻が無理ならば、これら単独論文を抜き出して、昨今はやりのブックレット形式で出すのはどうでしょう?新書でもいいんですが、週刊誌の特集記事を水で薄めたようなものばかり出している、昨今のお寒い状況では無理でしょうかね。

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(注1)
1987年の発行当時の定価が6000円。「日本の古本屋」で調べたところ、古書相場は7000~12000円。思ったより値上がりしていませんね。

(注2)
・復刊ドットコム > チベットの言語と文化
http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=42395

では、さっき私も入れてきて2009/03/06現在3票。100票には遠いですなあ。

(注3)
「サムテン・カルメイ/ポン教」には章区分がないが、内容はほぼ

・Samten Karmay (1975) A General Introduction to the History and Doctrine of Bon. Memoirs of the Research Department of the Toyo Bunko, no.33, pp.171-218. → Reprinted IN Samten Karmay(1998) THE ARROW AND THE SPINDLE. pp.104-156. Mandala Book Point, Kathmandu.

の1~3章の簡略版とみられるので、上記論文の1~3章タイトル和訳を附した。参考までに上記論文の全章タイトルもあげておく。

1. 'Ol-mo-lung-ring/2. gShen-rab Mi-bo/3. The Persecution of Bon in the eighth century A.D. and subsequent developments/4. The Bonpo Canon/5. The Origin of the World/6. The Bonpo Pantheon/7. The Bonpo Rituals/8. Marriage Ritual/9. rDzogs chen

(注4)
その西・方言論文の発展をまとめておくと、

・西義郎 (1987a) 現代チベット語方言の分類. 国立民族学博物館研究報告, vol.11, no.4[1987/3], pp.837-901+pl.1.
・西義郎 (1987b) チベット語の方言. 長野泰彦+立川武蔵・編著(1987) 『北村甫退官記念論文集 チベットの言語と文化』所収. p.170-203. 冬樹社, 東京.
・西義郎 (2000) チベット語現代諸方言. 亀井孝ほか・編著 (2000) 『言語学大辞典 第2巻 世界言語編(中)』所収. pp.783-789. 三省堂, 東京.

と3バージョンあることになります(英文論文などもあるのかもしれませんが、今のところ知りません)。

(注5)
同論文の原版に当たり、より詳細な内容を含んだ

・森安孝夫 (1983) 吐蕃の中央アジア進出. 金沢大学文学部論集 史学科篇, no.4[1983/11], pp.1-85.

の復刻ならばなおよい。この論文への評価は低すぎると思う(一般に知られていなさすぎる)。