2009年3月10日火曜日

「ザンスカール?サンカル?」の巻 ~西部チベット語の発音(4)ザンスカール語~

まず最初に、「ザンスカール語」という用語についてですが、ここでは「ザンスカールで話されている言葉」程度の意味として使います。

もちろん「ザンスカール方言」でもいいのですが、これが「チベット語の一方言」(言うまでもなくこれは明らか)という意味で使うのか、「ラダック語の一方言」として使うのかで意味合いが若干違ってきます。

後述しますが、「ザンスカールの言葉」=「ラダック語の一方言」という区分には最近異論もあるようですので、ここでは「ザンスカール語」とさせていただきます。


ザンスカールの山々

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ラダック・レーからカルギルを経てザンスカールに入ると、ストレスが少し減ってほっとした記憶があります。最初はその原因がわからなかったのですが、そのうち、言葉が聞き取れるせいだ、と気づきました。

これまで書いたとおり、ラダック語やプリク語はチベット語ウー・ツァン方言とは発音や言い回しがだいぶ違い、聞き取れなかったりウー・ツァン方言流のチベット語を話しても通じないこともしばしばでした。

ところがザンスカールでは、発音はどうもラダック語やプリク語ほどスペル通りではないようなのです。響きはウー・ツァン方言/ンガリー方言に近づき、両者の中間的な性格を持っています。なるほどウー・ツァン方言の方に慣れた耳には聞き取りやすいはずです。

そもそもザンスカール(zangs dkar)という地名自体、地元では「ザンカル」や「サンカル」と発音する人もいます。つまり「ザンスカール」という音は、ラダック側からの呼び名であった、と推測されます(同様のケースに「spi ti」がありますが、これは後述)。

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ラダック語/プリク語/バルティ語、すなわち「西部古方言」に特徴的な語頭「s-」の発声は、ザンスカールではあまり聞かれません。大僧院のある「stong sde」はラダック語流に「ストンデ」ではなく「トンデ」(注1)、パドゥム(dpa' gtum)郊外の僧院「stag ri mo」も「スタクリモ」ではなく「タクリモ」です。

かといって、すっかりウー・ツァン方言流の発音というわけではなく(注2)、「gnyis(数字の2)」は「ニィース」、「'bras(米)」は「ダス」(注3)と、語尾の「-s」が残りやすい傾向はラダック語に近いようです。「las po(仕事)」も「ラスポ」、「pags pa(皮)」も「パクスパ」。

「stod(上手)」のように「トット」と発音し、ラダック語とウー・ツァン方言の中間的な発音を示す単語もあります(注4)。地名「phye」もラダック語流に「フェー」ではなく「ペー」。が、ウー・ツァン方言のように「チェー」とまでは行きません。

また、ザンスカール語独特の発音もあります。

前添字に「r-」や「s-」が来る単語でも基字が「ka」だと、「rkang(脚)」は「カハン」、「skar mo(星)」は「カハルモ」のように、「kha」的な響きに変化します。

「srog(生命)」では、基字の「sa」が消えて添足字の「-r」がピックアップされ「ロク」。「btsog po(汚い)」では「tsa」が「sa」に変化して「ソクポ」。この辺もザンスカール語独特の発音です。

それにしても、すぐ北のプリクの言葉、その発音の影響がほとんどみられないのは不思議ですが、これについては後ほど考察してみましょう。

ザンスカール語のラダック語方言としての位置づけをみていきたいのですが、これはちょっと長くなりそうなので次回に回します。

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(注1)
カタカナだと「トンデ」だが、「stong」の「t」は若干帯気音化して「θong/thong」のようになる。アルファベットで「Thonde」と表記されるのはそういう理由のようだ。

(注2)
今回のエントリーでも、私が現地で聞いた発音に加え、次の文献からも引いています。

・HOSHI Michiyo+Tondup Tsering (1978) ZANGSKAR VOCABULARY : A TIBETAN DIALECT SPOKEN IN KASHMIR. pp.viii+96. 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所, 東京.

見渡したところ、ザンスカール語のまとまった資料というのは実は世界中でこれしかない。とはいえ、この語彙集は来日中のザンスカーリから聞き取り調査をしたもので、現地調査を行ったものではない。星先生自身もラサ方言が専門なので、同研究は残念ながらこれ以上発展がなかった。

ラダック語の研究書では、ラダック語の一方言としてザンスカール語の特徴が記述されているものの、断片的に調査されているだけなのでいまだ不確定要素が多い。また研究者によって採集された発音にばらつきもみられ(インフォーマントの居住地による違いかもしれない)、ザンスカール語の全貌は把握されているとは言い難い。ザンスカール内で今後さらに方言区分がなされる可能性もあるのではなかろうか。

(注3)
・Deva Datta Sharma (2003) TRIBAL LANGUAGES OF LADAKH : PART TWO. pp.vii+175. Mittal Publications, New Delhi.

では、「'bras」=「デ」と、よりウー・ツァン方言に近い音を採取している。これだけではなく、ザンスカール語の発音は報告者/インフォーマントによって幾分ばらつきがある。

(注4)
「stod(トット)」も「θot/thot」のようになるのは「stong」と同様。

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