2015年5月31日日曜日

柱建て祭りとKumari(6) lyesing dha:の意味

Bisket Jatraの柱yosinの別名lyesing dha:を調べてみましょう。

まず、わかりやすい「sing」から。これは前回の「sima(木)」と同じとみてよいでしょう。

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その前にくっつく「lye」ですが、Bhuju(2010)では、「lye」そのものはありません。似たような単語を探してみましょう。

似たような単語はたくさんあるのですが、

(1a) choose  VI  ल्यये  lyaye
(1b) elect  VT  ल्यये  lyaye

(2) harvest  VT  लये  laye

これら2群を挙げれば充分でしょう。

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(1)だとすると、「lyesing」=「選ばれた木」という意味になります。

もし正しければ、祭儀のために森から木を選び、伐採して柱に仕立てたことを表現した用語になるかと思います。

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それよりも(2)案の方が断然魅力的です。(2)だとすると、「lyesing」=「収穫の木」という意味になります。

「木から収穫物が得られる」という意味ではなく、「収穫をもたらしてくれる木」という意味でしょう。

(2)の可能性の方が高いと思いますが、正確なところは地元の人に訊かないとわかりません。

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「dha:」ですが、これは

god N  द्यः  dyah

で問題なし。インド・アーリア語のdevaがなまってネワール語化したものです。似たような単語に「deo」というのもあります。

この単語はBunga Dyahなど、ネワール語の神の名でよく出てきます。

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まとめると「lyesing dha:」=「収穫の木の神」となります((2)の意味だったとして)。

「yosin」、「lyesing dha:」を合わせて考えると、Bisket Jatraの柱は「収穫を願い、これを叶えてくれる樹神」ということになるでしょう。

Bisket Jatraの現在の祭儀や伝わっている縁起からでは全くわからない、聖樹信仰の姿が浮かび上がってきました。

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これは、前述のBisket Jatraの縁起とはだいぶ違う印象です。「悪役蛇退治を記念する祭り」と「樹神への豊穣祈願の祭り」とでは、祭りの主旨は全く違うように見えます。

しかしこの間に、ある存在を咬ませると解釈は容易になります。現在のBisket Jatraでは巧妙に隠蔽されている、その存在とは「Naga」。

2015年5月27日水曜日

柱建て祭りとKumari(5) yosinの意味

・Sabin Bhuju / NewaWiki Dhuku : English - Nepal Bhasa Dictionary ver 1.0.01 (release date 2010-11-05) 332+pp.
http://np.com.np/nbd

を使って、Bisket Jatraの柱yosin、lyesing dha:の意味を調べてみましょう。

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まずはyosinから。

sinは簡単です。

tree  N  सिमा  simā

に間違いありません。

これはチベット語「ཤིང་ shing木」と同源の単語ですね。さすがチベット・ビルマ語系の親戚同士。

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次にyoですが、

interest  N  यो  yo

という単語が見つかります。「yosin」で「興味の木」。でも、これではなんだかわかりませんね。

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関連していそうな単語を他にも探しましょう。

Newar語では、単語の語末子音が消滅し長母音化する傾向にあります。例えば、

नेपाल भाषा Nepal Bhasa → नेवाः भाय्  Newa: Bhay

といった具合です。

yoも語尾子音が消滅、あるいは省略されたものと考えてみましょう。

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ability  N  याये  yaye
ability  N  योग्यता yogyata
able  A  योग्य yogya
adapt  VT  योग्ययाये yogya yaye
adequate  A  योग्य yogya
advisable  A  योग्य yogya
appropriate A  योग्य yogya
apt  A  योग्य yogya
aptitude  N  योग्यता yogyata
attainment  N  योग्यता yogyata
becoming  A  योग्य yogya
behove  VT  योग्य जुये yogya juye
beneath  Prep  योग्य मजुगु yogya majugu

「できる」「適合させる」「適切な」「なる」「望ましい」「達成」「の下」といった意味が出てきます。

何やら姿が見えてきました。

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もう一つ

・寺西芳輝 (2004) 『話せるネワール語会話(ネパールの民族語)』. 157pp. 国際語学社, 東京.

も引いておきましょう。

「好き」とあります。

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もうわかりましたね。「yosin」は「願いを叶えてくれる樹」=「如意樹(कल्पवृक्ष Kalpavriksha)」なのです(注)。

スペルは योसिम あるいは योसिं になるでしょうかね。

次回はもう一つの方「lyesing dha:」を調べてみましょう。

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(注)

Kalpavrikshaは、Kalpataru(कल्पतरु)、Kalpadruma(कल्पद्रुम)、Kalpapadapa(कल्प पादप)とも呼ばれます。漢名は、音訳の「劫波樹」と意訳の「如意樹」。

乳海攪拌の際に大海に生じた香樹Parijata(पारिजात)を、Indraが天界の庭Nandanavana(नन्दनवन)に移しました。この樹を崇拝するものは、あらゆる願いが叶うとされます。願いの内容は財産、幸運といった現世利益。

また、Shivaの妻Parvati(पार्वती)が娘の誕生をKalpavrikshaに願い、娘Ashokasundari(अशोकसुंदरी)を得た、ともされます(『Padma Purana पद्म पुराण』)。

この如意樹は、具体的にはBanyan(वट Vata)樹をモデルにしているようです。

参考:

・斎藤昭俊 (1984) 第三 インドの樹木崇拝. 『インドの民俗宗教』所収. pp.57-84. 吉川弘文館, 東京.
・菅沼晃・編 (1985) 『インド神話伝説辞典』. pls.+23+454pp. 東京堂出版, 東京.
・宮治昭 (1999) 聖樹信仰と仏教美術. 『仏教美術のイコノロジー インドから日本まで』所収. pp.78-109. 吉川弘文館, 東京.
←原版:宮治昭 (1994) インドの聖樹信仰と仏教美術(I). 田島敏堂・編 『開発における文化(2)』(名古屋大学大学院国際開発研究科平成五年度共同研究報告書/開発叢書5)所収. 名古屋大学大学院国際開発研究科, 名古屋.
・Wikipedia (English) > Kalpavriksha (This page was last modified on 13 April 2015, at 05:40)
http://en.wikipedia.org/wiki/Kalpavriksha

2015年5月23日土曜日

Devanagari文字入力方法とスペル調べ

仏教学やインド学を専門としていらっしゃる方々には、何の役にもたたない内容ですが、私のような一介の町民向けの内容ということで。

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ヒンディ語、サンスクリット語などを表記するDevanagari文字を打ち始めたのは2000年頃でした。

当時はパソコンでDevanagari文字を入力する環境は貧弱なものでした(私の環境は今もですけどね)。

DevanagariおよびDevanagari Newというフォントをダウンロードして打ち始めたのですが、このフォントのコードの割り振りは独自のものでした。

そこで、このフォント用にキーを割り振る必要があります。それがこれ。










一般的な地名や寺院名を打つくらいでしたら、これで充分でした。Himachal Pradeshのガイドブック(毎度おなじみのボツのやつね)はこれで全部Devanagariを打ちましたが、特に困ることはなかったと思います。

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その後しばらくはDevanagariを打つ機会はなかったのですが、そのうちにUnicodeにもDevanagariが配されていることを知り、Unicode表から拾ってチョロチョロ打ったりしていました。

よく使うフォントであるMS Pゴシック、Arial、Times New Romanなどは、みなDevanagari Unicodeに対応していますから、日本語や英語を入力していてDevanagariを挟むときでも、いちいちフォントを変える必要もなく、なかなか使い勝手が良い。

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でも、コード表から拾っているだけですと、結合文字などは打てませんし、限界があります。

Unicode Devanagari用キーボード配列などもありますが、ソフトも入れなくちゃならないしちょっと鬱陶しい。

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そこで、もっとお手軽に、そう、Web上で変換してくれるようなサイトはないもんか?と探していたら、ありました。

・Ashesh / Ashesh's Blog > WEB APP & SERVICES : Nepali Unicode(before 2014/02)
http://www.ashesh.com.np/nepali-unicode.php

上欄(Type Romanized Nepali)にアルファベットで打つと、下欄(Nepali Unicode)でネパール語Devanagariに変換してくれます。やあ、これは便利。

このサイトが優れているのは、オンライン時だけではなく、オフラインでも機能するところ。ウェブページを保存したものでも機能します。

だと思って、さっきまた保存しようとしたら、今はウェブページの保存はできなくなっていました。ダウンロードしてインストールした上で動かすようになっています。

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しかし問題もあって、これはネパール語に特有の問題なんですが、ネパール語では長母音と短母音があまり区別されません。

このサイトでも、短母音と長母音の区別がうまくいかないケースがままあります。

「短母音イ」は「i」とタイプしますが、長母音「イー」は「ee」とタイプします。これだけならなんとか対応できますが・・・。

よく使う単語、例えば「Nepali」などは、「nepali」と打つと「नेपाली」という具合に、短母音形式で打っても、「pa」も「li」も長母音で表されます。いや、正しいんですけど、「入力=短母音 → 出力=長母音」の加減がわからない。

こういった例外が少なからずあって、思うように出力されずイライラする時がかなりあります。ネパール語話者にはこれが便利なのでしょうが、かなり癖がありますね。

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他にないもんかと探すと、こういうのもあります。

・Easy Nepali Typing : Type in Nepali : Type in English, Get in Nepali(2012)
http://www.easynepalityping.com/

English To Nepali Typingで入力すると、「nepali」はまた「नेपाली」と出てしまいます。正しいんですけどね。

でも、Nepali Unicode Typingで入力すると、「nepali」は「नेपलि」と出ます。こちらでは短母音は小文字で、長母音は大文字で入力するのです。すると、「nepAlI」は見事「नेपाली」と出力されます。

下に出るTyping Suggestionsもなかなかいい感じです。

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姉妹サイトで、

・Easy Hindi Typing : Type in Hindi : Type in English, Get in Hindi(2012)
http://www.easyhindityping.com/

というのもあります。最近は、もっぱらこれを使っています。

両者がどの程度違うのか、きちんと調べたことはないのですが、ネパール語の癖を嫌う人はこちらを使ったほうがいいかもしれません。

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調べ物をしていて、人名・地名がアルファベット表記でしか得られない時、Devanagari表記も知りたいものです。

で、当然検索をかけて、両方の表記があるサイトを探したりするのですが、両方載せているサイトはなかなかないのです。

そういう時は、ここを使っています。

・gla, ran & nar / spokensanskrit.de Dictionary VERSION 4.2(2005- 2015)
http://spokensanskrit.de/

これは、Devanagari文字、アルファベット転写、英語、いずれを入力してもSanskrit語の単語がDevanagari文字表記で出てくるという優れ物です。けっこういい加減に入力しても、いくつか候補を挙げてくれるので便利なことこの上ない。本当にありがたい。

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ただし「シヴァ」などは「ziva」と入力しないと「शिव」と出てくれませんから、少し癖はありますが。

それから、このサイトの一番の問題点は、よく落ちていること(笑)。

便利なサイトですから、アクセス数はかなり多いと思われます。肝心なときに使えないことが多いので、この点は困ったもんです。そういうわけで、皆さんは必要以上にアクセスしないでね。

いや、しかし便利になったもんです。

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さあ、これらの道具を使って、yosin、lyesing dha:の意味を調べてみましょう。柱建て祭りとKumariの話に戻ります。

2015年5月20日水曜日

ネワール語辞書

Newar人はKathmandu盆地の原住民です。形質的にはモンゴロイド。中国の四川・雲南省からインド亜大陸のヒマラヤ南縁にかけて広く住むモンゴロイドたちの一員(注1)。私たち日本人とも似ています。

彼らが話す言語がネワール語(नेवारीNewari)=Nepal Bhasa(नेपाल भाषा)=Newah Bhay(नेवाः भाय्)です。

ネワール語はシナ・チベット語族チベット・ビルマ語派に属します。インド・アーリア語であるネパール語(Nepali)とは全く別の言語。

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ネワール語について、より詳しくは、

・石井溥 (1992) ネワール語. 亀井孝+河野六郎+千野栄一・編著 『言語学大辞典 第3巻 世界言語編 (下-1)』所収. pp.37-45. 三省堂, 東京.
・カマル・P・マッラ (2001) 古典ネワール語辞典の刊行に寄せて. トヨタ財団レポート, no.95[2001/05], pp.1-3.(注2)
https://www.toyotafound.or.jp/profile/foundation_publications/zaidanreport/data/tr_no95.pdf
・Wikipedia(English) > Newar language(This page was last modified on 22 April 2015, at 18:24)
http://en.wikipedia.org/wiki/Newar_language

あたりをご覧ください。

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ネワール語を表記する文字は、主にDevanagari文字が使われています。他にもRanjana文字など様々な文字が使われてきましたが、どれもDevanagari文字と同じくインド系の文字です。

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以前、

2009年8月9日 「ブルシャスキーって何語?」の巻(12) Pavel Pouchaによるブルシャ語タイトルの解釈

で、ブルシャ語、シャンシュン語を検討する中で、ネワール語をちょっと取り上げました。

私が持っているネワール語に関する資料は、そこで挙げた

・Tej R. Kansakar (1989) ESSENTIAL NEWARI PHRASEBOOK. 54pp. Himalayan Book Centre, Kathmandu.

だけです。簡単な語彙集はついていますが、かなり物足りない。会話の入門編としてはこれで充分なのですけどね。Devanagari文字表記もないし。

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・寺西芳輝 (2004) 『話せるネワール語会話(ネパールの民族語)』. 157pp. 国際語学社, 東京.

こちらは語彙集が充実しており(ページの半分が語彙集)、Devanagari文字表記もあります。

なかなか使いでがあるのですが、一方では文法の解説が少なく、応用しづらい、という難点があります。

しかしまあ日本語でネワール語についての本が出た、というのは画期的なことでした。

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ここら辺を使ってネワール語を調べようとしても、なかなか満足行く結果は得られません。どうしても、そこそこ詳しいネワール語辞書が必要です。

ネワール語辞書といえば、

・Hans Jørgensen (1936) A DICTIONARY OF THE CLASSICAL NEWĀRĪ. 178pp. Levin & Munksgaard, Kobenhavn(Copenhagen).
→ Reprinted : (1989) Asian Educational Services, New Delhi.
・西村勤 (1980) JAPANESE, NEPALI, DICTIONARY (FOR CONVERSATION) : 2000 WORDS (DUI HAJAAR BALI) : JAPANESE, - ENGLISH, - NEPALI, -NEWARI. 83pp. Tsutomu Nishimura, Japan?.
・Thakur Lal Manandhar, Anne Vergati (ed.) (1986) NEWARI - ENGLISH DICTIONARY : MODERN LANGUAGE OF KATHMANDU VALLEY. xlix+284pp. Agam Kala Prakashan, Delhi.
・Kamal P. Malla etal. (ed.) (2000) A DICTIONARY OF CLASSICAL NEWARI : COMPILED FROM MANUSCRIPT SOURCES. xxxviii+530pp. Nepal Bhasa Dictionary Committee, Kathmandu.
・Kamal Tuladhar (2003) ENGLISH – NEPAL BHASA DICTIONARY. 444pp. J.R.Tuladhar, Kathmandu.

あたりになるようですが、どれも外語大図書館にでも行かないとお目にかかれないようなものばかりで、敷居が高い。

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ネット上でそこそこ詳しい辞書は拾えないもんかなあ、と探していたところ、Android向けの電子辞書で、

・Google Play > np / Nepal Bhasa Dictionary ver 1.1(update 2013/03/23)
https://play.google.com/store/apps/details?id=np.com.np.nbd

というのがありました。英-ネワ辞書です。つまり英語→ネワール語。

Devanagari文字表記もあります。ただし私が使っているスマホとは相性が悪いようで、Devanagari文字は一部正しく表示されません。アルファベット転写もあるので、まあなんとか使えるのですが。

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しかしこの辞書、スマホのみでパソコンでは使えません。

スマホで検索しては、パソコンでネワール語をDevanagari文字やアルファベット転写で打って、という作業を繰り返していたのですが、かなり面倒です。

前述のようにDevanagari文字表記はちゃんと出ないし、アルファベット転写を見ながら補正しつつ入力する必要もあるし、大変です。

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なんとかパソコン上で使えないものかと探索していたところ、この電子辞書のデータベース版がPDFで存在することがわかりました。

・Sabin Bhuju / NewaWiki Dhuku : English - Nepal Bhasa Dictionary ver 1.0.01 (release date 2010-11-05) 332pp.
http://np.com.np/nbd

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語彙数は約6500。私程度の利用者であれば、かなり使いではあります。

英語  品詞  Devanagari文字  Newar語のアルファベット転写

の順に表記されています。Adobe Acrobatの検索機能を使えば、ネワ-英、英-ネワ、双方向の電子辞書として使えます。

ただし、Devanagari文字はUnicodeではないようで、私は今のところDevanagariでは検索できないでいます。今後の課題。

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しかし、これでだいぶネワール語の単語を調べるのは楽になりました。yosin、lyesing dha:の調査も、これで進展しました。

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で、yosin、lyesing dha:の意味に行くのですが、もう1回寄り道して、Devanagari文字表記の調べ方と入力方法についてレポートしておきます。

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(注1)

ヒマラヤ南縁のモンゴロイドで、チベット・ビルマ系言語話者を総称する用語としてKirata(किरात)という言葉があります。

なかなか便利な言葉なのですが、あまり普及してないですね。

「Kiranti(किराँती)諸語」という用語もありますが、これはネパール東部のRai(राई)語やLimbu語(लिम्बू)などをまとめたもので、前述のKirataよりもかなり狭い範囲を示します。語源は同じですが。

(注2)

余談ですが、同じ号に載っている

・星泉 (2001) 星家とチベット語 家族と学問. トヨタ財団レポート, no.95[2001/05], pp.6-8.
https://www.toyotafound.or.jp/profile/foundation_publications/zaidanreport/data/tr_no95.pdf

も大変面白い読み物です。いつか「星泉全集」が出版される際には、是非収録していただきたい。

2015年5月16日土曜日

柱建て祭りとKumari(4) Bisket Jatraの縁起

Bisket Jatraで建てられ、そして倒される柱Yosinとは何でしょうか?

Yosinは約25mの柱です。祭りの直前に近隣の森から切りだされた松の柱(寺田1994)。

Vikram暦の大晦日に建てられ、その翌日である元日には倒されてしまいます。その間わずか一日。

この柱は、建てられることよりも「倒されること」に重点が置かれているようです。

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Bisket Jatraの柱には二本の幟(のぼり)がぶら下がります。これは二匹の蛇を表すものとされ、その縁起は二種類伝わっています(寺田1994)。

(1)神話時代(注)。王女が結婚する相手は皆早死。他国の王子がその王女に取りついた二匹の蛇を退治し、めでたく王女と結婚し王となる。これを記念する祭りがBisket Jatra。

(2)Liccavi朝Shivadeva(शिवदेव)王[位:590-603]の師であるShekhar Acarya(शेखर आचार्य)とその妻が蛇の姿となってしまう。人間の姿に戻れない二人は悲観して自殺。これを弔う祭りがBisket Jatra。

というものです。

どちらも古い時代に起源が置かれており、Bisket Jatraの歴史が古いことを物語っています。

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(1)も(2)も、蛇は悪さをする悪役に仕立てられているようですが、これは本来の姿なのでしょうか。

ここで重要となってくるのが、柱の名称yosinとその別称lyesing dha:です。

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これはどちらもネパール語ではなく、ネワール語のようです。ではネワール語の辞書が必要となるのですが、普通持っていませんよね(笑)。

ちょっと寄り道して、ネワール語の辞書の話をしましょう。

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(注)

これをBhadgaon(Bhaktapur)Malla朝の王Jagajjyotirmalla(जगज्ज्योतिर्मल्ल) [位:1613-37]の時代とする説もあります。しかしこの王が始めたのは、BhairavとBhadrakaliのrath巡行儀式だけのようです(佐伯2003)。

なお、この王の時代にRaj Kumari(Royal Kumari)制度が始まったとする説もありますが、一般にはKantipur(Kathmandu)Malla朝最後の王Jayaprakashmalla(जयप्रकाशमल्ल)[位:1750-69]がRaj Kumari制度を確立した、とする説が多いようです。

Jagajjyotirmalla王の父王Trailokyamalla(त्रैलोक्यमल्ल)[位:ca.1573-1613]とする説、Lalitpur(Patan)Malla朝の王Siddhinarasinhamalla(सिद्धिनारसिंहमल्ल)[位:1618-61]- Shrinivasmalla(श्रीनिवासमल्ल)[位:1661-84]親子の時代にRaj Kumari制度が始まった、とする説もあり錯綜しています。

Raj Kumari制度、すなわちMalla王家/Shaha王家および女神Taleju(तलेजु)との関係が強調されたKumari制度の開始については、いずれ詳しくやります。

2015年5月12日火曜日

柱建て祭りとKumari(3) Bisket Jatra

植島先生の研究で物足りない点を挙げるとすれば、それはBisket Jatraへの言及が少ないところでしょうか。

Indra JatraやMatsyendra Jatraの解明には、Bisket Jatraが鍵を握っている、と私は考えています。

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Bisket Jatra(बिस्केट जात्रा)とは、Kathnmanduの東12kmにあるBhaktapur(भक्तपुर)で4月に行われる、これも柱建ての祭りです。

今年も盛大に開催されました。大地震前でしたから、無事に終了しています。

・eKantipur.com > Bisket Jatra kicks off in Bhaktapur (Posted on: 2015-04-11 09:19)
http://www.ekantipur.com/2015/04/11/capital/bisket-jatra-kicks-off-in-bhaktapur/403932.html
・eKantipur.com > Bisket Jatra concludes (Posted on: 2015-04-19 08:57)
http://www.ekantipur.com/the-kathmandu-post/2015/04/18/news/bisket-jatra-concludes/275539.html

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Bisket Jatraには様々な要素が詰め込まれていますが、その基本は新年祭およびその年の豊穣を祈願する祭りです。

Bisket Jatraが始まるのは、ヴィクラム暦(विक्रम सम्वत् Vikram Sambat)の年末、すなわちCaitra月(चैत्र)の月末、太陽暦では4月上旬。Bhairav(भैरव)とBhadrakali(भद्रकाली)のrath(रथ 山車)が街中を巡行し始めます。

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大晦日(Caitra月末日)には、町の南、Hanumante(हनुमन्ते)川に面した広場Yosin Khel(注1)に、YosinあるいはLingoと呼ばれる柱が建てられます。

Lingoは明らかにShivalinga(शिवलिङ्ग)の意味ですが、これは単に柱の形状をShivalingaに見立てただけで、この祭りではShivaの出番は一切ありません(注2)。

Yosinの意味、Devanagari文字での綴りはわかりませんでした。後ほど私が推定した意味・スペルを紹介します。

また、Wikipedia(2015)では、「Lyesing Dha:」という別名も記録されています。実はこれが重要!この名称についても後ほど。

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その翌日がVikram暦の新年元日(すなわちBaishakh月 बैशाखの元日)になります。

前日に建てられたYosinは、この日にはもう倒されてしまいます。これが新年を祝う儀式になるのです。Yosin Khelは人で埋めつくされ、熱狂のうちに柱が倒されます。

そして、BhairavとBhadrakaliのrathがぶつかり合うという、タントラ的な儀式を最後に祭りは終了します。むしろこちらが最大の盛り上がりを示すようです。

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BhairavとBhadrakaliのrath巡行・ぶつかり合いは17世紀に付加された儀式とみられており、Bisket Jatraの主旨ではないと感じます。

Kathmandu盆地の祭りは、このように祭りの原型の上に後世様々な要素が付加されており、きちんと整理して見ていかないと祭りの本質が見えてきません。

古い歴史を有するKathmandu盆地の文化ならではの難しさであり、おもしろさでもありますね。

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ではこのBisket Jatraは、いったいどういう由来を持つ祭りなのでしょうか?というのが次回のお話。

ちなみにこのBisket Jatraでは、Kumariは全く登場しません。実はかえってそれがKumari信仰を解明するキーとなるのです。

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参考:

・寺田鎮子 (1999) ネパールの柱祭り. 自然と文化, no.61(アジアの柱建て祭り)[1999/09], pp.16-17,24-31.
・佐伯和彦 (2003) 『ネパール全史』(世界歴史叢書). 767pp. 明石書店, 東京.
・sazen / newari culture > THE BISKET JATRA (Posted by sazen at 2012-05-08 4:41AM)
http://newariculturenepal.blogspot.jp/2012_05_01_archive.html
・HotelTravel.com > Nepal > Kathmandu > Articles on Kathmandu > Samia El-Balawi / Bisket Jatra: Festival of Legends(as of 2015/05/02)
http://www.hoteltravel.com/nepal/kathmandu/bisket-jatra-festival-of-legends.htm
・Wikipedia(English) > Bhaktapur(This page was last modified on 3 May 2015, at 02:03)
http://en.wikipedia.org/wiki/Bhaktapur

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(注1)

Yosin Khelは、寺田(1994)では「ヤーシン・キャー」と表記されています。この広場にはBhadrakali Mandir(भद्रकाली मन्दिर)とBhimsen Mandir(भीमसेन मन्दिर)があります。

(注2)

BhairavはShivaの忿怒形ですが、柱Yosinとは直接の関係はないのです。

2015年5月9日土曜日

「インドのイム」展 装飾写本の謎

どうも腑に落ちない点があったので、前回の3経典について考えてみました。

なかなか「柱建て祭りとKumari」に進まないですが、まあ先は長いので、焦らず行きましょう。

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まずおさらいしておくと、展覧会場の表示や図録では、

(1)『八千頌般若波羅蜜多経』 パーラ朝 11世紀
(2)『五護陀羅尼経』 東インド 14世紀
(3)『仏説大乗荘厳宝王経』 東インド 14世紀頃。

とあります。

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私が感じた疑問は、特に(2)(3)の年代。

14世紀といえば、インドではすでに仏教は滅びているはずです。当時、東インドのどこで、このような経典写本が作られていたのでしょうか?

で、これは東インドではなくネパールではないか?というのが私が感じた疑問でした。

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(1)(2)(3)の文字を見てみます。これはどうもRanjana文字(रञ्जना लिपि Ranjana lipi)やPrachalit文字(प्रचलित लिपि Prachalit lipi)のように見えます。いずれもネパールの文字です。

Ranjana文字は、11世紀頃からネパールに現れる文字で、非常に装飾性の強い文字です。この文字はチベットにも伝わり、経典のタイトル、マニ石、マニ車などでよく目にします。

チベット語ではランツァ(ལན་ཚ་ lan tsha)文字と呼びます。RがLに交代しているのが珍しいですね。

Prachalit文字は「"狭義の"Newar文字」とも呼ばれ、Ranjana文字ほど装飾性は強くありませんが、やはり肉太の線で書かれることが多く、見た目が美しい文字です。日本の勘亭流っぽかったりします。

この辺になると、「文字の区分」というよりは「書体の区分」になってきますね。

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このRanjana文字、Prachalit文字が使われたのは、主にネパールです。インド方面にはどの程度普及したのでしょうか?私には知識がありません。私は、ネパールかチベットがらみでしか見たことがない。

すると、(1)(2)(3)は、いずれもネパールのものである可能性が高いと見ます。

特に14世紀と推定されている(2)(3)が東インドのものだとすると、すでに仏教が滅びているはずの東インドのどこか?というのは大きな問題です。

でも、現在まで仏教が絶えることのなかったネパールのものだとすれば、この問題は解決するわけです。

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田中+吉崎(1998)には、ネパールでは『八千頌般若波羅蜜多経』や『パンチャラクシャー(五護陀羅尼経)』がさかんに写経された、とあり、また、現在残っている装飾写本も、インドのものに比べネパールのものが圧倒的に数が多いことも示されています。

やはり、(1)(2)(3)いずれも出処はネパールでしょう。

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とすると、11世紀とされている(1)の年代はもう少し下がるかもしれません。

このスタイルの壁画がチベットに現れるのは13~15世紀です。それとあまりにも似すぎています。そんなに年代が離れているとは思えません。

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(2)の年代も、14世紀より少し下がるかもしれません。この絵柄と似た新グゲ様式が西チベット~ラダックで流行するのは、15~17世紀。そちらに合わせた方がいいかもしれません。

とはいえ、装飾写本の方は、拡大するとかなり雑な絵ですから、精緻な新グゲ様式絵画と対比できるのか?という気もしますけどね。

まあ、これは雑な仮説の一つ、という程度で。

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(3)が東インドのものだとすると、中国絵画の影響を感じさせる風景描写が、なぜに14世紀の東インドに出てくるのか、不思議な話になります。

インド絵画では、いわゆる細密画(miniature)に風景描写が見られます。これも中国絵画の影響とみられていますが、その経路は、

元朝(中国)の中国絵画
→フレグ・ウルス(イル汗国)(ペルシア)のミニアチュール
→サファヴィー朝(ペルシア)のミニアチュール
→ムガル帝国(インド)のミニアチュール
→インド各地のミニアチュール

というもので、インドに到達するのは17世紀以降。

(3)で見られる技法は、少なくともこちらのルート経由で伝わったものではないはずです。

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しかし、これも(3)がネパールのものと考えれば、それほど不思議ではなくなります。

13世紀後半、チベット人帝師パスパ(འགྲོ་མགོན་ཆོས་རྒྱལ་འཕགས་པ་བློ་གྲོས་རྒྱལ་མཚན་ 'gro mgon chos rgyal 'phags pa blo gros rgyal mtshan 八合斯巴/八思巴)経由で、元朝フビライ・ハーンに大都(今の北京)に招かれたネパール人仏師・阿尼哥(अरनिको Arniko 1244-1306)の存在は有名です。

当時、ネパール-チベット-中国の間での人の動きはかなりあったようです。

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そんな中で、中国絵画の風景描写を取り入れた、チベット絵画の新派(メンリ派(སྨན་རིས་ sman ris)、キェンリ派(མཁྱེན་རིས་ mkhyen ris)、カルマ・ガディ派(ཀརྨ་སྒར་བྲིས་ karma sgar bris)など)が東チベット=カムに現れてくるのは15~16世紀のことです。

それに先駆けて、14世紀の東インドに、似たようなスタイルが突如現れる、というのはちょっと無理があるような気がします。

でも(3)がネパールのものならば、そんな無理は減るわけです。チベット-ネパール間の政治・宗教・商業での交流は、当時も途絶えることがなかったようですし。

東チベットでの新しい絵画の動きがネパールまで伝わったと考えるのは、さほど無理はないでしょう。

しかし、(3)も年代は、チベットでの流れに合わせて15~16世紀と少し下げた方がいいのかもしれません。もっとも、経典の奥書に年代が示されているのであれば、その限りではありませんが。

ここまでの参考:

・田中公明+吉崎一美 (1998) 『ネパール仏教』. vii+264+14pp. 春秋社, 東京.
・石井溥 (2001) ネワール文字. 河野六郎+千野栄一+西田龍雄・編著 『言語学大辞典 別巻 世界文字辞典』所収. pp.712-718. 三省堂, 東京.
・Shelley & Donald Rubin Foundation / Himalayan Art Resources > Introduction (to Himalayan Art) > Introduction : Art History Essays & Articles > David Jackson (2003) Painting Styles in the Rubin Collection : Identification and Clarification.
http://www.himalayanart.org/exhibits/david/davidj.html
・Michael Everson (2009) Roadmapping the scripts of Nepal.
http://std.dkuug.dk/jtc1/sc2/WG2/docs/n3692.pdf
・Anshuman Pandey (2011) Preliminary Proposal to Encode the Prachalit Nepal Script in ISO/IEC 10646.
http://std.dkuug.dk/JTC1/SC2/WG2/docs/n4038.pdf
・Anshuman / Anshuman Pandey : Historian – Technologist – Linguist > Saturday, May 7, 2011 The 'Prachalit Nepal' Script
http://anshumanpandey.blogspot.jp/2011/05/prachalit-nepal-script.html
・SIL International / SCRIPTSOURCE : Writing systems, computers and people > Scripts > Scripts currently in use : Stephanie Holloway+Raymondmj / Newar (Prachalit Nepal) Indic (Created 2010-06-01 10:00:38 by stephanie_Holloway, Modified 2014-03-20 07:34:40 by raymondmj)
http://scriptsource.org/cms/scripts/page.php?item_id=script_detail&key=Qabc
・Wikipedia (English) > Prachalit Nepal alphabet (This page was last modified on 11 March 2015, at 23:56)
http://en.wikipedia.org/wiki/Prachalit_Nepal_alphabet
・東京国立博物館+日本経済新聞社+BSジャパン・編 (2015) 『特別展 コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏 仏教美術の源流』. 208pp. 日本経済新聞社, 東京.
・Wikipedia (English) > Ranjana alphabet (This page was last modified on 1 May 2015, at 15:50)
http://en.wikipedia.org/wiki/Ranjana_alphabet

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2015年5月6日水曜日 イムに行ってきましたよ

のコメント欄でRatnaruniさんが指摘されておられるように、挿画が経文の上から描かれているものがあるようですが、この例だけではよくわかりませんねえ。

べったり上描きされているのかもしれないし、単に描き方が雑で絵が一部経文にかかってしまっただけなのかもしれない。

文章を追ってみれば、どちらなのかわかると思いますが、私にはそこまでの能力はありません。今後の課題ということで・・・。

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それから、『五護陀羅尼経(パンチャラクシャー)』の五女尊をどっかで見た記憶がある、と書きましたが、わかりました。

思った通り、ギャンツェ・クンブム(རྒྱལ་རྩེ་སྐུ་འབུམ་ rgyal rtse sku 'bum)、別名パンコル・チョルテン(དཔལ་འཁོར་མཆོད་རྟེན་ dpal 'khor mchod rten)でした。

第2層の階段部屋(སྒོ་ཁང་ sgo khang)に、この五護陀羅尼女尊(पञ्चरक्षा panca raksha བསྲུང་མ་ལྔ་ bsrung ma lnga)の壁画が描かれていました。残念ながら写真は撮っていませんでしたね。

この部屋の平面図を掲載しておきましょう。













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実はギャンツェ・クンブムでも、全部の堂伽でこういった平面図を作ってあるのですが、例によってこれも陽の目を見ていないわけです。

こっちの参考:

・Franco Ricca & Erberto Lo Bue (1993) THE GREAT STUPA OF GYANTSE : A COMPLETE TIBETAN PANTHEON OF THE FIFTEENTH CENTURY. 319pp. Serindia Publications, London.

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(追記)@2015/09/10

2016年9月6日火曜日 「インドのイム」展 装飾写本の謎(続報)

こちらに続報を書きました。田中公明先生の論考に基づくお話です。

2015年5月6日水曜日

イムに行ってきましたよ

先日、イムに行ってきました。え?イムって何かって?あの話題のイムですよ、イム。

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すごい人出!と思ったら、大半は鳥獣戯画のお客さん。イムの方はほどほどの入りで、まあまあじっくり見ることができました。

いつものように2ラウンド回って来ました。今回は解説して回る流れにはならなかったな。

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今回の展覧会の特徴としては、パーラ朝(8~12世紀)のものが多かったこと。なので、非常にわかりやすかった。

なぜわかりやすいかというと、パーラ朝時代になると、諸尊格の図像フォーマットがほぼ定まってしまい、チベット仏教での姿とほとんど違いがなくなるからです。チベットで見慣れたお姿ばかり。

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仏像展示では、日本では馴染みのない尊格がドッと出てくる後半の展示(図録で言うと、6密教の世界)が一番面白かった。あ、俺だけか。

摩利支天(मरीची Marici འོད་ཟེར་ཅན་མ་ 'od zer can ma)、仏頂尊勝母(उष्णीषविजया Ushnishavijaya རྣམ་རྒྱལ་མ་ rnam rgyal ma)あたりは、全体のバランスも細部の意匠も完璧で感動。「よくわからない」という顔で通り過ぎる方が多かったようですが。

小さいブロンズ像でしたが、般若波羅蜜多仏母(प्रज्ञापारमिता Prajinaparamita ཡུམ་ཆེན་མོ་ yum chen mo)も素晴らしかった。

金剛法菩薩(वज्रधर्म Vajradharma རྡོ་རྗེ་ཆོས་ rdo rje chos)、金剛薩埵(वज्रसत्त्व Vajrasattva རྡོ་རྗེ་སེམས་དཔའ་ rdo rje sems dpa')、上楽王仏(संवर Samvara བདེ་མཆོག bde mchog)の他にも、もっと密教仏が見たかったが、それだと一般の方々はついて行けなくなるでしょうから、まあ仕方ない。

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一番の衝撃は経典の挿絵ミニアチュールでした。三種の挿絵入り経典が展示されていましたが、どれも凄かった。

現物の絵はごくごく小さいものなのですが、それを拡大して展示してくれてるのが、大変ありがたかった。チベットで壁画を見ている感覚。楽しい。

皆チベットにも伝わっている絵画スタイルですので、一見してチベットのものか?と見紛うくらい。自分にはしっくり馴染むパートでした。

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(1)『八千頌般若波羅蜜多経(अष्टसहस्रिक प्रज्ञापारमिता सूत्र Ashtasahasrika Prajnaparamita Sutra ཤེས་རབ་ཀྱི་ཕ་རོལ་ཏུ་ཕྱིན་བརྒྱད་སྟོང་པའི་མདོ། shes rab kyi pha rol tu phyin brgyad stong pa'i mdo/)』

パーラ朝11世紀。

11世紀といえば、チベットではグゲ王国の全盛期。当時の壁画はラダック・アルチ・チョスコル・ドゥカン/スムツェクに代表されるように、背景が青の時代です。

ところが同時代には、パーラ朝では次のスタイルが始まっていたんですね。このスタイルは、ネパール経由でチベットに伝わり、13~15世紀に大流行します。背景が赤の時代です。

今回の挿絵は、特にラダックのピャン・グル・ラカンのものとそっくりです。同じ絵師が描いたんじゃないかと思うくらい。

展示や図録では、ほとんどの尊格が「男尊」、「女尊」としか記されていませんが、これは漢名がなく長ったらしいインド名しかないから省略したのか、本当にわからなかったのか、定かでない。

そのうち比定してみようか。色が重要なようなので、Lokesh Chandra本だけじゃ心もとないから、久々にMartin Brauen本を引っ張り出してみようかな。

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(2)『五護陀羅尼経(पञ्चरक्षा Pancaraksha གཅན་རིམ་པ། gcan rim pa/)』

東インド14世紀。

このころは、もうインドでは仏教は滅びていた、という認識ですが、一体東インドのどの辺で作られたものなんでしょうか?ちょっと謎。もしかするとネパールあたりじゃないかという気がする。

先ほどの11世紀の絵からは、またスタイルが変わってきています。トリン/ツァパランなどで見られる新グゲ様式と似た感じです。みんな細身。チベットでは、主にグゲやラダックで15~17世紀に大流行します。

この五女尊はあまり馴染みがないが、チベットのどっかでまとまって見たような気もする。どこだっけなあ。

いい機会なので、それぞれのチベット名も記しておきましょう。

1-大随求明妃(महाप्रतिसर Mahapratisara སོ་སོར་འབྲང་མ་ so sor 'brang ma)
2-大千摧砕明妃(महासहश्राप्रमर्दिनी Mahasahashrapramardini སྟོང་ཆེན་མོ་རབ་ཏུ་འཇོམས་མ་ stong chen mo rab tu 'joms ma)
3-大孔雀明妃(महामयूरी Mahmayuri རྨ་་བྱ་ཆེན་མོ་ rma bya chen mo)
4-大寒林明妃(महाशीतवती Mahashitavati བསིལ་བའི་ཚལ་ཆེན་མོ་ bsil ba'i tshal chen mo)
5-密呪随持明妃(महारक्षा Maharaksha གསང་སྔགས་ཆེན་མོ་ gsang sngags chen mo)

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(3)『仏説大乗荘厳宝王経(करण्डव्यूह सूत्र Karandavyuha Sutra འཕགས་པ་ཟ་མ་ཏོག་བཀོད་པ་ཞེས་བྱ་བ་ཐེག་པ་ཆེན་པོའི་མདོ། 'phags pa za ma tog bkod pa zhes bya ba theg pa chen po'i mdo/)』

東インド14世紀頃。

これも東インドのどこなのか謎。

これまたおもしろい絵です。雲や山などの風景が入ってきて、チベット絵画の新派に近いスタイル。

こういったスタイルは、中国絵画からの影響でカムで始まった、と思い込んでいたのですが、14世紀頃のインドにすでにあったのですね。少し考え直さないといけないかもしれません。

David Jackson本も持っていますが、全然読んでないから、ちゃんと読まなきゃなあ。

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特別展「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏 仏教美術の源流」
東京国立博物館 表慶館  
JR「上野」駅公園口・「鶯谷」駅南口より徒歩10分
2015年3月17日(火) ~ 2015年5月17日(日)
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1701

は、5月17日(日)までやっていますから、仏教美術に興味のある方は是非行ってみてください。

参考:

・頼富本宏+下泉全暁(1994)『密教仏像図典 インドと日本のほとけたち』. pls+308pp. 人文書院, 京都.
・東京国立博物館+日本経済新聞社+BSジャパン・編 (2015) 『特別展 コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏 仏教美術の源流』. 208pp. 日本経済新聞社, 東京.

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余談ですが、頼富本宏先生は3月30日に亡くなられました。お会いしたことはありませんが、いろんな本を通じて、たくさん教えていただきました。ありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。

2015年5月4日月曜日

柱建て祭りとKumari(2) 『処女神 少女が神になるとき』の中身

では、柱建て祭りとKumariの話を再開します。

Kumariにまつわる伝説・儀式はかなり複雑で、解明するのは一筋縄では行きません。調べれば調べるほど、どんどん話が深く広くなっていくので、ゴールがなかなか見えてこないのです。

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・植島啓司 (2014) 『処女神 少女が神になるとき』. 集英社, 東京.

植島先生のこの本でも、明確な結論にはまだ達していない、と感じます。そのため、本書中での解明への筋道も今ひとつわかりにくい。

それで、植島先生は、調査過程を時系列順に並べ、読者が調査を追体験できるようにしています。感情移入しやすくなっており、読み物としてたいへん有効。この辺の持って行き方は、一般書も多数書かれている植島先生ならではの技術の高さですね。

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植島先生は、まず、Kathmanduの柱建て祭り・雨乞い祭りであるIndra Jatraと、これに付随しているように見えるKumari Jatraを分離する作業からとりかかります。

Indra Jatra自体は本来Kumariとはあまり関係なく、後にKumari Jatraと合体したのではないか、という疑問は以前から提示されていたことです。ここでも、その方向性でIndra Jatraの解明を進めます。

それはうまくいったようなのですが、すると、じゃあなんでIndraとKumariがくっついているのか、かえって謎が深まったような感もあります。

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次に植島先生は、Kumari信仰の原点を求めて、Kathmnanduの南Patan~Bungamatiに焦点を合わせます。

PatanにもBungamatiにも、いわゆるLocal Kumariがいます。

こちらでは雨乞い・豊穣の神Rato Matsyendranath(赤マチェンドラ)と結びつき、Matsyendran Jatraという祭りの要所要所でKumariが重要な役割を果たします。

Matsyendranathはヒンドゥ教での神格で、ネワール仏教ではKarunamaya(大悲観音)とされます。

Matsyendra Jatraもやはり柱建てを中心とした雨乞いの祭りで、Indra Jatraとよく似ています。植島先生は、柱建て祭りとKumariの関係は、Patan~BungamatiのMatsyendra Jatraに原型があるとみて調査を進めます。

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そこでの結論は、Karunamaya/Matsendranathをインドから招来する際の妃としてKumariが引っぱりだされたのではないか、というものです。あるいは、Kumari自体もKarunamayaと共にKathmandu盆地にもたらされたのではないか?という推測も提示されています。

調査をしているうちに、Indra Jatraの解明やMatsyendra Jatraの解明にテーマが移ってしまい、Kumariについては、今ひとつすっきりしない結論、という印象です。

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それも仕方ないのです。

Kathmandu盆地でのKumari信仰の始まりは11世紀以前であることは確実ですが、その古い時代には、充分な史料が残っていません。いきおい研究の方向性は、Indra JatraやMatsendra JatraとKumariの関係性の解明に向かってしまうのです。

その意味では、植島先生の研究には充分な成果があった、と言えるでしょう。

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しかし、未解明の問題も残っています。

ヒンドゥ教世界に属するKumari信仰で、なぜ仏教徒からKumariが選ばれるのか?また、その出身はなぜShakya氏族でなくてはならないのか?など、わからないことだらけです。

Indra JatraとKumari Jatraの結びつきも、王権儀礼として結びついた、という解釈ですが、Matsyendra JatraとKumariの結びつきとは別なのでしょうか?

この辺も、私には今ひとつすっきりしませんでした。

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これから私の見解を述べてみるわけですが、そちらでもIndra JatraやMatsyendra Jatraの解明が中心になります。

Kumariはなかなか登場しませんが、Kumariが登場する頃には、けっこうおもしろい展開になっていますからお楽しみに。

最重要キーワードは「Naga」です。

2015年5月3日日曜日

ネパール大地震 募金先

ネパール大地震の救援はまだまだ終息していませんが、ネパールの文化を伝えることもひとつの支援と考え、次回から柱建て祭りとKumariの話題を再開します。

今年は、現地では祭りどころではなさそうですが。

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改めて今回の地震の犠牲になった方のご冥福を祈るとともに、被災者の方々にお見舞い申し上げます。私も微力ながら、今後しばらくネパールの応援を続けます。

ここで信頼できるネパール地震被害義援金募集先をひとつ。

公益社団法人 日本ネパール協会 【ネパール地震被害義援金の募集】 投稿日: 2015年5月2日 作成者: jns
http://nichine.or.jp/JNS/?p=7837