2017年7月30日日曜日

富山・長野チベット巡礼 (3b) 利賀・瞑想の郷-その3

瞑想の館、瞑想美の館を観覧するには、入場料が必要です。勝手に入ることは出来ません。「瞑想の館」→「瞑想の美の館」の順に、ひと通り館長が案内してくれます。

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まずは山側に向かって左手(実際は中央)の「瞑想の館」から。


瞑想の館

入り口のそばにマニ車があるのがうれしい。4つだけだし、中にペチャ དཔེ་ཆ་ dpe cha 経典も入ってなさそうだったが。


瞑想の館 マニ車

しかし回廊の外枠内側にマニ車を設置されると、回廊を時計回りで回っているのに、マニ車を回す時は逆回りになるので困る。

まあ、ここは宗教施設ではないのであまり神経質になる必要はないのだが、チベットでのやり方が通用しないと、どうしても違和感が出てしまう。

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真ん中の階段/通路を挟んで2棟の三重塔(第2~第3層は吹き抜け)が連結したような建物だ。この辺の話をするにも、設計者の情報がほしいですね。

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1階にはヒンドゥ教神像がずらりと並ぶ。珍しいものはないが、日本でこれだけのヒンドゥ教神像を見る機会って、めったにないなあ、と思いつつ眺めていた。

日本の日常からチベット仏教世界へ旅立つ、その入口としてのヒンドゥ教神像というのは悪くないアイディアかも。実際、チベットへ行く時に、Nepal Kathmandu経由で行く人もかなりいるし、Tukucheへ行く際はもちろん、まずKathmanduが出発点だ。

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入り口から左手の棟、2~3階の吹き抜けは、田中公明先生がCGで再現した「ミトラ百種曼荼羅」。

2006年に瞑想の郷でお披露目されて以来、ずっとここで展示されているようだ。

・なんと-e.com > ブログ 2006年8月 > 2006/08/03 夏の企画展「ミトラの108曼荼羅」
http://www.nanto-e.com/blog-item-3668.html

その内容は、本としてまとまってもいます。

・田中公明 (2007.4) 『曼荼羅グラフィックス』. 136pp. 山川出版社, 東京.
https://www.yamakawa.co.jp/product/64026

この本は、瞑想の郷や福光美術館でも販売されていました。

しかしこの展示はかなり専門的なもので、説明つきで見ても理解は難しいと思う。尊格は省略されているので、つかみ所も少ないし。

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そして右手の棟の2~3階吹き抜けに曼荼羅・仏画4枚が収蔵されている。


瞑想の郷パンフレット1


瞑想の郷パンフレット2

壁四面、2mくらいの高さから上に、約4m四方の曼荼羅・仏画が展示されているのだ。すごい迫力。

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瞑想の館の曼荼羅・仏画(瞑想の郷パンフレットを一部改変)

正面に当たる南東壁から時計回りに紹介。

(1)南東壁 : 十一面千手観音像 སྤྱན་རས་གཟིགས་ཕྱག་སྟོང་སྤྱན་སྟོང་། spyan ras gzigs phyag stong spyan stong/
(2)南西壁 : 寂静四十二尊曼荼羅 ཞི་བ་བཞི་བཅུ་རྩ་གཉིས་ཀྱི་དཀྱིལ་འཁོར། zhi ba bzhi bcu rtsa gnyis kyi dlyil 'khor/
(3)北西壁 : 極楽浄土図 བདེ་ཅན་ཞིང་བཀོད། bde can zhing bkod/ (阿弥陀如来 འོད་དཔག་མེད། 'od dpag med/)
(4)北東壁 : 忿怒五十八尊曼荼羅 ཁྲོ་བོ་ལྔ་བཅུ་རྩ་བརྒྱད་ཀྱི་དཀྱིལ་འཁོར། khro bo lnga bcu rtsa brgyad kyi dkyil 'khor/

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(2)と(4)は、チベット仏教ニンマパに伝わる「シトー(寂静忿怒)百尊曼荼羅」を寂静四十ニ尊、忿怒五十八尊に分けて、曼荼羅に描いたもの。

ニンマパだけではなく、カギュパ諸派でも重要視されている。特にカルマ・カギュパ。

シトー百尊が、僧院・寺院の壁画として描かれる場合には、本尊を中心に諸尊がまとまって描かれるものの(それでも曼荼羅ではある)、このように曼荼羅らしく楼閣内に描かれることは比較的珍しい。

・2012年3月3日土曜日 ヒマーチャル小出し劇場(3) タシ・ポン(絵師タシ・ツェリン)

で書いたように、Kinnaurのゴンパではシトー百尊壁画が人気で、新しい壁画がどんどん描かれていたが、これらは楼閣形式ではなかった。

スペースの関係もある。楼閣形式で尊格の多い大型曼荼羅を、壁画として描くためには、かなり高く広い面が取れる壁が必要となるのだ。小さいゴンパが多いKinnaurではそれは難しいようだ。

ま、どちらの形式でも、観想に用いるのに不自由はない。

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トラチャン+田中(1997), p.4

(2)寂静四十二尊曼荼羅の本尊は、法身普賢父母仏 ཆོས་སྐུ་ཀུན་ཏུ་བཟང་པོ་ཡབ་ཡུམ་ chos sku kun tu bzang po yab yum。ニンマパでは普賢菩薩が本初仏。

その下には毘盧遮那父母仏 རྣམ་པར་སྣང་མཛད་ཡབ་ཡུམ་ rnam par snang mdzad yab yum。曼荼羅の中心に二尊(ヤプユムなので四尊になるが)というのは珍しく、おそらくチベット独自に発達した曼荼羅であると推測されている。

その周囲には、阿閦如来とその眷属五尊、宝生五尊、阿弥陀五尊、不空成就五尊が描かれ、金剛界曼荼羅に近い曼荼羅であることがわかる。

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その間には、上段は五部のダーキニー、五部の持明者、下段には六道の仏が描かれている。

こういった、対称性を少し崩した配置は、この曼荼羅独特のもの。

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こうして、描かれている諸尊を説明していくと、いつまでたっても終わらないので、詳しくは、

・サシ・ドージ・トラチャン・作画+解説, 田中公明・解説+訳 (1997.4) 『富山県利賀村 「瞑想の館」と「瞑想美の館」の仏画について』. 16pp. 利賀国際山村文化体験村(瞑想の郷), 利賀(富山).
(瞑想の郷で販売、あるいは配布されている小冊子)


・田中公明 (1987.8) 『曼荼羅イコノロジー 曼荼羅の歴史と発展について』. 315pp. 平河出版社, 東京.

を読んでほしい。

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寂静四十二尊曼荼羅の外側についても触れておこう。こういった余白に何を描くかは、儀軌には記されておらず、絵師の裁量に任されている。

ここでは、上段中央に阿弥陀如来、向かって左にはパドマサンバヴァとシャーンタラクシタ、向かって右にはカーマラシーラとティソン・デツェン。いずれも吐蕃時代の仏教導入に功があった祖師方。

下段は、向かって左が忿怒尊(ニンマパの忿怒尊は独特の尊格が多いので、調べるのに時間がかかるため、今はこれで勘弁して)、右がセンゲ・ドンマ(獅子面のダーキニー)。

とまあ、こちらもきりがないのでここまで。

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ほらね、これだけ書いても、一枚を中途半端にしか説明できない。いかに仏画の情報量が多いかわかってほしい。

さらに曼荼羅全体の意味や、どのように利用するかなど語り始めると、もういつまでたっても終わらないので、それぞれ解説書を読んでほしい。

ツヅク

2017年7月28日金曜日

富山・長野チベット巡礼 (3a) 利賀・瞑想の郷-その2

瞑想の郷は、利賀村上畠にあります。標高約630m。街道からは140mほど登ります。

・一般財団法人 利賀ふるさと財団/天竺温泉の郷 > 関連サイト : 瞑想の郷(as of 2017/07/27)
http://www.tenjiku-onsen.com/meisou/

開館時間 : 9:00~16:00
休館日 : 毎週水曜日、冬季休館(12~4月中旬)
入場料 :一般 600円、小・中学生 300円、幼児 無料

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1989年、そばの源流を探し求めてNepalを訪問した信州大学・氏原教授、宮崎利賀村村長らがKali Gandaki काली गण्डकी流域Tukuche टुकुचे(ཐུགས་རྗེ་ thugs rjeではないか?という気がする)を訪れ、まずTukuche村と姉妹提携が結ばれた。

そしてTukucheにある4つのゴンパを参拝し、その壁画の美しさに感動した村長らは、地元の絵師Shashi Dorje Trachanさんに曼荼羅や仏画を描いてもらうことにした。

Shashiさんは1989年秋から利賀村に1年半滞在し、2枚の曼荼羅、2枚の仏画を描いた(瞑想の館に収蔵)。その間に瞑想の郷の建設が進み、1991年にオープン。その4枚の仏画は「瞑想の館」に所蔵された。

1994~97年にかけては、さらに2枚の曼荼羅が描かれ、こちらは新造の「瞑想美の館」に所蔵されている。

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建物の配置はこうなっています。


瞑想の郷配置(Google Mapより)

いずれもネパール風の建物。直線の寄棟造りが特徴です。

中心となるのは上段の2棟。敷地の真ん中に「花曼荼羅」。

飛鳥寺や法隆寺などの日本古代の寺院配置のようでもあり、SpitiのTabo Choskhorなど平地に建つ古いゴンパのようでもあり、そのどれでもないユニークな配置。

特に中央に曼荼羅状の構造物を置くという配置は、他に類を見ない。敷地内で、配置について考えているだけでも楽しい。

設計者や、設計の経緯についての情報がもっとほしいところだ。

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・瞑想の館 : 三重塔が2つ連結したような建物。シトー寂静・忿怒百尊曼荼羅2枚、十一面千手観音図、極楽浄土図、ミトラ百種曼荼羅などが所蔵されている。瞑想の郷の中心。


瞑想の館

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・瞑想美の館 : 三重塔そのもの。金剛界曼荼羅、胎蔵界曼荼羅などが所蔵されている。


瞑想美の館

上段には、瞑想の館の左右対照に2つの建物が建てられるようなスロットが2つあるが、現在は瞑想美の館のみだ。いずれもう1棟建てられる日を楽しみにしよう。

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・瞑洗房 : これはトイレ。この位置である必要があったんだろうか?すぐそばのスロットに建物が建った時、ちょっと邪魔になるような気がする。

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次は下段。

・花曼荼羅 : 中央にポールが立つ同心円状の花壇。一見するとチャクラサンヴァラ曼荼羅を模したように見えるが、本当にそうなのかは定かでない。

・Wikipedia (English) > Cakrasamvara Tantra(This page was last edited on 19 April 2017, at 16:24.)
https://en.wikipedia.org/wiki/Cakrasa%E1%B9%83vara_Tantra


花曼荼羅

この花曼荼羅の景観は、開館時間中はライブカメラで配信されている。

・一般財団法人 利賀ふるさと財団/天竺温泉の郷 > 関連サイト : 瞑想の郷 > ライブカメラ(as of 2017/07/27)
http://ss.7104.jp/live/toga_meisounosato.html

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・空想の館 : 事務所兼売店。瞑想の館、瞑想美の館の観覧にはここでチケットを買ってから。

・瞑水の館 : 研修所、宿泊所。宿泊、食事は事前に予約が必要(おそらく1週間以上前)。

・サタル सत्तल sattal : Nepal風の四阿(あづまや)が2つ。

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次回はいよいよ瞑想の館、瞑想美の館の曼荼羅を見ていこう。

2017年7月23日日曜日

富山・長野チベット巡礼 (3) 利賀・瞑想の郷-その1

福光美術館の後、2004年の市町村合併で同じ南砺市内になっている利賀(旧・利賀村)へ行きました。「とが」と読みます。

特徴のある場所なので、今でも「利賀村」と呼ばれているよう。

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利賀の位置(Google Mapより)

こちらはまず行き方から。主に2つ。

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(1) 井波から市営バス

南砺市北東部の井波(旧・井波町)が利賀への入り口。

井波へは、あちこちからバスがある。私は、加越能バス(金沢←→井波)で、道の駅・福光から井波に出た。この便は毎日6往復。

利賀への市営バス(井波利賀線)が出るのは、旧・井波駅から。


旧・井波駅

これは、1972年に廃線となった加越能鉄道・加越線の旧駅舎。なかなか立派だ。現在は物産展示館(木彫刻が名産)・バスの待合所。

井波から利賀へのバスは毎日3便(10:15、13:20、16:45)。土日も運行。バスと言っても、客は11人くらいしか乗れないバンだ。


利賀行き市営バス

今回、乗客は行きは3人、帰りは1人、とスカスカであったが、平日だったからかもしれない。土日や夏休みは混むのかも。

井波-利賀間は約1時間。利賀川流域に入ると、深い谷を見下ろしながらのドライブとなる。樹木を取っ払うとKinnaurみたいな所ですね。

このバスは、利賀川流域奥の阿別当まで行く。瞑想の郷がある上畠、民宿やそばの郷がある坂上も、もちろん通る(ただし街道沿いだけで、山手には入らない)。

利賀中心部に達するまで民家はほとんどないので、車で行く人は、天気の悪い日や冬場には要注意。道はちょっと狭いが、山道に慣れた人なら大丈夫。

このルートは、行くまで知らなかったのだが、福光美術館のおねーさんたちに教えてもらいました。助かりました。

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(2) JR高山本線・越中八尾から市営バス

まず、富山からJR高山本線で越中八尾(えっちゅうやつお)駅へ。

越中八尾から利賀への市営バスが、こちらは毎日2便(10:15、16:45)。土日も運行。

ただし、利賀川流域は利賀行政センターまで。あとは百瀬川流域に戻ってしまう。上畠や坂上までは2~3kmなので、歩いても1時間くらい。村内バスもあるらしいが、よく知らない。

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利賀主要部(Google Mapより)

宿は民宿が数軒ある。私が泊まったのは、「中の屋」さん。ちょっと坂を登ると、あとは瞑想の郷までアップダウンなしで行ける。

中の屋は、民宿にしては少し高めの料金設定だが、それは食事がすごいいいから。米は自前の田んぼで作っている無農薬米だし、どぶろく「まごたりん」も作っている。奥さんはフィリピンの人で、明るく楽しい人だった。

その近くにも民宿「いなくぼ」。そばの郷方面にも民宿があるよう。街道沿いの「スターフォレスト利賀」は、旧小学校で、夏休みには合宿所として利用されている施設で、通常は宿泊施設として使われていない。

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瞑想の郷については次回。

2017年7月21日金曜日

カム小出し劇場 (3) デルゲ

20年位前に行った時の様子をまとめたもの。実用情報はもう使えないので省略。

2000年頃には、四川省チベットのほぼ全域が旅行者に開放されたが、この頃はまだダルツェンドの先は未開放だった。そのため、行く先々で緑の服を着た人たちに大人気で、彼らの職場にしょっちゅう招待されてました。

今も名目上は開放されているようだが、デルゲに入るのはなかなか厳しくなっているようだ。

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デルゲ སྡེ་དགེ sde dge徳格

ディ・チュー འབྲི་ཆུ་ 'bri chu 金沙江の支流シ・チュー ཟི་ཆུ་ zi chuに開けた谷間の町。日本の温泉町と似た風情。思ったより狭い街なので、外国人は目立つ。

カム最大の王国・デルゲ王国の都であった。デルゲ・パルカンとデルゲ・ゴンチェンの間にある建物が旧王宮らしい(現在は徳格中学)。


デルゲ主要部(Google Mapより)

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デルゲの歴史

デルゲ王は、吐蕃時代の有力氏族ガル མགར་ mgar氏の後裔。ガル氏の中では、ソンツェン・ガンポ སྲོང་བརྩན་སྒམ་པོ་ srong brtsan sgam po王の大臣で、文成公主を迎えるため唐に赴いたガル・トンツェン・ユルスン མགར་སྟོང་རྩན་ཡུལ་ཟུང་ mgar stong rtsan yul zung が最も有名。

ガル・トンツェンの息子たちは、698年に吐蕃王ティ・ドゥースン ཁྲི་འདུས་སྲོང་ khri 'dus srongによって滅ぼされたが、粛清を免れたガル氏族もいたようだ。

8世紀後半、ガル氏の一人でグル・リンポチェ གུ་རུ་རིན་པོ་ཆེ་ gu ru rin po che(パドマサンバヴァ पद्मसम्भ)の弟子とされる僧アムニェ・チャンペー・ペル ཨ་མྱེ་བྱམས་པའི་དཔལ་ a mye byams pa'i dpalが、カムのリン གླིང་ gling(リンツァン གླིང་ཚང་ gling tshang 林葱/嶺倉(デルゲの北))に移り住み、吐蕃帝国から自治権を与えられていた。チャンペー・ペルはガル・トンツェンの息子、とする説もあるが疑わしい。

13世紀になると、この後裔はサキャパ ས་སྐྱ་པ་ sa skya paのパクパ འཕགས་པ་ 'phags paによりカムの行政権を与えられ、勢力を拡大した。

15世紀にロドゥ・トブデン བློ་གྲོས་སྟོབས་ལྡན་ blo gros stobs ldan王がデルゲに都を移した。タントン・ギャルポ ཐང་སྟོང་རྒྱལ་པོ་ thang stong rgayl poを招聘し、デルゲ・ゴンチェンの建設を始めたのもこの王である(完成は17世紀半ば)。

1639年のグシ・ハーン གུ་ཤྲི་ཁཱན་ gu shri khAnによる侵略の際にはなんとかその地位を保ったものの、ラサ政府の影響下に置かれるようになった。

18世紀、テンパ・ツェリン བསྟན་པ་ཚེ་རིང་ bstan pa tshe ring王のもと、デルゲ王国は周囲の諸国を広く征服し、その最盛期を迎えた。1729年にはデルゲ・パルカンも完成した。

1863年には、他のカムの王国と同じく、ニャロン王 ཉག་རོང་དཔོན་པོ་ nyag rong dpon poゴンポ・ナムギャル མགོན་པོ་རྣམ་རྒྱལ་ mgon po rnam rgyalに屈し、一時王は廃位されたが、1865年ゴンポ・ナムギャルがラサ軍に鎮圧されると、デルゲ王はその地位を取り戻した。

1900-08年、ドルジェ・センゲ རྡོ་རྗེ་སེང་གེ་ rdo rje seng ge王とその弟ンガワン・ジャンペル・リンチェン ངག་དབང་འཇམ་དཔལ་རིན་ཆེན་ ngag dbang 'jam dpal rin chenによる王位争いが続いた。この内紛に乗じて趙爾豊率いる四川軍が侵入し、兄弟を追放し中国領とした。しかし、1917年にはラサ軍がデルゲを奪還し、王は復位した。

1950年、人民解放軍が侵攻を開始し、デルゲにも共産党員が駐在するようになる。カム地方の人々は共産主義改革に反発し反乱が頻発した。1957年、デルゲの人々も蜂起したがあっという間に中国軍に鎮圧された。デルゲ・ゴンチェンも破壊され、多数の僧が殺害された。デルゲ王国は、この時完全に滅亡した。

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デルゲ・パルカン སྡེ་དགེ་པར་ཁང་། sde dge par khang/ 徳格印経院


デルゲ・パルカン

1729年、デルゲ王テンパ・ツェリンによって完成された経典印刷所。デルゲ王はサキャパ(ンゴルパ)の施主であるが、パルカンは超宗派。現在は四川省文物局が管轄している。ナルタン・ゴンパ སྣར་ཐང་དགོན་པ་ snar thang dgon pa 那当寺のパルカンは、文革で完全に破壊されてしまったので、現在はここがチベット文化圏最大のパルカンである。

ペルプン・ゴンパ དཔལ་སྤུང་དགོན་པ་ dpal spung dgon pa 八邦寺(カルマ・カギュパ)の創設者、タイ・スィトゥ・リンポチェ8世 ཏའི་སི་ཏུ་རིན་པོ་ཆེ་སྐུ་འཕྲེང་བརྒྱད་པ་ ta'i si tu rin po che sku 'phreng brgyad pa(チューキ・チュンネ ཆོས་ཀྱི་འབྱུང་གནས་ chos kyi 'byung gnas、別名ツクラク・チューキ・ナンワ གཙུག་ལག་ཆོས་ཀྱི་སྣང་བ་ gtsug lag chos kyi snang ba)が、ここで1733年カンギュールを編集・開版した。1742年にはシュチェン・ツルティム・リンチェン ཞུ་ཆེན་ཙུལ་ཁྲིམས་རིན་ཆེན་ zhu chen tsul khrims rin chen監修のもとテンギュールも完成。このデルゲ版大蔵経は、同じころ完成したナルタン版大蔵経と並び最も広く普及した版である。この版木彫刻様式はグツェ派と呼ばれる。


デルゲ・パルカン 朝のコルラ

朝な夕なにここをコルラしている人の数は多い。デルゲ・ゴンチェンよりも人気が高いよう。パルカンから流れ出る墨混じりの水を、ありがたいものとして飲む人もいる。

3階建紅壁の立派な建物で、入口には番人もいる。残念ながら、この時は中には入れなかったので、内部の様子は、

・池田巧+中西純一+山中勝次 (2003.7) 『活きている文化遺産デルゲパルカン チベット大蔵経木版印刷所の歴史と現在』. 214pp. 明石書店, 東京.

などで見てほしい。

タルチョ、ルンタ類はパルカン前の売店で売っている。

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デルゲ・ゴンチェン སྡེ་དགེ་དགོན་ཆེན། sde dge dgon chen/ 徳格更慶寺


デルゲ・ゴンチェンのドゥカン入口

ルンドゥプテン・ゴンパ ལྷུན་གྲུབ་སྟེང་དགོན་པ་ lhun grub steng dgon paとも呼ばれる。サキャパの分派ンゴルパ ངོར་པ་ ngor pa。

1448年、ロド・トブデン王がタントン・ギャルポを招き建設を開始した。完成したのは、17世紀半ばラチェン・チャムパ・プンツォク ལྷ་ཆེན་བྱམས་པ་ཕུན་ཚོགས་ lha chen byams pa phun tshogs王の時。サキャパの方式を受け継ぎ、デルゲ王のおじ甥相続で維持発展していった。

1957年、共産主義政策に対する反乱の最中に中国軍によって大規模に破壊された。しかし、近年復興が進み今では300人ほどの僧がいる。

ツァンのンゴル寺に次ぐンゴルパの重要な寺院で、かつてはンゴル寺の座主が退職すると、このデルゲ・ゴンチェンで教授することになっていた。この時は12時間続く大きな法要が行われていて、ンゴル寺からも多くの僧が出張して来ていた。

デルゲ・パルカンのさらに奥にドゥカンを中心とし、いくつかラカン・僧房群が建ち並ぶ。


デルゲ・ゴンチェン平面図(出版用の整理はしていないので見にくいと思う)

ドゥカン དུས་ཁང་ dus khang/ツァムカン འཚམས་ཁང་ 'tshams khang 1~3

マニ車と転法輪のある通路を抜けると中庭に出る。正面がドゥカンの入口。反対側には小坊主のタツァン གྲྭ་ཚང་ grwa tshang(学校)もある。

ドゥカンはかなり広く、正面奥にリンポチェの席と諸尊像を祠った棚がある。壁画はごく新しいものだが、素晴らしい出来。左壁に一群のイダム・ヤプユム ཡི་དམ་ཡབ་ཡུམ་ yi dam yab yumの壁画があり、布がかけてある。またその前には忿怒尊像が多数立ちはだかる。

ドゥカンの裏手にはツァムカンが3つ。左手にはグル・リンポチェと護法尊、真ん中にはジョウォ・リンポチェ ཇོ་བོ་རིན་པོ་ཆེ་ jo bo rin po cheを中心とするドゥスム・サンギェ འདུས་གསུམ་སངས་རྒྱས་ 'dus gsum sangs rgyas 三世仏とネシェ・ゲ ཉེ་སྲས་བརྒྱད་ nye sras brgyad 八菩薩+ギャルチェン・シ རྒྱལ་ཆེན་བཞི་ rgyal chen bzhi 四天王、右手にはチャムパ  byams pa བྱམས་པ་ 弥勒菩薩とネテン・チュードゥク སགནས་བརྟན་བཅུ་དྲུག gnas brtan bcu drug 十六羅漢が祠ってある。いずれも新しいものばかりだが、古そうな寺院の構造、密教色の濃い像・壁画といいなかなか興味深いゴンパである。

ヤネ・ラカン དབྱར་གནས་ལྷ་ཁང་ dbyar gnas lha khang

ドゥカンの隣りにある小さなラカン。小坊主多し。ここもごく新しいものばかり。主尊はシャキャ・トゥバ ཤཱ་ཀྱ་ཐུབ་པ་ shA kya thub pa。
 
その他のラカン

ヤネ・ラカンのすぐ上手にもう一つラカンがある。また広場を挟んだ東はずれにも古そうな小ラカンがある。

タンギェル・ラカン ཐང་རྒྱལ་ལྷ་ཁང་ thang rgyal lha khang

パルカン、ゴンチェンとは谷を挟んだ対岸、南の山手にある。タントン・ギャルポを祠っているらしい。

大チョルテン

町の北はずれに高さ15mの大チョルテンがある。3段基壇のナムギャル型。新しいもの。四隅に4色の小チョルテンが立っており、これは全体で5如来を表わしたものか?。ヘルミカ(平頭)には目もついている。

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参考文献は準備中。調べたのはだいぶ昔なので、少し手間がかかるのだ。

2017年7月18日火曜日

富山・長野チベット巡礼 (2c) デルゲ印経院チベット木版仏画展@富山県南砺市立福光美術館-その4

・池田巧+中西純一+山中勝次 (2003.7) 『活きている文化遺産デルゲパルカン チベット大蔵経木版印刷所の歴史と現在』. 214pp. 明石書店, 東京.


装幀 : 柴永文夫+前田眞吉

という本があります。デルゲ・パルカンに関する本としては、日本で唯一です。

他に、デルゲ/デルゲ・パルカンに関する日本語論文、中文書籍、欧文書籍については末尾にまとめておきました。

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デルゲ・パルカンに関する日本語資料としては、もちろん最重要資料なのですが、残念ながら展覧会会場や売店にはありませんでした。おそらく絶版なのでしょう。

明石はおもしろい本をどんどん出してくれるが、絶版も早い。あっという間に絶版になって、ゾッキに流れているのをよく見かける。

これを機に再発してほしいもの。講談社学術文庫でもいいぞ。

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その中から、この展覧会で展示されている大判版画の版木が、どのように保管・印刷されているかの写真を紹介しておこう。


同書, pp.44-45

デルゲ・パルカンの主要業務は言うまでもなく経典の印刷。そちらでは二人一組になって、ローラーなども使い、手早く印刷が進められている。

しかし、仏画のような大型版画は、上手右のように、熟達した工人が一人でじっくり印刷を進めるらしい。

上掲書著者らの協力も得て、こういった写真の提供も受けることができたら、より深みのある展覧会になるだろう。

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デルゲ・パルカンで印刷されている仏教図像については、このような形でもまとめられている。

・Josef Kolmaš (2002) ICONOGRAPHY OF THE DERGE KANJUR AND TANJUR. 286pp. Vedams ebook, New Delhi.


Cover Design : Dushyant Parasher

これは、デルゲ大蔵経のカンギュル བཀའ་འགྱུར་ bka' 'gyur 仏説部(カム/アムド方言だと「カンジュル」になる)とテンギュル བསྟན་འགྱུར་ bstan 'gyur 論疏部(解説・注釈、カム/アムド方言だと「テンジュル」になる)の両端に記された諸尊の図像のみをピックアップしてまとめたもの。


同書, p.153

印刷は不鮮明だが、チベット仏教の尊格がほとんど網羅されているので、図像学の勉強にはかなり役に立つはず。この本では各尊格のチベット名もindexで網羅されているので、そういった使い方もできる。

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前掲の池田ほか(2003)より、この図像がどういった形で経典に収録されているか、示しておこう。


池田ほか(2003), pp.48-49

デルゲ版大蔵経では、カンギュルは赤字、テンギュルは黒字で印刷される。

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Kolmaš先生は、チェコのチベット学者。後述の欧文書籍リストを見てもわかるように、デルゲに関する研究では第一人者だ。現在84歳とご高齢ではあるが、次回またこの展覧会があるようなら、是非Kolamš先生を呼んで講演をお願いしてほしい。

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最後に、福光美術館への行き方。主に2つ。


福光への行き方(Google Mapより)

(1) 北陸新幹線・新高岡駅から

JR城端線で新高岡から9つ目の駅が福光駅。本数は1時間に1本くらい。40分で福光。

城端線は電化されていない。東京周辺ではもはや見ることのない、1970年代製造(と推定)の古いディーゼルカーがいろいろ走っている。撮り鉄にはちょっと狙い目の路線かも。


福光駅~福光美術館(Google Mapより)

福光美術館は、福光駅から北西に約2km。歩いても十分行けるが1時間くらいかかる。駅からはバスもあるが、よく知らない。

美術館の隣に川合田温泉という宿がある。行きの当日はそこに宿泊し、翌朝美術館に、というプランは、我ながらなかなかいいアイディアであった。

宿や温泉は、他にも福光駅周辺・郊外にいくつかある。

また、棟方志功記念館・愛染苑、福光中心部・味噌屋町の古い町並みなど、他に見所もいくつかあるので、時間に余裕があればあちこち行ってみても面白いと思う。

(2) 金沢から

北陸新幹線などで金沢に行き、そのついでに福光美術館に行ってみるのもいい。

金沢~福光~井波は、加越能バスが毎日6往復運行。金沢から、福光美術館最寄りの「道の駅福光」までは45分くらい。金沢-福光は充分日帰りできる。

道の駅から美術館へは、30分ほど歩く。

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デルゲ/デルゲ・パルカンに関する日本語論文にはこのようなものがある。

・中西純一 (1997.1) チベット デルゲパルカン. 季刊民族学, vol.21, no.1, pp.28-43.
・松村恒 (1997.7) チベット大蔵経デルゲ版の開版印刷について. 香散見草 (近畿大学)中央図書館報, no.27, pp.12-16.
・中西純一 (1999.4) チベット徳格印経院を調査して. 月刊しにか,  vol.10, no.4, pp.2-5.
・鎌澤久也 (2000.10) FRONT PICTORIAL 長江上流域の人びと (2) 徳格の印経院. Front, vol.13, no.1, pp.59-63.
・鎌澤久也 (2000.12) 長江源流行 (21) 徳格・最後の印経院. 月刊しにか, vol.11, no.12, pls.+pp.102-103.
・川田進 (2008.10) デルゲ印経院とデルゲ土司に見る中国共産党のチベット政策. 大阪工業大学紀要 人文社会篇, vol.53, no.1, pp.19-50.
・小林亮介 (2011.3) 一九世紀末~二〇世紀初頭、ダライラマ政権の東チベット支配とデルゲ王国(徳格土司). 東洋文化研究, vol.13, pp.21-52.

中文書籍としては、

・中国科学院民族研究所四川少数民族社会歴史調査組・編 (1963.7) 『甘孜藏族自治州徳格地区社会調査報告』. 中国科学院民族研究所四川少数民族社会歴史調査組.
・中国科学院民族研究所四川少数民族社会歴史調査組・編 (1963.12) 『徳格更慶、甘孜麻書社会調査材料 甘孜藏族自治州』. 中国科学院民族研究所, 北京.
・四川民族出版社・編 (1981.8) 『徳格印経院』. 四川民族出版社, 成都.
・策旺・多吉仁増 (1990) 『徳格土司傳 藏文版』. 四川民族出版社, 成都.
・四川省徳格縣志編纂委員会・編 (1995.5) 『徳格縣志』. 四川人民出版社, 成都.
・楊嘉銘 (2000.4) 『徳格印経院』(西南人文書系). 四川人民出版社, 成都.
・唐拉津旺 等・画, 根秋登子+多智+雄呷・藏文注釈, 戴作民・漢文翻訳 (2002.6) 『徳格印経院藏傳木刻版画集』. 四川民族出版社, 成都.
・蒋彬 (2005.9) 『四川藏区城鎮化与文化変遷 以徳格県更慶鎮為个案』. 巴蜀書社, 成都.
・津爾多吉 (2006) 『走過康巴文明的皺襞 徳格土司歴史淵源与康巴文化発展略述』. 四川華彩文化傳播, 成都.
・沢旺吉美・主編 (2010.10) 『徳格印経院』. 四川美術出版社, 成都.
・徳格県寺院志編委会・編 (2011.11) 『徳格県寺院志』. 民族出版社, 北京.

欧文書籍にはこのようなものがある。

・Josef Kolmaš (1968) A GENEALOGY OF THE KINGS OF DERGE : SDE-DGE'I RGYAL-RABS (Dissertationes orientales, v.12). Oriental Institute in Academia, Publishing House of the Czechoslovak Academy of Sciences, Prague.
・Josef Kolmaš+Československá akademie věd. Orientální ústav. Knihovna (1978) THE ICONOGRAPHY OF THE DERGE KANJUR AND TANJUR : FACSIMILE REPRODUCTIONS OF THE 648 ILLUSTRATIONS IN THE DERGE EDITION OF THE TIBETAN TRIPITAKA, HOUSED IN THE LIBRARY OF THE ORIENTAL INSTITUTE IN PRAGUE.(Śata-pitaka series, Indo-Asian literatures, v.241). Sharada Rani, New Delhi.
→ Reprint : (2002) Vedams, New Delhi.
・Peter Kessler (1983) DIE HISTORISCHEN KöNIGREICHE LING UND DERGE (Laufende Arbeiten zu einem Ethnohistorischen Atlas Tibets, EAT, Lfg. 40. 1). Tibet-Institut, Rikon(Swiss).

2017年7月17日月曜日

富山・長野チベット巡礼 (2b) デルゲ印経院チベット木版仏画展@富山県南砺市立福光美術館-その3

これは展覧会の図録というかカタログ。展覧会で観覧者に無料配布されている。

・田中公明・監修, 利賀ふるさと財団+利賀瞑想の郷・編 (2017.7) 『なんとの至宝 Part 6 デルゲ印経院チベット木版仏画展 平成29年7月1日~8月20日』. 12pp. 南砺市立福光美術館, 南砺(富山).


同書, p.1

かなりの縮刷になってしまっているが、展示品142点が全て収録されている。

図像をじっくり見るには物足りないが、展示品リストとしては理想的な形態。次回は、もう少し大判の図録化してほしい(もちろん有料で販売してくれれば、買う買う)。

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会場には、

・唐拉津旺 等・画, 根秋登子+多智+雄呷・藏文注釈, 戴作民・漢文翻訳 (2002.6) 『徳格印経院藏傳木刻版画集』. 四川民族出版社, 成都.

が置いてあったが、これの翻訳でもいいかもしれない。

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この展覧会では、前回紹介したネテン・チュードゥク(十六羅漢)をはじめ、セット物が多いのも特徴。

グル・リンポチェ八相 གུ་རུ་མཚན་བརྒྱད་ gu ru mtshan brgyadも一揃い。グル・リンポチェ གུ་རུ་རིན་པོ་ཆེ་ gu ru rin po che(पद्मसम्भवPadmasambhava 連華生)がどういう方か、という簡単な解説はあったものの、この八相がどういう場面で、どういう意味を持っているのか、について解説はない。

これはグル・リンポチェの事績を8つの場面に分けて紹介したもの。それぞれの場面で異なる姿を取り、それぞれに別の名前もついているのだ。

初心者には、なかなか理解がむずかしいだろう。この八相をチャム(འཆམ་ 'cham 仮面舞踊)化したものであるツェチュー ཚེས་བཅུ་ tshes bcuとも関連づけて紹介してくれれば、一層理解しやすくなるかもしれない。

また逆に、Ladakh Hemisあたりにツェチューを見に行く人は、このグル・ツェンギェのタンカ・セット(そのコピーや印刷物)8枚を持って行って、チャムを見ながらタンカと比較するのもおもしろい。おそらくタンカの尊格が仮面でぞろぞろ登場して来るはず。

なお、このグル・リンポチェの8事績は、いずれも月の十日目(ツェチュー)に起きたとされる。だから、チャムのタイトルはツェチューなのだ。

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釈尊生涯八相 མཛད་པ་བརྒྱད་པ་ mdzad pa brgyad paの方は、グル・リンポチェのそれよりもずっと馴染みがあるだろう。

(1)誕生 (2)学問と四門出遊 (3)出家 (4)降魔 (*)成道(本尊)(5)転法輪 (6)天界からの降下 (7)神変 (8)涅槃

の9枚セットがチベットでは一般的。12枚にしたセットもある。

日本で一般的な八相図とは微妙に出入りがあって面白い。

本会場入口近くに、八大霊塔 མཆོད་རྟེན་ཆ་བརྒྱད་ mchod rten cha brgyad画があるが、これは釈尊八相を象徴したものであるので、こちらとも関連づけた展示があってもよかったかも。

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これまで仏画のクオリティについては触れなかったが、極めて高い技量を持った絵師・彫師によるものであることは言うまでもない。

尊容についてはもうガチガチに定まっており、16世紀以降の仏画はどれを見てもほとんど同じである。

なので、これをひと通り見て頭に入れておけば、チベット文化圏のどこへ行っても、ほとんど「どれが何か」わかるはず(ただし16世紀以前の古い寺では通用しないことも多い)。

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人民解放軍や紅衛兵によって破壊の憂き目を見た、他のパルカン(印経院)と違い、デルゲ・パルカンでは古い版木を保持しているのはもとより、技術とシステムが維持されていることが重要。

これだけ高い技術を持った絵師・彫師が、今も活動していることに感謝したい。

まだツヅク

2017年7月16日日曜日

富山・長野チベット巡礼 (2a) デルゲ印経院チベット木版仏画展@富山県南砺市立福光美術館-その2

これが福光美術館


福光美術館

街道からは山手に入って、丘の上にある。なんか冬は大変そう。

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掃除のおばちゃんと話してたら、

「冬は閉館するんですか?」
「冬もやってるよ。除雪は完璧だから大丈夫よ」
「でもお客は来ないでしょう」
「来~ない、来ない」

あはは。みなさん、せめて夏だけでもたくさん行ってください。

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さて、肝心の「デルゲ印経院チベット木版仏画展」ですが、平日朝イチということもあり、客の姿はまばら。

実は、この福光美術館の目玉は「棟方志功コレクション」。志功は、1945~52年にこの福光に居住していたのです。福光美術館では、当時の作品を中心に志功の作品を多数所蔵しています。

当日も、特別展よりも志功作品の常設展のほうが人気。バスで団体客が乗りつけるほど。「二菩薩釈迦十大弟子」は素晴らしかった。

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さて、特別展の方は、作品数が142点(注)と大量なので、展示会場への廊下からもう展示が始まっている。

(注)
所蔵作品総数は145点なのだが、3点は同一図像の重複。従って展示されているのは142点になる。その重複3点は利賀「瞑想の郷」に展示してあった。


デルゲ仏画展入り口

入り口廊下には小型の仏画が並んでいた。A3くらい(だいたい縦40cm×25cm)。

一方メイン会場の作品はほとんどがA2サイズくらい(だいたい縦60cm×横40cm)。

版画なので、もちろん一点ものではないが、お経と違ってこういう大型仏画が印刷される機会は多くない。

1999年に利賀「瞑想の郷」の調査団がデルゲ・パルカンを訪れた際に、当時印刷可能だった仏画をすべて2セット入手したのだという。

もう1セットは、東京都町田市立国際版画美術館に寄贈され、そちらでも2011年に展覧会が行われている。しかしわずか30点のみ。

・町田市立国際版画美術館 > 展覧会 > 過去の展覧会 > 2011年度 > チベット密教版画 その未知なる世界 会期 2011年9月28日(水)~12月23日(金・祝)(as of 2017/07/15)
http://hanga-museum.jp/exhibition/past/2011-17

瞑想の郷でも、これだけ大量かつ大判の仏画を、すべて展示できるスペースがなかったため、これまで全点展示されることがなかった。画期的な展覧会なのだ。

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1枚1枚見ていくとなかなか時間がかかる。15分位かけてようやくメイン会場にたどり着いた。


デルゲ仏画展メイン会場

出迎えてくれるのはドゥンコル འདུས་ཀྱི་འཁོར་ལོ་ 'dus kyi 'khor lo 時輪(カーラチャクラ कालचक्र Kalacakra)ヤプユム像。

ドゥンコル立体像はなかなか見る機会はないので、これも貴重な展示だ。ただし密教仏なので、本来一般信徒には拝観させない場合が多い尊格だけど。

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この展覧会では、会場の都合で反時計回りに展示が進む。ボン教コルラの向きになってしまった(笑)。まあいいでしょう。

最初はネテン・チュードゥク གནས་བརྟན་བཅུ་དྲུག gnas brtan bcu drug 十六羅漢がずらりと並ぶ。この辺は中国絵画の影響が強い絵で、日本仏教絵画での姿とよく似ている。

これを最初に展示したのは、親しみを持たせる目的として正解だろう。

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次に祖師画が並ぶ。銘がない作品が多く、主題が誰かわからないものも多い。ダクポ・カギュパ དྭགས་པོ་བཀའ་བརྒྱུད་པ་ dwags po bka' brgyud pa 祖師マルパ・チューキ・ロドゥ མར་པ་ཆོས་ཀྱི་བློ་གྲོས་ mar pa chos kyi blo gros、シチェーパ ཞི་བྱེད་པ་ zhi byed pa 祖師パダムパ・サンギェ ཕ་དམ་པ་སངས་རྒྱས་ pha dam pa sangs rgyas などは、特徴的な姿なのでわかりやすいかもしれない。

各コーナーの冒頭に簡単な紹介はあるものの、仏画にはそれぞれの解説はない。チベット仏教、特に宗派や祖師についての知識があまりない観覧客にどれだけ理解してもらえるか?は、なかなか難しいところだろう。

学芸員の方に訊いたところ、一度試しに解説を作ってもらったところ、一枚あたりの解説が膨大な量になってしまい、解説をつけるのは今回は諦めたそうな。

チベット仏教図像学の勉強には最適の展覧会なのだが、初心者にとっては、とっかかりが少ない。もう少し解説も充実させて貰えるとありがたいと思った。

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美術館売店には、本展覧会の監修者である田中公明先生の本がズラリと並んでいて(「瞑想の郷」売店から転用のよう)、さしずめ田中公明全集のようだった。今は絶版の貴重書もあって、チベット仏教美術を勉強してみよう、という人には最高のシチュエーション。

田中先生の著作の中で、チベット仏教美術の勉強に最適な本は、実はそこにはなかった。多分絶版なのだと思う。

それがこれ↓

・田中公明 (1990.7) 『詳解河口慧海コレクション チベット・ネパール仏教美術』. pls+298pp. 佼成出版社, 東京.



中身も少し紹介しておこう。


同書, pp.52-53

これは、「シトー百尊 ཞི་ཁྲོ་དམ་པ་རིགས་བརྒྱ zhi khro dam pa rigs brgya」のうち「寂静四十ニ尊 ཞི་བའི་ལྷ་ཞེ་གཉིས་ zhi ba'i lha zhe gnyis」について、典拠となる経典と図像を比較しながら解説している。すごくわかりやすい。

このように、一つの図像について解説するだけでも、数ページの分量が必要となることもあるのだ。仏教図像を簡単に解説することの難しさがわかる。

仏画だけではなく、宗教美術というものは全ての部分がそれぞれ意味を持っている。その意味を語ろうと思えば、いくらでも語れてしまう面があるのだ。

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まあでも、特に祖師画では、宗派の系譜や簡単な紹介などがあった方がよかったと思う。

評判がよければ、これは全国あちこちで巡回できるクオリティの展覧会だ。その時にはぜひ解説を充実させてほしい。

ツヅク

2017年7月14日金曜日

富山・長野チベット巡礼 (2) デルゲ印経院チベット木版仏画展@富山県南砺市立福光美術館-その1

お次は、というか、最初の目的地です。

場所は、富山県西部にある南砺市。山を一つ越えるともう金沢。南砺市西部にあたる福光(旧・西礪波郡福光町)。

JR城端(じょうはな)線・福光駅から北西に約2km。山あいに入ったところにあるのが、南砺市立福光美術館。行き方は後述。


福光美術館入り口

そちらで開催されていた展覧会がこれ↓。

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・南砺市立 福光美術館 > 現在の企画展 > なんとの至宝 Part 6 デルゲ印経院チベット木版仏画展(as of 2017/07/10)
http://nanto-museum.com/category/exhibition/in-session/

なんとの至宝 Part 6 デルゲ印経院チベット木版仏画展
会場 : 南砺市立 福光美術館
会期 : 平成29年7月1日(土)~8月20日(日) *7月10日(月)はなんとの日 観覧料無料
休館日 : 毎週火曜日
営業時間 : 9:00~17:00(入館は16:30まで)
住所 : 〒939-1626 富山県南砺市法林寺2010
TEL : 0763-52-7576
FAX : 0763-52-7515
観覧料金 : 一般 500円/高大生 300円/中学生以下無料(常設展観覧料を含む)
主催 : 南砺市 福光美術館
共催 : 北日本新聞社
後援 : 北日本放送 となみ衛星通信テレビ
協力 : 利賀ふるさと財団 利賀瞑想の郷
■開会式 : 7月1日(土)9:30~ 福光美術館ロビー
■ギャラリートーク : 開会式終了後 講師/田中公明氏 (公財)中村元東方研究所専任研究員・慶応義塾大学非常勤講師
■ミュージアムセミナー : 7月16日(日)14:00~ 講師/浦辻一成 氏 利賀瞑想の郷館長
■「ケサル大王」上映会 : 7月23日(日)10:00~/14:00~ 美術館ロビー 監督/大谷寿一氏
アクセス :□北陸自動車道小矢部I.Cより車で10分 □東海北陸自動車道福光I.Cより車で15分 □JR城端線福光駅下車タクシーで5分 □JR金沢駅より車で45分(国道304経由) □JR森本駅より車で20分 ◎大型駐車場完備 □JR金沢駅よりJRバスで60分 (「川合田温泉」下車、徒歩5分) □JR福光駅よりバスで10分 ・プール・美術館バス(無料・午後のみ)「福光美術館前」下車 ※時刻表・経路はアクセスマップに掲載 ・JRバス、南砺市市営バス「なんバス」(有料) 「川合田温泉」下車、徒歩5分

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同展パンフレット表


同展パンフレット裏

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この展覧会は、同じく南砺市利賀(旧・東礪波郡利賀村)にある「瞑想の郷」(この後行った)が保有するデルゲ・パルカン木版仏画の全点初公開です。

1999年の購入以来、今まで一部展示されたことはあったが、145点全点展示はこれがはじめて。

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デルゲ སྡེ་དགེ sde dge 徳格は、カム ཁམས་ khams(東チベット)の町であり、旧デルゲ王国の王都。サキャパ ས་སྐྱ་པ་ sa skya pa(その分派ンゴルパ ངོར་པ་ ngor pa)の大寺デルゲ・ゴンチェン སྡེ་དགེ་དགོན་ཆེན་ sde dge dgon chen 徳格更慶がある。

デルゲ・パルカン སྡེ་དགེའི་པར་ཁང་ sde dge'i par khang 徳格印経院は、デルゲ・ゴンチェンの附属施設であるが、こちらは超宗派。

仏画の種類にも、その超宗派性がよく現れている。サキャパ祖師が充実しているのは当然なのだが、シャンパ・カギュパ ཤངས་པ་བཀའ་རྒྱུད་པ་ shangs pa bka' rgyud pa、シチェーパ ཞི་བྱེད་པ་ zhi byed pa、チョナンパ ཇོ་ནང་པ་ jo nang paなどのマイナー宗派の祖師画もしっかりカバーしている。

イダム ཡི་དམ་ yi dam 守護尊にしても、サキャパのイダムであるキェー・ドルジェ ཀྱེའི་རྡོ་རྗེ་ kye'i rdo rje हेवज्र Hevajra 呼金剛だけではなく、デムチョク བདེ་མཆོག bde mchog चक्रसंवर Cakrasamvara 勝楽(主にカギュパのイダム)やサンワ・ドゥパ གསང་བ་འདུས་པ་ gsang ba 'dus pa गुहयासमाज Guhyasamaja 秘密集会(主にゲルクパのイダム)の画もある。

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デルゲについては、後にもう少し詳しく語ることにして、次回は展覧会の中身をちゃんと見ていこう。

2017年7月10日月曜日

富山・長野チベット巡礼 (1) 東チベット写真展@長野県佐久市

急に思い立って、富山県と長野県のチベットものを3件巡ってきました。

(2) 富山県南砺市福光 福光美術館 デルゲ印経院チベット木版仏画展
(3) 富山県南砺市利賀 瞑想の郷
(1) 長野県佐久市臼田 佐久総合病院本院 東チベット写真展

訪問したのは、(2)→(3)→(1)の順番ですが、訪問順に紹介していると、(1)の会期が終わってしまうので、順番を変えて紹介します。

(1)の会期は2017/7/14までですから、皆さんお見逃しないよう、是非行ってみてください。行き方などは、最後に紹介します。

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・毎日新聞 > 芸術・文化 > 武田博仁/写真展 東チベット高地80点 佐久・14日まで /長野(2017年7月6日 地方版)
https://mainichi.jp/articles/20170706/ddl/k20/040/102000c

数日前、この記事を発見して、ちょうどいいので、富山の2件と組み合わせて回ってきたわけです。

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由井 格(ゆい いたる)写真展 東チベット高地の自然と少数民族
会期 : 2017年7月1日(土)~14日(金) 10時~17時
場所 : 佐久総合病院本院ふれあいギャラリー
住所 : 〒384-0301 長野県佐久市臼田197
観覧料金 : 無料


由井さんの経歴など

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会場は、病院の1階。待合室横通路のスペースを、ギャラリーとして使っています。いろいろな展示を企画し、通院患者・入院患者・一般訪問者に開放しています。この展覧会では、会場費無料だったそうです(病院と要相談)。

「展覧会はやりたいけど、会場費がなあ・・・」と悩んでいる方にもチャンスを与えてくれる、なかなか素晴らしいアイディアです。


佐久総合病院本院ふれあいギャラリー

行ったのは日曜ですので、通院客はおらず、病院はひっそりしていました。しかし、この写真展目当ての客がどんどん訪れ、由井さんも大忙し。芳名帳も2冊目になっていて、なかなかの盛況のようです。

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写真は約80点。由井さんは、東チベット調査の大家・中村保氏と共に調査活動をしてこられた方です。その調査結果から、ほんの一部を紹介しておられるわけです。

由井さんはもともと登山家ですので、写真展の前半は、ケシや高山植物の写真が並びます。「写真は素人で・・・」とおっしゃっていましたが、どうしてどうして、素晴らしい写真が並んでいます。

私は高山植物への造詣がほとんどなく申し訳なかったのですが、山好きの人が多い信州では、山やこの高山植物の写真が最も皆さんの興味を引いていたようでした。

車椅子で訪れた、入院患者のおばあちゃんも「きれいな花だねえ。山もきれいだねえ」と喜んでいたのが印象的でした。

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山と高山植物の写真中心なのは予想通りだったのですが、後半には東チベット(というより東ヒマラヤ全域)で出会った諸民族の写真がズラリと並びます。カムパばかりではなく、四川・羌族の角塔(羌寨)、雲南の納西族、彝族、傈僳(リス)族など、東ヒマラヤ全域に及んでいます。


東チベット写真展の一部

由井さんの東チベット/ヒマラヤ(四川・雲南・青海・西藏自治区)への調査行は20回に及ぶそうで、その中から厳選された諸民族の姿は濃いですよ。

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特に、チャクテン ཕྱག་ཕྲེང་ phyag phreng 郷城県のカムパたちとの深い交流が興味深い内容です。

チャクテンは、マツタケの産地として有名で、日本にも多く輸入されていますが、そのきっかけを作ったのが、由井さんらのグループだったんだそうです。

地球に好奇心 山の幸に異変あり中国・まつたけ新事情
2001年春 NHK-BS2
制作:パン・プランニング

などで、当地の様子を見たことがある人も多いでしょう。この番組にも由井さんは関わっておられます。

写真展では、その地での祭りの様子も大きく取り上げられています。この辺のカムモの盛装は、ド派手ですねえ。一見の価値あり。

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最近のネタとリンクする内容としては、映画「ラサへの歩き方」で注目を浴びている、五体投地巡礼団の写真もあります。これがまた、「ラサへの歩き方」と全く同じルート上の写真なのです。

写真のグループは4・5人で、サポート・リヤカー2台。私が見たことあるのも、だいたいそんなもの。映画での「巡礼団11人」というのが、いかに規格外れの大巡礼団であるかがわかります。

また写真では、実際に巡礼途中で生まれた赤ちゃん、ロバを連れた夫婦だけの巡礼などの写真もあります。フィクションとはいえ、「ラサへの歩き方」のエピソードが、事実をよく取り入れたものになっていることが実感できますよ。「ラサへの歩き方」ファンも必見ですね。

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由井さんは、麗江についての本の翻訳もされています。

・ピーター・グラード・著, 由井格・監修, 佐藤維・訳 (2011.6) 『忘れられた王国 一九三〇~四〇年代の香格里拉(シャングリラ)・麗江』. pls.+367pp. 社会評論社, 東京.
← 英語原版 : Peter Goullart (1955) FORGOTTEN KINGDOM. xix+218pp. John Murray, London.


装幀 : 桑谷速人

これは、

・ピーター・グーラート・著, 高地アジア研究会・抄訳 (1963.10) 『忘れられた王国』(秘境探検双書). pls.+222pp. ベースボール・マガジン社, 東京.


装丁 : 関根英治

の新訳・完全版になります。新訳版では、原著の白黒写真に加え、由井さん撮影の写真がふんだんに追加されており、より理解しやすい構成になっています。

私はこの本の存在に気づいていなかったので、写真展の現場で購入させていただきました。

なお、今調べてわかったのだが、どういうわけか、この本にはさらなる新訳もあるらしい。

・ピーター・グゥラート・著, 西本晃二・訳 (2014.12) 『忘れ去られた王国 落日の麗江雲南滞在記』. 453pp. スタイル・ノート, 国分寺(東京).

こちらも見たことないので、そのうち見て比較してみよう。

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由井さんのお話は、とにかく面白い。以上のような話はもとより、ここでは書けないようなオフレコ話が、またベラボーな面白さ。みなさんも現場で、ぜひ由井さんのお話を聞いてみてください。

なお、由井さんは現在82歳とのことだが、見た目は60歳代にしか見えない。これも驚きますよ。

会場では「最近チベット方面は、旅行しにくくなった」という話題で盛り上がったのだが、由井さんにはまだまだお元気でいていただいて、東チベットへも行って、色々な調査結果を教えてほしいもんです。

由井さんの話は、写真展だけではもったいない。特に昨今のチベット旅行がしにくい状況下では、その知見はますます貴重なものとなるでしょう。講演などもどんどんやっていただいて、貴重な調査結果を一層知らしめていただきたい、と切に願います。

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臼田は、長野県東部、小海線(八ヶ岳高原線と改称)沿線の町。


小海線沿線(Google Mapより)

もともとは臼田町であったが、2005年に佐久市に合併された。現在は佐久市南部に当たる。

県外からは、北陸・長野新幹線・佐久平から小海線で南へ7駅目、あるいは中央本線・小淵沢から北へ17駅目。ところが、小海線の運行本数は極めて少ない。2両編成ディーゼル車のワンマン運行だったし。

車が使える人だったら、もう現地まで車で行ってしまったほうが早いだろう。

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臼田は小さな町で、日曜ということもあり、駅前商店街には人影まばらだった。

しかし、驚くことに、町中はツバメが大量に飛び交っていた。「ツバメの町」だ。商店の軒下にはどこもツバメの巣が。そういうやさしい町なのだ。


臼田周辺(Google Map)

臼田で面白そうな場所としては、駅の東1.5kmに龍岡城跡(現在は小学校)がある。これは幕末に築城された小型「五稜郭」だ。

こんなの知らなかったなあ。今回は行く時間がなかったが、チャンスがあれば次回ぜひ行ってみたい。

千曲川を渡ってすぐの所にある、稲荷山/稲荷神社もなかなか面白い。参道の階段は、無数の鳥居で埋まっているのだ。


臼田稲荷神社参道

鳥居は、ほとんどが鉄パイプでしたが(笑)。山頂の公園もなかなか気持ちいい。白い塔は給水塔。臼田のランドマークだ。

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臼田はなかなか行きにくい場所ですが、この写真展は行きに苦労した価値のあるものでした。会期末まであとわずかですが、特に東チベット好きには、是非行ってほしい催し物です。


会場で配布されていたポストカード

次回は、福光美術館の「デルゲ印経院チベット木版仏画展」。

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(追記)@2017/07/10

・信濃毎日新聞社/信毎読者サイト なーのちゃんクラブ > ニュース : 信毎ニュース >東チベット、魅力知って 川上出身の由井さん、佐久で写真展(7月08日(土)10時06分)
https://nano.shinmai.co.jp/news/newslist_detail/?id=4219

によれば、2017年8月11日(金)~17日(木)には、長野県南佐久郡川上村文化センターでも開催するそうです。

由井さんは川上村出身。

2017年7月3日月曜日

映画「ラサへの歩き方」 (4) フィクションとノンフィクションの間

まずは簡単な落穂拾いから。

カン・ティセ(カン・リンポチェ)に到達した巡礼団。帰りはどうしたのでしょうか?帰りも五体投地?

おそらく、帰りはバスかトラックに乗って帰ったと思われます。

五体投地の巡礼者は、これまで何度も見たことがありますが、「今帰りなんだ」という人には出くわしたことはありません。巡礼の目的地に着いたら、もう目的達成でしょう。さすがに帰りまではテンションが持たないと思う。

映画副題も「祈りの2400km」で、マルカム~カン・リンポチェ片道の距離だし。

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この作品は、基本的にはフィクションに分類されるのだが、ノンフィクションの部分も多分に有している。複雑な作品なのだ。

登場人物やその家族関係、居住地での職業などのステイタスも全部事実だ。ニマとヤンペルが巡礼に出たいと思っていたのも事実。

しかし、そこに張楊監督が「巡礼の様子を映画にしたい。出演料=巡礼資金を出す」と申し出たことで、ドキュメンタリーではなくなった。

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映画撮影がなくても、ヤンペルとニマは巡礼に出たかもしれない。しかし借金に苦しんでいたジグメ一家は、ギャラがなければ巡礼には出なかったはずだ。

制作者側からの干渉が入っている。だから、たとえ実在の人物が実際に巡礼をやり遂げていたとしても、これはフィクションなのだ。

実在の人物が自分を演じている、と言えようか。こういうのをドキュメンタリー/ノンフィクションとは呼べない。近い概念は「リアリティ・ショー」になるかな。

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しかし、これは最初から「フィクションである」と宣言している作品だ。たとえ真実の部分が多く含まれていようと、そこから事実を読み取る際には、細心の注意が必要となる(一番安全なのは、事実を読みとる対象には一切しないこと)。

例えば、五体投地の際に、若い衆はまるでヘッド・スライディングのように勢いよく滑り込んでいた。いかにもカムパらしいとも言えるが、あれは監督の演出の面が強い。あの勢いでは続かない。

映画では、巡礼の前と途中で、やたらと靴を買っていたのが印象的。靴がすぐに擦り切れるからなんだが、その割に、衣服が擦り切れている様子はあまりない。私が見た五体投地巡礼は、例外なく衣服、特に腕の部分はボロボロだった。

また、映画では、一見すると巡礼中はずっとテント泊であるかのように描かれているが、実際は町に着いたら宿に泊まった、と思う。巡礼中宿に泊まっていけない、という決まりはないのだし、出演者からそういう要望もあったんじゃないかと思う。だが、それはストーリーの邪魔なので一挙に削除。

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今は公開直後であるため、これが基本フィクションであることは周知なのだが、数年後にはそういった事情は忘れ去られる恐れがある。

将来、五体投地による巡礼について語る際に、常にこの映画が引き合いに出されるだろう。その時に、五体投地の実際として、この映画の光景をストレートに事実として扱う論考があれば、それはアウト。どこが事実で、どこが演出なのか、区別つかないのだから。いちいち真偽を考えながら、それをクリアした事実のみが論考の対象となる。

その手続を経ずに、この映画をそのまま民族学・宗教学の素材として使うならば、それは動物を扱ったTV番組を、馬鹿正直に動物生態学の素材として利用するようなもの。

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知っての通り(あれ、知らない?)、野生動物を扱ったドキュメンタリー/ノンフィクションは再構成(わかりやすい言葉で言えば「やらせ」)だらけ。

例えば、ワシが獲物を取るシーン

1. 小動物が地面を歩いている
2. ワシの顔面アップ(獲物を見つけたという設定)
3. ワシが飛び立つアップ(獲物に向かうという設定)
4. ワシが急降下しているように見える映像(獲物に向かっているという設定)
5. なぜかワシが獲物を捉える瞬間はない
6. 地面でワシが獲物をあさっている(獲物は1と同じかどうか、わからない)
7. 遠くから不安げに遠くを眺める、あるいは逃げていく別の動物

手持ちのカメラが1台、あるいは2台しかないと思われる野生動物の撮影で、こんなバラエティに富んだシーンが一度に撮れるはずがない。当然、別々に撮った映像(その多くは、獲物を取る場面とはおそらく無関係)を組み合わせて、このシーンを構成しているのだ。

これを「ワシが獲物を捕まえる際の生態」として、自分の研究に使う動物学者はいないだろう。実際はほとんど関係ない映像ばかりなのは、プロにはすぐにわかるから。

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『ラサへの歩き方』も、そういう使われ方はしてほしくないんだが、なっちゃいそうな気がする。

一つ強調しておきたいのは、今も昔も大量にある、ヤラセ、お芝居、再現が多数混入しながらも「ドキュメンタリー」と称している映像とこの映画ははっきり区別してほしい。

しかし、この映画があたかもドキュメンタリーであるかのように扱われると、それらのヤラセ・ドキュメンタリーとは何も変わらなくなってしまう。

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なお、エンディングでの、ヤンペルのチャトル(བྱ་གཏོར་ bya gtor 鳥葬)が行われたのは、カン・ティセ南西部タルボチェ དར་པོ་ཆེ་ dar po che上手にある本物のドゥルトゥー དུར་ཁྲོད་ dur khrod 鳥葬所。

ヤンペルが(映画上で)亡くなったのは、カン・ティセ北面のディラプク・ゴンパ འདྲི་ར་ཕུག་དགོན་པ་ 'dri ra phug dgon paあたりだから、ヤンペルの葬儀をとり行うに当たり、逆回りでドゥルトゥーまで運んだことになる。

まあいいんだけど、なまじロケ現場に馴染みがあると、気になってしまうのだ。

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なお、Google Mapで見ると、今はそのドゥルトゥーに車道を通すという罰当たりなことをしている。最終的にはドルマ・ラを越えて一周させるらしい。

トホホですね。カン・ティセ周囲にある、無数の聖地がその工事で破壊されるのだ。

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この他、フィクションとノンフィクション、ヤラセ・ドキュメンタリーについて長々と書いたのだが、『ラサへの歩き方』からどんどん離れていくので、また別の機会にします。

それにしても、これだけ色々考えさせてくれる映画はなかなかない。その意味でも素晴らしい映画なのです。