2014年6月25日水曜日

Google IMEと日本史用語

中国史、仏教と来たら、日本史もやらなきゃいけませんかねえ。

得意分野ではないのであまりやる気は出ないのですが、どうもGoogle IMEで日本史用語を試したサイトが見当たらなかったのでやってみます。

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源実朝(みなもとのさねとも) 狗奴国(くぬこく) 神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと) 彦火火出見命(ひこほほでみのみこと) 素盞嗚命(すさのおのみこと) 天之日矛(あめのひぼこ) 和気清麻呂(わけのきよまろ) 続日本記(しょくにほんぎ) 犬上御田鍬(いぬがみのみたすき) 狩野元信(かのうもとのぶ) 日本霊異記(にほんりょういき) 伴善男(とものよしお) 橘諸兄(たちばなのもろえ) 新撰姓氏録(しんせんしょうじろく) 往生要集(おうじょうようしゅう) 頼山陽(らいさんよう) 冷泉為相(れいぜいためすけ) 護良親王(もりながしんのう) 関東管領(かんとうかんれい) 後土御門天皇(ごつちみかどてんのう) 物部尾輿(もののべのおこし) 物部麁鹿火(もののべのあらかひ) 陶晴賢(すえはるかた) 嘉吉の変(かきつのへん) 曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん) 最上義光(もがみよしあき) 前野良沢(まえのりょうたく) 菱垣廻船(ひがきかいせん) 曾我蕭白(そがしょうはく) 荻生徂徠(おぎゅうそらい) 前島密(まえじまひそか) 浜口雄幸(はまぐちおさち) 神皇正統記(じんのうしょうとうき) 御成敗式目(ごせいばいしきもく) 斎藤龍興(さいとうたつおき) 大友宗麟(おおともそうりん) 円山応挙(まるやまおうきょ) 久坂玄瑞(くさかげんずい) 蛤御門の変(はまぐりごもんのへん) 聞得大君(きこえおおきみ) 舜天王(しゅんてんのう) 阿弖流爲(あてるい) 母禮(もれ) 箕作阮甫(みつくりげんぽ) 高師直(こうのもろなお) 平田靫負(ひらたゆきえ) 荷田春満(かだのあずままろ) 

なんだか難読人名変換トライアルになってきたな(笑)。

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少なくとも私程度が使う分には、日本史分野でも充分使いでがあることがわかりました。

でも、大石凝真素美(おおいしごりますみ)は無理だったな(笑)。平群真鳥(へぐりのまとり)、葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)あたりも出てほしいところです。

地名がほとんど変換できるのは、やらなくてもわかっているのでやりません。人名よりも日本地名のほうが使いでがあるのかもしれませんね。

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あと有名なのは、西暦を入力すると日本の年号が出てくること。

「1026ねん」と入力すると「万寿三年」と出ます。やあ、これは便利。「1868ねん」では、ちゃんと「明治元年」と「慶応四年」の両方が出ます。

では南北朝時代はどうでしょう。「1340ねん」では、南朝の「延元五年」と「興国元年」、さらに北朝の「暦応三年」まで出ます。素晴らしい。

この機能は中国史にもほしいなあ。でも五胡十六国時代あたりがややこしいですね。同じ年に年号が十個もあったりするし。どれがどの国の年号かもわからない。

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なお、「645ねん」=「大化元年」の前は年号は出ません。天皇の年号が出てもいいんだが、それ以前は「日本書紀の年代がどれくらい信用できるのか?」という問題に立ち入ることになるので、関わらないことにしたと思われます。

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「2014ねん」=「平成二十六年」は当然ですが、「2015ねん」=「平成二十七年」まで出ます。じゃ、これはどこまで行くのかな?

「2016ねん」=「平成二十八年」。
「2020ねん」=「平成三十二年」。

まだ行けそう。

「2030ねん」=「平成四十二年」。
「2040ねん」=「平成五十二年」。
「2050ねん」=「平成六十二年」。
「2051ねん」=「2051年」。

ここで終わりです。まあ、切りのいい所でやめたって感じですね。

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こうなると、いろいろな分野で変換を試したくなります。現在仕事で使っているとってもマイナーな用語が一発変換できているので、かなりおもしろそうなのはわかっているのですが、こればっかりやっていると先に進めなくなります。

というわけで、Google IMEシリーズはこれでおしまい。

2014年6月21日土曜日

Google IMEと仏教用語

次にGoogle IMEで仏教用語を試してみました。

灌頂(かんじょう) 閻浮提(えんぶだい) 脇侍(きょうじ) 點心(てんじん) 法界(ほっかい) 僧伽(そうぎゃ) 阿頼耶識(あらやしき) 舎利佛(しゃりほつ) 習気(じっけ) 預流(よる) 三世仏(さんぜぶつ) 胎蔵界(たいぞうかい) 般若波羅蜜多(はんにゃはらみた) 白毫(びゃくごう) 触地印(そくちいん) 虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ) 金剛薩埵(こんごうさった) 荼枳尼(だきに) 善財童子(ぜんざいどうじ) 有情(うじょう) 沙羅双樹(しゃらそうじゅ/さらそうじゅ) 発願(ほつがん) 四依(しえ) 無礙(むげ) 大印契(だいいんけい) 毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ) 結縁(けちえん) 羯磨金剛(かつまこんごう) 施餓鬼会(せがきえ) 優婆塞(うばそく) 楞伽経(りょうがきょう) 阿字観(あじかん) 微細身(みさいしん) 施無畏(せむい) 結跏趺坐(けっかふざ) 閼伽(あか) 頓悟(とんご) 阿毘達磨(あびだるま) 倶舎論(ぐしゃろん) 時輪(じりん) 悪趣(あくしゅ) 大般涅槃経(だいはつねはんぎょう) 秘密集会(ひみつしゅうえ) 摩訶衍(まかえん) 馬鳴(めみょう) 龍樹(りゅうじゅ) 四弘誓願(しぐぜいがん) 須臾(しゅゆ) 貝多羅(ばいたら) 阿閦如来(あしゅくにょらい) 尼連禅河(にれんぜんが) 羅睺羅(らごら) 維摩経(ゆいまぎょう)

きりがないのでこれでやめますが、仏教用語でもかなり使えることがわかります。

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いや、もちろん完璧ではありません。私が試したものでは変換成功率は8割位です。特にサンスクリット語音写漢字の成績はあまりよくない。

プロ(僧侶・仏教学者)にとっては、「あれも出ない、これも出ない、使い物にならん」でしょうが、アマチュアが仏教用語を扱う程度であれば、もう充分すぎます。とかく読みの難しい仏教用語を登録していく手間を考えたら、もう夢のようです。

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ただし、仏教用語は呉音が多く、通常の音と異なるものがかなりあります。そもそも読みがわからないので、漢字を一個一個拾って入力。あるいは読みを間違って覚えているので正しい漢字が出てこない、というケースが多いと思います。

漢字の字面から発音を教えてくれればもっといいのですが(注)、それはもうIMEの守備範囲外ですね。

でもGoogleなら、これもいずれやってしまいそうな気もする。そうなると、漢字辞典・中国語辞典周辺の検索システムが根本からくつがえるかもしれない。ちょっとワクワクするなあ。

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(注)

こうしてみると、仏教用語の読みって、「チベット文字→どう発音するの?」とあまり変わらないレベル。

ということは、漢字の字面から発音が楽に拾えるようになれば、次はチベット文字の上にカーソルを置くとチベット語(ウー・ツァン方言)発音が出てきて、ユーザー辞書を変えるとラダック語発音が出てくる、なんてのも可能になるかも。

そのためにやらなきゃならない仕事が膨大なのはわかってますが、明るい未来への妄想は楽しいものです。

2014年6月17日火曜日

Google IMEと中国史用語

MS IMEのユーザー辞書が吹っ飛びました。リカバー不能。

使い勝手の悪いMS IME(注1)に嫌気がさしていたところでもあるので、別のシステムに乗り換えを決定。

ATOKに戻ろうかとも思ったのですが、「そういえばGoogle IMEってのもあったな」と、タダなので軽い気持ちでGoogle IMEをダウンロードしてみました。

で、目ぼしい単語をシコシコ登録し始めたのですが、なんか変なんですよ。登録しなくとも出てくる単語がやたらある。

「ああ、これが例の・・・」と思い出しました。Google IMEが固有名詞にやたら強いという噂を。

今回は中国史用語に焦点を絞りますが、他の分野でもきっと驚くようなマニアック変換が見られるのでしょう。

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「Google IMEと中国史」というテーマでは、中国史の達人の方々が何年も前に試してリポートしておられます。

・nagaichi/枕流亭ブログ > 2009-12-04 「Google 日本語入力」を試してみた(中国史篇)
http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/20091204/p1
・宣和堂/宣和堂遺事 宣和堂の節操のない日記 > Google日本語入力(2009/12/05)
http://sengna.com/2009/12/05/googlejapanie/

そこでは、Google IMEの実力は認めておられるものの、すでに膨大な単語登録を済ませてある自前のユーザー辞書を超えるものではなく、あわてて乗り換えるほどではない、といった評価ですね。

でも私のようにユーザー辞書をまるごと失った人には、これは使いでがあります。なにせ今まで手打で登録していた単語の多くが、すでに登録されているんですから。

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私の場合はというと、

「玄奘(げんじょう)」「鳩摩羅什(くまらじゅう)」。この辺がちゃんと出てきたあたりでは「ほー、なかなかやるな」程度でしたが・・・

「吐谷渾(とよくこん)」が一発変換されるに至り、「むむむ、これは・・・」に変わり・・・

「愛新覚羅(あいしんぎょろ)」で顔色を失いました。

そして「上京会寧府(じょうけいかいねいふ)」の一発変換で大爆笑。

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あまりにおもしろいので、思いついた固有名詞をどんどん変換してみると・・・・これは爆笑に次ぐ爆笑です。なんでこんなのまで出るの?というマイナー固有名詞までどんどん出る。

ただただ羅列してみますが、もうおもしろくておもしろくて、それだけで数時間。

康有為(こうゆうい) 朱元璋(しゅげんしょう) 烏魯木斉(うるむち) 道武帝(どうぶてい) 子路(しろ) 公冶長(こうやちょう) 史朝義(しちょうぎ) 寧宗(ねいそう) 伍子胥(ごししょ) 龐涓(ほうけん) 忠烈王(ちゅうれつおう) 汴京(べんきょう) 沙陀突厥(しゃだとっけつ) 奄蔡(えんさい) 咸豊帝(かんぽうてい) 北虜南倭(ほくりょなんわ) 林則徐(りんそくじょ) 献文帝(けんぶんてい) 海陵王(かいりょうおう) 沮渠蒙遜(そきょもうそん) 赫連勃勃(かくれんぼつぼつ) 冉閔(ぜんびん) 慕容廆(ぼようかい) 慕容垂(ぼようすい) 完顔阿骨打(わんやんあぐだ) 耶律阿保機(やりつあほき) 李存勗(りそんきょく) 牛僧孺(ぎゅうそうじゅ) 大祚榮(だいそえい) 蚩尤(しゆう) 啓民可汗(けいみんかがん) 伊尹(いいん) 饕餮(とうてつ) 福康安(ふくこうあん) 琅邪郡(ろうやぐん) 大戴礼記(だたいらいき) 華陽国志(かようこくし) 和氏の璧(かしのへき) 炎帝神農(えんていしんのう) 伏羲(ふくぎ) 女媧(じょか) 黄帝軒轅(こうていけんえん) 蒼頡(そうけつ) 后稷(こうしょく) 公孫無知(こうそんむち) 闔閭(こうりょ) 夫差(ふさ) 勾践(こうせん) 犬戎(けんじゅう) 臨淄(りんし) 邯鄲(かんたん) 粛慎(しゅくしん) 悪来(おらい) 孺子嬰(じゅしえい) 霍去病(かくきょへい) 安慶緒(あんけいちょ) 李継遷(りけいせん) 耶律大石(やりつたいせき) 衛紹王(えいしょうおう) 陳友諒(ちんゆうりょ) 明玉珍(めいぎょくちん) 隆武帝(りゅうぶてい) 張献忠(ちょうけんちゅう) 洛陽伽藍記(らくようがらんき) 携王(けいおう) 斉民要術(せいみんようじゅつ) 竹書紀年(ちくしょきねん) 逸周書(いっしゅうしょ) 顧愷之(こがいし) 慕容皝(ぼようこう) 李茂貞(りもてい) 大明一統志(だいみんいっとうし) 西廂記(せいしょうき) 六盤山(ろくばんざん) 淮南子(えなんじ) 丘処機(きゅうしょき) 褚遂良(ちょすいりょう) 章炳麟(しょうへいりん) 孔頴達(こうえいたつ) 冀州(きしゅう) 堅昆(けんこん) 嬴政(えいせい) 挹婁(ゆうろう) 回鶻(かいこつ) 回紇(かいこつ) 賀蘭山(がらんさん) 彝族(いぞく) 大興安嶺(だいこうあんれい) 飲膳正要(いんぜんせいよう) 蘭亭序(らんていじょ) 

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この辺でやめますが、あーおもしろい。

このあたりの単語は、今まで全部手で登録していたわけですから、その重労働が一気になくなるのです。特に「嬴」だの「媧」だの、単漢字として出すだけでも一苦労する連中が楽々出てくるのですから、そのストレス解放度は相当なものです。

もう決めました。今後Google IME一本で行きます(注2)。

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ただし、私がよく使うチベット関係、モンゴル関係はほぼ全滅です。

拉薩(らさ) 達頼喇嘛(だらいらま) 忽必烈(くびらい/ふびらい) 察合台(ちゃがたい) 呼和浩特(ふふほと)

すら出ません。

でも、それ位ならいくらでも入力しますよ。楽なもんです。

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また、Google IMEはセキュリティ上の問題もないとは言えないようで、導入時にはちょっとした注意が必要です。

・IPA Better Life with IT 情報処理推進機構 > 情報セキュリティ > 2014年2月の呼びかけ 「知らない間に情報を外部に漏らしていませんか?」 ~クラウドサービスを利用する上での勘所~ (2014/02/04)
http://www.ipa.go.jp/security/txt/2014/02outline.html

この辺を参考にしながら、注意して使いましょう、ということですな。

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次に『水滸伝』の人名で試してみましょう。

李逵(りき) 呼延灼(こえんしゃく) 皇甫端(こうほたん) 王定六(おうていろく) 魯智深(ろちしん) 単廷珪(たんていけい)←ホントは「ぜんていけい」なんだけどなあ

全部一発変換(笑)。もう十分だな。

で、「もしかして・・・・」と、アダ名を入力してみると・・・

花和尚魯智深(かおしょう・・・) 豹子頭林冲(ひょうしとう・・・) 入雲龍公孫勝(にゅうんりゅう・・・) 九紋龍史進(くもんりゅう・・・)

もうアダ名を入力するだけで、名前がどんどん出てきます(笑)。これは便利・・・なのか?

「アダ名→名前」の変換が効くのは一部だけにしろ、とにかく大笑いできるのは間違いありません。

「及時雨(きゅうじう)」は出るけど、「宋江」は続いて出て来ない(笑)。「呼保義(こほぎ)」などはそれ自体出もしない。宋江はやっぱり人気ないね。

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ちょっと現代人もやってみましょう。

鄧小平(とうしょうへい) 趙紫陽(ちょうしよう) 胡錦濤(こきんとう) 習近平(しゅうきんぺい) 李克強(りこくきょう)

Google IMEは、検索エンジンGoogle上での入力結果をデータベースとしているらしいので、まあこの辺は楽勝でしょう。

「鄧小平」が一発で出てくれるのは素晴らしい。だけど単漢字では「鄧」は出ないんだな・・・。

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じゃ、コリアン固有名詞をコリア語読みで入力したら?

李承晩(いすんまん) 盧泰愚(のてう) 朴槿恵(ぱくくね) 金日成(きむいるそん) 金正恩(きむじょんうん) 新羅(しるら) 高句麗(こくりょ) 鬱陵島(うるるんど)

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ああ、もう疲れた。

Google IMEの話はもう少し続きます。

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(注1)

でもMS IMEは、「手書き文字認識」は優秀。これだけは今後も使おうと思っています。特に簡体字で。

(注2)

15年ほど前に検索エンジンGoogle が登場した時、その他の検索エンジンが一気に使われなくなりました。当然でしょうね。Google が出るまでは、検索結果の7~8割は目標と無関係のゴミだったんですから。

日本語入力の世界でもまたGoogleが一気に制圧してしまうかもしれません。といっても現れてからすでに5年か・・・。Google IMEの利用価値は、未だあまり知られていないかもしれませんね。

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(追記)@2014/06/29

こりゃいいわ、とスマホの入力システムにもGoogle IMEを入れたのですが、こっちは全然変換してくれません。実に平凡なIME。どうもパソコン版とは辞書が違うようです。

ガッカリ。どうなってんの???

2014年6月14日土曜日

ヒマーチャル小出し劇場(14) お城?シュリング・リシ・マンディル

クッルー県最南端バンジャール(बन्जार Banjar)。旅行者はほとんど行かない町です。そのバンジャールから数km山に入ると忽然と現れるのが、このシュリング・リシ・マンディル(शृंग ऋषि मंदिर Shring Rishi Mandir)。















日本人なら一目見て笑みが漏れるでしょう。まるで日本の「お城」なんですから。といっても石垣や堀はありませんから、天守閣だけですが。

よくよく見ると、建築スタイルはヒマーチャルによくある角塔寺院です。でも白塗りの壁が目立ち、それに加えて反り屋根に入母屋作り、とお城を思わせる意匠満載。壁のシンボル(何だかわかりません)も家紋を思わせます。

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この寺院は聖仙シュリンガ(ऋष्यशृंग Rishyashringa)を祀っています。聖仙シュリンガは、女色に迷って神通力を失った仙人として有名。

この神話は仏教のジャータカにも採用されました。さらに漢訳仏典として日本に渡り、『今昔物語』にも収録されます。そして謡曲・能の作品にもなりました。いわゆる一角仙人です。

では、ここが聖仙シュリンガ神話発祥の地か、というとそうではなさそう。聖仙シュリンガを祭った寺院でもっとも有名なのは、カルナータカ州Shringer近郊Kiggaです。どちらも神話を取り入れただけでしょうね。

神谷武夫先生の研究によれば、リシ(聖仙)を祀った寺院は、もともとは蛇神(ナーガ/ナーグ नाग Naga/Nag)の寺院であったケースが多いとのこと。Shring Rishi Mandirもそうなのかもしれません。

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この寺院が特異なのは、マラーナーのジャムルー神と交流があることです。ラーホール~マラーナー~キナウルとつながるヒマーチャル基層文化を探る上でも重要な場所なのですが、どんどん話が長くなるので、今回はこれで終わり。

小出し劇場なのに、また長くなってるな・・・。

2014年6月10日火曜日

チベット・ヒマラヤTV考古学(13) マナスル登山関連TV番組一覧-その3

1970年5月の日本隊エヴェレスト初登頂を受けて、再びヒマラヤ登山に注目が集まった。日本隊もマナスルに再挑戦。

すばらしい世界旅行 マナスル8156メートルを征服す ネパール  
1971夏(30分) 日本テレビ
1971年春、ネパール・マナスル山群のマナスル(8156m)へ登山隊が2隊同時期に入山。西壁からの登頂をめざす日本マナスル西壁登山隊(隊長:高橋照)と北東稜からの韓国隊。日本隊は5月17日登頂に成功(小原和晴、田中基喜)、1956年の日本隊による初登頂以来15年ぶりの史上第2登であった。番組はこの登攀記録。なお、韓国隊は隊員の遭難死により敗退。
参考:
・毎日新聞
・高橋照 (1976) 『マナスル西壁 鉄の時代のヒマラヤ』. 文藝春秋.
・小原和晴+高橋善数・編 (1976) 『マナスル西壁 登攀報告書』.山と渓谷社.

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1960年代、日本女性もヒマラヤ登山に進出するようになり、1970年代には8000m級に挑戦するまでに成長した。その入口として選ばれたのはやはりマナスル。

【 1974日本女性マナスル登山隊関連 】

1974年春、同人ユングフラウによる日本女性隊(総指揮:佐藤京子、隊長:黒石恒)がネパール・マナスル山群マナスル(8156m)に挑戦。未踏の東稜からの登頂をめざすも断念し、通常の北東稜ルートに変更。5月4日、中世古直子(登攀隊長)、内田昌子、森美枝子がシェルパのジャンブーと共に登頂に成功。女性の8000m級峰制覇世界初という快挙をなしとげた。第2次アタックは鈴木貞子隊員が遭難死し中止。
参考:
・朝日新聞社企画部・編 (1974) 『日本女性マナスル登頂 栄光と涙の記録 世界初の8,156メートル』. 朝日新聞社.
・日本女性マナスル登山隊・編 (1974) 『日本女性マナスル登山隊報告書 1974』. 茗溪堂.

テレビ・ルポルタージュ マナスルに挑む女たち  
1974春(30分) TBSテレビ
10年前からマナスル挑戦を計画してきた佐藤京子(36歳)とその仲間たちの、登山隊派遣に至るまでの苦労を描く。放送当日はまだ登頂成功のニュースは日本に届いていなかった。
参考:
・毎日新聞

マナスルの白い影 女性登山隊の記録  
1974末(60分) TBSテレビ
語り:中世古直子・隊員。
カトマンドゥ出発から登頂成功に至るまでの行動を、関田美智子・隊員が撮影した8ミリフィルム映像で追っていく(放送局取材班は同行していない)。鈴木隊員遭難前後の様子も報告。
参考:
・毎日新聞

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1980年代になると、ヒマラヤ登山は珍しいものではなくなり、TV番組として見る機会もだいぶ減る。マナスルにも多くの登山隊が登頂しており、大きく取り上げられることもなくなった。

そのマナスルがまたもや注目を浴びたのは、1981年のイエティ同人隊が映像に収めたヒマラヤ越えのツルの映像。ツルのヒマラヤ越え関連番組は他にもあるので、こちらもいずれまとめてみましょう。

ニュース・ウィークリー マナスルのつる ほか
1981秋(5分程度か?) NHK総合
1981年秋、イエティ同人隊(隊長:加藤保男)がネパール・マナスル(8156m)に挑戦。10月12・14日に計3名が登頂に成功。加藤保男は3度目の8000m級峰制覇という偉業を成し遂げた。この登攀では、ヒマラヤを越えるアネハヅルの姿をモンスーン明けの指標としていたが、その美しい姿をフィルムに収めることにも見事に成功した。おそらくその映像が放映されたと思われる。
参考:
・朝日新聞

科学ドキュメント ヒマラヤを越えるツル マナスル登山隊の記録
1982初(30分) NHK総合
1981年秋、イエティ同人隊(隊長:加藤保男)のネパール・マナスル(8156m)登攀の際に撮影されたヒマラヤを越えるツルの群れ。このツルが絶滅寸前のソデグロヅルではないかと話題になった。ヒマラヤを越えるツルはオグロヅル、アネハヅル、ソデグロヅルなど数種類いるらしく、飛ぶ姿・模様はどれもよく似ているが、後にこれはアネハヅルと判断された。マナスル登山の映像と共にツルの正体やその生態について推理する。
参考:
・朝日新聞

アネハヅル謎のヒマラヤ越え 飛行ルート5000キロを追う
1996初(90分) NHK総合 
ヒマラヤ高峰のさらに上を越えて飛ぶアネハヅルの群れの映像は、この世で最も美しい絵のひとつだろう。調査地はロシア・ダウルスキー自然保護区(バイカル湖南東、モンゴルとの国境近く)、モンゴル最西端、カリガンダキ(マルファ付近、メインのロケ地)、マナスルBC、インド・ラジャスタン。(注)
参考:
・日本野鳥の会+読売新聞社事業開発部・編 (1997) 『翔る ツルの渡り追跡調査写真集』. 読売新聞社.

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(注)

これも、他サイトに同一の文章がありました。明示は一切ありませんでしたが、私が提供した文章そのままですから、ここでもそのまま掲載します。

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(追記)@2014/06/10

最近の番組は調べていないのでわかりません。聞くところによると、イモトさんというタレントの方がマナスル登頂に成功したことが話題になっているとか。

と言われても、私はテレビを持っていないのでほとんど知りません。そのイモトさんも動いている姿を見たことがない。まあTVを見なくても死ぬことはありませんから平気。

2014年6月6日金曜日

チベット・ヒマラヤTV考古学(12) マナスル登山関連TV番組一覧-その2

マナスル登頂の余韻は翌年以降も覚めやらず、数々の回顧番組が作られます。昭和史・戦後史回顧番組でも必ず取り上げられるアイテムとなり、マナスル登頂は今や「歴史」になった、と言えるでしょう。

一方登山家たちは、次の目標として同じマナスル山群のヒマルチュリやピーク29、ジュガール・ヒマール山群を目指し、これらの軌跡も記録映像としてたくさん残っています(今回は省略)。

そして続く目標として、いよいよエヴェレスト(サガルマータ/チョモランマ)が視界に入ってくるのですが、1965~69年のネパール・ヒマラヤ登山全面禁止を受けてその試みは頓挫。日本隊によるエヴェレスト初登頂は1970年まで待たなくてはなりませんでした。

エヴェレスト登山関連番組もいずれまとめてみましょうかね。

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【ラジオ】 マナスル登頂一周年記念随想特集(全6回)  
1957春(20分?×6) ニッポン放送
(1)松方三郎(日本山岳会会長)/マナスルまで
(2)竹節作太(毎日新聞運動部長)/ヒマラヤの風物詩
(3)三田幸夫(第一次マナスル登山隊隊長)/ヒマラヤの山々
(4)加藤喜一郎(マナスル登頂隊員)/マナスルという山
(5)木原均(京都大学理学部教授)/科学的の成果
(6)槇有恒(第三次マナスル登山隊隊長)/マナスル登頂の意義
参考:
・毎日新聞

ヒマラヤのお話  
1958夏 KRテレビ
出演:依田孝喜(毎日新聞社写真部、3本のマナスル登山記録映画のカメラマン)、加藤喜一郎(マナスル登頂者の一人)。
参考:
・毎日新聞

ヒマラヤ物語  
1960初(45分) 日本テレビ
出演:槇有恒(第三次マナスル登山隊長)、三田幸夫(第一次マナスル登山隊長)。
フィルムと座談でマナスルを中心にヒマラヤ登山を語り合う。
参考:
・読売新聞
・毎日新聞
・岩下莞爾 (1989) 『テレビがチョモランマに登った』. 日本テレビ.

びっくりスコープ 世界の屋根ヒマラヤ  
1960夏(25分) NHK総合
出演:槇有恒(第三次マナスル登山隊長)、林寿郎(雪男学術探検隊)、高島春雄、中沢公正。
参考:
・毎日新聞

映画 マナスルに立つ  
1961初(90分) NETテレビ
1956年公開の第三次マナスル登山隊の初登頂記録映画を初テレビ放映。
参考:
・毎日新聞

特別番組 ガルツェンをしのんで  
1961秋(30分) NETテレビ/毎日放送テレビ
出演:槇有恒(第三次マナスル登山隊長)、松田雄一(マナスル/ヒマルチュリ登山隊員)、杉浦耀子(デオ・ティバ婦人登山隊員)、広谷光一郎(ランタン・リルン登山隊員)。
ギャルツェン・ノルブ(རྒྱལ་མཚན་ནོར་བུ་ rgyal mtshan nor bu)は、日本人ヒマラヤ登山隊で常に活躍してきたシェルパ・サーダー。1956年のマナスル初登頂者の一人でもある。1961年春のランタン・リルン登山隊(大阪市立大)において、5600mのC3地点で雪崩に遭い日本人隊員2名と共に死亡。
彼の妻と四人の遺児の経済的困窮を救おう、とガルツェン遺児援助資金募集委員会(委員長:槇有恒)が設立され、テレビ局の賛同を得て追悼番組が放映された。CM収益と出演料は寄付され、一般募金の呼びかけも行ったようだ。
参考:
・毎日新聞
・大阪市立大学ヒマラヤ遠征委員会 (1962) 『雪線別冊 大阪市立大学ランタンリルン遠征報告書 1961 Premonsoon』. 大阪市立大学ヒマラヤ遠征委員会.

婦人ニュース 父ガルツェンをしのぶ  
1964夏(15分) TBSテレビ
出演:ニマ・ノルブ。
日本のヒマラヤ登山隊で活躍し1961年に遭難死したシェルパ・サーダーのギャルツェン・ノルブの娘さんが来日し、父の想い出を語る。
参考:
・毎日新聞
・大阪市立大学ヒマラヤ遠征委員会 (1962) 『雪線別冊 大阪市立大学ランタンリルン遠征報告書 1961 Premonsoon』. 大阪市立大学ヒマラヤ遠征委員会.

教養特集 日本回顧録 アイガーからマナスルまで  
1963夏(60分) NHK教育
出演:槇有恒(第三次マナスル登山隊隊長、1894~1989)、聞き手:串田孫一(東京外語大学教授)、ゲスト:三田幸夫(日本山岳会副会長)、今西寿雄(第三次マナスル登山隊員)、藤山愛一郎。
日本登山界の進歩と共に歩んできた槇氏の輝かしい半生をたどる。槇氏は1921(大正10)年にアルプス最難関コースといわれていたアイガー東山稜登攀に成功し一躍世界の登山界に名を知られるようになる。その後1925(大正14)年、日本初の大規模海外遠征となったカナディアン・ロッキーのアルバータ峰(3619m)初登頂にも成功。そして1956(昭和31)年には第三次マナスル登山隊長として、見事日本人初の8000m級高峰登頂へと導いた。
参考:
・毎日新聞
・槇有恒 (1968) 『わたしの山旅』. 岩波新書.

教養セミナー 証言・現代史 西堀栄三郎 "探検精神半世紀"(全2回)
1984春(45分×2) NHK教育
第1回南極観測越冬隊長を務め、マナスル登山隊派遣にも尽力した探検家・西堀栄三郎(当時81歳、1903~1989)の足跡を本人の証言とともに振り返る企画。
(1)マナスルから南極へ
最終的に日本山岳会が主催したマナスル登山隊だが、その発端を作り、実現へ向けて尽力したのは京都大学山岳部OBの西堀と今西錦二であった。
(2)品質管理から原子力へ
こちらは本業である技術研究者としての足跡を追ったもの。
参考:
・朝日新聞
・西堀栄三郎・著、唐津一ほか・編 (1991) 『西堀栄三郎選集 人生は探検なり 西堀榮三郎自伝』. 悠々社.

2014年6月1日日曜日

ツェリン・シャーキャ先生の名前

例によって追記を書いているうちに長くなったので、独立させました。

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前回のエントリーで「シャキャ(シャーキャと伸ばした方がよい) ཤཱཀྱ shAkya」の表記にひっかかった方もいるのではないでしょうか?

これはインド語なので、ちょっと変わった綴りになっているわけです。shAとkyaの間に「་ (ཚེག tsheg ツェグ)」がないのもそういうこと。ツェグが入ることもありますが、それはやっぱり「チベット語化している」とみなした場合の表記。どちらでもOK。

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kyaの後にツェグをつけるかつけないかは難しいところ。

文章になっている場合、文末の基字が

(1)ཀ ka、ག ga、ཤ shaのときは、ツェグも「། (ཤད་ shad シェー)」もくっつかない。
(2)ང ngaのときはツェグとシェーの両方つける。
(3)その他のときはシェーだけつける。

というのがチベット文の決まりです(注1)。

これが、文章ではなく、単語だけを取り上げた場合の表記はどういう決まりになっているのか知りません。

単語だけを取り出した場合でも、文章と同じ扱いでシェーをつける人もいます。あるいはツェグで済ます人もいます。これは文章の一部を抜き出した、という解釈でしょう。

私は後者ですが、語末基字がka、ga、shaのときは、先ほどの(1)に倣ってツェグもつけないようにしています。つける人もいます。

この辺はよくわからないところなので、もし「はっきりとした決まりがあるのに馬鹿だなー」ということでしたら教えてください。

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なお、Tise+Tibetan Machine Uniでのキーストロークは「shAkya」あるいは「shaakya」。どちらでも同じ表記が出てきます。よくできていますね。

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さて、そのshAkyaの意味ですが、これはもちろん「釈迦」のこと。釈尊の出身氏族名です。

あれ?ということは、もしかするとツェリン・シャーキャさんは苗字がシャーキャ?

そう言われてみると、チベット人の名前は通常苗字はなく、2つの単語がくっついてできているはずです。たとえば

bstan 'dzin bkra shis
rin chen sgrol ma

など。

ところがtshe ring dbang 'dus shAkyaという名前は単語が3つ。shAkyaが氏族名である可能性は高いでしょう。調べてみると、shAkya tshe ring dbang 'dusと、shAkyaが先頭に来る表記もみかけます。

氏族名をつけるのは貴族などの名家出身者が多い。現代でも氏族名を名乗っている人もいますが、なんといっても吐蕃時代の個人名によく出てきます。

mgar stong rtsan yul zung(ガル(氏の)・トンツェン・ユルスン)
dba's stag sgra khong lod(バー/ウェー(氏の)・タクラ・コンルー)

など。ご覧のように氏族名が先頭に来ます。

shAkyaが氏族名だとすると、ツェリン・シャーキャという具合に氏族名が最後に来るのはどうしてでしょうか。これは、ツェリン・シャーキャさんが長く欧米で暮らしているから、とみられます。つまり、欧米風に苗字を最後に持っていった、ということ。

チベット人としての名前は「シャーキャ(氏の)・ツェリン・ワンドゥー」、UK/カナダ住民としての名前は「Tsering W. Shakya」ということなのでしょう(注2)。

なお、ツェリン・シャーキャさんが、UKあるいはカナダ国籍を取得しているかどうかは知りません。

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シャーキャという氏族名、どうもチベット起源ではなさそうです。

この氏族名は現在でもネパールに残っています。カトマンドゥ盆地の原住民族ネワール人(नेवार)の氏族名です。

本当かどうかはわかりませんが、シャーキャ氏族(शाक्य)は、カピラヴァストゥからカトマンドゥ盆地に移住した釈迦族の子孫と称しています。現在は、仏師を生業とする仏教徒高位カーストの氏族名でありカースト名です(注3)。

吐蕃時代の昔から近年に至るまで、ネパールからチベットへは多くの仏師が招かれています。そしてそのままチベットに定住した者も多い、といいます。ツェリン・シャーキャさんの先祖は、そういったネワール仏教の仏師だったのかもしれません。

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ツェリン・シャーキャさんの家系については、本やネットで調べても出てこないので、ほとんど私の推察ばかりなのですが、おそらくそれほど的外れではないでしょう。

もしかすると、先日ツェリン・シャーキャ先生に直接お会いした方の中に、このあたりの事情をすでに聞いている方がいらっしゃるかもしれません。それで、もし今回の内容に誤りがあれば、早いうちに訂正しておきたいところです。

というわけで、早くどこかにこの辺のお話が出ないものでしょうか、と楽しみにして今回は終わり。

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(注1)

これも何故にそういう決まりになっているのか知らない。『性入法』あたりに説明があるのでしょうか?

(注2)

同様なケースは、以前紹介したSamten Gyaltsen Karmay先生。Karmayが氏族名/苗字です。チベット語では、このKarmayが先頭に来ます。

なお、以前Karmayのチベット文字表記をmkhar smadとしました(ネット上で拾ったもの)が、どうもmkhar rme'uが正しい模様(こちらもネット上で拾ったものですが)。

とすると、これはまた面白い話になるのですが、長くなるので別稿で。あっちのほうも追記を入れておきましょう。

その前に、マナスルTVを片付けてしまいましょうかね。

(注3)

本来カーストを否定するところから始まった仏教ですが、ネパールではヒンドゥ教のカースト制度に組み入れられてしまい、仏教徒の中にもカーストができてしまいました。

密教僧カースト(Vajracarya/Gubhaju)、仏師カースト(Shakya/Bare)が仏教徒高位カーストになります。

ネワール仏教やシャーキャ氏族について詳しくは、

・立川武蔵・編 (1991) 『講座 仏教の受容と変容 3 チベット・ネパール編』. pp.324. 佼成出版社, 東京.
・David N. Gellner (1993) MONK, HOUSEHOLDER, AND TANTRIC PRIEST ; NEWAR BUDDHISM AND ITS HIERARCHY OF RITUAL. pp.xxiii+428. Foundation Books, New Delhi.
← Original : (1992) Cambridge University Press, Cambridge(UK).
・田中公明+吉崎一美 (1998) 『ネパール仏教』. pp.vii+264+14. 春秋社, 東京.
・アジャヤ・クラーンティ・シャーキャ・著、井沢元彦・監修、堤理華・訳 (2009) 『シャカ族 仏陀を輩出した一族に今なお伝わる仏教の原点』. pp.389. 徳間書店, 東京.
← 英語原版 : Ajaya Kranti Shakya (2006) THE ŚĀKYAS. pp.272+pls. Nepal Buddhist Development & Research Centre, Kathmandu.

あたりをご覧ください。