2017年11月29日水曜日

ベトナムの密教僧院遺跡

引き続き「新アジア仏教史」を読んでいるわけですが、

・福田洋一・編集協力 (2010.4) 『須弥山の仏教世界』(新アジア仏教史 09 チベット). 493pp. 佼成出版社, 東京.

は、読んだのは3回目。書くこといっぱいありすぎて、今回は諦めた。

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そろそろ買わなきゃな。そして、買ってからじっくり書こう。

いずれにしても名著なのは間違いありませんので、買って損はありません。

「ゲルクパ以外、特にニンマパの記述が少ない」と不満の方には、

・永沢哲・監修 (2016.9) 『チベット仏教 特集』(サンガジャパン, vol.24, 2016 summer). 764pp. サンガ, 東京.

という巨大な本もありますから、そちらで。

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というわけで、飛ばして次へ。

・石井公成・編集委員 (2010.5) 『漢字文化圏への広がり』(新アジア仏教史 10 朝鮮半島・ベトナム). 453pp. 佼成出版社, 東京.


装幀 : 間村俊一, 表紙写真 : 小坂泰子

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まずは朝鮮半島仏教。

この巻に期待したのは、モンゴル帝国時代の高麗へのチベット仏教の伝来とその痕跡。

ところがなんと、その時代についての記述は10行にも満たない。モンゴル帝国時代もその影響も、全く存在しないことになっている。これは異常でしょう。

いくら、かの国が「自分に都合の悪いことはなかったことにする」傾向が強い国であっても、日本人研究者までそれにつきあうことはない。なさけない。

というわけで、何の役にも立ちませんでした。

その後の李氏朝鮮時代も、仏教の弾圧と衰亡の記述が単調に繰り返されるだけで、退屈極まりない。

さっさとベトナムへ進みましょう。

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こちらはとてもおもしろい。

ベトナム仏教は、中国仏教の影響が圧倒的に強い場所とばかり思い込んでいたが、思ったよりもインド、さらに中央アジアからの僧が渡来し、中国への中継地として機能していたことがわかった。

そして、ベトナムにも密教が伝わっていたことが、おぼろげながらわかった。

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驚いたのは、ベトナム中部にあるドンズオン(Dong Duong/洞楊)仏教遺跡。


同書, pp.360-361

ベトナムに、こんなインドインドした仏教僧院(でしょう)があったとは。

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これ、ンガリーのトリン寺 མཐོ་ལྡིང་ཆོས་འཁོར་ mtho lding chos 'khorそっくりだ。中央の伽藍が十字型のところまでそっくり。


トリン寺(Google Mapより)

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これのもとになったのは、インドのVikramashila Mahavihara विक्रमशिला महाविहार。


Vikramashila Mahavihara(Google Mapより)

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Bangladesh Paharpur पहाड़पुरにも、Vikramashilaとよく似たプランのSomapura Mahavihara सोमपुर महाविहारがある。


Somapura Mahavihara(Google Mapより)

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中央の十字型伽藍こそないものの、SpitiのTabo Choskhor རྟ་ཕོ་ཆོས་འཁོར་ rta pho chos 'khorもこの系統である。


Tabo Choskhor(Google Mapより)

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ドンズオン遺跡は、Google Mapで見ても、今は畑が広がっているだけで、地表に痕跡は皆無。わずかに崩れた門が残っているだけだという。

インド、チベットのこの形状の伽藍は、金剛界五仏を祀っていたもばかりなので、ドンズオンも金剛界五仏、すなわち金剛頂経と関係が深いに違いない。

残念ながら、遺物もわずかに博物館に観世音菩薩像が残っているだけらしいので、その全体像は不明な点が多い。

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しかし、IndonesiaのBorobudurにも密教が伝わっていたのだから、ベトナムにも伝わっていて全然おかしくないのだ。

東南アジアへの密教伝来というのは、今後の仏教史研究の一つのフロンティアかもしれませんね。

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というわけで、ベトナム編は大変面白い内容でした。

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(追記)@2017/12/02

モンゴル帝国時代、高麗へのチベット仏教伝来についての論文がありました。

(1) 許一範 (2000.3) チベット・モンゴル佛教の高麗傳來について. 印度學佛教學研究, vol.48, no.2, pp.1010-1006.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/48/2/48_2_1010/_article
(全文表示には、J-STAGEへの登録(無料)が必要です)
(2) 李智英 (2015.10) 十五世紀、朝鮮王朝仏画にみられるチベット的要素 昭恵王后における明朝仏教文化の受容. 美術史, vol.65, no.1, pp.152-169.
(2a) 李智英 (2014.5) 15世紀、朝鮮王朝仏画にみられるチベット的要素をめぐって 昭恵王后による明仏教文化受容の一側面. 第67回美術史学会全国大会, 2014年5月17日(土)10:40-11:20.
http://www.bijutsushi.jp/c-zenkokutaikai/pdf-files/2014_05_17_20_li.pdf

(1)は、現在わずかながら残っている、高麗時代のチベット仏教の痕跡を追ったもの。たぶんもっとある(あるいは、あった)と思うが、韓国では全く研究対象とされていないらしいのだ。

(2)は、論文本体は未見だが、(2a)学会での講演要旨でその概要を知ることができる。

それによれば、仏教弾圧が激しかった李氏朝鮮時代でさえ、明朝経由でチベット仏教美術が伝わっていたらしいのだ。

朝鮮仏教におけるチベット仏教の影響についての研究というのは、本当にもうフロンティアもフロンティアなのかもしれない。今のどぎついKorean Nationalismが続くようだと、永久にフロンティアのままかも知れないが

2017年11月14日火曜日

西蔵ツワン先生の新聞記事

2014年5月15日木曜日 チベット・ヒマラヤTV考古学(10) 1960年代、日本へのチベット人留学生
2017年6月16日金曜日 飯能で映画「ラサへの歩き方」を見てきました

で紹介した、埼玉県在住の在日チベット人、西蔵(にしくら)ツ(ェ)ワン先生(日本に帰化)の新聞記事が出てました。

・毎日新聞 > 医療 > ストーリー 三股智子/日本で生きるチベット難民(その1) いつか帰りたい故郷 (毎日新聞2017年11月12日東京朝刊)
https://mainichi.jp/articles/20171112/ddm/001/040/127000c
・毎日新聞 > 医療 > ストーリー 三股智子/日本で生きるチベット難民(その2止) 日本に育てられ (毎日新聞2017年11月12日東京朝刊)
https://mainichi.jp/articles/20171112/ddm/010/040/063000c

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西蔵ツ(ェ)ワン先生の本名が

ツ(ェ)ワン・ユゲル ཚེ་དབང་གཡུ་རྒྱལ། tshe dbang g-yu rgyal/

であることもわかりました。チベット文字綴りは推定ですが。

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本文に現れる他の人名の、チベット文字綴りも推定してみましょう。

まずツ(ェ)ワン先生と共に来日した5人の留学生のうち、他の4人。

ペマ・ギャルポ པདྨ་རྒྱལ་པོ། padma rgyal po/

ダムデン・ギュルミー(西大寺ダムデン) དམ་ལྡན་བསྒྱུར་མེད། dam ldan bsgyur med/

ギュルミー・ワンダー བསྒྱུར་མེད་དབང་གྲགས། bsgyur med dbang grags/

トプゲイ・ブティア སྟོབས་རྒྱལ་ भोटिया stobs rgyal Bhutia
(Bhutia/Bhotiyaはチベット語ではなく、インドにおいてチベット人を指す他称)

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ツ(ェ)ワンさん、ペマさん、ダムデンさん以外の2人の行方が気になっていたのだが、ギュルミーさんはギャワ・リンポチェ(ダライ・ラマ法王)のbodyguardとなり、現在はCanada在住。

トプゲイさんは在Delhi日本大使館に勤務。インドで活動しているため、チベット人であることを示すBhutiaを苗字のように使っているものと思われる。

かなりすっきりした。

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ツ(ェ)ワン先生の奥さん

チュドレン ཆོས་འདྲེན། chos 'dren/ か ཆུ་འདྲེན། chu 'dren/

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毎日新聞のチベット関連記事については、これまであまりいい印象を持っていなかった。

ダライ・ラマ法王説法の取材について、「デスクワークから離れられてよかった」なんていう、中学生レベルの感想を紙面に垂れ流したり、チベット取材では、チベット人による中国共産党批判の声を伝えながら、それは、批判した本人が誰なのか、共産党側が簡単に特定できるような、お粗末な記事だった。

間接的に中国共産党のチベット抑圧に手を貸している、と言われても仕方あるまい。

他の紙面でも、だんだんレベルの低い記事が目立つようになり、毎日新聞を読む機会もなくなっていたところ。

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今回の記事は、淡々としているものの、取材内容を的確かつ簡潔に届けており、好感が持てる。

こういう優秀な記者が、本社に栄転するといろいろ圧力を受けて、まるで人民日報そのままのような記事を垂れ流すようになるのは勘弁してほしいものだ。

2017年11月13日月曜日

広島大学がンガリーに望遠鏡設置完了

2016年10月5日水曜日 広島大学ンガリー天文台
2017年3月14日火曜日 広島大学ンガリー天文台(続報)

で紹介した、西チベット・ンガリー(阿里地区)の「ガル山(注)」に建設した観測所にようやく望遠鏡が据え付け終わったそうです。

・読売新聞/YOMIURI ONLINE > 科学・IT > 松田祐哉/重力波、チベットから迫る…広島大が望遠鏡設置 (2017年11月12日 14時41分) 
http://www.yomiuri.co.jp/science/20171112-OYT1T50024.html

作業は9月下旬~10月上旬だったそうで、もう気候は相当厳しくなっていると思われます。標高5130mの場所での作業はかなり大変だったでしょう。お疲れ様でした。

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しかし、この観測所に日本人研究者は常駐せず、日本から遠隔操作して観測するんだそうですが、大丈夫かなあ。中国~チベットは何が起きるかわからないので、想定外のトラブルがかなりありそうな気もするんですが・・・。

でも、trouble shootingが突発的に必要になったとしても、近くに飛行場もできているし、うまくいけば日本から1週間以内に現場に到達できるでしょう。冬はどうか知りませんが(笑)。

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何はともあれ、重力波天体の観測というのは、私もとても興味があるテーマなので、是非KAGRAと共に、日本初の重力波とその発信源天体の発見に結びついてほしいものです。

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(注)

観測所の場所は一般的には「ガー山」と呼ばれていますが、私は「ガル山」と呼びます。その理由については、2017年3月14日のpostをお読みください。