2016年3月26日土曜日

音盤テルトン(11) フリー・ジャズでラテン・ロックでチベット仏教で・・・

本エントリーは
音盤テルトン 2016年3月26日土曜日 音盤テルトン(11) フリー・ジャズでラテン・ロックでチベット仏教で・・・
に移籍しましたが、チベットものでもあるので、ここにも残しておきます。

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Don Cherry/HEAR & NOW [Atlantic → Wounded Bird]
1976/12, Electric Lady Studios, NYC














Art Direction : Lynn Breslin

Don Cherryの怪作。一言で言うと、フリー・ジャズの名手Don Cherryで、ラテン・ロックで、チベットもの!というごった煮度。

ジャケットからしてヤバイ。安いチベット布タンカ風の装丁の真ん中に、ポケット・トランペットを持ったDon Cherryが結跏趺坐をしながら空中浮遊しているという・・・。

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Don Cherryは、1970年代前半の北欧在住時代に

Don Cherry/ETERNAL NOW [Sonet] 1973

という作品を残していて、そこではもろにTibetという曲をやっている。

もともとチベットに興味はあったようなのだが、その趣味をより色濃く出したのがこの作品。

だがミュージック・ビジネスは、そんなものを丁寧に扱ってはくれない。これを当時はやっていたラテン・ロックの味付けで売れ線に持って行こうというのが、プロデューサーNarada Michael Waldenのやった仕事。

そもそもDon Cherryを連れて来る時点で、売れ線に・・・という考えがおかしいのだが、自分の筋は曲げずにそこに乗って行く、Don Cherryのフットワークの軽さは素晴らしい。

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01. Mahakali
DC (tp, conch shells, bells, vo), Michael Brecker (ts), Clif Carter (kb), Stan Samole (ld-g), Ronald Dean Miller (rhythm-g), Collin Walcott (sitar), Maki (tamboura), Marcus Miller (b), Lenny White (ds), Narada (tympani), Raphael Cruz (perc)

スピリチュアル・ジャズの世界では、「鈴の音で始まる曲はヤバイ!」という定説がある。この曲では、鈴に続いて出てくるのは、お経にホラ貝と来るんだからヤバすぎる。

その次はtamboura(注1)をバックにDon Cherryと若き日のMichael Breckerが楽器でお経を唱える!!!(注2)もうヤバすぎでしょ、というイントロ。

そして一転、派手なギターがリードする一発もの8ビート・ロック。もう何がなんだかわかりません。その後はこのまま展開するのだが、最後はまた変な終わり方してほしかったなあ。

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(注1)

tambouraは、sitarに似た楽器だが、メロディーを弾かずバックでビョワ~ン、ビョワ~ンとドローンを奏で続ける役割。

・Wikipedia (English) > Tanpura
https://en.wikipedia.org/wiki/Tanpura

そういえば、カザフの弦楽器「ドンブラ」もメロディーを弾かない。これは、名称も楽器自体も関係あると見た。そのうちじっくり調べてみよう。

(注2)

サックスで祈りを唱えるという手法は、1964年にJohn ColtraneがA Love Supreme : Part 4 Psalm(至上の愛:パート4 賛美)ですでにやっている。これも「まるでお経」と言われていた。

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02. Universal Mother
DC (tp, vo), CC (kb), SS (g), Louis Colin (harp), Neil Jason (b), Steve Jordan (ds), Sammy Figueroa (cga), RC (perc)

今度はDon Cherryのトランペット・ソロで普通に始まるが、途中からCherryの語り、そして後半は「オムマニペメフム」が繰り返される。メロディーはちょっとチベット歌謡風でもある。

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03. Karmapa Chenno
DC (tp, vo), CC (kb), SS (ld-g), RDM (rhythm-g), MM (b), LW (ds), SF (cga), RC (perc), Cheryl Alexander (vo), The Supreme (crikets)

まっとうなCarlos Santana風ラテン・ロックかと思いきや、スキャットで奏でられるサビはチベット歌謡風というのだから、わけがわからない。最後のCherryのささやき「パチンコ、パチンコ」はなんだろうか?

「わーひゃー」という叫び(crikets)担当のThe SupremeはもちろんDiana Rossではありません。

曲名はKarmapa chenpo ཀརྨ་པ་ཆེན་པོ་ karma pa chen poの間違いでしょう。ギャルワ・カルマパ16世ランジュン・リクペー・ドルジェ རྒྱལ་བ་ཀརྨ་པ་སྐུ་ཕྲེང་བཅུ་དྲུག་པ་རང་འབྱུང་རྡོ་རྗེ་ rgyal ba karma pa sku phreng bcu drug pa rang 'byung rig pa'i rdo rje(1924-81)のことか?

ネタ元はどうも、1970年代にUSAでチベット仏教の布教に大成功を収めていたチューギャム・トゥンパ・リンポチェ ཆོས་རྒྱམ་དྲུང་པ་རིན་པོ་ཆེ་ chos rgyam drung pa rin po che(日本ではチョギャム・トゥルンパという表記が一般的)ではないか、と思われます。師はカルマ・カギュパのラマなので、 師の本や説法をヒントにこの曲(ひいてはこのアルバム)を作ったんじゃないでしょうか。

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04. California
DC (tp), CC (kb), SS (g), NJ (b), Tony Williams (ds), SF (cga), RC (perc), Ocean

Personnelに「Ocean=波の音」というのが笑える。無駄にTony Williamsまでいるし。

Santana風ラテン・ロック。Don Cherryのトランペットが気持ちよさそうにそれに乗っかります。

なんでCaliforniaかというと、1970年代のCaliforniaは神秘思想家やヒッピーたちの聖地だったのです。Don Cherryの当時の趣味・嗜好が如実に現れている。

その辺の事情は、

・海野弘 (2001.2) 『癒しとカルトの大地:神秘のカリフォルニア』(カリフォルニア・オデッセイ4). 300pp. グリーンアロー出版社, 東京.

に詳しい。

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05. Buddha's Blues
DC (tp, fl), CC (kb), SS (g), NJ (b), TW (ds), SF (cga), RC (perc)

タイトルのミスマッチ感が秀逸!仏伝を思い出しながらこれを聞くと、実はなかなかはまるのですよ。釈尊って、考えてみれば結構ファンキーな経歴だ。

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06. Eagle Eye
DC (fl), SF (cga), RC (perc)

Don Cherryの息子は、シンガー・ソング・ライターのEagle Eye Cherry(1971-)。当時5歳の息子に捧げたものか。

1970年代Don Cherryらしいエスニック・チューン。短いよ。

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07. Surrender Rose
DC (tp), CC (org), Nd (p, el-p, tam tams), SS (g), LC (harp), NJ (b), SJ (ds), RC (perc), CA (cho), Phoenix Volaitis (cho), Patty Scialfa (cho)

ハープが支配するベタに美しい曲だが、このアルバムに混じると、逆になんだかわからなくなる。

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08a. Journey of Milarepa
08b. Shanti
08c. The Ending Movement - Liberation
DC (tp), CC (kb), SS (g), NJ (b), SJ (ds), SF (cga), RC (perc)

これもラテン・ロック。それでいて曲名は「ミラレーパの旅」なんだから、脳みそグチャグチャ。仰々しい副題のわりに、最後はあっさり終わる。

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ジャケットから曲名から中身から、すごく怪しげな作品に思うかもしれないが、聴後感(?)は意外にさわやか。収録時間も短いので、「Don Cherry?フリー・ジャズ?」とアレルギーを持つ人もとっつきやすいのではないか。

しかし、フリー・ジャズの名手Don Cherryを引っ張ってきて、フュージョン界の(当時の)若手を揃え、ラテン・ロックに乗っけてみようという発想がぶっ飛んでいる>Narada Michael Walden。

それにさらにチベットものをかぶせてくるDon CherryもDon Cherryだが。

ミュージシャンとプロデューサーが全く別方向を向いて作った作品なのだが、それが衝突するわけでなく、融合するわけでもなく、妙な具合に共存している所がこのアルバムのおもしろさ。これはDon Cherryの人柄=広い許容度がなせる技だろう。

結果、ワケのわからない作品ができあがったわけですが、こういう脳みそがグチャグチャにかき回される感覚は大好きです。

2016年3月18日金曜日

ヒマーチャル小出し劇場(32) タボ寺名誉座主セルコン・リンポチェ

キャブジェ・ツェンシャブ・セルコン・トゥクセー・リンポチェ・ンガワン・ロサン・トゥプテン・トプチョル སྐྱབས་རྗེ་མཚན་ཞབས་སེར་ཀོང་ཐུགས་སྲས་རིན་པོ་ཆེ་ངག་དབང་ཐུབ་བསྟན་སྟོབས་འབྱོར། skyabs rje mtshan zhabs ser kong thugs sras rin po che ngag dbang thub bstan stobs 'byor/














先代セルコン・リンポチェは、ダライ・ラマ14世の教師(ツェンシャブとは「問答の教師」の意味)であり、インド亡命後タボ・チューコル・ゴンパ ཏ་བོ་ཆོས་འཁོར་དགོན་པ་ ta bo chos 'khor dgon paの復興に尽力したチベット人高僧。その没後は転生者が選ばれるまでとなった。

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先代セルコン・リンポチェ(1914-83)は1914年南チベット・ロカ ལྷོ་ཁ་ lho khaに生まれた。父はカギュパ བཀའ་བརྒྱུད་པ་ bka' brgyud pa開祖マルパ・チューキ・ロドゥ མར་པ་ཆོས་ཀྱི་བློ་གྲོས་ mar pa chos kyi blo gros(1012-99)の転生者として尊厳を集めていたゲルクパの行者セルコン・ドルジェ・チャン སེར་ཀོང་རྡོ་རྗེ་འཆང་ ser kong rdo rje 'chang(ダライ・ラマ13世の命を受け、還俗して行者となった)。母もまた、マルパの妻ダクメーマ བདག་མེད་མ་ bdag med maの転生者とされていた。そしてセルコン・リンポチェ自身は、マルパの息子ダルマドデ དར་མ་མདོ་སྡེ་ dar ma mdo sdeの転生者として認定された。

セルコン・リンポチェは行者として各宗派の教義を学んだ後、ゲルクパ དགེ་ལུགས་པ་ dge lugs pa総本山ガンデン寺 དགའ་ལྡན་དགོན་པ་ dga' ldan dgon paのチャンツェ学堂 བྱང་རྩེ་གྲྭ་ཚང་ byang rtse grwa tshangに入学し14年間修行。ゲシェ・ラーラムパ དགེ་བཤེས་ལྷ་རམས་པ་ dge bshes lha rams pa(博士課程後期)の学位を得た。続いてギュメー密教学堂 རྒྱུད་སྨད་གྲྭ་ཚང་ rgyud smad grwa thsangに移り9年間修行。ここではすべての試験をクリアし学堂の教授となった。

1948年にはダライ・ラマ14世の問答教師(ツェンシャブ མཚན་ཞབས་ mtshan zhabs)の一人となる(全部で七人いた)。法王には諸宗派の教義を授け、また様々な灌頂も執り行った。セルコン・リンポチェは、1954年法王の北京訪問にも同行している。

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1959年3月ラサ蜂起により法王がラサを去ると、セルコン・リンポチェもこれに従いインドへ亡命した。

インドDharamshalaの亡命政府では、宗教文化省の設立に尽力。引き続き相談役として、法王の数々の宗教活動に協力し続けた。特にカーラチャクラ・タントラ འདུས་ཀྱི་འཁོར་ལོ་རྒྱུད། 'dus kyi 'khor lo rgyud/の権威として、法王にカーラチャクラ大灌頂の指導をしたのも師である。

セルコン・リンポチェは海外布教にも熱心で、インド、ネパールのみならず、ヨーロッパ、北米への布教旅行を繰り返す。この活動は大成功をおさめ、リンポチェを師と仰ぐ欧米人が数多く生まれた。

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第2次世界大戦後、スピティと中央チベットとの関係が疎遠となり寂れる一方であった仏教に危機感を持っていたスピティの人々は、チベット人高僧のインド亡命を機会に、スピティに高僧を派遣するようダライ・ラマ法王に懇願した。この要請に応えたのがセルコン・リンポチェであった。

1969年、セルコン・リンポチェはスピティを初めて訪れ、キー寺やタボ寺などに滞在した。リンポチェのスピティ訪問はその後亡くなるまで何度も繰り返され、数々の法要・説法を行いスピティの人々の尊厳を集めた。いわばタボ寺の名誉座主といえるような存在であった。

このころタボ寺の僧はわずか4名と、寂れた状態にあった。タボ寺の僧および近隣の信者たちは常駐の教師として学僧のタボ寺への派遣を要請。これに応え1976年には南インド・ムンゴッド(注)のガンデン寺チャンツェ学堂よりゲシェ・イェシェ・チューデン དགེ་བཤེས་ཡེ་ཤེས་ཆོས་ལྡན་ dge bshes ye shes chos ldan(1921-83)とゲシェ・ソナム・ワンドゥ དགེ་བཤེས་བསོད་ནམས་དབང་འདུས་ dge bshes bsod nams dbang 'dus(1930-2013)が招かれた。

まずイェシェ・チューデン師が座主(1976-83)となり、その遷化後はソナム・ワンドゥ師がタボ寺の座主(1983-2013)となった。現座主は、やはりガンデン・チャンツェから招かれたウーコル・リンポチェ・テンジン・ケルデン འོད་སྐོར་རིན་པོ་ཆེ་བསྟན་འཛིན་སྐལ་ལྡན་ 'od skor rin po che bstan 'dzin skal ldan。











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セルコン・リンポチェはタボ寺では、1973年に2カ月にわたる説法、1979年にも説法を、1981年にはラムリム・チェンモ ལམ་རིམ་ཆེན་མོ། lam rim chen mo/(菩提道次第大本)の講義をはじめ様々な儀式を執り行った。

そして1983年7月にはついにダライ・ラマ法王がセルコン・リンポチェに伴われ初めてスピティを訪問。タボ寺では法王によりカーラチャクラ大灌頂が開催され多くの信者が集まった。

カーラチャクラ大灌頂の後も、セルコン・リンポチェはしばらくタボ寺に留まり、夏安吾 དབྱར་གནས་ dbyar gnasを過ごした。8月29日にはSumdo གསུམ་མདོ་ gsum mdoで軍人に説法を行いTaboへ戻った。ところがリンポチェは同日に突如キー寺 དཀྱིལ་དགོན་པ་ dkyil dgon paへ向かうという予定外の行動をとり、その日はKibbar ཀི་བར་ ki bar/སྐྱིལ་མཁར་ dkyil mkharに投宿。そして何の前触れもなくリンポチェは突如ここで息を引き取った。リンポチェの遺体はKibbarで火葬に付された。

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数年後、スピティの人々はセルコン・リンポチェの転生者捜索をダライ・ラマ法王に依頼する。1988年8月、Taboの隣り村Lari ལ་རི་ la ri生まれの幼児テンジン・ケルサン བསྟན་འཛིན་སྐལ་བཟང་ bstan 'dzin skal bzang(1984-)がセルコン・リンポチェの転生者(セルコン・チョクトゥル・リンポチェ སེར་ཀོང་མཆོག་སྤྲུལ་རིན་པོ་ཆེ་ ser kong mchog sprul rin po che)として認定され、同年9月にはタボ寺で即位の儀式が執り行われた。セルコン・チョクトゥル・リンポチェは、2000年当時南インドMundgodのガンデン寺で修行中であった。














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と、これを書いたのが2002年頃。最近のセルコン・リンポチェ2世の動向は調べていなかったが、こんな記事がありました。

・Lama Zopa Rinpoche/Foundation for the Preservation of the Mahayana Tradition > NEWS/MEDIA > FPMT e-News Archives > FPMT International Office News December 2011 > Lama Zopa Rinpoche’s News : Latest on Rinpoche’s Health
http://fpmt.org/media/newsletters/archives/fpmt-international-office-news-december-2011/

McLeod GanjのTushita Meditation Centerの前でラマ・ゾパ・リンポチェ བླ་མ་བཟོད་པ་རིན་པོ་ཆེ་ bla ma bzod pa rin po cheと共に撮った写真がある。還俗したともいわれている。

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(注)

Mundgod मुन्ड्गोड མོན་གོཊ་ mon goT/མོན་གྷོ་ mon ghoは南インドKarnataka कर्नाटक州の町。郊外にTibetan Settlement Doeguling འདོད་རྒུ་གླིང་ 'dod rgu glingがあることで有名。軍事施設が近くにあるため、外国人が入域許可(Protected Area Permit=PAP)を取るのは大変。

ガンデン寺 དགའ་ལྡན་དགོན་པ་ dga' ldan dgon paのチャンツェ学堂 བྱང་རྩེ་གྲྭ་ཚང་ byang rtse grwa tshang+シャルツェ・ノルリン学堂 ཤར་རྩེ་ནོར་གླིང་གྲྭ་ཚང་ shar rtse nor gling grwa tshang、デプン寺 འབྲས་སྤུང་དགོན་པ་ 'bras spung dgon paのロセリン学堂 བློ་གསལ་གླིང་གྲྭ་ཚང་ blo gsal gling grwa tshang+ゴマン学堂 སྒོ་མང་གྲྭ་ཚང་ sgo mang grwa tshangなどゲルクパの大学がある他、ニンマパ、ディグンパ、サキャパの寺もある。

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参考:

・Deboarh E. Klimburg-Salter (1997) TABO : A LAMP FOR THE KINGDOM : EARLY INDO-TIBETAN BUDDHIST ART IN THE WESTERN HIMALAYA. 279pp. Skira Editore, Milan.
・Alexander Berzin/BERZIN ARCHIVES > Approaching Buddhism > Spiritual Teachers > A Portrait of Tsenzhab Serkong Rinpoche > Part One – Eight (1998)
http://www.berzinarchives.com/web/x/nav/eb_toc.html_1993850487.html
・アレクサンダー・ベルゼン/ベルゼン・アーカイブ:アレクサンダー・ベルゼン博士の仏教講義録書庫 > 仏教へのアプローチ > 偉大なる上師 > ツェンシャブ・セルコン・リンポチェのポートレート パート1~8 (1998)
http://www.berzinarchives.com/web/x/nav/group.html_1240473069.html
(ベルゼン先生のサイトに日本語版があったとは、今の今まで知らなかった)@2016/03/19追加
ཨེ་ལེག་ཛན་ཌར། བྷར་ཛིན། e leg dzan Dar/ bhar dzin/ /བྷར་ཛིན་བཤད་མཛོད། འབུམ་རམས་ཨེ་ལེག་ཛན་ཌར་བྷར་ཛིན་གྱི་བསྟན་བཤད་མཛོད། bhar dzin bshad mdzod/ 'bum rams e leg dzan Dar bhar dzin gyi bstan bshad mdzod/ > ནང་ཆོས་ལ་འཇུག་པ། nang chos la 'jug pa/ > དགེ་བའི་བཤེས་གཉེན།  dge ba'i bshes gnyen/ > སེར་ཀོང་མཚན་ཞབས་རིན་པོ་ཆེའི་རྣམ་ཐར། ser kong rin po che'i rnam thar/ (1998)
http://www.berzinarchives.com/web/x/nav/group.html_1004210367.html
(同じくチベット語版)@2016/03/19追加
・Lama Zopa Rinpoche/Foundation for the Preservation of the Mahayana Tradition > TEACHERS > Tsenshab Serkong Rinpoche 1914-1983(as of 2016/03/10)
http://fpmt.org/teachers/lineage-lamas/serkong/
・The Meridien Trust/Tibetan Cultural Film Archive > Browse videos > TEACHERS > A Kind Heart – Ven. Tsenzhab Serkong Rinpoche (as of 2016/03/10)
http://meridian-trust.org/video/a-kind-heart/
(1982年、London Westminster、Caxton Hallでの説法)
・TABO MONASTERY (as of 2016/03/10)
http://www.tabomonastery.com/
・Shelley & Donald Rubin Foundation/The Treasury of Lives > Traditions > Geluk > Biographies : Joona Repo/ཟོང་བློ་བཟང་བརྩོན་འགྲུས་ཐུབ་བསྟན་རྒྱལ་མཚན། Zong Lobzang Tsondru Tubten Gyeltsen b.1904 - d.1984 (Published August 2011)
http://treasuryoflives.org/biographies/view/Zong-Lobzang-Tsondru-Tubten-Gyeltsen/8612
@2016/03/19追加
・H.E. Serkong Dorjee Chang Rinpoche Official Website (as of 2016/03/10)
http://www.dorjeechang.com/
(先代セルコン・リンポチェの父セルコン・ドルジェ・チャン・リンポチェ(1世)の転生者(3世)。奇しくも、セルコン・リンポチェ2世とはガンデン寺で共に修行をした仲であった)

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(追記)@2016/03/19

セルコン・リンポチェの法名を詳細なものに修正。参考サイトを複数追加。

2016年3月5日土曜日

ヒマーチャル小出し劇場(31) キー寺座主ロチェン・リンポチェ

ロチェン・リンポチェ ལོ་ཆེན་རིན་པོ་ཆེ་ lo chen rin po cheまたはロツァワ・リンポチェལོ་ཙཱ་བ་རིན་པོ་ཆེ་ lo tsA ba rin po che。

10~11世紀に活躍したグゲ王国の訳経僧リンチェン・サンポ རིན་ཆེན་བཟང་པོ་ rin chen bzang poの転生者である。スピティ སྤྱི་ཏི་ spyi tiのキー・ゴンパ དཀྱིལ་དགོན་ནོར་བུ་དགེ་འཕེལ་ dkyil dgon nor bu dge 'phelの座主。現在は19世テンジン・ケルサン・リンチェン。

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リンチェン・サンポの遷化後、長らく転生者が選ばれることはなかった。しかしパンチェン・リンポチェ6世ロサン・ペンデン・イェシェ པཎ་ཆེན་རིན་པོ་ཆེ་དྲུག་པ་བློ་བཟང་དཔལ་ལྡན་ཡེ་ཤེས་ paN chen rin po che drug pa blo bzang dpal ldan ye shes(1738-80)の師として活躍した、タシルンポ寺 བཀྲ་ཤིས་ལྷུན་པོ་དགོན་པ་ bkra shis lhun po dgon pa 高僧テンジン・ギャルツェン བསྟན་འཛིན་རྒྱལ་མཚན་ bstan 'dzin rgyal mtshanが初めてリンチェン・サンポの転生者として認定された。彼はロチェン・リンポチェ15世とされる。

なお、リンチェン・サンポ自身もインド仏教の高僧の転生者とされ、彼自身はロチェン・リンポチェ6世と数えられている。

1~5世や7~14世は、この後に追認された転生者の系譜。

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その後、上Kinnaur(ハンラン ཧྲང་ཏྲང་ hrang trang)・Nako ན་ཀོ na ko出身の16世ロブサン・テンペイ・ギャルツェン བློ་བཟང་བསྟན་པའི་རྒྱལ་མཚན་ blo bzang bstan pa'i rgyal mtshanを経て、Sumra སུམ་སྲག sum srag出身の17世ヨンジン・ロブサン・ペンデン・リンチェン・ギャムツォ ཡོངས་འཛིན་བློ་བཟང་དཔལ་ལྡན་རིན་ཆེན་རྒྱ་མཚོ་ yongs 'dzin blo bzang dpal ldan rin chen rgya mtsho(?-1921)からは連続的に転生者が選出されるようになった。17世は、パンチェン・リンポチェ9世の師として活躍すると共に、キー寺座主として迎えられ、以後はロチェン・リンポチェが代々キー寺座主を務めている。

なお以後のロチェン・リンポチェは、リンチェン・サンポの生地(グゲ西部ロンチュン རོང་ཆུང་ rong chungのレーニー རད་ནིས་ rad nis)に近い上Kinnaurから選出されるのが常。

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18世ロブサン・トゥプテン・リンチェン・サンポ བློ་བཟང་ཐུབ་བསྟན་རིན་ཆེན་བཟང་པོ་ blo bzang thub bstan rin chen bzang poは、1957年34歳の若さで遷化。その後しばらくして、上KinnaurのShalkhar ཤེལ་མཁར་ shel mkhar(Kyahar སྐྱ་མཁར་ skya mkhar)に生まれた幼児が、転生候補者として選出された。しかし、ダライ・ラマ法王により正式な承認手続きに入ったところで、この幼児は死去してしまう。

この幼児の弟として、1961年に生まれたのが現19世であった。

18世の従者であったキー寺高僧カチェン・タシ・ドルジェ དཀའ་ཆེན་བཀྲ་ཤིས་རྡོ་རྗེ་ dka' chen bkra shis rdo rjeは、数年後捜索活動を再開。Shalkharの前候補者の家を訪れ、前候補者の死後生まれた弟を19世として認定した。

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この少年は1966年5歳の時、19世テンジン・ケルサン・リンチェン བསྟན་འཛིན་སྐལ་བཟང་རིན་ཆེན་ bstan 'dzin skal bzang rin chenとしてキー寺で即位。10歳までキー寺で教育を受け、1970年にはDharamshalaに移り、ナムギャル寺 རྣམ་རྒྱལ་དགོན་པ་ rnam rgyal dgon paで高等教育を受ける。

1970年代前半、旱魃に見まわれたザンスカルの人々に請われ雨乞いの儀式を成功させたときには、わずか12歳であった(注)。西チベット各地は、リンチェン・サンポへの信仰篤い地域であったが、この出来事によりロチェン・リンポチェへの信仰はますます高まった。

1973年からは論理学学院(Institute of Buddhist Dialectics རིགས་ལམ་སློབ་གཉེར་ཁང་ rigs lam slob gnyer khang) に移り、ゲシェ དགེ་བཤེས་ dge bshes号を取得している。

1990年代はじめには、パンチェン・リンポチェ11世の捜索委員会に加わり、ゲンドゥン・チューキ・ニマ དགེ་འདུན་ཆོས་ཀྱི་ཉི་མ་ dge 'dun chos kyi nyi maの発見に功があったが、残念ながら亡命政府選出の11世は中国政府に拘束されてしまう。

ロチェン・リンポチェは、現在はデリー在住で、祭礼などの都度に度々スピティを訪問。毎回大歓迎を受けている。


















ロチェン・リンポチェ19世
(c) Simran Photo Studio, Puh, Kinnaur, HP提供

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1世:パスパ・ユルコルキョン འཕགས་པ་ཡུལ་འཁོར་སྐྱོང་། 'phags pa yul 'khor skyong/
2世:ロボン・カミンパ・チェンポ སློབ་དཔོན་ཀ་མིན་པ་ཆེན་པོ། slob dpon ka min pa chen po/
3世:ロボン・トゥーパ・メーパ སློབ་དཔོན་སྤྲོས་པ་མེད་པ། slob dpon spros pa med pa/
4世:ドゥプトブ・シンカワ・チェンポ གྲུབ་ཐོབ་ཤིན་ཀ་བ་ཆེན་པོ། grub thob shin ka ba chen po/
5世:ロボン・デワ・バーマ སློབ་དཔོན་དེ་བ་བྷ་མ། slob dpon de ba bha ma/
6世:ロツァワ・リンチェン・サンポ(958-1055) ལོ་ཙཱ་བ་རིན་ཆེན་བཟང་པོ། lo tsA ba rin chen bzang po/
7世:ツンパ・ペルヤン བཙུན་པ་དཔལ་དབྱངས། btsun pa dpal dbyangs/
8世:ロンパ・ガロ རོང་པ་རྒ་ལོ། rong pa rga lo/
9世:トクデン・アユルパ རྟོགས་ལྡན་ཨ་ཡུར་པ། rtogs ldan a yur pa/
10世:シャンシュンパ・ケードゥプ・チューワン・ダクパ ཞང་ཞུང་པ་མཁས་གྲུབ་ཆོས་དབང་གྲགས་པ། zhang zhung pa mkhas grub chos dbang grags pa/ (1404-71)
11世:ケンチェン・ンガワン・ギャチン མཁན་ཆེན་ངག་དབང་བརྒྱ་བྱིན། mkhan chen ngag dbang brgya byin/
12世:ジェツン・ロブサン・ペンジョル རྗེ་བཙུན་བློ་བཟང་དཔལ་འབྱོར། rje btsun blo bzang dpal 'byor/
13世:ケードゥプ・ゲレク・サムドゥプ མཁས་གྲུབ་དགེ་ལེགས་བསམ་འགྲུབ། mkhas grub dge legs bsam 'grub/
14世:ロブサン・テンジン・チューペル བློ་བཟང་བསྟན་འཛིན་ཆོས་འཕེལ། blo bzang bstan 'dzin chos 'phel/ (Shalkhar生まれ)
15世:ロチェン・テンジン・ギャルツェン ལོ་ཆེན་བསྟན་འཛིན་རྒྱལ་མཚན། lo chen bstan 'dzin rgyal mtshan/ (18世紀)
16世:ジェツン・ロブサン・テンペイ・ギャルツェン རྗེ་བཙུན་བློ་བཟང་བསྟན་པའི་རྒྱལ་མཚན། rje btsun blo bzang bstan pa'i rgyal mtshan/ (Nako生まれ)
17世:ヨンジン・ロブサン・ペンデン・リンチェン・ギャムツォ ཡོངས་འཛིན་བློ་བཟང་དཔལ་ལྡན་རིན་ཆེན་རྒྱ་མཚོ། yongs 'dzin blo bzang dpal ldan rin chen rgya mtsho/ (?-1921、Sumra生まれ)
18世:ロブサン・トゥプテン・リンチェン・サンポ བློ་བཟང་ཐུབ་བསྟན་རིན་ཆེན་བཟང་པོ། blo bzang thub bstan rin chen bzang po/ (1923-57、Sumra生まれ)
19世:テンジン・ケルサン・リンチェン བསྟན་འཛིན་སྐལ་བཟང་རིན་ཆེན། bstan 'dzin skal bzang rin chen/ (1961-、Shalkhar生まれ)












キー・ゴンパ(1997年なので、まだ舗装道路が整備されていない)

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(注)

この雨乞い成功のあたりから、ロチェン・リンポチェ19世は、ル ཀླུ klu(蛇神)のコントロールに長けた高僧としても有名になります。そのため雨乞いの儀式を請われる機会が多いようです。

上Kinnaur(ハンラン)にMaling Nallaという谷があります。NakoとMalingの間を流れる谷。国道22号線(NH22)がこの谷を横切っていますが、この地点では崖崩れが頻発し、毎年のように道路が流される悪場として有名。

私がよく行っていた2000年頃も、KinnaurのRekong Peo-SpitiのKaza間のバスはMaling Nallaが終点。ここで崖崩れを歩いて越え、向こう側に待っている別のバスに乗り替えとなっていました。

実は2000年には、Sutlej河も大洪水で、主要な橋があらかた流されてしまいSutlej川沿いも自動車が全く通れなくなっていました。それで、Maling NallaからRekong Peoまで2週間かけて歩いて行ったのでした。通常1週間のInner Line Permitは、事情を話したら2週間くれた。楽しかったッス。

それはさておき、Maling Nallaの崖崩れがあまりに多いので、地元の人々がロチェン・リンポチェに相談に行ったそうです。するとリンポチェは「これはMaling Nallaを治めているルを大事にしていないからだ。ルを祀るラカンを建てた方がいい」と。それでMaling村にルカン ཀླུ་ཁང་ klu khangが建てられたそうです。これは地元で聞いた話。

しかし最近の記事・報告を見ると、Maling Nallaの崖崩れは相変わらずのようです。でもちょっとおとなしくなってる感はあるかな。

そういや、ずっとストップしている「クマリとナーガの話」早く再開させなきゃなあ。チベットのルの調べもので手間取っているうちに、忘れそうになってる。

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参考:

・བཀྲ་ཤིས་ཚེ་རིང་གིས་འཁྲིགས། bkra shis tshe ring gis 'khrigs/ (タシ・ツェリン・編)(2000) སྤྱི་ཏི་དཀྱིལ་དགོན་ནོར་བུ་དགེ་འཕེལ་གྱི་འབྱུང་བ་བརྗོད་པའི་རབ་བྱེད་འཕགས་ནོར་བདུན་ལྡན་ཞེས་བྱ་བ་བཞུགས་སོ། spyi ti dkyil dgon nor bu dge 'phel gyi byung ba brjod pa'i rab byed 'phags nor bdun ldan zhes bya ba bzhugs so/(スピティ・キー寺ノルブ・ゲペルの由来を述べる有七宝なる小冊子) 95pp. Key Monastery, Lahaul & Spiti(H.P.).
・Roberto Vitali (2000) A Short Guide to Key Gonpa Entitled The Mirror that Sheds Light on the Center of the Mandala. IN : bkra shis tshe ring gis 'khrigs/ spyi ti dkyil dgon nor bu dge 'phel gyi byung ba brjod pa'i rab byed 'phags nor bdun ldan zhes bya ba bzhugs so/ pp.77-94. Key Monastery, Lahaul & Spiti(H.P.).

関連Website:

・Wikipedia (English) > Key Monastery (This page was last modified on 12 January 2016, at 06:15)
https://en.wikipedia.org/wiki/Key_Monastery
・Lochen Tulku Rinpoche Facebook(2012/4/12)
https://www.facebook.com/tulkulochen
(残念ながら中身なし)
・Rinchen Zangpo Society : For Spiti Development
http://www.rinchenzangpo.org/
(Spiti出身のラマ、タシ・ナムギャル師主催による教育・文化振興団体)