2016年9月21日水曜日

代々木の魔窟 東豊書店 続報

約3ヶ月ぶりに東豊書店に行ってきました。

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2016年6月7日火曜日 代々木の魔窟 東豊書店 健在なり!

で述べた通りで、10年たっても何も変わらんのに、その後3ヶ月位では変化があるはずないんですが(笑)、今回は写真があります。

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これが代々木会館。素人衆には廃墟にしか見えない。看板のビリヤードだの金物店だのはとっくに退去。以来ずっとあのまま。テナントで生きているのは、3階東豊書店、1階立ち食い寿司屋、それと1階きぬちゃん食堂も生きているようでした。
















この斜めからのアングルはお馴染み。屋上は崩壊寸前。真下の空き地にはあまり長居しない方がいい。




















バックにドコモタワーを入れると、シュールな絵になる。

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入口には木製の扉が付いている。夜間・休日に侵入者が来ないように。階段にまで本や荷物が積んであるから。もっとも、ここの本盗んでも売る場所はない(笑)。















この看板も十年以上このまんま。懐かしの昭和テイスト。















店の入り口の外に本が山積みで、本や荷物は階段をも侵食している。行くたびにどんどん増えてる。店内は「本圧」がすごくて気詰まりなので、店主は入り口外の椅子に座っていることが多い。

(追記)@2016/10/11

ちなみに店の入口は向かって左側。正面は実は閉店したビリヤード屋の入口だったのだが、すっかり東豊書店の本に占拠されている。










中の棚はこんな具合。本の圧力がホントもう・・・。











見上げても、天井までこんな。閉所恐怖症の人は行くな。
















行けども行けどもこんな感じ。一応エアコンはついてる。

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今回も買ってきましたよ。ええ高い本を。だって見つけちゃったんだから、買わざるをえないでしょうが。

・林冠群 (2011.8) 『唐代吐蕃史研究 བོད་ཀྱི་བཙན་པོ་ལོ་རྒྱུས། bod kyi btsan po lo rgyus/』(聯經學術叢書). xix+850pp. 聯經出版事業, 台北.













林先生は台湾の方。すでに

・林冠群 (2006.9) 『唐代吐蕃史論集』(西蔵通史専題研究叢刊). 471pp. 中国藏学出版社, 北京.
・林冠群 (2007.10) 『唐代吐蕃歴史与文化論集』(西蔵通史専題研究叢刊). 426pp. 中国藏学出版社, 北京.

の2冊を持っているが、上掲書はその集大成。分厚い。これから読むのが楽しみだ。

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『唐代吐蕃史研究』はえらい高い本なんですが、調べてみると日本では東豊が一番安いことがわかった。意外。

東豊は、最近大陸の本はやたら高くてなかなか買えないんだが、台湾の本は比較的安いことがわかった。流通ルートの関係だな(店主は台湾出身)。

というわけで、思ったよりいい買い物ができた。200円もまけてくれたし。

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店主は、ちょうど台湾へ本を送る作業をしていた。変な話でしょ。台湾から輸入した本を、また台湾に送るんだから。

で、訊いたら、この店には台湾から「台湾の本」をわざわざ買いに来る客が多いんだそうな!!

というのも、この店には1980年代から全く動かないような本(一般には不良在庫という)が、(比喩でなく)山のようにあるのです。そういった古い本は、今や台湾でも手に入らないので、それでわざわざ台湾からこの店に本を探しに来るんだそうな。

ネット上の情報でも、日本人が台湾の古本屋に行ったところ「その本は、あの店ならあるかもしれない」と言って、東豊書店に電話していた、なんていう具合。すごい店なんですよ。

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帰り際に「まだまだお元気でお店やってください」と声をかけたら・・・

「でもねー、永久に店ができるわけじゃないからねー」と、珍しくちょっと弱気な店主(87歳)。

代々木会館に関しては何やら動きがある、という噂もあるが、店主にはこの魔窟をまだまだ守っていてほしい。

誰か店主の伝記作ってくれないかなあ。少なくとも本の雑誌あたりに一度きっちり取材してほしいところ。














最後に、東豊書店のビニール袋。

2016年9月18日日曜日

ンガリー・アル・ツォ湖畔の雪崩の謎(4)

まとめると、アル・ツォ西方の氷河では、以下のようなことが起きたと推察できよう。

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まず氷河の後退で、下流の氷舌部が固化。上流側の氷河の動きをブロックしてしまう。

次に、降雨量の増加により、降雨は氷河の下に潜り込む。しかしこの水も、下流部の固化した氷舌部によってブロックされる。こうして氷河底面には水がたまり、底面水圧はどんどん上昇していく。すると氷河は水の上に浮かんだようになり、岩盤からは離れて流動しやすくなる。

狭いV字谷となっている下流部も、上流部氷河の重量を受け止める働きをしていた。かくして下流氷舌部にかかる重量はどんどん増加していく。

固化した氷舌部も徐々にその重量に負けて、異常前進が始まる。これが普通の「氷河サージ」のフェーズ。

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そして直接のきっかけが何かはわからないが、上流部氷河が流動を始め、下流部もこの重量に耐え切れなくなり氷舌部は決壊。

この底面の水に乗って、氷河が文字通り堰を切ったように狭い下流部V字谷から飛び出していく。流路出口が狭いと、流動速度が大きくなるのは理解しやすいと思う(Bernoulliの定理ですね)。

つまり、氷河底面で起きた土石流に乗って、氷河がサーフィンのようにスルスルと平地を進んで行き、湖畔まで達したとみられる。

氷と、土砂を含んだ土石流の密度を比較すると、圧倒的に氷の方が軽い。よって氷は、土石流と交じり合うことなく上に乗っかるようにして進んだのだろう。

前回の写真を見ると、雪崩表層には土砂による汚れがなく、底面に灰色の土砂が見られる。おそらくこの図式は正しいだろう。

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・EcoWatch : All Shades of Green > Climate > Load More Articles > Dan Zukowski/NASA Satellite Images Show Massive Ice Avalanche in Tibet (Sep. 07, 2016 11:58AM EST)
http://www.ecowatch.com/tibet-avalanche-1998950116.html

に雪崩前(2016/06/24)と雪崩後(2016/07/21)の衛星写真が並べて比較してある。驚くべき写真だ。


http://www.ecowatch.com/tibet-avalanche-1998950116.html
(提供:NASA)

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これを見ると雪崩後は、上流部の氷河がごっそり剥がれて岩盤が露出しているのがわかる。そして流動した氷河は湖畔、さらには湖中にも流入して行ったに違いない。

雪崩前の衛星写真を見ると、その後流出する氷河部分は、すでに周囲よりも浮いているようにも見える。

それにしても恐るべし、氷河サージの威力。

しかし、これは本当に「サージ」と言っていいんだろうか?むしろ、狭い谷口から飛び出る「鉄砲雪崩」と呼ぶべきかもしれない。氷河学の教科書から知られるサージのイメージに比べると、あまりにも激烈な現象だ。

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チベット高原北西部にはこのようなサージ型氷河がたくさん存在しているらしい。

・安田貴俊 (2015.3) 学位論文Glacier Surge Dynamics at the West Kunlun Shan inferred from Satellite Remote Sensing 要旨. 2pp. 北海道大学, 札幌.
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/58917/1/Takatoshi_Yasuda_abstract.pdf
・安田貴俊+古屋正人 (2015.9) チベット高原北西部,西クンルン山脈におけるサージ型氷河の分布とそのメカニズム. 雪氷研究大会講演要旨集, vol.2015, p.188.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcsir/2015/0/2015_188/_pdf

日本の研究者もぜひ現地へ行って、この雪崩/氷河サージの謎を解明してほしいものだ。

2016年9月16日金曜日

ンガリー・アル・ツォ湖畔の雪崩の謎(3)

この雪崩の原因について、いち早く指摘した記事がこちら↓

・毎日頭條 >中科院西北研究院分析:冰川躍動導致西藏阿里冰崩(Posted on 2016-07-28 in 科學)
https://kknews.cc/science/r84qr4.html

中国科学院西北研究院による分析:氷河の「躍動」が西藏阿里の氷河崩壊の原因である

【科学技術最前線】

光明日報 蘭州7月27日電、記者・宋喜群、通信員・劉暁倩。中国科学院・北西生態環境資源研究院からの情報。当研究院冰凍圏科学国家重点実験室の分析:氷河の「躍動」が、7月17日西藏阿里地区日土県東汝郷阿汝村で発生した氷河崩壊の原因である。

中国科学院・北西研究院・冰凍圏科学国家重点実験室・主任・康世昌の説明によると、衛星観測データが示すところでは、今回の氷河崩壊範囲は約10平方km、6.3km長、最大で約2.6km幅。これは国内の観測記録では、氷河の「躍動」による氷河崩壊面積としては最大であり、距離も最長。

今回の氷河崩壊の原因について、中国科学院・北西研究院・冰凍圏科学国家重点実験室・副研究員・郭萬欽および上官冬輝が指摘するところによると、これはこの地区にある氷河の最近の「躍動」によるものである。「躍動」が起きた氷河は、阿里地区・阿魯錯西側の無名山脈中にあり、ここ数年「躍動」期にあった。地球温暖化の中その氷河は1971年から2010年までの間に面積は9%近く減少しているのに、2013年から2016年7月2日までの間に300mも前進している。その後に氷河は谷を飛び出し、氷河崩壊の災害をもたらした。

郭萬欽と上官冬輝の分析では、今回発生したこのように大規模な「躍動」の原因は、主にこの地区の最近の降水によるもので、氷河下の静水圧力が増加することで、氷体の滑動速度が加速された。また、氷河下流のV字谷地形が氷河の運動を阻む働きをしていたため、この氷河の「躍動」前には大きな位置エネルギーが蓄積されていた。「躍動」過程の進行に伴い、下流の氷舌区がどんどん前進することで、氷河の運動を阻む力もどんどん減少する中、氷河上部の累積区から大量の氷体が一気に流れ下った。全体の動きに伴って氷舌区は谷から高速で押し出され、後続の氷体は滑動し続け下流に向かって進み、阿魯錯中に流入し、深刻な氷河災害を引き起こした。

康世昌の説明では、氷河「躍動」は特殊な氷河の高速運動現象で、これによって災害となることが多いので、昔の氷河学者はこれを「災難性の氷河前進」と呼んでいる。地球気候温暖化により、氷河「躍動」事例は近年どんどん増える傾向にあり、第三の極地と呼ばれる青藏高原でも頻繁に起きている。

この実験室が作成した氷河「躍動」データベースによると、中国内の氷河は、主に新疆、西藏地区にあり、合わせて4900本余り。その内の1%の氷河が現在「躍動」期にある。よって中国科学院・北西研究院・冰凍圏科学国家重点実験室は、国民経済に災害をもたらす可能性がある氷河に対し観測を強化し、重点防災項目とするよう提案している。

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「躍動」という専門用語がわかりにくいかもしれないが、これは英語では「(glacier) surge」。日本語でもやはり「(氷河)サージ」と呼ばれている。

参考:

・Wikipedia (English) > Surge (glacier) (This page was last modified on 12 October 2015, at 22:07)
https://en.wikipedia.org/wiki/Surge_(glacier)
・NPO法人 氷河・雪氷圏環境研究舎 > 氷河・雪氷圏事典 > 杉山慎+成瀬廉二/サージ(Last Updated: 2013.8.4)
http://www.npo-glacier.net/dictionary/index.html#surge
・岩田修二 (2011.3) 4 氷河の運動 4.3 氷河サージ. 『氷河地形学』所収. pp.62-64. 東京大学出版会, 東京.
・Hisashi OZAWA+Gorow WAKAHAMA (1992.12) A "Hydro-thermal" Instability of Glacier Surges. Proceedings of the NIPR Symposium on Polar Meteorology and Glaciology, vol.6, p.157.
https://nipr.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=3760&file_id=18&file_no=1

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通常よりも数十~数百倍の速度で氷河が流動する現象。原因については、氷河底面の水圧上昇の影響が主であることはおおむね了解されている。つまり氷河が水に浮いて動きやすくなってしまうのだ。

他にも、地形の影響もあるようだ。谷の上流部が広く、下流部が狭いV字谷になっていると、上流部に広がる氷河の重量が狭い下流部にかかり、下流部は早く動かざるを得なくなる。アル・ツォ西方で雪崩を起こした氷河の谷は、まさにそういう地形をしている。

大局的には、地球温暖化の影響も2つの面であると見られている。

一つは氷河の後退。氷河の後退により、下流の氷舌部が溶融と凍結を繰り返すことで固まってしまい、上流部の氷河の動きをブロックする。

もう一つは降雨量の増加。温暖化に伴いインドのモンスーンがヒマラヤを越えてチベット高原に至る。そしてチャンタン高原にまで雨が降るようになり、降雨は氷河の下に潜り込んでいく。

このような機構で氷河が異常な速度で流動する現象を「サージ」という。

(ツヅク)

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(追記)@2016/09/16

上の記事に出てくる「上官冬輝」さんが気になりました。この苗字まだあるんだ、と思って。

上官氏といえば、前漢後期に活躍した貴族の氏族名。上官桀・上官安の親子は、武帝崩御(後元二年=BC87)後、昭帝[位:BC87-74]擁立に功があり、また外戚として宮廷を牛耳った。ついには昭帝を廃して上官桀が即位しようと目論んだが、その企みは発覚し上官親子は殺害された(元鳳元年=BC80)。

現代にこういう二文字姓を見ると、中国古代史ファンはグッと来ますね。

2016年9月13日火曜日

ンガリー・アル・ツォ湖畔の雪崩の謎(2)

場所についてはようやく解決したのだが、先の記事に添付されている写真を見てまたもや驚いた。


http://chuansong.me/n/446572434952
(撮影:戴世文)

雪崩が到達している場所は湖畔の平地なのだ。てっきり山沿い斜面の放牧地がやられたと思っていたのだが。

しかし、この組写真では今ひとつ位置関係が把握しにくい。

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さらなる続報を見て目を丸くしました。

・中国網 > 新聞中心 > 阿里"雪崩"定性為冰崩 塌方体6億立方米(発布時間:2016-07-20 08:19:31 来源:中央電視台 作者: 陳琴・奉永勝 責任編集:焦源源)
http://news.china.com.cn/2016-07/20/content_38918992.htm

阿里の"雪崩"の原因は氷河崩壊によるもの 崩壊量は6億立方m

7月19日消息、最新の調査では、17日に西藏阿里阿汝村で発生した雪崩は"氷河の崩壊"によるもので、崩壊した氷河帯は8km長、5km幅、平均氷厚20m、崩壊量は6億立方mに達し、かつてない規模。氷河崩壊と雪崩は同じではないが、気候変化により氷河が崩壊したとみられる。現在はまだ「黄金の72時間」の内にあり、300余名のレスキュー隊員が緊張のもと9名の行方不明牧民を捜索している。(中央電視台記者:陳琴奉・永勝)

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組写真の一番最後、9枚目。なんと平らな草原を湖畔まで雪崩が埋め尽くしている。角張った氷塊が飛び出しており、まさしく氷河の崩壊によるものであることがわかる。


http://news.china.com.cn/2016-07/20/content_38918992_9.htm
(撮影:央視新聞微博)

しかし平地を2km余りも駆け抜ける雪崩など聞いたことがない。一体何が起きたのか?

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なお、行方不明者生存のニュースは伝わっていないので、おそらく全員死亡あるいは生存の見込みなし(遺体も未発見?)、と見られます。

9名のご冥福をお祈りいたします。

(ツヅク)

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(追記)@2016/09/15

被災者だけではなくレスキュー隊員も1名、高山病で亡くなっているようです。四川省邛崃市の人。

・鳳凰網 > 資訊 > 正文 > 23歳武警士兵在海抜5500米救援行動中犠牲(図)(原標題:武警戦士劉質宏在特大冰崩救援中英勇犠牲) 2016年08月01日 09:40 来源:中国軍網
http://news.ifeng.com/a/20160801/49697073_0.shtml

夏とはいえ、5000mのチャンタン高原がいかに厳しい場所であるかがわかります。合わせてご冥福をお祈りします。

2016年9月12日月曜日

ンガリー・アル・ツォ湖畔の雪崩の謎(1)

そのニュースが伝わったのは2016年7月17日夕刻。

・新華網 > 時政 > 正文 > 西藏阿里日土県東汝郷発生雪崩9人被埋 2016年07月17日19:13:32
http://news.xinhuanet.com/politics/2016-07/17/c_129153088.htm

西藏阿里日土県の東汝郷で発生した雪崩により9人が埋没
2016年07月17日19:03 出典:人民網

新華社拉薩7月17日配信(記者:王軍)。記者が西藏自治区阿里地区日土県および武警交通第四支隊から得た情報によると、7月17日午前11時頃、日土県東汝郷において雪崩が発生。雪崩の厚さは約6~8mに達した。少なくとも6世帯9人の牧畜民が埋没したことが確認されている。現地ではレスキュー隊を派遣し、至急現場の救援に向かっている。

阿里地区日土県委員常務副書記・張黎明は電話での取材に対し、「事故が起きた場所は、現地では夏の放牧地の一つで、国道219号線(新蔵公路)からは90km、日土県府からは300km離れている(訳注)。

第一報の後、西藏自治区党委員、政府幹部はすぐに対策本部を設置し、公安、消防、医療から組織されるレスキュー隊を派遣した。

武警交通第四支隊政治処副主任・常艳軍の説明によれば、西藏自治区政府は40名の士官・兵士の派遣を決め、13時頃に車両20台の装備を完了し被災地へ急行した。車両の内わけは、パワーショベル10台、ダンプカー7台、除雪車1台、車両運搬トレーラー2台。

日土県は西藏自治区北西部である阿里地区北西部に位置し、数多い辺境県の一つ。平均海抜約4500m、最高地点の海抜は約6800m。日土県は4郷と1鎮より成り、半農半牧の県であり牧畜業の比重が高い。

(訳注)

ルトク(日土)からドゥンル(東汝)までが約90km。300kmというのが何の数字かわからない。

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これによると、雪崩が発生したのは西藏自治区阿里地区(མངའ་རིས་ mnga' ris ンガリー)日土県(རུ་ཐོག ru thog ルトク)東汝郷(དུང་རུ་ dung ru ドゥンル)だという。




















(注1)地図を修正

ところがGoogle Map Sateliteを見ると、ドゥンルはとても雪崩が起きるような場所ではない。

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「変だな」と思っていると、7月19日に続報が出た。

・伝送門 >西藏阿里日土県東汝郷発生雪崩9人被埋 2016-07-19 微西藏
http://chuansong.me/n/446572434952

西藏阿里日土県の東汝郷で発生した雪崩により9人が埋没
2016-07-19 微西藏

7月18日、記者が西藏阿里地区駐在の武警交通第四支隊から得た情報によれば、同支隊で構成されたレスキュー隊は、すでに日土県東汝郷阿汝村の被災地に到着した。先発したレスキュー官兵が現場検証を行い災害状況を再確認した結果、暫定的な解釈ではあるが、雪崩の発生原因は広範囲にわたる氷河崩壊によるものとみられる。崩壊した氷河の量は3~5億立方m。現在、士官・兵士たちは現場作業画策定後、すでに掘削作業を開始している。(戴文世・撮影)

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雪崩現場は、ルトク県ドゥンル郷その場所ではなく、ドゥンル郷に属する阿汝村(ཨ་རུ་ a ru アル)であることがわかった。

とはいえ、このアル村、なかなか見つからない。でもようやく見つけた。なんと、ドゥンル郷から150kmも東だった。もうチャンタンのエリア。ルトク県/ゲルツェ県(སྒེ་རྩེ་ sge rtse 改則)の県境。


(注1)地図を修正

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アル・ツォ(ཨ་རུ་མཚོ་ a ru mtsho 阿汝錯/阿魯錯)という南北に長い湖の、西岸の村。標高約4960m(注2)

Google Map Sateliteを見ると、その西には雪山の山脈(最高地点は約6180m(注2))があり、ここなら雪崩が発生してもおかしくはない。


(注1)地図を修正

新蔵公路ですら、道沿いにはほとんど人影がない。ましてや公路からはずれて奥地へ170kmも入った場所なのだ。標高もほぼ5000m(注2)。そんな場所でも牧民が暮らしているのだ。驚くより他ない。私もさすがにここまで行ったことはない。

(ツヅク)

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(注1)@2016/09/13

3つの地図とも、アル村の位置をNNWにずらしました。

Google Map Sateliteで見ても、この場所には建物はなく、「放牧地」という報道が正しいことがわかります。地面にかすかに四角い何かの跡が見えるだけ。おそらくテントの貼り跡(にしては大きいので可能性は小さいかも)か家畜囲い(ལྷས་ར་ lhas ra/ར་བ་ ra ba)。

Google MapのラベルはSateliteの絵の上では結構ずれる、ということを考慮していませんでした。ドゥンルでも、建物の位置はラベルのNNWに来ます。アルでもそれに倣いましたが、何せ建物が一切ない所ですので、そもそもラベルの位置もいい加減とみました。よって前述の家畜囲いが2箇所ある場所をアル村の位置としています。南から伸びるトレイルが、ちょうどここで終わっている点も考慮した結果です。

(注2)@2016/09/13

最初、アル村の標高は5120mとしましたが、

・北海道大学情報基盤センター北館 > その他のサービス : オンライン・データベース > POSITION : 位置情報データベース > API V2版 : グーグルマップで、緯度・経度・標高・水深を求める(2010/6/12)
http://www.hucc.hokudai.ac.jp/~x10795/Latlonele.html

に従い、約4960mとしました。アル・ツォ西方の無名山脈最高地点(約6180m)もこのサイトから。

このサイトは素晴らしい。内容はタイトル通り。使ってみればその便利さは一目瞭然ですので、説明不要。

2016年9月6日火曜日

「インドのイム」展 装飾写本の謎(続報)

2015年5月9日土曜日 「インドのイム」展 装飾写本の謎

で、展示されていた図入りの装飾経典

(1)『八千頌般若波羅蜜多経』 パーラ朝 11世紀
(2)『五護陀羅尼経』 東インド 14世紀
(3)『仏説大乗荘厳宝王経』 東インド 14世紀頃。

の場所と年代について、

(1)『八千頌般若波羅蜜多経』 ネパール 13~15世紀
(2)『五護陀羅尼経』 ネパール 15~17世紀
(3)『仏説大乗荘厳宝王経』 ネパール 15~16世紀以降

ではなかろうか?という独自の推察をしました。同様な疑問を持った方は結構いらっしゃるのではないか、と思います。

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で、田中公明先生がこのうちの(1)『八千頌般若波羅蜜多経』(インド博本)について考察をされている論文を見つけました。

・田中公明 (2016.2) 「インドの仏」展に出品された『八千頌般若経』装飾写本について. (東京大学)東洋文化研究所紀要, no.169, pp.446-433.
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/59367/1/ioc169007.pdf

この論文に従って、インド博本『八千頌般若波羅蜜多経』の素性を見ていきましょう。

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まず、この写本は、

・若原雄昭 (2011.10) バングラデシュ国内に保存されるサンスクリット仏教写本, 他(BARCユニット1 第2回バングラデシュ調査報告). 龍谷大学アジア仏教文化研究センターワーキングペーパー, no.10-01, pp.1-16.
http://barc.ryukoku.ac.jp/research/2011/10/04/upfile/11-01wakahara.pdf

でも報告されている、Bangladesh Varendra Research Museum所蔵の『八千頌般若経』写本(ヴァレンドラ本)で欠落していた12葉のうちの10葉であることを、田中先生は明らかにしました。残り2葉のうちの1葉は、インドVaranasi वाराणसीのJñāna-Pravaha Centre ज्ञान प्रवाहに所蔵されているそうです。

日ごろから目を光らせ記憶している専門家は、こういうのまであっという間に発見してしまうのですね。すごい。

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さて、ヴァレンドラ本の年代については、

・Sachindra Nath Siddhanta (1979) A DESCRIPTIVE CATALOGUE OF SANSKRIT MANUSCRIPT IN THE VARENDRA RESEARCH MUSEUM LIBRARY VOL.1. xxv+419pp. Varendra Research Museum, University of Rajshahi, Rajshahi (Bangladesh).

によれば、ヴァレンドラ本の奥書では、Nepal  Samvat नेपाल सम्बत(ネパール旧暦)393年=1273AD、Kantipur कान्तिपुर(Kathmandu काठमाण्डु)の王Sadashiva Malla सदाशिव मल्ल[位:1574-80 or 83]の代に書写されたことになっているそうです。

まず、ヴァレンドラ本がネパールで書写されたものであることは明らかのよう。

しかし、その年代はNapal Samvatと王の在位年が一致しません。ネパール仏教の研究者・吉崎一美先生による解読だと、これがNepal Samvat 696年=1576年になります。これだとSadashiva Malla王の在位年と矛盾しません。Siddhanta説は、Ranjana体での「3」とPrachalit体での「6」が似ていることからの誤読、と解されています。

他にも、奥書にある奉献者Shakya Bikshu Haku-juの名は、1558年に書写されたある写本の奥書にも現れることから、ヴァレンドラ本の奥書が16世紀後半の書写であることは確実、とのこと(吉崎先生の指摘)。

ただし、ヴァレンドラ本で奥書が記されている最終葉は、それ以外のfolioとは不調和で、別人による書写と判断されています。冒頭と末尾は木製経板に触れるため傷みやすく、しばしば修復のため新しく書写されたfolioに交換されます。よってこの奥書の年代1576年は、修復の年代を示している可能性があり、本体はもっと古いのかもしれません。

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というわけで、いろいろおもしろいことがわかったわけですが、私の推察「ネパール 13~15世紀」もいい線行ってる感じ。1576年という銘が修復時のものであるならば、「13~15世紀」の可能性も十分考えられるわけですから、ますますいい感じ。

このスタイルの仏教絵画がチベットに現れるのが13~15世紀なのは、おおむね了解されていますが、その元になっている(というより、絵師ごとそっくりそのまま移入したのだが)ネパールのPala朝様式がいったいいつ流行していたのかが、まだはっきりしていない。おおむねチベットと同じ時代に落ちるのは間違いないでしょうが、始まりはもう少し早くでしょうし、終わりはいつまでなのか皆目わからない。

この『八千頌般若経』装飾写本本体の年代も(1576年が修復年であったとすれば)、この辺の研究が進まないと本体の書写年代はわからないかもしれません。

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展覧会の展示物とはいえ、専門家がじっくり観察するとここまで新たな事実が判明するのだなあ、と、プロの研究者の実力を思い知らされたお話でした。

こんな感じで他の2写本についても、何か新しい事実が判明しないかと楽しみになりますねえ。