ラダック・レーからさらに西に進むと、発音はもっと複雑になります。
プリク~バルティスタン周辺の言語分布(Pushp+Warikoo 1996を改変)(注1)
ラダックの西半分はプリク(spu rig)と呼ばれ、仏教徒の国であるレー側と違い、イスラム教徒が多数派。言葉もプリク語(spu rig skad)といい、ラダック語とは少し違う言葉とされています。
プリクからさらに印パ停戦ライン(管理ライン)を越えた向こうはパキスタン側のバルティスタン(sbal ti stan/sbal ti yul)。もちろんイスラム教徒ばかりの地域。しかしここがチベット系民族が住む地域であることはあまり知られていません。
言葉はチベット語の方言であるバルティ語(sbal ti'i skad)が話されています。チベット語分布域の最西端。最東端のカム/アムドから離れること実に2500km。チベット語の分布域(チベット文化圏)は、中国語の分布域に勝るとも劣らない広大な地域なのです。
プリクとバルティスタンは、小王国が多数分立していた地域で、プリクがラダック王国に併合されたのは18世紀。バルティスタンはラダックに併合されることはありませんでした(この辺の歴史はいずれあらためて書くつもり)。
両地域は、印パ停戦ラインで分断されて60年。今でこそ全く行き来はできませんが、かつてはさかんに交易が行われ、文化的にも経済的にもほぼ一体化していました。さらにイスラム圏であることも共通しており(プリクのイスラム教はバルティスタンから伝わった)、その意味で仏教圏のラダックとは心理的にも距離がありました。
プリク語とバルティ語が、ラダック語と一線を画す状態のまま現在に至る理由を考えた場合、こういった歴史を忘れることはできません。
------------------------------------------
プリク語とバルティ語は同じなのか?違うのか?私は現地でそれほど詳しく調べたことはないので、ほとんど違いがわからないのですが、仮に別だとしても、少なくともバルティ語とプリク語は極めて近く、両者は共にラダック語にはやや距離がある、とは言えましょう。
研究者によって、プリクパ(spu rig pa=プリク人)をバルティパ(sbal ti pa=バルティ人)とも呼び、民族的・言語的に同じ扱いをするケース、両者を分けているケースの双方があって統一されていないようですです(注2)。
ここでは、便宜上プリク語/バルティ語として一緒くたに扱うことにします(両者が同一とする説を積極的に支持するわけではありません)。
ずいぶん前置きが長くなりましたが、それではプリク語/バルティ語をみていきましょう。
イスラム教徒プリクパ@カルギル
だいぶチベット顔が薄れてきている。でも後ろの店はトゥクパ屋。
------------------------------------------
バスに乗っているとき、チケットを売りに来た車掌。顔もだいぶコーカソイドっぽくなっていますが、肌の色はラダッキ~チベタンと同じく真っ黒。バス代を渡すと、お釣りの札を数え始めた車掌さん「チーグ、ギィース、スーム、ジー・・・・」。
なんと「gnyis(数字の2)」は添前字の「g-」が残り、基字の「nya」の方が消えかかって「ギィース」という珍妙な発音になっています(おそらく口の奥で「グニィース」と言っているのだと思う)。
ウー・ツァン方言の「ニィー」、ラダック語の「ニィース」、そしてプリク語の「ギィース」とみごとなグラデーションになっています(注3)。これには音に驚くとともに、いいようもない感動がありましたね。吐蕃時代のチベット人はよくまあはるか遠くまで来たもんだと・・・。
また「bzhi(数字の4)」は濁って「ジー」となります。資料によれば「ィブジー」と発音する人もいるようです。
「brgyad(数字の8)」はさすがに添前字+添頭字「br-」の全部が発音されるわけではなく、「ゥギャット」のような感じでした(ラダック語は「ギェッ」程度)。
それでもウー・ツァン方言からの隔たりは相当なもので、聞いただけではウー・ツァン方言での対応音がまるで思い浮かばないものもあります。しかし、その発音を聞いていると、あの難渋なチベット文字スペルが決してデタラメやお飾りではなく、発明当時の7世紀には本当に全部発声されていたであろうことを彷彿させてくれます。
発音は別として、単語自体はほとんどラダック語と共通で、言い回しもほぼ同じです(注4)。
ウー・ツァン方言とバルティ語の言い回し・発音を簡単に比較してみましょう(Abbas Kazmi 1996より)。
【日本語】 「今日は太陽が暖かい」
【ウー・ツァン方言】「de ring nyi ma dro po 'dug(タリン・ニマ・トポ・トゥー)」
【バルティ語】「de ring nyi ma dro mo yod(ディリン・ンギィマ・トロンモ・ヨッ)」 → 「-ng+nyi-」で前の末尾子音を引っ張って先ほどの「gnyis(ギィース)」と同じ効果が現れているのがおもしろい。
発音の違いはあれ、まぎれもなくチベット語であることがわかります。
ただしバルティスタンでは、イスラム教が入ってきた15世紀以降チベット文字はすたれて行き(注5)、今はペルシア文字で発音を表す方法しかありません。ここでのチベット文字(ワイリー転写)は推定です。
これは資料から引いた単語ですが(注6)、「'bras(米)」は、ウー・ツァン方言では「デー」、ラダック語では「ダス」。プリク語/バルティ語では「ブラス」と、ついにスペル通りの発音が現れます。これも東から西へ見事なグラデーションができていますね。
同様のケースに、
「brag(岩)」が、(ウー・ツァン方言)「タク」、(ラダック語)「ダク」、(プリク語/バルティ語)「ブラク」。「'brog pa(牧民)」が、(ウー・ツァン方言)「ドクパ」、(ラダック語)「ドロクパ」、(プリク語/バルティ語)「ブロクパ」。
などもあります。前回の「フォブラン」もなかなか感動ものでしたが、ダー・ハヌーのブロクパ(注7)が「ンガァ(私)・ブロクパ」と言うのを聞いたときも、思わず「おお~」と感動の声をあげてしまいました。
2月6日 「棄宗弄讃って誰?」の巻 の
>古代の氏族名「'bro(ド)」は『新唐書』吐蕃伝では「没盧」、復元中古音「muat(buat)lu=ブル(ブロ)」と推定されています。
を思い出して下さい。プリク語/バルティ語発音の古めかしさが、ラダック語以上であることがわかります。
他にもスペル通りの発音が多数あります。
「gnam(空)」が「クナム」、「grang mo(寒い)」が「グランモ」、「bye ma(砂)」が「ビェマ」、「bya mo(ニワトリ)」が「ビャンゴ」。まあ見事なものです。
「g-yon(左)」が「ギョン/ギェン」。「ya」の添前字の「g-」が発音されるのはたぶんプリク語/バルティ語だけでしょう。
「skar(星)」が「スカル(モ)」、「sman(薬)」が「スマン」、など語頭の「s-」が残りやすい傾向はラダック同様ですが、より徹底してきます。バルティスタンの中心地「skar rdo(「隕石」の意味)」は、当然「スカルド(ゥ)」になるわけです。
------------------------------------------
チベット高原の西はずれにどうして古いチベット語が残っているのか?また、そのチベット人はいつ、どうしてここにやって来たのか?
そのお話はそのうちすることになると思いますが、その前に一度チベット方面に少し戻って、ラダックの南方ザンスカール~スピティなどの様子を見ておきましょう。
===========================================
(注1)
・P.N. Pushp+K. Warikoo(ed.) (1996) JAMMU, KASHMIR AND LADAKH : LINGUISTIC PREDICAMENT. pp.224. Har-Anand Publications, New Delhi.
のp.5の地図 "Jammu, Kashmir & Ladakh : Ethno-linguistic Areas"を改変。
なお、この本は下記のサイトで一冊丸ごと公開されてもいます。
・Koshur : An Introduction to Spoken Kashmir > Jammu, Kashmir and Ladakh : Linguistic Predicament
http://www.koshur.org/Linguistic/index.html
ラダック語/プリク語の境界は明瞭に引けるわけではなさそうだが、とりあえずレー地区(District)とカルギル地区の境界で線を引いた。ザンスカール語(方言)の分布域もはっきりわかっているわけではないが、カルギル地区内のザンスカール準郡(Sub-Tehsil)を中心に、その北はスル谷最上流部の仏教圏まで、とした。ジャンムー側~ヒマーチャル側へのはみ出しは、ヒマラヤを越えて移住したザンスカーリの分布域(詳しくは次回、か、例によってその次?で)。
バルティスタン北部はカラコルム山脈の山中で、定住住民はほとんどいないが、バルティ人の活動圏内という意味でバルティ語でベッタリ塗った。
バルティ語は、シャヨク川沿いにラダック側ヌブラ方面へ食い込んでいる、とも推測されるが、具体的な調査資料がない。ラダック語ヌブラ方言についてもあまり知識がないので、とりあえず印パ停戦ラインで線を引いた。
パキスタン側の言語分布については、
・Ahmad Hassan Dani (1991) HISTORY OF NORTHERN AREAS OF PAKISTAN. pp.xvi+532. National Institute of Historical and Cultural Research, Islamabad.
・F.M. Khan (2002) THE STORY OF GILGIT BALTISTAN AND CHITRAL. pp.xiv+256. Eejaz Literary Agents & Publishers, Gilgit.
を参照した。
シナー語の分布はチベット語圏(バルティ語/プリク語)に食い込んでおり、この部分ではバイリンガルの住民が多い。東側のシナー語の離れ小島は、いわゆるドクユル('brog yul)である(注7参照)。
ドクユルの分布域に関しては、
・Rohit Vohra (1989) AN ETHNOGRAPHY : THE BUDDHIST DARDS OF LADAKH. pp.189. Skydie Brown International, Luxembourg.
を参照した。
バルティスタン内にはシナー語分布域の飛び地があちこちにあり、もっと複雑な図式らしいが、今回はシナー語がメインではない上に詳しい資料も手元にないので、このような簡略化した図となった。
(注2)
研究対象が主にプリクのみにならざるを得ないインド人学者は、プリク語=バルティ語という立場をとるケースが多い。しかし最近発表されたSharma(2004)では両者を区別しているようだ(内容未見)。
(注3)
・Ang Phinjo Sherpa (1989?) SHERPA NEPALI ENGLISH CONVERSTION AND BASIC WORDS. pp.60. Phinjo Sherpa, Kathmandu.
によれば、シェルパ語(チベット語中央方言に属する、とされる)では、「gnyis(数字の2)」は「ngi」と発音されるという。こういった発音がどの程度の広がりをみせているのか?今のところ私ではとても把握できません。
(注4)
ただしバルティスタンはイスラム圏なだけに、宗教用語を中心にアラビア語→ペルシア語→ウルドゥ語の単語にかなり侵食されています。たとえば、挨拶は「サラーマリコン」「アリコンサラーム」や「フダ・ハフィーズ(さようなら)」、「シュクリヤ(ありがとう)」など。
(注5)
ラダックでも、庶民の間ではチベット文字(というか文字自体)は普及していなかったが、幸い仏教によりチベット文字の伝統は僧侶・上流階級・知識層の間で受け継がれてきた。現在は学校でもチベット文字が教えられ、町にもチベット文字が普及してきている。
プリクではイスラム教が優勢であるため、チベット文字はほとんどすたれている。町で見かけるのも、英語やペルシア文字表記ウルドゥ語がほとんど。
(注6)
今回のエントリーでは、私が現地で聞いた発音に加え、次の文献からも引いています。
・K. Rangan (1975) BALTI PHONETIC READER. pp.xi+115+ii. Central Institute of Indian Languages, Mysore.
・ASADA Yutaka (1981) A Report on the Balti Vocabulary. 大阪外国語大学学報, vol.15[1981], pp.69-90.
・Ghulam Hassan Lobsang (1995) SHORT SKETCH OF BALTI GRAMMAR. pp.VI+50. Universität Bern, Bern(Germany).
・Syed Muhammad Abbas Kazmi (1996) The Balti Language. IN P.N. Pushp+K. Warikoo(ed.) (1996) JAMMU, KASHMIR AND LADAKH : LINGUISTIC PREDICAMENT. pp.135-153. Har-Anand Publications, New Delhi.
・S.K. Pathak (1996) Genetic Affinity of Balti, Bodhi, Spiti & Lahuli Speeches. IN P.N. Pushp+K. Warikoo(ed.) (1996) JAMMU, KASHMIR AND LADAKH : LINGUISTIC PREDICAMENT. pp.154-164. Har-Anand Publications, New Delhi.
・Richard Keith Sprigg (2002) BALTI - ENGLISH ENGLISH - BALTI DICTIONARY. pp.xi+259. Routledge Curzon, London.
Rangan(1975)は、Ichhanさんのご厚意で読むことができました。ありがとうございました。
この他、今回利用できなかった主な文献に次のようなものがあります。
・K. Rangan (1934) BALTI GRAMMAR. The Royal Asiatic Society, London.
・K. Rangan (1979) PURKI GRAMMAR. pp.xvii+158. Central Institute of Indian Languages, Mysore.
・Deva Datta Sharma (2004) TRIBAL LANGUAGES OF LADAKH PART-III : A Descriptive Grammar of Purki & Balti. pp.xx+244. Mittal Publications, New Delhi. → いつ刊行されるのか楽しみにしていたのだが、その後記憶の彼方に去り、刊行済であることを知ったのは最近。よって未見。タイトルを見てわかるように、プリク語とバルティ語を区別して扱っているらしい。
その他、バルティ語研究の文献リストはこちらが詳しい。
・John Peterson : The Bibliography for seldom studied and endangered South Asian Languages! > Bibliography > Tibeto-Burman > Balti
http://www.southasiabibliography.de/Bibliography/Tibeto-Burman/Balti/balti.html
(注7)
一般には「'brog pa」と言えば「牧民」を指すが、ラダックではこの意味の他に、ラダック北西部インダス川沿いの印パ停戦ライン近くに住むコーカソイドで印欧語族ダルド系言語を話す民族をも指す。
ラダック語では「ドクパ/ドロクパ」と呼ばれるが、地元ではプリク語/バルティ語風に「ブロクパ」と発音されることも多い。その「ブロクパ」が住む地域を「'brog yul(ドクユル/ブロクユル)」という。彼らはギルギットから移住して来た、という伝説を持っている。
彼らの言葉ドクケー/ブロクスカット('brog skad)は、ギルギット~チラースに住むシン人(Shina)の言葉シナー語の方言である。彼らの移住伝説が史実であることはその言語からも証明されている。
0 件のコメント:
コメントを投稿