2019年7月6日土曜日

東豊書店より最後の発掘品 (3) 『西藏密宗喇嘛派拳術』

次は、今回発掘した本の中での最大の問題本

・韋永超・著, 羅威強・主編 (ca.1978) 『西藏密宗喇嘛派拳術 柔子八極拳譜』. 120pp. 藝美圖書公司, 香港.



この本、奥付に出版年月日がない。仕方がないので、編者の前言にある「寫於戊午春香江望海藥廬」から取って、戊午=1978年を出版年と推察する。

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全然聞いたこともない「チベット密教喇嘛派拳術」の本です。え~!?

この拳術は香港に伝わるもので、その起源はチベットに求められる、というのだ。

チベットの拳術?聞いたことないなー??

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とにかく、この本にある「西藏密宗喇嘛派源流考」から、その起源を探ってみよう。今のところ頼りはこれしかないのだから・・・。

清史によれば(って一体何のことを言ってんだか・・・)、

「喇嘛派武術は、天竺の僧院・雷音寺の活仏から(チベットの)格拉寺のラマ僧に伝わり、大いに発展し、いくつもの門派に分かれた。ついにはチベット国術となった。同活仏三代を経て、喇嘛派と呼ばれるようになった」

と云うのだが、聞いたことない話ばかりである。

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まず、天竺=インドの「雷音寺」だが、これは『西遊記』での三蔵法師一行の行き先「大雷音寺」が元ネタだろう。もういきなり胡散臭い。

実は、四川省・峨眉山にも雷音寺があり、実はこれが源流だったりして?

参考:

・百度百科 > 雷音寺(峨眉山雷音寺)(as of 2019/07/01)
https://baike.baidu.com/item/%E9%9B%B7%E9%9F%B3%E5%AF%BA/2250486

峨眉山・雷音寺については、後ほどもう少し突っこんでおこう。

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次はチベットにあるという格拉寺。

・佛教導航 > 総合専題 > 佛教機構 > 内地寺院介紹 > 正文内容 > 加桑卡郷格拉寺-類烏斉県-西藏寺院(発布時間:2013年03月23日)
http://www.fjdh.cn/ffzt/fjhy/ahsy2013/03/153140217823.html
・老牦牛 > 西藏租車、旅游攻略 > 昌都類烏斉県旅遊地図 (時間:2013-06-02)
http://www.laomaoniu.com/gonglue/772.html
・番茄表単 > 2019年格拉寺経堂修繕随喜(as of 2019/07/01)
https://uuivdt.fanqier.cn/f/hmx8h0a6

によれば、

西藏自治区 昌都地区 類烏斉(リウォチェ རི་བོ་ཆེ་ ri bo che)県の北端、加桑卡(チャクサムカ ལྕགས་ཟམ་ཁ་ lcags zam kha)郷のはずれ百美(あるいは日美)に、格拉寺という寺があるらしい。

小さなゴンパ(宗派不明)で、拳術が盛んな様子もない。どうもこれも関係なさそうだ。

そもそも、チベット仏教で拳術が盛んな寺など一つも知らん。

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その後の「喇嘛派拳術」の発展はというと・・・

「明代中葉(1500年前後?)、チベット僧・啊達陀尊者が深山で修行中、猿、鶴、蛇、熊、虎などが戦うさまを見て、その動きを取り入れ、八極拳を完成させた」

だそうな。

猿、蛇、虎が出てくるところを見ると、舞台はチベットではない。おそらく漢土のどこかに違いない。まあ、そこにチベット僧がいてもおかしくはないのだが、それにしてもチベットらしいところは一つもない。

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次は中国への伝来について、

「清代中葉(19世紀前半?)、チベット僧・星龍長老が広東に来訪。広州西方にある鼎湖山・慶雲寺で僧らに拳術を教えた。その晩年の弟子・王隠林は師の拳術の全てを継承した。

王隠林は、その後陝西などをめぐり修行。その名声は高まった。晩年になって香港に居を構え、医師を務める傍ら拳術を教えていた。

王隠林の息子が病死した後は、高弟・蔡懿恭(1882-1971)が流派を率い、優秀な弟子を多数輩出した。」

というのだが・・・。

王隠林はどうも実在していたようだが、その先代であるチベット僧・星龍長老になると、もうなんか怪しい。星龍長老がチベット僧であった、という話になると、ますます怪しい。

星龍長老の正体については後述。

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この本の大半は、喇嘛派拳術の形の写真が延々掲載してある。中国拳法について素人の私が見ると、その他の中国拳術とは全く区別がつかない。形にも、形の名前にも、チベットらしいところは一つもない。


同書 p.85 & p.42

形を見ているだけのせいもあるのだが、実用的な攻撃技というよりは、心身を鍛えるための拳術の雰囲気が強い。そう、「太極拳」的な。

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今のところの結論としては、この拳術にチベットと関係ありそうな点は見つからない。

おそらくは、星龍長老はチベット僧ではないだろう。実在したとすれば、漢土のどこかで中国系拳術の修行をした人だろう、としか言えない。

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もしも、喇嘛派拳術の起源が「天竺の雷音寺」ではなく、「峨眉山の雷音寺」であるなら、そして星龍長老もその辺(チベットの近くではある)出身の人であるなら、すべては辻褄が合う。

峨眉山には「峨眉武術」という伝統があるらしいので、一応この説は成立しそうだ。

ただし、現在見られる峨眉武術は、いろんな中国武術の寄せ集めの要素が強くなっているらしい。

参考:

・zigzagmax/中国武術雑記帳 > 2017-08-27 四川省武術協会編著『峨眉武術史略』
http://zigzagmax.hatenablog.com/entry/2017/08/27/215015

その中の雷音寺と中国拳術の関係など、詰めなきゃいけないことはたくさんあるが、そこまでやる気も出ない。

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星龍長老について調べてみると、その正体らしきものが出てきた。

・維基百科 自由的百科全書 > 李遂成 (本頁面最后修訂于2017年1月7日 (星期六) 19:46)
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E9%81%82%E6%88%90

これによると、星龍長老とは清末の武術師・李遂成の別名なのだそうな。生地は四川とある。やっぱりな。

星龍長老が四川チベット人(カムパ)である可能性はゼロではないが、その証拠もない。どこまで信用できるか知らないが、太平天国の将領でもあったというから、チベット人である可能性はますます低い。

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もう一つ

・維基百科 自由的百科全書 > 王隠林 (本頁面最后修訂于2018年6月9日 (星期六) 21:20)
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E9%9A%90%E6%9E%97

を見てみると、王隱林も星龍長老と呼ばれている。

『西藏密宗喇嘛派拳術』では、王隱林の武術は蔡懿恭の喇嘛派だけが受け継いだかのように書かれているが、実際は、俠家派、白鶴派、喇嘛派の三派に分かれたことがわかる。

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星龍長老=李遂成がなぜチベット僧ということになったのか?箔をつけるためのハッタリか?弟子たちの誤解か?今となっては全くわからない。

一応、自分としては納得できる地点まで来たので、この喇嘛派拳術についてはとりあえず終わり。

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これと似たケースに、「Peter Kelderのチベット体操」がある。

そもそもこのPeter Kelderという人物自体、素性がわかっていない。わかっているのは、1939年にUSAで、わずか16ページの小冊子

・Peter Kelder (1939) THE EYE OF REVELATION. 16pp. The New Era Press, Burbank (CA).
→ 邦訳 : ピーター・ケルダー・著, 渡辺昭子・訳 (1993.6) 『若さの泉 5つのチベット体操』. 119pp. 河出書房新社, 東京.

を出したということだけ。

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Kelderは、1930年代にSouth Californiaで、Bradford大佐という人物に出会い、このチベット体操を教わったのだという。

そして、そのBradford大佐は、英領インド軍退役後チベットへ向かい、チベット仏教僧院で修行し、この長生き体操を習得したのだという。

Bradford大佐という人物は、Kelderの著作にしか現れない胡散臭い人物だし、そのチベット行についても裏付けは全く取れない。

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二人が出会ったというのがCaliforniaというのも意味深。Californiaは神智学系オカルトの巣窟だったのだ。

神智学系チベット行のホラ話は、Helena Petrovna Blavatsky(1831-1891)から始まっているのだが、Baird T. Spalding(1872-1953)の『LIFE AND TEACHING OF THE MASTERS OF THE FAR EAST : VOLUMES 1-6(ヒマラヤ聖者の生活探求 1-5)』も有名。

そう、チベットやインドの話なのに、キリスト教の話やイエス・キリストばかりが出て来るあの失笑ものの本(実はこの本がヒットするまで、Spaldingはチベットどころかインドにも行ったことすらなかった)。

SpaldingはKelderとは同時代人だ。

Kelderのチベット体操も、Californiaに流布していた、神智学、インドのyoga、オカルト健康法が渾然一体となったオカルト・ムーヴメントの一環と見ている。

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チベット体操は、私はチベットとは無関係と見ているが、それ自体は特に害毒はなさそう。まっとうかどうかはわからんが、yogaの一種ではあるので、信じたい人は信じて実践すればいいだろう。

ただし、これが「チベット起源である」と主張する人は、立証の責任がある。

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喇嘛派拳術から神智学系チベット・ヨタ話に飛び火してしまったが、そういうことを思い出させたくれた、この本と東豊書店に感謝したい。

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