2017年4月30日日曜日

panpanyaの語源?

panpanyaって何?という方は、まずこちらをどうぞ↓

kkm10k > 2016年11月29日火曜日 panpanya 『動物たち』
kkm10k > 2016年8月9日火曜日 panpanya 3連発

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panpanyaは確実にペンネームなのですが、そもそもこれが「パンパンヤ」と読むのか、「パンパニャ」と読むのか、はっきりしません。

Web上で色々調べた結果、「パンパンヤ」という説が優勢らしいので、私は「パンパンヤ」と読んでいますが、「パンパニャ」でもいいらしい。わけわからん。

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それで、このpanpanyaがどっから来た言葉なのか?何か由来があるのか?それとも、単なる造語なのか?全然わかりませんでした。

まあ、それがわからなくても、誰も何も困らないので、放っておいて、純粋にマンガを楽しんでいたわけなのです。実際web上を調べてみても、panpanyaの語源を調べた人はいないよう。

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ところが、twitterでpanpanyaを検索していたところ、なんか変なんですよ。タイのtweetがやたらとひっかかってくる。

どうも、タイにはPanpanyaという苗字の人がいるらしいのだ。

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そこでちょっと調べてみた。まず「panpanya thailand」で検索してみた。すると、出るわ出るわ。タイ語に「panpanya」という言葉があるのは確実となった。

中でもトップに出てくるのが「Panpanya Foundation(Panpanya財団/มูลนิธิปันปัญญา)」。これは、タイ国内の学校にコンピュータや電子辞書などのデジタル機器を提供したり、校舎の修繕を補助したりするNPO団体のようだ。

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しかし、これではPanpanyaが、固有名詞なのか一般名詞なのかもわからない。

それで次に当たってみたのがタイ語辞書。これ↓を使いました。

・ウェブリオ/weblio辞書 > その他の辞書 : タイ語辞書(as of 2017/04/30)
http://tjjt.weblio.jp/

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これは日本語でもタイ語でも検索できるオンライン辞書。タイ語は、タイ文字で入力するのが理想的だが、適当にアルファベットを入力すると、ヒットせずとも近そうな単語を拾ってくれる。便利。

まず「panpanya」で検索。ヒットなし。じゃあ、てんで、分割して検索。

「panya」で検索。ヒットなし。

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「pan」あるいは「ya」のどっちかが長母音なのかも?ということで、「panyaa」で検索。

すると、ようやく出ました出ました。

ปัญญา
発音  pan yaa
日本語  高い知性; 高い知力; 博識; 般若; 智慧; 仏智
解説  パーリ語

ปัญญา
発音  pan yaa
日本語  知性; 知恵; 般若

「panyaa」は「pan」と「yaa」に分割できること、発音は「パンヤー」らしいこと、また語源はPali語(古代中西部インドの言語、Sanskrit系)であることなど、色々わかってきたぞ。

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では今度は前の方の「pan」で行ってみよう。

ปัน
発音  pan
日本語  分配する

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なるほど。「ปันปัญญา pan pan yaa」で「知恵の分配」なのだ。これでさっきの「Panpanya財団」の意味も納得。

もしこれが語源だとすると、「panpanya」は「パンパンヤー」と読むのが正解になりそうだ。

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なんとなく納得できる地点まで来たわけだが、しかし、これがホントにマンガ家「panpanya」のペンネームの語源であるのかは、実は全然わかりません。

仮にこれが語源の正解だとしても、なんでまた、これをペンネームにしようと思ったのか、も謎。結局本人に訊かないと、全く埒が開かないのでした。

私の探索はここまで。

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(追記)@2017/04/30

タイ語 : ปัญญา pan yaa パンヤー 知恵/般若

は、

Pali語 : पञ्ञा paññā パンニャー 知恵/般若

が語源であり、さらに

Sanskrit語 : प्रज्ञा prajñā プラジュニャー 知恵/般若

にまで行き着く。

漢字の「般若」はこれらを音写したものです。

Pali語を重視すれば、「panpanya」は「パンパ(ン)ニャー」でもいいことになる。なるほど。

「panpanya」を漢字にしてやると「搬般若」でも意味が通じるぞ。いやあ、これはおもしろい。

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(追記)@2017/05/02

ぬいぐるみやクッションの中身である「パンヤ」は、ポルトガル語で「panha」。インドネシア産の樹木kapokから取れる「綿状の繊維」のこと。

参考:
・G.W.Sargant (1959)Commentary for Book IV, I [15] Panya no kukuri-makura. IN Ihara Saikaku(井原西鶴), G.W.Sargent (tr.), NIPPON EITAI-GURA, OR, DAIFUKU SHIN CHŌJA KAGAMI(『日本永代蔵 大福新長者教』) (1688). p.197. Cambrdge University Press, Cambridge.
https://books.google.co.jp/books?id=ux89AAAAIAAJ&pg=PA197&lpg=PA197&dq=panha++cotton&source=bl&ots=_-4GUK_gOC&sig=1qFkBwwDjdeDYNvb_Eq7EY09oAU&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjU8ITK9s_TAhVBsZQKHaOrAAE4ChDoAQgpMAE#v=onepage&q=panha%20%20cotton&f=false

日本では、江戸時代からある言葉なんですね。意外に古い。「パンヤ(入り)のくくり枕」はこそばゆくなって嫌だ、そうです(笑)。

本来、マレー半島の地名だったものが、繊維の名前として採用されたものらしい。

参考:
・関根岳是/GKZ植物事典 > パンヤ(as of 2017/05/02)
http://gkzplant2.ec-net.jp/mokuhon/syousai/hagyou/ha/pannya.html

しかし、マレーシアにはPanhaという地名は見つからない。これはもしかすると、マレー半島のタイ側ではあるまいか(追記参照)。

となると、またタイ語の「パンヤー」に戻って来るのかもしれない。堂々巡りだな。これは、これ以上深入りしないでおこう。

どっちにしろ、これはマンガ家panpanyaとはたぶん関係なさそうだ。わかんないけどね。

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(追記)@2017/05/02

あった。やはりマレー半島タイ側、Suratthani県の一角にPanyaという集落がある。

2017年4月4日火曜日

チャンキャ・リンポチェ来日

3月初めに、こういうニュースがありました。

・RFA 自由亜洲電台普通話 > 中国 > 軍事外交 > 南洲, 嘉華・責編/達頼喇嘛確立的第20世章嘉活佛訪問日本(2017-03-01)
http://www.rfa.org/mandarin/yataibaodao/junshiwaijiao/nz-03012017102254.html

チャンキャ・リンポチェ8世(20世という数え方もある)がひっそりと来日されていたようです。

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チャンキャ・リンポチェ ལྕང་སྐྱ་རིན་པོ་ཆེ་ lcang skya rin po che(モンゴル語 : ジャンジャ・フトクト 章嘉呼図克図)は、ゲルクパのトゥルク大名跡。アムド~南モンゴル、そして清朝皇帝から尊敬を集めたトゥルク སྤྲུལ་སྐུ sprul sku(化身ラマ)である。

チャンキャ・リンポチェの転生系譜をどう数えるかは錯綜しており、現チャンキャ・リンポチェは5世、7世、8世、20世と様々。ここでは8世説をとっておく。

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この場合の1世ダクパ・ウーセル གྲགས་པ་འོད་ཟེར་ grags pa 'od zer 扎巴俄色/哲巴鄂色爾(1607-41)は、アムド・ツォンカ ཨ་མདོ་ཙོང་ཁ་ a mdo tsong kha 湟中の張家村に生まれた。よって、トゥルク名跡名は「張家=zhang jia→モンゴル語/チベット語アムド方言:ジャンジャ→チベット語ウー・ツァン方言:チャンキャ」となった。

ウー・ツァン方言での「キャ ཀྱ kya」は、アムド~カムでは「チャ/ヂャ/ジャ」と発音されるので、「ジャ」を転写するのに「kya」を使ってもいいのである。

ダクパ・ウーセルは、ゴンルン・チャンパリン・ゴンパ དགོང་ལུང་བྱམས་པ་གླིང་དགོན་པ་ dgong lung byams pa gling dgon pa 佑寧寺(青海省互助土族自治県内、西寧の北東約30km)で修行した後、ラサ ལྷ་ས་ lhasa 拉薩のデプン・ゴンパ འབྲས་སྤུངས་དགོན་པ་ 'bras spungs dgon pa 哲蚌寺のゴマン・タツァン སྒོ་མང་གྲྭ་ཚང་ sgo mang grwa tshangやツァン西部のンガムリン・ゴンパ ངམ་རིང་དགོན་པ་ ngam ring dgon pa 昂仁寺で修行。アムド帰郷後はゴンルン寺僧院長を務めた。

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ダクパ・ウーセルの遷化後、代々転生者が選ばれるようになり、これがチャンキャ・リンポチェの系譜となる。

2世ンガワン・ロサン・チューデン ངག་དབང་བློ་བཟང་ཆོས་ལྡན་ ngag dbang blo bzang chos ldan 阿班羅桑曲殿(1642-1715)は、17世紀末、清朝皇帝・康煕帝[位:1661-1722d]に北京に招かれ大いに信任を得た。

ジューンガル部のガルダン・ボショクト・ハーン 噶爾丹博碩克図汗による侵略を避けて清朝に帰順したモンゴル諸部に対し、康熙帝はその鎮撫の一環として、その地に多くのチベット仏教寺院を建立。南モンゴル・ドロンノール(多倫)には、後に内外モンゴル最大の寺となる彙宗寺を建立し、チャンキャ・リンポチェを僧院長に置いた。

以後、チャンキャ・リンポチェはアムドに加えて南モンゴルでも大きな影響力を持つようになる。

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チャンキャ・リンポチェで最も有名なのが3世ルルペ―・ドルジェ རོལ་པའི་རྡོ་རྗེ་ rol pa'i rdo rje 若白多傑(1717-86)。

1723~24年の青海ホシュート部ロブザン・ダンジン བློ་བཟང་བསྟན་འཛིན་ blo bzang bstan 'dzin 羅卜蔵丹津の乱では、清朝軍によりアムド各地の寺が破壊されたが、清朝皇帝・雍正帝[位:1722-35d]は、幼いチャンキャ3世をゴンルン寺から保護するよう命じ、北京に招いた。チャンキャ3世は、以後主に北京で修行・活動することになる。

乾隆帝[位:1735-96d]はチャンキャ3世を導師として崇め、ラサ政府との連絡役としても重宝された。北京では雍和宮に在住。以後、ここが北京のチベット仏教の拠点となる。

チャンキャ・リンポチェ4~7世は、アムド、南モンゴル、北京を行き来しつつ、これらの地域で絶大な影響力を誇った。

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7世ロサン・ペンデン・テンペイ・ドンメ བློ་བཟང་དཔལ་ལྡན་བསྟན་པའི་སྒྲོན་མེ་ blo bzang dpal ldan bstan pa'i sgron me 羅桑般殿丹畢蓉梅(1891-57)の時代、1912年清朝は崩壊、中華民国が成立した。蒋介石の北伐完了(1928年)後、7世は蒙藏委員会委員を務めるなど、国民党政府の要職を歴任。第二次世界大戦後は護国浄覚輔教大師の称号を授与された。

しかし、1946~49年の国共内戦で、国民党が共産党に敗れると、蒋介石と共に1949年台湾に移った。台湾・中華民国でも中国仏教会理事長を務めたが、1957年遷化。

7世の遷化後、転生者の選出は長らく行われなかった。

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それが実は、間はあいたが8世の選出が行われていたようなのだ。インドへ亡命中のゲルクパ中枢、特にダライ・ラマ法王により8世の選出が行われている。

8世はアムド・ツォンカ出身のテンジン・ドンヨー・イェシェ・ギャムツォ བསྟན་འཛིན་དོན་ཡོད་ཡེ་ཤེས་རྒྱ་མཚོ་ bstan 'dzin don yod ye shes rgya mtsho師(1980-)。ゴンルン寺で修行し、1998年インドへ亡命。そして、同年にいきなりチャンキャ・リンポチェの転生者と認定されている。

おそらくゴンルン寺在籍当時から、密かにチャンキャ・リンポチェの転生者として認知されていたのだろう。そしてインド亡命後すぐに、ゲルクパ高僧たち及びダライ・ラマ法王によって、それが追認されたのではないかと思う。

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この認定には、中国共産党、南モンゴル(内蒙古自治政府)、台湾・中華民国政府はいずれも関与していないし、連絡も受けていないはず。これはハルハ(現・モンゴル国)第一のトゥルクであるジェツン・ダムパ・リンポチェ(ジェプツン・ダムパ・フトクト)9世選出のケースと似ている。

ジェツン・ダムパ・リンポチェ9世について詳しくは、

2012年3月5日月曜日 ハルハ・ジェツン・ダムパ・リンポチェ遷化(2012年3月1日)

を参照のこと。

しかし、ジェツン・ダムパ・リンポチェもチャンキャ・リンポチェも、もともとはチベットでのトゥルク名跡なのだ。

たまたま政治的な役割が大きくなり、過去に内外モンゴルの政治に深く関与するようになってしまっただけなので、それらの地域で政治的な存在としてのトゥルク名跡は不要、と判断するのならば、それはかまわない。

チベット仏教ゲルクパのトゥルク名跡として、宗派が転生者を選出するのは何の問題もないし、トゥルク名跡を終わりと決めた(そんな判断はそもそも筋違いなのだが)よその政治家たちに相談したり知らせる必要も全くない。

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私が「どうもチャンキャ・リンポチェの転生者がいるらしい」と聞いたのは2000年頃。南インドのデプン・ゴンパ・ゴマン・タツァンで修行中とのことだった。

その後、表立った活動は聞いたことがなかったが、ついに表舞台に登場された。で、ようやく最初に挙げた記事になる。

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来日の目的や(いるとすれば)スポンサーなどは、記事からはよくわからないが、高野山や東大寺を訪問されたそうだから、宗教目的の訪問と理解した。

表舞台に登場して最初の記事が、政治的な内容であるのは、ちょっと複雑な気持ちになる。このニュースサイトの性格からして、記事の内容が政治的なものになってしまうのは、しかたがないところだが・・・。

記事は、チャンキャ・リンポチェが、2016年11月に結成されたばかりの南モンゴル・クリルタイ(南モンゴル議会/オンニュート・モンゴリアン・イフ・フラルダイ/南蒙古大呼拉爾)のメンバーと会った際の様子を報告するもの。「法会」とも表記されているので、宗教的なお話もされたのでしょう。

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ただし、チャンキャ・リンポチェが同クリルタイの活動に以前から興味を持っていたのは確からしく、南モンゴル・クリルタイの公式サイト

・南モンゴルクリルタイ公式サイト(since 2016/11)
http://southmongolia.org/

を見ると、クリルタイ結成にあたって祝辞を寄せてもいる。

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チャンキャ・リンポチェは「五台山にも行ってみたい」とお話されているが、それはチャンキャ・リンポチェの先世が五台山に寺院を建立されているから。五台山は文殊菩薩の聖地であり、チベット仏教色も濃い場所なのです。

現状では、里帰りの形であっても中国に戻るのはむずかしいかもしれないが、いずれ中国訪問あるいは帰郷がかない、それがチベット人、モンゴル人、漢族のいずれにも歓迎される形であってほしいものです。

チャンキャ・リンポチェという名跡は、それを可能にする力を持っていると思っています。

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参考 :

・菅沼晃 (2004.7) 『モンゴル仏教紀行』. pls.+viii+245+9pp. 春秋社, 東京.
・一般社団法人 文殊師利大乗仏教会དཔལ་ལྡན་འབྲས་སྤུངས་བཀྲ་ཤིས་སྒོ་མང་འཇམ་དབྱངས་ཐེག་ཆེན་ཆོས་ཚོགས་ > GOMANG デプン・ゴマン学堂 > 僧院教育 化身ラマの教育(作成日: 2010-07-26 最終更新日: 2016-07-03)
http://www.mmba.jp/gomang/education/lamaeducation
・維基百科 自由的百科全書 >章嘉呼図克図(本頁面最后修訂于2016年12月15日 (星期四) 02:57)
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%A0%E5%98%89%E5%91%BC%E5%9B%BE%E5%85%8B%E5%9B%BE
・The Treasury of Lives > People > Incarnations > Incarnation Lines : Changkya (as of 2017/04/01)
http://treasuryoflives.org/incarnation/Changkya

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(追記)@2017/04/07

今回の来日での講演会の告知がありました。今更ですが。

・りたりたゆうこうかいfacebook > 2月25日サンギャ・ホトクト法話会@東京 公開 · 主催者: りたりたゆうこうかい((2017年)2月17日)
https://www.facebook.com/events/1820966324824812/?acontext=%7B%22ref%22%3A%223%22%2C%22ref_newsfeed_story_type%22%3A%22regular%22%2C%22action_history%22%3A%22null%22%7D

もう一つありました。

・モンゴル自由連盟党 > アーカイブ > 2016年3月 > 4月9日大阪にて「インド訪問報告」、ダイチン代表が報告します(03/07 2016) > インド訪問報告(PDF)
http://lupm.org/japanese2/wp-content/uploads/2016/03/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E8%A8%AA%E5%95%8F%E5%BA%83%E5%91%8A%E4%BF%AE%E6%AD%A3%E6%9C%80%E5%BE%8C02.pdf

これによると、今回の来日はモンゴル仏教会と南モンゴル自由民主運動基金会(おそらく南モンゴルクリルタイの前身)による招聘であったことがわかります。