2018年2月26日月曜日

ギャロン・ドブルの上九節 2018

昨年初春に

2017年2月19日日曜日 ギャロン・ドブルの上九節

で紹介した、ギャロン・ドブル(木坪/穆坪)王国の故地・四川省・宝興県・磽磧蔵族郷の正月を祝う祭り「上九節」の記事が、今年も出ていました。

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・人民網 >四川頻道 > 総合欄目 > 市州 > 羅昱+高紅霞・責編, 衡昌輝・撮影/藏族群衆歓度"上九節"慶賀豊收迎万物萌生(2018年02月25日09:52 来源:四川日報)
http://sc.people.com.cn/n2/2018/0225/c345458-31281202.html

やはり春節から九日目です。

自分が気づかなかっただけで、記事は毎年出てるんだろうなあ。

「上九節」やギャロンについて、詳しくは昨年のエントリーをご覧ください。

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最近更新が滞っていますが、さすがにネタがない。チベット方面から15年も遠ざかっていると、ネタがあるわけもないが・・・。

2018年1月12日金曜日

ツァンダの近くの古墓地からགཟི་ gziが出土

ンガリー མངའ་རིས་ mnga' ris 阿里地区札達県の県府ツァンダ རྩ་མདའ་ rtsa mda' 札達のすぐ西に、曲踏古墓地遺跡があります。

この遺跡について発掘調査が続いていることは、かすかに知っていたのですが、今回、この古墓地から「模様焼付メノウ」であるズィ གཟི་ gzi(中国語だといわゆる「天珠」)が発掘されていた、というニュースを拾いました。

(1) 新浪収藏 > 業界聚焦 > 成文 > 中国考古網/西藏考古出土古象雄天珠(2018年01月11日 10:53)
http://collection.sina.com.cn/yjjj/2018-01-11/doc-ifyqqieu5654512.shtml

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発掘されたgziはこれです。


サイト(1)より

現存しているgziの模様とは違うので、本当に焼き付けた模様なのかな?自然の模様では?と思うかもしれませんが、一番下側が半透明になっているので、おそらく、もともとは全体がこういった半透明のメノウだった、とみていいでしょう。

gziの製作過程というのは、今もわかっていないところが多いのですが、このgziの場合は次のような製作過程と推測されます。

「まず半透明のメノウに茶色い色をつけ、その後に一部を白く脱色した」あるいは「半透明→全体を茶色→中間を白に脱色→波状に茶色」といった複雑な工程を経ている可能性もあります。

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上記サイトでは、そもそも曲踏古墓地遺跡についての情報が足りないので、他のサイトで補足してみましょう。

(2) 中国社会科学院 考古学研究所/中国考古 > 学術活動資訊 > 2015年度中国社会科学院考古研究所田野考古成果系列報道 > 中国考古網(仝涛+李林輝+赤列次仁)/西藏阿里札達県曲踏墓地的発掘 2015年社科院考古所田野考古成果(二十四)(2016-02-02)
http://www.kaogu.cn/zixun/2015nianzhongguoshehuikexueyuankaoguyanjiusuotianyekaoguchengguoxiliebaodao/2016/0202/52981.html

これによると、曲踏古墓地遺跡は3区に分かれており、山の麓がI区、ランチェン・ツァンポ གླང་ཆེན་གཙང་པོ་ glang chen gtsang po 象泉河(Sutlej河)沿いの崖にあるのがII区、ツァンダの街すぐ横の平地がIII区。

土器や遺骨、そしてII区では遺骨に加えて、保存のよい木棺まで見つかっているようです。

gziは、遺骨の首にかかっていたものとのことです。ですから後世に誰かが置いたものではなく、埋葬された当時の遺物である可能性が高いようです。

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さて、この遺跡の時代ですが、土器の形を見るとかなり古そうなのは間違いあありません。2番めのサイトによれば、秦漢時代(BC3~AD3C)と推定されています。

古代チベット史ではっきり歴史として扱うことができるようになる、7世紀よりも1000~400年も前の事になります。この時代のチベット史は全くわかっていないのです。

西チベットの古代というと、すわ「シャンシュン ཞང་ཞུང་ zhang zhung 象雄王国か?」と言いたくなるかもしれませんが、これだけで、王国が成立していた、と言うことはとてもできません。

シャンシュン王国の存在が歴史上確認できるのは7世紀になってからです(神話ではそのはるか昔から存在することになってはいますが)。

むしろ注目すべきは、中国史書上5世紀半ばから西チベットに存在が確認できる「女国=सुवर्णगोत्र Suvarnagotra(金族)」でしょう。黄金のマスクも出土していますし。

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また、この文化の担い手についても、チベット土着、あるいは漢土や中央アジアからの移動ばかりとは考えずに、インドからの移動も考慮すべきかと思います。

土器の編年についても、インドの土器との比較も必要でしょう。

しかしチベット高原には、これまで思っていたよりも、高い文化があったことは間違いないでしょう。

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1番目のサイトでは「2世紀以前」という年代も出されています。

おそらく、木棺などを試料としたC14年代測定はまだ完了していないのでしょう。結果が出るのが楽しみですね。

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2番めのサイトでは、上記のgziとは別に出土した破片も紹介されています。


サイト(2)より

断面の方も見たいですね。この断面が、gziの製法を知るには重要なのです

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このgziというのは、いつごろ、誰が、どのようにして作ったものなのか皆目わかっていないのです。

現存するgziは、先祖代々伝えられたものばかりで、その由来についてもはっきりしたことはわかっていません。

ですから、この発見はgzi研究では非常に重要な発見なのです。

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これと似た宝石は、実はインド~PakistanのIndus文明遺跡から出土しています。

(3) SKJ JEWELRY > Categories > Ancient Items > Stone Beads > Collectible Decorated Etched Carnelian Beads - Ancient World Indus Valley(as of 2018/01/12)
http://www.skj-jewelry.com/product/collectible-decorated-etched-carnelian-beads-ancient-world-indus-valley

素材はメノウではなく紅玉(carnelian)ですが、白いエッチングや模様の形が、gziと似ているのです。エッチングにはおそらくgziと似た方法が取られていると思われます。


サイト(3)より

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しかし、このIndus文明が栄えたのは、紀元前2600~1900年というはるか昔。現存するgziとの間には巨大なギャップがあります。

両者に関係があるにしても、その間には、地理的にも時代的にもmissing linksがいくつもあると思われます。

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しかし、今回発見されたgziの年代、2世紀以前という数字が正しいのであれば、そのギャップは少し縮んだことになります(それでもまだまだ大きいですが)。

なかなか今後の展開が楽しみな出土物です。研究の進展に期待しましょう。

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(追記)@2018/01/12

なお、この発見は2014年のことで、報道も2015年にはすでになされていたようです。私が気づかなかっただけ。

以下はその一例です。

・青海藏族網 > 動態 > 中国西藏新聞網(習淑禕)/西藏阿里象雄王国両処墓地首次発現天珠和黄金面具(2015-01-15 09:39:07)
http://cn.bodrigs.com/news/2015-02-05/19.html

2018年1月7日日曜日

プラン(シデ)の石仏

・捜狐 > 新聞 > 正文 > 中国新聞網/西藏首次発現吐蕃時期造像碑 証実西部崇信佛教(2018-01-04 17:00)
http://www.sohu.com/a/214617968_123753

という記事がありました。

いわゆる石仏(ドスク རྡོ་སྐུ rdo sku)ですね。これです↓


上記サイトより

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尊格はPadmapani पद्मपाणि 蓮華手菩薩、すなわち観世音菩薩です)。観世音菩薩がネシェ・ギェ ཉེ་སྲས་བརྒྱད་ nye sras brgyad 八大菩薩立像として作られる時のお姿になります。

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場所は、記事では「プラン県のある村」としか書いてありませんが、これはプラン སྤུ་ཧྲང་ spu hrang 普蘭(タクラカル སྟག་ལ་མཁར་ stag la mkhar)とコジャ ཁ་ཆར་ kha char 科加の間にある村シデ ཞི་སྡེ་ zhi sde 細徳にあることは、前から知られていました。

記事では、あたかも最近発見されたかのような書きぶりですが、ずっと前から知られていた石仏です。

しかし、それがシデ村のどこにあるのか知らないので、私はまだ行ったことがありません。

昔の写真では、石仏が荒野にむき出しで置かれていましたが、今はどうやら祠で囲われているようです。

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シデ周辺(Google Mapより)

シデ村の背後の丘には、シデ・ゴンパというサキャパ(ンゴルパ)の大きなゴンパがあります。

そこから西に300mほど道が伸びていて、そこに赤い屋根の建物が見えます。これが石仏の祠なのではないか?と推察していますが、実際はわかりません。

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この石仏は吐蕃時代(7~9世紀)あるいはグゲ時代初期(10~11世紀)のものと推察されているのですが、まあそれは間違いないでしょう。

LadakhやHimachal Pradeshのあちこちで見られる石仏と、よく似ています。

ただし、これらの石仏については、碑文を伴ったものがないため、その年代は造形スタイルから推察するしかないのが現状です。まだ編年が確立していないのです。

これら石仏についての報告もだいぶ増えてきたので、そろそろ編年研究に着手してもいい頃合いかもしれません。