2017年7月23日日曜日

富山・長野チベット巡礼 (3) 利賀・瞑想の郷-その1

福光美術館の後、2004年の市町村合併で同じ南砺市内になっている利賀(旧・利賀村)へ行きました。「とが」と読みます。

特徴のある場所なので、今でも「利賀村」と呼ばれているよう。

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利賀の位置(Google Mapより)

こちらはまず行き方から。主に2つ。

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(1) 井波から市営バス

南砺市北東部の井波(旧・井波町)が利賀への入り口。

井波へは、あちこちからバスがある。私は、加越能バス(金沢←→井波)で、道の駅・福光から井波に出た。この便は毎日6往復。

利賀への市営バス(井波利賀線)が出るのは、旧・井波駅から。


旧・井波駅

これは、1972年に廃線となった加越能鉄道・加越線の旧駅舎。なかなか立派だ。現在は物産展示館(木彫刻が名産)・バスの待合所。

井波から利賀へのバスは毎日3便(10:15、13:20、16:45)。土日も運行。バスと言っても、客は11人くらいしか乗れないバンだ。


利賀行き市営バス

今回、乗客は行きは3人、帰りは1人、とスカスカであったが、平日だったからかもしれない。土日や夏休みは混むのかも。

井波-利賀間は約1時間。利賀川流域に入ると、深い谷を見下ろしながらのドライブとなる。樹木を取っ払うとKinnaurみたいな所ですね。

このバスは、利賀川流域奥の阿別当まで行く。瞑想の郷がある上畠、民宿やそばの郷がある坂上も、もちろん通る(ただし街道沿いだけで、山手には入らない)。

利賀中心部に達するまで民家はほとんどないので、車で行く人は、天気の悪い日や冬場には要注意。道はちょっと狭いが、山道に慣れた人なら大丈夫。

このルートは、行くまで知らなかったのだが、福光美術館のおねーさんたちに教えてもらいました。助かりました。

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(2) JR高山本線・越中八尾から市営バス

まず、富山からJR高山本線で越中八尾(えっちゅうやつお)駅へ。

越中八尾から利賀への市営バスが、こちらは毎日2便(10:15、16:45)。土日も運行。

ただし、利賀川流域は利賀行政センターまで。あとは百瀬川流域に戻ってしまう。上畠や坂上までは2~3kmなので、歩いても1時間くらい。村内バスもあるらしいが、よく知らない。

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利賀主要部(Google Mapより)

宿は民宿が数軒ある。私が泊まったのは、「中の屋」さん。ちょっと坂を登ると、あとは瞑想の郷までアップダウンなしで行ける。

中の屋は、民宿にしては少し高めの料金設定だが、それは食事がすごいいいから。米は自前の田んぼで作っている無農薬米だし、どぶろく「まごたりん」も作っている。奥さんはフィリピンの人で、明るく楽しい人だった。

その近くにも民宿「いなくぼ」。そばの郷方面にも民宿があるよう。街道沿いの「スターフォレスト利賀」は、旧小学校で、夏休みには合宿所として利用されている施設で、通常は宿泊施設として使われていない。

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瞑想の郷については次回。

2017年7月21日金曜日

カム小出し劇場 (3) デルゲ

20年位前に行った時の様子をまとめたもの。実用情報はもう使えないので省略。

2000年頃には、四川省チベットのほぼ全域が旅行者に開放されたが、この頃はまだダルツェンドの先は未開放だった。そのため、行く先々で緑の服を着た人たちに大人気で、彼らの職場にしょっちゅう招待されてました。

今も名目上は開放されているようだが、デルゲに入るのはなかなか厳しくなっているようだ。

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デルゲ སྡེ་དགེ sde dge徳格

ディ・チュー འབྲི་ཆུ་ 'bri chu 金沙江の支流シ・チュー ཟི་ཆུ་ zi chuに開けた谷間の町。日本の温泉町と似た風情。思ったより狭い街なので、外国人は目立つ。

カム最大の王国・デルゲ王国の都であった。デルゲ・パルカンとデルゲ・ゴンチェンの間にある建物が旧王宮らしい(現在は徳格中学)。


デルゲ主要部(Google Mapより)

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デルゲの歴史

デルゲ王は、吐蕃時代の有力氏族ガル མགར་ mgar氏の後裔。ガル氏の中では、ソンツェン・ガンポ སྲོང་བརྩན་སྒམ་པོ་ srong brtsan sgam po王の大臣で、文成公主を迎えるため唐に赴いたガル・トンツェン・ユルスン མགར་སྟོང་རྩན་ཡུལ་ཟུང་ mgar stong rtsan yul zung が最も有名。

ガル・トンツェンの息子たちは、698年に吐蕃王ティ・ドゥースン ཁྲི་འདུས་སྲོང་ khri 'dus srongによって滅ぼされたが、粛清を免れたガル氏族もいたようだ。

8世紀後半、ガル氏の一人でグル・リンポチェ གུ་རུ་རིན་པོ་ཆེ་ gu ru rin po che(パドマサンバヴァ पद्मसम्भ)の弟子とされる僧アムニェ・チャンペー・ペル ཨ་མྱེ་བྱམས་པའི་དཔལ་ a mye byams pa'i dpalが、カムのリン གླིང་ gling(リンツァン གླིང་ཚང་ gling tshang 林葱/嶺倉(デルゲの北))に移り住み、吐蕃帝国から自治権を与えられていた。チャンペー・ペルはガル・トンツェンの息子、とする説もあるが疑わしい。

13世紀になると、この後裔はサキャパ ས་སྐྱ་པ་ sa skya paのパクパ འཕགས་པ་ 'phags paによりカムの行政権を与えられ、勢力を拡大した。

15世紀にロドゥ・トブデン བློ་གྲོས་སྟོབས་ལྡན་ blo gros stobs ldan王がデルゲに都を移した。タントン・ギャルポ ཐང་སྟོང་རྒྱལ་པོ་ thang stong rgayl poを招聘し、デルゲ・ゴンチェンの建設を始めたのもこの王である(完成は17世紀半ば)。

1639年のグシ・ハーン གུ་ཤྲི་ཁཱན་ gu shri khAnによる侵略の際にはなんとかその地位を保ったものの、ラサ政府の影響下に置かれるようになった。

18世紀、テンパ・ツェリン བསྟན་པ་ཚེ་རིང་ bstan pa tshe ring王のもと、デルゲ王国は周囲の諸国を広く征服し、その最盛期を迎えた。1729年にはデルゲ・パルカンも完成した。

1863年には、他のカムの王国と同じく、ニャロン王 ཉག་རོང་དཔོན་པོ་ nyag rong dpon poゴンポ・ナムギャル མགོན་པོ་རྣམ་རྒྱལ་ mgon po rnam rgyalに屈し、一時王は廃位されたが、1865年ゴンポ・ナムギャルがラサ軍に鎮圧されると、デルゲ王はその地位を取り戻した。

1900-08年、ドルジェ・センゲ རྡོ་རྗེ་སེང་གེ་ rdo rje seng ge王とその弟ンガワン・ジャンペル・リンチェン ངག་དབང་འཇམ་དཔལ་རིན་ཆེན་ ngag dbang 'jam dpal rin chenによる王位争いが続いた。この内紛に乗じて趙爾豊率いる四川軍が侵入し、兄弟を追放し中国領とした。しかし、1917年にはラサ軍がデルゲを奪還し、王は復位した。

1950年、人民解放軍が侵攻を開始し、デルゲにも共産党員が駐在するようになる。カム地方の人々は共産主義改革に反発し反乱が頻発した。1957年、デルゲの人々も蜂起したがあっという間に中国軍に鎮圧された。デルゲ・ゴンチェンも破壊され、多数の僧が殺害された。デルゲ王国は、この時完全に滅亡した。

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デルゲ・パルカン སྡེ་དགེ་པར་ཁང་། sde dge par khang/ 徳格印経院


デルゲ・パルカン

1729年、デルゲ王テンパ・ツェリンによって完成された経典印刷所。デルゲ王はサキャパ(ンゴルパ)の施主であるが、パルカンは超宗派。現在は四川省文物局が管轄している。ナルタン・ゴンパ སྣར་ཐང་དགོན་པ་ snar thang dgon pa 那当寺のパルカンは、文革で完全に破壊されてしまったので、現在はここがチベット文化圏最大のパルカンである。

ペルプン・ゴンパ དཔལ་སྤུང་དགོན་པ་ dpal spung dgon pa 八邦寺(カルマ・カギュパ)の創設者、タイ・スィトゥ・リンポチェ8世 ཏའི་སི་ཏུ་རིན་པོ་ཆེ་སྐུ་འཕྲེང་བརྒྱད་པ་ ta'i si tu rin po che sku 'phreng brgyad pa(チューキ・チュンネ ཆོས་ཀྱི་འབྱུང་གནས་ chos kyi 'byung gnas、別名ツクラク・チューキ・ナンワ གཙུག་ལག་ཆོས་ཀྱི་སྣང་བ་ gtsug lag chos kyi snang ba)が、ここで1733年カンギュールを編集・開版した。1742年にはシュチェン・ツルティム・リンチェン ཞུ་ཆེན་ཙུལ་ཁྲིམས་རིན་ཆེན་ zhu chen tsul khrims rin chen監修のもとテンギュールも完成。このデルゲ版大蔵経は、同じころ完成したナルタン版大蔵経と並び最も広く普及した版である。この版木彫刻様式はグツェ派と呼ばれる。


デルゲ・パルカン 朝のコルラ

朝な夕なにここをコルラしている人の数は多い。デルゲ・ゴンチェンよりも人気が高いよう。パルカンから流れ出る墨混じりの水を、ありがたいものとして飲む人もいる。

3階建紅壁の立派な建物で、入口には番人もいる。残念ながら、この時は中には入れなかったので、内部の様子は、

・池田巧+中西純一+山中勝次 (2003.7) 『活きている文化遺産デルゲパルカン チベット大蔵経木版印刷所の歴史と現在』. 214pp. 明石書店, 東京.

などで見てほしい。

タルチョ、ルンタ類はパルカン前の売店で売っている。

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デルゲ・ゴンチェン སྡེ་དགེ་དགོན་ཆེན། sde dge dgon chen/ 徳格更慶寺


デルゲ・ゴンチェンのドゥカン入口

ルンドゥプテン・ゴンパ ལྷུན་གྲུབ་སྟེང་དགོན་པ་ lhun grub steng dgon paとも呼ばれる。サキャパの分派ンゴルパ ངོར་པ་ ngor pa。

1448年、ロド・トブデン王がタントン・ギャルポを招き建設を開始した。完成したのは、17世紀半ばラチェン・チャムパ・プンツォク ལྷ་ཆེན་བྱམས་པ་ཕུན་ཚོགས་ lha chen byams pa phun tshogs王の時。サキャパの方式を受け継ぎ、デルゲ王のおじ甥相続で維持発展していった。

1957年、共産主義政策に対する反乱の最中に中国軍によって大規模に破壊された。しかし、近年復興が進み今では300人ほどの僧がいる。

ツァンのンゴル寺に次ぐンゴルパの重要な寺院で、かつてはンゴル寺の座主が退職すると、このデルゲ・ゴンチェンで教授することになっていた。この時は12時間続く大きな法要が行われていて、ンゴル寺からも多くの僧が出張して来ていた。

デルゲ・パルカンのさらに奥にドゥカンを中心とし、いくつかラカン・僧房群が建ち並ぶ。


デルゲ・ゴンチェン平面図(出版用の整理はしていないので見にくいと思う)

ドゥカン དུས་ཁང་ dus khang/ツァムカン འཚམས་ཁང་ 'tshams khang 1~3

マニ車と転法輪のある通路を抜けると中庭に出る。正面がドゥカンの入口。反対側には小坊主のタツァン གྲྭ་ཚང་ grwa tshang(学校)もある。

ドゥカンはかなり広く、正面奥にリンポチェの席と諸尊像を祠った棚がある。壁画はごく新しいものだが、素晴らしい出来。左壁に一群のイダム・ヤプユム ཡི་དམ་ཡབ་ཡུམ་ yi dam yab yumの壁画があり、布がかけてある。またその前には忿怒尊像が多数立ちはだかる。

ドゥカンの裏手にはツァムカンが3つ。左手にはグル・リンポチェと護法尊、真ん中にはジョウォ・リンポチェ ཇོ་བོ་རིན་པོ་ཆེ་ jo bo rin po cheを中心とするドゥスム・サンギェ འདུས་གསུམ་སངས་རྒྱས་ 'dus gsum sangs rgyas 三世仏とネシェ・ゲ ཉེ་སྲས་བརྒྱད་ nye sras brgyad 八菩薩+ギャルチェン・シ རྒྱལ་ཆེན་བཞི་ rgyal chen bzhi 四天王、右手にはチャムパ  byams pa བྱམས་པ་ 弥勒菩薩とネテン・チュードゥク སགནས་བརྟན་བཅུ་དྲུག gnas brtan bcu drug 十六羅漢が祠ってある。いずれも新しいものばかりだが、古そうな寺院の構造、密教色の濃い像・壁画といいなかなか興味深いゴンパである。

ヤネ・ラカン དབྱར་གནས་ལྷ་ཁང་ dbyar gnas lha khang

ドゥカンの隣りにある小さなラカン。小坊主多し。ここもごく新しいものばかり。主尊はシャキャ・トゥバ ཤཱ་ཀྱ་ཐུབ་པ་ shA kya thub pa。
 
その他のラカン

ヤネ・ラカンのすぐ上手にもう一つラカンがある。また広場を挟んだ東はずれにも古そうな小ラカンがある。

タンギェル・ラカン ཐང་རྒྱལ་ལྷ་ཁང་ thang rgyal lha khang

パルカン、ゴンチェンとは谷を挟んだ対岸、南の山手にある。タントン・ギャルポを祠っているらしい。

大チョルテン

町の北はずれに高さ15mの大チョルテンがある。3段基壇のナムギャル型。新しいもの。四隅に4色の小チョルテンが立っており、これは全体で5如来を表わしたものか?。ヘルミカ(平頭)には目もついている。

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参考文献は準備中。調べたのはだいぶ昔なので、少し手間がかかるのだ。

2017年7月18日火曜日

富山・長野チベット巡礼 (2c) デルゲ印経院チベット木版仏画展@富山県南砺市立福光美術館-その4

・池田巧+中西純一+山中勝次 (2003.7) 『活きている文化遺産デルゲパルカン チベット大蔵経木版印刷所の歴史と現在』. 214pp. 明石書店, 東京.


装幀 : 柴永文夫+前田眞吉

という本があります。デルゲ・パルカンに関する本としては、日本で唯一です。

他に、デルゲ/デルゲ・パルカンに関する日本語論文、中文書籍、欧文書籍については末尾にまとめておきました。

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デルゲ・パルカンに関する日本語資料としては、もちろん最重要資料なのですが、残念ながら展覧会会場や売店にはありませんでした。おそらく絶版なのでしょう。

明石はおもしろい本をどんどん出してくれるが、絶版も早い。あっという間に絶版になって、ゾッキに流れているのをよく見かける。

これを機に再発してほしいもの。講談社学術文庫でもいいぞ。

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その中から、この展覧会で展示されている大判版画の版木が、どのように保管・印刷されているかの写真を紹介しておこう。


同書, pp.44-45

デルゲ・パルカンの主要業務は言うまでもなく経典の印刷。そちらでは二人一組になって、ローラーなども使い、手早く印刷が進められている。

しかし、仏画のような大型版画は、上手右のように、熟達した工人が一人でじっくり印刷を進めるらしい。

上掲書著者らの協力も得て、こういった写真の提供も受けることができたら、より深みのある展覧会になるだろう。

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デルゲ・パルカンで印刷されている仏教図像については、このような形でもまとめられている。

・Josef Kolmaš (2002) ICONOGRAPHY OF THE DERGE KANJUR AND TANJUR. 286pp. Vedams ebook, New Delhi.


Cover Design : Dushyant Parasher

これは、デルゲ大蔵経のカンギュル བཀའ་འགྱུར་ bka' 'gyur 仏説部(カム/アムド方言だと「カンジュル」になる)とテンギュル བསྟན་འགྱུར་ bstan 'gyur 論疏部(解説・注釈、カム/アムド方言だと「テンジュル」になる)の両端に記された諸尊の図像のみをピックアップしてまとめたもの。


同書, p.153

印刷は不鮮明だが、チベット仏教の尊格がほとんど網羅されているので、図像学の勉強にはかなり役に立つはず。この本では各尊格のチベット名もindexで網羅されているので、そういった使い方もできる。

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前掲の池田ほか(2003)より、この図像がどういった形で経典に収録されているか、示しておこう。


池田ほか(2003), pp.48-49

デルゲ版大蔵経では、カンギュルは赤字、テンギュルは黒字で印刷される。

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Kolmaš先生は、チェコのチベット学者。後述の欧文書籍リストを見てもわかるように、デルゲに関する研究では第一人者だ。現在84歳とご高齢ではあるが、次回またこの展覧会があるようなら、是非Kolamš先生を呼んで講演をお願いしてほしい。

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最後に、福光美術館への行き方。主に2つ。


福光への行き方(Google Mapより)

(1) 北陸新幹線・新高岡駅から

JR城端線で新高岡から9つ目の駅が福光駅。本数は1時間に1本くらい。40分で福光。

城端線は電化されていない。東京周辺ではもはや見ることのない、1970年代製造(と推定)の古いディーゼルカーがいろいろ走っている。撮り鉄にはちょっと狙い目の路線かも。


福光駅~福光美術館(Google Mapより)

福光美術館は、福光駅から北西に約2km。歩いても十分行けるが1時間くらいかかる。駅からはバスもあるが、よく知らない。

美術館の隣に川合田温泉という宿がある。行きの当日はそこに宿泊し、翌朝美術館に、というプランは、我ながらなかなかいいアイディアであった。

宿や温泉は、他にも福光駅周辺・郊外にいくつかある。

また、棟方志功記念館・愛染苑、福光中心部・味噌屋町の古い町並みなど、他に見所もいくつかあるので、時間に余裕があればあちこち行ってみても面白いと思う。

(2) 金沢から

北陸新幹線などで金沢に行き、そのついでに福光美術館に行ってみるのもいい。

金沢~福光~井波は、加越能バスが毎日6往復運行。金沢から、福光美術館最寄りの「道の駅福光」までは45分くらい。金沢-福光は充分日帰りできる。

道の駅から美術館へは、30分ほど歩く。

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デルゲ/デルゲ・パルカンに関する日本語論文にはこのようなものがある。

・中西純一 (1997.1) チベット デルゲパルカン. 季刊民族学, vol.21, no.1, pp.28-43.
・松村恒 (1997.7) チベット大蔵経デルゲ版の開版印刷について. 香散見草 (近畿大学)中央図書館報, no.27, pp.12-16.
・中西純一 (1999.4) チベット徳格印経院を調査して. 月刊しにか,  vol.10, no.4, pp.2-5.
・鎌澤久也 (2000.10) FRONT PICTORIAL 長江上流域の人びと (2) 徳格の印経院. Front, vol.13, no.1, pp.59-63.
・鎌澤久也 (2000.12) 長江源流行 (21) 徳格・最後の印経院. 月刊しにか, vol.11, no.12, pls.+pp.102-103.
・川田進 (2008.10) デルゲ印経院とデルゲ土司に見る中国共産党のチベット政策. 大阪工業大学紀要 人文社会篇, vol.53, no.1, pp.19-50.
・小林亮介 (2011.3) 一九世紀末~二〇世紀初頭、ダライラマ政権の東チベット支配とデルゲ王国(徳格土司). 東洋文化研究, vol.13, pp.21-52.

中文書籍としては、

・中国科学院民族研究所四川少数民族社会歴史調査組・編 (1963.7) 『甘孜藏族自治州徳格地区社会調査報告』. 中国科学院民族研究所四川少数民族社会歴史調査組.
・中国科学院民族研究所四川少数民族社会歴史調査組・編 (1963.12) 『徳格更慶、甘孜麻書社会調査材料 甘孜藏族自治州』. 中国科学院民族研究所, 北京.
・四川民族出版社・編 (1981.8) 『徳格印経院』. 四川民族出版社, 成都.
・策旺・多吉仁増 (1990) 『徳格土司傳 藏文版』. 四川民族出版社, 成都.
・四川省徳格縣志編纂委員会・編 (1995.5) 『徳格縣志』. 四川人民出版社, 成都.
・楊嘉銘 (2000.4) 『徳格印経院』(西南人文書系). 四川人民出版社, 成都.
・唐拉津旺 等・画, 根秋登子+多智+雄呷・藏文注釈, 戴作民・漢文翻訳 (2002.6) 『徳格印経院藏傳木刻版画集』. 四川民族出版社, 成都.
・蒋彬 (2005.9) 『四川藏区城鎮化与文化変遷 以徳格県更慶鎮為个案』. 巴蜀書社, 成都.
・津爾多吉 (2006) 『走過康巴文明的皺襞 徳格土司歴史淵源与康巴文化発展略述』. 四川華彩文化傳播, 成都.
・沢旺吉美・主編 (2010.10) 『徳格印経院』. 四川美術出版社, 成都.
・徳格県寺院志編委会・編 (2011.11) 『徳格県寺院志』. 民族出版社, 北京.

欧文書籍にはこのようなものがある。

・Josef Kolmaš (1968) A GENEALOGY OF THE KINGS OF DERGE : SDE-DGE'I RGYAL-RABS (Dissertationes orientales, v.12). Oriental Institute in Academia, Publishing House of the Czechoslovak Academy of Sciences, Prague.
・Josef Kolmaš+Československá akademie věd. Orientální ústav. Knihovna (1978) THE ICONOGRAPHY OF THE DERGE KANJUR AND TANJUR : FACSIMILE REPRODUCTIONS OF THE 648 ILLUSTRATIONS IN THE DERGE EDITION OF THE TIBETAN TRIPITAKA, HOUSED IN THE LIBRARY OF THE ORIENTAL INSTITUTE IN PRAGUE.(Śata-pitaka series, Indo-Asian literatures, v.241). Sharada Rani, New Delhi.
→ Reprint : (2002) Vedams, New Delhi.
・Peter Kessler (1983) DIE HISTORISCHEN KöNIGREICHE LING UND DERGE (Laufende Arbeiten zu einem Ethnohistorischen Atlas Tibets, EAT, Lfg. 40. 1). Tibet-Institut, Rikon(Swiss).