2015年7月25日土曜日

柱建て祭りとKumari(12) Naga Panchamiと女神Manasa

Kathmandu盆地におけるNag Panchami(नागपञ्चमी)の始まりを伝える伝説も紹介しておきましょう。

10世紀末の王Gunakamadeva(गणकाम देव)は強力な王で、Kantipur(कान्तिपुर 、現在のKathmandu)の町や多くの寺院を作り、数多くの神々の信仰を導入した、とされます。Indra Jatraを始めたのもこのGunakamadeva王です。

歴史上は立派な王ですが、伝説では魔力を持つ悪王とされます。Gunakamadeva王の悪業に怒ったNagaraja Karkotaka(कर्कोटक)は7年間雨を降らせず、Kathmandu盆地は旱魃に見舞われました。王は師であるShantashri(शान्तश्री、Shantikar Acarya शान्तिकर आचार्य)の元へ向かいアドヴァイスをもらいます。ShantashriはSwayambhu Stupaを建立した仏僧として有名です

王はKathmandu盆地に住むすべてのNagaを招き供養を行います(Nagaは招かれたわけではなく、Gunakamadeva王の魔力で無理矢理集められた、というヴァージョンもあります)。しかしこのNagaたちを統べるNagaraja Karkotakaだけはやって来ませんでした。

そこでGunakamadeva王はNagaraja Karkotakaが棲むTaudahaに赴き、ようやくKarkotakaをSwayambunathに招くことに成功します。そして雨乞いの儀式を行ったところ、ついに雨が降り出しました。

Nagarajaたちは、王とShantashriに、自らの血で描いたNagarajaの絵を渡し、「今後旱魃の際にはこの絵を拝むように」と伝えました。

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Kathmandu盆地のNaga Panchamiでは、魔除けとしてNagaの絵を家に貼ることが特徴ですが、それにはこういう由来があったのです。

上記に由来に従えば、Kathmandu盆地のNaga Panchamiは、本来雨乞いの儀式だったと思われますが、現在ではその意味合いは薄れ、Nagaのもう一つの属性「病気予防・治癒・魔除け」が祭りの主題となっています。

Nagaに雨乞いをするという古来からの儀式に、インドから入って来たNaga Panchamiという祭りとその名称がオーヴァーラップし、次第に古来の祭儀が薄れて行った、のかもしれません。

そのあたりの過程はまだまだ研究されてはいません。長い歴史を持つネパールならではの調査・研究の難しさです。

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インドでのNaga Panchamiの由来はこれとは異なっており、次のようなものです。もちろんこっちの方が本家なのですが。

話は『Mahabharata महाभारत』の時代に逆上ります。Kuru(कुरु)王Parikshit(परीक्षित्)は、Nagaraja Takshaka(तक्षक)に噛まれ死んでしまいます。その子であるJanamejaya(जनमेजय)王は、報復として数千人のバラモンと共にSarpasattra(सर्पसत्त्र)という儀式を開始。Yajnakunda(यज्ञकुण्ड)と呼ばれる拝火壇を取り囲み儀式を行うと、世界中の蛇が集まりその火に飛び込む、という強力な儀式です。

蛇たちは次々とこの拝火壇に飛び込みますが、Takshakaのみはこれを逃れてIndraの元に避難しました。しかし、Sarpasattraの力は強力で、Takshakaと共にIndraまでが火に引き寄せられます。

IndraはShivaの心から生まれた女神Manasa(मनसा)に助けを求めます。Manasaは、その子Astika(आस्तीक)をJanamejaya王のもとに派遣。AstikaはJanamejaya王の説得に成功し、ついにSarpasattraをやめさせることが出来ました。以来、Shravan(श्रावण)月(7~8月)の5日目に、女神Manasaに感謝する祭りNaga Panchamiが行われるようになった、ということです。

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ネパールとインドのNaga Panchami由来はよく似ています。後者が元ネタなのは間違いありません。

ネパールではManasaのエピソードが脱落し、王がJanamejayaからGunakamadevaに変わっています。また雨乞いの要素が加わっていることにも注目です(ただし今は薄れていますが)。

Manasaのエピソードが脱落しているのがちょっと不思議です。現在のネパールのNaga PanchamiではManasaの属性である病気予防・治癒が強調されているのですが、肝心のManasaが出てきません。

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Manasaは、Shivaの心から生まれたとされますが、Nagaraja Vasukiの妹、という出自でもあります。矛盾していますが、おそらく2系統の神格が混交しているものと見られます。

Indraが登場することに注目。おそらくKathmanduのIndra Jatraにもこの神話が影響していると思われます。Indraはここでも間抜けな役回りです。

IndraやBrahmaなどの古い神格は、時代が下がるにつれ人気がなくなっていき、このような間抜け役が振られるようになります。

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Manasaには、Shivaが毒を飲んで苦しんでいたところを解毒して助けた、という神話もあります。このエピソードから、Manasaは治療、特に蛇の毒、天然痘などの伝染病の治療の女神として崇められるようになりました。

現在のNaga Panchamiは、このManasaの属性によるところが大きく、主に魔除け、病気予防・治癒を祈る祭りとなっています。

Taudaha、Nag Daha、そしてKathmandu盆地各地のNaga Panchamiも同様で、魔除け、病気予防・治癒を祈る祭りです。ただし上記のKathmandu盆地独自の伝説に基づき、Nagaを描いた絵を家の壁に貼るところが特徴となっています。

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TaudahaのNagaraja Karkotakaは、実はRato Matsyendara Jatra、Indra Jatraでも重要な役割を担っています。それは各々の祭りについて説明するときにお話しましょう。

その前に、Kathmandu盆地と似た環境のKashmir盆地のNaga信仰、チベット文化圏でのNaga=klu信仰を見ておきましょう。

なかなかBisket Jatraに戻りませんが、まあNaga信仰の諸相を楽しく見ていきましょう。

参考:

・斎藤昭俊 (1984) 第四 インドの動物崇拝 四 蛇の崇拝. 『インドの民俗宗教』所収. pp.97-137. 吉川弘文館, 東京.
・菅沼晃・編 (1985) 『インド神話伝説辞典』. pls.+23+454pp. 東京堂出版, 東京.
・Netra B Thapa (1990) A SHORT HISTORY OF NEPAL(The Fifth Edition). xi+187pp.Ratna Pustak Bhandar, Kathmandu.
・佐伯和彦 (2003) 『ネパール全史』(世界歴史叢書). 767pp. 明石書店, 東京.
・Shapalya Amatya (2006) WATER & CULTURE. 95pp. Jalsrot Vikas Sanstha, Nepal.
http://www.jvs-nwp.org.np/sites/default/files/Number%20%2033.pdf
・Wikipedia (English) > Nag Panchami (This page was last modified on 15 April 2015, at 12:59)
https://en.wikipedia.org/wiki/Nag_Panchami
・Wikipedia (English) > Manasa (This page was last modified on 6 June 2015, at 05:38)
https://en.wikipedia.org/wiki/Manasa

2015年7月18日土曜日

柱建て祭りとKumari(11) Nagaの棲む湖TaudahaとNag Daha

Kathmandu盆地南部に位置する、Kirtipur(कीर्तिपुर)近郊のTaudaha(टौदह)湖、Dhapakhel(धापाखेल)近郊のNag Daha(नाग दह)湖は、文殊菩薩が大湖であったKathmandu盆地を干上がらせた後、Nagaの移住先として作った湖、とされています。

daha(दह)とは、ネワール語で「湖・沼」の意味。Taudahaは「大きな湖」、Nag Dahaは「蛇神の湖」になります。

どちらも湖畔にはNagaを祀った寺院があります。Taudahaには、Nagaraja Karkotakaが祀られており、Nag DahaにはNaginiが祀られています。

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さらにKathmanduの南東32kmにあるPanauti(पनौती)にはNagaraja Vasuki(वासुकि)が祀られています。ここには湖こそありませんが、Punyamata川(पुन्यमाता नदी)がRoshi川(रोशी खोला)に合流する地点に当たり、その合流部にVasuki Nag Mandirが建てられています。

TaudahaとPanautiはKathmandu盆地最大のNaga寺院で、この二つを参拝することがNaga信者(といってもNagaだけを信仰している人はいませんが)最大の功徳になるとされています。

















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TaudahaのNagarajaは、毎年5~6月に開かれるPanauti Jatraに参加するためにNagaraja Vasukiのもとを訪れる、とされます。Nag DahaはTaudahaからPanautiへの途上にあります。Taudaha Nagarajaは、行き帰りにここで宿泊し、Naginiと夜を過ごします。

これがKathmandu盆地に雨をもたらし、モンスーンの開始を告げるとされています。Naga夫婦と雨との関係の深さを教えてくれます。

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仏教徒・ヒンドゥ教徒を問わず、Taudaha、Nag Dahaへの参拝者は雨や豊作、そして病気予防・治療を祈ります。Nagaは水、雨を司る神ですから、雨乞いは参拝目的の中心になります。

しかし、TaudahaでもNag DahaでもNagaに雨乞いや豊作を祈る大きな祭りはないようです。これら寺院での最大の祭りは、Naga Panchamiになります。Naga Panchamiという祭りの主旨は、今では雨乞いではなくなっています。

Naga本来の性格は薄れてきてはいますが、Kathmandu盆地古来のNaga信仰の姿が残っている場所が、ここTaudahaとNag Dahaといえるでしょう。特にNagaが夫婦であることが最重要ポイントです。

参考:

・Shapalya Amatya (2006) WATER & CULTURE. 95pp. Jalsrot Vikas Sanstha, Nepal.
http://www.jvs-nwp.org.np/sites/default/files/Number%20%2033.pdf
・Kathmandu Metro > Culture > Siddhi B. Ranjitkar / Panauti Jatra(Issue 25, June 22, 2008)
http://104.237.150.195/culture/panauti-jatra
・ECS Nepal > Features > Amar B Shrestha / Kathmandu Valley and Its Historical Ponds (Jul.05.2010)
http://ecs.com.np/features/kathmandu-valley-and-its-historical-ponds
・ECS Nepal > Features > Ravi Shankar / NAGDAHA : A Visit to the Snake Lake (Jul.05.2010)
http://ecs.com.np/features/kathmandu-valley-and-its-historical-ponds
・ROYAL MOUNTAIN TRAVEL – NEPAL > blog > Kathmandu Valley and its Nagas (Posted on May 16, 2013)
http://royalmt.com.np/blog/kathmandu-valley-and-its-nagas/
・Wikipedia (English) > Nagdaha (This page was last modified on 4 August 2014, at 23:24.)
https://en.wikipedia.org/wiki/Nagdaha
・Deepak Rauniyar / Nepal temples > TEMPLES IN KATHMANDU >Taudaha nag raja (as of 2015/07/12)
http://www.trynepal.com/nepaltemples.com/?p=221

2015年7月15日水曜日

柱建て祭りとKumari(10) Kathmandu盆地のNaga神話

Kathmandu盆地は太古の昔には湖であった、という伝説が残っています。地質学的に見てもそれは間違いありません。

2015年4月26日日曜日Kathmandu盆地の地質と断層

を参照のこと。

が、それは数万年前の話で、その事実を人類が伝説として語り継いだとも思えません。おそらく盆地地形とその堆積物から推測したものでしょう。その名残である湖や沼などもそちこちに残っていますしね。

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Kathmandu盆地の場合は、湖の神話はすっかり仏教化されています。

Swayambhunath Stupa(स्वयम्भूनाथ स्तुप)あるいはSwayambhu Mahacaitya(स्वयम्भू महाचैत्य)の縁起文である

・Unknown(15-16C)『Swayambhu Purana स्वयम्भू पूराण』.

が伝える神話を見てみましょう。

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太古の昔、Kathmandu盆地はKalihradという湖であり、その湖を支配していたのは蛇神Nagaでした。複数のNagarajaがおり、Karkotaka(कर्कोटक)、Takshaka(तक्षक)、Kulika(कुलिक)が棲んでいたといいます。文殊菩薩(Manjushri मञ्जुश्री)がこの地を訪れ、その湖から光が放射されているのを見て、南の山を切り開いて排水。そして現れた光の丘が今のSwayambhunath(स्वयम्भूनाथ )です。

盆地が干上がるとNagaたちは住めないので、文殊菩薩が南に湖を作りそちらに移住した、ということになっています。

Swayambhunathの縁起はまだまだ続くのですが、ここではNagaの話題に集中するためここまで。

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現在のKathmandu盆地では、Naga信仰は大きな勢力ではありません。せいぜい病気予防・治癒を願う祭りNaga Panchamiで注目されるくらいですが、これはNagaの持つ属性の中でもごく一部に注目した祭りです。

Naga本来の属性は水・雨・豊穣を司ることです。これらをNagaに願う信仰は、そちらの湖周辺に残っており、古来の姿をとどめています。

次回はその姿を見ます。これがBisket Jatra、Rato Matyendra Jatra、Indra Jatra解明への大きなヒントになります。

参考:

・斎藤昭俊 (1984) 第四 インドの動物崇拝 四 蛇の崇拝. 『インドの民俗宗教』所収. pp.97-137. 吉川弘文館, 東京.
・Richard Josephson (after 1985) SWOYAMBHU HISTORICAL PICTORIAL. xv+63pp. Satya Ho, Kathmandu.
・Netra B Thapa (1990) A SHORT HISTORY OF NEPAL(The Fifth Edition). xi+187pp.Ratna Pustak Bhandar, Kathmandu.
・佐伯和彦 (2003) 『ネパール全史』(世界歴史叢書). 767pp. 明石書店, 東京.

2015年7月11日土曜日

柱建て祭りとKumari(9) Naga信仰と聖樹信仰

インドにおけるNagaと樹木信仰との関係については、早くも19世紀にJames Fergussonが以下の大著で述べています。

・James Fergusson (1868) TREE AND SERPENT WORSHIP: OR ILLUSTRATIONS OF MYTHOLOGY AND ART IN INDIA IN THE FIRST AND FOURTH CENTURIES AFTER CHRIST FROM THE SCULPTURES OF THE BUDDHIST TOPES AT SANCHI AND AMRAVATI. xii+247pp.+pls. India Museum, London.
https://archive.org/details/jstor-3025152

ところが、これは大変に冗長な本で、大著のわりには民間信仰については論考が浅く、Nagaと樹木信仰の関係も理解しづらい。この本はやはり、SanchiやAmarvatiのStupaを扱ったインド建築・美術(特に彫刻)の本なのです。

とはいえ、これは19世紀半ばの本なのですから、まあそんなに期待してはいかんのですけど。こんな希少本がネット上でただで読めるだけでも感謝しなくてはいけませんね。

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Nagaについては、むしろ民族学・宗教学の専門家William Crookeの論考の方が役に立ちます。

・William Crooke (1894) AN INTRODUCTION TO THE POPULAR RELIGION AND FOLKLORE OF NORTHERN INDIA. ii+420pp. Allahabad.
https://archive.org/details/anintroductiont01croogoog
・William Crooke (1908) Serpent - Worship (Indian). IN : James Hastings (ed.) ENCYCLOPÆDIA OF RELIGION AND ETHICS VOLUME XI SACRIFICE – SUDRA. pp.411-419. Charles Scribner's Sons, New York.
https://archive.org/details/encyclopaediaofr02hast

この本で、インドでは樹木の下にNega像あるいはその祠が祀られていることを報告しています。ちょうどこんな感じ。

・Khandoma / india mike > images > Tree opposite Kondarma temple, Hampi (on Dec 23, 2007)
http://www.indiamike.com/india-images/pictures/tree-opposite-kondarma-temple-hampi
・Wikimedia Commons > Dineshkannambadi / File:Vijayanagar snakestone.jpg (21:40, 8 November 2011)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Vijayanagar_snakestone.jpg
・BSV Prasad / BSV Prasad's Blog > Girivalam (Posted on 30/11/2013)
https://bsvprasad.wordpress.com/2013/11/30/girivalam/
・Quora > Why do Hindus worship the snake and what does sarpa dosha mean? > Dharma Somashekar / In vedic school (hinduism) Sarpa (snake) is used to express the flow/wave of Energy (Written 20 Mar, 2014)
http://www.quora.com/Why-do-Hindus-worship-the-snake-and-what-does-sarpa-dosha-mean
・Jayaram V / Hinduwebsite.com > Hinduism > Symbolism > The Symbolism of Snakes and Serpents in Hinduism (as of 2015/06/14)
http://www.hinduwebsite.com/buzz/symbolism-of-snakes-in-hinduism.asp

これらはほとんどが南インドの例です。Naga信仰は、今では南インドに色濃く残っていることがうかがえます。

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北インドではどうなっているのかというと、Nagaだけを祀った樹下祠堂は私は見かけたことはないのですが、根元が赤く塗られたり、旗や華鬘が飾られた樹木はいたるところで目にします。聖樹信仰はインド全土で今も健在です。

北インドでは、Shiva像やそのシンボルTrishul(त्रिशूल)、Ganesh、サイ・ババなどの聖者の絵が一緒に祀られている場合が多く、聖樹信仰は今では様々な信仰と結びついていることがわかります。

Naga像はその一端にひっそりと祀られています。北インドではNagaと聖樹の結びつきは南インドほど強くはないようです。

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FergussonやCrookeの論考を読んでも、Naga信仰と聖樹信仰の関係はあまりよくわかりません。実際、この関係はその後もあまり注目されていません。しかしこちらの著作、

・jayasree / Non-random-Thoughts > From Indus Proto-Siva to Celtic Cernunnos (SATURDAY, SEPTEMBER 29, 2012)
http://jayasreesaranathan.blogspot.jp/2012_09_01_archive.html

の中程によくまとまっていますのでご覧ください。

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Nagaは水を司る神です。よく成長した樹木の地下は水が豊富な場所です。この関係でNagaと聖樹信仰が結びついたものと思われます。

しかしこの関係は、現在では他の神々の信仰に押され、インド本土(特に北インド)では顕著ではなくなってきている感があります。水が豊富なインドでは仕方ない気もします。

しかし、後述しますが、一転水に乏しいチベット文化圏ではこの聖樹とNagaの結びつきは依然強いままです。

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聖樹信仰と結びついた神格はNagaだけとは限りません。

ピッパル(pipal पीपल、インドボダイジュ)の木はBrahmaあるいは釈尊と、バニヤン(vata वट、ベンガルボダイジュ)とトゥルスィー(tulsi तुलसी、シソの仲間)はVishnuと、ニーム(nimba निम्ब、インドセンダン)は様々な女神たちと結びついています。

古代インドでは、樹木信仰はバラモン教パンテオンに属さない土着の精霊であるYaksha(यक्ष、夜叉)やYakshi/Yakshini(यक्षी/यक्षिणी、夜叉女)と結びついていました。

今ではヒンドゥ教パンテオンの外に置かれるこれらYakshaは、元来土地神であり、祖霊神でもありました。Yakshaが豊穣をもたらす神として、聖樹と結びつくのは必然でした。

Sanchi StupaやAmravati Stupaの彫刻には、これらYakshaやYakshiniの彫刻が聖樹と共に多数見られます。Sanchi Stupaの第一塔東門の「樹下ヤクシー像」は最も有名な図像でしょう。

・神谷武夫 / 建築家 神谷武夫とインドの建築 > ユネスコ世界遺産 > サーンチー 古代の仏教遺跡 >第 1ストゥーパの東トラナにおける 「樹下ヤクシー像」 (as of 2015/06/14)
http://www.kamit.jp/02_unesco/01_sanchi/xsanchi_6.htm

今でも、聖樹とともに祀られている石像の中には、なんだか正体がわからない神格もたくさん並んでいますが、それらはおそらく土着のYakshaやYakshiなのでしょう。

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Nagaは、こういった土着のYaksha/Yakshiと同じような地位に置かれ、水と司る神として、そしてひいては豊穣を司る神として、聖樹信仰と結びついています。ただし、その関係は現在ではあまりはっきりとした形では現れてはいません(特に北インドでは)。

そういうわけで、Naga信仰と聖樹信仰の関係を述べている論考もあまり多くありません。私の認識も、文献を読んで得たものではなく、現地でたびたび聞いて培われたものです。その現地は、実はインド本土ではなくチベット文化圏なのですが。これも後述。

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北インド周辺でもNaga信仰の痕跡が色濃い場所があります。Nepal Kathmandu盆地とKashmir盆地です。どちらもかつては湖だった場所です。

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その他の参考:

・斎藤昭俊 (1984) 第三 インドの樹木崇拝. 『インドの民俗宗教』所収. pp.57-84. 吉川弘文館, 東京.
・宮治昭 (1999) 聖樹信仰と仏教美術. 『仏教美術のイコノロジー インドから日本まで』所収. pp.78-109. 吉川弘文館, 東京.
←原版:宮治昭 (1994) インドの聖樹信仰と仏教美術(I). 田島敏堂・編 『開発における文化(2)』(名古屋大学大学院国際開発研究科平成五年度共同研究報告書/開発叢書5)所収. 名古屋大学大学院国際開発研究科, 名古屋.

2015年7月4日土曜日

柱建て祭りとKumari(8) 東南アジア・中国・チベットのNagaと龍

Naga信仰の伝統は、インドのみならず、東南アジアから中国南部にまで広がっています。

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東南アジアでも、Nagaはそのままの名で呼ばれています。インドから東南アジアへ流入した仏教・ヒンドゥ教の影響が強いことが特徴です。乳海攪拌、釈尊を庇護するNagarajaの図像は、東南アジアでも人気があります。

東南アジア土着のNaga信仰もあると思われますが、今回は調べきれませんでした。

降水量が多く、水の豊富な東南アジアでも、Nagaはやはり水を司る神として崇められています。図像的には、中国から伝わった龍が少し混入してきているのも特徴です。

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古代中国では、伏羲、女媧という蛇身の神が信仰されていました。どうもこの神々は、元来中国南部(特に苗族)の神らしいのですが、今では中国神話のパンテオンの中に組み込まれています。

五帝(黄帝・顓頊・帝嚳・帝堯・帝舜)の前に置かれる三皇には、神農に加え、伏羲と女媧が入ります(注1)。

『史記』三皇本紀などによると、伏羲は八卦・書契・婚礼を定めた文化英雄です。女媧は楽器を作り、共工が破壊した天を補修したり、人類を創造したことになっています。

しかしその原型は、Nagaと同じく水の神だったと考えられます。伏羲と女媧は、南方の神話では洪水神話と共に登場し、兄妹であり夫婦でもある人類の祖です。

伏羲と女媧は古くから中国の画像石に描かれてきました。その姿は尾を絡み合わせた「蛇の交尾の姿」です。これはインドのNagaも同じであり、両者の源流が同じものであることを示しています。

・Sampradapa Sun > Features > January 2007 Sasanka S. Panda / Nagas in Early West Orissan Temples, Part 2.
http://www.harekrsna.com/sun/features/01-07/features525.htm
・老醫之家 Old Doc Wu's Home > 台灣癌症防止網 > 樊聖 / 一條蛇 両條蛇?(as of 2015/07/03)
http://www.tmn.idv.tw/tcfund/magazine/SNAKE.HTM

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南アジア~東南アジア~南中国にまで広がりを見せるNaga信仰は、アジアの文化・宗教の最古層を形成していると思われますが、その伝播過程や時期についてはあまり研究は進んでいません。

個人的には、オーストロアジア系民族(注2)の歴史が鍵を握っている、と考えてはいるのですが、東南アジアの歴史・民族については弱いので、今のところ思っているだけ。

参考:

・司馬貞 (唐代) 三皇本紀.
→ 邦訳 : 司馬遷, 野口定男ほか・訳 (1958) 『史記 上』(中国古典文学全集4)所収. pp.3-5. 平凡社, 東京.
・村松一弥 (1965) 中国創世神話の性格 女媧にことよせて. 文学, vol.33, no.6 [1965/06], pp.570-579.
・白川静 (1975) 『中国の神話』. 308pp. 中央公論社, 東京.
→ 再発 : (1980) (中公文庫し20-1) 310pp. 中央公論社, 東京.
・聞一多, 中島みどり・訳注 (1989) 伏羲考. 『中国神話』(東洋文庫497)所収. pp.11-139. 平凡社, 東京.
← 中国語原版:(1948) 『聞一多全集 第四冊 神話与詩』所収. 開明書店, 上海.
・袁珂, 鈴木博・訳 (1999) 『中国神話・伝説大事典』. xii+785pp. 大修館書店, 東京.
← 中国語原版:(1985) 『中国神話傳説詞典』. 上海辞書出版社, 上海.
・ABE Thoru / 幻想山狂仙洞 > 幻想之中国 > 三皇五帝関連人物リスト (as of 2015/07/03)
http://homepage3.nifty.com/kyousen/china/3k5t/

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中国では、北方に起源を持つ龍と南方に起源を持つNaga(蛇神)が混交し、「龍神」という神格になっています。そもそも雷・雲との関係が深く、空に住まう龍と、地上・地下の水に住まうNagaは全く別でしたが、いつのころか蛇形の両者がごっちゃになり、龍神が地上の水にも住まうとされるようになりました。

日本に入って来た龍神はこの混交後の姿です。

中国では、神性を龍神に剥ぎ取られたNaga(蛇神)は、水に住まい人に悪さをする魔物として民間に生きながらえます。「白蛇伝」がその代表例と言えるでしょう。

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龍とNagaが混交して龍神になってしまった中国に対し、「龍の本場=中国」と「Nagaの本場=インド」の中間に位置するチベットでは、両者ははっきり区別されています。

チベットではNaga=ཀླུ་ klu(ル)、龍=འབྲུག 'brug(ドゥク)です。ルは地下~水底、ドゥクは空中(雷雲)と住処もはっきり区別されます。

参考:

・Giuseppe Tucci (1949) Appendix Two : On the Genealogies of Tibetan Nobility. IN : TIBETAN PAINTED SCROLLS II. pp.711-738. Libreria dello Stato, Roma.
→ 再発 : (1980) 臨川書店, 京都.

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カギュパ(བཀའ་བརྒྱུད་པ་ bka' brgyud pa)の一派であるドゥクパ(འབྲུག་པ་ 'brug pa)は、開祖ツァンパ・ギャレー・イェシェ・ドルジェ(གཙང་པ་རྒྱ་རས་ཡེ་ཤེས་རྡོ་རྗེ་ gtsang pa rgya ras ye shes rdo rje)[1161-1211]が、ウー(དབུས་ dbus)地方で僧院を建てる場所を探していたところ、九頭の龍が現れ空に消えていったことを吉兆として、宗派名として採用したものです。実際は雷に遭遇し、激しい稲妻を見たのだと思われます。

開祖ツァンパ・ギャレーの転生者がドゥクチェン・リンポチェ(འབྲུག་ཆེན་རིན་པོ་ཆེ་ 'brug chen rin po che)です。ツァンパ・ギャレーを1世とし、現在は12世ジグメー・ペマ・ワンチェン(འཇིག་མེད་པདྨ་དབང་ཆེན་ 'jig med padma dbang chen)[1963-]。

ドゥクチェン4世ペマ・カルポ(པདྨ་དཀར་པོ་ padma dkar po)[1527-92]は『ཀུན་མཁྱེན་པདྨ་དཀར་པོའི་གསུན་འབུམ། kun mkhyen padma dkar po'i gsun 'bum/(ペマ・カルポ全集)』や『ཆོས་འབྱུང་བསྟན་པའི་པདྨ་རྒྱས་པའི་ཉིན་བྱེད། chos 'byung bstan pa'i pad+ma rgyas pa'i nyin byed/(仏教弘通史であるところの蓮華を咲かせる太陽/ペマ・カルポ仏教史)』の著者としても有名な大学僧でしたが、その死後、名跡争いが発生します。

ドゥクチェン5世として認定されていたはずのンガワン・ナムギャル(ངག་དབང་རྣམ་རྒྱལ་ ngag dbang rnam rgyal)はこの名跡争いに敗れ、現在のブータンに落ち延び新しい国を作ります。

ドゥクパ別派が建てた国だから、ブータンの自称は「ドゥク・ユル འབྲུག་ཡུལ་ 'brug yul(龍雷の国)」なのです。

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チベットの龍=ドゥクの話に脱線しまいましたが、蛇神=ルの話は後ほどもう少し詳しく。

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(注1)

三皇にどの神が入るかについては諸説紛々。

伏羲・女媧・神農
天皇・地皇・人皇
燧人・伏羲・神農

など。

「三皇」という数だけが先行し、その内容は希薄だったことがわかります。なお、『史記』の「三皇本紀」は、唐代に司馬貞が付け加えたもの。司馬遷は「三皇」を歴史とは考えていませんでした。

(注2)

オーストロアジア系民族に属するのは、インドのムンダ系民族(サンタル人や)、東南アジアのモン・クメール系民族やベト・ムオン系民族。

「ベトナム語は中国語の方言」と思っている人もいるかもしれませんが、実はオーストロアジア語族に属し、中国語とは全く異なる言語です。

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追記@2015/07/07

参考文献に、聞(1989)、袁(1999)を追加した。