2015年7月4日土曜日

柱建て祭りとKumari(8) 東南アジア・中国・チベットのNagaと龍

Naga信仰の伝統は、インドのみならず、東南アジアから中国南部にまで広がっています。

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東南アジアでも、Nagaはそのままの名で呼ばれています。インドから東南アジアへ流入した仏教・ヒンドゥ教の影響が強いことが特徴です。乳海攪拌、釈尊を庇護するNagarajaの図像は、東南アジアでも人気があります。

東南アジア土着のNaga信仰もあると思われますが、今回は調べきれませんでした。

降水量が多く、水の豊富な東南アジアでも、Nagaはやはり水を司る神として崇められています。図像的には、中国から伝わった龍が少し混入してきているのも特徴です。

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古代中国では、伏羲、女媧という蛇身の神が信仰されていました。どうもこの神々は、元来中国南部(特に苗族)の神らしいのですが、今では中国神話のパンテオンの中に組み込まれています。

五帝(黄帝・顓頊・帝嚳・帝堯・帝舜)の前に置かれる三皇には、神農に加え、伏羲と女媧が入ります(注1)。

『史記』三皇本紀などによると、伏羲は八卦・書契・婚礼を定めた文化英雄です。女媧は楽器を作り、共工が破壊した天を補修したり、人類を創造したことになっています。

しかしその原型は、Nagaと同じく水の神だったと考えられます。伏羲と女媧は、南方の神話では洪水神話と共に登場し、兄妹であり夫婦でもある人類の祖です。

伏羲と女媧は古くから中国の画像石に描かれてきました。その姿は尾を絡み合わせた「蛇の交尾の姿」です。これはインドのNagaも同じであり、両者の源流が同じものであることを示しています。

・Sampradapa Sun > Features > January 2007 Sasanka S. Panda / Nagas in Early West Orissan Temples, Part 2.
http://www.harekrsna.com/sun/features/01-07/features525.htm
・老醫之家 Old Doc Wu's Home > 台灣癌症防止網 > 樊聖 / 一條蛇 両條蛇?(as of 2015/07/03)
http://www.tmn.idv.tw/tcfund/magazine/SNAKE.HTM

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南アジア~東南アジア~南中国にまで広がりを見せるNaga信仰は、アジアの文化・宗教の最古層を形成していると思われますが、その伝播過程や時期についてはあまり研究は進んでいません。

個人的には、オーストロアジア系民族(注2)の歴史が鍵を握っている、と考えてはいるのですが、東南アジアの歴史・民族については弱いので、今のところ思っているだけ。

参考:

・司馬貞 (唐代) 三皇本紀.
→ 邦訳 : 司馬遷, 野口定男ほか・訳 (1958) 『史記 上』(中国古典文学全集4)所収. pp.3-5. 平凡社, 東京.
・村松一弥 (1965) 中国創世神話の性格 女媧にことよせて. 文学, vol.33, no.6 [1965/06], pp.570-579.
・白川静 (1975) 『中国の神話』. 308pp. 中央公論社, 東京.
→ 再発 : (1980) (中公文庫し20-1) 310pp. 中央公論社, 東京.
・聞一多, 中島みどり・訳注 (1989) 伏羲考. 『中国神話』(東洋文庫497)所収. pp.11-139. 平凡社, 東京.
← 中国語原版:(1948) 『聞一多全集 第四冊 神話与詩』所収. 開明書店, 上海.
・袁珂, 鈴木博・訳 (1999) 『中国神話・伝説大事典』. xii+785pp. 大修館書店, 東京.
← 中国語原版:(1985) 『中国神話傳説詞典』. 上海辞書出版社, 上海.
・ABE Thoru / 幻想山狂仙洞 > 幻想之中国 > 三皇五帝関連人物リスト (as of 2015/07/03)
http://homepage3.nifty.com/kyousen/china/3k5t/

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中国では、北方に起源を持つ龍と南方に起源を持つNaga(蛇神)が混交し、「龍神」という神格になっています。そもそも雷・雲との関係が深く、空に住まう龍と、地上・地下の水に住まうNagaは全く別でしたが、いつのころか蛇形の両者がごっちゃになり、龍神が地上の水にも住まうとされるようになりました。

日本に入って来た龍神はこの混交後の姿です。

中国では、神性を龍神に剥ぎ取られたNaga(蛇神)は、水に住まい人に悪さをする魔物として民間に生きながらえます。「白蛇伝」がその代表例と言えるでしょう。

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龍とNagaが混交して龍神になってしまった中国に対し、「龍の本場=中国」と「Nagaの本場=インド」の中間に位置するチベットでは、両者ははっきり区別されています。

チベットではNaga=ཀླུ་ klu(ル)、龍=འབྲུག 'brug(ドゥク)です。ルは地下~水底、ドゥクは空中(雷雲)と住処もはっきり区別されます。

参考:

・Giuseppe Tucci (1949) Appendix Two : On the Genealogies of Tibetan Nobility. IN : TIBETAN PAINTED SCROLLS II. pp.711-738. Libreria dello Stato, Roma.
→ 再発 : (1980) 臨川書店, 京都.

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カギュパ(བཀའ་བརྒྱུད་པ་ bka' brgyud pa)の一派であるドゥクパ(འབྲུག་པ་ 'brug pa)は、開祖ツァンパ・ギャレー・イェシェ・ドルジェ(གཙང་པ་རྒྱ་རས་ཡེ་ཤེས་རྡོ་རྗེ་ gtsang pa rgya ras ye shes rdo rje)[1161-1211]が、ウー(དབུས་ dbus)地方で僧院を建てる場所を探していたところ、九頭の龍が現れ空に消えていったことを吉兆として、宗派名として採用したものです。実際は雷に遭遇し、激しい稲妻を見たのだと思われます。

開祖ツァンパ・ギャレーの転生者がドゥクチェン・リンポチェ(འབྲུག་ཆེན་རིན་པོ་ཆེ་ 'brug chen rin po che)です。ツァンパ・ギャレーを1世とし、現在は12世ジグメー・ペマ・ワンチェン(འཇིག་མེད་པདྨ་དབང་ཆེན་ 'jig med padma dbang chen)[1963-]。

ドゥクチェン4世ペマ・カルポ(པདྨ་དཀར་པོ་ padma dkar po)[1527-92]は『ཀུན་མཁྱེན་པདྨ་དཀར་པོའི་གསུན་འབུམ། kun mkhyen padma dkar po'i gsun 'bum/(ペマ・カルポ全集)』や『ཆོས་འབྱུང་བསྟན་པའི་པདྨ་རྒྱས་པའི་ཉིན་བྱེད། chos 'byung bstan pa'i pad+ma rgyas pa'i nyin byed/(仏教弘通史であるところの蓮華を咲かせる太陽/ペマ・カルポ仏教史)』の著者としても有名な大学僧でしたが、その死後、名跡争いが発生します。

ドゥクチェン5世として認定されていたはずのンガワン・ナムギャル(ངག་དབང་རྣམ་རྒྱལ་ ngag dbang rnam rgyal)はこの名跡争いに敗れ、現在のブータンに落ち延び新しい国を作ります。

ドゥクパ別派が建てた国だから、ブータンの自称は「ドゥク・ユル འབྲུག་ཡུལ་ 'brug yul(龍雷の国)」なのです。

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チベットの龍=ドゥクの話に脱線しまいましたが、蛇神=ルの話は後ほどもう少し詳しく。

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(注1)

三皇にどの神が入るかについては諸説紛々。

伏羲・女媧・神農
天皇・地皇・人皇
燧人・伏羲・神農

など。

「三皇」という数だけが先行し、その内容は希薄だったことがわかります。なお、『史記』の「三皇本紀」は、唐代に司馬貞が付け加えたもの。司馬遷は「三皇」を歴史とは考えていませんでした。

(注2)

オーストロアジア系民族に属するのは、インドのムンダ系民族(サンタル人や)、東南アジアのモン・クメール系民族やベト・ムオン系民族。

「ベトナム語は中国語の方言」と思っている人もいるかもしれませんが、実はオーストロアジア語族に属し、中国語とは全く異なる言語です。

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追記@2015/07/07

参考文献に、聞(1989)、袁(1999)を追加した。

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