2017年8月17日木曜日

横浜ユーラシア文化館「タイ・山の民を訪ねて1969~1974」展(2)

この展覧会では、タイ北部山岳民族の民族衣装、装飾品、農具、日用品、楽器などが、現地の写真とともに展示されています。

中国の雲南~貴州の諸民族の衣装や装飾品の美しさは有名なので、その分派であるタイ北部の諸民族の衣装・装飾品を見るのはなかなか楽しい。

最も漢化しているミエン(ヤオ)の民族衣装はちょっと地味だが、銀装飾品をジャラジャラ身につけたモン(ミャオ)、アカ(ハニ)の写真はやっぱり楽しい。

特にアカの女性は、膝を出した脚に脚絆をまくかわいい姿、そしてブランコに乗る面白い習俗で、人気だ。

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白鳥先生、そしてこの調査隊が最も興味を示したのは、ミエン(ヤオ)。ミエンについては、習俗の調査に加え、文献調査にも力を入れていた。

そこで発見したのが、「評皇券牒」。これは、ミエン(ヤオ)たちがまだ中国にいた時代、13世紀に南宋皇帝から与えられた特権や民族の由来を記す文書。

かつて一度は実際に発行されたのであろうが、現在残っているものはその実物ではなく、のちにミエン(ヤオ)たちが勝手に作ったものらしい。それでもミエン(ヤオ)の出自を示す貴重な資料に違いない。


『タイ・山の民を訪ねて1969~1974』図録, p.51

・白鳥芳郎 (1985.6) 『華南文化史研究』. 668+iv pp.+pls. 六興出版, 東京.

で一部見ていた「評皇券牒」をようやく見ることができた。といっても実物ではなく、巻物を写真に収めたものを巻物状に復元したものだったが。全編復元なので迫力ありますよ。

なお、前掲書には「評皇券牒」の全文があります。

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そう、ミエン(ヤオ)は、もともと中国の広西~貴州に住んでいた民族で、雲南~Laos/Myanmarを経てタイまで南下してきたのは100年前とまだ新しいのだ。だから、今でも漢語が話せたり読めたりする人がいる。

ミエン(ヤオ)だけではなく、モン(ミャオ)もリスもアカ(ハニ)もラフも、みな雲南から南下してきた民族だ。

それだけではない。実はミャンマー(ビルマ)人やタイ人も雲南から南下してきた民族なのだ。その時期は、およそ9~11世紀。東南アジアの「民族大移動」の時代といえる。民族大移動があるのは内陸ユーラシアだけではないのだ。

タイ北部の民族たちが南下してきたのは、それよりもずっと後だが、こういったダイナミックな動きは、小規模ながらいつの時代にもあったと思っていい。

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ミエン(ヤオ)は、中国でもタイでも焼畑農業を営む山岳民族。焼畑農業に適した山地を求めて、常に移動を繰り返したあげく、タイ北部にまで到達したらしい。移動の原動力は、政治的圧力ではなさそうだ。

ミエン(ヤオ)たちは神犬「槃瓠(ばんこ)」を祖と仰ぐ、犬トーテム民族。『後漢書』「南蛮西南夷伝」に、すでにこの神話が語られている。

(三皇五帝の帝嚳?)高辛氏が犬戎に攻められた際、「犬戎の呉将軍を討った者に賞金と王女を与える」とお触れを出したところ、高辛氏の飼い犬・槃瓠が将軍の首を咥えて持ってきた。王女は槃瓠に嫁ぎ、二人は山で暮らした。その間には六男六女が生まれ、その子孫が長沙武陵蛮(ヤオの先祖)である。

一方、「評皇券牒」には、

高辛氏→評皇、犬戎呉将軍→外国高王、槃瓠→盤護

と変えただけの同じ話が載っている。ここでは六男六女は、ミエン(ヤオ)の十二氏族の祖先となっている。

このように、ミエン(ヤオ)が中国古代から長江流域に住む武陵蛮の子孫であることは、ほぼ間違いない。また、その神話が二千年に渡り、そのまま保持されているのにも驚きだ。

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なお、この神話は日本にも入ってきて、滝沢馬琴が『南総里見八犬伝』の冒頭で、「伏姫と八房」エピソードとして翻案しているのも、皆さんご存知ですね。

また、名前は似ていますが、中国の世界創世神話に当たる巨人「盤古」とは、どういう関係にあるのかはわかっていません。どちらも中国南部で採集された神話なので、何らかの関係があると思われますが・・・。

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この展覧会では、ミエン(ヤオ)に関する展示が最も充実しており、これにはヤオ族文化研究所が大々的に協力しています。

・一般社団法人 ヤオ族文化研究所(since 2008)
http://www.yaoken.org/

これはもとも神奈川大学のプロジェクト研究所(2008年設立)であったものが、2015年に社団法人化されたものらしい。神奈川大学・廣田律子教授が所長。

研究者は全員他機関との兼任なので、学会/研究会に近いものと言えるかもしれない。だが、各研究者の研究成果を集約し、資料の保存・公開の器としては充分機能を果たしていると感じる。

しかし、ミエン/ヤオ専門の研究所が成立しているとは驚きである。

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今回の展示の補足ともいえる、展示「ヤオの神々」、映像「中国湖南省藍山県のヤオ族の儀礼」はヤオ族文化研究所の提供。

どちらもタイ北部ではなく、中国南部のヤオの調査記録である。見てみると非常に漢族文化/道教の影響の強いものだった。

しかしまた地味だなあ。このヤオを専門にしている研究者がまた、結構いるのにも驚いた。勉強になりました。

まだツヅク

2017年8月15日火曜日

由井格さんの東チベット写真展@長野県川上村

2017年7月10日月曜日 富山・長野チベット巡礼 (1) 東チベット写真展@長野県佐久市

で紹介した、由井格(ゆいいたる)さんの「東チベット写真展」の続報です。

・毎日新聞 > 地域 > 北信越 : 長野 > 人ふでがき : 武田博仁/中国・東チベット高地を踏査・研究 由井格さん/長野(2017年08月14日 10:47)
https://mainichi.jp/articles/20170814/ddl/k20/070/018000c

記事の内容は前回紹介したものとほぼ同様です。

2017年7月に佐久市臼田で開催した展覧会を、今は川上村文化センターで開催中です。会期は8月17日までと、あと2日しかありませんが、近くまで行く予定がある方は、ぜひこちらにも行ってみてください。写真も由井さんのお話も、おもしろいですよ。

2017年8月14日月曜日

横浜ユーラシア文化館「タイ・山の民を訪ねて1969~1974」展(1)

に行ってきました。

・横浜ユーラシア文化館 > 展覧会・イベント : 企画展 タイ・山の民を訪ねて1969~1974(as of 2017/08/11)
http://www.eurasia.city.yokohama.jp/exhibition/index.html

企画展 タイ・山の民を訪ねて1969~1974
会場 : 横浜ユーラシア文化館
住所 : 神奈川県横浜市中区日本大通12
会期 : 2017年7月15日(土)~9月24日(日)
休館日 : 毎週月曜日(月曜日が祝日の場合火曜日)
開催時間 : 09:30~17:00(8/11、9/23は19:00まで)
観覧料 : 一般300円、小・中学生150円(常設展のみ 一般200円、小・中学生100円)
アクセス : みなとみらい線日本大通り駅3番出口すぐ/JR関内駅南口・市営地下鉄関内1番出口から徒歩約10分
■関連展示 : ミエン/ヤオの神々
■関連展示 : 中国湖南省藍山県のヤオ族の儀礼


同展チラシ1


同展チラシ2


同展チラシ3


同展チラシ4

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同展は、上智大学の調査団が1969~1974年に実施したタイ北部の山岳民族調査の資料を展示するもの。

調査は、

第1次調査 : 1969/11~1970/03
第2次調査 : 1971/10~1972/02
第3次調査 : 1973/12~1974/02

の3回実施されている。

中心となったのは、当時の上智大学教授・白鳥芳郎(1918~98)先生。なお、白鳥芳郎先生は、日本の東洋史学の創始者である白鳥庫吉(1865~1942)の孫に当たる。

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・木田歩 (2006.9) 南山大学人類学博物館所蔵上智大学西北タイ歴史・文化調査団コレクション. 『2005年度 生態史プロジェクト報告書』所収. pp.374-379. 総合地球環境学研究所, 京都.
https://chikyu.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=583&item_no=1&page_id=13&block_id=69

によると、これらの資料は2000年、上智大学から南山大学人類学博物館に寄贈された。上智大学では関係者が退職し、充分な保管体制が取れないことから、白鳥先生が晩年に客員/非常勤研究員をされていた南山大学に寄贈されたものらしい。

ほぼ死蔵状態にあった資料が、このような形で陽の目を見ることは実に嬉しい。

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これは図録

・横浜ユーラシア文化館・編 (2017.7) 『タイ・山の民を訪ねて1969~1974』(シリーズ ユーラシアの造形). 80pp. 横浜ユーラシア文化館, 横浜.


同書, 表1

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その中から、調査地と調査対象の諸民族を示す地図を紹介しておこう。


同書, 表2


同書, 表3

登場する諸民族は、いわゆるタイ北部山岳民族(Hill Tribes)で、

(1) (フ)モン Hmong=中国の苗(ミャオ)族
(2) ミエン Mien=中国の瑶(ヤオ)族
(3) アカ Akha=中国の哈尼(ハニ)族
(4) リス Lisu=中国の傈僳(リス)族
(5) カレン Karen=MyanmarのKaren
(6) ラフ Lahu=中国の拉祜(ラフ)族

特にChaing Raiの北、LaosやMyanmarとの国境地帯、いわゆる「黄金の三角地帯 Golden Triangle」のモン(ミャオ)、ミエン(ヤオ)、アカ(ハニ)の資料が多い。

ツヅク

2017年8月12日土曜日

富山・長野チベット巡礼 (3h) 利賀・瞑想の郷-その9

街道沿い、スターフォレスト利賀(旧・小学校)の広場(元・校庭)を挟んで、小川の土手にNepal風の三重塔が立っている。



これももちろん利賀村-Tukuche村友好と関係ある建物だろう。2004年完成の建物らしい。

しかし、山奥の街道沿いで、いきなりこんなNepal建築に出くわすと、意外すぎてめまいがしてくる。

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特に何かがあるというわけではなく、いわば豪華な四阿(あずまや)である。しかし八方の柱には女神立像の木彫が置かれ、Nepalらしい佇まい。



ちゃんと調べたわけではないが、これらはNepalで崇拝されている「八母神 अष्ट मातृका Ashta Matrka」であろう。ヒンドゥ教の神々である。

八母神について詳しくは、

・立川武蔵 (1990.6) 『女神たちのインド』. 321pp. ありな書房, 東京.

を見てほしい。

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三重塔は吹き抜けになっていて、天井には曼荼羅が。蜘蛛の巣だらけなのがちょっと残念。まあこれだけ高いところにあると、掃除も大変なんだろうけど・・・。



これは瞑想の郷にもある、金剛界曼荼羅である。ただし、天井に描かれる際には、実際の方位に合わせて、東西が逆になっているので注意。

Himachalでもよく見かける、Kankani རྐང་གཉིས་ rkang gnyis ゲート・チョルテンの天井に曼荼羅が描かれているのと同じ。Kathmandu盆地のNewar建築とKali Gandakiのチベット文化の折衷様式といえる。

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三重塔の隣りにはもうひとつ建物があり、ささやかながらマニ車が3つと孔雀窓。



マニ車は、10も20も盛大に並んでいて、歩きながらガラガラ回すのが楽しいのだが、こう数個並んでいるだけだと、かえって寂しい気持ちになる。

しかし、日本でマニ車が回せるだけでもありがたい。久々にマニ車を回せて、少し気持ちが落ち着きました(日頃もう、マニ車を回したくて回したくて)。

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とまあ、数日の旅行をまとめるのに1ヶ月かかってしまったわけですが、それだけ濃い内容の旅行でした。

福光美術館「デルゲ印経院チベット木版仏画展」は8月20日まで開催されていますので、みなさんもぜひ行ってみてください。瞑想の郷も、冬は閉鎖なので行くなら今が一番いい。

あとこれも近くなので、誰か立山博物館にも行って、胎蔵曼荼羅の存在について、調べてきてほしいものだ。

2017年8月11日金曜日

富山・長野チベット巡礼 (3g) 利賀・瞑想の郷-その8

最後は(5)胎蔵曼荼羅


トラチャン+田中(1997), p.14

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真言密教では、胎蔵曼荼羅+金剛界曼荼羅で両界曼荼羅として重要視されますが、実はチベット仏教では、胎蔵曼荼羅の作例は非常にまれ。

『大日経 རྣམ་པར་སྣང་མཛད་ཆེན་པོ་མངོན་པར་རྫོགས་པར་བྱང་ཆུབ་པ་རྣམ་པར་སྤྲུལ་པ་བྱིང་གྱིས་རླབ་པ་ཤིན་ཏུ་རྒྱས་པ་མདོ་སྡེའི་དབང་པའི་རྒྱལ་པོ་ཤེས་བྱ་བའི་ཆོས་ཀྱི་རྣམ་གྲངས། rnam par snang mdzad chen po mngon par rdzogs par byang chub pa rnam par sprul pa bying gyis rlab pa shin tu rgyas pa mdo sde'i dbang pa'i rgyal po shes bya ba'i chos kyi rnam grangs/ महावैरोचनतन्त्र Mahavairocanatantra』は、8世紀にチベットにもたらされ、毘盧遮那如来と八大菩薩を合わせて崇拝する信仰が流行した。吐蕃時代には、この毘盧遮那如来と八大菩薩の図像例がかなりある。

しかし楼閣状に諸尊を配置した、いわゆる曼荼羅の形式では、チベットではほとんど描かれなかった。

私は壁画やタンカでの実物は一度も見たことがない。印刷物でも、知ってるのはせいぜい「ンゴル曼荼羅集」収録のものと、立山博物館所蔵のものくらい。

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そのせいもあり、Shashi Dorjeさんがこの胎蔵曼荼羅を描く際にも不明な点が多く、かなり苦労したという。結局いろいろな経典や資料から「復元した」という形となった。もちろん田中公明先生の研究がもとになっている。

・田中公明 (1982.3) 西蔵の胎蔵曼荼羅について. 日本西蔵学会々報, vol.28, pp.14-16.
https://projects.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=274491&item_no=1&page_id=13&block_id=21
→ 増補改訂 : (1996.8) 第2章 チベットの胎蔵曼荼羅について. 『インド チベット曼荼羅の研究』所収. pp.46-65. 法藏館, 京都.
・田中公明 (2003.3) チベットにおける胎蔵大日如来と胎蔵曼荼羅の伝承と作例について. 頼富本宏・編 『聖なるものの形と場』(国際シンポジウム18, 2001)所収. pp.39-54. 国際日本文化研究センター, 京都.
→ 再録 : 頼富本宏・編 (2004.3) 『聖なるものの形と場』. 法藏館, 京都.
http://publications.nichibun.ac.jp/region/d/NSH/series/kosh/2003-03-31/s001/s009/pdf/article.pdf

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この曼荼羅を復元するにあたって、あちこちから作例も集めたらしいが、一致しない点がかなりあるらしい。チベットではあまり描かれる機会もなかったので仕方ないが。

瞑想の郷で、アムドから取り寄せた胎蔵曼荼羅(新作)も見せてもらった。概略らしく、かなりシンプルな構成だった。いちいち比較していないので、展示されているものとの違いはわからないが、ラブラン・ゴンパ周辺では、今も胎蔵曼荼羅の伝統が残っていることがわかって面白い。

最近では、ここの胎蔵曼荼羅が基準になってしまったらしく、新しい作例はみなこの曼荼羅の影響を受けているという。進化におけるボトルネック効果ですな。

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そういうわけで、胎蔵曼荼羅についてはよく知らないので、ごく簡単に紹介。

本尊は金剛界曼荼羅と同じく毘盧遮那如来 རྣམ་པར་སྣང་མཛད་ rnam par snang mdzad वैरोचन Vairocana。一面ニ臂。色はここでは黄色だ。中台八葉に囲まれます。この辺は真言密教と同じですが、中台八葉には何も描かれません。

胎蔵曼荼羅では、金剛界曼荼羅とは方角が違っている。

上=東、右=南、下=西、左=北

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初重(内側)-本尊・毘盧遮那如来とその脇侍に相当する金剛手菩薩と観世音菩薩、という三尊形式から発達した曼荼羅らしい構成。

(東)遍知院-一切遍知印(ཆོས་འབྱུང་ chos 'byung धर्मोदय Dharmodaya、一切諸仏の印)が描かれる。真言密教では頂点が上向き(上求菩提)だが、チベット密教では下向き(下化衆生)。この辺の違いは面白い。この部分は空白が多く、「余白恐怖症」の図像を見慣れた目には、少し居心地悪く感じる。

(南)金剛手院-金剛手菩薩 ཕྱག་ན་རྡོ་རྗེ་ phyag na rdo rje(持金剛 རྡོ་རྗེ་འཆང་ rdo rje 'chang)とその眷属
(西)持明院-金剛手院からはみ出た執金剛神十二尊。この辺もバランス悪く感じる。
(北)蓮華部院-観世音菩薩 སྤྱན་རས་གཟིགས་ spyan ras gzigsとその眷属

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二重

(東)釈迦院-釈迦如来 ཤ་ཀྱ་ཐུབ་པ་ sha kya thub paとその眷属
(南・西・北)外金剛部院-天部の諸神(もともとバラモン教/ヒンドゥ教の諸神)

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三重(外側)-八大菩薩から四尊。

(東)文殊院-文殊菩薩 འཇམ་དབྱངས་ 'jam dbyangsとその眷属
(南)除蓋障院-除蓋障菩薩 སྒྲིབ་པ་རྣམ་པར་སེལ་བ་ sgrib pa rnam par sel baとその眷属
(西)虚空蔵院-虚空蔵菩薩 ནམ་མཁའི་སྙིང་པོ་ nam mkha'i snying poとその眷属
(北)地蔵院-地蔵菩薩 སའི་སྙིང་པོ་ sa'i snying poとその眷属

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八大菩薩のうち、弥勒菩薩と普賢菩薩だけ現れないが、本来中台八葉に描かれているはず。この辺、チベット版はバランス悪いような気がする。今では比較的馴染みの薄い、除蓋障、虚空蔵、地蔵の諸菩薩が大きく取り上げられているのが面白いところだ。

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チベット密教の曼荼羅は、プトゥンの分類では、

(1)所作タントラの曼荼羅-如来・菩薩などの曼荼羅
(2)行タントラの曼荼羅-胎蔵曼荼羅
(3)瑜伽タントラの曼荼羅-金剛界曼荼羅、悪趣清淨曼荼羅、降三世曼荼羅など
(4)無上瑜伽タントラの曼荼羅-秘密集会曼荼羅、サンヴァラ曼荼羅、ヘーヴァジラ曼荼羅、カーラチャクラ曼荼羅など

に分けられ、この順に発達してきたと考えられている。

非常に整然とした金剛界曼荼羅(とその発展形)に比べると、胎蔵界曼荼羅は対称性をあまり気にしていないので、曼荼羅としての完成度は低いと感じるかもしれない。

しかし、これもまた観想儀式に利用するための実用品なのだ。儀式に都合がいいように諸尊が配置されているはずだ。見た目は大きな問題ではない。

陣内などはややシンプルなデザインで、金剛界曼荼羅にくらべると少し落ち着いた雰囲気を持つ曼荼羅である。

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富山県立山町にある立山博物館には、珍しいチベットの胎蔵曼荼羅が所蔵されているらしいのだが、常設で展示されているのやら、今もあるのやら、調べてもあまり資料が出てこない。素晴らしい曼荼羅らしいので、一度見たいものだ。

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チベット密教の曼荼羅の判別やその諸尊を調べるには、私は主に以下の資料を使っています。

(1) 田中公明 (1987.8) 『曼荼羅イコノロジー』. 315pp. 平河出版社, 東京.

ほとんどはこれで足りる。日本語によるチベット密教曼荼羅の基礎文献です。ホント役に立ちます。

シャトチャクラヴァルティン曼荼羅とか悪趣清浄金剛薩埵輪転王曼荼羅まで載っているので、現場でこれらマイナー曼荼羅を見つけた時も、おかげで判別できた。

(2) bSod nams rgya mstho+Musashi Tachikawa et al. (1989 & 91) THE NGOR MANDALAS OF TIBET (2 vols.)(Bibliotheca codicum Asiaticorum 2+4). xxxv+149pp. & xiv+245pp. Centre for East Asian Cultural Studies(ユネスコ東アジア文化研究センター), Tokyo. 

これは、サキャパ・ンゴルパの総本山ンゴル・ゴンパに伝わる曼荼羅群を集成したもの。英文、白黒。139点の曼荼羅を収録。

その原版となった

・ソナム・ギャムツォ (1983.12) 『西蔵曼荼羅集成』. 139pp. 講談社, 東京.

があまりに巨大(50cm四方)で扱いにくいため、簡略版として出版されたもの。前述のチベット胎蔵曼荼羅も収録。原版はカラーなのだが、縮刷版は白黒なのがちょっと残念。

(3) Raghu Vira+Lokesh Chandra(ed.) (1995) TIBETAN MANDALAS : VAJRAVALI AND TANTRA-SAMUCCAYA(Sata-pitaka Series, vol. 383). 270pp. International Academy of Indian Culture/Aditya Prakashan, New Delhi.

こちらは158点の曼荼羅を収録。

(2)(3)は、所作タントラの曼荼羅も豊富なので、シンプルな曼荼羅を調べる際にも使いでがある。

(1)~(3)を調べても出てこないような曼荼羅はまずない。とはいえ、あちこち調べていくと、そういう謎の曼荼羅にも出くわすんだからたまらん。今後の課題ですな。

(4)立川武蔵+正木晃・編 (1997.3) 『チベット仏教図像研究 ペンコルチューデ仏塔』(国立民族学博物館研究報告別冊, no.18). 379pp. 国立民族学博物館, 吹田(大阪).

ギャンツェのパンコル・チョルテンに描かれている曼荼羅集。

第5層(覆鉢)-瑜伽タントラ(金剛頂経系)
第6層(平頭)-無上瑜伽タントラのうち父タントラ(秘密集会系)
第7層(相輪下層)-無上瑜伽タントラのうち母タントラ(サンヴァラ系、ヘーヴァジラ系)

が描かれている。第5層では、ここでしか見られない珍しい曼荼羅が多く興味深い。

(5) Tenzin Namdak+Yasuhiko Nagano+Musashi Tachikawa (ed.) (2000) MANDALAS OF THE BON RELIGION : TRITAN NORBUTSE COLLECTION, KATHMANDU(Senri Ethnological Reports, no.12/Bon studies, no.1). xxxix+131pp. National Museum of Ethnology(国立民族学博物館), Osaka.

これは、これまでと文脈が変わって、ボン教の曼荼羅集である。チベット密教の曼荼羅に比べると、シンプルかつ抽象的なものが多い。尊像が描かれることがないのも特徴。

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なお、空想の館には、ネパール産の曼荼羅タンカが販売されているが、どれもTamang Mandalaであった。Kathmanduの土産物屋でよく見るやつですな。

Tamang Mandalaは、一応仏様が描いてあるものの、経典とは全く関係ないTamang人絵師によるオリジナル・デザイン。宗教的には何の意味もない単なる工芸品なので、購入の際にはそのつもりで。

奇抜なデザインが多く、ちょっとおもしろくはある。Tamang Mandalaもすでに歴史が長くなっているので、一度誰かまとめてほしいものだ。

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これで瞑想の郷に収蔵されている仏画・曼荼羅をひと通り見たわけだが、とにかく情報量が多いのが特徴。説明するだけでも、これだけ時間と手間がかかる。

通常の美術品の見方とは全く違った見方をする必要があることが、わかっていただけただろうか。

観覧するのに、隅々まで理解する必要はないけれど、知っていて観覧したほうが面白いのは間違いない。

一度見てから、チベット仏教図像学を勉強し、そして時間を置いてから再度観覧するのもいいだろう。前には見えなかったものが、そこで見えてくるはず。楽しいですよ。

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もう1回、街道沿いにあった建物を紹介。

2017年8月9日水曜日

富山・長野チベット巡礼 (3f) 利賀・瞑想の郷-その7

瞑想の館の隣りに立つ、三重塔が「瞑想美の館」。


瞑想美の館

1階には、福光美術館「デルゲ印経院木版仏画展」で展示されている142点のうち、重複分3点が展示されていた。

こんな感じで、少しずつ展示してでいいから、その展示品ごとの解説をコツコツと作ってほしい。10年くらいで全部の解説ができるんじゃないだろうか?

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2~3階吹き抜けには、

(5)南東壁 : 胎蔵曼荼羅 རྣམ་སྣང་མངོན་བྱང་གི་དཀྱིལ་འཁོར། rnam snang mngon byang gi dkyil 'khor/ गर्भमण्डल Garbha Mandala
(6)北西壁 : 金剛界曼荼羅 རྡོ་རྗེ་དབྱིངས་ཀྱི་དཀྱིལ་འཁོར། rdo rje dbyings kyi dkyil 'khor/ वज्रधातुमण्डल Vajradhatu Mandala

の2つの曼荼羅が向かい合って展示されている。


瞑想美の館の曼荼羅(瞑想の郷パンフレットを一部改変)

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この2枚は、1989~91年に描かれた「瞑想の館」の四枚の仏画・曼荼羅に続き、1994~97年にかけて、やはりShashi Dorjeさんによって描かれたものです。

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まず、わかりやすい(6)金剛界曼荼羅から。


トラチャン+田中(1997), p.12

この曼荼羅は、徹底的に対称性が保持されており、数学的というか幾何学的に非常に整然としている。理系の人には相性がいいかもしれない。

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中央の本尊は、もちろん毘盧遮那如来 རྣམ་པར་སྣང་མཛད་ rnam par snang mdzad वैरोचन Vairocana(白)。四面二臂のお姿です。

その周囲には、その眷属である四波羅蜜菩薩(女尊)が配されていますが、三昧耶形で描かれているので気づかないかもしれない。

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そしてその東南西北にはそれぞれ、

(東)阿閦如来 མི་བསྐྱོད་པ་ mi bskyod pa अक्षोभ्य Akshobhyaとその眷属
(南)宝生如来 རིན་ཆེན་འབྱུང་གནས་ rin chen 'byung gnas रत्नसम्भव Ratnasambhavaとその眷属
(西)阿弥陀如来 འོད་དཔག་མེད་ 'od dpag med अमिताभ Amitabhaとその眷属
(北)不空成就如来 དོན་ཡོད་གྲུབ་པ་ don yod grub pa अमोघसिद्धि Amoghasiddhiとその眷属

が並びます。

なお、金剛界曼荼羅では、

下=東、左=南、上=西、右=北

になっています。これは他の曼荼羅でもだいたい同じと考えて大丈夫です。

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内院、外院の四隅には、それぞれ四尊ずつ供養菩薩がいらしゃいます(八大供養菩薩)。また、東南西北の門衛として、忿怒形の四摂菩薩がいらっしゃいます。

全部で37尊。これは、三昧耶形の四波羅蜜菩薩を含む数え方になります。

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これをまとめると、以下の図のようになります。



これは、例によってヒマーチャル・ガイドブックのために作ったものでしたが、日の目を見ていないもの。Tabo Tsuglagkhang རྟ་བོ་གཙུག་ལག་ཁང་ rta bo gtsug lag khangの解説用図面の一部です。

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とても整然としているでしょう。Tabo Tsuglkagkhangに祀られている諸尊は、この金剛界曼荼羅の諸尊なのです。いわゆる立体曼荼羅です(楼閣形式ではありませんが)。


Tabo Tsugkagkhang

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また、外院を埋め尽くしているのは、賢劫千仏 བསྐལ་པ་བཟང་པོའི་སངས་རྒྱས་སྟོང་ bskal pa bzang po'i sangs rgyas stong。

現在が属する劫(བསྐལ་པ་ bskal pa कल्प Kalpa、1劫=数十億年)を「賢劫」と言います。大乗仏教では、過去の劫にも、現在の劫(賢劫)にも、未来の劫にも、たくさんの仏陀が現れた/現れる、と考えられています。その数は、各劫それぞれ千仏。

釈尊は賢劫では四番目の仏陀とされます。その賢劫に現れる千仏が外院に描かれているわけです。おそらく正確に千仏いらっしゃると思います。

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金剛界曼荼羅は、瑜伽タントラ経典である『金剛頂経 གསང་བ་རྣལ་འབྱོར་ཆེན་པོའི་རྒྱུད་རྡོ་རྗེ་རྩེ་མོ། gsang ba rnal 'byor chen po'i rgyud rdo rje rtse mo/ Vajrashekhara Mahaguhya Yogatantra』の思想・儀軌を図式化したもの。観想により諸尊を自己中に現出・同一化させ、さらに現出させた諸尊を供養する。その順番は厳密に定められており、それは曼荼羅に描かれたとおりに進められる。

というわけで、曼荼羅というものは観想という儀式実践のための実用品であって、飾っておいたり眺めているだけでは、役に立たない。

儀式を実践しないと意味がないわけだが、かといって本などを読んだだけでタントラの儀式を勝手に実践するなど、危険極まりない。顕教の修行を充分積んだと認定され、密教入門許可の儀式=灌頂を経た行者のみが、ラマの指導のもとで慎重に行われるものなのだ。

我々凡夫はそのような境地に至ることはできないので、せめて曼荼羅の意味を知っておくだけでいいでしょう。

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日本に伝来している金剛界曼荼羅は九つの曼荼羅が描かれたいわゆる「九会曼荼羅」だが、チベット仏教の金剛界曼荼羅はそのうちの「成身会曼荼羅」に相当する。

このへんの比較は、田中公明先生の著作を読んだほうがいいでしょう。

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金剛界曼荼羅の描き方にはいろんな流派があって、瞑想美の館に収蔵されている金剛界曼荼羅は、「आनन्दगर्भ Anandagarbha流」とのことです。

四隅に描かれたインド人僧のうち、向かって左上がAnandagarbha(9C?)です。右上がShakyamitra、右下がAbhayakaragupta、左下がBuddhaguhya。いずれも金剛界曼荼羅の流儀の創始者です。

このへんは解説を聞かないと、比定はむずかしいですね。

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この金剛界曼荼羅は、余白にもみっちりと文様が描かれ、非常に豪華なものになっています。現代曼荼羅壁画の最高峰と言っていいでしょう。

2017年8月5日土曜日

富山・長野チベット巡礼 (3e) 利賀・瞑想の郷-その6

「瞑想の館」の続き。

(3)極楽浄土図(阿弥陀如来)


トラチャン+田中(1997), p.8

こちらも日本でお馴染みの極楽浄土図=西方浄土図。もちろん本尊は阿弥陀如来 འོད་དཔག་མེད་ 'od dpag med。脇侍は向かって左が観世音菩薩 སྤྱན་རས་གཟིགས་ spyan ras gzigs、向かって右が金剛手菩薩 ཕྱག་ན་རྡོ་རྗེ་ phyag na rdo rje(大勢至菩薩 མཐུ་ཆེན་ཐོབ་ mthu chen thobと同体とみなされる)。

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その背後には十六羅漢 གནས་བརྟན་བཅུ་དྲུག gnas brtan bcu drug がずらりと並ぶ。壮観だ。

その両側に三尊ずついらっしゃる、宝幢などをかかげた六尊立像はよくわかりません。

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阿弥陀三尊の下両側に、三尊ずつ三角形を作っていらっしゃるのは、八大菩薩 ཉེ་སྲས་བརྒྱད་ nye sras brgyadのうち、観音、金剛手を除く六尊と思うが、それぞれの尊格比定はあんまり自信ない。

向かって左の三角形は、上段が文殊菩薩 འཇམ་དབྱངས་ 'jam dbyangs、下段向かって左側が弥勒菩薩 བྱམས་པ་ byams pa。下段向かって右側が地蔵菩薩 སའི་སྙིང་པོ་ sa'i snying po。

向かって右の三角形は、上段が普賢菩薩 ཀུན་ཏུ་བཟང་པོ་ kun tu bzang po、下段左側が除蓋障菩薩 སྒྲིབ་པ་རྣམ་པར་སེལ་བ་ sgrib pa rnam par sel ba 下段右側が虚空蔵菩薩 ནམ་མཁའི་སྙིང་པོ་ nam mkha'i snying po。

八大菩薩は、単独で描かれる時と八尊一緒に描かれる時で、色が変わったりするので、意外に比定がむずかしいのだ。

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最下段では、阿弥陀三尊と三部主尊が、有情を極楽へと導く光明を地上へと放っています。「これぞ大乗仏教」という絵ですね。

背景の宮殿はいやに和風に感じますが、それもそのはず。絵師Shashi Dorjeさんが、来日後京都・奈良のお寺を参拝し、それらを参考にしているのだそうです。より親しみがわきますね。

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一番上端、左手には珍しい黒帽ラマ。これは明らかにギャワ・カルマパ རྒྱལ་བ་ཀརྨ་པ་ rgyal ba karma pa(カルマ・カギュパの管長)なのですが、よくよく見ると、これは先代カルマパ16世ランジュン・リクペー・ドルジェ རྒྱལ་བ་ཀརྨ་པ་སྐུ་འཕྲེང་བཅུ་དྲུག་པ་རང་འབྱུང་རིག་པའི་རྡོ་རྗེ་ rgyal ba karma pa sku 'phreng bcu drug pa rang 'byung rig pa'i rdo rje師(1981年遷化)のような気がします。

というのも、この仏画が描かれた1989~91年には、17世はまだ見つかっていないから(1992年認定)。

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瞑想の館に収蔵されている四枚の曼荼羅/仏画を見てきたわけですが、レベルの高さに驚くばかりです。

観覧では館長が案内してくれますが、案内が終わっても居残ってもいいようなので、しばらく眺めていてもいいでしょう。瞑想の真似事をしてみるのも、またよし。

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鑑賞では、ここで説明したような尊格比定が必ずしも必要ではありませんが、分かっていた方がずっと面白いのは間違いありません。

これは宗教美術であって、絵の隅々まで意味の塊なのです。普通の美術鑑賞とはだいぶ見方が違ってきます。

それぞれの尊格が何かわかったところで、ようやく「この絵の意味は何か?」「仏教のどういう思想を表しているのか?」と考えるステージに立つことができるのです。

売店には、田中公明先生の仏教図像学の本も置いてありますから、それを見ながらもう一度ひと通り鑑賞してみるのもいいでしょう。

とにかくここの絵は密度が濃いので、仏教図像学の勉強には最適の場所です。

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次回は「瞑想美の館」に移ります。

まだツヅク

2017年8月3日木曜日

富山・長野チベット巡礼 (3d) 利賀・瞑想の郷-その5

「瞑想の館」の続き。

(2)(4)は密教の諸尊でしたが、(1)十一面千手観音像、(3)極楽浄土図(阿弥陀如来)は、顕教の諸尊なので、日本人にも馴染みが深く、ちょっとホッとするかもしれません。


トラチャン+田中(1997), p.10

(1)十一面千手観音像は、中央に大きく観世音菩薩 སྤྱན་རས་གཟིགས་ spyan ras gzigsを描き、向かって左手に文殊菩薩 འཇམ་དབྱངས་ 'jam dbyangs、向かって右手に金剛手菩薩 ཕྱག་ན་རྡོ་རྗེ་ phyag na rdo rje(大勢至菩薩 མཐུ་ཆེན་ཐོབ་ mthu chen thobと同体とみなされる)が描かれる。

この三尊の組み合わせは、三部主尊 རིགས་གསུམ་མགོན་པོ་ rigs gsum mgon poと呼ばれ、チベット仏教では最もポピュラーな図像です。

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本尊では十一面千手というお姿でしたが、その足元には四臂観音  སྤྱན་རས་གཟིགས་ཕྱག་བཞི་པ་ spyan ras gzigs phyag bzhi paのお姿も見えます。より親しみやすいお姿です。

その両側は観音菩薩の息子・娘らしいのですが、観音菩薩の描き方にもいろいろ流派があって、その中の「ソンツェン・ガンポ王流」に特有の尊格らしいです。このへんはよく知らない。

十一面千手観音の頭上には、観音菩薩の本地である阿弥陀如来が描かれます。観音菩薩は阿弥陀如来の属性のうち、慈悲の化身であるため、両者が一緒に描かれるケースが多いわけです。

「観音菩薩は阿弥陀如来の弟子」と解されることもあります。チベット仏教ゲルクパでは、ダライ・ラマは観音菩薩の化身、パンチェン・リンポチェは阿弥陀如来の化身とされます。

先代が遷化され、新しい化身が選ばれた時、両リンポチェの間に年齢差が生じている場合が多いです。その場合は、特にこの二大名跡のうちの年上の方が、年下を指導し協力しあうという特別な関係があります。

現在の政治状況がそれを許さないのは、実に残念。

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四隅の内、向かって左上はソンツェン・ガンポ王ではないかと思いますが、よくわかりません。

向かって右上は緑多羅菩薩 སྒྲོལ་མ་ལྗང་གུ sgrol ma ljang gu。

向かって右下はよくわかりません。こういった護法尊 ཆོས་སྐྱོང་ chos skyongも数が多くて、なかなか全部は把握できない。

向かって左下は毘沙門天(多聞天) རྣམ་ཐོས་སྲས་ rnam thos sras。四天王 རྒྱལ་ཆེན་བཞི་ rgyal chen bzhiの中から、この毘沙門天が単独で描かれるケースが多いです。その場合はでっぷりとした腹が特徴で、財宝神としての属性が強調された姿になります。

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各尊格を見て気づくのは、チベット仏教画のタッチではあるのだが、現代ヒンドゥ教大衆画の影響がかなり見られること。道端で売られていたり、どの民家でも貼られているアレですね。

そのスタイルは、19世紀のKerala出身の画家Raja Ravi Varma राजा रवि वर्मा (1848~1906)が発明したもので、西洋絵画の手法でヒンドゥ神画を描いていき、絶大な人気を得たものです。実はこれは、インド古来の絵画や、ミニアチュールの伝統とは全く断絶した絵なのです。

現代インドでは、どの宗教画家もVarma画法の模倣で描いているわけですが、様式化が著しく、まるで全部同じ画家が描いているかのように見えてしまいます。

その影響がチベット仏教画にまで及んでいるというのがおもしろいし、またそこがNepalらしいといえるかもしれません。

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Varmaについて、より詳しくは、

・長谷川明 (1987.11) 『インド神話入門』(とんぼの本). 119pp. 新潮社, 東京.
・ウィキペディア >ラヴィ・ヴァルマ(最終更新 2016年10月30日 (日) 21:48)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%9E

を見てほしい。

まだツヅク

2017年8月1日火曜日

富山・長野チベット巡礼 (3c) 利賀・瞑想の郷-その4

「瞑想の館」の続き。

(2)寂静四十二尊曼荼羅の対面には、それと対になる(3)忿怒五十八尊曼荼羅が展示されている。


トラチャン+田中(1997), p.6

本尊は、普賢チェチョク・ヘールカ父母仏 ཀུན་བཟང་ཆེ་མཆོག་ཧེ་རུ་ཀ་ཡབ་ཡུམ་ kun bzang che mchog he ru ka yab yum。寂静曼荼羅の本尊・普賢菩薩の忿怒形になります。よって、その真上に普賢父母仏が描かれているわけです

その周囲にヘールカ父母仏が五尊(ヤプユムなので十尊ですが)描かれています。これは寂静曼荼羅の金剛界五如来に対応しているわけです。

ここでも、金剛界曼荼羅などに顕著に見られる対称性を、あまり気にしない構成で、ニンマパ特有のもの。

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この曼荼羅のおもしろいところは、恐ろしい姿をした女神様たちが多数描かれているところだろう。

まず内院外郭にケウリマ ཀེའུ་རི་མ་ ke'u ri ma(Gauri गौरी)八尊、タメンマ ཕྲ་མེན་མ་ phra men ma(Dakini डाकिनी)八尊。いずれも瑜伽女(Dakini)の仲間たちで、特にタメンマはいずれも獣面であるのが目を引く。

更に外院にはずらりと獣面のワンチュクマ དབང་ཕྱུག་མ་ dbang phyug ma二十八尊。

楼閣形式の曼荼羅だと小さく描かれてしまうが、これが楼閣形式ではない形式だと、これらの瑜伽女方は大きく描かれるため、とても目を引く。色もカラフルだし。

その一部は前回も挙げた

2012年3月3日土曜日 ヒマーチャル小出し劇場(3) タシ・ポン(絵師タシ・ツェリン)
2015年10月23日金曜日 ヒマーチャル小出し劇場(28) 外国人なんか誰も来ないところへ行くと・・・

で見てほしい。

シト百尊曼荼羅の諸尊は、『チベット死者の書 བར་དོ་ཐོས་གྲོལ། bar do thos grol/』に現れる諸尊でもある。浦辻館長の案内では、曼荼羅も主にその線に沿って説明してくれます。

『チベット死者の書』についてはこちらもどうぞ↓。

2014年8月17日日曜日 『チベット死者の書』のチベット語スペル

なお、曼荼羅の外側の忿怒四尊は、頑張って調べないとわかりません。忿怒尊、特にニンマパの諸尊はむずかしいです。

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曼荼羅の背景はフラッシュのような縁取りが見られ、このへんは絵師のオリジナリティが発揮される部分です。20世紀の絵師らしいモダンな画面構成。

チベット仏教美術というのは、尊容や構成は経典によってガチガチに固定されて入るのですが、こういった余白部分は絵師の裁量に委ねられています。絵師の個性が出るところです。

ひと通り主題を鑑賞した後、こういった部分にも目を向けて、絵師の個性に思いを馳せるのもまた、チベット仏教美術館賞の醍醐味なのです。

ツヅク