2016年1月28日木曜日

ンガッパ・イェシェ・ドルジェ・リンポチェ補足

イェシェ・ドルジェ師のことを知ったのは1998年。McLeod Ganjの本屋で師の伝記THE RAINMAKERを見つけ、Rewalsar湖(रिवालसर ताल མཚོ་པདྨ་ mtsho padma)のゲストハウスでむさぼり読んだ。






















ごく薄い本である上に、破格の面白さなので、一日で読み終えてしまいました。

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Amazonあたりでもレビューはないんですが、こちらに一つレビューがありました。

・goodreads > The Rainmaker: The Story of Venerable Ngagpa Yeshe Dorje Rinpoche / Keith rated it ★★☆☆☆ Oct 03, 2015
http://www.goodreads.com/book/show/2308546.The_Rainmaker

ここでは、「これはリンポチェが語った話をそのまま書いているだけで、裏が取られていない」などと批判されていますが、これだけ読みこんでいるのですから、十分楽しんでいるようですね。

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それにしてもユニークなルックス。私は密かに「チベットのSalvador Dali」とお呼びしてます。

・Kunzang Palyul Choling/palyulmedia > Other Precious Lamas > Galleries > Ngagpa Yeshe Dorje(as of 2016/01/28)
http://palyulmedia.smugmug.com/OtherPreciousLamas/Ngagpa-Yeshe-Dorje/i-cxXqjX7

・Ngakpa – Ngakmo > People : Khamtrül Ngak’chang Yeshé Dorje Rinpoche (1926 - 1993) > Photographs(as of 2016/01/28)
http://www.ngakpa.info/articles/photo_yeshe_dorje.htm

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イェシェ・ドルジェ・リンポチェとは妙な因縁があります。

2001年にHimachal Pradesh州の南東端Paonta Sahib(पौवटा साहिब)に行った時のこと。Paonta(と略する)といえば、Sikh(सिख)教第十代GuruであるGuru Gobind Singh(गुरू गोविंद सिंह)(1666-1708)の聖地。大きなGurudwara(गुरुद्वारा)があることで有名。

しかしチベット好きにとっては、Paonta周辺にチベット人居留地(settlement)が5つもあることで知られています。といっても、実際知っている人はほとんどいませんけどね。

Paontaを拠点に、連日あちこちのsettlementを回っていました。最後に隣り町のHerbertpur(हरबर्टपुर)に寄ってからDehra Dun(देहरादून)に行こうとバス停へ。

バスの屋根に荷物を乗っけてたところ、チベット人女性二人が「私らの荷物も乗っけて」と。「ほいほい」と乗っけてあげて下へ。「トゥジェチェ、トゥジェチェ」とお礼を言われてバスの中へ。

「どっから来たの?」
「ジャパン」
「ジャパニ?アレ!」と話は弾んで、

「Dharamshalaに行った?」
「行きましたよ。」
「ンガッパ・ゴンパは?」

え?と思って。

チベット人との話でもあのゴンパの話が出たことなどないので、珍しい。

「ジルノン・カギェリン?」
「そうそう。」
「行きましたよ。あそこ面白い。イェシェ・ドルジェ・リンポチェ大好き。」
「そお。実はね、私の息子がンガッパ・リンポチェに選ばれたのよ。」
「えーー?」
「うちは南インド(どこだか忘れた)なんだけど、選ばれちゃって、今年からゴンパで修行するの。」

だって。いやいや、こんなところでトゥルク(སྤྲུལ་སྐུ sprul sku)のお母さんにお会いするとは。

隣り町なので、ほんの20分ほどでHerbertpur着。そこで降りて、チベット食堂でチャイをごちそうになってお別れしました。南インドへ帰る前に、あちこちで友だちに会いに回っているようでしたね。

その時、インド中のTibetan Settlementsの電話帳を持っていたのですが、
「あら、これちょっと見せて、メモするから。わたし無くしちゃったのよ、これ。」
「いやいや、2つ持ってるからあげますよ。」
「あら、いいの?トゥジェチェ、トゥジェチェ。」

というわけで良い功徳をしました。

あれ以来Dharamshalaには行っていませんが、ンガッパ・リンポチェ2世にもぜひお会いしたいものです(まだ修行中かな?)。

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イェシェ・ドルジェ師に関する本はたぶんTHE RAINMAKER一冊だけだと思います。

ネット上でもイェシェ・ドルジェ師の記事は、あんまりないか・・・。前はもっとあったような気もするが・・・・。

・Nyingma.com > People > Lamas > Gélong Thubten Dadak+Johannes Frischknect(tr.)/Khamtrül Ngak'chang Yeshé Dorje Rinpoche (1926 - 1993)(Mar 2, 2007, 15:38)
http://www.nyingma.com/artman/publish/yeshe_dorje.shtml

お弟子さんの証言で貴重な内容。

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・Acupuncture Associates Dr. L.B. Grotte, M.D. > Tibetan Medicine > L.B. Grotte/More About Ngak-pa Yeshé Dorjé : Venerable Yeshé Dorjé Rinpoché (1990)
http://www.drgrotte.com/NgagpaYesheDorjeRinpoche.shtml#top

1980年代に師事したという米国人医師による記事。

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・Discogs > Yeshe Dorje Rinpoche ‎– Tibetan Buddhism Shedur: A Ghost Exorcism Ritual
http://www.discogs.com/Yeshe-Dorje-Rinpoche-Tibetan-Buddhism-Shedur-A-Ghost-Exorcism-Ritual/release/2191963

Yeshe Dorje Rinpoche / TIBETAN BUDDHISM SHEDUR : A GHOST EXORCISM RITUAL [Nonesuch] 1978

これはどうもイェシェ・ドルジェ・リンポチェのシェードゥル(悪霊祓い)の儀式を録音したもののよう。こんなものが売られていたとは・・・すごいですね。

CD化もされているようです。うーん、びっくり。

・Amazon.co.jp > ≪チベット≫チベットの仏教音楽4 -悪魔払いの秘呪(2013/11/20)
goo.gl/nOie05

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(追記)@2016/01/31

・Zilnon Kagyeling Nyingmapa Monastery(as of Oct., 11th., 2013)
http://www.zkl-monastery.com/

残念ながらほとんど中身がない。

・MagCloud > Roy James Shakespear/Zilnon Kagyeling Nyingmapa Monastery(12/7/2012)46pp.
http://www.magcloud.com/browse/issue/481419

Zilnon Kagyeling Gompaの写真集。電子書籍だとタダ、本になるとUSD310。

2016年1月25日月曜日

ヒマーチャル小出し劇場(30) ンガッパ・イェシェ・ドルジェ・リンポチェとジルノン・カギェリン・ゴンパ


久々に古い書きものを引っ張り出したら、なんかおもしろくなっちゃって、続けてやはり十数年前に書いたガイドブック用の原稿から、ラマの伝記を。またニンマパだ。

それにしても、自分が書いたものながらおもしろい。素材がいいからであるのは言うまでもありませんが。

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Zilnon Kagyeling Gompa(ཟིལ་གནོན་བཀའ་བརྒྱད་གླིང་དགོན་པ་ zil gnon bka' brgyad gling dgon pa)

















Dharamshala(धर्मशाला)の上手、チベット人の町McLeod Ganj(मक्लोड् गंज)。バス停から東へBhagsu Rd.を1kmほど進むとTIPA(Tibetan Institute of Performing Arts/チベット舞台芸術研究所)の真下に新しい立派なゴンパが現れる。

これがジルノン・カギェリン・ゴンパ。ニンマパ。創建は1987年と新しい。再建僧院ではなく新設の僧院である。

創建者のイェシェ・ドルジェ・リンポチェは「シェードゥルパ(གཤེད་འདུར་པ་ gshed 'dur pa/悪霊祓い師)」、「チャルチューパ(ཆར་གཅོད་པ་ char gcod pa/雨乞い師)」として有名だった出家行者。このゴンパでは、ニンマパ秘技中の秘技ともいえる、これらの呪術の継承と行者の育成に力を入れている。数あるゴンパの中でも最もユニークなものの一つ。

イェシェ・ドルジェ・リンポチェ遷化後は名目上ケンポ・ギュルメー・ティンレー・リンポチェ(མཁན་པོ་འགྱུར་མེད་འཕྲིན་ལས་རིན་པོ་ཆེ་ mkhan po 'gyur med 'phrin las rin po che)が座主となったが通常はアメリカ在住で、実際はイェシェ・ドルジェの高弟が指導している。現在は十名ほどの僧が修行に励んでいる。特に3年3カ月3日の隠遁修行はこのゴンパの名物。

お堂は2階建て。上下に小さなお堂がある。拝観料はお布施で。ここはゲストハウスもあり旅行者も泊まることができる。

この僧院がどういう存在なのか知っている人はあまりいないので、わざわざ訪れる人は少ないでしょう。

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Ngagpa Yeshe Dorje Rinpoche(སྔགས་པ་ཡེ་ཤེས་རྡོ་རྗེ་རིན་པོ་ཆེ་ sngags pa ye shes rdo rje rin po che)(1926-1993)























カムトゥル・ンガクチャン(ཁམས་སྤྲུལ་སྔགས་འཆང་ khams sprul sngags 'chang)とも呼ばれる。

1926年、カム(ཁམས་ khams)のマルカム(སྨར་ཁམས་ smar khams 芒康)に生まれる。彼が生まれたドムパツァン家(སྡོམ་པ་ཚང་ sdom pa tshang)は代々続くニンマパ行者の家系で、父ウギェン・ドルジェ(ཨོ་རྒྱན་རྡོ་རྗེ་ o rgyan rdo rje)も行者であった。先祖では17世紀のヨーギ・タシ(ཡོ་གི་བཀྲ་ཤིས་ yo gi bkra shis)という行者の逸話が残っている。

イェシェ・ドルジェは、四人兄弟の三男(一人は女)。5歳の時、山中で突如姿を消し、とても幼児が到達できない崖上の洞窟で発見されるという奇跡を見せた。父が高僧に相談したところ、17世紀のニンマパ・テルトン(གཏེར་སཏོན་ gter ston/埋蔵経典発掘者)であるミギュル・ドルジェ (མི་འགྱུར་རྡོ་རྗེ་ mi 'gyur rdo rje)の転生者と認定された。イェシェ・ドルジェは出家し、ミギュル・ドルジェが開いたド・ンガク・チューリン・ゴンパ(མདོ་སྔགས་ཆོས་གླིང་དགོན་པ་ mdo sngags chos gling dgon pa/在マルカム)で初等教育を受ける。

1938年頃、行者となることを決意しゴンパを出奔。ラサへ向かう。ラサではコギョン・リンポチェの下で5年間修行。その後コンポ・ボンリ(ཀོང་པོ་བོན་རི་ kong po bon ri)近くのラマリン(བླ་མ་གླིང་ bla ma gling/別名:サンド・ペルリ・ゴンパ ཟངས་མདོག་དཔལ་རི་དགོན་པ་ zangs mdog dpal ri dgon pa)で、ドゥジョム・リンポチェ(བདུད་འཇོམ་རིན་པོ་ཆེ་ bdud 'joms rin po che)について修行を続ける。特に、3年3カ月3日の隠遁修行を、コンポ~ロダク(ལྷོ་བྲག lho brag)の各地で何度も行っている。ある石窟での瞑想修行では、2年に渡り雪男一家が食べものと薪を毎日運んでくれる、という奇怪な出来事も体験している。またプーマ・ユムツォ(པུ་མ་གཡུ་མཚོ་ pu ma g-yu mtsho)の孤島で隠遁修行を行った際には、氷の橋を歩いて渡り湖岸まで到達するという奇跡も見せているという。

この修行により、イェシェ・ドルジェはヨーガ行や様々な呪術を修得。人々の求めに応じて行った、天気を自由自在に操る「チャルチュー」や死霊を祓う「シェードゥル」の術はいずれも成功を収め、その名声は高まっていく。

時あたかも1950年代。日に日に中国政府の締め付けが厳しくなっていく時期であった。イェシェ・ドルジェは1957年インドへ巡礼。その後カン・リンポチェ(གངས་རིན་པོ་ཆེ་ gangs rin po che)の巡礼、シッキムとチベットを行き来し、1959年以降はDarjeeling(རྡོ་རྗེ་གླིང་ rdo rje gling)に定住した。その間に結婚し、二男児をもうける。Darjeeling滞在中もチャルチューパとしての実力は高く評価された。しかし地元のチャルチューパとの間に軋轢が生じ始め、1969年DharamshalaのTCV(Tibetan Children's Village)に居を移し小さな僧院を開いた。

Dharamshalaでも求めに応じチャルチューの術を施すうちに、その評判がダライ・ラマ法王の耳に入る。両リンポチェは親交を深め、ダライ・ラマ法王の重要な法要の際には、チャルチューの術を要請されるようになった。

Dharamshala時代には、先の二男児に加え一男児と一女児を得た。一人の男児はニンマパ高僧の転生者と認定され、テンジン・サンポ(བསྟན་འཛིན་བཟང་པོ་ bstan 'dzin bzang po)として現在カトマンドゥで活躍中。

1987年10月には亡命政府の資金援助を得て、現在の場所にZilnon Kagyeling Gompaを創建する。開山式にはダライ・ラマ法王も招かれ、グル・リンポチェ(གུ་རུ་རིན་པོ་ཆེ་ gu ru rin po che/पद्मसम्भव  Padmasambhava)の儀式を行った。

しかしその後イェシェ・ドルジェの健康は思わしくなく、1993年に遷化した。

2001年には南インドのチベット難民の少年がイェシェ・ドルジェの転生者(ンガッパ・リンポチェ སྔགས་པ་རིན་པོ་ཆེ་ sngags pa rin po che)として認定され、2002年からZilnon Kagyeling Gompaで修行中という。

参考:

・Masha Woolf & Karen Blanc (1994) THE RAINMAKER : THE STORY OF VENERABLE NGAGPA YESHE DORJE RINPOCHE. xxii+106pp. Sigo Press, Boston.

2016年1月24日日曜日

クヌ・リンポチェ補足

前エントリーを書いたのは、10年以上前のこと。当時はネット上にクヌ・リンポチェの記事というのはほとんどなかった。

最近ではいろいろ出てきているのは知っていましたが、それらを参照しつつ改訂していると、いつまでたっても終わらないので、とりあえずほぼ当時のままアップロードしてあります。

ネット上に見えるクヌ・リンポチェ資料のいくつかを。

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・Wikipedia(English) > Khunu Lama Tenzin Gyaltsen (This page was last modified on 6 January 2016, at 00:21.)
https://en.wikipedia.org/wiki/Khunu_Lama_Tenzin_Gyaltsen

まずは基本から。おそらく大筋はThierry Dodinの論文によったものと思われます。

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・Rigpa Wiki > Khunu Lama Tenzin Gyaltsen (This page was last modified on 21 April 2013, at 13:30)
http://www.rigpawiki.org/index.php?title=Khunu_Lama_Tenzin_Gyaltsen

お寺に飾ってあった写真を、さらに私が写した不鮮明な写真など比較にならない美しいポートレートがあります。

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・Tibetan Buddhism in the West : PROBLEMS OF ADOPTION & CROSS-CULTURAL CONFUSION > More > Thierry Dodin/Negi Lama Tenzin Gyaltsen – A preliminary account of the life of a modern Buddhist saint.(as of 2016/01/24)
http://info-buddhism.com/Khunu-Rinpoche-Negi-Lama-Tenzin-Gyaltsen-Dodin.html

前エントリーで参考にした論文の、著者自身によるアップデート版です。

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・Khunu Rinpoche, Gareth Sparham(tr.) (1999) VAST AS THE HEAVENS, DEEP AS THE SEA : VERSES IN PRAISE OF BODHICITTA. vii+151pp. Wisdom Publications, Boston.
http://www.wisdompubs.org/book/vast-heavens-deep-sea

クヌ・リンポチェの著書です。ダライ・ラマ法王も説法でたびたび引用なさっているそうです。上記ページには、説法中にクヌ・リンポチェの著書を引用されるお姿があります。

またこちらでも↓

・ダライ・ラマ14世法王猊下 > ニュース > 第33回カーラチャクラ灌頂の終わりに:参加者への長寿の灌頂授与とダライ・ラマ法王の長寿を祈願する儀式(2014年7月13日)
http://www.dalailamajapanese.com/news/post/1147-33

その中ほどに、タントラの修行についてクヌ・リンポチェと共に検討された件についての言及があります。

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・fpmt > News/Media > Mandala Magazine > Archive > Mandala for 2000 > September > A new generation of Tibetan lamas (2000/09).
http://fpmt.org/mandala/archives/mandala-issues-for-2000/september/a-new-generation-of-tibetan-lamas/

2000年当時のクヌ・リンポチェ2世のお姿があります。そういえば、この記事は前エントリーを書くときにも参考にしていた。参考文献に足しておきます。

Thierry Dodin先生のアップデート版によれば、実はクヌ・リンポチェの転生者はもうお一方いらっしゃるそうですが、調査未了。

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・omalaya > Our Blog > Sangmo/I – Khunu Lama, the quiet master (Published on 15 January 2016)
http://www.omalayatravel.com/khunu-lama-the-quiet-master/
・omalaya > Our Blog > Sangmo/II – KHUNU LAMA: Dalai lama called him the Shantideva of our time (Published on 22 January 2016)
http://www.omalayatravel.com/ii-khunu-lama-dalai-lama-called-him-the-shantideva-of-our-time/

なんか、タイミングよく新しい評伝が出ていました。こちらも素晴らしい内容です。

2016年1月23日土曜日

ヒマーチャル小出し劇場(29) クヌ・リンポチェ(ネギ・ラマ)・テンジン・ギェルツェン

今回は小出し劇場にしてはちょっと長いが、ガイドブック用に書いた原稿をちょっといじったものを貼りつけます。























Kinnaur(ཁུ་ནུ་ khu nu)の仏教寺院でよくみかける写真に、右手を胸にかかげた青い目の老僧の肖像がある。一見するとヒンドゥー教のシャドゥー(साधु)かとも見まがう姿だ。これがKinnaur随一の仏教学者クヌ・リンポチェ・テンジン・ギェルツェン(ཁུ་ནུ་རིན་པོ་ཆེ་བསྟན་འཛིན་རྒྱལ་མཚན་ khu nu rin po che bstan 'dzin rgyal mtshan)。生前はNegi Lama(ནེ་གི་བླ་མ་ ne gi bla ma)と呼ばれていた。NegiとはKinnaur人(ཁུ་ནུ་པ་ khu nu pa)を表す姓。

Ropa(རོ་པག ro pag/रोपा)谷Sunnam(सुन्नम)出身の在家の行者で、一生を通じチベットやインドで勉強し、在家ながらついには大仏教学者としてチベット、インドで尊厳を集めた。死後にはリンポチェと呼ばれ、転生者が選ばれるまでとなった。

Negi Lamaは1894年、Sunnamの裕福な家庭に生まれた。その生家は現在もNegi Pangとして有名。十代にして一家の反対を押し切って在家の行者となることを決意し、19歳のとき(1913年ころ)シッキムに向かった。そこでまず3カ月間ウギェン・テンジン(ཨོ་རྒྱན་བསྟན་འཛིན་ o rgyan bstan 'dzin)師の元でチベット語文法を学ぶ。

文法をマスターすると、次にチベットへと旅立つ。チベットではまずシガツェ(གཞིས་ཀ་རྩེ་ gzhis ka rtse)のタシルンポ寺(བཀྲ་ཤིས་ལྷུན་པོ་དགོན་པ་ bkra shis lhun po dgon pa)で9カ月学び、ギュクチュン(རྒྱུགས་ཆུང་ rgyugs chung/入門試験)を通過している。続いてラサ(ལྷ་ས་ lha sa)郊外カンダ・トゥルク・ゴンパ(ドゥクパの寺、正確な場所不明)に6年間滞在しカンダ・ノルブー師の元で「大印の秘法(チャクギャ・チェンポ ཕྱག་རྒྱ་ཆེན་པོ་ phyag rgya chen po/महमुद्र Mahamudra)」を習得し、かつ文法教師としても有名となった。しかしこの評判が一部で反感を買うようになり、ついにはラサを去らざるを得なくなる。

続いて向かったのはカム(ཁམས་ khams/東チベット)。カムには19年間滞在した。デルゲ(སྡེ་དགེ sde dge)王家で教師として働くかたわら、仏教諸派からボン教まで、宗派を問わず多くの場所を巡礼し、百人の僧、行者から教えを受けたという。中でも洞窟に住む行者から9カ月に渡って講義を受け習得したKalacakra Tantra(कालचक्र तन्त्र/དུས་ཀྱི་འཁོར་ལོ་རྒྱུད་ dus kyi 'khor lo rgyud)はその後、Negi Lamaの名声を高めることとなる。こうしてNegi Lamaは、博識な「ギャカル・ラマ(རྒྱ་དཀར་བླ་མ་ rgya dkar bla ma/インドのラマ)」として、カムではすっかり有名となった。Negi Lamaは特定の宗派には属さず、当時デルゲを中心としてカムで盛んであった超宗派運動(リメー རིས་མེད་ ris med)の一翼を担う存在でもあった。

1940年代前半、師はサンスクリット語を習得するため、インドへ向かうことを決意する。まず故郷Kinnaurに30年ぶりに戻る。Kinnaurでも師の名声はすでに高く、大歓迎を受けた。Kinnaurには数年間滞在。各地に招かれ講義を行うかたわら、ラサでの講義をまとめた文法書を執筆、彼の初の著作となった。

1950年ころKinnaur滞在を終え、Negi LamaはKolkata(कोलकाता)に1年間滞在した後、Varanasi(वाराणसी)でサンスクリット語の勉強に励む。しかしこの地ではスポンサーは見つからず、Negi Lamaは食うや食わずの貧しい生活を送っていた。にもかかわらず学者としての名声は日に日に高まり、インド各地の仏僧から講義を請われる機会も多かった。

1959年、ダライ・ラマ法王がチベットからインドへ亡命。まもなく法王もNegi Lamaの高名を知り、リン・リンポチェ(གླིང་རིན་པོ་ཆེ་ gling rin po che、法王の教師)と共に教えを請うた。Negi LamaはBodhgaya(बोधगया)に移り、そこで度々ダライ・ラマ法王をはじめ、チベットを脱出してきた多くの僧に講義を行う。宗派を問わず学んだNegi Lamaが授けたこの講義は、チベット仏教の復興に大きく貢献したと言われている。

1977年、Negi Lamaは老体にむち打ちKinnaurに向かい各地で講義を行う。次いでLahaul(लहौल/གར་ཞ་ gar zha)でも講義を行ったが、その途中Keylong(ཁྱེ་ལང་ khye lang/केलंग)のシャシュル・ゴンパ(ཤ་ཤུག་དགོན་པ་ sha shug dgon pa)滞在中に亡くなった(2月23日)。

その死後、Negi Lamaは出家僧ではないにも関わらずクヌ・リンポチェと呼ばれ、ついにはその転生者が選ばれるまでになる。

クヌ・リンポチェ2世は1978年デンマーク生まれ(父はチベット人、母はデンマーク人)。Dehra Dun(देहरादून)のミンドルリン・ゴンパ(སྨིན་གྲོལ་གླིང་དགོན་པ་ smin grol gling dgon pa/ニンマパ)での修行を終え、現在はインドとデンマークで活動中。

参考

・Thierry Dodin(1997) Negi Lama Tenzin Gyaltsen : A Preliminary Account of the Life of A Modern Buddhist Saint. IN:Henry Osmaston & Nawang Tsering (ed.) RECENT RESEARCH ON LADAKH 6 : PROCEEDINGS OF THE SIXTH INTERNATIONAL COLLOQUIUM ON LADAKH LEH, 1993. pp.93-98. Motilal Banarsidass, Delhi.
・fpmt > News/Media > Mandala Magazine > Archive > Mandala for 2000 > September > A new generation of Tibetan lamas (2000/09).
http://fpmt.org/mandala/archives/mandala-issues-for-2000/september/a-new-generation-of-tibetan-lamas/























おまけ:SunnamにあるNegi Chorten(ནེ་གི་མཆོད་རྟེན་ ne gi mchod rten)。クヌ・リンポチェの遺骨が納められている。

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(追記)@2016/01/24

参考文献にA new generation of Tibetan lamasを追加した。

2016年1月1日金曜日

初詣は矢川弁財天へ

行きました。皆さんもどうぞ。

2015年9月20日日曜日
狛犬ならぬ狛蛇?

で紹介した、東京都立川市の狛蛇がいる神社です。















今年は申(さる)年ですが、そんなの関係ありません(笑)。

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その前に某著名神社へ行ったところ、長蛇の列。参拝できるまで1時間はかかりそうだったので、今日は諦めてこちらへとやって来たわけです。

人出はほどほど。これくらいの人数だとゆっくり参拝できるなあ。

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まず、前回写真に撮り忘れた、橋の欄干の蛇をパチリ。












あんまり達者な造形とはいえないけど、狛蛇様を含め、こういうゆるさがこの神社の魅力。

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今回はじめて、神社をお守りしているご家族の方とお会いし、色々と教えていただきました。

神社の本殿の横に、三龍殿という立派なお堂があります。教えていただいたところによると、こちらは仏式のお堂なのだそうです。

神社の本殿には特に神像はありません。御霊を祀っているわけです。ところが、三龍殿の方は仏式なので、弁財天「像」が祀られていました。新しいお堂ですから、弁天様もごく新しい感じの木像。

「三龍」がどいう意味を持つのかは、お話を聞いても今ひとつはっきりしなかったなあ。

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朱塗りの板塀に囲まれた内殿の前には、初代の狛蛇が二体いらっしゃいます。鳥居のところの狛蛇と同じお姿ですが、こちらはきちんと白く塗られています。













































内殿の狛蛇の写真は、おそらくはじめて紹介されるものではなかろうか。

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テントでは、絵馬、お守り、おみくじなどが販売されていたのですが、そこで見つけたのがこのせんべい。



3枚入300円(醤油味2枚、砂糖味1枚)。いいですねえ、このかわいい蛇の絵。なごむ。

製造は、オリジナル印刷せんべいで有名な坂本せん餅。味もなかなか。

・坂本せん餅
http://sakasen.jp/

このせんべいは、お正月、節分、4月20日の例祭でしか販売されないそうなので貴重。4月にまた買ってこよう。

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とまあ、こんな具合に神社の方々とゆっくり話する時間もあって、楽しい時間を過ごしました。

初詣はこれくらいいのんびり参拝したいものですが、人気神社だと、もう年に一度の勝負どころになっちゃってて、それどころじゃないんでしょうねえ。

人気神社の他に、もう一つくらいこういうのんびり参拝できる神社を知っていると、正月らしい気分を味わえますよ。

私がよく行く近所の天神様は、正月だというのに人っ子ひとりいませんでした(笑)。ゆっくりできましたよ。