2017年3月31日金曜日

カルマパ17世タイェー・ドルジェ師が結婚して還俗

というニュースが出ました。

・共同通信PRワイヤー > 2017年3月30日 Private Office of the 17th Karmapa カルマパ聖下が内輪の結婚式挙行を発表 AsiaNet 68000 (0465) 【ニューデリー2017年3月29日PR Newswire=共同通信JBN】
http://prw.kyodonews.jp/opn/release/201703300451/

といっても、これはニュースではなく、共同通信が宣伝/プレスリリースのスペースを売っているサイトのようです。いろんな言語で同じ記事があちこちに出ていました。

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また、このカルマ・カギュパの管長(となるはずの方)ギャワ・カルマパは、有名なギャワ・カルマパ17世ウギェン・ティンレー・ドルジェ師ではありません。

実はカルマパ17世は二人いるのです。


カルマパ17世ティンレー・タイェー・ドルジェ師(2000年当時)

例によって、ヒマーチャル・ガイドブックの没原稿を使って説明しときましょう。情報は2001年時点のもの。

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二人のカルマパ17世

チベット仏教四大宗派の一つカギュパ བཀའ་རྒྱུད་པ་ bka' rgyud paは、大小さまざまの小宗派に分かれている。このうちの最大勢力がカルマパ ཀརྨ་པ་ karma pa(カルマ・カギュパ ཀརྨ་བཀའ་རྒྱུད་པ་ karma bka' rgyud pa)。管長であるギャワ・カルマパ རྒྱལ་བ་ཀརྨ་པ་ rgyal ba karma paは12世紀から続くチベット最古の転生ラマ(トゥルク སྤྲུལ་སྐུ sprul sku)系譜(1世はカルマパ開祖ドゥースム・キェンパ དུས་གསུམ་མཁྱེན་པ་ dus gsum mkhyen pa(1110-93))。チベット本土での総本山はラサ西方にあるツルプー・ゴンパ མཙུར་ཕུ་དགོན་པ་ mtsur phu dgon pa。

1959年のチベット動乱でダライ・ラマ法王がインドに亡命すると、これに続いて多くの高僧がチベットを脱出した。カルマパ16世ランジュン・リクペー・ドルジェ རྒྱལ་བ་ཀརྨ་པ་སྐུ་འཕྲེང་བཅུ་དྲུག་པ་རང་འབྱུང་རིག་པའི་རྡོ་རྗེ་ rgyal ba karma pa sku 'phreng bcu drug pa rang 'byung rig pa'i rdo rje (1924-81)もその一人。16世はシッキムのルムテク・ゴンパ རུམ་ཐེག་དགོན་པ་ rum theg dgon paを本拠地に教団を再建。海外での布教には特に力を入れ、欧米人信徒を多数獲得するなど成功を収めた。

1981年、16世は急逝。カルマパ教団は4人の摂政により運営される。転生者はなかなか見つからなかったが、摂政の一人タイ・スィトゥ・リンポチェ(タイ・スィトゥパ)12世ペマ・ドンヨー・ニンジェ・ワンポ  ཏའི་སི་ཏུ་རིན་པོ་ཆེ་(ཏའི་སི་ཏུ་པ་)སྐུ་འཕྲེང་བཅུ་གཉིས་པ་པདྨ་དོན་ཡོད་སྙིང་རྗེ་དབང་པོ་ ta'i si tu rin po che (ta'i si tu pa) sku 'phreng bcu gnyis pa padma don yod snying rje dbang po(1954-)が発見した遺言状をきっかけに捜索が進展。1992年、東チベット(カム)・チャムド ཆབ་མདོ་ chab mdo昌都県ラトク  ལྷ་ཐོག lha thog 拉多近郊に住む牧民一家に転生者が発見された。

この少年アポ・ガガ ཨ་པོ་དགའ་དགའ་ a po dga' dga'は、中国政府・チベット亡命政府双方により公式にカルマパ17世ウギェン・ティンレー・ドルジェ རྒྱལ་བ་ཀརྨ་པ་སྐུ་འཕྲེང་བཅུ་བདུན་པ་ཨོ་རྒྱན་འཕྲིན་ལས་རྡོ་རྗེ་ rgyal ba karma pa sku 'phreng bcu bdun pa o rgyan 'phrin las rdo rje(1986-)として認定され、ツルプー寺で即位した。


カルマパ17世ウギェン・ティンレー・ドルジェ師(2000年当時)

しかし摂政の一人で、先代16世の甥でもあるシャマル・リンポチェ(シャマルパ)14世ミパム・チューキ・ロドゥ ཞྭ་དམར་རིན་པོ་ཆེ་(ཞྭ་དམར་པ་)སྐུ་འཕྲེང་བཅུ་བཞི་པ་མི་ཕམ་ཆོས་ཀྱི་བློ་གྲོས་ zhwa dmar rin po che (zhwa dmar pa) sku 'phreng bcu bzhi pa mi pham chos kyi blo gros(1952-2014)は、1990年以来独自に転生者を擁立し、この選択に異議を唱え続けている。これが「もう一人のカルマパ」17世ティンレー・タイェー・ドルジェ རྒྱལ་བ་ཀརྨ་པ་སྐུ་འཕྲེང་བཅུ་བདུན་པ་འཕྲིན་ལས་མཐའ་ཡས་རྡོ་རྗེ་ rgyal ba karma pa sku 'phreng bcu bdun pa 'phrin las mtha' yas rdo rje(1983-)である。ツルプー近郊に生まれたこの少年はシャマルパにより密かにインドへ迎えられていた。

一般には17世として公認されているウギェン・ティンレー・ドルジェ師への支持が圧倒的に多いが、タイェー・ドルジェ師とシャマルパ側を支持する人々も無視できない数にのぼる。

ツルプー寺で修行を積んでいたウギェン・ティンレー・ドルジェは、2000年1月突如チベット亡命政府のあるダラムシャーラーに現われ世界を驚かせた。実質的な亡命である(2001年インド政府により公式に難民認定された)。

2002年1月現在、16世の本拠地であったルムテク寺にはどちらのギャワ・カルマパも入っておらず、跡目争いの決着はまだ先のようだ。

この騒動については、

・田中公明(2000.4)『活仏たちのチベット』. ii+210pp. 春秋社, 東京.

に詳しい。

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タイェー・ドルジェ師の本拠地は、New Delhi南部にあるカルマパ国際仏教学院Karmapa International Buddhist Institute(KIBI)。

・KIBI Karmapa International Buddhist Institute(since 1990)
http://www.kibi-edu.org/

こちらもヒマーチャル・ガイドブック没原稿から。

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カルマパ国際仏教学院 Karmapa International Buddhist Institute(KIBI) ཀརྨ་པ་རྒྱལ་ཡོངས་ནང་པའི་གཙུག་ལག་མཐོ་སློབ། karma pa rgyal yongs nang pa'i gtsug lag mtho slob/

いわゆるもう一人のカルマパ17世ティンレー・タイェー・ドルジェ師と彼を擁立したシャマル・リンポチェが主宰する仏教学院。1979年の創建(現在の建物は1994年)。

New Delhi南部、Institutional Areaにある(Qutab Hotel裏手)。クトゥブ・ミナールの観光と組み合わせて訪れるとよい。

ここでは主に外国人を対象にした仏教のレクチャーが長期コース(数年)・短期コースで開催されている。寺院は広い集会堂にシャカ像があるだけのシンプルな造り(2001年当時)。周囲は研修生の宿舎。

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というわけだが、この後、シャマル・リンポチェ14世が2014年に遷化し、タイェー・ドルジェ師のニュースもあまり聞かなくなった、と思っていた矢先のこのニュースでした。

結婚されたということは、破戒となるため僧籍には居られません。よって還俗されることになります。

といっても、チベット仏教、特にニンマパ/カギュパ/サキャパには俗人のリンポチェはたくさんいらっしゃいます。還俗されて、宗教活動もやめてしまわれる方もいますが、その多くは行者として宗教活動を続けます。

特にギャワ・カルマパという大名跡で、カルマ・シャマルパ教団のトップですから、やめられないでしょう。

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しかし、よくこれが許されたものです。タイェー・ドルジェ師の意志がよっぽど強かったのでしょう。

何はともあれ、まずは、おめでとうございました、とお祝い申し上げます。

2017年3月14日火曜日

広島大学ンガリー天文台(続報)

2016年10月5日水曜日 広島大学ンガリー天文台

で、ンガリー མངའརིས་ mnga' ris 阿里地区に広島大学が設置した望遠鏡について触れましたが、この場所については、中国のニュースサイトでも多数報じられています。

・万花鏡 > 探索 > 阿里啓動 : 将建世界最高原初引力波観測站 2016年12月13日 来源: 互聯网
http://m.wanhuajing.com/d661883

もとは科学網の記事らしいのですが、本家記事にアクセス出来ないので配信記事の方を紹介。

当サイトでも紹介した、観測基地への道路工事の様子の写真がありますね。相当大変そう。

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ここには、広島大学の望遠鏡だけではなく、中国側の望遠鏡も置かれているようだ。

この記事でちょっと不思議に思ったのは、「引力波望遠鏡」という記述。引力波とは、一般に言う重力波のこと。

しかし、2016年2月に発表されたUSA LIGO(Laser Interferometer Gravitational-Wave Observatory/レーザー干渉計重力波観測所)による史上初の重力波イベント観測は、マイケルソン干渉計によるもの。これは重力波による空間の歪みを観測するもので、天候の影響は受けないはず。

同様にマイケルソン干渉計を使った日本の重力波観測所KAGRAなどは、岐阜県神岡鉱山跡の地下に建設されているし。

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実は、ここでいう重力波は、2016年に観測された2つのブラックホールの合体によって発生した重力波とは別の重力波の観測を目指している。それが原始重力波。

これは、ビッグバンの38万年後に生じた宇宙の晴れ上がり時の光=宇宙マイクロ波背景放射の偏光分布を調べることで、ビッグバンの直前に宇宙が爆発的に拡大した現象(インフレーション)の痕跡を探ろうというもの。

とまあ、自分でも実はよく理解していないのだが(笑)。

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原始重力波についてはここらへん↓でお勉強をどうぞ。

・大栗博司のブログ > 2014年03月17日 原始の重力波
http://planck.exblog.jp/21835733/
・日経サイエンス > バックナンバー > 2016年 > 日経サイエンス 2016年5月号 大特集:重力波 > L. M. クラウス(アリゾナ州立大学)/ビッグバンから上がるのろし 原始重力波に挑む
http://www.nikkei-science.com/201605_058.html
・一般社団法人 日本物理学会 > 刊行物 > 日本物理学会誌 > バックナンバー目次 > 2017年第3号 > 山口昌英/原始重力波とは何か? その検出がなぜ大事なのか?
http://www.jps.or.jp/books/gakkaishi/2017/03/72-03_trends.pdf

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なお、中国の記事では、日本や広島大学についてはいっさい触れられておりません。ありがちだなあ。

また、広島大学のHinOTORIプロジェクトが、中国の原始重力波観測プロジェクトとどう連動するのか、よく理解しておりません。単に場所が同じ所で、観測場所と建設費用を共同で賄っているだけかもしれません。

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広島大学のHinOTORIプロジェクトは、重力波観測に関係したプロジェクトではあっても、KAGRAと連動したプロジェクト。LIGOが観測した現象と同じような、ブラックホールなどの合体で生じた重力波がKAGRAで観測された場合に、その対象天体を探し出す目的で設置されています。

マイケルソン干渉計による重力波観測では、観測に成功しても、重力波がやって来た方向については、非常におおざっぱにしかわからない。それで、重力波観測直後に、その発生源天体を探索したり、重力波天体によるガンマ線バーストを観測するのがHinOTORIプロジェクト目的だという。

すごくおもしろそうですね。

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ところで、HinOTORIプロジェクトのwebsite

・HinOTORI : Hiroshima University Operated Tibet Optical Robotic Imager(as of 2017/03/13)
http://hinotori.hiroshima-u.ac.jp/

などで、しきりにこの観測所のことを「ガー山」と呼んでいるのだが、これいったいなんだろう?と思っていた。

それが、

・京都大学理学研究科 宇宙物理研究所 > 研究・教育活動 京大 岡山3.8m望遠鏡計画 > 新着情報 2013年3月12~13日 サイエンス・装置WSを行いました。内容はこちら。 > 佐々木敏由紀+吉田道利+姚永強/西チベット天体観測環境調査の紹介と京都3.8mレプリカ設置の可能性
http://www.kusastro.kyoto-u.ac.jp/psmt/instWS/1st_instWS/1st_sasaki.pdf

を見たら、ようやく理解できた。

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「ガー山」とは、「ガル སྒར་ sgar(近く)の山」のことでした。観測所すぐ南を流れている河がIndus河(センゲ・ツァンポ སེང་གེ་གཙང་པོ་ seng ge gtsang po 獅泉河)の支流であるガル・ツァンポ སྒར་གཙང་པོ་ sgar gtsang po噶爾藏布。

ガルとは「天幕」あるいは「幕営地」のことです。

西チベットに栄えたグゲ(གུ་གེ gu ge古格)王国は、1630年、Ladakh王国に滅ぼされ、旧グゲ領はLadakhに占領されます。しかし17世紀後半になると、チベットを統一したグシ・ハーン王家+ダライ・ラマ政権とLadakh王国との間で戦争が勃発(1679~83年)。

終始押し気味に戦争を進めたチベット側が講和後、占領した旧グゲ領をそのまま併合。ラサからはガルポン སྒར་དཔོན་ sgar dponと呼ばれる役人が派遣され、旧グゲ領を統治します。

その役人の駐在地を「ガル(幕営地)」と呼んだのです。名称としてはそっちが先で、役職名ガルポンは「ガルに駐在した役人」という意味になります。

ガルは、ガル・ツァンポ上流(南東側)にある夏営地ガリヤサ སྒར་དབྱར་ས་ sgar dbyar sa噶爾雅沙と、下流(北西側)にある冬営地ガル・グンサ སྒར་དགུན་ས་ sgar dgun sa 噶爾昆薩の2箇所あり、両者間は約100km離れています。単にガル(あるいはガルトク སྒར་ཐོག sgar thog噶爾大克)といえば、一般には夏営地ガリヤサの方を指します。

どちらも、当時ンガリーの中心地だったとは思えないほど、今は寂れた村です。それもそのはず。「ガル(幕営地)」の名の通り、もともとそこには町らしい町はなく、天幕の集合体だったから。

天体観測所のある場所は、ガル・グンサのすぐ近くです。

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というわけで、もともと名前などなかった場所に「ガル(近くの)山」と名前をつけたと思われます。

ところが、「Gar」を英語風に読んだものだから、「ガー山」になってしまったわけです。またもや「英語風読み」が悪さをしています。

いまさら「ガー山」を「ガル山」と変更できないかもしれませんが、本来は「ガル」である、というのは覚えておいてください。

2017年3月9日木曜日

東京外国語大学「チベット牧畜民の仕事展」とSERNYA Vol.4

・東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所・主催 『チベット牧畜民の仕事展』
会期:2017年2月13日(月)− 3月11日(土)土日休場
ただし2月18日(土)・19日(日)、3月11日(土)は開場
時間: 10−17時
会場:東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所1階資料展示室(〒183-8534東京都府中市朝日町3-11-1)
tel/fax:042-330-5543
入場料:無料



に行ってきました。

詳しくはこちらでもどうぞ↓

・TibetanCinema/チベット牧畜民の仕事展 > 2016年12月12日月曜日 チベット牧畜民の仕事展
http://tibetanpastoralists.blogspot.jp/2016/12/blog-post.html

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ドクパ འབྲོག་པ་ 'brog paの生活でいっぱいです!楽しい!



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ドクパを「遊牧民」と訳する人が多い中、ここではちゃんと「牧畜民」と訳されていますね。

ヤルサ དབྱར་ས་ dbyar sa 夏営地とグンサ དགུན་ས་ dgun sa 冬営地で移動はするものの、場所は毎年決まっています。草地・水場を求めて、頻繁に移動しているかのような誤解を招きがちな「遊牧民」という用語を採用しなかったのは正しい。

Ladakhの民族ブロクパについて書いたものですが、一部牧民ドクパについても触れているこちらも参考までにどうぞ↓

2014年4月17日木曜日~29日火曜日 「ブロクパ」とはどういう意味か?(1)~(5)
2014年5月4日日曜日 ブロク・スカット('brog skad)の会話例

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「クサイ、クサイ」という前触れだったのですが、臭くありません!

ヤク尾の払子などもあったので、さっそく匂いを嗅いでみましたが全然たいしたことなかった。

と思ったのだが・・・その近くに立っていると、なにやら左の方から「唾液を煮染めたような匂い」がプ~ンと・・・。

そこには羊の毛皮がありました。模造品fake-furと共に。

いやあ、これはクサイ!というより懐かしい匂いです。チベットでは、どこもかしこも、大なり小なりこういう匂いが充満してますから。

さあ、これを嗅ぎに行ってください。普通の展示物や映像では感じられないものが、こういう匂いですから。その意味では珍しい展覧会です。

欲を言えば、乳製品の匂いもあればよかったなあ。

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一番の目玉は、現地で撮った映像「チベット牧畜民の一日」でしょう。会場で繰り返し上映されています。


Sernya, vol.4, p.44より

ドクパ一家の朝から晩までを追って編集したものです。撮影はカシャムジャ མཁའ་བྱམས་རྒྱལ་ mkha' byams rgyal。プロが撮った映像なのでクオリティは素晴らしい。

95分ありますから、ひと通り見るのも大変ですが、ぜんぜん飽きませんよ。

ドキュメンタリーと称していながら、実は半分フィクションみたいな映像も多い中、これは作為的な絵は一つもありません。一日中繰り返し流しておきたいほどです。

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欲を言えば、映像が撮られた場所、標高、家族構成などのバックグラウンドの情報がもう少し欲しかった。まあ、それはSERNYAの既存号を見れば、ある程度わかるのだが。また、これからさらに補強編集がなされるかもしれないし。

あと各チャプター、たとえば「夕方の乳しぼり」のタイトルにもチベット文字タイトルが欲しかったなあ。

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2017年3月11日(土)は展覧会最終日ですが、解説付きでの上映会があります。

・東京外国語大学広報マネージメント室/TUFS Today > チベット牧畜民のくらし(2017.3.8公開)
https://tufstoday.com/articles/170308-2/

–上映会『チベット牧畜民の一日』
最終日の3月11日(土)は、13:30から『チベット牧畜民の一日』の解説付き上映も行います。
日時:2017年3月11日(土)13:30-15:20(13:00開場)
場所:AA研大会議室(303)
使用言語:チベット語(日本語字幕つき)
参加費:無料、事前申し込み:不要

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会場では、出たばかりのSERNYA最新号も配布されていました。

・SERNYA編集部+チベット文学研究会・編 (2017.2) SERNYA VOL.4. 176pp. 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所, 府中.


ブックデザイン : 草本舎

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例によって目次を紹介しておきましょう。


同書, pp.2-3

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興味を引いた論考をいくつか。

・別所裕介・著, 蔵西・画 (2017.2) 空間を刷新する儀式「ドッカ・ペンバ」 牧畜社会の厄払いと年越し行事. Sernya, vol.4, pp.8-16.

昨年はンガッパ・イェシェ・ドルジェ・リンポチェがらみで悪霊祓い・厄祓いについて調べる機会が多かったのだが、そのアムド・ドクパ社会での例です。

私が調べたものとの類似性・違いがわかって非常に興味深い。

この世界は大変に奥が深いので、まずいろんな実例の紹介が増えることは実にありがたい。

参考までに、私が調べたものをまとめて紹介するとこうなります↓

2016年1月25日月曜日 ヒマーチャル小出し劇場(30) ンガッパ・イェシェ・ドルジェ・リンポチェとジルノン・カギェリン・ゴンパ/2016年1月28日木曜日 ンガッパ・イェシェ・ドルジェ・リンポチェ補足
2016年6月10日金曜日~8月1日月曜日 ンガッパ・イェシェ・ドルジェ・リンポチェの悪霊祓い(1)~(13)

後者は、最後のまとめがまだ書かれていませんが、って人ごとみたいですが(笑)。陰陽師、祈祷僧、日本の憑きもの、道教呪術、インド呪術まで手を広げて調べ出して、収拾がつかなくなってます。

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それにしてもSERNYA専属イラストレーター蔵西さんの絵のクオリティは一段と上がっている。絵の描ける人がいる学術報告が、いかに充実したものになるか思い知らされます。

むしろ蔵西さんがマンガの世界に戻ってこれなくなるんじゃないか、と心配。まあ、それは冗談としても。

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・平田昌弘 (2017.2) ユーラシアにおけるチベットの乳文化の体系. Sernya, vol.4, pp.36-39. 

これまで、内陸アジアの乳製品文化については、モンゴルのものが取り上げられる機会がほとんどだった。私も乳製品に関する本はたくさん持っているが、その内陸アジア乳文化のパースペクティブの中に、チベット乳文化を置いてみるという、最近ご無沙汰だったアプローチの論考。

地域の比較から、時間と人・文化の移動を読み取る、つまり歴史を読み取る、ことを心がけている歴史好きとしては、とてもおもしろい論考でした。

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・海老原志穂 (2017.2) ラダックで唯一の小説家 ツェワン・トルデン. Sernya, vol.4, pp.119-123.

Ladakhももう十数年行っていないので、こうした動きも全く感知できない人になってしまいました。昔は日本にいながらも、Ladakh Ladags Melong ལ་དྭགས་མེ་ལོང་། la dwags me long/という雑誌を購読していたりしたんですけどね。

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長くなったので紹介もこれくらいにしておきますが、会期もあとわずかですが、ぜひ行ってみてください。

これだけ充実した展覧会だと、日本中を巡回してもいいですね。もうオファーは来てるかもしれませんが。まあ、それだとスタッフが死んじゃうか・・・。

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(追記)@2017/03/11

映像「チベット牧畜民の一日」を見て、ふと思った疑問

(1) 犬がいない!

ドクパの家庭で犬がいない、というのは見たことない。しかしあの映像には、犬が全く出てこない。なぜだろう?

チベットの犬、特にドクパが飼っている犬はかなり凶暴だ。家族以外にはなかなか慣れない。よく来るお客にさえワンワン吠えまくる。私も何度も噛みつかれそうになった(投石で撃退)。

映像の家庭でも絶対、犬を飼っているはずだ。

おそらくだが、日本の研究者が長期滞在する間、犬に噛まれるのを防止するため、滞在期間中はどっかよそに預けていたんではないかと推察する。

チベットの犬は狂犬病の予防注射など受けていないから、噛まれたら狂犬病になってしまうおそれが充分あるのだ。

ということだと思っていますが、ホントのところは知りません。

(2) 便所はどうなっているんだろう?

これは、上の「犬がいない!」とも関係する話。

まあ、なくても当たり前なんだけど、映像には便所についての話がない。でも気になりますよね。どうなっているのだろうか?穴を掘ってためているのだろうか?それとも、そこら辺でしてしまうのか?

私は後者だと思いますね。となると、そこら辺がウンコだらけになる?

大丈夫なのです。ブツは全部犬が食べてくれるから。野糞をしていると、ドクパの犬たちが、それまでギャンギャン吠えていたくせに、前足をチョコンと揃えておとなしく終わるのを待っている。そういう世界です。

で、あの映像で、「犬を預けていた」とすると、その間ブツの始末はどうなるのか?などなど、とても気になります。

今日、上映会に行く人は、その辺を質問するのも面白いかも。誰かお願いします(笑)。

2017年3月7日火曜日

地名がチベット文字表記のWeb Map発見

チベットの地名で、チベット文字表記を知りたい時はどうしていますか?

私の場合は、ほとんど

ཨ་མྱེས་རྨ་ཆེན་བོད་ཀྱི་རིག་གཞུང་ཞིབ་འཇུག་ཁང་། a myes rma chen bod kyi rig gzhung zhib 'jug khang/ Amnye Machen Institute (1998) རྒྱ་དམར་གྱི་བཙན་འོག་ཏུ་གནས་པའི་བོད་དང་ས་འབྲེལ་ཁག་གི་ས་ཁྲ། rgya dmar gyi btsan 'og tu gnas pa'i bod dang sa 'brel khag gi sa khra/ TIBET AND ADJACENT AREAS UNDER COMMUNIST CHINA'S OCCUPATION 1 : 3,200,000. Amnye Machen Institute, Dharamsala.

で事足りていますが、時々

・武振華・主編, 国家測絵局地名研究所・編 (1996.8) 『西藏地名』. 32+593pp. 中国藏学出版社, 北京.

を使うこともあります。ただしこれは自治区のみ。

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Web上の地図では、もちろんGoogle Mapを使うことが多いのですが、チベットの地名は漢字表記のみなので、チベット文字表記を知る目的では使えません。

それが、偶然だったのですが、チベット文字表記のWeb Mapを発見しました。これです↓

・OpenStreetMap Foundation/OpenStreetMap(as of 2017/03/01)
http://www.openstreetmap.org/

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ラサ ལྷ་ས་ lha sa 拉薩周辺を出してみましょう。


OpenStreetMapより

どうですか?Amnye Machen Instituteの地図と比べると、ちょっと地名が少ないような気もしますが、Web上にはこれまでこういう地図はなかったのですから、最初から贅沢を言ってはいけませんね。

特に、身近にチベット文字表記の地図がない人にとっては、かなり使いでがあるはずです。

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OpenStreetMap(OSM)の特長としては、市街図がきれいなこと。

ラサ市街にズームしてみましょう。


OpenStreetMapより

美しいですね。

Google Mapなどに比べると情報量は劣りますが、地点・場所情報も今後充実していくのかもしれません。

そう、実はこのOSMというプロジェクトは、誰でも情報を書き入れることができる、いわば地図版Wikipediaなのです。だから、今はわざと情報量を少なめにしてるのかもしれません。

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結構マイナーな場所でも、市街図はしっかりしています。

これはカムのチャムド ཆབ་མདོ་ chab mdo 昌都。


OpenStreetMapより

「あなたが情報を入れてください」と言っているかのような、まるで白地図です。

重宝するのはガイドブック屋さんでしょう。昔は私も、地図も何にもないところで、コンパス(磁石)と歩測で町の地図を作っていましたが、もうこういうものをベースに地図を作ることができるようになっているのですね。

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しかしこういう市街図は、一度作れば当分OK、とはいかず、常にアップデートを繰り返さなくてはならない宿命にあります。でないと、「この地図、情報古いや」と批判され、すぐにアクセスしてもらえなくなります。ユーザーは勝手ですよね。

はたして、OpenStreetMapがその需要に答えられるかどうかは未知数です。

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チベットから国境を越えて、Ladakhに入ると、残念ながらチベット文字表記はありません。

一方、Bhutanに入ると、なんとアルファベットなしでチベット文字表記のみ???大丈夫か、これ?

インドは、Devanagariなどのインド諸文字表記には対応していません。これも残念。まあ、これはGoogle Mapが対応しているからいいんだけど。

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まだまだ不備は多いようですが、なかなか使いでがあります。今後にも期待しましょう。

2017年3月4日土曜日

2014年のケサル・シンポジウムのProceedings

を入手しました。

・東方学会・編 (2016.10) 『シンポジウム 「ケサル/ゲセル王伝の伝承と現在」(第59回国際東方学者会議 2014年5月24日)』. 100pp. 東方学会, 東京.(限定頒布)



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2014年5月24日のシンポジウムのProceedingsです。中心になったのは中国文学者の戸倉英美先生。

中身を紹介しておくと、

1. 戸倉英美 (2016.10) シンポジウム 「ケサル/ゲセル王伝の伝承と現在」趣旨説明. 『シンポジウム 「ケサル/ゲセル王伝の伝承と現在」』所収. p.3. 東方学会, 東京.

2. 大谷寿一 (2016.10) ケサル大王 生きている英雄叙事詩. 『シンポジウム 「ケサル/ゲセル王伝の伝承と現在」』所収. pp.7-9. 東方学会, 東京.

3. 李連栄 (2016.10) 西藏《格薩爾》史詩之安多類型的特点. 『シンポジウム 「ケサル/ゲセル王伝の伝承と現在」』所収. pp.11-36. 東方学会, 東京.

4. 藤井真湖 (2016.10) 「モンゴル・ゲセル」とモンゴル英雄叙事詩の伝承スタイルの相違 馬の隠喩・パフォーマンス形態等の検討を通して. 『シンポジウム 「ケサル/ゲセル王伝の伝承と現在」』所収. pp.37-49. 東方学会, 東京.

5. 岡田千歳 (2016.10) パキスタン北部バルティスタン地方の『ケサル物語』伝承の現状と課題. 『シンポジウム 「ケサル/ゲセル王伝の伝承と現在」』所収. pp.51-65. 東方学会, 東京.

6. 岡田充博 (2016.10) 人を驢馬に変える妖術の話とその伝播 『シッディ・クール』『ゲセル・ハーン物語』所収話をめぐって. 『シンポジウム 「ケサル/ゲセル王伝の伝承と現在」』所収. pp.67-82. 東方学会, 東京.

7. 若松寛 (2016.10)  『ゲセル』とギリシア神話. 『シンポジウム 「ケサル/ゲセル王伝の伝承と現在」』所収. pp.83-85. 東方学会, 東京.

8. 宮本神酒男 (2016.10) ケサル王変遷史 曖昧な古代の起源から、ニューエイジ世代の救世主や漫画のヒーローとなるまで. 『シンポジウム 「ケサル/ゲセル王伝の伝承と現在」』所収. pp.87-94. 東方学会, 東京.

9. 戸倉英美 (2016.10) シンポジウム 「ケサル/ゲセル王伝の伝承と現在」報告. 『シンポジウム 「ケサル/ゲセル王伝の伝承と現在」』所収. pp.95-96. 東方学会, 東京.

10. Hidemi TOKURA (2016.10) The Transmission and Present State of the Epic of King Gesar. 『シンポジウム 「ケサル/ゲセル王伝の伝承と現在」』所収. pp.97-100. 東方学会, 東京.

あとでコピペして使いやすいように、収録書名も入れたままにしました。まとめて見るとちょっと鬱陶しいですが。

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李先生の論文3は、

・李連栄(ゾンジェジャムツォ) (2007.6) 中国における叙事詩「ケサル王伝」採集と研究の理論と実践. 日本西藏学会会報, no.53, pp.59-71.
http://ci.nii.ac.jp/els/110009841245.pdf?id=ART0010354422&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1488592493&cp=

を発展させたもの。いわゆる研究史だけではなく、中身の考察も加えられ、充実した内容になっています。

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岡田先生の論文5も、

・岡田千歳 (2001~03) 叙事詩「ケサル物語」の挿入歌について パキスタン北部バルティスタンの調査報告(1)~(3). 桃山学院大学教育研究所研究紀要, no.10~12.

を敷衍したもの。上記論文は、「ケサル王物語」の挿入歌に焦点を当てたものだが、今回はエピソード一覧などもあり、Baltistanの「ケサル王物語」の構造がより把握しやすくなっています。

ざっと見たところ、Baltistanでしか見られないようなエピソードが多数あり、「ケサル王物語」はBaltistanで独自の進化をとげているようですね。すごくおもしろい。

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6、7は、「ケサル王物語」の特定のエピソードを取り上げて、いろいろな物語類型と比較した論考。

「ケサル王物語」の謎の解明には、こういうアプローチが重要だと思っています。

というのも、「ケサル王物語」には世界各地の物語類型が、たくさん見られるから。ほとんど類型ばかりでできていると言ってもいいでしょうね。

上記論考は、全体構成とかエピソード骨格の類型比較まで至っていないので、今後そちらまで発展させてほしいアプローチ。

若松先生は、ギリシア神話との比較について述べておられますが、日本神話と共通するエピソードもあるんですよ。そこも「ケサル王物語」の面白いところ。

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また、以前紹介した

・角道(かくどう)正佳 (1997) 土族のゲセル. 大阪外国語大学論集, no.18, pp.225-250.
http://ci.nii.ac.jp/els/110004668876.pdf?id=ART0007399804&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1488589713&cp=

のように、各地の「ケサル王物語」を比較する研究と、物語類型との比較を並行して進めることで、「ケサル王物語」はかなり解明が進むと思っています。

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各論考タイトルを見ていくと、「伝」という表記と「物語」という表記が混在していることに気づきます。

私はགེ་སར་གྱི་སྒྲུང་། ge sar gyi sgrung/には、史実性はほとんどないと考えているので、「物語」を使うようにしています(以前「伝」と書いてしまったことはあるかもしれませんが)。

上述のように、「ケサル」の中に物語類型を続々発見してしまうと、なおさらそういう気になりますね。

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ところで、この本は、一応東方学会の名前で出ていますが、東方学会の正式な出版物という扱いではなさそうです。奥付もありません。巻末に「2016年10月」とあるので、辛うじて発行年月がわかる程度です。ほぼ、関係者のみに配布された私家版と言っていいでしょう。

興味のある人は結構いるんではないか、と思いますが、残念ながら入手方法はわかりません。私のは、ある方から頂いたものでした。

せめて国会図書館、東京都立図書館、主要な大学図書館などには寄贈して、一般人の目にも触れるようにしてほしいところですね。

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ケサルの話も頭の中にはあるんだが、忘れてしまいそうだし、私だって(一般論として)いつ死ぬかわからんので、そのうちざざっとでも書きましょう(←話半分)。