2017年3月31日金曜日

カルマパ17世タイェー・ドルジェ師が結婚して還俗

というニュースが出ました。

・共同通信PRワイヤー > 2017年3月30日 Private Office of the 17th Karmapa カルマパ聖下が内輪の結婚式挙行を発表 AsiaNet 68000 (0465) 【ニューデリー2017年3月29日PR Newswire=共同通信JBN】
http://prw.kyodonews.jp/opn/release/201703300451/

といっても、これはニュースではなく、共同通信が宣伝/プレスリリースのスペースを売っているサイトのようです。いろんな言語で同じ記事があちこちに出ていました。

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また、このカルマ・カギュパの管長(となるはずの方)ギャワ・カルマパは、有名なギャワ・カルマパ17世ウギェン・ティンレー・ドルジェ師ではありません。

実はカルマパ17世は二人いるのです。


カルマパ17世ティンレー・タイェー・ドルジェ師(2000年当時)

例によって、ヒマーチャル・ガイドブックの没原稿を使って説明しときましょう。情報は2001年時点のもの。

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二人のカルマパ17世

チベット仏教四大宗派の一つカギュパ བཀའ་རྒྱུད་པ་ bka' rgyud paは、大小さまざまの小宗派に分かれている。このうちの最大勢力がカルマパ ཀརྨ་པ་ karma pa(カルマ・カギュパ ཀརྨ་བཀའ་རྒྱུད་པ་ karma bka' rgyud pa)。管長であるギャワ・カルマパ རྒྱལ་བ་ཀརྨ་པ་ rgyal ba karma paは12世紀から続くチベット最古の転生ラマ(トゥルク སྤྲུལ་སྐུ sprul sku)系譜(1世はカルマパ開祖ドゥースム・キェンパ དུས་གསུམ་མཁྱེན་པ་ dus gsum mkhyen pa(1110-93))。チベット本土での総本山はラサ西方にあるツルプー・ゴンパ མཙུར་ཕུ་དགོན་པ་ mtsur phu dgon pa。

1959年のチベット動乱でダライ・ラマ法王がインドに亡命すると、これに続いて多くの高僧がチベットを脱出した。カルマパ16世ランジュン・リクペー・ドルジェ རྒྱལ་བ་ཀརྨ་པ་སྐུ་འཕྲེང་བཅུ་དྲུག་པ་རང་འབྱུང་རིག་པའི་རྡོ་རྗེ་ rgyal ba karma pa sku 'phreng bcu drug pa rang 'byung rig pa'i rdo rje (1924-81)もその一人。16世はシッキムのルムテク・ゴンパ རུམ་ཐེག་དགོན་པ་ rum theg dgon paを本拠地に教団を再建。海外での布教には特に力を入れ、欧米人信徒を多数獲得するなど成功を収めた。

1981年、16世は急逝。カルマパ教団は4人の摂政により運営される。転生者はなかなか見つからなかったが、摂政の一人タイ・スィトゥ・リンポチェ(タイ・スィトゥパ)12世ペマ・ドンヨー・ニンジェ・ワンポ  ཏའི་སི་ཏུ་རིན་པོ་ཆེ་(ཏའི་སི་ཏུ་པ་)སྐུ་འཕྲེང་བཅུ་གཉིས་པ་པདྨ་དོན་ཡོད་སྙིང་རྗེ་དབང་པོ་ ta'i si tu rin po che (ta'i si tu pa) sku 'phreng bcu gnyis pa padma don yod snying rje dbang po(1954-)が発見した遺言状をきっかけに捜索が進展。1992年、東チベット(カム)・チャムド ཆབ་མདོ་ chab mdo昌都県ラトク  ལྷ་ཐོག lha thog 拉多近郊に住む牧民一家に転生者が発見された。

この少年アポ・ガガ ཨ་པོ་དགའ་དགའ་ a po dga' dga'は、中国政府・チベット亡命政府双方により公式にカルマパ17世ウギェン・ティンレー・ドルジェ རྒྱལ་བ་ཀརྨ་པ་སྐུ་འཕྲེང་བཅུ་བདུན་པ་ཨོ་རྒྱན་འཕྲིན་ལས་རྡོ་རྗེ་ rgyal ba karma pa sku 'phreng bcu bdun pa o rgyan 'phrin las rdo rje(1986-)として認定され、ツルプー寺で即位した。


カルマパ17世ウギェン・ティンレー・ドルジェ師(2000年当時)

しかし摂政の一人で、先代16世の甥でもあるシャマル・リンポチェ(シャマルパ)14世ミパム・チューキ・ロドゥ ཞྭ་དམར་རིན་པོ་ཆེ་(ཞྭ་དམར་པ་)སྐུ་འཕྲེང་བཅུ་བཞི་པ་མི་ཕམ་ཆོས་ཀྱི་བློ་གྲོས་ zhwa dmar rin po che (zhwa dmar pa) sku 'phreng bcu bzhi pa mi pham chos kyi blo gros(1952-2014)は、1990年以来独自に転生者を擁立し、この選択に異議を唱え続けている。これが「もう一人のカルマパ」17世ティンレー・タイェー・ドルジェ རྒྱལ་བ་ཀརྨ་པ་སྐུ་འཕྲེང་བཅུ་བདུན་པ་འཕྲིན་ལས་མཐའ་ཡས་རྡོ་རྗེ་ rgyal ba karma pa sku 'phreng bcu bdun pa 'phrin las mtha' yas rdo rje(1983-)である。ツルプー近郊に生まれたこの少年はシャマルパにより密かにインドへ迎えられていた。

一般には17世として公認されているウギェン・ティンレー・ドルジェ師への支持が圧倒的に多いが、タイェー・ドルジェ師とシャマルパ側を支持する人々も無視できない数にのぼる。

ツルプー寺で修行を積んでいたウギェン・ティンレー・ドルジェは、2000年1月突如チベット亡命政府のあるダラムシャーラーに現われ世界を驚かせた。実質的な亡命である(2001年インド政府により公式に難民認定された)。

2002年1月現在、16世の本拠地であったルムテク寺にはどちらのギャワ・カルマパも入っておらず、跡目争いの決着はまだ先のようだ。

この騒動については、

・田中公明(2000.4)『活仏たちのチベット』. ii+210pp. 春秋社, 東京.

に詳しい。

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タイェー・ドルジェ師の本拠地は、New Delhi南部にあるカルマパ国際仏教学院Karmapa International Buddhist Institute(KIBI)。

・KIBI Karmapa International Buddhist Institute(since 1990)
http://www.kibi-edu.org/

こちらもヒマーチャル・ガイドブック没原稿から。

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カルマパ国際仏教学院 Karmapa International Buddhist Institute(KIBI) ཀརྨ་པ་རྒྱལ་ཡོངས་ནང་པའི་གཙུག་ལག་མཐོ་སློབ། karma pa rgyal yongs nang pa'i gtsug lag mtho slob/

いわゆるもう一人のカルマパ17世ティンレー・タイェー・ドルジェ師と彼を擁立したシャマル・リンポチェが主宰する仏教学院。1979年の創建(現在の建物は1994年)。

New Delhi南部、Institutional Areaにある(Qutab Hotel裏手)。クトゥブ・ミナールの観光と組み合わせて訪れるとよい。

ここでは主に外国人を対象にした仏教のレクチャーが長期コース(数年)・短期コースで開催されている。寺院は広い集会堂にシャカ像があるだけのシンプルな造り(2001年当時)。周囲は研修生の宿舎。

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というわけだが、この後、シャマル・リンポチェ14世が2014年に遷化し、タイェー・ドルジェ師のニュースもあまり聞かなくなった、と思っていた矢先のこのニュースでした。

結婚されたということは、破戒となるため僧籍には居られません。よって還俗されることになります。

といっても、チベット仏教、特にニンマパ/カギュパ/サキャパには俗人のリンポチェはたくさんいらっしゃいます。還俗されて、宗教活動もやめてしまわれる方もいますが、その多くは行者として宗教活動を続けます。

特にギャワ・カルマパという大名跡で、カルマ・シャマルパ教団のトップですから、やめられないでしょう。

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しかし、よくこれが許されたものです。タイェー・ドルジェ師の意志がよっぽど強かったのでしょう。

何はともあれ、まずは、おめでとうございました、とお祝い申し上げます。

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