2015年4月29日水曜日

ネパール大地震 USGS Shake Map Updated

USGSの震度分布図が改訂されています。

M7.8  34km ESE of Lamjung, Nepal  15.0 km deep
最大メルカリ震度IX
2015-04-25 06:11:26 (UTC)-ロンドン
2015-04-25 11:56:26 (NPT)-ネパール
2015-04-25 15:11:26 (JST)-日本
http://earthquake.usgs.gov/earthquakes/eventpage/us20002926#general_map


















Kathmandu周辺の太赤コンター(8.5?)が消えて、一見震度は小さくなっているように見えるかもしれませんが、その下の細いオレンジコンター(VIII)の範囲が南側にかなり広がっています。特に南部のSiwalik山地内で最大震度となっているのが注目されます。

それにしても強い揺れの範囲が東西に長い。プレート境界が広い範囲で動いていることが実感できます。

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日本にいて我々ができることは限られています。物を届けようとするのは効率が悪いです。今は募金するのが一番でしょう。

どこに募金したらいいかわからない、とか、手間がかかる、と思う方は、近所のネパール料理屋へ行くだけでもいいです。

少し遠回りになるかもしれませんが、思いもお金もきっとネパールに届きます。

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自分のblogやTwitterに、地震前のネパールの美しい姿をアップするのもいいでしょう。ネパールの復興を人々に訴える力になるはずです。

2015年4月26日日曜日

ネパール大地震 本震と余震

ネットを見ていると、USGSの推定震度分布図を示す方がいますが、一部、本震と余震の混同が見られるようです。

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こちらが本震
M7.8 - 34km ESE of Lamjung, Nepal
最大メルカリ震度IX
2015-04-25 06:11:26 (UTC)-ロンドン
2015-04-25 11:56:26 (NPT)-ネパール
2015-04-25 15:11:26 (JST)-日本
http://earthquake.usgs.gov/earthquakes/eventpage/us20002926#general_map
















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こちらが余震
最大メルカリ震度VII
M6.6 - 49km E of Lamjung, Nepal
2015-04-25 06:45:21 (UTC)-ロンドン
2015-04-25 12:30:21 (NPT)-ネパール
2015-04-25 15:45:21 (JST)-日本
http://earthquake.usgs.gov/earthquakes/eventpage/us2000292y#general_map
















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本震はKathmanduで最大震度を記録していますが、余震は震央のLamjungで最大震度です。

震度はやや小さいとはいえ、余震の方もかなりの地震です。情報が全く伝わってこないLamjungほか、地方の被害も心配されます。

Kathmandu盆地の地質と断層

Kathmandu盆地はかつて湖でした。その時代は二期に分かれ、約5百万年前~約30万年前の古期Kathmandu湖(地層はLukundol層)、約3万年前から約1万年前の新期Kathmandu湖(地層はGokarna層、Thimi層、Patan層など)。いずれも歴史時代以前の話。

今ではその湖は堆積物で埋められ、盆地となっています。これらの地層はその上には何も乗っかっていませんから、圧密を受けておらずガサガサのまま、いわゆる軟弱地盤です。

それらの堆積物の厚さは最大約700m。思ったよりも厚いですね。














吉田&ウプレティ(2006)図9

参考:

・Chandra K. Sharma (1990) GEOLOGY OF NEPAL HIMALAYA AND ADJACENT COUNTRIES. vii+479pp.+pls. Sangeeta Sharma, Kathmandu.
・木崎甲子郎 (1994) 『ヒマラヤはどこから来たのか 貝と岩が語る造山運動』(中公新書1190). ix+173pp. 中央公論社, 東京.
・K.S. Valdiya (1998) DYNAMIC HIMALAYA. xv+178pp. Universities Press (India), Hyderabad.
・吉田勝 & B.N.ウプレティ (2006) 中部ヒマラヤ巨大地震とカトマ ンズの危機. 地学教育と科学運動, no.53[2006/12], pp.41-51.
http://ci.nii.ac.jp/els/110007160227.pdf?id=ART0009112755&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1430002214&cp=

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新期Kathmandu湖の変遷をヴィジュアル的に見せてくれるエッセイがこちら。Kathmandu盆地が湖であったことが実感できますよ。

・NEPALI Times > BLOGS : KUNDA DIXIT > eastwest with Kunda Dixit > older entries > The lake that was once Kathmandu, Monday, November 12th, 2012
http://nepalitimes.com/blogs/kundadixit/2012/11/12/the-lake-that-was-once-kathmandu/

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さらにその地下はどうなっているのかというと、インド亜大陸がチベット高原の下に潜り込もうと、南から北に向かってギューギューに押しているわけです。

横から押されると、地層は長い時間をかけてグンニャリと曲がってしまいます。これを褶曲(fold)といいます。

変形が褶曲ではまかないきれなくなると、地層はブツッと切れてしまいます。これが断層(fault)です

その結果、チベット高原側の上盤がインド亜大陸側の下盤に乗り上げ、数多くの逆断層(reverse fault)が生じています。逆断層のうち低角のものを、特に衝上断層(thrust)といいます。

ヒマラヤ山脈は、褶曲とこの衝上断層で地層が折り重なることによって、地層が横方向に圧縮されて高くなったものです。

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このヒマラヤの衝上断層は北側のものが一番古く、そちら側での地層の圧縮が限界に達すると、南側に新たな衝上断層が出来ます(ジャンプする、といいます)。ヒマラヤの歴史はこの繰り返しです。

ヒマラヤの主な衝上断層は、北から順に(すなわち出来た年代が古い順に)

ITS(Indus-Tsangpo Suture、インダス-ツァンポ縫合帯)
MCT(Main Central Thrust、主中央衝上断層)
MBT(Main Boundary Thrust、主境界衝上断層)
MFT(Main Frontal Thrust、主前縁衝上断層)あるいはHFT(Himalayan Frontal Thrust、ヒマラヤ前縁衝上断層)

と並びます。いずれも東西2000km近く連続する大断層帯です。

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吉田&ウプレティ(2006)図3

今回の地震の震源地Lamjungのあたりの地表は、ちょうどMCTが通ってる場所です。しかし震源は15km程ですから、この地表に出ている断層が動いたわけではありません。

MCTが地表に出ている地点から10~20km地下に進むと、MCTよりも前面(つまり南側)に位置するMFTの地下延長部に当たります。おそらく今回の地震は、このMFTが動いたものでしょう。

ヒマラヤの衝上断層の中では、前面(つまり南側)の活動が活発です。そのおかげでMFTとMCTの間にあるSiwalik山地は現在最も激しく隆起を続けています。

局地的な断層で起きた地震(阪神淡路大震災と似た地震)ではなく、プレート境界面断層で起きた地震(東日本大震災と似た地震)ですから、そのエネルギー(つまりマグニチュード)はかなり大きくなります。

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前掲の吉田&ウプレティ(2006)では、当時すでにKathmandu西方の地震空白域を危険視しており、ネパールの地震への備えを訴えていました。そのおかげもあって、近年ようやくネパールの地震の備えも始まりかけていた、その矢先の地震でした。

今回の地震に関する考察については、この論文が非常に参考になります。報道関係の方もぜひこちらに目を通していただきたいと思います。ウェブ上PDFで公開もされていますので、一般の方々もぜひ。

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最後に、ネパールでの犠牲者数がどんどん増えています。あらためて犠牲となった方々のご冥福をお祈りするとともに、いまだ救出を待っておられる方々の無事を願っております。

2015年4月25日土曜日

ネパール大地震の推定震度(改訂版)

USGSによる推定震度です。

コンターの読みが間違っていたので改訂しました。混乱させてすいませんでした。

MM震度分布図
http://earthquake.usgs.gov/earthquakes/eventpage/us20002926#general_map
















もう一つ、こちらは凡例付ですが、コンターはなくカラーリングで表示
http://earthquake.usgs.gov/earthquakes/eventpage/us20002926#impact_shakemap























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これによると、推定最大震度は震央のLamjung県ではなく、Kathmandu盆地周辺です。

メルカリ震度階級でIX 速度=60 - 116cm/s 加速度=202 - 432gal

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・ウィキペディア > メルカリ震度階級(最終更新 2014年10月12日 (日) 09:54)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%AA%E9%9C%87%E5%BA%A6%E9%9A%8E%E7%B4%9A

によると、

IX  破壊的  多くの人が混乱に陥る。頑丈な建造物が一部損壊し、多くの建造物が半壊する。

日本の震度と対応させるのは難しいのですが、加速度に注目すると、河角の式では、日本の震度6(加速度=250 - 400)に相当すると思われます。

ただし河角の式は、今では古いようで、周期によって震度と加速度の関係は変わります。

いずれにしても震度6程度とみていいでしょう。

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なぜ震央よりも、Kathmandu盆地の震度が大きいのかというと、Kathmandu盆地は、大昔には湖だった場所です。地表付近は未固結の泥・砂・礫が分布しており、山岳部に比べて地盤が軟弱なのです。

建築物の耐震基準も、厳密には設定されていないでしょうから、土台が基盤岩に達している建物はないでしょう。Kathmandu盆地での基盤岩の深さもよく知りませんけど。

東日本大震災の時に、震央から遠いにもかかわらず、東京湾沿岸埋立地の被害が大きかったのと似た現象と思われます。

ネパール大地震の震源地Lamjung県

Lamjung県の位置は、Kathmanduの北西約80km。Kathmandu – Pokhara間の北方。ややPokhara寄り、Manasluの麓です。
















Lamjung県については、こちらのページを参照して下さい。

・Wikipedia (English) > Lamjung District (This page was last modified on 18 November 2014, at 01:29)
http://en.wikipedia.org/wiki/Lamjung_District
・Hiroshi Sano / ネパールよいとこ > 36 41 ガンダキ州 > 37 ラムジュン(as of 2015/04/25)
https://sites.google.com/site/neparuyoitoko/36-41-gandaki-zhou/37-ramujun

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1995.1.17阪神淡路大震災、2011.3.11東日本大震災の時もそうでしたが、まず最初に情報が伝わるのは大都市での被害です。

今回もまずKathmanduの被害が伝わっていますが、いちばん被害が大きいのは震央付近です。しかし、大都市から離れていると被害の状況はすぐには伝わりません。ネパール山岳部ではなおさらです。

Lamjung県およびその周囲の方々の無事を祈ります。

ネパールでマグニチュード7.5の地震

柱建て祭りとKumariの話を書いていたのですが、そこに恐ろしいニュースが飛び込んできました。

ネパール首都近くでM7.5の地震 ビル損壊も
2015.04.25 Sat posted at 16:36 JST
http://www.cnn.co.jp/world/35063724.html

震源地はKathmandu西方約80km、震源の深さは約9.7km。かなり浅い。それでM7.5というのはかなりの揺れだったはずです。

Kathmanduではかなりの建物が倒壊しているようです。ネパールの皆様の無事を祈ります。

2015年4月18日土曜日

柱建て祭りとKumari(1) 『処女神 少女が神になるとき』詳細目次

まだ書いている途中ですが、もう始めます。おそらく20回を超えるシリーズになります。

こんなになるとは思っていなかったんだけどなあ。ま、いつものことですが。

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・植島啓司 (2014) 『処女神 少女が神になるとき』. 集英社, 東京.

Kumariを取り上げたTV番組にもしばしば登場する植島先生が、30年に渡る調査研究をついにまとめ上げた著作がこれです。あまり話題になっていないのが残念。本自体も、かなり大きい書店、もしくは学術書に強い書店でないと見つからないかもしれません。

これは、初出が「青春と読書」であることからもわかるように、学術書ではないのですが、かなり学術的な内容ではあります。

立ち位置が中途半端な感じはしますが、私のような中途半端な人にはかえってピッタリ(笑)。失礼。

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調査旅行記を時系列順に並べたものを軸としていますから、旅行記として読むことも出来ます。

途中に、ガルシア・マルケス『百年の孤独』やらナボコフ『ロリータ』などの話が挟まります。論を補足するのに必要なのでしょうが、冗長な感は否めない。

結論には曖昧な部分が多く、Kumari調査・研究がまだ発展途上にあることを教えてくれます。論文や学術書ではなく、こういった一般書として発表せざるを得なかったのは、やはりまだ研究のゴールに達していないからなのでしょう。

「さすがにこの辺でなにか形にしておかないとヤバイぞ」という植島先生の焦りが伝わってきそう。

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詳細目次を作ってみました。この本をきちんと読むには、既存の目次では不充分なのです。

目次(詳細版)

003 はじめに-室生寺にて
007     ネパール語の表記その他について
009 目次
013 第1章 処女神クマリとの出会い
013     01 謎-カトマンズ調査一九八二年
018     02 宗教的象徴の性質
021     03 ネパールの歴史的背景
025     04 ネワール社会と仏教
027 第2章 インドラの祭り(インドラジャトラ)
027     01 クマリの山車を追って
030     02 カトマンズ盆地の祭り
033     03 王権強化儀礼
035     04 クマリジャトラ
039 第3章 百年の孤独
039     01 二人の少女
041     02 過剰と欠落
043     03 カトマンズ調査一九九〇年
048-049 図版1-85
049 第4章 女神の源流を求めて
049     01 クマリの起源をたどる
053     02 処女崇拝
055     03 クマリ伝説
058     04 クマリの両義性
061 第5章 仏教とは何か
061     01 仏教の流れ
063     02 ネパール仏教の特徴
066     03 輪廻転生とは何か
068     04 祭りの終わり-カトマンズ調査一九九六年
071 第6章 美人の条件
071     01 イニシエーション儀式
073     02 クマリの身体的条件
077     03 バダ・グルジュ(高僧)インタビュー
082     04 少女を神に祀る風習
084 第7章 ロリータ
084     01 処女の力
087     02 ナボコフ『ロリータ』
089     03 『ロリータ』の受難
093 第8章 祭りの全体像
093     01 インドラという神
098     02 精霊を呼び戻す-カトマンズ調査一九九九年
104     03 インドラジャトラの起源
106 第9章 美の化身アプロディテ
106     01 男が女になる病気
110     02 愛の女神
112     03 神聖娼婦
116 第10章 ロイヤル・クマリ
116     01 EXクマリ-引退したクマリたち
117     02 フィールドワーク
120     03 歴代のクマリたち
123     04 ロイヤル・クマリの日常生活
124     05 スピリチュアルな輝き
125     06 クマリの分布
128 第11章 エコール(学校)
128     01 映画『エコール』
129     02 EXクマリの実態
132     03 西欧的価値観とクマリ
135     04 イノセント
137 第12章 生き神とは何か
137     01 生き神信仰
139     02 パタンのクマリ
145     03 霊力と神であること
149 第13章 すべての女の子が神になる?
149     01 ネパールの魅力
150     02 中世の気配を残す都市
152     03 バクタプルのクマリ
155     04 ダサインの祭り
159 第14章 聖母マリアの出現
159     01 受胎告知
163     02 マリア信仰の浸透
165     03 大女神崇拝の展開
168 第15章 神はどこからやってきたのか
168     01 カトマンズ盆地の南へ
170     02 ブンガマティのクマリ
172     03 クマリの出自をめぐる伝承
175     04 マチェンドラナート神
177     05 祭りの始まり-カトワルダッハ
179 第16章 インド夜想曲
179     01 インドへ
181     02 インド・ネパール調査二〇〇三年
186     03 そしてゴアへ
189 第17章 カルナマヤの伝承
189     01 想像力
190     02 サヌ・カジ
196     03 ガネシュ・パネジュ
200 第18章 シヴァとマチェンドラナート
200     01 カトマンズ十二月二十四日
202     02 アサ・カジ
205     03 エリアーデの指摘
207     04 神の系譜・縦軸と横軸
210     05 カルナマヤとクマリ
213 第19章 観音菩薩
213     01 観音菩薩アヴァロキテシュヴァラの源流
218     02 水の神、豊穣の神
224     03 観音信仰の伝播
227     04 観音菩薩と日本
230 第20章 もう一つの祭り
230     01 処女神の新たな解釈へ
233     02 ラト・マチェンドラナートの祭り
236     03 祭りの進行-カトマンズ調査二〇〇六年
239     04 祭りの始まり
244 第21章 モロッコへ
244     01 サハラ砂漠
245     02 ラト・マチェンドラナートの大祭
247     03 ブンガマティ-二〇〇三年五月五日~十二日
251     04 クマリの臨在
254     05 神と神を祀るもの
257 第22章 観音菩薩の起源と展開
257     01 大女神信仰の支流
259     02 マチェンドラナートとクマリ
262     03 一心同体の神
265 第23章 インドラジャトラとラト・マチェンドラナートの祭り
265     01 カトマンズ盆地は湖だった
266     02 二つの祭りの関係性
272 第24章 カトマンズの街角で
272     01 仏像工房-カトマンズ調査二〇〇九年
274     02 新クマリたち
278     03 失われていくもの
281 第25章 五〇〇人クマリ
281     01 ゾンクゥ(九十歳のお祝い)-カトマンズ調査二〇一〇年
285     02 インドラジャトラ再び
287     03 カンニャークマリ・プジャ
293 あとがき-処女神よ、永遠に
298 註一覧
298     はじめに、第1~2章
299     第3~4章
300     第5~6章
301     第7章
302     第8~9章
303     第10~11章
304     第12~13章
305     第14~15章
306     第16~18章
307     第19~20章
308     第21~23章
309     第25章
310 主要参考文献一覧

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これで、本書の内容が把握しやすくなりました。

索引も必要なのですが、こちらは100ページまでやったところで飽きました(笑)。

今回は、長いのでこれだけです。

2015年4月17日金曜日

岩波文庫『チベット仏教王伝』を買ってきました

・ソナム・ギェルツェン・著, 今枝由郎・監訳 (2015) 『チベット仏教王伝 -ソンツェン・ガンポ物語-』(岩波文庫33-498-1). 414pp. 岩波書店, 東京.
←チベット語原版:ས་སྐྱ་བསོད་ནམས་རྒྱལ་མཚན༌ sa skya bsod nams rgyal mtshan (1368) 『རྒྱལ་རབས་རྣམས་ཀྱི་འབྱུང་ཚུལ་གསལ་བའི་མེ་ལོང་ཆོས་འབྱུང་། rgyal rabs rnams kyi 'byung tshul gsal ba'i me long chos 'byung/(諸王統の由来を明らかにする鏡であるところの仏教史)』.
→略称:『རྒྱལ་རབས་གསལ་བའི་མེ་ལོང་། rgyal rabs gsal ba'i me long/ (王統明示鏡)』.
のうちソンツェン・ガムポ時代までを邦訳したもの

を買ってきました。

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不思議なことに、訳者の方々は17日発売と思っておられるようですが、岩波書店のサイトでは16日発売となっていますし、現に紀伊國屋書店にはもう並んでいました。

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まだパラパラ読みですが、とても読みやすい。これはチベット史やチベット仏教に興味がある人だけにではなく、一般の方にも「読み物」としてお勧めできる本ですね。

そもそも『王統明示鏡』は、仏教史・歴史書でありながら「物語」の要素が強い本で、とにかくおもしろい。いや、おもしろすぎるのです。チベット史書の『史記』と言っていいでしょう。

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現在、チベット史研究者の間では、「吐蕃史」といえば敦煌文書に基づいた歴史になりますが、チベット人が語る「吐蕃史」を見てみると、今もこの『王統明示鏡』に基づいた歴史が幅を利かせています。

いうなれば、チベット人と、歴史について意思疎通を図る上では『王統明示鏡』は基礎知識なのです。

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とはいえ、無理して最初から最後まで読む必要はないです。手元に置いて、興味のあるところをときどき読むだけでも、ジワジワとチベットの風が体に染みこんできますから大丈夫。

でもまあ、読みやすい文章ですから、あっという間に全部読めるとは思いますが。

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実はここしばらくは、「Kathmandu盆地の柱建て祭りとKumariの話」を延々書いています。自分で書いておきながらなんですが、話が長すぎですね。

で、先日アーカラマティシーラ(ཨཱཀ་ར་མ་ཏི་ཤཱི་ལ་ Aka ra ma ti shI la)の四自生観音像の話を書き終えたばかりだったので、ちょうどいい機会ということで、『チベット仏教王伝』を取り上げたわけでした。

柱建て祭りとKumariの話も、まだ完結していませんが、もう始めようかと思います。頭の中では完結していますから、ゴールまで行けるでしょう(ブルシャ話もこんな感じでしたから)。

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途中まで書いたものの、筆が進まず、腐りかけてるテーマもかなりあります。そうならないように、踏ん切りつけて始めましょうかね。

ちなみに書きかけ・腐りかけのテーマには、こんなのがあります(比較的進んでいるものだけ)。

・スピティ・ギューのお話(ほぼできているので、そのうちタイミングを見て出します)
・シャンシュン語辞書のお話
・ジュゼッペ・トゥッチ先生のTV番組と伝記
・「犬になった王子」の分析
・ギャロンTV番組
・ブロクパの神話
・大タシゴマン・チョルテン巡り
・フンザのTV番組
・Martin BrauenのDREAMWORLD TIBET

いつ出てくるんでしょうかね(笑)。

2015年4月10日金曜日

ヒマーチャル小出し劇場(27) Bharmaur ChaurasiのLakshana Mata

Chaurasi寺院群にはまだまだ見どころがあります。すごい場所なんですよ。






















Lakshana Mata(लक्षणा माता)入口。驚愕のファサード(建物正面)です。もはやドアフレーム装飾の役割をはるかに超えています。やりすぎ!

ラダックのアルチ・チョスコル(ཨལ་ལྕི་ཆོས་འཁོར་ al lci chos 'khor)のドゥカン(འདུ་ཁང་ 'du khang)入口などを思い浮かべる人が多いと思いますが、そちらは11世紀のもの。

Lakshana Mataは700年頃の建立で、こちらが圧倒的に古いです。こういった凝った木彫はカシミールから伝わった、と考えられています。カシミールはイスラム化してしまったために、古い仏教・ヒンドゥ教木造建築が残っていないのですね。その失われたカシミール建築・彫刻の片鱗を知ることができる貴重な場所なのです。

もっとも、この彫刻多重ドアフレームは、インドではグプタ朝時代から現れます。カシミールが発祥の地というわけではありません。

2015年4月3日金曜日

チベット文字の略字

今回は、チベット文字表記が見れない方にはちょっとつらい話題。Wylie表記でもなんとか伝わるよう頑張ってみましょう。

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chimeyさんのtwitterで面白いものを見ました。ある方のtweetで、

ཚོཊ་ とか རིཊ་ とか བཞུཊ་

なんていう字が出てくるのです。これ読めますか?

Wylie転写に直すと、それぞれ

tshoT  riT  bzhuT

になりますが、これじゃなんだかわかりませんね。それも当然。これはチベット文字の略字なのです。

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ཚོཊ་ tshoT → ཚོགས་ tshogs の略字
རིཊ་ riT → རིགས་ rigs の略字
བཞུཊ་ bzhuT → བཞུགས་ bzhugsの略字

というわけです。

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□གས་ □gs がなんでまた □ཊ་ □T で表されるのか、その理由は定かではありませんが、よく見かける略字です。

頻出する綴りが省略されるのは、いつの時代も同じと思われますから、この略字も起源はかなり古いと思っています。

でも、手書きや版本でどの程度昔まで遡れるのか、私は知りません。私は近年の印刷物で見て知っているだけですので。

研究テーマとしてもけっこう面白そうなんですが、論文があるのかないのかも全然わかりません。

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私が近年の印刷物で拾った略字を、いくつか挙げておきましょう。

ལཊ་ laT → ལགས་ lags (~様、~です)

これはさっきのと一緒ですね。これが一番多いような気がします。

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བཀྲིས་ bkris または བཀྲས་ bkras → བཀྲ་ཤིས་ bkra shis (吉祥)

こんなのまで略すんですね。確かによく使われるので、面倒といえば面倒ですけど。

はじめて見た時は、いくら探しても辞書にないので???だらけになりましたが、何度か見るうちに文脈からようやく略字と気づいたのでした。

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tshuod → ཆུ་ཚོད་ chu tshod (時刻、時計)(追記2)
<Web上ではうまく出ないようなので画像にしました。Word上では大丈夫なんですが>

一つの子音に母音記号が二つつくことはないのですが、略字の場合は平気です。字体の似た「ཆ cha」と「ཚ tsha」まで重ねて省略しちゃっています。

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buo → བུ་མོ་ bu mo (娘、女の子)
<これもうまく出ないので画像で。もちろんWord上はOK>

これも母音記号二つの例です。いくらよく出てくるとはいえ、省略が必要なほど大変とは思えないのですが(笑)。

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སྟགི stagi → སྟག་གི stag gi (虎の)

うっかりするとそのまま見過ごしてしまいそうな自然さ。これはもしかすると、ミススペルがそのまま略字として定着したのでは?

そういえば、ゾンカ語(ブータン語)では似たような綴りよく見かける気がする。

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རྡོེ་ rdoe → རྡོ་རྗེ་ rdo rje (金剛、金剛杵)

一見、単なる誤植かゴミかと思ってしまう略字。

「ད da」も「ཇ ja」も字体は似てるし、どちらにも「ra mgo(┬みたいなやつ)」がつく上に、よく出てくる単語なので、略字にしちゃう気持ちもわかりますね。

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སརྒྱས་ sargyas → སངས་རྒྱས་ sangs rgyas (仏、如来)

こんな大事な単語、略していいんでしょうか(笑)。

でも考えてみりゃ、日本でも「佛」を「仏」と簡略化してるし、人のことは言えませんね。

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skuo → སྐུ་ངོ་ sku ngo (貴下、お殿様)
<これも画像で>

重層字にも平気で母音記号が二つついたりします。

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སེངྒེ sengge → སེང་གེ seng ge (獅子)

これも「あー、わかるわかる」って感じです。ツェグを取って重ねただけなので、たいして簡略化できていない気も・・・。

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ལཊསོ་ laTso → ལགས་སོ་ lags so (ございます)

でございました。ラッソー!

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それにしても、こんな略字までスイスイ出してくれるTise – Tibetan Machine Uniはすごい!参りました。

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(追記1)@2016/02/10

三浦順子先生に教えてもらいました。版木の端まで彫って、二字彫らなきゃいけないのに一字分しかスペースがない場合、たとえ短い単語であっても略字を使わざるを得ないケースがある、とのこと。

なるほど、彫ってる最中にそういう場面に出くわしたら使うでしょうね。納得しました。

三浦先生ありがとうございました。

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(追記2)@2016/02/11


ありゃ、よく見るとchu tshodおよびその略字tshuodの綴りを、それぞれchu tsho、tshuoと間違っているではありませんか。今頃気づいた。というわけで訂正しました。