2012年4月28日土曜日

ヒマーチャル小出し劇場(6) インドのリンツァン

以前、ラダック/フンザなどのケサルについて書きました。そのときにはカム・リンツァンのケサル王については触れませんでしたが、そちらはいずれ詳しく書くつもりです。

リンツァンおよびその周辺から亡命した人たちが作った居留地がインドにあります。それがデーラー・ドゥーン郊外にあるこのカム・リンツァン居留地。

ここはヒマーチャル・プラデシュ(HP)州ではなく、東隣りのウッタラーンチャル州になるのですが、同州の西はずれに位置しHP州にごく近いので、この項目で触れてもいいでしょう(ヒマーチャル・ガイドブック没原稿にも入れていました)。

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ケサル王の故郷から来た人々だけに、小学校も「Ling Gesar School」という名。

人口は250人ほどとごくごく小さい村なのですが、僧院がなんと3つもあります。実にチベットらしい光景。

まず、サキャパ支派ンゴルパの総本山ンゴル・ゴンパ(のインド版/ンゴル・マゴン)。続いてカルマ・カギュパのリンツァン・カルマパ・ゴンパ。そしてボン教僧院ザ・モンギャル・ゴンパ。

ンゴル・マゴン













村の真ん中には巨大なナムギャル・チョルテンがそびえています。はためく大量のタルチョの下、老人たちがグルグルとコルラ。故郷への望郷の思いをひしひしと感じました。
ナムギャル・チョルテン
















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小出し劇場のはずなのに、なんだかじわじわと文章量が増えてるな。

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(追記)@2012/05/03
リンツァン居留地の方によるblogがありました。

・Kunzang Dorjee Barling / Tibetan Kham Lingtsang Society
http://lingtsang.blogspot.jp/ 

2012年4月24日火曜日

全くもって失礼なチベット珍本 『動乱の曠野』 の巻(2)

さて、『動乱の曠野』の「第4話 最後の秘教」のあらすじを紹介すると・・・

と、その前に、チベット・ファン、ダライ・ラマ法王ファンは怒らないでね。それから著者もすでに亡くなって久しいので、関係者に怒りをぶつけたりもしないでね。

では行きましょう。

と思いましたが、ネタばれを嫌う方もいることでしょう。あらすじはコメント欄に入れておきます。では、あらすじを読みたい方はそちらでどうぞ。

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(しばらくお待ちください)

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えー、あらすじをお読みになりましたか?そういうお話です。

なんとも電波少年なみに失礼な話ですが、当時はチベットなど遠い遠い世界。ダライ・ラマ法王についても、実在の人物という認識はあるものの「遠い国の偉い人」程度で、おとぎ話の登場人物と大差ない扱いだったのでしょう。

実在の同時代人について、これだけ事実と異なるストーリーを与えておきながら、「ドキュメンタリー」と称して許されていたのですから、おおらかな時代だったんですねえ。

風俗小説家としては濡れ場を入れるのは義務みたいなものですから当然のように出てきます。しかし、その描写は至ってソフトなもので、それほど不快感を感じることはありません。

まさかそのダライ・ラマ法王が、1989年にはノーベル平和賞を受賞し世界的に有名な人物になるとは、著者は想像だにしていなかったでしょう。そのニュースを聞いて清水氏(胡桃沢氏)は頭をかかえたかもしれません。

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この本が出版されたのは1956年10月。1959年三月蜂起~亡命の2年半前です。奇妙なことに、ラサ脱出~亡命という展開や、その脱出ルートまで2年半後の事実とよく似ています。一瞬「予言?」とまで思ってしまいますが、まあ偶然ということなのでしょう。

ダライ・ラマ法王は、1950年には一時チュンビ谷のトモ(གྲོ་མོ་/gro mo/亜東)に避難しています。新聞報道などでその事実を知り、参考にしているのは間違いないでしょう。しかしこの時はインドに入ってはおらず、もちろん亡命もしていません。事実と異なり亡命させ、さらに日本/USAに流浪させたのはどうしてなのでしょう?また、脱出ルートもチュンビではなく、わざわざアッサム経由にした理由も謎です。なにか元ネタがあるような気がしますが、今のところわかりません。

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で、この『動乱の曠野』、そのまま絶版と思いきや、胡桃沢耕史・名義の「小説」として、

・(1985)グリーンアロー出版
・(1988)徳間文庫
・(1992)廣済堂文庫

から三度も再発されています。1989年の法王のノーベル平和賞受賞後にも、平気で再発されているのには呆れますね(笑)。

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この小説について、ダライ・ラマ法王が小耳に挟んだらどうなるでしょうか。おおらかな法王のことです。きっと「はっはっはっ、それはまた愉快なお話ですね」と、一笑に付すに違いありません。さほど大騒ぎするような代物ではなく、「捏造業界では小物」と言っていいでしょう。なにせすぐウソとわかってしまう。

『動乱の曠野』は、1950年代日本人のチベット観を知る上でも面白い資料と思われますが、これまで全く見逃されてきたのはどうしてでしょう?胡桃沢氏が封印していたわけでもなさそうだし。

ツッコミどころは多々あるものの、ネーチュンが出てきたり、客人にカタをかけたり(色は「赤」なのが笑えるが)と、チベット文化も意外に詳しく調べてあります。当時出版された文献を当たっていけば、参考書も特定できそうな気もしますが、そこまでする余裕は今はありません。

とりあえず、「こんな珍品がありましたよ」という報告に今は止めておきますか。

2012年4月20日金曜日

全くもって失礼なチベット珍本 『動乱の曠野』 の巻(1)

先日、2回にわたって「ダライ・ラマ法王TV出演史」をお送りしましたが、その関連本、といっていいのか・・・、とにかく妙な本を紹介しましょう。

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・清水正二郎(1956)『動乱の曠野 世界ドキュメンタリー文庫5』. pp.242. 学風書院, 東京.



┌┌┌┌┌ 以下、清水(1956)カバー裏より ┐┐┐┐┐

始めて[ママ]、明か[ママ]にされた、特務機関の秘録。

ロシヤの美姫を盗み出す男、極北の荒野に四十年の流刑生活を送る日本人、亡命のチベット国王、達頼喇嘛と火の出るような恋に燃える女 アフガニスタン革命を指導する快男児!

すべて今迄知られなかった、ナマナマしい事実をこの書は伝える。

└└└└└ 以上、清水(1956)カバー裏より ┘┘┘┘┘

えー、なんというか、「快男児」なんていう用語が出てくるあたり、もう胡散臭さ満点ですが、安い古本だったのですぐさま購入。中身を読んでやっぱりガッカリ。

そう、これは「ドキュメンタリー」と称する「小説」だったのです(注1)。

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著者の清水正二郎の正体は、後の直木賞作家・胡桃沢耕史。当時は風俗・冒険小説家として頭角を現したばかりで、この本が単独第2作目となります(注2)。

かなり売れた本らしく、その後清水氏はエロと冒険ものを融合させたテイストの小説を連発することになります。

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内容は全4話。

・第一話 ・・・北極海・コーカサス・・・コーカサスの晩鐘(明治三十九年-大正六年)
・第二話 ・・・シベリヤ・蒙古・・・風来坊と軍事探偵(大正六年-大正八年)
・第三話 ・・・アフガニスタン・・・男児涙あり(昭和二年-昭和四年)
・第四話 ・・・チベット・・・最後の秘教(昭和二十八年-昭和三十一年)

どれもツッコミどころ満載なのですが、きりがないので、今回触れるのはチベット、そしてダライ・ラマ法王を扱った第四話だけにします。

といったところで、以下次回。

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(注1)
世界ドキュメンタリー文庫は全16巻。

編集委員に観音寺潮五郎ほかを迎え堂々の刊行。本書発売時には既刊3冊。第4巻とこの第5巻が同時発売のよう。もっとも全巻発売されたのかどうか知らない(あまり調べる気にもならない)。

『動乱の曠野』に挟まっていた、シリーズ月報みたいなもの

・どきゅめんたりいくらぶ事務所(1956) どきゅめんたりいくらぶ No.2[1956/10]. 学風書院, 東京.

から、そのラインナップを紹介しておきましょう

第1巻 戸伏太兵 『湖底の聖地』
第2巻 野村愛正 『カムチャッカの鬼』
第3巻 志摩辰夫 『炎の河』
第4巻 山田克郎 『北洋国際船』
第5巻 清水正二郎 『動乱の曠野』
第6巻 南部隆二 『恐怖の生態』
第7巻 戸伏太兵 『鱶を買収しろ』
第8巻 木村荘十 『爆音(決戦ラバウル)』
第9巻 中沢巠夫 『海賊保険師』
第10巻 関川周 『エスキモー夫婦』
第11巻 野村愛正 『髑髏の開拓地』
第12巻 志摩達夫 『虹の彼方の世界』
第13巻 観音寺潮五郎 『倭寇』
第14巻 中沢巠夫 『氷上の脱走』
第15巻 戸伏太兵 『魔獣の道』
第16巻 関川周 『人食ジャングル』

私には観音寺潮五郎と清水正二郎の名前しかわかりません。1950年代の通俗小説界では著名な方々なのでしょうか?あるいは変名の方も多いのか?

第1巻 『湖底の聖地』の内容紹介は、

「スマトラ土民反乱軍の残裔が守る湖底の大宝殿。ごろつき船の船長三木真治の豪快きわまる冒険実記。」

と、この調子。事実でないのはすぐわかりますね。でも、昭和31年当時は事実として受け止められていたんでしょうか?

この手の「事実と称するフィクション」、「ストーリーの大まかな流れは事実に沿っているが、内容の大半は作り話」といった著作物は「実録もの」と呼ばれることが多いのですが、「実録」という名に反して、事実を求める目的では資料として使いものになりません。小説と同じ扱いで、エンターテインメントとして楽しむだけにしておくのが無難。

「実録もの」の問題や、ドキュメンタリーとして評判の高い著作物だが、実は単なる小説だったり大幅にフィクションが混在しているものなどについては、いずれ改めてやりましょう。主にチベットもので。

偽チベット訪問記(ラウィッツだのイリオンだの)、偽チベット人(ロブサン・ランパとか)などにもいずれ言及したいところ。

(注2)
ちなみに、私が入手した本は某氏への謹呈本で、著者の直筆サインが入っています。

2012年4月7日土曜日

ヒマーチャル小出し劇場(5) スピティの親子



さあ、この子たちはなんでしょう?祭りでツァンパをかぶったわけではありません。ただ一日中外で遊んで、土ぼこりで真っ白になっただけでした。いまどきの日本では、ここまで汚れる子供はなかなか見ないので感動しましたよ。

二人のお父さんがまたユニーク。



怪しげですねえ(笑)。いにしえのヒッピーやベテラン登山家ではありません。宿の主人ですが、本業(?)はニンマパの行者です。スピティでニンマパといえばピン谷になりますが、そのピン谷名物ブシェンでもあります。

子供たちと遊び、オヤジさんとはニンマパの話などもして、楽しい宿でした。村に旅行者は一人もいないし。

2012年4月3日火曜日

ロブサン・サンガイ氏って誰? の巻

今般、チベット亡命政府首相(bka' blon khri pa/カロン・ティパ)であるLobsang Sangayさんが来日されました。

ところが、この方の名前の表記が錯綜しています。困ったもんです。

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欧文での表記は「Lobsang Sangay」に統一されています。

これも実はとても問題のある表記なのですが、本人がそう表記しているのですから、こちらではどうしようもありません。これについては後述。

もっと問題なのは、その日本語表記がバラバラであること。「ロブサン」はOKですが、下の名前がいろいろ。三種類の表記が出回っています。

(1) ロブサン・センゲ
(2) ロブサン・サンゲ
(3) ロブサン・サンガイ

ひどいものになると、同じ記事の中に複数の表記が混在している場合すらあります。

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えー面倒なので、すぐさま正解を示すと(1)が正解です。

そのチベット文字表記+Wylie式転写は、

བློ་བཟང་སེང་གེ
blo bzang seng ge
(ロブサン/ロサン・センゲ)

その根拠はこちらで。

・Kalon Tripa for Tibet - Tibetan Version
http://www.kalontripafortibet.org/Tibetan/

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古いスペックのマシーンをお使いの方(私だ)は、browser上ではこのページのチベット文字が表示されないと思いますが、そういう場合は次のような作業をしてください。

(1) Web上のどこかでチベット文字フォント Jomolhariを見つけてダウンロードし、インストールします。これはフリー・フォントですから安心してください。
(2) Wordなどにこのページをコピーする。
(3) まだ□□□□□□としか表示されませんが、そこでフォントをJomolhariに変えてやります。これでOK。

(追記)@2012/04/06
JomolhariよりTibetan Machine Uniの方が良好なようです。


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「ロブサン・サンゲ(blo bzang sangs rgyas)」という表記もかなり多く見受けられます。その理由は、Wikipedia(一部の言語/ちゃんとしているのもあり)などにそう表記されているから、と考えられます。しかしこれはチベット文字表記からして誤り。要注意。

「ロブサン・サンガイ」、これはアルファベット表記をローマ字読みしただけのもので論外ですね。カッコワルイ。

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そして、アルファベット表記の「Lobsang Sangay」。これがまた問題です。「blo bzang seng ge」を、なぜこのような表記にする必要があるのでしょうか?

これはロブサン・センゲさんが長くUSAで生活していたことと関係していそうです。

英会話では、第一音節の母音に「e」が入る場合、それは「エ」ではなく、「イー」と発音されるケースが多いようです。また語末の「e」もやはり「エ」ではなく「イー」と発音されるのでしょう。

ロブサン・センゲさんも当初「Lobsang Senge」と表記していたのではないか、と推測します。しかし欧米では誰も「センゲ」と発音してくれず、「シンギー」と呼ばれたのではないでしょうか。それで欧米人が比較的原音に近い発音をしてくれる「Sangay(セインゲィ?)」という表記をひねり出したのではないか?と推測します。

これは、そもそも英語の文字表記と発音の乖離に問題があるのですが、皮肉なことにチベット語における文字と発音の乖離は英語の比ではありません。「困ったもんだ」の二乗。

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なお、名前に氏族名・姓氏の要素が入らないチベット人名に「氏」をつけるのは不適当ではないか?という問題については、本blogの2009年3月13日金曜日「ザンスカール・ゴ・スム」の巻 ~西部チベット語の発音(5)ザンスカール語の位置づけ~ の(注4)をご覧ください。

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当blogではあまりナマモノを扱わない方針なのですが、誰もやらないようなので(当方は乾物担当です)。ナマモノ担当の方々よろしくお願いしますよ。

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(追記)@2012/04/04
「Senge」の英語風発音は「シンギー」の他に「シンジ」というのもあるかもしれない。「orange(オゥレィンジ)」みたいに。こうなると、わけがわかりませんね。もっともチベット語の中国語表記では、この程度は日常茶飯事ですが。


(追記)@2012/04/09
ロブサン・センゲのチベット文字表記(Tibetan Machine Uni)を追加した。見えない人はごめんなさい。