この展覧会がなぜ横浜ユーラシア文化館で開かれているかというと、まずこの横浜ユーラシア文化館の由来から。
この博物館は、横浜市民であった江上波夫先生(1906~2002)が横浜市に寄贈した文物・文献を展示し、また利用してもらうために2003年に開館されたもの。
江上先生は、上智大学西北タイ歴史・文化調査団の第3回調査(1973/12~1974/02)に参加されているのです。当時、江上先生は上智大学の教授。とはいえ、このあたりは江上先生は得意分野ではないので、あまり重要な役割ではなかったようですが。
とにかくそういう縁で、今回横浜ユーラシア文化館で、この展覧会が開催されたわけです。さすが、余裕のある自治体は羨ましいですねえ。
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タイ北部の少数民族地帯は、ずっと行きたいと思っているのだが、結局今まで一度も行っていない。ガイドブックや本などは結構たくさん持っているのだが。
その中から少し紹介。
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・地球の歩き方編集室・編 (1990.11) 『タイ北部 山岳民族を訪ねて』(地球の歩き方 FRONTIER 110). 119pp. ダイヤモンド・ビッグ社, 東京.
Art Director : 梅村城次
地球の歩き方シリーズ本編にはならない、行き先としてはまだマイナーな地域(1990年当時)のシリーズが「地球の歩き方FRONTIER」だった。このシリーズはすぐに消えた。
この中から本編に昇格した例も多い(ブータン、モンゴル、ベトナム、ラオスなど)が、これやパプア・ニューギニアなどは昇格できなかった。
この本の内容が、現在のタイ編にどの程度反映されているかは知らない。内容は、かなり気合の入っていて、写真、調査内容とも充実している。この地域では有名人である、三輪隆氏が大々的に協力しているせいもあろう。
もう古くなっている実用情報はさておき、今でも読み応えのある文章・写真・地図がてんこ盛りだ。
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類似本がその後出ていないこともあり、これをいまだに探している人も多いらしい。
ガイドブックってのは地位が低いですからね。古本業界でも大事にされていない。しかし、その分ひょんなとこで安く手に入る可能性もあるのだ。
探してる人頑張れ。これは苦労して入手する価値のある本です。
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表紙はカレンなのだが、ちょっと地味だったかな。タイ北部山岳民族といったら、インパクトがあるのはやっぱりアカでしょう。
というわけで中扉も挙げておきましょう。
同書, p.1
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お次はロンプラ。
・David Bradley (1991.11) THAI HILL TRIBES PHRASEBOOK ; 1ST EDITION (Language Survival Kit).181pp. Lonely Planet Publications, Howerton (Australia).
Bradley先生(1947~)は、Australia MelbourneにあるLa Trobe大学の言語学教授(当時も今も)。だからガイドブック/旅行用会話帳といって馬鹿にしてはいけない。相当にレベルが高い本なのだ。これも他に類書がないし。
ラフ語、アカ(ハニ)語、リス語、モン(ミャオ)語、ミエン(ヤオ)語の5言語会話と、カレン語などが少し紹介されている。
せいぜい数日の訪問・滞在ではほとんど利用価値はないのだが、片言でも現地の言葉をしゃべると「受け」が違う。早く現地に溶け込むには、まず言語を修得するのが一番なのだ。現地に腰を据えようという人にはもちろん必需品。
中国側のラフ語、ハニ語、リス語、ミャオ語、ヤオ語の会話帳というのもあまりいいのがないので、雲南や貴州でもある程度使えると思う。そういう使い方もしてみてほしい。
私も「地球の歩き方」のウイグル語会話帳をウズベキスタンで使ったら、かなり通じた(ウイグル語とウズベク語は、きわめて近縁のテュルク系言語)。
この本は1999年、2008年に改訂版が出ているらしい。意外に売れているのだな。
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さて、この上智大学調査隊だが、1973~74年の調査が最後になっている。
というのも、おそらく1974年にこの地域にクンサーが現れ、治安が悪化したせいではないかと思う。
中国国民党軍の残党であるクンサー(昆沙)は、第二次世界大戦後Burma東部Shan州で活動していた。しかしBurma政府によって1969年に逮捕された。
1974年、タイ政府の働きかけによりクンサーは釈放され、その後はタイ最北部に拠点を移した。で、この地帯は「黄金の三角地帯」と呼ばれ、クンサーが支配する麻薬(ケシ/阿片)栽培地帯となったのだった。
クンサーはさらに1985年にBurma側に拠点を移し、タイ最北部の治安も回復された。この地域に観光客が普通に訪れるようになったのは、その後のことのよう。
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民族学、言語学、少数民族好き、西南中国史に興味を持つ人々や、さらに、アレ好きな人、コレ好きな人など、様々な人々を魅了してやまないタイ最北部。
今回の展覧会は、そんな人々はもとより、これから行ってみようという人にもお勧めできる興味深い展覧会です。是非どうぞ。
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