2009年2月12日木曜日

「ソルヂャ・トン(お茶飲めや)」の巻 ~西部チベット語の発音(1)ンガリー方言~

大上段に振りかぶったタイトルになりましたが、ここではその実例をチョボチョボ挙げるだけですので、あまり参考にはならないはずです。

前回紹介したように、チベット語の単体字のスペルは、基字に様々な添字が上下左右にくっつき非常に複雑な構造を持っています。現代チベット語ではその添字の多くが発音されず、また実際の発音もスペルから大きく乖離したものとなっています。

しかし、チベット文字が開発された吐蕃時代には、(すべてではないが)現在よりもスペル通りに近い発音がなされていただろう、と推測されています。というのは前回までのお話。

その古代チベット語に近い発音が今も残っているのが西部チベットです(注1)。その中でも一番東にあたるンガリー(西蔵自治区阿里地区)のチベット語ンガリー方言では、発音・単語・文法ともウー・ツァン方言とそれほど大きく異なりませんが、国境を越えてラダック、そしてプリク、バルティスタンと、西へ行くほどどんどんよりスペルに近い(一聴して奇っ怪な)発音が現れます。

まず現在の西蔵自治区の最西端ンガリー(注2)を見てみましょう。

チベット語ンガリー方言は、チベット語では「stod skad(トゥーケー/「上手(西の)ことば」の意味)」とか、中国語では「阿里蔵語/阿里方言」などと呼ばれます。

ンガリー方言は、言語学上はチベット語中央(ウー・ツァン)方言に分類され、意外なことにウー・ツァン方言とはそれほど違っていません(注3)。

実際接してみても、単語、文法はウー・ツァンと大きく違っているような感じは受けませんでしたね。ラサ方言をベースに作られた会話帳(注4)を使っても違和感は特になし。

ただ末尾子音が消滅したり、ある末尾子音の前で母音がウムラウト化する傾向はウー・ツァン方言ほど明瞭でなく、またスペルに近い発音もかなり残っています(単語あるいは話者によりますが)。

例 : sol ja=お茶(「茶」のていねいな言い方)
ラサ方言→スーチャ
ンガリー方言→ソルヂャ

「ル」はごく弱く、「ゥ」みたいな感じで微妙な差ですが。「ja」は少し濁り「ヂャ」でしたね。

例:sgor mo=お金
ラサ方言→コモ
ンガリー方言→ゴルモ

これも「ル」はごく弱く発音されます。

例:dmar po=赤い/dkar po=白い
ラサ方言→マーボ/カーボ
ンガリー方言→マルポ/カルポ

この辺はわりときっちり「r」を発音していたような気がします。

私はだいたいウー・ツァン方言よりもンガリー方言を聞いたりしゃべったりしてチベット語会話をおぼえた口ですので、チベット語のカタカナ表記の際もそれに倣い(ほぼ無意識に)こういった子音をはっきり表記する傾向があります。それは必ずしも標準的な表記(主にウー・ツァン方言に基づく表記)とは一致しない場合も多いので、その辺ご了承下さい。

グゲ遺跡がある「rtsa hrang」はウー・ツァン方言では「ツァラン」になりますが、現地では「ツァフラン」程度だったような気がします。実際はこの名前よりも「gu ge」=「グゲ(遺跡)」と呼ばれるケースが多いので、この地名はあまり聞く機会がありません。

「rtsa brang」というスペルもあります。これだと「ツァブラン」になり、これを17世紀のポルトガルの宣教師たちは「Tshaparang」と記録しています(注5)。ウー・ツァン方言で読むと「ツァダン」ですが、そういう呼び方は聞いたことありませんね。

中国語の漢字表記でも「扎布譲[za bu rang]」。実際にはあまり聞く音ではないのですが、古来有名な地名なので古風な呼び方がそのまま固定してしまったのかもしれません。「bla brang=高僧の住居(アムドの地名にもある)」をラダンと読まずにラブランという古風な読みで固定しているのと同じように。

一方、ンガリーの南の町「spu hrang」も同じような読みをするはずなのに、こちらは「プラン」ですね。「スプフラン」という発音はさすがに聞きません。

とまあ私が指摘できるのはほんの僅かな例ですが、あと声調がラサほどきつくないこともあって、全体に「なまってる」「どんくさい」印象はあります。まあそれでも、ウー・ツァン方言と極端に違うと感じるほどではないでしょう。

ところが、これが国境を越えてラダックに入るとかなり違いが大きくなってきます。発音だけではなく単語もかなり異なってきます。

日本語方言に当てはめてみると、ラサ方言を標準語とすると、ンガリー方言は北関東弁くらいの違いでしょうか。一方ラダック語になると標準語と津軽弁くらいの差はあるでしょう。

というわけで、次回はラダック語の発音。

これはおまけです。「ンガリーのダウンタウン」(2009/02/15追記)



(注1)
本blogでは、「チベット=現在の中国国内でチベット人(チベット語話者)が住む地域=いわゆる大チベット」の意味で主に使います。つまりウー・ツァン、ンガリ、カム、アムドを含む地域です。

中華人民共和国の行政区分「西蔵自治区」のみをさす場合は「西蔵自治区」あるいは「西蔵」と表すことにします。

「チベット文化圏」という場合は、これに加え「中国国外のネパール・ブータン・インドでチベット系民族(チベット系言語話者)が住む地域」を含みます。しかし、時には「文化圏」を省略する場合もあります。今「西部チベット」と書いたその「チベット」は厳密には「チベット文化圏」の意味になります。


地図 : チベット文化圏の広がり/中国の行政区分/ンガリーの位置(2009/02/15追記)

(注2)
ンガリー=mnga' ris。現・西蔵自治区の最西部。中国の行政区分では阿里地区に当たる。

ンガリーの原義は「mnga'(支配/統治)」+「ris(境界を定める)」で「領土」の意味。643or44年に吐蕃が、西部チベット一帯を支配していたシャンシュン王国を滅ぼした後、吐蕃の植民地・新領土として、この名で呼ばれるようになった。

10世紀に西チベットに落ち延びた吐蕃王家の末裔skyid lde nyi ma mgon(キデ・ニマゴン)が征服した領土は、三子が分割して相続した。この領域をmnga' ris skor gsum=ンガリー・コルスム=「西チベット三領域」と呼ぶ。これはラダック、ザンスカール、スピティ、キナウル東部などを含んだもの。

しかし現在インド領内に入っているラダック、スピティ、キナウルなどはそれぞれの地域名で呼ばれることが多く、単にンガリーと云えば、そういった特徴的なローカル名のない現・西蔵自治区内の西チベットだけをさす場合が多い。

中国語の「阿里地区」と同じとみなしてもいいが、阿里地区北部~東部のゲルツェ(sger rtse/改則)県やmtsho chen(ツォチェン/措勤)県あたりは、もともとンガリーに入っていたのかどうか怪しい。


地図 : ンガリー・コルスムの範囲(2009/02/15追記)

(注3)
チベット語方言の分類には諸説あるが、ここでは

・西義郎 (1987a) チベット語の方言. 長野泰彦+立川武蔵・編著(1987)『北村甫退官記念論文集 チベットの言語と文化』所収. p.170-203. 冬樹社, 東京.

に従う。

ンガリー方言がウー・ツァン方言と同じグループに分類できることを明らかにしたのは、

・瞿靄堂+譚克譲(1983) 『阿里蔵語』. pp.III+409. 中国社会科学出版社, 北京.

西(1987a)の分類もこの調査結果を利用している。なおそのより詳しい内容については、

・西義郎 (1987b) 現代チベット語方言の分類. 国立民族学博物館研究報告, vol.11, no.4[1987/3], pp.837-901+pl.1.

を参照のこと。

(注4)
チベット語会話帳には、

・星泉+浅井万友美(2005) 『旅の指さし会話帳 65 チベット(チベット語)』. pp.128. 情報センター出版局, 東京.
・Sandup Tsering (2002) TIBETAN PHRASE BOOK (3RD EDITION). pp.256. Lonely Planet Publications, Hawthorn(Australia).

など、今は優秀なものがたくさんあるのでお好きなのをどうぞ。

私は昔、『地球の歩き方チベット』の初期版で、坪野和子さんが作った手書きの会話帳にだいぶお世話になりました。

(注5)
・山口瑞鳳(1987)『東洋叢書3 チベット 上』. pp.xix+337. 東京大学出版会, 東京.

p.250掲載のスペル。

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(追記@2009/02/12)
チベット文字「nga」の発音は「鼻濁音の<ガ>」だが、日本語にはこの鼻濁音を表記する方法がありません。

このblogでは「ンガ」と表記しますが、「ン」+「ガ」とはっきり分離しているわけではなく、「これが●●です」とか「年賀」の「が」のような発音。

「nga」と「ga」を区別せず「ガ」と表記する人、「カ゚」と表記する人もいますが、「ンガ」も含めどれも最適とは言い難い上に統一もされていません。ですから「mnga' ris」も、「ンガリー」だったり「ガリー」だったり「カ゚リー」だったりするわけです。

日本語研究の誰か偉い人に鼻濁音を表すよい表記を発明してもらうまで、このバラバラな状況が続くのでしょう。

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(追記2@2009/02/15)
文章だけではわかりにくいと思われる(注1)、(注2)に地図を追加した。また文末のおまけに、ンガリーの人々の写真も追加。

2 件のコメント:

  1. >私は昔、『地球の歩き方チベット』の初期版で、坪野和子さんが作った手書きの会話帳にだいぶお世話になりました。

    どうもありがとうございます<(_ _)>

    あの当時、チベットガイドは専門的か中国まんまだったので、
    あんなものでも画期的だったんですよぉ~っ お恥ずかしい。

    昔の仕事が役に立ったとおっしゃる方がいらして、
    とっても感激しています。

    じぇ~よんっ☆

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  2. 坪野先生、コメントありがとうございます。

    当時のガイドブックは2年連続で使ったのでボロボロになりました。チベット人がバターだらけの手のまま、みんな楽しげに見るので、デロデロにもなりましたね。

    会話帳の部分は特に興味津々で、みんな頼みもしないのに読みあげてくれるので、それだけでだいぶ勉強になりましたよ。

    すっかり汚くなりましたが、記念にまだ大事に持っていますよ。

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