引き続き、試運転用の投稿です。某地域ガイドブック用ボツ原稿より。試運転ですから、わかりにくい用語なども一切補足はしません。今後改訂あるいは削除の可能性大。参考・引用に不適。
↓以下、試運転用投稿・・・
キナウルの歴史
◆民族のるつぼ
インド神話上の精霊「キンナラ(緊那羅)」はキナウル人が尊格化されたものという説がある。
この地域最初の住民はオーストロアジア系ムンダ民族。ムンダ系の血は指定カーストの人々に色濃く残っている。
次に現れるのがキラータ系民族(モンゴロイド)。キナウル語はラーホール諸語などと共にヒマラヤ諸語に分類され、ヒマラヤ南麓のモンゴロイドが話す言語(ネワール語など)と同類。
続いて現れるのはコーカソイド・カース人(Khasa)。インド・アーリア人とは別ルートで中央アジアからインド北西部に入った(紀元前2千~千年紀)人々。下キナウルの人々はカース人の末裔とみられている(言語はキナウル語)。
◆古代(~9世紀)
当初の村落国家の分立状態から、次第に広範囲を支配する豪族「Thakur」が各地に現れる。あちこちに残る高層角塔の砦跡は村落間、タクール間の抗争を物語る遺物。
タクールの中から一歩抜きん出たのがブシェール王。王国の成立は415年といわれる。ガルワールから来訪したバドリーナート(ヴィシュヌ)神が、バスパー谷を手始めに中~下キナウルのタクールを制圧。シムラー丘陵東部のバーナスル王(神)も討伐し広い範囲を統一した。そしてヴァラーナシから招いたプラドゥーマンという人物を王位につけ、自身は神としてカームルーに祠られた。これがブシェール建国神話。当初はカームルーを都としたが、10世紀にサラハン遷都。
古代の西チベットには「シャンシュン」という王国があった。サトレジ川上流のキュンルンに都を置き栄えていたが、644年に吐蕃王国に滅ぼされた。西チベットにもチベット人が移住し始め、人々も徐々にチベット化していく。
◆中世(10~14世紀)
吐蕃王国は842年に滅び、チベットは群雄割拠の時代に入る。920年代、吐蕃王家の末裔キデ・ニマゴンが西チベット一帯を征服しグゲ王国を建てた。この際、上キナウルとスピティはグゲ領となったようだ。
グゲ王国は10世紀末~11世紀末に仏教復興を推進し、多くの寺院を建てた。その指導者は王位を辞して出家したイェシェ・ウー(947-1024)と訳経僧(ロツァワ)リンチェン・サンポ(958-1055)。上キナウルを含む西チベット一帯には当時建立された古い寺院が多数残っており、「108のリンチェン・サンポの寺」として知られる。
隆盛を誇ったグゲ王国だが、12世紀に入ると内紛や異民族の侵略で次第に衰えていく。当時のキナウルの状況もよくわかっていない。
◆近世・近代(15~18世紀)
15世紀に入るとグゲ王国が復興し、上キナウル~スピティには再びグゲ王の権威が及ぶ。そして新興ゲルクパの寺院が盛んに建てられた。
16世紀後半ラダック王国が領内を統一し、急速に勢力を伸ばす。1630年にはグゲ王国を滅ぼしその領土を併合。スピティと上キナウルもラダック領となった。
ブシェール王国は17世紀初、Chattar Singh王が周辺地域を征服し、強力な王権を行使する。
1679年、ラサの新興ダライ・ラマ政権とラダック王国の間に戦争が勃発する(チベット・ラダック戦争)。チベット軍は旧グゲ領を奪取し、ラダック領内に侵攻した。
この際にブシェール王Kehri Singhはチベット軍を支援し上キナウルを占領。1683年の戦争終結後正式に併合。これでキナウル全域がブシェール領となった。ブシェール王国は西チベットとの羊毛貿易権も獲得し、かつてない繁栄の時代を迎えた。
ブシェール王国は18世紀半ばラーンプルへ遷都するが、「Wazir(Bisht)」と呼ばれる大臣たちの専横が著しく、王権は衰えていく。1811~15年、ラーンプル~サラハンはネパール・グルカ軍に占領され、王家は古都カームルーに避難。イギリス軍の援助を得てようやくグルカ軍を撃退したものの、その代償としてイギリスの保護国となってしまう。
◆現代(20世紀~)
19~20世紀になるとブシェール王国は近代化に後れをとりその重要性を失っていった。
第二次世界大戦後、インド独立を受け1948年4月ブシェール王国は他のヒマーチャル諸国と共にインド連邦へ参加。キナウルを含む旧ブシェ-ル領はHP準州マハスー県の一部となった。1960年にはキナウル県が分離。旧ブシェール領西部はシムラー県の一部となり現在に至る。
1962年には中印国境紛争が勃発。これにより国境は閉鎖。チベットとの交易に依存していたキナウル経済は大きな打撃を受けた。キナウルは軍事拠点化され入域禁止となる。外国人旅行者に開放されたのは1993年であった。
1990年代後半にはシプキ・ラ、スムドで対中国貿易が限定的に再開されたが、ごく小規模なものでキナウル経済への影響はまだまだ小さい。
写真1:コーカソイド(カース系)の血が濃い下キナウルの人々
写真2:10~11世紀の仏像@ロパ
写真3:ブシェール王国の古都カームルー
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