2009年2月23日月曜日

あむかす 『ラダック語会話テキスト』

前回のエントリーでラダック語会話帳を二つ紹介しましたが、一つ紹介しなかったものがあります(注1)。それがこの

・土屋守・訳(1982) 『あむかす・旅のメモシリーズ no.572 ラダック人が作ったはじめてのラダック語会話テキスト』. pp.121. あむかす事務局, 東京.

紹介しなかったのは、現在入手はまず不可能、という理由からです。が、やはりパイオニアの仕事には敬意を表し紹介すべき、と思い直し、書いておくことにします。

「あむかす」という名は、「Aruku(歩く)+Miru(見る)+Kiku(聞く)+Amoeba(アメーバ)+Shudan(集団)=AMKAS」というのがその由来。主宰の伊藤幸司氏を中心に大学山岳部や探検部のOBが集まり、1975~89年にかけて89冊のガイドブックや紀行本を発行していました。

あむかすシリーズは手帳サイズの小冊子で、本文は手書き、装幀も色厚紙にタイトル・著者名がある程度で、手作り感あふれるシンプルなもの(山岳遠征隊報告書にも似た作りで、同組織の出自がうかがえる)。

「あむかす」という組織やその出版物についてより詳しくは、その伊藤氏のサイトにあるプロフィール

・糸の会・登山コーチングシステム > 伊藤幸司(いとう・こうじ)略歴
http://homepage2.nifty.com/ito-no-kai/302_notes/050211_ito%20koji/050211_koji.html

・アジア文庫 > 前川健一 アジア雑語林(208)2007年12月19日 1970年代のミニコミと建築家
http://www.asiabunko.com/zatugorin201_210.htm

をご覧になるといいでしょう。

あむかすシリーズや近畿日本ツーリスト広報誌「あるく・みる・きく」に発表された記事については、いつかまた書く機会もあるでしょうが、今は先に進みます。

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そのシリーズの一冊として1982年に刊行されたのが、この土屋守・訳 『ラダック語会話テキスト』。

no.501から始まるシリーズ89冊中no.572ですから、シリーズも後半。同シリーズは1984年頃から刊行頻度がぐっと落ちていきます。

名義には訳者の名前しかありませんが、内容はインドの言語学者Sanyukta Koshalが調査・作成したものがもとになっています。土屋氏がラダックでKoshal氏と会い懇意となり、当時刊行のめどが立っていなかったこの会話集の草稿を譲り受け、これに和訳を付して刊行したもののようです。

一方、Koshal氏の著作としてもその後無事に

・Sanyukta Koshal (1982) CONVERSATIONAL LADAKHI. Motilal Banarsidass, New Delhi. → Reprint?: (1983) Asian Humanities Pr.

として刊行されたもよう(未見)。

内容は、「バザールで」など、様々なシチュエーション別に想定会話例を数多く収録したもので、現在ある会話帳のようなマニュアル的な作りではありません。フレーズを棒読みして実際の会話に使う、といった利用はしにくく、内容を理解した上で自力でフレーズを作り出す必要があり、応用力が要求されます。

チベット文字表記-アルファベットによる「音写」-和訳、という構成になっており、本blog的には、アルファベットによる「音写」が貴重です。今はラダック旅行も容易でラダック口語に触れることもそれほど難しくありませんが、1982年当時はラダック口語文法・発音の資料としてはかなり貴重なものであったはずです。

日本では、この資料を活用してくれるラダック語研究者は現れませんでしたが、今に至るも会話例をこれほど豊富に記録した資料は他にないのですから、この本を骨までしゃぶる気になれば、今でも相当使いでがあるはずです。というか、この本はその価値に比して充分活用されていない、もったいない状態が20年以上続いている、という感じでしょうか。

Koshalの著作もなかなか入手困難なだけに、ラダック語に興味を持つ方は一度ご覧になる価値はあります。現在は、国会図書館などごくわずかな図書館に所蔵があるだけですので、こちらにたどり着くのもけっこう大変ですが。

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訳者の土屋守氏は、1970年代後半~80年前後に山岳部あるいはOBとして、チベット~ラダック遠征を繰り返しており、この『ラダック語会話テキスト』の他、『チベット語口語テキスト』も刊行されています(未見)。本書でも手書きのチベット文字が達者でなかなか美しい。

その後、編集者を経てロンドン留学時代にスコッチ・ウィスキーにはまり、現在はスコッチ文化研究所所長/スコッチ・ウィスキー評論家としてご活躍中。

土屋氏の詳しい経歴については、

・スコッチ文化研究所 > 土屋守プロフィール
http://www.scotchclub.org/profile.htm

をご覧下さい。その中で特に注目されるのは、

>厳冬期ザンスカール川遡行(1981)

で、これは厳冬期に凍結した川に沿ってザンスカール~レー間を歩くチャダル・トレックのことで、外国人としてはオリヴィエ・フェルミなどに先駆けて1981年に既に踏破していたとは知りませんでした。

その記録がどこかに発表されているのか、いないのか、わかりませんが、今後調べてみようと思います。

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(注1)
もう一つ、十年以上昔にレーで入手した10ページほどの会話帳小冊子(たしか、小僧さんの英語教育用にリキル寺かリゾン寺で作られたものだったような記憶がある)などもあるのですが、どこに行ったのか出てきません。これも現物が出てきたらタイトルなどを紹介しましょう。

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(追記@2009/03/15)
(注1)でお知らせした会話帳小冊子が出てきました。地図の束の中に埋もれていました。見つからないはずです。

・Punchok Tangais (before 1992) HOW TO SAY IT IN LADAKHI, ENGLISH, FRANCAIS, HINDI. pp.9. Punchok Tangais, Leh.

でした。ラダック語会話帳は6ページだけで、残り3ページは簡単な観光案内がついています。

小僧さんの教育用ではありませんでしたね。でも、リゾン寺にはじめて行ったときに確かそのような小冊子をもらったような気がするんだが・・・。これもどこかに埋もれているかもしれません。いずれまた。

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