Bisket Jatraで建てられ、そして倒される柱Yosinとは何でしょうか?
Yosinは約25mの柱です。祭りの直前に近隣の森から切りだされた松の柱(寺田1994)。
Vikram暦の大晦日に建てられ、その翌日である元日には倒されてしまいます。その間わずか一日。
この柱は、建てられることよりも「倒されること」に重点が置かれているようです。
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Bisket Jatraの柱には二本の幟(のぼり)がぶら下がります。これは二匹の蛇を表すものとされ、その縁起は二種類伝わっています(寺田1994)。
(1)神話時代(注)。王女が結婚する相手は皆早死。他国の王子がその王女に取りついた二匹の蛇を退治し、めでたく王女と結婚し王となる。これを記念する祭りがBisket Jatra。
(2)Liccavi朝Shivadeva(शिवदेव)王[位:590-603]の師であるShekhar Acarya(शेखर आचार्य)とその妻が蛇の姿となってしまう。人間の姿に戻れない二人は悲観して自殺。これを弔う祭りがBisket Jatra。
というものです。
どちらも古い時代に起源が置かれており、Bisket Jatraの歴史が古いことを物語っています。
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(1)も(2)も、蛇は悪さをする悪役に仕立てられているようですが、これは本来の姿なのでしょうか。
ここで重要となってくるのが、柱の名称yosinとその別称lyesing dha:です。
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これはどちらもネパール語ではなく、ネワール語のようです。ではネワール語の辞書が必要となるのですが、普通持っていませんよね(笑)。
ちょっと寄り道して、ネワール語の辞書の話をしましょう。
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(注)
これをBhadgaon(Bhaktapur)Malla朝の王Jagajjyotirmalla(जगज्ज्योतिर्मल्ल) [位:1613-37]の時代とする説もあります。しかしこの王が始めたのは、BhairavとBhadrakaliのrath巡行儀式だけのようです(佐伯2003)。
なお、この王の時代にRaj Kumari(Royal Kumari)制度が始まったとする説もありますが、一般にはKantipur(Kathmandu)Malla朝最後の王Jayaprakashmalla(जयप्रकाशमल्ल)[位:1750-69]がRaj Kumari制度を確立した、とする説が多いようです。
Jagajjyotirmalla王の父王Trailokyamalla(त्रैलोक्यमल्ल)[位:ca.1573-1613]とする説、Lalitpur(Patan)Malla朝の王Siddhinarasinhamalla(सिद्धिनारसिंहमल्ल)[位:1618-61]- Shrinivasmalla(श्रीनिवासमल्ल)[位:1661-84]親子の時代にRaj Kumari制度が始まった、とする説もあり錯綜しています。
Raj Kumari制度、すなわちMalla王家/Shaha王家および女神Taleju(तलेजु)との関係が強調されたKumari制度の開始については、いずれ詳しくやります。
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