2015年5月9日土曜日

「インドのイム」展 装飾写本の謎

どうも腑に落ちない点があったので、前回の3経典について考えてみました。

なかなか「柱建て祭りとKumari」に進まないですが、まあ先は長いので、焦らず行きましょう。

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まずおさらいしておくと、展覧会場の表示や図録では、

(1)『八千頌般若波羅蜜多経』 パーラ朝 11世紀
(2)『五護陀羅尼経』 東インド 14世紀
(3)『仏説大乗荘厳宝王経』 東インド 14世紀頃。

とあります。

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私が感じた疑問は、特に(2)(3)の年代。

14世紀といえば、インドではすでに仏教は滅びているはずです。当時、東インドのどこで、このような経典写本が作られていたのでしょうか?

で、これは東インドではなくネパールではないか?というのが私が感じた疑問でした。

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(1)(2)(3)の文字を見てみます。これはどうもRanjana文字(रञ्जना लिपि Ranjana lipi)やPrachalit文字(प्रचलित लिपि Prachalit lipi)のように見えます。いずれもネパールの文字です。

Ranjana文字は、11世紀頃からネパールに現れる文字で、非常に装飾性の強い文字です。この文字はチベットにも伝わり、経典のタイトル、マニ石、マニ車などでよく目にします。

チベット語ではランツァ(ལན་ཚ་ lan tsha)文字と呼びます。RがLに交代しているのが珍しいですね。

Prachalit文字は「"狭義の"Newar文字」とも呼ばれ、Ranjana文字ほど装飾性は強くありませんが、やはり肉太の線で書かれることが多く、見た目が美しい文字です。日本の勘亭流っぽかったりします。

この辺になると、「文字の区分」というよりは「書体の区分」になってきますね。

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このRanjana文字、Prachalit文字が使われたのは、主にネパールです。インド方面にはどの程度普及したのでしょうか?私には知識がありません。私は、ネパールかチベットがらみでしか見たことがない。

すると、(1)(2)(3)は、いずれもネパールのものである可能性が高いと見ます。

特に14世紀と推定されている(2)(3)が東インドのものだとすると、すでに仏教が滅びているはずの東インドのどこか?というのは大きな問題です。

でも、現在まで仏教が絶えることのなかったネパールのものだとすれば、この問題は解決するわけです。

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田中+吉崎(1998)には、ネパールでは『八千頌般若波羅蜜多経』や『パンチャラクシャー(五護陀羅尼経)』がさかんに写経された、とあり、また、現在残っている装飾写本も、インドのものに比べネパールのものが圧倒的に数が多いことも示されています。

やはり、(1)(2)(3)いずれも出処はネパールでしょう。

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とすると、11世紀とされている(1)の年代はもう少し下がるかもしれません。

このスタイルの壁画がチベットに現れるのは13~15世紀です。それとあまりにも似すぎています。そんなに年代が離れているとは思えません。

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(2)の年代も、14世紀より少し下がるかもしれません。この絵柄と似た新グゲ様式が西チベット~ラダックで流行するのは、15~17世紀。そちらに合わせた方がいいかもしれません。

とはいえ、装飾写本の方は、拡大するとかなり雑な絵ですから、精緻な新グゲ様式絵画と対比できるのか?という気もしますけどね。

まあ、これは雑な仮説の一つ、という程度で。

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(3)が東インドのものだとすると、中国絵画の影響を感じさせる風景描写が、なぜに14世紀の東インドに出てくるのか、不思議な話になります。

インド絵画では、いわゆる細密画(miniature)に風景描写が見られます。これも中国絵画の影響とみられていますが、その経路は、

元朝(中国)の中国絵画
→フレグ・ウルス(イル汗国)(ペルシア)のミニアチュール
→サファヴィー朝(ペルシア)のミニアチュール
→ムガル帝国(インド)のミニアチュール
→インド各地のミニアチュール

というもので、インドに到達するのは17世紀以降。

(3)で見られる技法は、少なくともこちらのルート経由で伝わったものではないはずです。

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しかし、これも(3)がネパールのものと考えれば、それほど不思議ではなくなります。

13世紀後半、チベット人帝師パスパ(འགྲོ་མགོན་ཆོས་རྒྱལ་འཕགས་པ་བློ་གྲོས་རྒྱལ་མཚན་ 'gro mgon chos rgyal 'phags pa blo gros rgyal mtshan 八合斯巴/八思巴)経由で、元朝フビライ・ハーンに大都(今の北京)に招かれたネパール人仏師・阿尼哥(अरनिको Arniko 1244-1306)の存在は有名です。

当時、ネパール-チベット-中国の間での人の動きはかなりあったようです。

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そんな中で、中国絵画の風景描写を取り入れた、チベット絵画の新派(メンリ派(སྨན་རིས་ sman ris)、キェンリ派(མཁྱེན་རིས་ mkhyen ris)、カルマ・ガディ派(ཀརྨ་སྒར་བྲིས་ karma sgar bris)など)が東チベット=カムに現れてくるのは15~16世紀のことです。

それに先駆けて、14世紀の東インドに、似たようなスタイルが突如現れる、というのはちょっと無理があるような気がします。

でも(3)がネパールのものならば、そんな無理は減るわけです。チベット-ネパール間の政治・宗教・商業での交流は、当時も途絶えることがなかったようですし。

東チベットでの新しい絵画の動きがネパールまで伝わったと考えるのは、さほど無理はないでしょう。

しかし、(3)も年代は、チベットでの流れに合わせて15~16世紀と少し下げた方がいいのかもしれません。もっとも、経典の奥書に年代が示されているのであれば、その限りではありませんが。

ここまでの参考:

・田中公明+吉崎一美 (1998) 『ネパール仏教』. vii+264+14pp. 春秋社, 東京.
・石井溥 (2001) ネワール文字. 河野六郎+千野栄一+西田龍雄・編著 『言語学大辞典 別巻 世界文字辞典』所収. pp.712-718. 三省堂, 東京.
・Shelley & Donald Rubin Foundation / Himalayan Art Resources > Introduction (to Himalayan Art) > Introduction : Art History Essays & Articles > David Jackson (2003) Painting Styles in the Rubin Collection : Identification and Clarification.
http://www.himalayanart.org/exhibits/david/davidj.html
・Michael Everson (2009) Roadmapping the scripts of Nepal.
http://std.dkuug.dk/jtc1/sc2/WG2/docs/n3692.pdf
・Anshuman Pandey (2011) Preliminary Proposal to Encode the Prachalit Nepal Script in ISO/IEC 10646.
http://std.dkuug.dk/JTC1/SC2/WG2/docs/n4038.pdf
・Anshuman / Anshuman Pandey : Historian – Technologist – Linguist > Saturday, May 7, 2011 The 'Prachalit Nepal' Script
http://anshumanpandey.blogspot.jp/2011/05/prachalit-nepal-script.html
・SIL International / SCRIPTSOURCE : Writing systems, computers and people > Scripts > Scripts currently in use : Stephanie Holloway+Raymondmj / Newar (Prachalit Nepal) Indic (Created 2010-06-01 10:00:38 by stephanie_Holloway, Modified 2014-03-20 07:34:40 by raymondmj)
http://scriptsource.org/cms/scripts/page.php?item_id=script_detail&key=Qabc
・Wikipedia (English) > Prachalit Nepal alphabet (This page was last modified on 11 March 2015, at 23:56)
http://en.wikipedia.org/wiki/Prachalit_Nepal_alphabet
・東京国立博物館+日本経済新聞社+BSジャパン・編 (2015) 『特別展 コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏 仏教美術の源流』. 208pp. 日本経済新聞社, 東京.
・Wikipedia (English) > Ranjana alphabet (This page was last modified on 1 May 2015, at 15:50)
http://en.wikipedia.org/wiki/Ranjana_alphabet

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2015年5月6日水曜日 イムに行ってきましたよ

のコメント欄でRatnaruniさんが指摘されておられるように、挿画が経文の上から描かれているものがあるようですが、この例だけではよくわかりませんねえ。

べったり上描きされているのかもしれないし、単に描き方が雑で絵が一部経文にかかってしまっただけなのかもしれない。

文章を追ってみれば、どちらなのかわかると思いますが、私にはそこまでの能力はありません。今後の課題ということで・・・。

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それから、『五護陀羅尼経(パンチャラクシャー)』の五女尊をどっかで見た記憶がある、と書きましたが、わかりました。

思った通り、ギャンツェ・クンブム(རྒྱལ་རྩེ་སྐུ་འབུམ་ rgyal rtse sku 'bum)、別名パンコル・チョルテン(དཔལ་འཁོར་མཆོད་རྟེན་ dpal 'khor mchod rten)でした。

第2層の階段部屋(སྒོ་ཁང་ sgo khang)に、この五護陀羅尼女尊(पञ्चरक्षा panca raksha བསྲུང་མ་ལྔ་ bsrung ma lnga)の壁画が描かれていました。残念ながら写真は撮っていませんでしたね。

この部屋の平面図を掲載しておきましょう。













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実はギャンツェ・クンブムでも、全部の堂伽でこういった平面図を作ってあるのですが、例によってこれも陽の目を見ていないわけです。

こっちの参考:

・Franco Ricca & Erberto Lo Bue (1993) THE GREAT STUPA OF GYANTSE : A COMPLETE TIBETAN PANTHEON OF THE FIFTEENTH CENTURY. 319pp. Serindia Publications, London.

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(追記)@2015/09/10

2016年9月6日火曜日 「インドのイム」展 装飾写本の謎(続報)

こちらに続報を書きました。田中公明先生の論考に基づくお話です。

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