2009年8月9日日曜日

「ブルシャスキーって何語?」の巻(12) Pavel Pouchaによるブルシャ語タイトルの解釈

さて、サンギェ・イェシェの年代を訂正したところで、ようやく本道に戻ります。

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『一切仏集密意経』のブルシャ語タイトルを解釈するには、その前段階として、かなり面倒な手はずを踏まないと、誤字を解釈してしまう危険性があることを話しました。現段階で、私にはそのやっかいな問題を解決する能力はありません。

ここでは、唯一このブルシャ語タイトルの解読を試みているPoucha(1960)の仕事を紹介するだけにしておきます。とはいえ、Pouchaの釈字や解釈がすべて正しいと考えているわけではありません。

参考:
・Pavel Poucha (1960) Bruža - Burušaski ?. Central Asiatic Journal, vol.5, no.4[1960], pp.295-300.

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Pouchaはサンスクリット語タイトルとブルシャ語タイトルを比較して、ブルシャ語単語の意味を拾い出す試みをしています。細かい議論は省略しますが、それで得られた比定は次の通り。

ブルシャ語 =サンスクリット語 = チベット語

pan(pang) ril = sarva(一切/すべて) = thams cad kyi/kun
'ub = āgama(聖典) = lung
'un =? yoga(ヨーガ) = rnal 'byor

bu(ddha)= tathāgata(如来) = de bzhin gshegs pa
ta(ntra)= tantra(タントラ) = rgyud
sid(dhi)= siddhi(成就する) = grub pa
bi(dya)= vidyā(明呪) = rig pa
su(tra)= sūtra(経) = mdo

解読できたものは、サンスクリット語からの借用語/略語らしき単語が5つあり、それ以外はわずかに3つ(1つは推定)に留まります。かなり苦労しているわりには成果はあまり芳しくありません

これらの単語は現在のブルシャスキー語に残存しているでしょうか?仏教が滅びてしまった今、それは期待できそうにありません。

ブルシャスキー語独自の宗教(イスラム教/民間信仰)用語を丹念に調べれば、意味や発音が変化しつつ残っている単語が見つかるかもしれませんが、かなり詳細なブルシャスキー語語彙集(調査報告)がないととても手がつけられません(か、自分で調査するか・・・)。

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Pouchaは次に、現代ブルシャスキー語の単語の中から似た発音のものを拾い出しました。

ブルシャ語 =現代ブルシャスキー語

ho = ho(あちら)
ril = ril(銅/鉄)
til = til(忘れる)
ti = ti/thi(単純な/空虚な)
hang = han(一つ)
bad =bada(階段/場所)
ri = rai(渇望/意志)
hal = hal(~もまた/狐) or hala(終着点)
ma = ma(あなたたち)
ma kyang = ma an(ビーズ/ネックレス/輪)
dang = dana(賢い)
rong = rung(草原)

これらはほとんどが日常語であって、これらの単語を組み合わせても、どうもあのタイトルになるような気がしません。

無論、ブルシャ語がブルシャスキー語に発展したと仮定した場合、単語の意味が変化している可能性は十分あるでしょう。また、それよりも単語の発音自体がかなり変化しているケースの方が多いでしょう。そうなると、現代ブルシャスキー語で似た発音の単語を探して比較しても、実は見当はずれの比較をしている場合が多いかもしれません。

しかし、ここで一つだけ言えるのは、意味の同一性はさておき、ブルシャ語単語とブルシャスキー語単語は似た発音を持つものがかなりみられる、ということです。

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ベルトルト・ラウファー(注1)は、

・Berthold Laufer (1908) Die Bru-ža Sprache und die historische Stellung des Padmasambhava. T'oung Pao Second Series, vol.9, no.1[1908], pp.1-46.(未見)

で、このブルシャ語タイトルを「偽作」と考えているようです(van Driem 1997より)。

このブルシャ語タイトルは実は「何の意味も成さないデタラメ」で、「ブルシャ語から翻訳した」という由来も虚偽。つまり、この経典をチベットに持ってきた(とされる)サンギェ・イェシェもしくは後のニンマパ関係者の誰かがすべて創作したもの、という考えでしょう。

「テルマ(埋蔵経典)」の真相に代表されるところですが、ニンマパ経典には常にその由来への信用問題がつきまとっています。ですからあのブルシャ語タイトルを偽作と疑うのは無理もないところです。

この経典をチベットに持ち込んだとされるサンギェ・イェシェの経歴も、虚実入り乱れた情報にあふれているわけですから、なかなかそのまま信用するわけにも行きません。

このままですとこのブルシャ語タイトルも、「君子危うきに近寄らず」で、怪しげな資料として利用されずに放置されてしまいます。

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しかし、このタイトルに現代のブルシャスキー語と似た響きを持つ単語が多数含まれるのも事実です。この証拠だけはなんとか生かせないものでしょうか?

こう考えることもできそうです。

つまり、仮にこのブルシャ語タイトルがデタラメであったとしても、その偽作者は片言ながらブルシャ語を知っており、タイトル内容とは無関係だろうがなんだろうがかまわず知っているブルシャ語単語をそちこちに散りばめ、また全体の響きもブルシャ語らしく整え、タイトルをブルシャ語らしく見せかけた、と考えるのはどうでしょうか?要するに「ブルシャ語風ハナモゲラ(注2)」です。

根拠薄弱なる仮説に過ぎませんが(この話題ではこればっかりですけど)、これまで見てきたおかしな点について一通りの説明が可能なようになってはいます。

この説が成り立つならば、この経典が翻訳された(とされる)9~10世紀頃、ブルシャスキー語と似た響きを持つ言語(ブルシャ語)がボロル/ブルシャ(ギルギット~フンザ)で使用されており、チベット人のニンマパ関係者の誰かが幾分なりともこれを知っていた、と考えることはできそうです。

もっとも、後世の偽作であった場合には、その時期はチベット大蔵経にこのタイトルが登場する15~17世紀以前、としか言えないわけですが・・・。

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しかしこういうアクロバティックな考えに一気に進む前に、できることはまだありそうです。

van Driem(1997)でも進言されているのですが、このブルシャ語タイトルについてはブルシャスキー語研究者による検討がいまだなされていません。まずはこの試みが急務でしょう。

とはいえ、それには前段階として、まずなるべく正確なつづりを探索する必要があり、前述のようにそれはかなり難航すると予想されます。そして、たとえ先へ進んでも、そこで得られる結論が「やっぱりデタラメだった」となる可能性も見え隠れしているようでは、学者さんたちが二の足を踏むのもある程度理解できます。

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結局、「ブルシャスキー語がいつから話されているか?」に対して、現状ではこの「ブルシャ語(?)タイトル」から明確な答えを得ることはできませんでしたが、もう少し突っ込んで解明が進めば、古代ブルシャ/ボロルの言語を知る重要な手がかりになりそうな気配はあります。踰えるべきハードルはまだまだたくさんありますが・・・。

2009年7月9日「ブルシャスキーって何語?」の巻(6) シンとヤシクーン で、「カラコルム地域全域(古代ボロルの領域)ではかつてブルシャスキー語あるいはその祖語が話されていた」という仮説まではなんとかたどり着いているのですが、肝心の古い時代の言語資料が、今のところこの怪しげなブルシャ語(とされる)タイトルしかないわけですから、何か新たな言語資料が見つかるまでは仮説に留まるでしょう。

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(注1)
Berthold Laufer(1874-1934)。ユダヤ系ドイツ人で、後にUSAに移住し、東洋学、特に中国学(Sinology)・チベット学(Tibetology)の大家として活躍した。本来は言語学者であるが、民族学の分野でも卓越した業績を残した。一般には『サイと一角獣』、『キリン伝来考』、『インド・イラニカ』といった博物学的な内容を持つ著作の人気が高い。

ブルシャ語やシャンシュン語といった言語に最初に注目した学者としても重要である。

(注2)
ハナモゲラ(語)については、

・ウィキペディア > ハナモゲラ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%83%A2%E3%82%B2%E3%83%A9

あたりをご覧下さいゴスミダ。

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(追記1)
なお、Poucha(1960)は、最後におまけとしてネワール語から似た単語を拾い出しています。

ブルシャ語=?ネワール語

ho=?honakë/honë(合わせる)
til=?til(岸、美人のほくろ)
ta=?ta(高い)
sid=?siddh(成就する)

この方面での考察は、今のところこれ以上の発展はありませんが、「ho=?honakë/honë(合わせる)」は「sarva(一切)」と意味的にもかなりいい線です。

Pouchaが比較例としてネワール語を取り上げたのは、おそらく上記ブルシャ語タイトルの語感がなんとなくネワール語に似ている、と直感的に感じたためかもしれません。母音で終わる音節がいくつも続くあたりはちょっと似ています。

ネワール語の例:
Chi-gu che kana kha?(あなたはどこから来たのですか?)
Thuki-yaa guli?(これはいくらですか?)
Ji-gu naa ~ kha(私の名前は~です)

出典:
・Tej R. Kansakar (1989) ESSENTIAL NEWARI PHRASEBOOK. pp.54. Himalayan Book Centre, Kathmandu.

実は私もこのブルシャ語タイトルを見て、すぐさま「なんとなくシャンシュン語っぽいなあ」と感じたものです。私のシャンシュン文の経験はごくごく貧しいものですが、こちらも母音で終わる音節が続くあたりが似ている、と感じます。

シャンシュン語の例:
na mo dmu ra spungs so gu dun hrun /
謹んで天の王である導師(すなわちシェンラブ・ミウォ)に拝礼いたします
drung mu gyer gyi mu ye khi khar las /
永遠なるボンの天国の光明によって(下された)
u ye tha tson ma dra she skya nyi ri dang /
究極の秘密なる母タントラの慈悲に、太陽と
gu ru hri ho dza ra dha ki pa ta ya /
師、賢者、ダキニも拝礼なさった

なお、訳文は併記チベット文を参照した。

出典:
・zhu ston nyi ma grags pa (17C) 『sgra yi don sdeb snang gsal sgron me bzhugs so(輝かしき法灯なる言葉の大全/シャンシュン語辞典)』. → 一部収録 : 光嶌督 (1992) 『ボン教学統の研究』. 風響社, 東京.

ただし、シャンシュン語には、『敦煌文献』の中に発見されているいわゆる「古シャンシュン語」と、後世のボン教文献に現れるいわゆる「新シャンシュン語」があり、両者には共通する単語も多いが、かなり違いがあるようです。ここで例をあげたのは「新シャンシュン語」の方。

参考:
・TAKEUCHI Tsuguhito+NAGANO Yasuhiko+UEDA Sumie (2001) Preliminary Analysis of the Old Zhangzhung Language and Manuscripts. IN : NAGANO Yasuhiko+Randy J. LaPolla(ed.) (2001) BON STUDIES 3 : NEW RESEARCH ON ZHANGZHUNG AND RELATED HIMALAYAN LANGUAGES. pp.45-96. National Museum of Ethnology, Osaka.

シャンシュン語は、最近の研究ではネワル語と同じくヒマラヤ諸語のグループに分類されることが多く、比較的近縁であるのは間違いありません(シャンシュン語に最も近縁なのは、キナウル語とされる)。

シャンシュン語を含むヒマラヤ諸語と、ブルシャスキー語、そして「ブルシャ語」との比較はこのPouchaの簡単な試行しかなく、いまだ未踏の分野(少しでもモノになるのか?どうかも未知)。

「偽作者はブルシャ語に似せようと頑張ったが、ブルシャ語をあまり知らないため、少し知識があるシャンシュン語の方にうっかり似てしまった」などという可能性もありそうですが・・・。

まあ、それよりもブルシャ語とブルシャスキー語の比較の方が急務なのは言うまでもありません。

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