2009年8月18日火曜日

「ブルシャスキーって何語?」の巻(15) ブル氏起源神話とその他のボン教神話、そしてゾロアスター教

このブル氏の起源神話、すぐに気づくのは「シェンラブ・ミウォ神話の焼き直しではないか?」という疑問。

ボン教の開祖とされる(注1)シェンラブ・ミウォは、天界よりオルモルンリン('ol mo lung ring)に降臨し、国にボン教を布教し、法敵キャッパ・ラクリン(khyab pa lag ring)を調伏します。ブル氏の起源神話はこれと実によく似たストーリーです。

ブル氏は後に、シェンラブ・ミウォの子孫とされるシェン氏とともにウー・ツァンでボン教布教に尽力していたわけで、当然シェン氏の持つシェンラブ・ミウォ神話の影響を受けたのでは?と考えたくなります。

年代論については後述しますが、始祖ウーセル・ダンデン(ブルシャ・ナムセー・チドル)が実在したと考えた場合でも、せいぜい8世紀前半の人物とみられます。ボン教が伝える「シェンラブ・ミウォは1万8千年前の人物」という設定と比べると、きわめてスケールが小さく感じます。

しかしそれだけによりリアリティがあるわけで、実際は「シェンラブ・ミウォ神話の方が、このブル氏起源神話の影響を受けて作られた」という逆の流れも充分あり得ます。お話というものは、伝わるに従いどんどん大げさになるものですから。

あるいは、双方の元ネタになった未知の神話があるのかもしれません。この辺はボン教神話の形成・発展を考える上で、今後注目されるようになるでしょう。

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また、ウーセル・ダンデン(ブルシャ・ナムセー・チドル)とンガムレン・ナクポの対立は、ボン経典

・gshen chen klu dga' (1017発見) 『lung mtshan nyid srid pa'i mdzod phug(万物の縁起を伝える宝蔵窟)』 → 通称 : 『mdzod phug』あるいは『mdzod』(注2)

に記されている創世神話における、光の神サンポ・ブムティ(sangs po 'bum khri)と闇の神ムンパ・セルデン・ナクポ(mun pa zer ldan nag po)の対立ストーリーの縮小コピーであるかのように見えます。

『ズープク』に記されている創世神話をおおまかに述べておくと、

┌┌┌┌┌ 以下、Karmay(1972)より抜粋 ┐┐┐┐┐

原初の宇宙は五大元素の塵が希薄にちらばった虚空の状態にあり、ナムカ・トンデン・チュースムジェ(nam mkha' stong ldan phyod sum rje)という人格神の名で呼ばれる(『古事記』の天御中主神のようなもの)。

父祖神ティギャル・ククパ(khri rgyal khug pa)がこの塵を集め「ハ(ha)」と息を吐くと風が生じ、それが光となり、火を生じた。火の熱と風の冷気によって水滴が生じ、水滴が凝集して固体となり、風によって運ばれてきた元素がどんどん集まり山のような固まりができた。そこから光の卵(形は四角でヤクの大きさ)が生じた。一方、もう一人の父祖神カルパ・メーブム・ナクポ(bskal pa med 'bum nag po)は同様にして闇の卵(形は三角でオスウシの大きさ)を生じさせた。

光の卵からは存在・光の神スィーパ・サンポ・ブムティ(srid pa sangs po 'bum khri)が生まれ、宇宙に光をあふれさせた。一方、闇の卵からは非存在・闇の神ムンパ・セルデン・ナクポ(mun pa zer ldan nag po)が生まれ、宇宙に闇をあふれさせた。

水滴から海が生じ、そこに現れた光の青い卵から光の女神チュチャム・ギャルモ(chu lcam rgyal mo)が生まれた。サンポ・ブムティとチュチャム・ギャルモの間には、神々(lha)、山神(gnyan)、王族、人間などが生まれた。

一方、ムンパ・セルデン・ナクポも、自身の闇から作り出した闇の女神トンシャム・ナクモ(stong zhams nag mo)との間に悪鬼(srin)が生まれた。

こうして神々の世界と悪鬼の世界が作られていった。

└└└└└ 以上、Karmay(1972)より抜粋 ┘┘┘┘┘

ブル氏の起源神話に現れる人物とは、名前や役どころが似ています。一般には『ズープク』の方が有名ですから、『テンチュン』や『レクシェー・ズー』の方がこれを利用したものと考えたくなります。しかし、こちらもブル氏の神話の方が元ネタなのかもしれません。こちらは裏付けがあります。

『レクシェー・ズー』によれば、シェンチェン・ルガーに師事したブル氏のドゥチェン・ナムカー・ユンドゥンとキュンギ・ギャルツェン(リンチェン・ギャルツェン)親子は、ルガーが発見した(とされる)『ズープク』などを研究するよう指示されたといいます。実質的には、『ズープク』はまるごとルガーとこのブル氏親子の著作であるか、彼らによる大幅な加筆があった可能性は大です。

いうまでもなく、この光と闇の対立を語る二元論的世界観の大もとはゾロアスター教とみていいでしょう(注3)。

ブル氏の出身地とされるトハリスターンはゾロアスター教発祥の地にも近く、彼らがもともとゾロアスター教徒であったかどうかはわからないにしても、ゾロアスター教の教義や神話には親しんでいたはずです。そのブル氏が伝えてきたゾロアスター教的な世界観が、彼らによって『ズープク』に取り入れられたのではないでしょうか。

「ボン教の世界観にゾロアスター教の影響がある」とはよくいわれることですが、幻の存在である「タジクのオルモルンリン」との関係が漠然と述べられるだけで、その伝播の経緯について具体的に語られることがありませんでした。しかしこれで、

ゾロアスター教の光と闇の二元論 → トハリスターン → ブル氏 → 『ズープク』 → ボン教の光と闇の二元論

という筋道で、かなり具体的に両者を一直線に結ぶことができます。

トハリスターン出身とされる(神話上は降臨だが)ブル氏が、ブルシャ経由でウー・ツァンに移動し、自家の起源神話にゾロアスター教の世界観を持ち込み、さらにボン教、特に『ズープク』に同家が伝えるゾロアスター教的な世界観をよりはっきりした形で持ち込んだ、という可能性を指摘できそうです。

ボン教と西方世界との関わりはもちろんこれだけではありません(注4)。ゾロアスター教の影響をボン教にもたらした経路は他にもいろいろ想定はできますが、これだけ具体的に経緯を追えるのですから、少なくとも『ズープク』の世界観の形成には、この経典に直接関わったブル氏が大きな役割を果たしたことは間違いないでしょう。

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(注1)
シェンラブ・ミウォの名は『敦煌文献』にも現れているが、そこではボン教開祖というステイタスではなく、シェン(ボン教司祭)の大元締、といった役回り。

ボン教開祖に祭り上げられる前のシェンラブ・ミウォの姿についてはいずれまた。

(注2)
シェンラブ・ミウォが語った内容がシャンシュン語で記され、さらにチベット語に訳され、その後ボン教迫害期に埋蔵されたものが、シェンチェン・ルガーによって1017年に発見された、とされる。実際は、発見者とされるルガーやその弟子たちが、ボン教徒に伝わる様々な伝説にオリジナルの思想を加えて完成させた経典なのかもしれない。

(注3)
五大元素の思想にはインド思想の影響が色濃く、また風輪・火輪・金輪(固体)が生じる様子は仏教の『大毘婆娑論』、『倶舎論』の影響がみられる。

卵から万物が生じていく思想もやはりインド起源と思われる。「ヒラニヤーンダ(黄金の卵)から創造主プラジャーパティが生まれた」という『ブラフーマナ』の思想や、「宇宙卵の中に世界が存在している」という『ヴィシュヌ・プラーナ』の思想が影響しているようだ。卵から様々な神格・人格がどんどん生まれてくるストーリーは、ラン氏の神話『ラン・ポティセル(朗氏家族史)』に特に顕著で、キュン(ガルーダ)をトーテムとして持つ氏族としては利用しやすいモチーフだったのだろう。

しかし、なんといっても存在・光・神々と非存在・闇・悪鬼の二元対立論で語られる創造神話には、ゾロアスター教の思想が強く影響しているのは確実。

光と闇の卵の発生を語る段にはやや混乱がみられ、ティギャル・ククパが双方を創造した、とも、光の卵はティギャル・ククパが、闇の卵はカルパ・メーブム・ナクポが創造した、とも読める。

この辺は、初期ゾロアスター教からササン朝ペルシア時代のゾロアスター教へ移り変わる状況を反映しているのかもしれない。初期ゾロアスター教では、最高神アフラ・マズダが生んだ善霊スパンタ・マンユと悪霊アンラ・マンユの二元対立論で世界観が語られるのだが、後にはアフラ・マズダの地位が下がり、最高神ズルワーンのもとでアフラ・マズダとアンラ・マンユの対立という図式に変わる。その過渡期の混乱が、この『ズープク』神話のやや混乱した記述に反映されているのかもしれない。

(注4)
ディグム・ツェンポあるいはその子プデ・グンギャルの代にブルシャなどからボン教徒を招いたエピソード、タジクの王族出身でシャンシュンを経由して7世紀頃チベットに移動したとされるチェ(lce)氏、ボン教関係史料で多数語られるタジク→ウギェン(ウディヤーナ)/ブルシャ/シャンシュン→チベットという方向での訳経エピソード、など、西方世界からチベットへの人・宗教・文化の流入を示す話はたくさんある。

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