2009年8月26日水曜日

「ブルシャスキーって何語?」の巻(17) ブルシャのボン教

ボン教関係文献では、ボン教先進国として、タジク(ペルシア)、カチェ(カシミール)、ギャカル(インド)と共にブルシャが現れます。これらの国からシャンシュンにボン教が伝わり、さらにチベットへと伝えられた、とされています。

ところが、そのそれぞれのボン教がどのようなものであったのかは、今ひとつわかりません。「ブルシャのボン教」も同様です。

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・'jig rten mgon po+'bri gung gling pa shes rab 'byung gnas (13C初?) 『'jig rten mgon po'i gsung bzhi bcu pa(ジクテン・ゴンポの四十のお言葉)』.(注1)

では、伝説的な吐蕃王ディグム・ツェンポ(dri gum btsan po/gri gum btsan po)が家臣ロガム・タジ(lo ngam rta rdzi)と争い戦死した際、王家では刀で死亡した際の儀式がわからず、カチェ、ブルシャ、シャンシュンからボンポ(bon po=ボン教徒)を招いて葬祭を執り行った、とされています。

ここで言う「カチェの/ブルシャの/シャンシュンのボン教」とは、チベットのボン教と同類・同系統と考える必要はなく、「宗教」一般くらいの意味と取っておけばいいでしょう。これら「外国のボン教(宗教)」の影響を受けつつ「チベットのボン教」が教義を整えていく、その過程が象徴的に記されているわけです(そのまま史実と受け取っていいわけではない)。

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この三人のボンポは、それぞれ

(1)ゲクー(ge god=ge khod)神、キュン(khyung=ガルーダ)、メラ(me lha=火の神)に祈り、ダマルーに乗って空を飛んだり、血を吹き出させたり、鳥の羽で鉄を切ったりできる。
(2)ジュティク(ju thig=紐占い)、ラカ(lha bka'=神託)、ソクマル(sog dmar=肩甲骨を焼き割れて入ったひびで占う)などで吉凶を占うことができる。
(3)刀で死んだ者の葬礼の方法を知っている。

だった、といいます。結局(3)が当座の役に立った、ということなのでしょう。

・R.A.スタン・著, 山口瑞鳳+定方晟・訳 (1993) 『チベットの文化 決定版』. pp.xviii+389+53. 岩波書店, 東京. ← フランス語原版 : Rolf Alfred Stein (1987) LA CIVILISATION TIBÉTAINE : ÉDITION DÉFINITIVE. pp.ix+252+pls. l'Asiathèque, Paris.

では、登場順に(1)=カチェ(カシミール)のボンポ、(2)=ブルシャのボンポ、(3)=シャンシュンのボンポ、と比定しています。しかし、原文では「gcig gis ・・・(一人は・・・)」に続いてそれぞれの職能があげられているだけで、上記の順番で語られているのかどうか実は定かではありません。

・Namkhai Norbu (1995) DRUNG, DEU AND BON : NARRATIONS, SYMBOLIC LANGUAGES AND THE BÖN TRADITION IN ANCIENT TIBET. pp.xx+327. Library of Tibetan Works and Archives, Dharamsala.
・Vitali(1996)既出

などではスタンのような解釈を取らず、ボンポの職能を各々に特定していません。

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(1)の職能がやたら詳しく記述されているのですが、これがカチェのボン(宗教)に特定できるでしょうか。

ダマルーに乗って空を飛ぶのは、ボン教文献ではあちこちに出てくるモチーフで、「ブル氏起源神話」でもブルシャ・ナムセー・チドル(ウーセル・ダンデン)がダマルーに乗って空を飛んでいます。これがブルシャのボンポであっても不思議はありません。

ゲクー神(sku bla ge khod/dbal chen ge khod)は、カン・ティセ(gangs ti se)の守護神でシャンシュン土着の神です(注2)。荒ぶる降魔神(bdud 'dul)でもあり、360の眷属を有する、とされています。

カチェ(カシミール)の宗教者がシャンシュン土着の神に祈るのは奇妙です。しかし、ゲクー神は「山の荒ぶる神」というヒンドゥ教のシヴァ神と似た性格を持っている上に、その在所も同じカン・ティセ=カイラース山です。シヴァ神=ゲクー神とみなした上での記述であれば、さほどおかしくないかもしれません。しかし、確かにシヴァ神と認識しているのであれば、そのチベット名ワンチュク・チェンポ(dbang phyug chen po=Maheshwara)とかラ・チェンポ(lha chen po=Mahadeva)の方を使いそうではあります。

キュンはヴィシュヌ神の乗物ガルーダ、メラは火の神アグニ(Agni)そのものですから、カチェ(カシミール)のヒンドゥ教司祭の職能だとすれば、矛盾しません。

メラについては、ゾロアスター教の影響も感じさせます。キュンについては、キュン=ガルーダという等式が一般化していますが、そのモチーフにはゾロアスター教の霊鳥スィームルグ(サエーナ)の影響もあるのではないか?と考えているのですが、そのあたりの検討は未了です。

(1)については、カチェ(カシミール)らしくもあり、一部ゾロアスター教の影響も感じさせ、これはブルシャのボンポではないか、とも感じさせます。また、ゲクー、キュンとシャンシュンの深い関係を重視すればシャンシュンのボンと言いたくもなります。結局、どの国のボンポと特定できる決め手には欠けます。

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(2)をブルシャのボンポに特定できるでしょうか。

フンザには現在も「ビタン(Bitan)」という神降ろしがおり、シャーマニズムが生き残っています。これは(2)で記述されている「ラカ(lha bka')」そのものになります。

しかし、こういったシャーマニズムは世界中にあり、チベット周辺でもごく一般的ですから、これだけでブルシャに特定できるものではありません。

「ジュティク(ju thig)」とは、六本の紐をくしゃくしゃと丸めて投げ捨て、そこでできた結び目の数、位置、形などで吉凶を占う「紐占い」。一度だけではなく十三度投げ、それぞれの組み合わせを総合して吉凶を判断するかなり複雑なシステムらしい。

ジュティクについては前述の、Namkhai Norbu(1995)DRUNG, DEU AND BON. に一章が設けられています。しかし、占者心得や準備については詳しいのですが、具体的な卦の吉凶判断についてはほとんど語られていません。

図にあげられている卦の例は、きわめて複雑な結び目で、とても自然にできるものではありません。これらはおそらく象徴的なもので、儀式の下ごしらえとして魔除けや浄化の働きをする特別な卦なのかもしれません。

ジュティクはその起源が明らかではありません。ボン経典ではシェンラブ・ミウォが弟子に伝えたことにはなっていますが・・・。現在のカラコルム地域にはこういった占いは見あたりませんし、世界的にもどこに源泉を求められるのか、私には知識がありません。

一つ注目されるのは、ジュティクには「シャンシュン・ジュティク(zhang zhung ju thig)」という経典がある、と伝えられていることです。その中に「36本の紐で作られた360の結び目が360の神々(mdud lha)に対応する」とされています。この360神はゲクー神の360の眷属に対応するのではないか、とも推測されています(注3)。

どうも、ジュティクも上記三国の中ではシャンシュンとの関係が一番深そうです。そもそも「ジュティク(ju thig)」という単語自体シャンシュン語ですから、ブルシャよりもシャンシュン・ボンポの職能と考えた方がよさそうです。

肩甲骨(sog dmar)による占いは、古代中国・殷代のものが有名ですが、モンゴルやシベリアなど、北アジアの広い範囲で知られています。古代チベットにもありました。吐蕃時代の8~9世紀にチベット人が占いに使った肩甲骨がタリム盆地のミーラーン(米蘭)遺跡より出土しています(注4)。

古代にカチェ、ブルシャ、シャンシュンのいずれかで、このような卜骨占いが行われていたかどうか、今のところわかりません。また卜骨占いは北アジアから伝播した可能性が高そうですが、この三国のいずれも伝播の可能性があります。これだけでは、肩甲骨占いがどの国のボンポの職能か判断できません。

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(3)の「刀で死んだ者の葬礼の方法を知っている」という職能ですが、これもこれだけでは三国のどれに相当するのか判断できません。

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結局(1)~(3)の各ボンポの職能からでは、それぞれがどの国のボンポに対応するのか判断するのは難しいのが現状です。どちらかというと、(1)~(3)全部シャンシュン・ボンポじゃないか、という気もするのですが・・・。

おそらく、この三国の名はチベット・ボン教に影響を及ぼした外国として象徴的にあげられているだけで、各ボンポの職能の方も、それまでのボン教とは異質な職能として、これも象徴的にあげられているにすぎないかもしれません。

上記伝説の記述を額面通りに史実と受け取るのは危険です。

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(注1)
これは仏教ディグン・カギュパ開祖ジクテン・ゴンポの著作だが、ボン教発展史についても語っており、客観的かつリアリティのある見解をとっている。しかしこの見解は、ボン教教団側のものとは全く異なる(特にシェンラブ・ミウォの年代と出自に関して顕著)ため、ボン教徒には認められていない。

かいつまんでまとめておくと、ボン教の発展を三段階に分けるもので、

(1)ドゥル・ボン(rdol bon=粗いボン)
ティデ・ツェンポ王(khri lde btsan po=srib khri btsan po=khri lde yag pa、ディグム・ツェンポの父)の代にオン('on)谷出身のシェンラブ・ミウォが創始した悪魔払いの宗教。ドゥル・ポン(dur bon=墓の/葬祭のボン)と解する説もある。

(2)キャル・ボン('khyar bon=方向を転じたボン)
ディグム・ツェンポ王がロガム・タジと争い戦死した際に、シェンラブ・ミウォは刀で死んだ者の葬祭の方法がわからず、カチェ(カシミール)、ブルシャ、シャンシュンよりボンポを招いてその方法を学び、葬祭を執り行った。これを契機として、ヒンドゥ教シヴァ派をはじめとする外国のボン(宗教)の影響が入るようになった。

(3)ギュル・ボン(bsgyur bon=翻訳されたボンor変形されたボン)
これはさらに三段階に分けられている。
(3a)学僧シャムゴンチェン(sham sngon can=「青い腰巻きを身につけた者」の意味)が多くの仏教の内容をボン経典に取り入れた(場所不明、インドか?)。
(3b)ティソン・デツェン王の時、仏教側(グル・リンポチェが代表)とボン教側(デンパ・ナムカーが代表)が論争を行い、仏教側が勝利。ボン教は禁教となり、数多くのボン経典が破棄を恐れ各地に埋蔵された。
(3c)10~11世紀にシェンチェン・ルガーが埋蔵経典(gter ma)を発見し、ボン教の復興が始まった。

となる。このボン教三段階発展説は後に、

・tu'u bkwan blo bzang chos kyi nyi ma(トゥカン・ラマ三世) (1802) 『grub mtha' thams cad kyi khungs dang 'dod tshul ston pa legs bshad gsal ba'i me long(宗義水晶鏡)』.

でもそのまま採用されている。

(注2)
ゲクー神は、もともとルトク(ru thog)の土着神であったともいわれる(Vitali 1996)。ゲクー神は天界よりカン・ティセに降臨したのだが、後にはこれがいろいろ変形されて、「シェンラブ・ミウォがカン・ティセに降臨した」などという説になったりする。

ゲクー神の図像はこちらで。

・Himalayan Art > Iconography > Religious Traditions > Bon Religion > Deities / Wrathful Deities > Bon Deity: Walchen Gekho
http://www.himalayanart.org/search/set.cfm?setID=638

ただし、これは仏教の影響を受けた後、仏教の忿怒尊に似せてかなり変形されて描かれた姿、と推測される。

国立民族学博物館で開催されていた「チベット ポン教の神がみ」展で、ゲクー神の図像を見ることができたのかも知れません(見ていないので知らない。私も是非見たかったのですが、貧乏ですので大阪まで行ってくる金もありません)。

(注3)
出典:
・Samten Gyaltshan Karmay (1975) A General Introduction to the History and Doctrine of Bon. Memoirs of the Research Department of the Toyo Bunko, no.33, pp.171-218. → Reprinted IN : Karmay(1998) THE ARROW AND THE SPINDLE. pp.104-156. Mandala Book Point, Kathmandu.

(注4)
この出土卜骨サンプルに関する考察は、

・武内紹人+西田愛 (2003) チベット語の羊骨占い文書. 神戸市外国語大学外国語研究, no.58[2003], pp.(1)-(16).

で論じられている。

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