2009年8月11日火曜日

「ブルシャスキーって何語?」の巻(13) チベット文字ドゥツァ体(キュン体)とボン教

チベット文字ドゥツァ体が仏教ニンマパと関係しているかも?というのが前回までのお話でしたが、推測ばかりが多くてあまり歯切れのいい話になりませんでした。

これがボン教の伝承になると、ブルシャ(ボロル)がボン教先進国として、もう少しはっきりした姿で伝説の中に登場します。チベット文字ドゥツァ体は、ブルシャ(ボロル)とも関係が深いボン教関係者によってチベットに持ち込まれた、という可能性もありうると考えます。

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現在もドゥツァ体で書かれたボン経典はかなり頻繁に目にします。接触しやすい例を二つほど挙げておくと、

・テンジン・ワンギェル・リンポチェ・著, 梅野泉・訳 (2007) 『チベッタン・ヒーリング 古代ボン教・五大元素の教え』. pp.335. 地湧社, 東京. ← 英語原版 : Tenzin Wangyal Rinpoche (2002) HEALING WITH FORM, ENERGY AND LIGHT. Snow Lion Publications, Ithaca(USA).

の付録として印影が付されているボン経典『byung ba'i bcud len(バルドの祈り)』はドゥツァ体で書かれています。

また、

・David L. Snellgrove(tr.+ed.) (1967) THE NINE WAYS OF BON : EXCERPTS FROM GZI-BRJID. Oxford University Press. → Reprint : (1980) pp.vi+312. Prajñā Press, Boulder(USA).

の付録としてボン経典『gzi brjid(宝石スィの輝き)』の一部が印影として付されていますが、こちらもドゥツァ体で記されています。

ボン経典のうちどの程度がドゥツァ体で記されているのか?ドゥツァ体で記さなければならない、何か規則でもあるのか?ドゥツァ体で記される経典は、ある特定の分野・宗派・年代と関係があるのか?など、謎だらけですが、今のところはこの方面からの突っ込みができる程の知識は私にはありません。

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「ドゥツァ('bru tsha)体」あるいはその別名「キュン体(khyung bris)」の名には、ボン教における有力氏族の名「ドゥ/ブル('bru)」氏、「キュンポ(khyung po)」氏と共通する単語が含まれています。これはなぜなのでしょう?

このうち、キュンポ氏の方はチベット史の表舞台にたびたび登場し、重要な役割を演じているので、聞き覚えのある方もいるでしょう。

キュンポ氏はシャンシュンに起源を持つ名家です。

キュンポ氏で最も有名な人物は、6世紀末?~7世紀前半、ルンツェン・ルンナム(slon btsan rlung nam)~ソンツェン・ガンポ(srong btsan sgam po)の二代に渡り吐蕃王家に仕え、ロンチェ(blon che/宰相)にまで昇りつめたキュンポ・プンセー・スツェ(khyung po spung sad zu tse)。

スツェは大変興味深い人物で、それこそ話題が尽きないのですが、ここで詳しく語る余裕はありません。いずれまとめて語る機会もあろうかと思います。

スツェだけではなく、キュンポ氏はその後も吐蕃史にたびたび登場します。ポスト吐蕃時代にも、カム西部のキュンポ・テンチェン(khyung po steng chen/丁青)を政治的・宗教的に支配し、ボン教の法統を伝える氏族として、また15世紀にネパールのロー・マンタン(ムスタン)に王国を開いた氏族として有名です。

系図上キュンポ氏の傍系とされるラン(lang/rlangs)氏は、14~15世紀に中央チベットを支配するパクモドゥパ(phag mo gru pa)政権を樹立しました(ラン氏はキュンポ氏直系子孫ではなく、本来は無関係のスムパ出身氏族で、婚姻によってキュンポ氏と結びついた、という説もあります)。

また、仏教においてもキュンポ氏からは、シャンパ・カギュパ(shangs pa bka' brgyud pa)祖師キュンポ・ネンジョル(khyung po rnal 'byor、1002-64/978-1127/990-1139など諸説ある)、(ダクポ・)カギュパ(dwags po bka' brgyud pa)祖師の一人ミラレパ(mi la ras pa、1040-1123)などの巨人が出ています。

キュンポ氏、ダン/スブラン(sbrang)氏、ラン氏などより構成されるセ(bse)部族全体については、シャンシュン王国、女国、ボン教、ギャロンがらみでいずれ語る機会があろうかと思います。

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しかしブルシャ/ボロルとボン教の関わりでは、キュンポ氏よりもブル氏の方が重要で、文献でもかなり詳しくその関係を追うことができます。

次回はそのブル氏の歴史を追っていきます。

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