ヒマーチャル・プラデシュ州北東部の三地域、ラーホール、スピティ(注1)、キナウルはラダック/ンガリー(グゲ王国)と接し、古くから両勢力との深い関係にありました。チベット文化の最前線に当たりますが、ラダックがイスラム教文化圏と対峙しているのに対し、こちらはヒンドゥ教文化圏と対峙しています。
ヒマーチャル・プラデシュ州のチベット語
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ザンスカールから南に峠を越えるとラーホール(注2)。人口わずか二万人あまりの土地で七種類もの言語が話されており(注3)、言語環境の複雑さはインド国内でも有数です。そのうちラーホール土着の言葉についてはいつかまた取り上げることにして、ここではチベット語の話だけすることにします。
ラーホールは北にラダック/ザンスカールと接し、同地域との関係が深かった土地です。チベット側からは「ガルシャ(gar zha)/カルシャ(dkar zha)」と呼ばれています。古くから小領主が分立し、各々が隣接する国に臣属してきました。おおまかに言って西部(チャンドラー・バーガー川流域)はチャンバー王国に、南東部(チャンドラー川流域)はクッルー王国に、そして北東部(バーガー川流域)はラダック王国に臣属してきました。
ザンスカールが「ザンスカール・ゴ・スム」という異名を持っているのにも似て、ラーホールは「ガルシャ・カンドリン(gar zha mkha' 'gro'i gling)」という異名を持っています。かつてラーホールは魔女(カンドマ=mkha' 'gro ma)が治めていた土地で、そこへバララチャ・ラを越えてやって来たゲパン神一族がこれを追い払い定住した、という神話にちなむ名です(注4)。
ラーホール・トゥーのご夫婦@カンサル(バックの丘の上はコロン)
その北東部で話されている言語がチベット語の方言であるトゥー語(stod skad、注5)。ザンスカール語にきわめて近い言語です。単語や言い回しにはラダック語の影響が強いようですが、発音はザンスカール語に似てチベット語ンガリー方言(ウー・ツァン方言)に近づきます(注6)。
ラダック語と共通する単語・言い回しとしては、
「これ」=「'i(イ)」。
「これはなんですか?」=「'i bo ci yin nog ?(イボ・チ・イン・ノク?)」
「~はいくらですか?」=「~ tsam yin le ?(~・ツァム・イン・レー?)」。
「良い」=「rgyal la(ギャーラ)」
「祖父」=「me me(メメ)」。
「祖母」=「a bi(アビ)」
など。
発音のみがラダック語的なのは、
「'bras(米)」=「ダス」(注7)、「gnyis(数字の2)」=「ニィース」など。
一方発音がンガリー方言(ウー・ツァン方言)的なのは、
「stong(数字の1000)」=「トン」、「skar ma(星)」=「カルマ」など、語頭の「s-」は発音されないケースが多くなります。
これはザンスカール語とほとんど変わりないのですが、両者がどこが違うのか?というと、私にはもう答えられません。
ザンスカール語は「西部古方言」ラダック語の一方言とされ、ラーホール・トゥー語は「西部改新的方言」(スピティ語などのグループ)とされる場合が多いのですが、この線引きが厳密なものでないことは明らかです。
前回も述べましたが、17世紀末までラダック領であったラーホール北東部にはラダック~ザンスカールからの移住者が多かったと思われます。直接接しているザンスカールの影響がより強い(というより、相互に影響を及ぼしあってきた)のは当然でしょう。
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ラーホールは、チベット語研究史上でも非常に重要な場所でもありました。
19世紀の編纂ながら、現在でも盛んに利用されるH.A.イェシュケの辞書や文法書(注8)は、ラーホール滞在中の研究成果であることはあまり知られていません。
先達チョーマ・ド・ケレス(注9)同様、文語研究が中心なので、口語であるラーホール・トゥー語の影響はあまりみられないのですが、イェシュケの辞書・文法書でも、断片的ながらラダック語、トゥー語、スピティ語とウー・ツァン方言との比較が行われていますから、こちらで発音の概要を知ることもできます。
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この辺まで戻ってくると、チベット語に堪能な人ならもうすっかり安心です。ラダックでのようにとまどうこともないでしょう。もうひとつ峠を南東に越えてスピティに出てみましょう。もっと安心できるはずです。
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(注1)
ラーホールとスピティは、行政区分上は「ラーホール&スピティ県」として一緒にされているが、歴史的にも現状でもそれほど結びつきが強いわけではない。ケーロン~カザの直通バスが存在しないことからもそれが窺える。単に共に人口希薄で隣接した地域ということで一緒にされているだけ。
(注2)
日本では「ラホール」という表記が一般的だがDevanagari表記では
であり、「ラーホール/Lahaul」の方が適当。
日本では、「ヒンディ語の長母音をいちいち正確に転写すると間延びして煩わしい」と、アクセントのある音節を除きこれを短母音として表記するケースが多い。「ラホール」という表記はそのケースに当たる。
「Lahoul」、「ラフール/Lahul」という表記もあり、双方とも地元出身の著者が用いており、こちらも誤りとはいえない。
もともと「ラーホール」という単語はチベット語でもインド系の言葉でもなく、ヒマラヤ諸語(ラーホールだけでも三種あり、ラーホール語と言うこともできない)の単語と考えられる。独自の文字を持たない言葉であるため、どの表記が正しいとは一概に決めかねる。
このblogでは「ラーホール/Lahaul」で統一することにします。
ただ、「ラーホール/ラホール」とすると、パキスターン・パンジャーブ州の「Lahore」とカタカナでは同じ表記になってしまい、これと混同されやすいのが悩みの種(インド人のRの発音は巻き舌がきついので、インドでもLとRは紛らわしい)。その意味では「ラフール/Lahul」を用いるのも意義あることではある。
(注3)
大きく三つに区分できる。ランゴリ語とパトナム語のどちらか一方を取ると七種類、両方を取ると八種類になる。
(1)チベット・ビルマ系ヒマラヤ諸語-シャンシュン語とも近縁の言葉
・パッタン語(Pattani)=マンチャド語(Manchadi)
・ティナン語(Tinani)
・ガハル語(Gahari)=ブナン語(Bunan)
(2)チベット・ビルマ系チベット語
・トゥー語(stod skad)=コロン(Kolong)方言
・ランゴリ語(Rangoli)=コクサル(Koksar)方言-トゥー語に含まれる場合が多い
・パトナム(Patnam)語-存在が認識されていない場合が多い
(3)インド・ヨーロッパ系
・チナール語(Chinali)-指定カーストの人々が使う言葉
・ロハール語(Lohari)-指定カーストの人々が使う言葉
(注4)
ラーホール各地には、サッダク(sa bdag=地主神)と呼ばれる強い力を持つ兄弟の神々が祠られており、これがゲパン神一族。その主ゲパン神はラーホール全体の守護神でもある。バーガー谷側とチャンドラー谷側と二つあるゲパン・ゴー(Gephang Goh)という山はゲパン神の在所。御神体はチャンドラー谷のシャシン(Shashin/sra srin)の社に祠られている。詳しくは、
・Tobdan (1984) HISTORY & RELIGIONS OF LAHUL : FROM THE EARLIER TO CIRCA A.D. 1950. pp.viii+111. Books Today, New Delhi.
・棚瀬慈郎 (2001) 『インドヒマラヤのチベット世界 -「女神の園」の民族誌』. pp.211. 明石書店, 東京.
を参照されたし。
(注5)
ここでいう「stod」はローカルな用法の方。「バーガー川の上流部」という意味で、「ウー・ツァンから見て西方」という意味合いは持っていない。
ローカルには「stod skad」と呼んで不都合はないが、チベット語全体で見ると、「stod skad」だけだとンガリー方言の別称と混同されやすいので、その場合は「ラーホール・トゥー語」と呼びます。
(注6)
今回も私が現地で採取した発音に加え、一部下記の資料からも引いています。
・Deva Datta Sharma (1989) TRIBAL LANGUAGES OF HIMACHAL PRADESH (PART-I). pp.xxiii+346. Mittal Publications, Delhi. (ラーホールの四言語を扱った巻)
これはトゥー語に関する唯一の本格的な研究。
・研究開発支援総合ディレクトリReaD > 研究者 > 武内紹人
http://read.jst.go.jp/public/cs_ksh_008EventAction.do?action4=event&lang_act4=J&judge_act4=2&knkysh_name_code=1000029147
によると、武内紹人先生がラーホール・トゥー語の調査を行っているらしいが、その成果が発表されているのかどうかわからなかった。
バーガー川上流部で話されているトゥー語/方言に加え、チャンドラー川上流部で話される「ランゴリ語/方言(Rangoli)」、ミヤール・ナーラー流域で話されている「パトナム(Patnam)語/方言」をまとめて「チベット語ラーホール方言」とする区分法がある。
・西義郎 (1990) ヒマラヤ諸語の分布と分類(中). 国立民族学博物館研究報告, vol.15, no.1, pp.265-335.
がこの区分を取っている。ただしこれは地理的な分布で一まとめにしただけで、パトナム語/方言は実際には暫定的にラダック語/方言のグループに入れておく、というのが同説。
ランゴリ語は、トゥー語とは山を挟んで地域が違うだけで、性格は全く同じらしいので、ここではトゥー語に含める。
パトナム語については、現状では区分をどうするかについては資料がなさすぎだし、ザンスカール語とトゥー語の関係をどうみるかという問題とも関わってくるので、ここでは「住民はザンスカールから移住」という情報を重視し、とりあえずトゥー語ではなくザンスカール語の方に入れておく。
(注7)
Sharma(1989)では「デ」と、ンガリー方言(ウー・ツァン方言)的な発音を採取している。
(注8)
Heinrich August Jäschke[1817-83]はドイツ人。キリスト教プロテスタントのモラヴィア教会宣教師として1857~68年にラーホール・ケーロンの伝道所に派遣され、聖書のチベット語訳や言語研究に従事した。Csoma de Körösに続き、欧米でのチベット語研究の基礎を作り上げた功労者の一人であり、その著作は今なお利用されている。Jaeschkeという表記もある。
主要著作 :
・(1865) A SHORT PRACTICAL GRAMMAR OF THE TIBETAN LANGUAGE. Kyelang(British Lahaul).
・(1866) ROMANIZED TIBETAN AND ENGLISH DICTIONARY. Kyelang(British Lahaul).
・(1871) TIBETISCH - DEUTSCHES WÖRTERBUCH. Gnadau.
・(1881) A TIBETAN - ENGLISH DICTIONARY. Routledge & Kegan Paul, London. → Reprint : (1993) Rinsen Book, Kyoto/(2003) Dover Publications, Mineola(USA) など多数
・(1883) TIBETAN GRAMMAR : SECOND EDITION. Trübner, London.
参考 :
・Rainer Witt (1990) Jäschke, Heinrich August.
Biographisch - Bibliographisches KIRCGENLEXIKON > Jaeschke, Heinrich August
http://www.bautz.de/bbkl/j/Jaeschke.shtml
・★'s Lab. Tibetan Studies > Wikiwiki Tibetan Lab > チベット辞典編纂史 > 欧米におけるチベット語辞典編纂の歴史
http://star.aa.tufs.ac.jp/tibet/?%E8%BE%9E%E5%85%B8%E7%B7%A8%E7%BA%82%E5%8F%B2%EF%BC%A0%E6%AC%A7%E7%B1%B3
(注9)
Alexander Csoma de Körös[1784-1842]はハンガリー人。ハンガリー人の源流を求めて中央アジア・インドに向かい、ラダックでチベット語に興味を持つ。1823~24年と1825~26年の二度ザンスカールに滞在しチベット語を研究。1827~30年にはキナウル・カナムに滞在しチベット語研究を続けた。欧米のチベット語研究のパイオニアといえる存在。
チョーマもイェシュケもその活動範囲は本blogで扱っている西部チベット。チベット語研究はまさにこの地域で産声を上げた、といっても過言ではないのです。
チョーマの足跡についてはいろいろおもしろい話もあるので、いつかまたもう少し詳しい話をすることにしましょう。
1991年にJispaで話されているStod dialectとそこからわかれたKhoksar方言の調査をし、だいたいの輪郭はわかったのですが、民博などで発表したあと、出版していません。すみません。必要な情報があればお知らせします。 武内紹人
返信削除武内先生直々の投稿、恐縮です。ありがとうございます。
返信削除>民博などで発表したあと、出版していません。
そうでしたか。あの辺の言語に関する論文は少ないので残念です。
>必要な情報があればお知らせします。
私もガイドブック用に会話帳を作った際(ボツで陽の目を見ていませんが)、単語・会話を収集したのがJispaでした。私の方ではそれでほぼ完結しているので、貴重な情報をいただいても今のところ活用できる見込みがないのですが、会話帳もいずれなんらかの形で表に出したいと思います。
ラーホールだけではなくザンスカールやスピティも含めて、どなたか若手の研究者で、後続で調査・研究する方は出てこないものでしょうかね。今はシャンシュン研究がらみで、キナウル語やラーホール諸語(マンチャド語など)の方がホットなのでしょうか。といってもキナウル語の高橋先生の活動くらいしか存じておりませんが。