ラーホールからクンゾム・ラ(kun 'dzom la)を越えるとスピティ(spi ti/spyi ti)です。「スピティ/Spiti」という表記が一般的ですが、地元では語頭の「s-」はほとんど発音されず「ピティ」という音になります(注1)。
前に説明した「ザンスカール」同様、「スピティ/Spiti」という発音も自称というよりはラダック側からの呼び名であろう、と推測できます。スピティは17~19世紀にはおおむねラダック領でした。
地元の呼び名を重視すれば「ピティ」と表記するのが適当ですが、一般に「スピティ/Spiti」という表記が広まっている上に、行政上の正式表記も「Spiti」になっていることから、ここでは「スピティ/Spiti」で通します。
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スピティに入ると風景もそうですが、人の顔や言葉はもうすっかり西チベットそのものです(注2)。これまで見たインド側西部チベットの人々の顔には多少なりともコーカソイドの雰囲気がありましたが、スピティパは完全にチベット顔です。
スピティの人々@ラルン
言葉(spi ti'i skad)も限りなくンガリー方言(ウー・ツァン方言)に近づきますが、単語や言い回しはラーホール・トゥー語同様ラダック語の影響がまだみられます(注3)。そういった意味では「中央方言」や「西部古方言」のどちらかに入れてしまうのではなく、「西部改新的方言」という区分を立てるのは妥当な線だろうと感じます。
「これ」=「'i(イ)」。
「これはなんですか?」=「'i ci yin na' ?(イ・チ・イン・ナ?)」
「~はいくらですか?」=「~ rin tsam yin ?(~・リン・ツァム・イン?)」。
「祖父」=「me me(メメ)」。
「祖母」=「a bi(アビ)」
などはザンスカール語/トゥー語と同様、ラダック語的な単語・言い回しですが、
「ありがとう」=「thugs rje che(トゥジェチェ)」
「良い」=「yag po(ヤクポ)」
などチベット語ウー・ツァン方言らしい言い回しも出てきます。
「猿」=「spre'u(テ)」
「数字の2」=「gnyis(ニィー)」
「米」=「'bras(デー)」
などももうチベット語ウー・ツァン方言とすっかり同じ発音です。
ラダック語の万能挨拶「ジュレー」はスピティでも使われますが、利用頻度はだいぶ少なくなってきます。
語頭の「s-」、語尾の「-s」が発声される単語ももうほとんどありません。それは「spi ti」が「ピティ」と発音されていることでもわかりますね。
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スピティ川を下りキナウル(Kinnaur/khu nu、注4)に入ってもしばらくはチベット系の人々が住む地域が続きます。スピティ川の最下流域、サトレジ川と合流するまでの地域をハンラン(Hangrang/hrang trang)谷と呼びます。グゲ時代の古刹ナコ(Nako/na ko)寺を含む地域です。さらにサトレジ川流域に入りプー(Puh/spu)あたりまでを総称して上キナウル(Upper Kinnaur)と呼びます。
このあたりのチベット語を「ニャム語(mnyam skad)」といいます(注5)。プーを過ぎてロパ(Ropa/ro pag)谷が合流するあたりからキナウル語(hom skad)圏が始まります(キナウル語圏内でもチベット仏教がさかんな場所ではチベット語が通じる)。
ニャム語分布域の方はサトレジ川流域を少し離れて、チベットとの国境沿いに南に伸び、ネサン(Nesang)、そしてテドン谷(Tedong Gad)最上流のクヌ(Kunu/ku nu)~チャラン(Charang/rtsa rang/tsha rang)に続いています。
このニャム語については、聞き取りを行って一通り会話帳を作ってみたところ(注6)、これといってスピティ語との違いがわかりませんでした。つまり、ラダック語の影響はあるものの、発音は限りなくンガリー方言(ウー・ツァン方言)に近いチベット語です。
上キナウルのおじさん(バカボンのパパ?)
ラーホール~スピティ間のように高い山に隔てられているわけでもなく、スピティ~キナウル間はスピティ川沿いに通行も容易ですから、言葉がほぼ同じなのも当たり前といえば当たり前です。
上キナウルは1630年まではグゲ領、その後50年間はラダック領、17世紀末からブシェール王国領となります。しかし隣接しているンガリーとの交易は盛んで、今のように国境が閉鎖されていたわけでもありませんから、当然ンガリー方言の影響も強くなります(それはスピティも同様です)。
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国境を東に越えるとそこは現・中国領チベット、ンガリーの西部です。このあたりはロンチュン(rong chung)とかチョクラ(lcog la)とか呼ばれていました(注7)。なかなか外国人の入域は難しい場所で、また言語学調査にとっても全くの空白域です。
ンガリー方言の一種が話されているのだろうと推測されますが、ンガリー方言内での位置づけやスピティ語/ニャム語とどういう違いがあるのか、興味のあるところではあります。
2009年3月13日「ザンスカール・ゴ・スム」の巻 でも紹介した
・Institute of Linguistics, University of Bern : The Tibetan Dialects Project
http://www.isw2.unibe.ch/tibet/Dialects.htm
にちょっと興味深い記述がありました。
┌┌┌┌┌ 以下、上記サイトより ┐┐┐┐┐
WIT Western Innovative Tibetan
-Ladakhi dialects of Upper Ladakh and Zanskar (India)
-North West Indian Border Area dialects: Lahul, Spiti, Uttarakhand (India)
-Ngari dialects: Tholing (Tibet Aut. Region: Ngari Area)
CT Central Tibetan
-Ngari dialects (Tibet Aut. Region: Ngari Area)-Northern Nepalese Border Area dialects (Nepal)
-Tsang dialects (Tibet Aut. Region: Shigatse Area)
-U dialects (Tibet Aut. Region: Lhoka Area, Lhasa municipality)
└└└└└ 以上、上記サイトより ┘┘┘┘┘
と、ンガリー方言の中でもトリン方言(すなわちツァンダ方言)だけを他のンガリー方言(ウー・ツァン方言のグループ)から切り離して、スピティ語などと同じ「西部改新的方言」に加えています。
このウェブサイトだけではその根拠は不明ですが、スピティや上キナウルは1630年以前はグゲ王国領であり、今よりもずっとンガリーと結びつきが強かったことが思い出されます。
そうなると、ツァンダとスピティ/上キナウルの間に位置するロンチュンの言葉は、ますますスピティ語/ニャム語に近い言葉と推測されるわけですが、とにかく誰かが一度調べないことには話は始まらないでしょうね。
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スピティ語のグループ「西部改新的方言」にはあと二つほど仲間がいます。ンガリーからヒマラヤを南に越えたウッタルアンチャル(Uttaranchal)州北部のジャド(Jad)語とガルワール(Garhwal)・チベット語です。私はこの地域には行ったことがなく、両言語の内容ついても知りませんから、位置や状況に簡単に触れるだけにします。
ジャド語は、ンガリーの南西部サラン(za rangs/薩譲)からタガ・ラでヒマラヤを越えたネラン(Nelang)周辺の言葉。ガンゴトリー(Gangotri)のすぐ近くです。ここはヒマラヤの南側ながら、かつてはチベットの勢力下にありましたが、今はインドが実効支配しています。中国も領有を主張しているため、国境未確定地域とされています。
ガルワール・チベット語は、ンガリーの中心地ツァンダから真南にマナ・ラ(Mana La)を越えたマナ(Mana)周辺と、ニティ・ラ(Niti La)を越えたニティ(Niti)周辺の言葉です。バドリーナート(Badrinath)やジョシーマト(Joshimath)の上手に当たります。彼らはマルチャ(Marcha)と呼ばれているので、言葉も「マルチャ語」と呼んだ方がいいかもしれません。この地域も国境閉鎖前はチベット側との交易が盛んでした。ただしマルチャたち自身はチベット起源ではない、と主張している、という話も聞きます(注8)。
双方ンガリーに隣接した地域で、スピティ語/ニャム語同様きわめてンガリー方言に近い言葉と推測されます。両言語に関する研究は、
・Deva Datta Sharma (1990) TIBETO - HIMALAYAN LANGUAGES OF UTTARAKHAND (PART II). Mittal Publications, Delhi.
で発表されているようです(未見)。
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これでようやく西部チベット語を一通り見終わったわけですが、ひとことで西部チベット語と言っても多彩なヴァリエーションがあることがおわかりいただけたかと思います。
なにゆえ言語の違いにこだわっているかというと、第一には言語を習得して地元の人々と交流を図りたいから、というのはもちろんですが、それに加え私の場合は言語に歴史を観ているからでもあります。
一般に歴史を調べるという作業は、文字史料の解読が中心になるわけですが、その他にも有形・無形の素材はたくさんあります。人々の顔、口伝、民族衣装、習俗、民家建築、寺の宗派・建築・美術などなど、そのいずれにも歴史が秘められています。言語もそういった無形の資料の一つとしてとらえることができます。
ラサから遠く離れたンガリーの言葉が、お隣のラダック語とはだいぶ異なるウー・ツァン方言であるのはなぜなのか?なぜラダック~バルティスタンに古いチベット語の発音が残っているのか?ザンスカール語がラダック~プリクよりもラーホール~スピティに近いのはなぜなのか?そして、チベット系言語に囲まれてダー・ハヌーにシナー語の孤島があるのはなぜなのか?などなど。
こういった言語地理から歴史的な背景を探る話も今後していく予定です。
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さて、またヒマーチャル・プラデシュ州に戻りますが、トゥー語/スピティ語/ニャム語の外側(インド側)には、ヒマラヤ諸語を話す人々の豊穣なる世界(ラーホール/マラーナー/キナウル)が広がっているのですが、これに手をつけると話題はシャンシュン王国やらタカリーやら羌まで広がっていき、いつ終わるとも知れない話に突入してしまうので、今はやめておきます。
とりあえずこれで一連の西部チベット語の話は終わりですが、このあといくつか落ち穂拾いもしておきましょう。
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(注1)
この地域の名が史料に初めて現れるのは、クッルー王国の王統記(Vamsavali)。7世紀前半頃にクッルー王国と領土争いをし、一時はクッルーを属国としていた他国の王として「Piti Thakur」の名が現れる。紛争地がクッルー北部山岳地帯であることから、Piti Thakurは現在のスピティを本拠地としチャンドラー谷を経由してクッルーにちょっかいを出していた、とみる説が一般的(だが確実な証拠はない)。当時から発音は「ピティ」だったようだ。
チベット側の史料では、吐蕃時代の地名として西部チベットのどこかに「ci di/spyi ti」という地名があったことが知られているが、現在のスピティのことかどうかわからない(山口1983説では「カイラーサ山の北側」とする)。
グゲ王国時代(10世紀以降)になって、その領土の一部として、現在のスピティ(spi ti/spyi ti)がはっきりと姿を現す。
参考文献 :
・J. Hutchison+J. Vogel (1933) HISTORY OF THE PANJAB HILL STATES, VOLUME I + II. pp.729+xiii. Lahore. → Reprint : (1999) Low Price Publications, Delhi.
・Giuseppe Tucci (1956) PRELIMINARY REPORT ON TWO SCIENTIFIC EXPEDITION IN NEPAL. pp.viii+153+figs. IsMEO, Roma.
・山口瑞鳳(1983)『吐蕃王国成立史研究』. pp.xxviii+915+60. 岩波書店, 東京.
・Roberto Vitali (1996) THE KINGDOMS OF GU.GE PU.HRANG. pp.xi+642. Dharamsala.
・V. Verma (1997) SPITI : A BUDDHIST LAND IN WESTERN HIMALAYA. pp.vii+176+pls. B.R. Publishing, Delhi.
・岩尾一史 (2000) 吐蕃のルと千戸. 東洋史研究, vol.59, no.3[2000/12], pp.605-573.
・Tobdan (2000) KULLU : A STUDY IN HISTORY (FROM THE EARLIEST TO AD 1900). pp.126+pls.XVI. Book India Publishing, Delhi.
(注2)
谷沿いには湖でできた地層があちこちに残っていてちょっとグゲ的な風景。カザ背後の高原へ行くとヤクもいて、ますますチベット的な空気になってくる。
(注3)
今回も私が現地で採取した発音に加え、一部下記の資料からも引いています。
・Deva Datta Sharma (1992) TRIBAL LANGUAGES OF HIMACHAL PRADESH (PART-TWO). pp.xxi+404. Mittal Publications, Delhi. (スピティとキナウルとマラーナーの言語を扱う巻、ただしキナウル語を除く)
これはスピティ語に関する唯一の本格的な研究。
(注4)
Kinnaurは現代のDevanagari表記では、
その通り読むと「キンノール」となるが、古くはKanawar/Kunavar/Koonawurなどと音写されているので、この音を尊重してこのblogでは「キナウル」と呼ぶことにする。キナウル語を研究している愛知県立大学・高橋慶治先生も「キナウル」を使っている。
「キナウル」という地名とインド神話の尊格「Kimnara」は関係あるのか?という話はいずれまた。
(注5)
「mnyam」とは「同じ」とか「平等な」などの意味だが、なぜ上キナウルのチベット語が「平等なる言葉(mnyam skad)」と呼ばれているのか、由来は不明。
ニャム語に関しても、前述のSharma(1992)が唯一の本格的な研究書。
(注6)
ニャム語だけではなく、スピティ語、トゥー語、ラーホールのヒマラヤ諸語系三言語、マラーナーのカナシ語、キナウル語とすべて会話帳が完成していたのですが、ガイドブックの企画丸ごとボツになったため、陽の目を見ていないわけです。
(注7)
チョクラは上キナウルのハンラン谷なども含む地域をさすのではないかとみられ、ロンチュンの範囲とは若干ずれているかもしれない。チョクラはピチョク(pi cog)、スピティ(spi ti)と併記されていることが多く、ピチョクは下スピティ(タボあたり)を、スピティは今のスピティのうちでも中スピティ(カザ~キーあたり)~上スピティ(ハンサ~ロサルあたり)を指すのではないか、とみられる。
(注8)
この他、ウッタルアンチャル州には「Bhotiya」と総称されるモンゴロイドの民族(ランパ、チャウダンシ、ビャンシなど)が住んでおり、かつてはその名の通りチベット系民族として扱われてきたが、現在では、ヒマラヤ諸語(キナウル語などと同じグループ)を話す民族であり、チベット起源の人々ではない、ことが明らかとなっている。
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