さて、このバルティ文字ですが、どう解読したらいいのでしょうか。
実はGrierson(ed.)(1909)にはバルティ文字列の下には同じ音・内容を記したペルシア文字が付されています。これは、バルティ文字の発見者Gustafsonが付したものです。それで音がわかります。
しかし私はペルシア文字にはうといので、正確を期すためもうワン・ステップ、ヒントをもらいたいところです。探してみると、うまいことにそれがありました。これです↓。
・Rick McGowan+Michael Everson (1999) Unicode Technical Report #3 : Early Aramaic, Balti, Kirat (Limbu), Manipuri (Meitei), and Tai Lü Scripts. pp.11.
http://std.dkuug.dk/JTC1/SC2/WG2/docs/n2042.pdf
これは、世界各地の文字にUnicodeを割り当てる会議における書類らしく、バルティ文字などにUnicodeを割り当てようか?という提案です。これは提案の段階で止まっているようで、実際にはUnicodeの割当が行われた気配はありません。
バルティ文字字母に対応するアルファベットが示されています。これでより確実にバルティ文字の音がわかります。
McGowan+Everson(1999)が挙げているバルティ文字の字母は、Grierson(ed.)(1909)から拾い出したものだけのようです。参考文献として挙げてあるのも、これと出所不明の2ページのみ。
これをまとめてペルシア文字+バルティ語専用改変ペルシア文字を加えてみると、次のような表ができます。
第1行はバルティ文字
第2行はアルファベットで示した音価
第3行はチベット文字
第4行はペルシア文字+バルティ語専用改変ペルシア文字(*で示した改変ペルシア文字は前回紹介したHussainabadi(1990)より複写)
実はGrierson(ed.)(1909)にはバルティ文字列の下には同じ音・内容を記したペルシア文字が付されています。これは、バルティ文字の発見者Gustafsonが付したものです。それで音がわかります。
しかし私はペルシア文字にはうといので、正確を期すためもうワン・ステップ、ヒントをもらいたいところです。探してみると、うまいことにそれがありました。これです↓。
・Rick McGowan+Michael Everson (1999) Unicode Technical Report #3 : Early Aramaic, Balti, Kirat (Limbu), Manipuri (Meitei), and Tai Lü Scripts. pp.11.
http://std.dkuug.dk/JTC1/SC2/WG2/docs/n2042.pdf
これは、世界各地の文字にUnicodeを割り当てる会議における書類らしく、バルティ文字などにUnicodeを割り当てようか?という提案です。これは提案の段階で止まっているようで、実際にはUnicodeの割当が行われた気配はありません。
バルティ文字字母に対応するアルファベットが示されています。これでより確実にバルティ文字の音がわかります。
McGowan+Everson(1999)が挙げているバルティ文字の字母は、Grierson(ed.)(1909)から拾い出したものだけのようです。参考文献として挙げてあるのも、これと出所不明の2ページのみ。
これをまとめてペルシア文字+バルティ語専用改変ペルシア文字を加えてみると、次のような表ができます。
第1行はバルティ文字
第2行はアルファベットで示した音価
第3行はチベット文字
第4行はペルシア文字+バルティ語専用改変ペルシア文字(*で示した改変ペルシア文字は前回紹介したHussainabadi(1990)より複写)
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まず、チベット文字に対応するべきバルティ文字がだいぶ足りないことに気づきます。これは、サンプルがGrierson(ed.)(1909)の短い例文しかないためで、そこに現れない文字は存在しないことになっているわけです。
しかし実際はすべてのチベット文字に対応するバルティ文字があるはずです。現在バルティ語表記に用いられているペルシア文字+改変ペルシア文字はすべてのチベット文字に対応しているのですから。
このことからも、McGowan+Everson(1990)のUnicode割当の試みは時期尚早であることが窺えます。まずはバルティ文字による例文をもっと集めて、字母のセットを完全にする必要があるでしょう。
------------------------------------------
これをながめていると、バルティ文字の造字原理にいくつかのパターンがあることがわかります。
(1)チベット文字を変形したもの
k、kh、c、ch、m、l、h、aiueoなどはチベット文字を裏返したり、回転させたり、簡略化したものと思われます。
一見アルファベットの「R」のように見える「l」は、チベット文字の「la」で「2」のようなものを描いた後、最後の縦棒を右ではなく、文の進行方向通り左に描いて作ったものとみられます。
「c」、「ch」、「th」、「ts」などはまずチベット文字を寝せて、それをさらに変形させたもののように見えますが、今ひとつわかりにくいです。
母音記号も「-u」はチベット文字のものと似ています。
(2)ペルシア文字を変形したもの
sh、sは明らかにペルシア文字を立てたもので、ペルシア文字に倣って「s」に「∴」のかわりに「・」をつけると「sh」になります。
母音記号の位置や形もペルシア文字の影響が強いことは明白です。
(3)チベット文字とペルシア文字を合成したもの
t、d、p、b、z、'、r。
「'」と「d」はチベット文字とペルシア文字を縦にくっつけたもの。
アルファベットの「P」に似た字母群、「t」、「p」、「b」は、まずチベット文字の「ba」の足をのばしてバルティ文字「b」を作り、その後ペルシア文字で「b」と似た形の音を選び同じ「P」のような字形を当て、点を付けたりその位置を変えたりすることで作っています。
「z」と「r」は、「β」を裏返したような形をしています。これはまずチベット文字「za」の横棒三本を一筆でつなぎ、ペルシア文字では「・」がついているので「・」をつけてバルティ文字の「z」を作っています。ペルシア文字で「z」と似た字形を持つ「r」に同じ形を当て、バルティ文字「z」から「・」を取って作っています。
(4)不明
g、ng、j、nは造字原理がよくわかりません。
------------------------------------------
造字にはおおいにペルシア文字を参考にしていることがわかりました。よって「バルティ文字はイスラム教/ペルシア文字到来以前の文字」などとはとても言えず、「15・16世紀~20世紀初頭の間に創作された」としか言えません。
気になるのは、バルティ文字で書かれた文章が、今に至るもGustafsonが採取したこの例文一つしか報告されていないことです。
Grierson(ed.)(1909)には、「バルティ方言で書かれた古い史書がいくつか今も現ラージャーの手元にある。それらは特異な文字で書かれているが、その文字は1400年頃バルティ人がイスラム教に改宗した際に考案されたのかもしれない」とあるものの、その後バルティ文字文書の存在を聞いたことがありません。
バルティ文字は1900年頃に創作され、全然普及しなかった文字体系、という可能性すらありそうです。「Gustafsonが創作したのでは?」とまでは言いませんが、他に全く報告がないのですから、その可能性を保留しておいてもいいでしょう。
アルファベットに似た文字は、最初は「もしかするとバクトリア~エフタルあたりで用いられていたギリシア文字の流れをくむものでは?」などと考えたりもしました(注)が、それとは全く無関係であることも明らかになりました。
------------------------------------------
もともと字形が大きく異なるチベット文字とペルシア文字をもとにしているため、字形に統一感がなく、文章になるとかなりアンバランス。奇妙かつ気持ち悪い印象を持ってしまうのも仕方ないですね。
点のあるなしやその位置が違うだけの似たような字形が多く、まぎらわしい。これはペルシア文字の伝統を引き継いでいます。
チベット文字系の字形は角張ったものが多く速記に向いているとは思えません。もしかすると筆記用の書体もあるのかもしれませんが。
こういった欠点は、文字体系としての未熟さを感じさせます。「新しく創作されたもので、実際に利用されたことはないのでは?」という疑いを持ってしまうのは、このあたりに対する疑問からです。
上記の字母表をもとに次回は例文の解読に進みましょう。
===========================================
(注)
バルティスタンにはかつて「シャカルパ(sha dkar pa=白い肌の人)」と呼ばれる人々がおり、これを「ギリシア人の末裔では?」とする説がある(確かな証拠はない)。スカルドゥのマクポン王朝は、その始祖イブラヒム・シャー(Ibrahim Shah、1200年頃)がシャカル・ギャルポ(sha dkar rgyal po)家に婿入りすることで王朝交代がなされた、と伝えられている。
現在も「シャカルパ」を名乗る家系は残っているが、容貌、言葉、伝説のいずれにおいても、ギリシア起源を裏付ける証拠はみつからないようだ。
参考:
・Ahmad Hassan Dani (1991) HISTORY OF NORTHERN AREAS OF PAKISTAN. pp.xvi+532. National Institute of Historical and Cultural Research, Islamabad.
・Abbas Kazmi (1993) The Ethnic Groups of Baltistan. IN : Charles Ramble+Martin Brauen(ed.) (1993) ANTHROPOLOGY OF TIBET AND THE HIMALAYA. pp.158-163. Ethnological Museum of the University of Zurich, Zurich.
まず、チベット文字に対応するべきバルティ文字がだいぶ足りないことに気づきます。これは、サンプルがGrierson(ed.)(1909)の短い例文しかないためで、そこに現れない文字は存在しないことになっているわけです。
しかし実際はすべてのチベット文字に対応するバルティ文字があるはずです。現在バルティ語表記に用いられているペルシア文字+改変ペルシア文字はすべてのチベット文字に対応しているのですから。
このことからも、McGowan+Everson(1990)のUnicode割当の試みは時期尚早であることが窺えます。まずはバルティ文字による例文をもっと集めて、字母のセットを完全にする必要があるでしょう。
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これをながめていると、バルティ文字の造字原理にいくつかのパターンがあることがわかります。
(1)チベット文字を変形したもの
k、kh、c、ch、m、l、h、aiueoなどはチベット文字を裏返したり、回転させたり、簡略化したものと思われます。
一見アルファベットの「R」のように見える「l」は、チベット文字の「la」で「2」のようなものを描いた後、最後の縦棒を右ではなく、文の進行方向通り左に描いて作ったものとみられます。
「c」、「ch」、「th」、「ts」などはまずチベット文字を寝せて、それをさらに変形させたもののように見えますが、今ひとつわかりにくいです。
母音記号も「-u」はチベット文字のものと似ています。
(2)ペルシア文字を変形したもの
sh、sは明らかにペルシア文字を立てたもので、ペルシア文字に倣って「s」に「∴」のかわりに「・」をつけると「sh」になります。
母音記号の位置や形もペルシア文字の影響が強いことは明白です。
(3)チベット文字とペルシア文字を合成したもの
t、d、p、b、z、'、r。
「'」と「d」はチベット文字とペルシア文字を縦にくっつけたもの。
アルファベットの「P」に似た字母群、「t」、「p」、「b」は、まずチベット文字の「ba」の足をのばしてバルティ文字「b」を作り、その後ペルシア文字で「b」と似た形の音を選び同じ「P」のような字形を当て、点を付けたりその位置を変えたりすることで作っています。
「z」と「r」は、「β」を裏返したような形をしています。これはまずチベット文字「za」の横棒三本を一筆でつなぎ、ペルシア文字では「・」がついているので「・」をつけてバルティ文字の「z」を作っています。ペルシア文字で「z」と似た字形を持つ「r」に同じ形を当て、バルティ文字「z」から「・」を取って作っています。
(4)不明
g、ng、j、nは造字原理がよくわかりません。
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造字にはおおいにペルシア文字を参考にしていることがわかりました。よって「バルティ文字はイスラム教/ペルシア文字到来以前の文字」などとはとても言えず、「15・16世紀~20世紀初頭の間に創作された」としか言えません。
気になるのは、バルティ文字で書かれた文章が、今に至るもGustafsonが採取したこの例文一つしか報告されていないことです。
Grierson(ed.)(1909)には、「バルティ方言で書かれた古い史書がいくつか今も現ラージャーの手元にある。それらは特異な文字で書かれているが、その文字は1400年頃バルティ人がイスラム教に改宗した際に考案されたのかもしれない」とあるものの、その後バルティ文字文書の存在を聞いたことがありません。
バルティ文字は1900年頃に創作され、全然普及しなかった文字体系、という可能性すらありそうです。「Gustafsonが創作したのでは?」とまでは言いませんが、他に全く報告がないのですから、その可能性を保留しておいてもいいでしょう。
アルファベットに似た文字は、最初は「もしかするとバクトリア~エフタルあたりで用いられていたギリシア文字の流れをくむものでは?」などと考えたりもしました(注)が、それとは全く無関係であることも明らかになりました。
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もともと字形が大きく異なるチベット文字とペルシア文字をもとにしているため、字形に統一感がなく、文章になるとかなりアンバランス。奇妙かつ気持ち悪い印象を持ってしまうのも仕方ないですね。
点のあるなしやその位置が違うだけの似たような字形が多く、まぎらわしい。これはペルシア文字の伝統を引き継いでいます。
チベット文字系の字形は角張ったものが多く速記に向いているとは思えません。もしかすると筆記用の書体もあるのかもしれませんが。
こういった欠点は、文字体系としての未熟さを感じさせます。「新しく創作されたもので、実際に利用されたことはないのでは?」という疑いを持ってしまうのは、このあたりに対する疑問からです。
上記の字母表をもとに次回は例文の解読に進みましょう。
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(注)
バルティスタンにはかつて「シャカルパ(sha dkar pa=白い肌の人)」と呼ばれる人々がおり、これを「ギリシア人の末裔では?」とする説がある(確かな証拠はない)。スカルドゥのマクポン王朝は、その始祖イブラヒム・シャー(Ibrahim Shah、1200年頃)がシャカル・ギャルポ(sha dkar rgyal po)家に婿入りすることで王朝交代がなされた、と伝えられている。
現在も「シャカルパ」を名乗る家系は残っているが、容貌、言葉、伝説のいずれにおいても、ギリシア起源を裏付ける証拠はみつからないようだ。
参考:
・Ahmad Hassan Dani (1991) HISTORY OF NORTHERN AREAS OF PAKISTAN. pp.xvi+532. National Institute of Historical and Cultural Research, Islamabad.
・Abbas Kazmi (1993) The Ethnic Groups of Baltistan. IN : Charles Ramble+Martin Brauen(ed.) (1993) ANTHROPOLOGY OF TIBET AND THE HIMALAYA. pp.158-163. Ethnological Museum of the University of Zurich, Zurich.
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