2017年12月12日火曜日

神仏習合の東西/葬式仏教の始まり/変成男子

引き続き「新アジア仏教史」を読んでいるわけですが、続いてはいよいよ日本仏教シリーズ。

・松尾剛次+佐藤弘夫+林淳+大久保良峻・編集強力 (2010.8) 『日本仏教の礎』(新アジア仏教史 11 日本 I). 477pp. 佼成出版社, 東京.


装幀 : 間村俊一

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この巻は、欽明天皇代の仏教伝来から平安時代末までを扱っています。

飛鳥・奈良仏教も、最澄・空海も非常に面白いのですが、特に面白かったのはこれ。

・門屋温 (2010.8) 第5章 神仏習合の形成. 『日本仏教の礎』(新アジア仏教史 11 日本 I)所収. pp.251-296. 佼成出版社, 東京.

日本の神仏習合のmodesを分類し、古い順から挙げてくれています。

今までぼんやりとしてしか理解していなかったので、頭の中がだいぶ整理できた。

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(1) 神身離脱と神宮寺(8世紀初以降)

これは、日本の神が自らを懺悔し、仏教に帰依したもの。仏教側のずいぶん勝手な言い分だが、勢力が弱まった神だとこんな仕打ちも受けてしまうのだ。

その結果として、神社の境内に仏教寺院が併設されます。

ただしこのシステムは日本独自のものではなく、中国から輸入された思想のようです。

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(2) 鎮守神勧請-よそ(国内)から新たに神を迎える(8世紀中以降)

代表は、東大寺の鎮守として招かれた八幡神。八幡神はもともと北九州の地方神(注)だが、おそらく北九州の豪族が大仏建立に大きな寄与をしたことが伺えるのだという。

八幡神は、これ以来仏教との関係が深まり、平安時代後期には「八幡大菩薩」などという名称まで頂戴するようになる。

(注)
八幡神は、おそらく朝鮮半島からの渡来人が信仰していた渡来神と推察されている。

八幡神の歴史については、

・飯沼賢司 (2004.6) 『八幡神とはなにか』(角川選書). 230pp. 角川書店, 東京.
→ 再発 : (2014.3) (角川文庫). 239pp. 角川書店, 東京.

などを参照のこと。

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(3) 鎮守神勧請-地主神型鎮守神(9世紀初以降)

寺院を建立するにあたり、その地土着の神を鎮守として祀ったもの。その際には、たいてい建立者がその神から温かく迎えられ、寺院建立を勧められる、といった神話が付随する。

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(4)鎮守神勧請-招来型(外国から)鎮守神(9世紀中以降)

入唐した僧が大陸の神を一緒に連れてきて、寺院の鎮守としたもの。入唐僧・円珍が招来し三井寺の鎮守とした新羅明神、円仁が将来した赤山明神などが代表例。

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(5) 本地垂迹説(9世紀中以降)

一番有名なのはこれ。

これは、日本の神々を仏教の如来・菩薩の化身として認識し、双方の信者を一つの舞台に取り込む試みだ。

先ほどの八幡神は、阿弥陀如来(無量寿如来)を本地とする「八幡大菩薩」として、仏教徒からも信仰篤い神となった。

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さて、これをインド仏教やチベット仏教と比較してみると、結構違っていますね。

インド仏教では、大乗仏教の早い時期から、ヒンドゥ教の神々を「天部」として吸収しています。

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その場合には、ヒンドゥ教の神々を調伏し、一旦成仏させた上で取り入れる、という、かなり乱暴な神話をくっつけています。もちろん仏教側の勝手な言い分ですが。

Shiva神が、降三世明王に調伏されて大自在天(महेश्वर、Mahesvara)として仏教の護法神となった、などが代表例。

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日本では、こういうあからさまな調伏神話はあまり聞きませんね。

どっちかというと、仏教の施主と神々の施主の争いの結果、仏教が優位に立った(例 : 蘇我氏と物部氏の争い)、という形で伝えられており、神話ではなくむしろ歴史として記録が残っていますね。

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一方チベットでは、仏教の諸尊が土着神を調伏するのではなく、グル・リンポチェやリンチェン・サンポなどの高僧が土着神を調伏する形を取っています。

それでも、調伏された神々は、その後寺院の鎮守として祀られる、というよりは、並行して山地に坐して存在し続けるケースがほとんど。

仏教徒もこれらの土着神を平行して信仰しています。そこには特に矛盾はないようです。

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神仏習合、というよりは神仏が共存しつつ、並行して進行されているのがKinnaurです。

Kinnaur、特にLower~Middle Kinnaurの村では、仏教ゴンパとヒンドゥ教Mandirが両方あるケースが多いです。中にはゴンパとMandirが仲よく並んでいる村もありました。

これは、お寺と神社の双方が町中にあるのを見慣れている、日本人ならよく理解できる光景なのですが、一神教の国から来た人たちには違和感があるようです。

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神仏習合は、Sri Lankaや東南アジアの上座部仏教の地域にもあります。

ここで詳しく解説できるほど知識はないのですが、あちこちの仏教圏での神仏習合の諸相を比較する、というのはおもしろい研究テーマかもしれません。

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続いては、

・上島亨 (2010.8) 第6章 院政期仏教の展開. 『日本仏教の礎』(新アジア仏教史 11 日本 I)所収. pp.251-296. 佼成出版社, 東京.

ここに「臨終出家」というシステムが出てくる。

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もともとは、天皇、皇族、貴族らが老年に至り出家し、来世のために修行する習慣が始まり。これが極端になり、退位後の天皇が上皇・法皇として朝廷を牛耳っていたのが平安後期の「院政期」。

しかし、生前に引退して出家できる余裕のある人ばかりではない。出家のチャンスを逃して死を迎えつつある貴族たちは、せめて死の直前には出家して(出家したことにして)、より良い来世を願った。このシステムが「臨終出家」。

院政期にはこの習慣が、貴族たちの間では一般化していたらしい。

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そこからさらに進み、「出家する間もなく亡くなってしまったのでは、かわいそう」とばかりに、死後でもいいから出家したことにして、より良い来世を願ったのが、現在も続く「葬式仏教」の始まりだ。「戒名」とはそういうことなのですね。

いやあ、何かすっきりしましたね。

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日本の葬式仏教については、チベット仏教ニンマパ/カギュパで枕経的な使い方をされている『バルド・トゥードル བར་དོ་ཐོས་གྲོལ། bar do thos grol/(チベット死者の書)』について書いた

2014年8月17日日曜日 『チベット死者の書』のチベット語スペル

でも触れているので、そちらもご一読を。

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もう一つ面白かった論考は、

・勝浦令子 (2010.8) 特論 女性と仏教. 『日本仏教の礎』(新アジア仏教史 11 日本 I)所収. pp.357-403. 佼成出版社, 東京.

ここに「変成男子(へんじょうなんし)」論が出てくる。

初期仏教では、女性は「五障」、すなわち「女性は梵天王、帝釈、魔王、転輪聖王、仏身にはなれない」とする説があった。

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じゃあ、女性が解脱できる方法はないか?と考え出されたのが「変成男子」説。

女性のままでは解脱できないのなら、一旦男に性転換して修行すればよい、という机上の空論だ。

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実際には、女性も剃髪して出家し、尼になることで「変成男子を遂げた」というところに落ち着くのだが、仏典では、実際に性転換を遂げて男子と化する女性がたくさん出てくる。

だいぶ昔になるのだが、

2009年10月3日土曜日 「ブルシャスキーって何語?」の巻(26) 漢文史料に現れる「ブルシャ」その3 

で紹介した『佛説菩薩本行経』に現れる、変成男子を遂げた跋摩竭提の物語などはその典型ですね。

この頃は「変成男子」説についてよく知らなかったため、「変な話だなあ、なんで男になっちゃうの?」と思っていたのだが、今回改めて「変成男子」説について勉強し、「ああ、あれはそうだったのか」と膝を打ったというわけ。

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日本仏教というと、チベット仏教と関係づけて語られるのは、ほとんど真言宗ばかりなのだが、同じ大乗仏教なので、当たり前だが共通点は多い。

チベット仏教について深く考える目的で、日本仏教の勉強をするのもなかなか悪くないですよ。

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