2017年9月16日土曜日

ボン教管長メンリ・ティジン・リンポチェ遷化

ボン教を統率しておられるメンリ・ティジン・リンポチェが2017年9月14日に亡くなられました。享年87歳。

・西藏之声 > 文本存档 > 2017 年 九月 > 流亡藏人社区悼西藏雍仲本教領袖曼日赤增仁波切圓寂(九月 15, 2017)
http://www.vot.org/cn/%E6%B5%81%E4%BA%A1%E8%97%8F%E4%BA%BA%E7%A4%BE%E5%8C%BA%E6%82%BC%E8%A5%BF%E8%97%8F%E9%9B%8D%E4%BB%B2%E6%9C%AC%E6%95%99%E9%A2%86%E8%A2%96%E6%9B%BC%E6%97%A5%E8%B5%A4%E5%A2%9E%E4%BB%81%E6%B3%A2%E5%88%87/

謹んでご冥福をお祈りいたします。

------------------------------------------

例によってHiamchalガイドブック草稿から、メンリ・ティジン・リンポチェについて。

メンリ・ティジン・ルントク・テンペイ・ニマ・リンポチェ སྨན་རི་ཁྲི་འཛིན་ལུང་རྟོགས་བསྟན་པའི་ཉི་མ་རིན་པོ་ཆེ། sman ri khri 'dzin lung rtogs bstan pa'i nyi ma rin po che/ (1929-2017)

第33代メンリ寺座主であり、ボン教全体を統括する管長でもある。法名サンギェ・テンジン སངས་རྒྱས་བསྟན་འཛིན་ sangs rgyas bstan 'dzin。

1929年、アムド南部ンガワ རྔ་བ་ rnga ba(現・四川省阿壩蔵族羌族自治州)東部のキャンツァン རྐྱང་ཚང་ rkyang tshang(松播県山巴 བསམ་པ་ bsam paの近郊)に生まれる。このあたりにはボン教徒、ボン教僧院が多く、古来ボン教の東の中心であった。

8歳で出家しボン教僧院キャンツァン・ゴンパで学ぶ。27歳でゲシェ(博士)号を獲得。キャンツァン寺の座主となったが間もなくその座を辞しメンリ寺、ユンドゥンリン寺に移った。

1959年、チベットが中国共産党に完全に制圧されると、サンギェ・テンジン師は他のボン教高僧らと共に、ネパールを経てインドに亡命した。

亡命後は、インドやネパールに残るボン教経典の収集に努めていたが、その途中でイギリス人チベット学者David Snellgroveと出会い、ロボン・テンジン・ナムダク・リンポチェ སློབ་དཔོན་བསྟན་འཛིན་རྣམ་དག་རིན་པོ་ཆེ་ slob dpon bstan 'dzin rnam dag rin po che、サムテン・カルメイ བསམ་གཏན་མཁར་རྨེའུ་ bsam gtan mkhar rme'u師と共にロンドン大学に招かれ、1962~64年はここで研究生活を送る。

1964~66年はダライ・ラマ法王の要請に応じインドに帰国し、Mussourieのチベット人学校長となる。さらに1967~69年にはオスロ大学に助教授として招かれた。

1969年、再建が始まったHimachal Pradesh州Solan県Dolanjのタシ・メンリリン・ゴンパ བཀྲ་ཤིས་སྨན་རི་གླིང་དགོན་པ་ bkra shis sman ri gling dgon paの第33代座主(メンリ・ティジン སྨན་རི་ཁྲི་འཛིན་ sman ri khri 'dzin)として迎えられ、インドへ帰国。その後は同寺の拡充に努め、僧の育成も進んだ。

欧米人学者と共にボン教研究にも尽力。ボン教に関する知見は一般にも広まり、怪しげな魔術的宗教と誤解されてきたボン教に対する理解も深まるようになった。

===========================================

(追記)@2017/09/16

英文の記事も出ているので、そちらも補足。

・Phayul.com > News > 15 September 2017 > Tenzin Monlam/Head of Bon Tradition 33rd Menri Trizin passes away (Friday, September 15, 2017 20:25)
http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=39541&article=Head+of+Bon+Tradition+33rd+Menri+Trizin+passes+away&t=1&c=1

0 件のコメント:

コメントを投稿