2014年3月7日金曜日

『河口慧海日記』の塗り潰し■■■■■■には何が書かれていたか?(5) 慧海師はなぜ塗り潰したのか?

『日記』では、gshang rnga riに着いて、「これポンブ宗教(ポン教)の名跡なりと云ふ。」という記述の直後が三行にわたり塗り潰されています。何があったのでしょうか。

まず考えられるのは、ここには前述のような聖地の由来が簡単に書かれていたのではないか?ということ。しかしわずか三行です。それほど詳しい内容だったとは思えませんが。

ボン教、ニンマパ嫌いの慧海師のことです。トンパ・シェンラブにまつわる由来を一応記しておいたものの、後に嫌悪感をいだいて消した、という可能性はあるでしょう。

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慧海師は、ここがボン教の聖地であることをどうやって知ったのでしょうか?

gshang rnga riを訪れた時点では、まだ慧海師の同行者はいないはずです。訪問時にはその聖地の由来は知らなかったかもしれません。

『旅行記』の方には、「後にその来歴を聞いてみますと」とあります。慧海師は、gshang rnga riを発った翌日にカムからの巡礼者と合流し、その後行動を共にすることになります。彼らから聖地の由来を聞き、日記に書きとめたのでしょうか。

彼らは仏教徒ですから、ボン教聖地についてそれほど詳しいとは思えませんが、巡礼者同士のネットワークでは仏教・ボン教を問わず様々な情報が行き交っていたことでしょう。彼らがボン教聖地について知っていても、それほど不自然ではないかもしれません。

しかし、もしかするとその情報は大雑把なもので、後に不正確な情報と判明したため消した、という可能性もありそうです。その場合には、『旅行記』の方に詳しい由来が書かれていないのが謎になります。ボン教がらみの話題を詳しく伝えることを憚ったのでしょうか。

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注目すべきは、慧海師がこの場所で一泊していること。『日記』では、8月1日にここに到達し、その後翌2日冒頭部までが塗り潰し。その後ここを発って、例のキャン遭遇~荷物紛失事件となります。

ボンポ巡礼者と共に宿泊したのでしょうか?あるいは、一泊したのはボン教聖地であることとは無関係で、単にちょうど宿泊のタイミングとなっただけなのかもしれません。

何か事件に遭った可能性も考えられますが、わずか三行ですから、それほど込み入った内容でもなさそうです。

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『日記』秘蔵、『旅行記』改変の主要因となった「関係者への迷惑を考慮」が、ここでも適用できるでしょうか?

どうもその可能性は低そうです。この場所では重要人物に会った気配はなく、また何か便宜を図ってもらう必要もなさそうです。

『旅行記』では、ギャア・ニマでクマオン・ミラムの商人にダス博士や日本への手紙を委ねたことまで公表しているのですから、その手の事情があっても『日記』、『旅行記』から記述を抹消する必要はないはずです。

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結局、それほどはっきりした結論には至りません(注)が、「ボン教側の聖地由来を簡単に書きとめたが、後に不正確な情報と判明、あるいは嫌悪感をいだいて、塗り潰した」という可能性を一押しにしておきます。

今後、この塗り潰し部については様々な議論が交わされるでしょう。今回提示した聖地由来は今まで日本では紹介されたことがないので、今後の議論には有益な情報になる、と信じます。

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カン・ティセ~ツォ・マパンの諸聖地については、仏教徒が伝える由来ばかりが取り上げられています。ボン教側の聖地由来についてはほとんど注目されることもなく、ボン教徒はカン・ティセにおいてさえ半ば日陰者扱いされてきました。

『gangs t se'i dkar chag』の中には、豊かなボン教文化が息づいています。その巡礼案内書が伝えるボン教聖地の数々をどんどん紹介したい、とは思うのですが、位置や現状を確認できていない場所が多く、なかなか思うにまかせません。

まず、またカン・ティセに行っていろいろ調べなおさなきゃいけないのですが、私には現地に行く機会も金もないので、死ぬまでにその願いがかなうかどうかもわかりません。

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聞くところによると、カン・ティセのコルラ道にもすでに自動車道が建設され、いずれドルマ・ラをも越えて車で一周できるようになる、という話も聞いています。

今後ますます俗化が著しくなっていくのは確実でしょう。下手するとシャブジェやランジュンなどの聖跡も、宗教や民俗文化に無知な人々によって破壊されてしまうかもしれません。

今のうちに、カン・ティセ一帯の聖地についてまとまった報告を残しておくことは重要でしょう。主要な聖地だけを雑に取り上げて、商売ネタとして消費するだけの状況からは脱却する時期です。

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(注)
このblogでは、「はっきりした結論に至らない」ことが多いのですが、それでかまわない、と思っています。

これは学術論文ではないし、たとえ間違っていても世間に迷惑がかかるような内容にはしていません。反論があればそれは結構なことです。私の経歴に傷がつくこともありませんし(肩書きは何もないので)。

それよりも、議論の発火点となる主張・見解を最初に提示することの方が重要でしょう。たとえそれが不完全なものであっても。

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