2014年3月25日火曜日

氷の回廊 「チャダル」 の語源

語源シリーズ第2弾です。

今回は、氷の回廊「チャダル」。

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「チャダル」とは、ラダック~ザンスカール間を結ぶ徒歩交通の一手段、あるいはその交通路自体を指します。

冬季、ザンスカールへ入る自動車道は積雪・凍結のために閉鎖され、ザンスカールは陸の孤島と化します。

ザンスカール川は、ザンスカールからラダックへ向かって北流し、ニンム(སྙེ་མོ་ snye mo)でインダス河に合流しています。1~2月の厳冬期、このザンスカール川が凍結し、氷上徒歩による通行が可能となります。この交通方法、交通路が「チャダル」です。

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日本では、

・オリヴィエ・フェルミ、檜垣嗣子・訳 (1995) 『凍れる河』. pp.143. 新潮社, 東京.
・庄司康治 (1998) 『氷の回廊 ヒマラヤの星降る村の物語』. pp.223. 文英堂, 東京.

テレビ番組
・「NHKスペシャル 厳冬の奥ヒマラヤ 氷の回廊」. NHK総合. 1997/05/11.

などで有名となりました(注1)。

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この「チャダル」という言葉ですが、なぜか意味は不明、とされています。

出典:
・James Crowden (1994) Butter Trading Down the Zangskar Gorge : The Winter Journey. IN : John Crook + Henry Osmaston (ed.) (1994) HIMALAYAN BUDDHIST VILLAGES : ENVIRONMENT, RESOURCES, SOCIETY AND RELIGIOUS LIFE IN ZANGSKAR, LADAKH. pp.285-292. Univ. of Bristol, Bristol (UK).
・友井一公 (2004) 氷上の交通路「チャダル」 ヒマラヤ北西部・ザンスカールにおける凍結河川上の交通の現状と将来. 立命館地理学, no.16[2004], pp.41-54.

Crowden(1994)では、「chadur」と表記。

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同論文では、編者Crookによる注記として、「語源ははっきりしない」としながらも、

cha → ザンスカーリがはく雪靴cha-rogのことか?
dar → 凍った川

という組み合わせか?という地元民のコメントを紹介しています。

その他にも、

ཁྱགས་ khyags (キャク) → 氷結面
བདའ་ bda' (ダー) → 運ぶ/(家畜を)御する

という組み合わせの可能性、また「cha」の語源としては、

འཆག 'chag (チャク) → 歩く
ཆ་ cha (チャ) → 行く

の可能性を指摘しています。

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これで十分答えは出ていると感じるのですが、今回は簡潔に結論へ行きましょう。

「chadar」は、

ཆ་བྱེས་ cha byes (チャ・チェス) → 行く
དར་ dar (ダル) → 氷

の組み合わせでしょう。

つまり「行く(のに使う)氷(の道)」という意味です。日本でよく使われる「氷の回廊」という用語も、訳語として全く問題ないと思われます。

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チベット語では、「行く」という動詞で最もポピュラーなのは、

འགྲོ་བ་ 'gro ba (ド・ワ)

です(注2)。

一方、ラダック語/ザンスカール語では、「'gro byes」も使われますがごくマイナーで、

ཆ་བྱེས་ cha byes (チャ・チェス)

の方が一般的です。

ཆ་བ་ cha ba (チャ・ワ)

は、チベット語辞書にも項目がちゃんとありますし、その意味も同じです。ただし「古語」という扱いになっています。

ここでも、「ラダック語にはチベット古語・古発音が保存されている」がしっかり当てはまるわけです。

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「'chag pa」もチベット語の意味では悪くはないのですが、ラダック語辞書では「'chag byes」には「壊れる」という意味しか見つからないので、可能性は低いかもしれません。

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「dar」の方は、チベット語、ザンスカール語とも意味は同じで「氷」です(注3)。こちらは間違いないでしょう。

ところが、この「dar」という単語、ラダック語の辞書では「氷」という意味はないのです。

ザンスカール語よりもラダック語の方がよく知られていますから、「cha dar」をラダック語で解明しようとする人が多いでしょう。すると、ここで行き詰まる可能性が大きいわけです。この辺が、「語源不明」とされてきた理由のひとつと思われます。

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なお、チベット語の「氷」には、「水面が凍った氷」である「དར་ dar」と、「氷雪/氷河の氷」を意味する「གངས་ gangs」がはっきりと区別されているので、使うときには注意が必要です(注4)。

また、「ཁྱགས་(པ་) khyags (pa)」という単語もありますが、これは氷一般で、どちらにも使われるようです。私は、凍った状態とか塊の氷(ツララみたいな)を指すようなイメージを持っています。

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ただ、「cha dar」は単語の構造としては、今ひとつすっきりしない言葉です。でも、間に入るべき助詞などが省略された略語と考えれば、それほどおかしくないかもしれません。

ཆ་(བྱེས་སི་ཕྱིའ་)དར་ cha (byes si phyi'a) dar (チャ・(チェッスィ・フィア・)ダル)→ 「行く(ための)氷」

みたいに。

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「凍った川の道」を意味するチベット語には、

དར་ལམ་ dar lam(タル・ラム)

という言葉もあります。こちらは実にわかりやすい。

このわかりやすい言葉を採用せず、「cha dar」としているのも納得いかないところですが、その辺は現代人それも外国人があれこれ悩んでも仕方のないことなのでしょう。

あっとそうか、

ཆ་(བྱེས་སི་ཕྱིའ་)དར་(ལམ་) cha (byes si phyi'a) dar (lam) (チャ・(チェッシ・フィア・)ダル(ラム))→ 「行く(ための)氷(の道)」

という具合に、「lam」も省略されていると考えてもいいわけだな。

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しかしまあ、これで「cha dar」については、「語源不明」からは一歩先へ踏み出したわけです。あとは興味を持つ方々が、さらにつっこんだ調査をすればいいだけ。

これで「cha dar」の語源については、私の役割は終わり、と。

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(注1)
あまり知られていないのですが、1981年に土屋守氏がチャダルを踏破しています。チャダルを踏破した日本人は、おそらく彼が初めてでしょう。

参考:
・スコッチ文化研究所 > スコ文研とは > 代表・土屋守について > 土屋守の原風景 > 土屋守/ Vol.1 氷の道・チャダル 踏破行 > Vol.1 氷の道・チャダル 踏破行 インド・カシミール州ラダック、ザンスカール(2009?)
http://scotchclub.org/index.php/swrc/6153
← 初出 : (1983) クロスロード, 1983-08.

(注2)
動詞「行く」のチベット語は、敬語表現を含めると、私が知るだけでも「thad pa」、「phebs pa」、「gcar ba」、「'degs pa」、「skyod pa」、「gshegs pa」、「'dengs pa」、「dong pa」、「mchi ba」、「bgrod pa」、「rgyu ba」などなど大量にあります。

チベット語表現の豊かさを思い知らされますね。

(注3)
チベット語「dar」には他の意味もあります。

旗/絹/カター/たすき/栄える/広まる/成長する/若者

などです。「氷」も含めて、「平面的な広がりを持つ(もの)」という共通点があります。

「若者」だけはちょっと異質に感じるかもしれませんが、「栄える」→「成長する」→「若者」という派生語と思われます。

(注4)
「gangs」の方は、「氷雪」が転じた「雪山」の意味もあります。厳密には、「gangs ri」の「ri」が省略された形ということです。

この用法は、聖山「gangs rin po che (カン・リンポチェ=カイラース山)」などで有名ですね。

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