2014年3月5日水曜日

『河口慧海日記』の塗り潰し■■■■■■には何が書かれていたか?(3) 『雪山ティセのボン教聖地目録』での記述-その1

カン・ティセ~ツォ・マパン地域は、チベット仏教、ボン教、ヒンドゥ教、ジャイナ教共通の聖地であるだけに、各宗教の巡礼案内書、聖地紹介書には頻繁に姿を現します。

とはいえ、その記述は神話的なものが多く、現実の地理を正確に反映したものとは言いがたいようです。玄奘『大唐西域記』に示されている、『阿毘達摩倶舎論』に基づく須弥山世界観が代表例でしょうか。

各宗教におけるティセ山の位置づけを概観した論文に、

・Andrea Loseries–Leick (1998) On the Sacredness of Mount Kailasa in the Indian and Tibetan Sources. IN : Alex McKay(ed.) (1998) PILGRIMAGE IN TIBET. pp.143-164. Routledge Curzon Press, UK.

があります。

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十九世紀、きわめて重要なティセ山巡礼案内書がチベットに登場します。三つあり、二つは仏教カギュパに基づくもの(注1)、一つはボン教に基づくものです。

ここで主に紹介するのは、ボン教に基づく巡礼案内書

・དཀར་རུ་གྲུབ་དབང་བསྟན་འཛིན་རིན་ཆེན་རྒྱལ་མཚན་བདེ་ཆེན་སྙིང་པོ་ dkar ru grub dbang bstan 'dzin rin chen rgyal mtshan bde chen snying po (1847) 『འཛམ་གླིང་གངས་ཏི་སེའི་དཀར་ཆག་ཚངས་དབྱངས་ཡིད་འཕྲོག་དགོས་འདོད་ཅེས་བྱ་བ་བཞུགས། 'dzam gling gangs ti se'i dkar chag tshangs dbyangs yid 'phrog dgos 'dod ces bya ba bzhugs/ (贍部洲の雪山ティセの(ボン教聖地)目録の妙なる聖言を拝聴せんと欲すること、というものがおわす)』. IN : Namkhai Norbu+Ramon Prats(ed.) (1989) GANGS TI SE'I DKAR CHAG : A BON-PO STORY OF THE SACRED MOUNTAIN TI-SE AND THE BLUE LAKE MA-PANG : SERIE ORIENTALE ROMA LXI. pp.xxiv+131. IsMEO, Roma.

略称 『གངས་ཏི་སེའི་དཀར་ཆག gangs ti se'i dkar chag(雪山ティセのボン教聖地目録)』

です。

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内容全般については省略。でないと、いつ終わるかわからなくなる。いずれまた。今回は、この石巌山=gshang rnga riに関する話題に絞りましょう。

この場所が現れるのは、ボン教開祖シェンラブ・ミウォ(གཤེན་རབ་མི་བོ་ gshen rab mi bo)がティセ山を訪れ、その一帯を加持して回った下りです。

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コンポ(ཀོང་པོ་ kong po)の悪鬼キャッパ・ラクリン(ཁྱབ་པ་ལག་རིང་ khyab pa lag ring)がシェンラブの七頭の馬を盗み、四大河の源頭、すなわちティセ山周辺に逃げ込みました(注2)。

シェンラブは、オルモルンリン(འོལ་མོ་ལུང་རིང་ 'ol mo lung ring)よりカン・ティセ山頂に降臨(注3)。キャッパ・ラクリンと共謀している土着の神魔たちと戦闘になります。山頂からティセ内院へ下り、次いでティセ一周。各地点で土着の神魔たちを調伏し、その地を加持して回りました。

ティセ山の加持が済むと、今度は四大河の源流を加持しに回ります。その最初がランチェン・カンバブ(གླང་ཆེན་ཁ་འབབ་ glang chen kha 'bab/サトレジ河源流)でした。

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サトレジ河源流は、ティルタプリ(པྲེ་ཏ་པུ་རི་ pre ta pu ri)付近で二つの河が合流しています。一つはヒマラヤ山脈に源頭を持ち北流するHalchor Tsangpo/索崗絨曲。もう一つが東から流れて来るティルタプリ・ツァンポ(པྲེ་ཏ་པུ་རི་གཙང་པོ་ pre ta pu ri gtsang po)。河川長・水量とも前者の方が数字が大きく、地理学上はこちらがサトレジ河源流になります。しかし宗教上、あるいは伝承上はティルタプリ・ツァンポがサトレジ河源流とされます。なんといっても、後者はツォ・マパンにつながるからです。

このティルタプリ・ツァンポの源頭部は、ランガク・ツォ(ལ་ངག་མཚོ་ la ngag mtsho)のやや西方の湿地帯と見られています。直接ランガク・ツォから流出している様子はないようです。しかし、この湿地帯はランガク・ツォから染み出た水とされており、従ってサトレジ河はランガク・ツォにつながる、と信じられています。

ランガク・ツォとツォ・マパンはガンガ・チュー(གང་གཱ་ཆུ་ gang gA chu)という水路でつながっています。ここは通常は水が流れていませんが、降水量の多い時期には流れが復活し、両湖はつながります(注4)。地表は涸れていても、地下水脈ではつながっているのは間違いありません。多少無理はあるものの、サトレジ河源流がツォ・マパンまで延びてきたわけです。

ツォ・マパンへは多くの河川が流入していますが、中でも重要なのが南東岸に流入しているタク・ツァンポ(བྲག་གཙང་པོ་ brag gtsang po)です。サトレジ河の源流はさらにこの河まで延びます。

その最上流部に二つの泉が湧き出ており、その一つがチュミク・ガンガー(ཆུ་མིག་གང་གཱ chu mig gang gA)、すなわちガンジス河源流(と信じられている)です。

「パンジャーブ平原でインダス河に合流するサトレジ河の源流が、なんでガンジス河源流になるんだ?」と疑問に思うかもしれませんが、この説明を始めると長くなるので今回は省略。

この近くにもう一つの泉があります。それがチュミク・トゥンワ・ランドル(ཆུ་མིག་འཐུང་བ་རང་གྲོལ་ chu mig 'thung ba rang grol/飲めばたちまち解脱できる泉)です。『gangs ti se'i dkar chag』ではこちらの方が重要視されます。

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ふう。面倒くさいサトレジ河源流の話が済んだところで、ようやくシェンラブの話に戻ります。と思ったら、以下次回。

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(注1)
一方、仏教カギュパによる巡礼案内書で著名なものは二つあり、一つはディグンパ、もう一つはドゥクパによるもの。

(1)ディグンパによる巡礼案内書

・དཀོན་མཆོག་བསྟན་འཛིན་ཆོས་ཀྱི་བློ་གྲོས་འཕྲིན་ལས་རྣམ་རྒྱལ་ dkon mchog bstan 'dzin chos kyi blo gros 'phrin las rnam rgyal (1896) 『གངས་རི་ཆེན་པོ་ཏི་སེ་དང་མཚོ་ཆེན་མ་དྲོས་པ་བཅས་ཀྱི་སྔོན་བྱུང་གི་ལོ་རྒྱུས་མདོར་བསྡུས་སུ་བརྗོད་པའི་རབ་བྱེད་ཤེལ་དཀར་མེ་ལོང་། gangs ri chen po ti se dang mtsho chen ma dros pa bcas kyi sngon byung gi lo rgyus mdor bsdus su brjod pa'i rab byed shel dkar me long/ (大雪山ティセと無熱悩大湖共々の由来の概要を述べた説明であるところの白水晶鏡)』. IN : Elena de Rossi Filibeck (1988) TWO TIBETAN GUIDE BOOKS TO TI SE AND LA PHYI : SERIES MONUMENTA TIBETICA HISTORICA, BD.4. pp.199. VGH Wissenschaftsverlag, Bonn.

略称 『གངས་ཏི་སེ་གནས་བཤད། gangs ti se gnas bshad/(雪山ティセの巡礼案内書)』。

英訳のみ収録したものは、

・Toni Huber+Tsepak Rigzin (2000) A Tibetan Guide for Pilgrimage to Ti-se (Mount Kailas) and mTsho Ma-pham (Lake Manasarovar). IN : Toni Huber(ed.) (2000) SACRED SPACES AND POWERFUL PLACES IN TIBETAN CULTURE : A COLLECTION OF ESSAYS. pp.125-153. LTWA, Dharamsala.

(2)ドゥクパによる巡礼案内書

・གངས་རི་བ་དོན་རྒྱུད་བསྟན་འཛིན་ gangs ri ba don rgyud bstan 'dzin (1798 or 1858) 『གནས་ཆེན་ཏི་སེ་དང་མཚོ་མ་ཕམ་བཅས་ཀྱི་གནས་ཡིག་བསྐལ་ལྡན་ཐར་ལམ་འདེན་པའི་ལྕགས་ཀྱུ gnas chen ti se dang mtsho ma pham bcas kyi gnas yig bskal ldan thar lam 'dren pa'i lcags kyu(大聖地ティセとツォ・マパム共々の巡礼案内書、吉祥の解脱の道へと導く鉤)』. 河口慧海・将来/東洋文庫・蔵. (未見)

(3)現代の巡礼案内書(おまけ)

・Victor Chan (1994) TIBET HANDBOOK : A PILGRIMAGE GUIDE. pp.1104. Moon Publications, USA.

「なんだ旅行ガイドブックじゃないか」と小馬鹿にするかもしれませんが、実はこれが大変な重要作。カン・ティセ、ツォ・マパンについては、上記のカギュパ伝・ボン教伝の巡礼案内書にも収録されていない聖地とその由来が多数紹介されています。特に民間信仰的な聖地に詳しいのが特徴です。

残念なのは、各聖地名のチベット文字表記がないこと。とはいえ、長年調べていれば徐々にわかってくるもので、私は一通り変換を済ませてあります。

さて、それらの地点・伝承をChan氏が一人で調べるのは無理で、当然情報源があります。ネタ元は、1980年代に同地で管理人兼ガイドとして活動していたカンリワ・チューイン・ドルジェ(གངས་རི་བ་ཆོས་དབྱིངས་རྡོ་རྗེ་ gangs ri ba chos dbyings rdo rje)さん。邦文のカン・ティセ訪問記にもよく登場していますし、直接現地で会った方も多いことでしょう(私は会ったことがない)。彼は惜しくも交通事故で亡くなられたそうです。

そのチューイン・ドルジェさん自身もチベット文で巡礼案内書を残しているようです。

・གངས་རི་བ་ཆོས་དབྱིངས་རྡོ་རྗེ་ gangs ri ba chos dbyings rdo rje (1990)「གངས་མཚོ་གནས་གསུམ་གྱི་ལོ་རྒྱུས་སྐལ་ལྡན་ཤིང་རྟ། gangs mtsho gnas gsum gyi lo rgyus skal ldan shing rta/ (雪山・聖湖三聖地の由来、吉祥の馬車)」. Bod ljongs nang bstan, vol.1990, no.1, pp,11-80. (未見)

カン・ティセ周辺の生き字引である彼の知識が、文字としてこの世に残ったのは幸運だったといえるでしょう。

(注2)
シェンラブ・ミウォの伝記では、キャッパ・ラクリンはシェンラブの七頭の馬を盗んだ後、自分の本拠地コンポに逃げ込み、そこでシェンラブを迎え撃ちます。しかし、『gangs ti se'i dkar chag』では、その戦場がカン・ティセ山一帯とされ、定説とは矛盾する異伝になります。

伝記では、コンポでの戦闘が行われる前に、キャッパ・ラクリンはオルモルンリンからコンポへ向かうシェンラブに対し、途上様々な妨害工作をします。シェンラブはこれを次々に突破してチベット、そしてコンポに到達します。『gangs ti se'i dkar chag』に記された、ティセ山一帯での戦闘は、この過程の一部を敷衍して創作されたものと考えられます。

『gangs ti se'i dkar chag』では、カン・ティセ一帯での加持を終えたシェンラブはそのままオルモルンリンへ帰還しており、さらにチベット~コンポへ進んだ、という記述はありません。キャッパ・ラクリン自身がどうなったか、七頭の馬の行方、チベット本土へのボン教布教など、みなうやむやになっており、神話としての完成度はあまり高いとはいえません。

(注3)
シェンラブがティセ山に降臨したこの記述をもって、「オルモルンリンとは、ティセ山周辺すなわちシャンシュンのことである」とする説があるが、根拠としては薄弱。第一、この時はオルモルンリンからやって来て、そしてまたオルモルンリンに帰還した、とはっきり記されているのですから。

「オルモルンリンは実在の場所」という説は論外としても、「オルモルンリンのモデル=ティセ山周辺/シャンシュン」という説についても私には異論があるのですが、須弥山世界観などとも関わってくる話でかなり長くなりますから、いつかまた。

(注4)
かつては両湖の湖面はもっと高い位置にあったと見られ、その形跡は現在の湖岸にも見ることができます。その時代にはガンガー・チューを通じて両湖が連結していたことは確実。

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