2014年4月23日水曜日

「ブロクパ」とはどういう意味か?(3)

「ダー・ドク མདའ་འབྲོག mda' 'brog(注1)」とは、どういう意味なのでしょうか?

まず、その場所から。

ダー村(注2)の横っちょを流れているダー・ルンパ(མདའ་ལུང་པ་ mda' lung pa)を上流に遡ると、夏の放牧地があります。そこには夏の間は長期間暮らせるように小屋も建てられているようです。これがダー・ドクです。

伝説では、ギルギットから移住して来て最初に住んだ場所がここだったと云います。しかし、まもなく谷を下って村を作り、以来現在までダー村が居住の中心となっています。

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その'brogの意味ですが、これは「離れ/僻地」という意味です。つまりmda' 'brogは「ダー村の離れ」、そしてそれが転じて、実質的には「ダー村の夏の放牧地」を指す、と言えます。

これは、現在のダー村が先に存在しないと意味をなさない地名です。もともとダー・ドクのことをダーと呼び、現在のダー村が成立した後に、最初のダーをダー・ドクと言い換えたのかもしれませんが。

いずれにしても、「ダーより先にダー・ドクという地名があって、それがブロクパの語源」というのは成立しようがありません。

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ここでチベット語の「'brog」、「'brog pa」を見ておきましょう。

チベット語の'brog pa(ドクパ)に対する訳語としては、たいてい「遊牧民」が当てられます。しかし、実は「'brog」に「遊牧」という意味はありません。

遊牧民は、「'brog(僻地)」に住んでいるから「'brog pa(僻地(に住む)人)」なのです。

'brog paは、「རོང་པ་ rong pa(谷に住む人)」/「ཡུལ་པ་ yul pa(村に住む人)」、すなわち「農民」、の対義語として用いられます。農民と遊牧民を対比し、差別化しているわけです。農耕地帯=村落部を中心と位置づけ、そこに属さない辺境・荒野を'brogと、その辺境・荒野で遊牧を営む人々を'brog paと呼んだわけです。

もっと極端な場合、'brog paはབོད་པ་ bod pa (チベット人)と対比した使い方をされるときがあります。これは、'brog paをなかば異民族扱いしている、といえるでしょう。それだけ農民と遊牧民の文化には大きな違いがあるのです。

参考:
・山口瑞鳳 (1987) 『東洋叢書3 チベット 上』. pp.xix+337. 東京大学出版会, 東京.
・R.A.スタン, 山口瑞鳳+定方晟・訳 (1993) 『チベットの文化 決定版』. pp.xviii+389+53. 岩波書店, 東京.
← フランス語原版 : Rolf Alfred Stein (1987) LA CIVILISATION TIBÉTAINE : ÉDITION DÉFINITIVE. pp.ix+252+pls. l'Asiathèque, Paris.

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もうひとつ'brog paの用例を見ましょう。こんどはブータンの'brog paです。ラダック同様「ブロクパ」と呼ばれているようです(注3)。

これは、ブータン東部タシガン県(བཀྲ་ཤིས་སྒང་རྫོང་ཁག bkra shis sgang rdzong khag)の最東端(すなわちブータンの最東端)に住む少数民族です(注4)。

ヤク毛で作った黒いベレー帽ジャム(zhamu)、チベット・コンポのものと似た貫頭衣のユニークな姿を見たことがあるかもしれません。

さて、このブロクパはヤクを使った交易・牧畜を生業とする人々で、遊牧民とまではいかないようです。こちらも語源は「辺境・僻地に住む人々」の意味と思われます。

近隣に住む農民の方も、ブロクパと衣類などの習俗や言語はほぼ同じですが、名称が変わって「དྭགས་པ་ dwags pa(ダクパ)」となります。これは「開けた土地の人」の意味でしょうか?あるいは、中央チベット南東部の地名ダクポ(དྭགས་པོ་ dwags po)と関係あるのかもしれません(注5)。

このブロクパの「'brog」は、ブータン中央から見ての「辺境/僻地」ではなく、農民ダクパと対比しての「辺境/僻地」のような感じですね。

参考:
・野村亨 (2000) ブータン王国における言語状況 : その歴史と現状. ヒマラヤ学誌, no.7, pp.93-114.
・平山修一 (2005) 『現代ブータンを知るための60章』. pp.355. 明石書店, 東京.

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こうして見ると、ラダック・ブロクパの「'brog」も「辺境/僻地」の意味であると推測できるわけですが、では、それは誰がどこから見ての「辺境/僻地」で、それは具体的にどこに当たるのでしょうか?

という話は、次回に。

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(注1)

mda' 'brogは、'brog skadでは「nir dah(ダー宮/ダー城)」と呼ばれています。これはダー村のはずれにあるダー・カル(མདའ་མཁར་ mda' mkhar)とは別。

(注2)

デュロ、メロ、ガロ三兄弟がこの地にやって来て、畑を作ろうとしたが水がなかった。そこでガロが谷の対岸高台(Changlota)から矢(མདའ་ mda')を放つと、岩に刺さりそこから水が噴き出した。そして、そこから村まで水路が引かれた、というもの。ダーの名はこの伝説にちなむ、とされています。

また、その矢が刺さって水が噴き出した場所はダーファンサ(མདའ་འཕན་ས་ mda' 'phan sa = 矢が射られた場所)と呼ばれ、ダー村の聖地の一つになっています。

ダーファンサでは、確かに崖の穴から水が出ているように見えます。しかし、実はなんのことはない、水路が岩のトンネルを通過しているだけです。水路はダー・ルンパ上流から引かれて、この地点でなぜかトンネルになっているだけでした。ダーファンサの伝説も、どうも後づけの作り話としか思えません。

(注3)

ゾンカ語(རྫོང་ཁ་ rdzong kha)では、'brog pa→'byog pa→byogpと変化して「ビョプ」と発音されているそうです。

(注4)

ハイビジョンスペシャル 天空の民"ブロックパ" ブータン・秘境に生きる
2002年初 (120分) NHK-BS1

というTV番組がありましたが未見です。TVをつけた瞬間この番組を発見し、「あっ!」と声を上げたたものの、もうラストシーンでした。もちろん録画もしていません。返す返すも惜しいことをした。垂涎の番組のひとつ。

(注5)

ブロクパとダクパは、民族衣装がほぼ同じこともあり、ガイドブックや旅行記では、2集団を区別せずブロクパと呼んだり、ダクパと呼んだりしており、呼び名は混乱している。

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