語源シリーズ第5弾。語源シリーズは、これでひとまず終わりです。
ブロクパとは何でしょうか?
འབྲོག་པ་ 'brog pa (ブロク・パ/ドロク・パ/ドク・パ)
とは、ラダック西部インダス河下流域に住む人々のことです。彼らの住む地域は「འབྲོག་ཡུལ་ 'brog yul (ブロク・ユル)」と呼ばれています。
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ブロク・ユルまで足を伸ばさなくとも、彼らの姿は目にすることができます。レーの道端で野菜や果物を売っている露天商の中に、頭上に花を飾ったひときわ目立つ女性たちにすぐに気づくでしょう。彼女らがブロクモ('brog mo='brog paの女性形)です。
ラダッキはモンゴロイドとコーカソイドの混血といった風貌をしていますが、ブロクパはほぼ完全なコーカソイドです。「コーカソイド=白人」という等式は彼らには当てはまりません。ラダッキと同じくらい日焼けして肌の色が濃くなっていますから。
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チベット系言語を話すラダッキ、プリクパ、バルティに囲まれながらも、彼らが話す言語はインド・ヨーロッパ語族ダルド語群に属する「འབྲོག་སྐད 'brog skad (ブロク・スカット)」です。これはギルギットの言葉シナー語(Shina)の一方言。
その言語が示すとおり、彼らは1000年ほど前にギルギット地方Bagrotあたりからやって来たと伝えられています。
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「アレクサンドロス大王軍兵士の末裔か?」などと云われることもありましたが、これは根も葉もない俗説。実際にそういった伝説を有するカラーシュやフンザ(注1)とは違い、ブロク・ユルにアレクサンドロスがらみの伝説は皆無です。
俗説のもとは、おそらく近年にラダックを訪れた欧米人旅行者あたりがたてた噂でしょう。欧米人はアレクサンドロス大王の東方遠征に過大な幻想を持っています。それで、パミール~カラコルム~ヒマラヤ西部で、周囲とは異質な文化を持つ人々を見つけると、特に根拠もなく「すわアレクサンドロス大王軍兵士の子孫か?」と言い始めるわけです(注2)。
ギルギットのシン人は、ブロクパとは親戚なのですが、彼らに対して「アレクサンドロス大王軍兵士の末裔か?」という噂が立つことはありません。どうやら、イスラム教徒になってしまうとその資格はなくなるようです(笑)。イスラム教の中でも異質なイスマイリ派のフンザはOKのようですが。
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さて、ブロクパ/ドロクパ/ドクパと呼ばれる(注3)彼らですが、これはチベット系民族からの他称です。これがチベット語であることでも、他称であるのは明らかですね。
自称は「Sh(r)in」。ギルギットのシン人(Shin)と全く同じです。
では、彼らはなぜ'brog paと呼ばれるのでしょうか?そして'brogって何?という問題に取り掛かりましょうか。
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本テーマにおける主要参考文献をまず挙げておきます。
・John Biddulph (1880) TRIBES OF THE HINDOO KOOSH. pp.vi+164+clxix. Calcutta. → Reprint : (2001) Bhavana Books & Prints, New Delhi.
・August Hermann Francke (1907) A HISTORY OF WESTERN TIBET. pp.191+pls. S.W.Partridge & Co., London. → Reprint : (1995) Asian Educational Services, New Delhi.
・August Hermann Francke (1926) ANTIQUITIES OF INDIAN TIBET : PART (VOLUME) II : THE CHRONICLES OF LADAKH AND MINOR CHRONICLES. pp.viii+310. Archaeological Survey of India, Calcutta. → Reprint : (1992) Asian Educational Services, New Delhi.
・Rohit Vohra (1983) History of the Dards and the Concept of Minaro Traditions among the Buddhist Dards in Ladakh. IN : D. Kantowsky+R. Sander(ed.)(1983) RECENT RESEARCH ON LADAKH. pp.51-80. Weltforum Verlag, Munchen.
・Rohit Vohra (1985) Ethno-Historicity of the Dards in Ladakh-Baltistan : Observations and Analysis. IN : H. Uebach+J. L. Panglung (ed.) (1985) TIBETAN STUDIES : PROC. OF 4TH SEMINAR OF IATS., MUNICH, 1985. pp.529-546. Munchen.
・Rohit Vohra (1989) THE RELIGION OF THE DARDS IN LADAKH. pp.ii+165. Skydie Brown International, Luxemburg..
・Ahmad Hassan Dani (1991) HISTORY OF NORTHERN AREAS OF PAKISTAN. pp.xvi+532. National Institute of Historical and Cultural Research, Islamabad.
・Abbas Kazmi (1993) The Ethnic Groups of Baltistan. IN : C. Ramble+M. Brauen(ed.) (1993) ANTHROPOLOGY OF TIBET AND THE HIMALAYA. pp.158-163. Ethnological Museum of Univ. of Zurich, Zurich.
・Roberto Vitali (1996) THE KINGDOMS OF GU.GE PU.HRANG. pp.xi+642. Dharamsala.
・日本放送協会 (1997) 「素晴らしき地球の旅 ヒマラヤ花と祈りの民」. NHK-BS2. [TV番組]
・Devidatta Sharma (1998) TRIBAL LANGUAGES OF LADAKH : PART ONE. pp.xv+184. Mittal Publications, New Delhi.
・Sonam Phuntsog (1999) Hanu Village : A Symbol of Resistance. IN : M. van Beek+K.B. Bertelsen+P. Pedersen(ed.) (1999) LADAKH : RECENT RESEARCH ON LADAKH 8. pp.379-382. Aarhus Univ. Press, Aarhus (Denmark).
・Stephan Kloos (2012) Legends from Dha-Hanu : Oral Histories of the Buddhist Dards in Ladakh. Ladakh Studies, no.28 [2012/06], pp.17-26.
http://www.stephankloos.org/wp-content/uploads/2012/01/Legends-from-Dha-Hanu-Stephan-Kloos-LS28.pdf
中でも、Rohit Vohraによる研究が群を抜いているのですが、どの文献も入手しにくいのが残念。
こういった参考文献の羅列は、うっとうしい、不要、と思うかもしれませんが、これは基本であり、先達への礼儀ですから省略できません。そうですね、育ててくれた親に感謝するのと同じ、と思ってください。
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以下、次回。
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(注1)
といっても、フンザ、カラーシュのアレクサンドロス伝説は20世紀になってからの報告しかありません。私はそれほど古い伝説ではない、と考えています。たとえ原話は古いにしても、西欧人による脚色・解釈がだいぶ入っているでしょう。第一、アレクサンドロス軍がそんな奥地まで進軍した、という記録はないのですから。インダス川流域は、もっと下手までしか来ていません。
アレクサンドロス伝説の本場は、やはり西トゥルキスタン~アフガニスタン北部。そちらはアレクサンドロス軍が確かに足を踏み入れています。カラコルム方面はそれらに隣接する地域ですから、そちらから伝わったものとみていいでしょう。
アレクサンドロス伝説がカラーシュやフンザにしかないと思っていると、本気にしてしまいそうですが、伝説の広がりやその想定伝播経路を把握しておけば、足をすくわれることはありません。
もっとも、「アレクサンドロス大王軍兵士の子孫」にしておいた方が旅行業界としては商売しやすいわけで、特に欧米人に対するアピール度は相当なものです。ですから、無理があるとわかっていても知らん振りして、俗説だけを垂れ流す人は後を絶たないでしょうね(すでにネタばれしているオカルトものを、いまだに「謎」として垂れ流すマスコミと同じ図式です)。
カラーシュあたりは、「ギリシア人の子孫」と言っていると、ギリシアはじめヨーロッパから人や援助がジャブジャブやって来るので、言っているうちに自分たちも本気になってしまっているようです。こういうのを「文化汚染」といいます。
私は、この伝説は、西からの「アレクサンドロス伝説」と東からのチベット系の伝説が混交したもの、と考えていますが、まだまとまった形にするほど探求が進んでいないので、いずれまた。
(注2)
ヒマーチャル・プラデシュ州クッルー県パールバティ溪谷のマラーナー(मलाना Malana)にも、「アレクサンドロス大王軍兵士の末裔か?」という噂がありますが、こちらは一層根拠皆無。
アレクサンドロスがらみの話など、かけらもありません。単に「周囲(ここではインド・アーリア系)とは異質な文化を持っている」というだけ。噂発生の時期もごくごく最近、20世紀末のことでしょう。
彼らの話す言語はカナシ語(Kanashi)といって、チベット・ビルマ語系ヒマラヤ語群に属します。近隣のキナウル語やラーホール諸語と同じグループの言語です。文化・宗教もよく似ており、両者とは宗教上での交流もあります。出自不明の謎の民族などではありません。
ただし今は、周囲をインド・アーリア系民族に囲まれてしまったので、一見孤立しているように見えるだけ。
マラーナーやカナシ語の話は、いずれ改めて。
(注3)
これらは、呼び手の言語によって'brog paの発音が変わっているわけです。
バルティ語/プリク語 → ブロクパ
ラダック語 → ドロクパ
チベット語 → ドクパ
おおむねこんな感じ。
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(追記)@2014/04/17
私の文献リストを見て、奇異に感じる人がいると思います。
それはリストの順番が、著者名の「あいうえお順」「ABC順」ではなく、年代順になっている場合が多い点。
その理由は、まず第一に、文献数が少ない場合、著者名順はほとんど威力を発揮しないからです。著者名順が威力を発揮するのは、文献数が数十のオーダーになったときでしょう。文献数が十や二十程度ならば、私は著者名順をとる必要はない、と思っています。
それに私は「著者名(年代)」で文献名を示すようにしています。年代順文献リスト上での場所は、年代で見つけることができますから、特に不便はないでしょう。
ではなぜ年代順に並べるのか、と言うと、これは私の好みなのですが、年代順に並べると研究史がある程度見えてくるのです。改まって研究史を書くのはなかなかおっくうですが、年代順文献リストを作る程度で研究史が把握できるのならば、それほど苦にはなりません。むしろ楽しいくらい。
何の調べ物でも一緒ですが、既存研究資料を集める際に、まずこのような年代順文献リストを少しずつ作っていくことをお勧めします。文献数が増えるに従って、徐々に研究史が見えてくるので、わくわくしますよ。まあ、私ごときがわざわざ言わなくとも、実行しておられる方は多いとは思いますが。
もちろん、正式な発表の際には、著者名順に直せばいいわけです。それはたいした手間ではありませんよね。私には、きちんとした形での発表の場はどこにもありませんから、ここでは自分好みの年代順文献リストで充分なわけです。
皆さん(て誰?)にも「文献リスト読み」の楽しさがわかってもらえたらうれしいのですが。
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