'brog paといえば、チベット語では一般に「遊牧民」という訳語が与えられています。
ブロク・ユルのブロクパも「遊牧を生業とすることから'brog paと呼ばれる」という説を見かけます。本当でしょうか?
ダー村(མདའ་ mda')に行ったことがある方ならばわかるでしょうが、彼らの生業は半農半牧といったところで、遊牧を行ってはいません。彼らは定住生活を送っていますし、牧畜にしたところで、せいぜい夏場に近隣山岳部の決まった場所へ移牧に行く程度で、冬場には村に下りてきます。
それに、この程度の移牧はラダッキ/プリクパ/バルティの間でもごく一般的です。それらと区別する理由は特に見当たりません。
ちなみに、ラダック東部で本格的に遊牧を行っている人々は、「བྱང་པ་ byang pa (チャンパ)=北の人/チャンタン高原の人」と呼ばれます。
「遊牧民だから'brog pa」という理由は根拠薄弱です。
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他にも「ブロク・ユルとラダックを結ぶ交易に従事しており、移動生活を送るから'brog paと呼ばれる」という説もあります。
しかしチベット語では、こういったいわゆる交易商人に対して'brog paという名称が与えられる例はありません。呼び名はཚོང་པ་ tshong paとなるはずです。これも根拠薄弱。
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また、「彼らはかつてダー村上手のダー・ドク(མདའ་འབྲོག mda' 'brog)に住んでいたため'brog paと呼ばれる」という説もありますが、これも仮に成立するとしても、ダー村民に対してだけでしょう(注1)。
'brog paという集団は、ダー村だけに住んでいるのではありません。ブロク・ユル全域、ドラス(Dras)、さらにはバルティスタン側にもおり、チベット語での他称はみなブロクパです。
これらのブロクパが、すべてダー・ドクから四方に広がった、というわけではありません。彼らは色々なルート、時期にギルギット方面からやって来たはずです(注2)。
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しかし、この「ダー・ドク」という地名、「'brog pa」の語源でこそありませんが、実は語源解明のいいヒントになるのです。
以下、次回。
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(注1)
お隣の村ハヌー(ཧ་ནུ་ ha nu)の人々も、ダー村と同じくデュロ、メロ、ガロの三兄弟を祖とする同族です。ハヌーに伝わる伝説では、この三兄弟の子孫が、ダー、ハヌー、ガノクス(ག་ནོག་ས་ ga nog sa)に分かれて住み始めた、とされています。ダー・ドクに相当する聖地(つまり最初に住み始めた場所)はハヌーにもあり、それはHanu Lungpaの上流ハンダンスミン(ཧན་དྲང་སྨིན་ han drang smin)にあたります。
なお、三カ所の村には、ハヌーではなくガルクン(གར་ཀུ་ནུ་ gar ku nu)が入る場合もあります。
(注2)
ラダック西部プリク(སྤུ་རིག spu rig)地方は18世紀にラダックに併合される前は、多くの小王国が分立する状態が続いていました。それらの王国はチベット系とダルド系に大別できます。
ダルド系王家の祖は、みなブルシャ/ギルギットから移住してきた、という伝説を持っています。その名は、チクタン(ཅིག་ཏན་ cig tan)ではツァンケン・マリク(ལྩང་མཁན་མ་ལིག ltsang mkhan ma lig)、ソッド(སོད་ sod)ではタタ・カーン(ཁྲ་ཁྲ་ཁཱན་ khra khra khAn)、シムシャ・カルブ(ཤིམ་ཤ་མཁར་བུ་ shim sha mkhar bu)ではシャシャ・ムン(སྲ་སྲ་མུན་ sra sra mun)と様々ですが、伝説の内容は似通っており同一人物かもしれません。
年代は不明ですが、10世紀以前のよう。ブロク・ユルのブロクパの移住譚と内容は一致しないので、同一民族ではあるが別勢力とみてよいでしょう。ダルド民族のラダック移住が、一本道ではないことがわかります。
これらのダルド民族は、現在ブロクパと呼ばれる集団を除き、外来のチベット系民族と同化してしまい(特に言語)、プリクパ(སྤུ་རིག་པ་ spu rig pa)という集団を形成しました。
また、ブロク・ユルでは、ブロクパが移住してくると、そこにはすでにミナロ(Minaro)という先住民がいました。これは、先住のダルド系民族であろう、と推測されています。ミナロはブロクパに吸収されたようです。
バルティスタン側に住むブロクパは、当然みなモスレム。移住のフェイズは10世紀頃と17世紀の2回あったようです。やはり他称はブロクパ。
このように、ラダック/バルティスタンの基層にあるダルド系民族の諸相には興味深いものがありますが、史料が少なくはっきりしない部分が多い。
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(追記)@2014/04/20
ブロクパには、他にもいろいろな他称があります。その一つがマクノパ(Machnopa)。
これはチベット語のམག་པ་ mag pa(婿)と関係ある言葉とみられます。「no」がよくわからないのですが、ནོ་ནོ་ no no(兄/有力者)かもしれません。
これは、もしかするとギルギットから移住して来たブロクパが、先住のミナロに婿入りすることで、そう呼ばれることになったのでは?などと想像しているのですが、資料が少なくてこれ以上はなんとも言えません。
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