フンザが明らかにチベットから影響を受けた文化として、「ケサル王物語」(注1)があります。
「ケサル王物語」がアムド・カム~ウー・ツァン、さらにラダックに分布していることはよく知られています。特にラダックの「ケサル王物語」は西洋では最も早く知られたヴァージョンで、20世紀前半には唯一の入手可能資料でもありました。
ラダックからさらに西に進み、バルティスタンにも「ケサル王物語」があります。ここは今はイスラム圏とはいえ、まだチベット語圏内ですから理解できます。しかし、フンザにまで「ケサル王物語」があるとなるとちょっと不思議です。
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フンザ版「ケサル王物語」のストーリーは、出生、嫁取り作戦と王への成り上がり、北の悪魔退治、対ホル戦争までの基本的なストーリーが揃っており、主な人名・地名もKiser(ge sar)、Brumo('brug mo)、Ling(gling)、Hor(hor)と、チベット版とほぼ同じです。
「ケサル王物語」はチベット文化圏を越えてモンゴルやカラコルムにまで広がりをみせているのですが、対ホル戦争まではほぼ同じストーリーが保持されており、驚くべき均質性を示しています(注2)。
対ホル戦争までのストーリーが完成した段階で各地に流布したのは間違いないでしょう。ただし発生地点や伝わった年代・経路はいまだ確定されていません。
対ホル戦争までのストーリーで、一番違いを見せるのが冒頭・出生の部分。チベット本土のヴァージョンではグル・リンポチェなどが現れ仏教的な潤色がなされているのに対し、ラダック、バルティスタン、フンザでは仏教的な潤色が一切ないのが特徴。おそらくこちらの方が原型に近いのでしょう。
フンザの「ケサル王物語」も、吐蕃時代から続く、というよりバルティスタンとの交流で伝えられたもの、と考えるべきでしょう。「ケサル王物語」の成立時期は11世紀頃という説が有力ですし、フンザへの伝播を、吐蕃時代にまでさかのぼらせるのは難しそう。チベット本土ではその後、後続ストーリーが多数創作されましたが、西部チベット方面に伝わったのは対ホル戦争までのコア・ストーリーだけでした。
「ケサル王物語」の成立時期、成立地点、発展過程、伝播経路の研究の上でもフンザの「ケサル王物語」は重要な位置にあるのですが、Lorimerが報告して以来、あまり注目されたことはないのは残念。
参考:
< ラダックのケサル王物語 >
・August Hermann Francke (1941) A LOWER LADAKHI VERSION OF THE KESAR SAGA. pp.xxxii+493. Royal Asiatic Society of Bengal, Calcutta. → Reprint : (2000) Asian Educational Services, New Delhi.
・Tsering Mutup (1983) Kesar Ling Norbu Dadul. IN : Detlef Kantowsky+Reinhard Sander(ed.) (1983) RECENT RESEARCH ON LADAKH : HISTORY, CULTURE, SOCIOLOGY, ECOLOGY. pp.9-28. Welforum Verlag, Munchen.
< バルティスタンのケサル王物語 >
・岡田千歳 (2001~03) 叙事詩「ケサル物語」の挿入歌について パキスタン北部バルティスタンの調査報告(1)~(3). 桃山学院大学教育研究所研究紀要, no.10~12.
< フンザのケサル王物語 >
・David Lockhart Robertson Lorimer (1935) THE BURUSHASKI LANGUAGE II : TEXT AND TRANSLATION. Instituttet for Sammenlignende Kulturforskning/Aschehoug, Oslo. (ブルシャスキー語で語られた昔話集) → Reprint : (1981) FOLK TALES OF HUNZA. pp.196. National Institute of Folk Heritage, Islamabad. (上記書の英訳部分のみを抜粋したもの)
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(注1)
「ケサル王物語(ge sar gyi sgrung)」は、チベット文化圏全域およびモンゴルに流布している長大な叙事詩。リン国(gling)に生まれたケサル(ge sar)がその国の王に成り上がり、ホル国(hor yul)などの諸国と戦う、というストーリー。本来は口伝で伝えられた物語で、ドゥンパ(sgrung pa=物語師)が代々語り伝えてきた。近年、チベット語、中文訳書、欧文訳書などの形で文字資料として残されるようになった。
チベットの「ケサル王物語」の邦訳書は、
・君島久子 (1987) 『ケサル大王物語 幻のチベット英雄伝』. pp.222. 筑摩書房, 東京. (中文訳本からの重訳であり、子供向けの抄訳)
しかなく、お寒い現状。各地の「ケサル王物語」邦訳稿は他にいくつかあるが、断片的なもの。
モンゴルの「ゲセル王物語」(モンゴルでは「Geser」となる)の邦訳書は、
・若松寛・訳(1993) 『ゲセル・ハーン物語』. pp.429. 平凡社東洋文庫566, 東京.
がある。
ケサルに関する論考でアプローチしやすく、また優れたものとしては、
・金子英一 (1987) ケサル叙事詩. 長野泰彦+立川武蔵・編 (1987) 『チベットの言語と文化』所収. pp.408-427. 冬樹社, 東京.
がある。
(注2)
チベット本土の「ケサル王物語」では、対ホル戦争の後に、対ジャン('jang/南詔)戦争、対モン(mon/南の異民族)戦争、対タジク(stag gzigs/ペルシア)戦争などなど、同工異曲の戦記が延々と続き、最後はケサルが天に戻る話で完結する長大なものになっている。
しかし、ラダック、バルティスタン、フンザに流布しているヴァージョンは、いずれも対ホル戦争の勝利で終わるシンプルなストーリー。おそらくこれが「ケサル王物語」のコア・ストーリーであり、西部チベットに伝わるヴァージョンは「ケサル王物語」の原型を伝えるものと考えてよさそう。
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(追記)@2012/02/25
各地の「ケサル王物語」の比較を試みた先駆的な研究として、次のような論文があります。
・角道(かくどう)正佳(1997)土族のゲセル. 大阪外国語大学論集, no.18(1997), pp.225-250.
著者は土族についての研究者らしいのですが、土族をはじめアムド、裕固族、デード・モンゴル(青海モンゴル)、モンゴル、オイラト、そしてフンザに伝わる「ケサル王物語」を用いて、各モチーフの比較検討を行っています。
「ケサル王物語」の発祥の時期・場所、伝播、変容を探索するには、まずこのような基礎的な研究が不可欠です。が、地域が広範にわたる上に、言語もチベット語をはじめモンゴル語、ブルシャスキー語など多岐に渡るため、なかなか研究も思うに任せないようです。
角道氏は、必ずしも「ケサル/ゲセル」を専門とする方ではないので、当分野に関してはその後発展がきかれないのが残念です。が、今後このような各地の「ケサル」の比較研究が盛んになることが望まれますし、実際進むのではないかとワクワクしています。
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