フンザ~ギルギットにはチベットの影響が今もいくつか残っています。
まず、ことば。ギルギットのシナー語、フンザのブルシャスキー語にはチベット語/バルティ語の単語がいくつか借用されています。
ブルシャスキー語
祖母 : api/epi ← a phyi(チベット語古語/ラダック語/バルティ語)
塩 : payu ← pa yu(バルティ語/プリク語)
米 : bron/bras ← bras(チベット語)
そば(穀物): bro ← bra bo/bra'o(チベット語)
ポプラ(木): byarpha ← dbyar pa(チベット語)
ハンカチ : lagphis ← lag phyis(チベット語)
幕営地 : brangsa ← 'brang sa(チベット語)
シナー語
たまねぎ : tsong ← cong(チベット語)
そば(穀物): bro ← bra bo/bra'o(チベット語)
靴下 : kangtse ← rkang tse(バルティ語)
ソーダ(鉱物): phul ← bul(チベット語)
約束 : chadkha ← chad ka(チベット語)
出典:
・John Biddulph (1880) TRIBES OF THE HINDOO KOOSH. pp.vi+164+clxix. Calcutta. → Reprint : (2001) Bhavana Books & Prints, New Delhi.
・Homayun Sidky (1995) HUNZA : AN ETHNOGRAPHIC OUTLINE. pp.209. Illustrated Book Publishers, Jaipur.
・Syed Muhammad Abbas Kazmi (1996) The Balti Language. IN : P.N. Pushp+K. Warikoo(ed.) (1996) JAMMU, KASHMIR AND LADAKH : LINGUISTIC PREDICAMENT. pp.135-153. Har-Anand Publications, New Delhi.
これらが吐蕃時代から続くものなのか、バルティスタンとの交流(注)の結果比較的近年にもたらされた影響なのか、わかりませんが、単語のいくつかにチベット方面からの影響があることは間違いありません。
「ブルシャ」という地名・民族名、「ブルシャスキー」という言語名もそういった過程でチベット/ラダック/バルティスタンから比較的近年にもたらされた、という可能性もありますが、他称であったものが自称として採用されたのであれば、それには何か重要な契機があったはずです。それがわかりません。
また、自称「Burusho」、「Burushaski」が、吐蕃と関係が深かった8世紀頃から続くものであったならば、何らかの記録が残っていそうなものですが、それは一切ありません(あるのはチベット側からの他称としてのみ)。よって、どちらかというと「比較的近年にチベット/バルティスタンからもたらされたのでは?」という考えに傾きつつあるのですが、証拠がなさすぎます。
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(注)
フンザ・ナガルとバルティスタンの間にはカラコルム支脈の高山が横たわり一見通行不可能であるかのように思えるが、ナガルからヒスパー氷河~ヒスパー峠~ビアホー氷河を経てアスコールへ抜けるルートは、氷河が延々続く厳しい道ながら古くから重要な交易路であった(トレッキング・ルートとして、また「スノーレイク」のある場所としても有名)。
ナガルの人々にはモンゴロイドの形質が見られ、フンザの人々とは外見が異なる。これはこのルートでバルティスタンとの交流が続いた結果と考えられている。
バルティスタン・シガル(Shigar/shi dgar)の王家は、ギルギットのトラカン朝の傍系で、フンザ・ナガルの代官を務めていたチャタム(Cha ThamあるいはShah Hatam)が、いとこであるギルギット王ハイダル・カーンと争い、そして敗れてシガルに亡命したことに始まる、とされる(14世紀か?)。この際の亡命ルートも、敵の領地ギルギット~インダス川経由の道は取れないので、当然ヒスパー氷河経由だったはずだ。
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