2012年2月20日月曜日

「ブルシャスキーって何語?」の巻(32) フンザの麺料理・ダウロ/ダウドの謎-その2

ダウロにはもう一つ重要な特徴があります。それは、麺料理であるよりもスープとしての性格が強いこと。前述のように、場所によっては麺がみっちり入ったものもあり、かなりヴァリエーションはあるのですが、おおむねスープ・メインと考えていいでしょう。

これは麺を主体とするラグマン(スユック・アシュ)、トゥクパとは一致しない特性です。似た料理が近隣にないでしょうか。

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・石毛直道 (1991) 『文化麺類学ことはじめ』. pp.298. フーディアム・コミュニケーション, 東京. → 改題の上再版 : (2006) 『麺の文化史』. pp.395. 講談社学術文庫1774, 東京. (注)

には、キルギスタンの麺料理ウグラー(ugra、ウズベク語)/ウゴロー(ugoro、タジク語)/ケシマ(kesima、キルギス語)というものが取り上げられています。


ウグラー@キルギスタン・オシュ
石毛(1991)より

これはスープ(写真ではどういったタイプのスープかわからないが、マトンをダシに塩で味付けしたものか?トマトは入っていないよう)に、幅2~3mmと細くてなおかつ短い切り麺を入れたもの。麺はスープで直接煮込むようです。

ダウロも似た調理法をとるらしく、乾麺状態のスパゲッティやマカロニをいきなりスープで煮込んでいるようです。よって麺の芯が茹で上がる前に周囲が溶け出し、スープにはとろみが出てきます。だから、意外にできあがりまで時間がかかっていましたね。

スープ・メインという性格といい、短い麺といい、麺を直接スープで煮るという調理法といい、ウグラーとダウロはよく似ています。

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石毛(1991)には、さらに気になる報告があります。

> ウズベク族もウグラーを食べるが、タジク族が一番よく食べる。
> キルギス族はあまり食べない。

フンザのすぐ北にはタジク系のワヒー人が住んでおり、フンザ本体とは密接な関係にあります。また、そのワヒー人の故郷ワハーン谷ともフンザは交流を続けてきました。

このタジク/ワヒー人経由で、ウグラーがタジク→ワヒー→フンザへと持ち込まれ、ダウロとなった可能性が考えられます。

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なお、ウグラーは東トゥルキスタン(ウイグル)にもあります。

・しみずゆりこ/新疆瓦版-ウルムチまでは何マイル? > 異邦人(マレビト)の目から見たウイグル > ウイグルの暮らしと文化 > ウイグルの食文化 > II. ウイグル料理~小麦料理編~
http://home.m01.itscom.net/shimizu/yultuz/uighur/culture/food/index.htm
・愛の架け橋 > 2007-07-25 ウイグル人料理(7) ウグレ
http://blog.okinawabbtv.com/kakehasi/index.php?catid=7060
・knol : A unit of knowledge > Uyghur Noodles (Ugra)
http://knol.google.com/k/yushanjiang-simayi/uyghur-noodles-ugra/2ystybnyf5mc5/19n

を見ると、スープ・メインというのは同じですが、麺は細いとは言えず、また長く、量も多そうに見えます。西トゥルキスタンのウグラーとはちょっと違っていますね。ダウロに似ているのは西トゥルキスタンのウグラーの方でしょうか。

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石毛(1991)によれば、イランにはアウシュ(スープ)、アフガニスタンにもアウシュ(麺入りスープ)という料理があって、西トゥルキスタンのウグラーと関係がある、とみられています。

ウイグルのスユック・アシュの「アシュ」もこれと同源の単語でしょう。ウイグル語では「麺」を意味するらしいのですが、ではこれがペルシアまで伝わり、そちらでは肝心の麺が抜けてスープだけになったのか?わからないことだらけです。

内陸アジアでの麺料理伝播は大半が「東→西」という流れなのですが、もしかするとアウシュ/ウグラーだけには、局所的にタジク→フンザという「西→東」という流れがあるのかもしれません。

この件に関しては、自分はもとより専門家による検討もいまだ充分ではなく、満足いく結論に到達はできません。しかし、ダウロとウグラーには関係があり、そしてタジク~ワヒーがこれを媒介したのではないか?という仮説を立てることはできそうです。

今のところ手元にタジク~ワヒーの食文化に関する資料がなく、彼らがどういうウグラーを食べているのかはっきりしません。特に最も重要な上フンザのワヒーについて全くわかっていないので、もっと調べる必要があります。

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ダウロの成立にはこれで、トゥルキスタンのウグラーとラグマン(スユック・アシュ)、チベットのトゥクパ(特にテントゥク)、と3つの源流が想定できそうです。しかし、調べていくうちにどちらかというとトゥルキスタンからの流れの方が太そうな気もしてきました。

ダウロの麺やスープにヴァリエーションがみられるのは、各々の影響力の大小に起因するものなのかもしれません。

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最後に「ダウロ」という名称についてですが、これがまた皆目わかりません。手元のブルシャスキー語語彙集には、めぼしい単語はありませんでした。

トゥルキスタンの麺料理の中にも、似た名前は今のところ見つかりません。

石毛(1991)には、ブータンのあんかけうどん「タルメン」という料理が現れます。これは中国のあんかけ麺「打滷麺(ダァルゥミェン)」直系の麺料理と考えられています。

ダウロとは名前がちょっと似ています。ダウロでは麺が溶けだしてスープにとろみがついているあたりも、このタルメンと共通点があります(タルメンの方はおそらく片栗粉でしょうけど)。しかし、私はチベット本土でタルメンを見たことがなく、さらにラダックの方でも見たことがありません。ブータンにもどういう経路で中国から伝わったのか明らかではありません。

中国の打滷麺が、少なくともその名称が、チベット→西部チベットを経てフンザにまで伝わった、とするにはまだまだ証拠が足りません。

今のところは、ダウロの語源も謎とする他ありません。

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思ったより大作になってしまいましたが、麺料理ひとつとっても、フンザにはトゥルキスタンやチベット双方の影響が想定できるわけです。それもかなり複雑な経路が想定できます。

フンザの文化は、近隣の多様な世界と反応しながら成長してきたもので、フンザを「外界から隔絶した隠れ里」とする考え(というより商売上のキャッチフレーズ)にはとても賛成できません。

しかし、ダウロの食文化調査・研究は今のところ見当たりません。フンザに関する研究は、この分野に限った話ではないのですが、未着手の問題だらけです。

ここで延々書き続けていることでもわかるように、フンザについては興味深い話題ばかりです。が、問題は山積み。とても私がそれを次々処理できるものでもありません。いずれ各分野で、新進気鋭の研究者が現れて解決してくれることを期待しましょう。

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(注)
原版はカラー写真が豊富。料理の実体を詳しく知るために、文庫版『麺の文化史』でなく、原版『文化麺類学ことはじめ』の方を入手する意義は大きい。

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(追記1)
以上は2年以上前にすでに書き上げていたものですが、最近見つけたサイトに次のようなものがあります。

・和人+あづさ/旅して~世界206ヶ国&旅と暮らし>2人の世界旅>その土地の食>パキスタン>ダウロまたはダウド…パキスタン
http://tabisite.com/hm/shoku/v75/11071508.html

こちらではすでに、フンザのダウロとアフガニスタンのオシュ/イランのアシュが同類の料理であることが指摘されています。

この記事がいつ発表されたのかはわかりませんが、著者がフンザを訪問されているのは2011年7月らしいので、記事のアップはそれ以降と思われます。

とはいえ、オシュ(アフガニスタン)/アシュ(イラン)は、麺料理という性格上、東方(直近の発信源は西トゥルキスタン)から伝播したものとみられますし、ダウロ(フンザ)とじかにつながるものではないと私は考えます。

上記3種の麺料理はすべて西トゥルキスタンのウグラーが発信源でしょう。特にそれをフンザへ伝える役割を果たしたのがタジク系ワヒー人か?というのが、私独自の説、ということになります。

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(追記2)
ダウロに関しては、昔、国立民族学博物館友の会の会誌「月刊みんぱく」内の質問コーナーで、石毛直道先生に直々に答えていただきました。あれからずいぶん経ちましたが、ようやくその恩返しができたような気がします。

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(追記3)@2012/02/23

・坂本一敏(2008)『誰も知らない中国拉麺之路(ラーメンロード) 日本ラーメンの源流を探る』. pp.238. 小学館101新書009, 東京.

という本があります。多様であり、かつ大量に存在する中国麺の世界を食べ歩き、中国→日本への麺類伝播を探索した大変な労作。

薄味新書乱発の大海に埋もれてしまい、ほとんど無名なのは残念。もっと読まれてしかるべきな本。

本書の最後は、中国領西はずれとしてのフンジェラブ峠。ちょっと足を伸ばせば、著者もフンザのダウロに遭遇し、新たな世界が広がるはずであった。残念。でも、それでは「中国麺の世界」を逸脱してしまうから、それでよかったのかも・・・。

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