今回は余談みたいなもんですが、フンザの麺料理「ダウロ/ダウド(dauro/daudo/dawdo)」について。
フンザには麺料理があります。麺料理といっても中国の各種麺類、日本のそば/うどん/ラーメン、チベットのトゥクパとは違い、どちらかというとスープに比重がかかったものです。量も少なく、丼ではなく小ぶりの茶碗で出てきます。
こういった麺料理がフンザ・オリジナルで出現したとは思えません。パキスタン平野部にこういった麺料理は存在しないので、そちらから来たとも考えられません。
当然、隣接地域に存在している麺料理、チベットのトゥクパ、トゥルキスタンのラグマンとの関係が注目されます。これらに加え、同じトゥルキスタンの料理ではありますが、至って無名なウグラー/ウゴロー/ケシマというヌードル・スープが鍵を握っているのではないか、とにらんでいます。
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フンザでダウロを食べたのはだいぶ昔なのですが、当時は食文化にはあまり興味はなかった上に、フィルムをケチっていたので(注)、残念ながらダウロの写真は撮っていません。ダウロの写真は各種旅行記サイトでご覧ください。
・パキスタン風 pakfu.exblog.jp > 10月17日 フンザの伝統料理
http://pakfu.exblog.jp/6704480/
・satomi / 旅 tabiato 跡 - blog > 10. パキスタン > 2006年05月01日 ああ、癒しのダウロ@ギルギット
http://blog.livedoor.jp/albmire/archives/cat_50008319.html
・Masakis Sawai / 南船北馬 WORLD TRAVEL SITE > 旅の間に食べた料理の写真と感想です。> 南アジア > パキスタン
http://sawai.ms/gyu/gyuasia2.html
・坂口克 / 5月3日(水) フンザお散歩
http://www.sakaguti.org/honmon%20page/pakistan/hunza/hunza.htm
・xiaokobamiki / 私の旅はこんな旅 > ギルギットからヤシンへ (パキスタン) > 10/21'06 ギルギットからヤシンへ
http://kobamiki.exblog.jp/6421816/
・Haruko Y. Izawa / お宝発見!体験型異次元空間 > 突撃!食の探検隊 > Food in 南アジア > Pakistan パキスタン > 《北部フンザの食事》ダウロ
http://sekitori.web.infoseek.co.jp/Food/w_PK_fd8_dauro.html
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ダウロ発祥の地はフンザで間違いないのですが、ギルギット、ラワルピンディ、ラホールなどでも見かけるようです。おそらくフンザ人が移住して住んでいるのでしょう。
上にあげたサイトの写真を見ると、一口にダウロといってもかなりヴァリエーションがあります。麺とスープに分けてその内容を検討してみましょう。
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まず、スープですが、私が食べたフンザの3ヶ所では例外なくトマト・ソースでした。見た目は真っ赤で油が浮き、辛そうに見えますが、唐辛子は入っていません(と思う)。胡椒がきいていた記憶はあります。肉のダシはほとんどきいてないのでごくあっさりした味です。
ダウロだけで一食をまかなおうとすると、量も少ない上にあっさり味なので、かなり物足りなく感じます。これはやはりメイン・ディッシュではなく、スープとしての役割が大きいのでしょう。
パキスタン平野部から北上していくと、マトン+バターのこってりカレーに胃が疲れてきます。そしてフンザに着くと、日本人にはダウロのあっさり味が懐かしく感じられるようです。
考えてみると、各種ウェブサイトでもダウロを取り上げているのは、なぜか日本人ばかりです。欧米のサイトでは、ダウロに注目している人は皆無に近い有様。やはりダウロに、東洋の食事(特に中国料理)に近いものを感じているのですね。また、麺好き民族=日本人の面目躍如といったところでしょうか。
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さて、このトマト・ベースのスープですが、これはトゥルキスタンの麺料理ラグマンのスープと同じです。当然起源をそちらに求めることができるでしょう。
フンザは古くからトゥルキスタンと関係が深く、共産中国成立前にはパミール北側に放牧地を持ちカシュガル/ヤルカンドとの交易も盛んでした。
ただし、ラグマンは現中国・東トゥルキスタンと旧ソ連・西トゥルキスタンでは内容が違っています。東トゥルキスタン(タリム盆地)ではラグマンといえば、麺に具をかけるだけの汁なし麺で、中国語では「拌麺(バンミェン)」という食べ方が主となります。一方、西トゥルキスタン(旧ソ連中央アジア)では、トマト・スープの汁麺です。この汁麺は、東トゥルキスタンの方ではスユック・アシュという名前になります。ダウロと関係しているのは拌麺ではなく、このスユック・アシュの方でしょう。
参考:
・しみずゆりこ/新疆瓦版-ウルムチまでは何マイル? > 異邦人(マレビト)の目から見たウイグル > ウイグルの暮らしと文化 > ウイグルの食文化 > II. ウイグル料理~小麦料理編~
http://home.m01.itscom.net/shimizu/yultuz/uighur/culture/food/index.htm
しかし、上記の諸サイトを見るとダウロのスープは必ずしもトマト・ベースとは限らないようです。ものによってはマトンのダシがよくきいているものもあり、ターメリックで黄色くなったマサラ味ありと様々。
ダウロといえばトマト・スープと思っていた私には、かなり意外でした。マトンのダシに塩で味つけしただけのスープは、ラグマン(スユック・アシュ)よりもチベットのトゥクパの汁に近くなってきます。
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麺の方を見てみましょう。フンザで食べた3食のうち、2食は短いスパゲッティやマカロニが入っている、というより浮かんでいる、といったもの。麺がメインではないように感じました。
スパゲッティやマカロニというのは比喩ではなく、本当に市販のスパゲティやマカロニが入っているのです。ちょっと興ざめしますね。この麺へのこだわりのなさがまた、スープ・メインであることを強く感じさせます。
スパゲッティはわざわざ短く折った上で入れてあるので、麺をすするという食べ方はできません。当然箸は使いません。フォークに類する道具も使いません。スプーンですくって食べるだけです。食べにくいったらありゃしない。
しかし諸サイトで見ると、意外に麺がたっぷり入ったものもあり、「メインはスープか?麺か?」という問題は、もう少し検討の余地がありそうです。
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フンザでダウロを食べた当時はあまり気にしていなかったので記憶が定かではないのですが、3食のうち1食だけ、麺はスパゲッティやマカロニではなく幅広麺を短く切ったものでした(・・・だった記憶がある)。
記憶もおぼろげになり、あれは他の場所と混同してるのかなあ?と不安になったりしましたが、
・Lahore Pakistan > 日記帳(パキスタンラホール生活史) > 2003年12月 > 12月7日
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/2612/geodiary0312.html
に、
> むせるフンザ麺:
> ダウロと呼ばれる、パキスタンの桃源郷フンザで
> 食べれるうどん。トマトベースでペッパーの雨。
> 平たい麺とスープで、3人でむせながら食道にながす。
という記述を発見し、やはり幅広麺の記憶は間違いないと確信しました。
これはチベットのテントゥク('then thug)を思い出させます。テントゥクも幅広麺を短く切ったものです。麺を汁と一緒に煮込むので麺の表面が溶けだし、汁は「あんかけ」風のどろっとしたものになります。
東トゥルキスタンのラグマン(スユック・アシュ)にも幅広麺をちぎったものがあり、「ウズップ・タシュラップ」あるいは「麺片/メンペル」と呼ばれます。テントゥク自体、トゥルキスタンに近いアムドに起源を持つ、という話を聞いたことがあり、おそらく両者は同源なのでしょう。
こうなると、ダウロの幅広麺については、どちらの影響かわからなくなります。
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チベット~フンザ間の「麺事情」を概観しておきましょう。
チベット本土では、トゥクパといえども、麺は市販の乾麺うどんになっています。それは食堂でも家庭でも同じようです。小麦粉を生地にして麺を作るやり方はかなり手間がかかるので、ほとんど見たことがありません。
ラダックでは、食堂では市販の乾麺を使っています。これは黄色く縮れた麺(おそらく鹹水が入っている)でラーメンと似ています。これを朝一で大量に茹で、茹で上がったら一食ずつにわけてテーブルの上に並べふきんをかけておきます。で、注文が来たらチャッチャッと湯通ししマトン・スープに入れます。日本の「立ち食いそば屋」スタイルですね。
ラダック、特にレーの外食におけるチベット料理の担い手は、実はラダッキではなく亡命チベット人やネパールのシェルパなのです。ですから、レーの食堂のメニューだけをもってラダック料理を判断することはできないのですが、外食産業(というほどの規模ではないが)でのトゥクパの現状はこんなところです。
ラダックの家庭では、今も小麦粉生地から麺を作るやり方が行われていますが、手間がかかるのでこちらもインスタント・ラーメンなどに取って代わられつつあります。
これはヒマーチャル・プラデシュ州パーンギー、チベット系の家庭で見せてもらった麺作りの様子です。小麦粉生地から手でよって麺を細く練り出しています。延べ棒やら包丁やら押し出し機などは使わない、最も基本的な麺作りですね。油なども塗っていないので非常に手間のかかる仕事です。客として歓待されている証拠ですから、いたく感銘を受けました。
なお、幅広麺の料理テントゥクはラダックにも存在していますが、これも亡命チベット人が持ち込んだ可能性が高そうです。それ以前、ラダックにテントゥクが存在していたかどうかは、今のところわかりません。
さて、バルティスタンでは、トゥクパは一般にはもう見かけませんが、スカルドゥに「Tibetan Restaurant」と称する店が2軒あり、そこにチャウメン(焼きそば)がありました。しかし、麺は市販のスパゲッティです。調理方法や味も中華風で、聞いたところカシュガルだかで修業したと言っていました。印パ国境が閉ざされて半世紀ですから、食文化の面でも、チベット側との断絶はどんどん広がっているようです。
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こういった周囲の状況も踏まえた上で、このフンザのダウロの起源を考えてみましょう。
はっきりした結論は出ないのですが、トマト・ベースのスープにはトゥルキスタンのラグマン(スユック・アシュ)からの影響を、幅広麺にはチベットのテントゥク/ラグマン(スユック・アシュ)双方からの影響を感じさせます。トゥルキスタン、チベット(というよりバルティスタン/ラダック)双方との交流の結果生まれた料理と言えるかもしれません。
麺については、ごく一部を除き今はほとんど市販のスパゲッティ/マカロニになっているため、麺の性格から起源を探索することは難しくなっています。手打ち麺であれば、もうちょっと起源探索のヒントになるんですが。
スープに関してはトマト・ベースでないものもかなりありますから、それらはむしろチベット・トゥクパの影響が強いのかもしれません。
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新大陸原産の野菜であるトマトは、いつトゥルキスタンに入ってきたのでしょうか?トマトは中国料理ではまず使われない素材です。そのルートは中国からではないでしょう。では西から?ラグマンの麺は東から来て、トマト・ベースのスープはそのずっと後に西から来たのでしょうか?
これはラグマンの起源にかかわる問題になってしまいます。実はラグマン自体もあまり詳しく研究が進んでいるわけではないので、ここであまり突っ込んだ検討はできません。
トマト自体、ヨーロッパ(特にスペインやイタリアなどの南ヨーロッパ)で食用として利用されるようになったのは17世紀です。トゥルキスタンにトマトが入ってきたのは、もちろんそれよりずっと後でしょう。
こうして考えると、トマト・スープがフンザに入ってきたのも、かなり最近の出来事ではないか?とも考えられます。ひょっとすると、すでにダウロがあったところにトマト・スープが加わった可能性だってありそうです。トマト・ベースでないスープのダウロがあちこちに見られることからも、それが窺えます。
トマト・スープを基準にダウロの起源を考えるのはどうも危険ですね。
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そうなると、ダウロはチベット・トゥクパとの関係の方が深そうな気もしてきます。
ところが、実はチベットのトゥクパもあまり研究が進んでいないテーマです。中国の麺料理の影響であるのは間違いありませんが、ではいつチベットに広まったのか、麺の作り方などの分布・発展史なども皆目分かりません。
チベット史文献というのは、これはもう徹頭徹尾仏教がらみのことばかりが書かれていて、こういった庶民の習俗などは完全無視です。一般人の日常生活が記録に残るようになるのは、欧米人が入り込むようになってから、大半は19世紀以降です。トゥクパもいつごろから中央チベットで普及し、それがいつ西部チベットに伝わったのか全く謎です。もちろん、さらにフンザまでトゥクパが伝わった記録などあるはずがありません。
ダウロとトゥクパの関係を強く感じさせるものも幅広麺(テントゥク)くらいしかありません。そのテントゥクも西部チベットにいつ入ってきたのか、フンザまで伝わる機会はあったのか、などわからないことだらけです。
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(注)
パキスタンからカシュガルへ抜け、すぐさま新蔵公路でンガリーへ向かったので、そのンガリーでフィルム切れになるのが心配だったのです。
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