2009年9月22日火曜日

「ブルシャスキーって何語?」の巻(22) 「bru/'bru/buru」=「boori(銀)」か?

不覚でした。

「ブルシャスキーって何語?」の巻(20) 「ブルシャ」をチベット語とブルシャスキー語で解釈してみる

で、

> この中では「boor sah」=「西に沈む太陽」の組み合わせが
> 意味ありげに見えます。

にばかり気を奪われて、もうひとつ語源として有望なブルシャスキー語単語があることに気がつきませんでした。

それは「boori(銀)」です。

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・玄奘 (唐646) 『大唐西域記』.
・慧立+彦悰 (唐688) 『大慈恩寺三蔵法師伝』.

には、鉢露羅(ボロル)国の情報として、「金銀を(多く)産出する」とあります(注1)。

「ブルシャ」の前半「bru/'bru/buru」が、銀を産出することに因んだ名(ブルシャスキー語)である可能性は考慮すべきでしょう。

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金については、『大唐西域記』はボロル(ブルシャ)の南に位置する達麗羅(ダレル/Darel)国でも「黄金を産出する」と報告しています。コーヒスターン(ダレル/チラスから南にかけての地域)には今もソニワル(Soniwal)と呼ばれる集団(注2)がおり、これはインダス川で砂金取りを生業としています。

また、ギリシア・ローマ史料に記録されている「黄金を掘り出す大蟻」もこのあたり~西部チベット(注3)にかけての情報だろうと、推測されています。

以上のように、ギルギット周辺の金についてはかなり情報があるのですが、一方肝心の銀についてはあまり情報がありません。銀は砂金のような形状としては取れませんから、必ずや近くに銀鉱山があったはずです。

しかし現在ギルギット周辺で銀の採掘が行われているという情報は聞かないし、かつて銀山があったという情報や廃鉱銀山の情報も今のところ知りません。

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玄奘の報告は7世紀前半のものです。銀鉱山は比較的短期間の稼働であったり、その後間もなく稼働を停止したのかもしれません。それから千四百年も経過しているのですから、その記憶が失われたとしても不思議ではありません。今後調査を進め、丹念に聞き込みを続ければ古い銀鉱の情報も現れてくるかもしれません。

現状では銀鉱山の存在を確認できませんが、玄奘の情報はかなり信頼されていますから、ボロル(ブルシャ)が「銀を多産する」という情報、そして「銀(ブルシャスキー語で「boori」)がブルシャの語源となった」という仮説は充分考慮に値すると考えます。それにはまだまだ情報を集めなければなりませんが。

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仮に「boori(銀)」が「ブルシャ」の語源になったのだとしても、それで説明できるのは前半の「ブル」のみで、後半の「シャ」はやはり謎のままです。

ここはやはり、チベット語、ブルシャスキー語以外の言語を使ってでもなんとか解明しておきたいところです。

というわけで、一回で元に戻れます。よかった。

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(注1)
訳文は、

・水谷真成・訳注(1971) 『中国古典文学大系 大唐西域記』. 平凡社. → 再版 : (1999) 『大唐西域記 1~3』. pp.380+396+493. 平凡社東洋文庫653・655・657, 東京.
・長沢和俊・訳(1998) 『玄奘三蔵 西域・インド紀行』. pp.329. 講談社学術文庫1334, 東京.

を参照した。

(注2)
ソニワルは、民族名というより砂金取りに従事する人々の集団名で、その名も「金族」の意味。インドのカーストと同じように、職能集団に与えられた名。

(注3)
西部チベットの金鉱・砂金については、女国/スヴァルナゴトラやグゲ王国がらみの話になり、長くなるのでいずれまた。

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