2009年9月24日木曜日

「ブルシャスキーって何語?」の巻(23) シャンシュン語、キナウル語で解釈してみる

「bru sha/'bru zha」や「sbal ti」の語尾の「sha/zha」や「ti」がチベット語やブルシャスキー語で意味・語源不明であるならば、7世紀まで西部チベットを支配していたとみられるシャンシュン王国のことば=シャンシュン語を持ち出すのはどうでしょうか。

シャンシュン語は近年、国立民族学博物館が進めている研究などで、徐々にその実体が明らかになってきています。チベット・ビルマ系の言語であるのは確実です。その中でもヒマラヤ諸語と呼ばれる言語群に含まれる可能性が高く、現存している言語の中ではキナウル語に最も近いとみられています。しかし、そのかつての分布や起源などについては依然謎の多い言語です。

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シャンシュン王国がどの程度の広がりを持っていたのか、支配体制がどうだったのか、不明な点ばかりなのですが、7世紀に吐蕃に併合されるまでは少なくとも現在のンガリー一帯を支配していた大勢力であったのは間違いありません。チベットとボロル(ブルシャ)の間にあって、知られている古代言語はこのシャンシュン語のみですから、試行的にこの言語を利用してみるのは悪い試みではないでしょう。

ただし、現在ボン教文献に散見されるシャンシュン語は、敦煌文献にわずかに発見されている古いシャンシュン語とはだいぶ異なります。前者は新シャンシュン語、後者は古シャンシュン語と呼び区別されています。

不確定要素はたくさんありますが、とりあえず試行的に新シャンシュン語で解釈できないか、トライしてみましょう。

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筆者が参照できるシャンシュン語辞書は、

・Dan Martin(ed.) (1997) Zhang-Zhung Dictionary.
http://www.comet.net/ligmincha/html/zzdict1.html
(現在は公開を終了しているようです)

のみです。

近年、別のシャンシュン語辞書が出版されたようですが、なかなか入手できずにいます(貧乏ですので)。

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まず「zha」を当たってみましょう。

いきなりですが、上述の辞書には「zha」という単語はありません。がっかり。では、一部に「zha」を含む単語で、ものになりそうなものを挙げてみます。

「シャンシュン語」=「チベット語」=「日本語」

「dmu zhag」=「mkha' lding」=「ガルーダ」
「zhang zhag」/「zhung zhag」=「bya khyung」=「ガルーダ」
「zhang ze」/「zham ze」=「rdzu 'phrul」=「魔術」
「zhim zhal」=「bde sdug」=「幸福と苦痛」
「zhum zhal」=「khrag 'dzin」=「皮」
「bri zhal」=「'ja' tshon」=「虹」

など。なかではガルーダ関連が気になるところですが、ガルシャ(ラーホール)、ブルシャと結びつくような伝説はなさそうです。他はあまりぱっとしませんね(注1)。

「sha」ではどうでしょうか。

「tri shan」=「shes rab」=「智慧」
「tha shan」=「la shan」=「分別すること」
「pa shang」=「dbang sdud」=「力や影響をつなぐ/統合する/引きつける」
「tse shan」=「rna」=「耳」
「sha/ka sha」=「ma chags」=「執着することなく/愛することなく」
「sha 'bal」=「sta re」=「ボン教神が持つ小斧」
「sha zur/shang zur」=「g-ya' brag」=「石がごろごろした山腹・崖」
「sha ya」=「bshags」=「告白」
「sha ya gyin」=「bshags pa yin」=「説明したように」
「sha ri」=「dpal ldan」=「聖なる(sri)」
「sha shin」=「rnam shes/shes pa」=「覚醒」
「shang ze」=「rgan po/rgan mo」=「老人」
「shing sha」=「rga shi」=「老化と死」

この中では「sha zur/shang zur」=「石がごろごろした山腹・崖」が地名と関係ありそうです。分解してみると「sha/shang」が「石(ごろごろ)」で、「zur」が「山腹・崖」になります。すると、ここでひとつおもしろい関係が浮かび上がります。

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ラーホールのチベット名「ガルシャ」には様々なスペルがあり、前半はdkar/gar/ga、後半はsha/shwa/zha/zhwaなどとつづられます。この中から「dkar sha」というつづりを選んでみましょう。これを、チベット語「白い」+シャンシュン語「石」のハイブリッド単語と考えてみます。すると、ラーホール/ガルシャ特産として有名な「白い(大理)石」そのものになります。

シャンシュン語で、名詞を修飾する形容詞が前からかかるのか、チベット語のように後ろからかかるのかはっきりしませんが、シャンシュン語と近縁とされるキナウル語/ラーホール諸語では「形容詞+名詞」の順です。

ラーホール/ガルシャ産の大理石で作った仏像は西部チベット各地で崇められています。有名なのは地元ティロキナートのパクパ・リンポチェ像、カン・ティセのチュク・リンポチェ像です。ラダック・ティンモスガンにあるチェンレスィ大理石像は、スピティ産といわれていますが、おそらく同じくラーホール/ガルシャ産ではないかと思っています。

「チベット語+シャンシュン語」のハイブリッド、という点にちょっと苦しい面がありますが、可能性はかなりありそうです。

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では、この理屈を「ブルシャ」語源探索に利用できるか試してみます。

「bru/'bru」は王朝名「Patola/Palola」に起源を持つと仮定しましたが、これとシャンシュン語「sha(石)」を組み合わせたら何か意味を持つでしょうか。

ここで前回の『大慈恩寺三蔵法師伝』、『大唐西域記』などの「金銀を産出」という記述が生きてくるわけです。ボロル/ブルシャで多産する(とされる)金や銀を指して、「パトラ王朝の石」と呼び、それが「ブルシャ」という地名になった、と考えることはできないでしょうか。

あるいは、前回の「boori(銀)」を持ち出し、ブルシャスキー語「boori(銀)」+シャンシュン語「sha(石)」のハイブリッドで「銀鉱石」を意味する、と考えてもよさそうです。あるいはこちらの方が有望でしょうか。

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西部チベット~カラコルムでの金銀の産出や流通状況(特に古代の)についてはわかっていないことばかりで不確定要素は多く、これも「大胆な仮説」の域を出ませんが、検討価値のあるものと信じます。

シャンシュン語「sha」にしても、上記のリストをみると同じスペルでも様々な意味がありそうです。さらに探索していけば他にも何か有望なものが抽出できるかもしれません。が、とりあえず今のところは検討は端緒についたばかりです。

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次に「ti」ですが、これはシャンシュン語では意味がたくさんあります。

(1)良いこと、秀逸、有益
(2)数字の一(tig)の短縮形。語頭に置かれ「ひとつの~」とも使われる。
(3)属格を表す接尾辞
(4)「~すべき」を表す接尾辞
(5)「ti」あるいは「ting」で、水
(6)北
(7)考える、憶える

この中では(3)、(5)あたりが有望でしょうか。

(3)と考えた場合、「sbal ti」は「パトラ王朝の」といった意味になり、もともとボロル国の中心地であったバルティスタンの名にはふさわしい。

(4)と考えた場合、「水」を「川」とか「谷」の意味に取り、「パトラ王朝の谷」とする。これもワンステップ変換・解釈が必要ですが、なかなかよさげ。

その理屈で「spyi ti(スピティ)」、「nyung ti(クッルー)」だとかに応用できるかどうかは、長くなりそうなのでいずれまた別稿で。

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おまけで、シャンシュン語と近縁の言語とされるキナウル語(hom skad)もみておきます。

出典は、

・Davadatta Sharma (1988) A DESCRIPTIVE GRAMMAR OF KINNAUR. pp.xvi+203. Mittal Publications, Delhi.

すると、「-shya」という接尾辞がみつかります。これは、「○○-shya」という使い方で「○○に属する」を意味します(注2)。

例:
denshang-shya=村+に属する→村人
teg-shya=大きい+に属する→大きい人/年上の人

これを「ブルシャ」に当てはめてみると、「パトラ王朝に属する」となり、こちらもなかなか魅力的です。

欠点としては、この接尾辞「-shya」と同じ用法が、今のところシャンシュン語では確認できないことです。キナウル語とシャンシュン語は近縁とはいえだいぶ違いますから無理もありませんが、シャンシュン語の方はなんといってもサンプル数が少なすぎます。「全くあり得ない」と結論を出すのも早すぎるでしょう。

この辺は、今後の研究で関連性が見いだせるかもしれません。

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とまあ、チベット語、ブルシャスキー語、シャンシュン語、キナウル語といろいろ語源探索してみましたが、「これは完璧」とまではなかなかいきません。

結局、確実な語源にまでたどり着くことはできませんでしたが、この「ブルシャ」という単語が伝わっている場所が、地元フンザ・ナガルとチベットだけというのは確実です。チベット語化しているといってもいいでしょう。

では、その「ブルシャ」に「スキー」がくっついて「ブルシャスキー」になるのはなぜなのか?「スキー」は何か?という問題に進みますが、その前に漢文史料に現れる「ブルシャ」も片づけておきます。

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(注1)
「bri zhal(虹)」は全体で「bru sha/'bru zha」とよく似ている。ブルシャは「bru shal」とつづられるケースもあるため、この場合は一層似てくる。しかし「虹」とブルシャ/ボロルを結びつける伝説も今のところ確認できない。

今は「bru/'bru」は「Patola/Palola」の訛った形?という仮説で進んでいるので、この探究には深入りしないことにする。

また、前半「bru/'bru」と似たシャンシュン語単語に、「'brug(下る)」、「bra min(シラミの卵)」、「bran(召使い/奴隷)」、「'bar(日の出/輝き)」、「ti bar(習慣)」、「du bur(捨てる)」、「bur ci(行動/活動)」、「khre bre(だまさない)」などもあるが、今はこれ以上検討しない。

(注2)
ただしこれは男性形。女性形では「-she」になる。

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