基本に立ち返って、「パトラ・シャーヒー朝(注1)の王朝名パトラ(Patola)/パロラ(Palola)から派生した名」という説をもう一度検討してみましょう。これによると、ボロル、ブルシャ、バルティはみなこの「パトラ」が語源と考えられています。
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PATOLA/PALOLA
BOLOR/BALUR/BULUR=波倫/波路/鉢露羅/鉢盧勒/勃律?
BRU SHA/'BRU ZHA
SBAL TI=勃律?
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このうち、「Patola/Palola」と「Bolor/Balur」間の対応が最もよく、「Patola→Bolor」という説はやはり説得力があります。P←→B、L←→Rの交替が容易に行われることは理解しやすいでしょう。
では残りの「bru sha/'bru zha」、「sbal ti」はどうでしょうか?どちらも最初の子音(B/P)、2番目の子音(T/L/R)まではまあまあ対応していますが、3番目の子音が対応しません。
「bru sha/'bru zha」、「sbal ti」の前半はとりあえず王朝名「Patola」に起源を持つと仮に考えておいて、後半の「sha/zha」、「ti」は何か別の起源を持つ接尾辞ではあるまいか?と考えてみます。
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近隣で「sha/zha」や「ti」を語尾に持つ地名はないでしょうか?
まず「sha/zha」ですが、インドのヒマーチャル・プラデシュ州ラーホールがチベット語で「ガルシャ(gar zha/dkar sha)」といいます。またザンスカールにも大僧院のある村「カルシャ(dkar sha)」もあります。地域の規模としては前者の方が比較対象として有望でしょう(注2)。
また「ti」の方ですが、ヒマーチャル・プラデシュ州に「スピティ(spyi ti)」が、また同じく「ニュンティ(nyung ti、マナーリー~クッルーをさすチベット名)」があります。ラーホール北部の無人の地リンティ(ling ti)、ラダックのシャクティ(shag ti)、ラダック・ルプシュの「チュムルティ(chu mur ti=chu dmar)」という地名があります。やはり地域の規模としては前二者が比較対象として有望でしょう
「bru sha/'bru zha」や「sbal ti」という地名はこれらと共通した命名ではなかろうか、と推測されますが、残念なことにそのどれも語源が明らかではありません。
「zha/sha」も「ti」もなにか土地に関係した接尾辞のようではありますが、何語なのかわかりません。当然、その意味も語源も不明です。
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(注1)
パトラ・シャーヒー朝は、7世紀頃にボロルを支配していたと考えられている王朝。ギルギット近郊で発見された経典(いわゆる「ギルギット写本」)、碑文、仏像の銘文などにいくつか王名が残っているだけで、この王朝の実体は謎に包まれている。「Patola/Palola」の名はこれらの王名に伴って現れる名で、よって「パトラ・シャーヒー朝」と総称されている。
「Patola/Palola」の語源は今のところ不明。観世音菩薩の在所を意味する「Potalaka(補陀洛山)」を思い起こさせる名ではあるが、ギルギット周辺で観世音菩薩信仰が盛んであったことを示す証拠は特に見いだせない。観音像は皆無ではないが、弥勒菩薩像がやたら多いのに比べるとわずかなもの。
(注2)
「吐谷渾」を意味する「アシャ('a zha)」という地名・集団名もあるが、これは匈奴の奴隷を意味する単語「阿柴虜[中古音:a tshie/dze lu]」が語源といわれており、関係はなさそうだ。
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